さしこ躍進とHKT48移籍をめぐって
日本に、一群の魔物が歩き回っている。AKB48と称する魔物が。
魔物に魅入られた者は、魔物を「ネ申」と呼び、自らの経済力に見合わぬ膨大な出費を苦にせず、神器の収集に余念がなく、幾多の祭事にもできるだけ出席しようとし、握手などのイニシエーションに歓喜する。
それは、運動にして消費行動であるとともに、希望なき世界の希望代替行為である。リアルでいかに行き詰まっていようとも、貨幣額さえ調えれば、それは誰にでも与えられる。
幼魔さしこは、そんな時代に頭角をあらわした、必然ではあるが不思議な魔物である。さしこ力という魔力は、誰にでも秘められたる力でありながら、今のところ、多く人びとはその力の存在に気づかないでいる力であり、そして、今のところ、フルパワーでさしこ力を使えるのは、この幼魔だけなのである。
そして、この幼魔は西遷する。鎮西で、幼魔は妖魔に成長するのかも知れない。
2012年6月6日、AKB48の「総選挙」の開票が行われ、「大分の星」指原莉乃が4位に躍進した。
「神7」入りしたこともさることながら、僕が注目したいのは、以下の事実である。
AKB48最年長の「まりこさま」こと篠田麻里子は、こうコメントした。
「私は、(私が)いるから上にあがれない、と言っている者はAKBでは勝てない、と思います」
勝つとか負けるとか、というスキームそのものがそんなに好きではない僕だが、もとより男前な女性が僕は好みである。まりこさまの男前な発言に僕も喝采した。
そのまりこさまは5位だった。
確認しよう。このとき、すでにまりこさまの上にさしこはいた、という事実を。
まりこさまは、意図せずして先のじゃんけん大会で優勝した。それでまりこさまをAKBのセンターとして出された曲が「上からマリコ」である。このとき、さしこ推したちから澎湃としてあがったのが「下からさしこ」キボンヌの声だった。さしこは「下から」は、常識だった。
ところが、2012年の「総選挙」では、さしこがまりこさまの「上」に来てしまった。前田敦子=センターよりも自明だったはずの「上からマリコ」「下からさしこ」という「常識」は、過去のものとなった。
地上波で開票を生中継したフジテレビは、開票の合間に執拗にさしこにコメントを求めた。水曜日のゴールデンタイムにはフジが流れない大分で、パブリックビューイング会場にいて、フジの中継を見ていた大分のわれわれがいぶかしく思ったほどだった。何位かはわからなくても、さしこが台風の目として躍進することをフジのスタッフやアナウンサーは知らされていたに違いない。近しいメンバーが順位を下げたときにコメントを求められて困惑するさしこの姿が印象的だった。
そして、さしこフィーバーが始まった。フィーバーという言葉が古かろうが何だろうが、僕の年代ではあれはフィーバーと表現するのがふさわしいものであった。
『週刊文春』6月21日号が、6月14日に発売になった。その内容は、前日からマスメディアに流れた。さしこがまだ研究生だったころの彼氏を名乗る人物が、「恋愛禁止」を謳い文句とするAKB48の禁を破るさしこの姿を語ってみせた。
まず、記事についての僕の感想を書いておこう。僕は、「それでも好きだよ」PVのロケ地であった書店で、『週刊文春』を立ち読みした。買ってなんかやるもんか。
第一。検証可能な記述の部分に、当事者しか知りえない事柄が何もない。部屋の様子にしても、後に部屋にテレビカメラが入ったときの映像をチェックしていれば言える内容で、すなわち、指ヲタならば誰でも知っていることしか言っていない。あとは、本当に2人しか知らないことを、「元彼」が言っているだけである。
第二。仮に、記事がすべて事実だったとしても、それの何が問題なのだろう、ということである。もちろん、AKB48の「恋愛禁止」ルールはよく知られている。過去に、あまり有名でないメンバーが、その禁を破ったことで、AKBを脱退させられる破目になったことも、ぼんやりと知っている。だが、そもそも「恋愛禁止」ルールが不当だと考える僕からすれば、そっちのほうがおかしいのである。いちばんのイメージダウンとなる要因たりえたのは「肉食系」記述だと思われるが、自己肯定感の低い売れないアイドルが、つらさを慰めるためにファンの男子に積極的になることの何が悪いのだろう?
