小説「壬申の乱」ウゴイチ

 by 落王(青丹 良典)

第3部その24 第52回「大臣の鎧」

 三輪山の麓。上ツ道を南下してフキは駆けて行く。怒りに身を任せて走る事は都入りしてから初めてのこと。できるだけ勝手な振る舞いをしてはいけない。その事を強く自分に言い聞かせて行動してきた。
 十市皇女の侍女として、片時も離れてはならない立場であるが、皇女の母君である歌姫の異変に冷静ではいられない。
 前方で騒がしい音が聞こえてきた。どうやら赤染造徳足が追いついたのだろう。
「御井様、お待ち願おう。庵にて歌姫様が倒れておられたが心当たりは?」
 徳足が厳しく尋問している。
「無礼な奴め、誰じゃ?」
 御井は護衛の者に追い払うよう支持し、そのまま進んでいく。こうなれば戦うしかない。高市皇子の舎人として鍛えられている徳足は、二人相手にほぼ互角に渡り合った。
 だが、背後から佐美の握った木切れで後頭部を打たれ、前のめりに倒されてしまった。御井の後を追って護衛の二人も進んでいく。
「悪く思わないでね」
 佐美は徳足を飛び越えて御井の後を追って走っていく。
「待ちなさい!」
 離れた位置から一部始終を目にしていたフキが叫ぶ。佐美は無視して歩き始める。走らないのは何か気にしているからだろうか。走ってきたフキは息を切らせながら佐美に追いついた。
「何なの?」
「歌姫様たちに何をしたのか言いなさい!」
「眠って貰っただけ」
 佐美は堂々と言い、斜め視線で笑う。
「許されないことです!」
「別に許して欲しいとはお願いしていないわ」
「何処へ逃げるつもり?」
「逃げる?ははははは・・・誰から?どうしてかしら」
「庵から逃げたのはあなたでしょ」
「逃げるのではなく、去っただけ。逃げると言うのは何かを恐れての事でしょう?私たちは別に恐れていないもの」
 佐美は短刀をフキの首付近に構えた。
「何故、そのような馬鹿な真似を・・・」
「私を追いかけてきてどうするつもりだったの?まさか謝るとでも考えた?それは滑稽ね」
 笑う佐美に反して険しくなっていくフキの表情。
「アハハハハ・・・また泣くのかしら。以前もメソメソしていたわね」
 佐美はゆっくり短刀をフキの喉に押し当てていく。フキが必至に佐美の腕を掴むが押さえつけられる力を弱めることができなかった。
「美しい顔をこのまま引き裂いてやりたいわ」
 佐美は顔を近づけて口から息を吹き付けた。フキの首が赤くなっていく。
「あなたは恐れている」
 フキの言葉に佐美から笑いが消えた。
「何も恐れてなんかいないわ」
 佐美はフキを蹴飛ばして倒す。
「フキさん!」
 徳足が立ち上がって近づいてきていた。
「心配しなくても弱い毒よ。痺れる程度だから薬草で回復するでしょう」
 佐美は素早く駆け出すと上ツ道を南下していった。
「フキさん、すまない。大丈夫?」
 徳足が頭を押さえながら詫びている。
「タコさんこそ無理なさらないで」
「私は大丈夫です。今からでもあの者を追います」
「もう、戻りましょう。歌姫様たちが心配です。タコさんも手当てが必要だし」
「しかし・・・」
 そう言いながら徳足の手には後頭部から流れた血がついていた。

 今木の里に社があり、そこへ土地の者とは思えない仮面を被った数名が集まっていた。
「ここに鎧があるのだな」
 紫の衣を纏った男が他の四人に確認した。それぞれ声を出さずに仮面のまま頷いている。紫の衣の男は焦る気持ちを隠しもせず、急いで扉に近づいた。しかし固く施錠しているのか微動だにしない。
「風鬼、水鬼、鍵は?」
「ありませぬ」
「千方将軍が入鹿殿の御子息ならばお持ちのはずですが」
 一人が静かに呟く。
「黙れ金鬼、鍵を渡される間もなく流されたのじゃ。隠形鬼、これを開けられるか?」
「壊さねばなりませんが、宜しいのでしょうか?蘇我の社だと聞き及んでおりますが」
「構わぬ。蘇我の正統が開けるのに誰の許しがいる」
「わかりました」
 隠形鬼は金鬼・風鬼・水鬼に合図を送ると一列に並び、代わる代わる門へ槍を突き立てていった。突付いては抜き、すぐさま後方へまわり、4人が次々に扉を突いていく。
「ソーヤー!」
 四鬼は頃合を見て扉を蹴飛ばした。伎楽面のような仮面をつけた男たちは扉が倒れるのを確認せずに戻ってくる。背後で大きな音が鳴った。社の扉が破壊され大きな穴が開いている。
「さすがは四鬼たちよ。おまえたちが居れば無敵だな」
「では、速やかに鎧をご確認ください」
「ああ」
 紫色の衣を揺らしながら千方将軍は鬼面を付けたまま扉を踏んだ。
 薄暗い社の中に身をかがめて入っていく。中央に何か祀られていた。
「こ、これが大臣の鎧・・・・」
 跪いたまま鎧に抱きつく。鬼面で表情は分らないが泣いているようにも見えた。外で待つ四鬼たちは黙ってそれを眺めている。
「もう、ご満足でしょうか?」
 暫くして隠形鬼が声をかけた。
「ああ」
 四鬼は物音を立てずに近寄ると、その鎧を千方将軍の身に装着させていく。
「飛鳥へ帰ろう。大臣の帰還だ」
 仮面の5人は社から出ると繋いでおいた馬に跨った。葛城山を仰ぎ見ながら、千方将軍を名乗る河鹿は満足げに笑みを浮かべるのであった。

