首相の靖国神社参拝を考える

 評論としては遅きに失した感があるのですが、リクエストがありましたので、論じてみたいと 思います。


 2006年8月15日、小泉純一郎首相(まもなく交替するが)が靖国神社に参拝した。01年の首相就任 以来、年1回の 参拝を繰り返してきた小泉氏だったが、8月15日の参拝は初めてだった。事前に「(総裁選での) 公約は生きている」と言明し、参拝後には「いつ(靖国神社に)行っても批判される。いつ行っても 一緒だ」と開き直った。
 小泉氏の発言にはつっこみどころが結構あるのだが、まずは根本的なところから。
 小泉氏は「戦没者に追悼と感謝をささげる」と言う。実はこれは靖国神社側の「慰霊と顕彰」という のと軌を一にしている。要するに「感謝」とか「顕彰」というのはおかしいと僕は思うのだ。 「感謝」と いうからには、「国家のために死んでくれてありがとう」ということになる。「顕彰」というのは 「国家のために死んでくれたのはすばらしい行為でほめたたえるべきことだ」ということである。 旧日本兵は、侵略戦争という国家政策の犠牲者であり、その意味では、首相という国家機関が 旧日本兵の戦死者に対して行うべきは、「感謝」や「顕彰」ではなく、 「謝罪」でなければならない。「感謝」や「顕彰」ならば、今後自衛隊員に戦死者が出た場合に、 やはり「感謝」と「顕彰」でもって対応することになり、国家のために死ぬことを推奨するという 意味になるからだ。
 念のために言っておくが、僕は国家のために死ねる人間でありたいと思っている。現実に そうなれるかには自信がないが、心情としてはそうだ。しかし、それは反戦平和の信条を貫いた ために、戦争推進勢力に殺されることも辞さない、という意味である。日本は戦争をしない国家で あるべきだし、もし戦争をする国家になるのだったら、そのあり方を正すために生きたい、という ことである。そういう意味で、僕は愛国心の強い人間だと思っている。愛国心が強いからこそ、 あるべき国家と僕が考えるものから遠い、現実の国家のあり方に不満を持ち、厳しく批判するので ある。現実の国家のあり方を肯定するのが愛国心だというのは誤りだと僕は思っている。ただし、 僕が反戦平和を貫いて殺されたとしても、靖国神社は祀ってくれないだろう。現に靖国は小林多喜二を 祀っていない。戦争反対を貫いて殺された多喜二こそが真の愛国者だと思うのだが。
 そもそも、靖国神社とはどういうところか、が次の問題である。靖国神社の起源は、1869年に 戊辰戦争の官軍戦死者を祀るためにつくられた東京招魂社である。これが1879年に靖国神社と改称 されたもので、陸海軍省の管轄下に置かれた宗教的軍事施設である。国家のために死んだ人を「英霊」 (すぐれた人の霊魂という意味。国家のために死んだのだから特別にすぐれているということである) として祀ることで、国家のために死ぬことをほめたたえ、奨励した施設である。特に、 アジア太平洋戦争では、「靖国で会おう」が兵士の間で合言葉とされて、若者を死に駆り立てる役割を 果たした。つまり、若者を戦争に動員するための日本軍国主義の精神的支柱になったのが靖国神社 だったのである。だから、戦没者の慰霊と追悼を行い、不戦の誓いを新たにするのに、靖国神社は ふさわしい場所ではないと僕は考える。 アジア太平洋戦争終戦後の1945年12月に、天皇を現人神とする国家神道を国家から分離する ことを占領軍が命じた「神道指令」によって、一宗教法人となって、現在に至っている。
 憲法の政教分離原則との関係で言えば、憲法の規定はもともと国家神道の復活を許さない、という 点に狙いがあった。靖国神社の性格を考えれば、靖国神社と政府が特別の関係を持つことが国家神道の 復活につながることは明白であると考える。「国家のために死ね」という神社に参拝する行為と、 憲法を改定して、アメリカの侵略戦争に加担しようという動きが無関係だとは思えない。
 靖国神社は、現在でもアジア太平洋戦争(靖国神社は「大東亜戦争」と呼ぶ)は、侵略戦争ではなく 自存自衛の戦争だったとしてあの戦争を肯定している。それは 靖国神社ホームページでもうかがい知ることができるが、特にその付属施設である遊就館では、 そうした歴史観を露骨に披露している。首相がその靖国に参拝するということは、その歴史観に お墨付きを与えることを内外に印象づけざるを得ない。小泉氏は「植民地支配と侵略を反省」すると した1995年8月の「村山談話」(当時の村山富市首相の談話)を踏襲し、国会で追及されれば、 「靖国神社とは見解が違う」と答弁する のだが、そうした言い訳が国際的に通用するかといえば、答えは否である。日独伊による侵略戦争の 否定を出発点とする戦後国際秩序を危うくするこのような行為は許されないと考える。
 A級戦犯合祀の問題も、この靖国の歴史観のなせる業である。あの戦争は正しかったのだから、 その責任者を裁いた東京裁判は不当であり、東京裁判によって処刑されたり獄死したりした戦争 責任者は「昭和殉難者」である、として合祀しているのである。A級戦犯が合祀されている以上、 靖国参拝は戦争責任者の墓参りという側面を持たざるを得ない。ドイツになぞらえるならば、ナチス 幹部の墓参りをするようなもので、アジア諸国が反発するのも当然である。なお、中国は主として A級戦犯の合祀を問題にするが、前述のことからわかるようにこれは実は問題の一部に過ぎない。 おそらく中国はそういうことをわかったうえで、外交的配慮としてA級戦犯合祀に問題をしぼって いるのではないかと僕は推測している。