第三。いわゆる「有名税」とは、かくも厳しく重いものなのか、ということである。さしこが4位に躍進しなければ、そもそもこの記事が出ることはなかった。選抜メンバーに引っかかる程度のメンバーのこの程度のスキャンダルが「騒動」となることはありえない。現に、さして有名でなかったメンバーたちがスキャンダルによってAKBを追われていることは、社会的にあまり知られていない。この記事は明らかに以前から用意され、「総選挙」で4位になってさしこフィーバーが起こるタイミングを見計らって出してきたとしか思えない。その狙いは功を奏して、『週刊文春』6月21日号は完売したという。おかげで、小沢一郎氏の3・11のときの醜態も完売したことになる。これまでも幾多の芸能人に重くのしかかってきた、「有名税」とも言われるスキャンダル報道が、われらが指原莉乃にも襲いかかった、ということである。それは、本人はもちろん、さしこ推したちにも襲いかかるものであった。さしこは「嫉妬する要素が何もないタレントさんと並んでも私のファンは嫉妬する」と、キスシーンを「ミューズの鏡」でやりたくない理由として語ったことがある。こうしたイノセントなさしこ推したちが、スキャンダル報道で受けたショックは想像するに余りある。
そして、さしこのHKT48への移籍の決定である。
秋元康氏出演の「AKB48のオールナイトニッポン」で、謝罪をするさしこに直接秋元氏が言い渡した措置である。
さしこは、全面否定ではなく、友達だったことは認め、秋元氏も「誤解されるような振る舞いをした」と、親密な関係であったことは認めた。「恋愛禁止」ルールは破ってはいないが、その範囲で認める、というのは、全面否定よりは説得力がある。また、「本当は恋愛くらい誰でもしてんだろ」という、醒めた(常識的な?)見方をも観客側には許容する余地のある「玉虫色」でもある。
そのうえで、HKTへの移籍。これが、よくできている。「すべては秋元氏の仕組んだこと」という憶測すら出るのもうなずけるくらい、うまい措置なのである。難点は「エイチケーティー」が言いにくく、さしこがよく噛む、ということくらいだろうか。
「恋愛禁止」ルールを破ったとして、AKBを去らざるを得なかった過去のメンバー・研究生の手前、「おとがめなし」というのは無理である。かと言って、あの程度の記事に屈服していては芸能界は成り立たない。その意味では、過去の被処分者は写真などの「動かぬ証拠」によるものしかいない。AKBのメンバー・研究生であることにしかネームバリューのなかった者には、それくらいでないとスキャンダルとしての価値がなかったということである。
そこで、HKT移籍なのである。「左遷」なら処分としてありえる、と思わせる。
HKTは、福岡のローカルアイドルのなかで苦戦を強いられている。福岡には独自の文化に対するプライドが確かにあって、東京のものをそのままローカルシーンに持ち込むには、若干の抵抗がある、ということである。福岡には、いくつかローカルアイドルがすでに人気を博していて、後発のHKTは知名度さえおぼつかない様子であった。
この文化的障壁について、ちょっと解説しておこう。わかりやすいのは、SKE48とNMB48との比較だろう。ユニットとしての人気は、CD売り上げを見る限り、SKEとNMBとでそんなに差があるわけではないようだ。ところが、「総選挙」の結果はSKEメンバーのほうが群を抜く。地元の雰囲気が僕にわかるわけではないが、全国ネットの番組に出演するときに、満足に関西弁もしゃべることのできないアイドルユニットが、関西でそんなにウケてるとは、僕には思えない。特に大阪には、東京からの直輸入のものにアレルギーにも比すべき感覚がある。対して、名古屋では、名古屋をほめていればそれでいい、という感覚がある。尾張弁を話したほうがウケはいいが、東京弁だから愛着がわかない、というほどのものではない。公教育ですら、共通語教育が行き渡らない近畿とは、名古屋・中京圏はそもそも土壌が違う。