 倭古京府から出た小数の部隊、解散組。大将が誰と言うでもなく、主だった者数名が横一列にそれぞれ並んでいる。
「反乱軍は本気で攻めてこられない」
 多耳が呟く。
「本気じゃない戦って何だ?命が懸かっているのだぞ。余計な事は考えずに倒すのみ」
「敵は全て斬る」
 吹負も磐手も前だけを向いて反論した。多耳も前方を見つめている。
「本気じゃないからこそ許せない!」
 一気に多耳は馬を走らせた。真っ先に飛び出すつもりでいた吹負や磐手も驚く行動だ。多耳は単騎で駆けて行く。負けじと他の者も後に続いて行った。
 多耳は腰から刀銭を取り出すと、手綱を片手で握りながらもう一方の手で振り回し始めた。
ビュン、ビュン、ビュン・・・という音が小さいながらも響いていく。その顔には何時の間にか伎楽面風の仮面を装着していた。
 多耳は後ろから着いて来る吹負たちを確認しながら、反乱軍の中に吸い込まれていった。
「おい、あいつの姿が見えなくなったぞ」
「たった独りで・・・」
 吹負と磐手は呆れたが、計画通りに反乱軍へ向かっていった。だが、反乱軍に大きな動きは無い。戦う準備をしていないのか、吹負たちを気にもしていないのだろうか。
 ただ、雄叫びを上げて突進してくる数名の者に対し、数十人の部隊は身構えて整列していた。
 多耳は反乱軍の真っ只中に進むと、取り囲んだ兵士たちに大声を発した。
「私の後ろから追いかけて来る者どもを侮るな!各自、心して応戦するように」
「あ、あのぅ〜」
「聞こえなかったのか?伊勢の者たちに大和言葉で話すと分らないのかな?」
 不思議そうに問う兵士たちを一喝すると多耳は静かに馬を進めた。
「他の四鬼様たちは?」
「じきに戻ってくるであろう。隊列を整えろ」
 仮面を被ったまま、一方的に多耳は反乱軍に命令した。兵士たちは襲い来る吹負たちの軍勢に向かっていった。多耳が何者であるかなど考える余裕が無いようであった。
「さてと・・・、急がねばなるまい」
 多耳は派手な紫の衣のまま司令部を探した。そして暇そうな兵と目が合ったので指で合図した。
「火急の用がある。今は会えるか?」
「は?」
「お会いできるのかと聞いている」
「王でございますか?」
「おう、そうだ!」
「私では分りかねます」
「分る者に聞いて参れ。そして火急の用件だと伝えるのだ。急げ!」
「はっ」
 兵士は慌てて走って行く。多耳はゆっくり歩を進めた。周囲の兵士を見ると慌てて目を伏せていく。どうも仮面の四鬼たちは恐れられているようだ。
 暫くして先ほどの兵士が上司らしき兵士を伴って戻って来た。
「どうぞお通り下さい」
「どちらか馬を引いてくれ。先ほどの戦闘で疲れている。暫し馬上で休みたい」
「はっ」
 兵士に馬を引かせたまま、多耳は反乱軍の司令部まで案内されて行った。大げさに肩を押さえて痛そうにしている。
「四鬼様ほどの腕でも怪我をされる事があるのですね。初めて戦いを拝見した時、まるで鬼神かと驚きました」
「何の、私も人の子。血は流れている。変わった方の奇人と言われるがな」
「どこか打たれましたか?」
「ん?」
「何だか雰囲気が違うように感じましたので」
「連戦の疲れだ。気にするな」
「失礼しました」
 多耳たちは小高い所に建てられた小屋に入って行った。ここが本陣なのだろう。
「何だ?その衣は?」
 入るなり声をかけられた。中には5、6人の男が腰掛けている。
「河鹿殿に渡されました」
「おいおい、叱られるぞ。奴は千方将軍と名乗っているだろう。ご機嫌をとっておくことだ。それより奴は鎧を手に入れたのか?」
 河鹿が千方将軍、そして奴と呼び、鎧を求めて・・・耳に入った言葉を多耳は整理していく。やはり反乱軍は一枚ではないようだ。仮面の男は河鹿と距離を置く者なのだろう。
「無事に手に入れました。もう後は完全に大臣として飛鳥をモノにすると大きな事を言われています」