 小泉氏は「私的参拝だ」と言い、だから「心の問題だから外からとやかく言われることではない」 とも言う。しかし、大阪高裁判決も指摘するように、小泉氏の靖国参拝は自民党総裁選の公約として 行われているものであり、それを私的参拝とは言えない。「心の問題」云々についても同様で、 内閣総理大臣という立場では、その行動は公的性格を帯び、「内心の自由」は制限されるのが当然 なのである。
 小泉氏は「靖国参拝を批判するのは中国と韓国だけ」とも言うが、これも事実に反する。東南アジア 諸国は、政府は沈黙を守っているが、民間の主要マスメディアは靖国参拝に反対する論陣をはって いる。マレーシアは「日中関係が悪いとアジア全体に悪影響を及ぼす」という表現で、間接的に日本を 批判している。米国もマレーシアと同様の懸念を示している。
 実は、「靖国史観」は米国をも敵に回すものである。米国との戦争が正しかった、というからには 必然的にそうなるのだ。だから、米国も靖国参拝には「日本の内政問題」として一応沈黙を守って いるが、内心渋い顔をしていて、アジア太平洋戦争が日本による侵略戦争であったことを確認する 決議を下院が行ったり、同様の内容の演説をブッシュ大統領が行ったりして、日本に釘を刺そうと している。
 自民党のスポンサーである日本の財界も、首相の靖国参拝には批判的である。日本経済の、 中国や韓国との相互依存はかなり緊密になっていて、日中関係や日韓関係が悪化することは、 現地に進出している日系企業への風当たりの強さとなることもあるので、財界にとっていいことは 何もないのである。
 小泉氏は「人が死んだら仏様になるのが日本の伝統」とも言った。神道の神様と仏教の仏様の区別も つかないのかとあきれてしまう発言なのであるが、靖国神社の「英霊」はもちろん神道の神様である。 しかし、日本の伝統を言うのであれば、靖国神社という近代的な施設は問題にならない。千数百年の 日本の伝統は、たたりを恐れて敵側の霊も祀るというものである。元寇のときには、元側の兵士も わけへだてなく慰霊する神社や寺院がつくられている。その点、靖国神社は「国家のために死んだ者」 しか神様にしない、死者をわけへだてるところである。古くは、新選組や西郷隆盛は「賊軍」なので 祀られていないし、その後の対外戦争でももちろん敵方の死者は祀られていない。アジア太平洋戦争 では、軍人・軍属の戦死者のみが祀られていて、空襲による民間人の死者は祀られていない。だから、 広島・長崎の原爆の犠牲者も祀られていない。これは戦没者追悼施設としては失格なのではないか。
 戦後も自民党はたびたび「靖国神社国家護持法案」 を国会に提出したが、野党と平和運動の激しい抵抗にあったし、自民党の主流もあまりこの法案の 成立に熱心でなかったため、そのたびに廃案となっている。この「国家 護持法案」を断念したために代替案として登場したのが首相の公式参拝で、1985年に中曽根康弘首相 (当時)が公式参拝を行うが、中国や韓国などアジア諸国の激しい反発を招いて翌年からは参拝の中止 を余儀なくされた、という経緯があった。
 自民党は、なぜこれだけ靖国にこだわってきたのか? それは、日本が戦争をするように なったときに、戦死者の「慰霊と顕彰」を行う施設が必要だからである。憲法9条に守られて、 戦後日本は戦争をしていないが、いよいよ憲法を変えて、米国の戦争に加担しようとしている。 そのときの戦死者の「慰霊と顕彰」を行う施設がないと誰も国家のために死んでくれないかもしれない。 僕は、日本の国家意志の本命は無宗教の国立追悼施設だと思っている。小泉氏も当初は、靖国参拝で 挑発し、問題化したのを受けて無宗教の国立追悼施設をつくる方向で考えていたのではないか。 福田康夫官房長官(当時)の下に私的諮問機関を設け、無宗教の国立追悼施設の整備を答申した 経緯からはそう見える。しかし、「靖国派」の激しいまきかえしがあってこの計画は頓挫してしまって いる。無宗教の国立追悼施設が、「慰霊と追悼」だけでなく、「顕彰」も行うとしたら、それは 靖国参拝と同様の戦争準備となるだろう。しかし、我々にとって無宗教の国立追悼施設建設に反対する のは難しい。実はそう出られた方が敵としては手ごわいのである。しかし、根強い「靖国派」の おかげで靖国神社にこだわらなければならない現状がある。これは、むしろ我々にとってたたかい やすい状況をつくりだしてくれている。
 なお、無宗教の国立追悼施設構想が頓挫したあとも、小泉氏が靖国参拝にこだわり続けた理由が どうしても僕にはわからない。首相という国家機関は、首相個人の個人的こだわりだけで機能して いいものではないからである。もし、個人的こだわりだけで参拝を続けたとすれば、それは国家機関の 私物化である。中韓との関係をこれだけ壊すという、国益を損ねる行為を国家機関が行うというのは 致命的なきがするのだが。


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