<書評>大塚英志『「おたく」の精神史』講談社現代新書 2004
僕の人格は明らかに「おたく」寄りだ。しかし、「おたく」で
あっては政治運動ができないから、僕は無理に社交的であることを自分に強いてきた。だから僕は
「おたく」に親近感がある。「おたく」についての情報には僕は比較的に敏感だ。そういう動機も
あって僕は本書を手に取った。
大塚英志は、「新人類」世代の「おたく」文化の担い手の一人で、まんが原作者・評論家という肩
書きになっている。最初はエロマンガ誌『漫画ブリッコ』の編集者で、エロマン
ガの主流を、劇画調から「美少女マンガ」(アニメ絵か少女マンガ調の絵柄のエロマンガ。大塚による
と手塚治虫的な「記号絵」と特徴付けることができる)に変えたのに大きな役割を果たしたうちの一人
だと本書で自分で書いている。
中森明夫が初めて「おたく」という言葉を提起したのが、大塚が編集した『漫画ブリッコ』1983年6〜8
月号での連載記事「おたくの研究」であった。最近では、戦後民主主義的価値(平和や人権など)を
擁護する論陣を張る評論家としても活躍している。ちなみに「美少女マンガ」の元祖は、本書によれば
吾妻ひでおなんだそうだ。少年時代に、吾妻のナンセンスものを読んで、よくわからなかった記憶があ
るが、今読んだらわかるだろうか?
本書は80年代精神史を自らの経験の回顧を中心に描き、論じたものだ。80年代は、メインストリーム
とされた「新人類」文化とそこから排除された「おたく」文化の「階級闘争」であった、という宮台真
司の見解をベースに、「新人類」文化を裏返しの「おたく」文化として考察している。つまり、宮台は
「新人類」文化を、80年代文化の具体的普遍として論じるが、大塚は、80年代を病理の面を主要なモメ
ントとしてとらえようとして、「おたく」文化を具体的普遍として論じる。これは、当時、宮台が
「新人類」側に所属し、大塚が「おたく」側にいた、という事情が大きいが、80年代の病理ばかり考え
てきた僕は、大塚の議論の方に親近感を感じる。その両者に共通するのが消費文化を自らの
アイデンティティとし、それが外向したのが「新人類」で、内向したのが「おたく」であると言うこと
もできる。この消費文化のとらえ方は、僕が中西新太郎の著書から影響されたもので、その本について
は別に書くことにするが、「新人類」の側の「おたく」差別が、その初発の中森の論考でも、おしゃれ
な消費文化に関心を持たず、「ださい」自分を気にかけないところにあった。この「新人類」的なもの
に、僕はコンプレックスをずっと抱いている。
特に、僕が強烈な印象を受けたのが、ニューアカ
デミズム(略してニューアカ。やたらと略すのも80年代から始まった)の流行の客観的根拠を初めて得
心できる形で述べられていたということだ。ニューアカといっても、もう忘却のかなたにあるのかもし
れないが、乱暴に要約すれば、フランスのポスト構造主義の思想を日本に導入し、世界はすべて虚構で、
「知」はその虚構の中での遊戯に過ぎないのだから、その遊戯を大いに楽しもう、といった議論であっ
た。80年代には、青年の
客観的対象への認識や認識枠組みのかなりの部分が商業マスコミによって形成された。持っている情報
のほとんどはマスメディア経由のものであり、世界観の形成において、自らの経験によって得られた
情報の割合は、かつてなく小さくなった。そして、80年代の消費文化は「舞台裏」の
暴露や「楽屋オチ」なども展開していたことから、「新人類」世代はその虚構性を認識の前提において
いたが、それが自分にとって「快」ならばそれでよし、と考え、事実と虚構の区切りの仕切り直しを
行っていたのだ。それを
現代思想の用語で論じたのがニューアカ理論だった、と大塚は言う。つまり、「新人類」のそういう
世界認識の「知的」表現(ここでは「知」は自分をかっこよく演出するアイテムである、という点で、
「知」の虚構性が容認される)がニューアカであった。ニューアカは非合理主義的な観念論で、民衆
闘争の放棄をはかるイデオロギーだとする『唯物論と経験批判論』的なニューアカ批判
(日本共産党が音頭をとって、マルクス主義理論家たちによるニューアカ批判キャンペーンが80年代
後半に系列紙誌で
展開されていた。『ニューアカデミズム その虚像と実像』新日本出版社、1985にその代表的な論考が
収められている)に慣れすぎていた若き日の僕は、当時どうしてもニューアカ流行の客観的根拠が理解
できなかったのだ。そんな浮世離れした「虚偽意識」が、なぜ流行するのかが。僕が学生運動にのめり
こんだ80年代末の当時、「哲学に関心がある」と言う学生はほとんどみなニューアカの影響を受けていた
という状況が、本当に理解できなかった。本書は、80年代の精神状況を述べることで、その客観的根拠
を理解させてくれたのである。そして、それは同時に、あのころどうして僕たちの運動が大きな影響力
を持てなかったのか、ということのひとつの解答を示しているような気が僕にはするのだ。
そして大塚は、ニューアカ文化人が中心となった湾岸戦争反対の文学者声明を、厳しい現実に直面し
ての泥縄的現実回帰ととらえ、それはニューアカの理論的総括を伴わない逃避だと論じ、それゆえ、今日のよ
り厳しい情勢下では、彼らは沈黙しているのだと、主観的感覚だと断りながら述べている。そして、
オウム真理教事件や神戸連続児童殺傷事件は、「新人類」=「おたく」文化の破産宣告である、と断じ
ている。このあたりは説得的だと僕は思う。
大塚は、自省も交えて現実へのコミットメントの重要性と、その前提となるリアルな認識の重要性を
説いているというのが僕の解釈だ。一面では、ニューアカの議論は「恥ずかしがりやの左翼思想」の
側面があると僕はとらえている。構造主義・ポスト構造主義は、繰り返し現代社会で人間はどのように
抑圧されているかを論じてきた。ニューアカのスターだった浅田彰も柄谷行人もマルクスを高く評価し
た。しかし、社会主義の名の下に、旧ソ連が対内的にも対外的にも強力な抑圧の体制をつくりあげた
状況では、ニューアカは既存の左翼運動を嫌い、反核・反原発・エコロジーなどのシングル・イシュー
の「新しい社会運動」を奨励した。もっと大衆的には、消費社会を肯定する機能をニューアカが演じた
のは、大塚が指摘するところである。僕は、自らの運動への自省(その主張が間違っていたとは思わな
い。しかし、その<正しい>運動が何ゆえに広がらなかったのかが問題だ)とともに、では今どうすれ
ばいいのか、どういう運動を組めば自らの運動が広がるのかを考えている。
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