「そうか」
 数名の男たちが顔を見合わせて笑っている。だが、そのうち誰が『王』なのか多耳には区別がつかない。だがその中に見慣れた顔を発見し、全てが解ったような気がした。
「ところで火急の用件と聞いているが・・・」
 中央の男が用件を聞きたがって問い掛ける。
「その前に、我々はいつまで河鹿殿・・・いや千方将軍の手足とならなければいけないのでしょう?」
「本人が自称大臣になったので目的は達したはずだがな・・・」
 そう言って男たちは再び笑い合う。
「用件と言いますのも、千方将軍は早く倭古京府を攻め滅ぼして近江に宣戦布告したいようです。早く攻めよと我々に命令してきますが・・・いつまで大人しく聞いておけば良いかと。こうしている間にも近江からの援軍が到着しますと厄介な事になります」
 多耳は一言ずつ相手の顔色を確かめながら話していく。どうやら今のところ当っているようだ。
「それから、大伴氏が倭古京府に加わったようです。人数は少ないながらも名門氏族ですので報告しておきます」
「大伴氏は敵に回さずこちらで使いたいのう」
「飛鳥の拠点として必要な氏族だ」
 男たちは人ごとのように大伴氏の話題を上げている。
「では、千方将軍が待っておりますので戻ります」
「おい、声が判別できなくて悪いが、水鬼だったか?風鬼だったか?」
「風鬼にございます」
「千方と手を切るときは合図を送る。それまで今まで通り仕えているように」
「わかりました」
 多耳はゆっくり小屋から出て行った。外に馬と兵士が待っている。再び馬に近づいた時、中で居た男の一人が近づいて来た。
「どういうつもりだ?ウサギ」
「さすがネェー兄ぃ、バレてた?」
「声で判る。知られたからには・・・」
「消す?」
「ウサギのような小さな狩りは好まない」
「でも、結構な大物かもよ。早めに手を打った方がいいぜ」
「命がいらないのか?」
「ネェー兄ぃこそ大胆な企てに参加するとは命知らずだな」
「我々の元へ来い。推薦してやる」
「気に入らない。首謀者は命を賭ける気もなく多くの者を戦場に追いやった。腹が立つよ」
「そうか敵か」
「当り前だ。倭古京府を預かる高市皇子様の舎人だぞ」
「ここで死ぬか?」
「それはない。東宮様の舎人が高市皇子様の舎人を殺すわけにはいかないだろう」
 仮面越しに多耳と祢麻呂は睨み合った。兵士たちは何の事か事態がわからずに立っている。
「おまえのような正式ではない舎人が消えても影響は無いだろう」
「随分と軽く見られているのだな」
「いや、舎人としてではなく個人としては買っている。予想のつかない行動が脅威なのだ」
「やはり今のうちに消す?」
「もう一度問う。我々の元へ来い」
「ありがとう、ネェー兄ぃ。だが今は敵だ」
「そうか。おまえらしいな。もしできることなら河鹿を助けてやってくれ。このままでは見殺しになってしまう。私もそれだけが納得できないのだ」
「ネェー兄ぃ、その件に関しては味方だ」
 多耳と祢麻呂は暫く向かい合っていたが、そのまま黙って背を向け合った。
「馬を引け」
 多耳は仮面の男になりきったまま反乱軍の兵士と坂を下っていった。

<次回へ続く>
落王雑記
 前回の51回が7月6日のアップ。それから2ヶ月以上も経ちました。今回の内容は8月1日に書き上げており、1ヶ月ぶりの更新!とする予定だったのですよ。それが更に一ヶ月も手つかずで情けないことです。作者も内容を忘れかけるという状態。
 先日、榛原町の文祢麻呂墓へ久しぶりに行きました。ウゴイチでは「ネェー兄ぃ」のモデルです。『壬申の乱』や『宇陀の古墳』の研究が止まっている自分。原点に戻って再度、調べていきたいと気持ちを新たにしました。
「文祢麻呂墓より伊勢方面の空」
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