では、福岡はどうか。東京の文化へのアレルギー感はないが、独自の文化へのプライドや愛着は強い。福岡の者が上京して芸能界のある部分を成り立たせている、という自負もある。だから、すでに一定程度はローカルアイドルが盛り上がりを見せている状況では、東京発でHKTがつくられても、先行のローカルアイドルに埋もれていた、というところである。
さしこの「処分」として、さしこをHKTに移籍させることは、そんなHKTにテコ入れをはかる絶好の機会となった。現に、さしこ移籍発表後、にわかにHKTは注目され、出演オファーが相次いでいる、という報道もある。福岡のメディアで、さしこ出演の依頼が殺到しているのは事実のようだ。さしこ推したちは、早速、HKTにチェックを入れ、メンバー・研究生の名を覚えようとしている。ネット上では、HKT公演に行くぞ、というような決意表明も続々と出されているようだ。
秋元氏も言うように、さしこはHKTのリーダー格であることを余儀なくされるだろう。
今回の決定は、かなり関係各方面と綿密に検討されて決まったことのようだが、そこにHKTのメンバーはもちろん、スタッフも蚊帳の外だったという。HKTのメンバーにもスタッフにも、そういう扱いに不満な者がいないほうがおかしいだろう。
それでも、HKTサイドはさしこをリーダー格として迎えねばならないだろう。
第一に、「総選挙」の結果が最優先であることは、48グループの大前提である。その4位を軽んじて、HKTメンバーが「総選挙」で上位にあがっていくことはありえない。
第二に、さしこ移籍はHKT旋風を福岡ですでに巻き起こしている。大分市では、ケーブルテレビに加入していれば、容易に福岡のテレビ局に接することができるし、地上波でも朝日系でわずかながらKBCをキー局に九州ネット番組が流れている。それを垣間見れば、福岡でいかにさしことHKTが大きな話題となっているかがわかる。HKTサイドは、人気浮揚というわかりやすい圧力のなかで、さしこを事実上のリーダーとせざるを得ないだろう。
第三に、さしこの経験はHKTにはない、ということである。HKTメンバー・研究生も、「総選挙」に参加してその厳しさは実感したことだろう。そこをしのいできたさしこは、芸能界を生きていく能力としては、経験も浅く、年齢もさしこよりいくつも若いHKTメンバー・研究生の比ではない。そこを否認するくらいの負けん気は、芸能界ではときとして必要なものなのだから、HKTメンバー・研究生の間には、その否認は一定割合でなければならない。しかし、大人のスタッフたちは、さしこが在籍し、一緒に活動することそのものが持つ価値を認めざるを得ないだろう。
さしこ個人の芸能生活という意味では、うまくいけば跳躍台にすらなりえる状況である。
「総選挙」で4位になろうと、やはりさしこの識別率は高くなかったのである。大分は、さしこソロデビューでプチブームに沸いたが、そこであらためて感じたのは、大分のおいさん(大分弁で「おじさん」の意)たちの21世紀アイドル文化への無理解と、さしこの知名度も識別度をかなり低い実情であった。プチという形容を僕がつける所以である。
ところが、今度の騒動はさしこの知名度をかえって高めた。識別率も、近い将来にはぐっと高くなっていることだろう。そして、その危機管理の高度さは、さしこ自身の(実は)高い能力によって、さしこへの好感度を逆に高めるものとなるように思われる。
これまで、さしこは「あっちゃん」「ゆうこちゃん」「まりこさま」「たかみなさん」と、先輩頼りの姿勢でよかった。でなければいけなかった、というほうがヘタレで売ったさしこについては的確か。
HKTでリーダー格でやらねばならない、ということは、さしこが繰り返し言及しているように、先輩頼りどころか、同期や「地方組」でさえ頼れなくなる、ということを意味する。
それは、アイドルや芸能人としてのさしこを大きく変えることだろう。秋元氏は、さしこは将来はアイドルのプロデューサー的位置を占めるのではないか、と予測として語っているとのことだが、いつまでたってもヲタク目線のさしこには、自らアイドルとして自分を売るよりは、アイドルを売る立場のほうが向いているのかも知れない。HKTでリーダー格をやるということは、その絶好のキャリアを積むことになるだろう。
指ヲタの一部は言う。HKTメンバー・研究生全員が、サシハラスメントの対象になるのではないかと(笑)
「ゆび祭り」が、おそらくこれまでの最大のご褒美であることを思えば、そうなることは目に見えているとすら言えるだろう。
そもそも、僕はさしこのHKT移籍を左遷だとは思っていない。
AKBとHKTは姉妹ユニットである。そこにある「長幼の序」は、実は人気の違いに過ぎない。SKEだろうがNMBだろうがHKTだろうが、人気さえあれば東京のキー局で全国区で活躍できるのである。少なくとも構想や建前はそうなっている。これはJKTでも、その後続でも変わらない。姉妹というものは、権利においては対等なのである。AKBが切り開いた道なのだから、機会においては対等ではないが、AKB商法の市場原理の「透明性」の部分である。
そして、さしこはHKTのテコ入れに行くのである。「スキャンダル報道を奇貨として」とすら言ってしまいたくなる。
例えるなら、本社ナンバー4の常務が、基盤が脆弱な福岡支社の支社長になって、テコ入れに動くようなものである。
そもそも、大分のさしこ推しとしては、地域エゴとしてHKT移籍ウエルカムなのだ。「九州へお帰りなさい」と声をかけたいところである。
短時間にコメントで何回「大分」と連呼するのか、と僕が萌えてしまうさしこである。
さしこ母は、半ば同居のような感じで、東京に通っている。無論、さしこ父は大分で働き生活している。
さしこ自身も、ちょっと休みができたら、日帰りで大分に帰省できることは、いいことだと言っている。
さしこはリアルには知らないのかも知れないが、JRの特急で2時間弱、高速バスで2時間半という距離感は、いかにも近い。
僕が、HKT移籍を左遷だと思っていない要因はここにもある。
「大分から日本を変える」ということを、実現性はともかく、志向としては持っている者にとって、福岡は辺境ではない。そうであっては困る。さしこ推したちに根強い、AKB復帰待望論は、最初から「それは違う」と僕は思っていた。「HKT48 指原莉乃」として、芸能界の頂点にかけのぼってほしいところである。
さしこ力は、スキャンダル報道という逆境において、さらにパワーアップしかねない勢いである。ダメなところに力の源泉があるとはいえ、率直に言って、驚いている。
さしこ力概念の普及に腐心している者としては、実は貴重なものを見せられているのかも知れない。
以前に書いた「指原莉乃論」での結論を、ここに再掲しておく。
僕は、若者たちが、「さしこ力」を遺憾なく発揮できるようになることを切に願うものである。
「3・11後」、日本社会は変わったし、なお変わり続けている。その変化の果てに、この社会がどうなっているのか、今のところ、誰にも予見できない。
そして、僕自身は自らの実践を、社会変革の「虚妄」に賭ける。実はそれは現実化するかもしれない。「さしこ力」がフルパワーを発揮して、ただの可愛くないダメな子をスターダムに押し上げたように。
(2012年6月27日に拙ブログ「さしこ躍進とHKT48移籍をめぐって」に発表