店は当分続けます
平成徒然草第13HP
とうめいさうんど 鵜飼俊男
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FAX 0569-23-7061(電話も同じ。兼用)
メールアドレス:ukai-516@tac-net.ne.jp
URL : http://www.tac-net.ne.jp/~ukai-516/
愛知県半田市昭和町4丁目13番地。







店と道路の間に咲いた一人咲きの花。

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10/1


9/30


●名文、手紙の名手からメール来る。この人の文・言葉は美しいので、何度も読んであじわえる。詩になっている。
「津の国人」いいお話でした。
哀しい運命の悪戯、人の心の純粋さ、涙が出ました。
この潔さは今の時代の人にはないですね。
執着してストーカーになってしまうのが行き着くところ。
嫌いになって別れたわけではない元妻の再婚に
はなむけの言葉を与えて祝福するなどという
人間の大きさに感動です。
好きな人の幸せだけを祈り身を引くというのも
美しい愛の形なのですね。切ないです。
ビデオ見せていただきました。
金子みすゞについては、詩を少し聞いたことがあるだけで
彼女のことを今まであまり知りませんでした。
こんなに辛い思いをしたんですね。たくさん涙が出ました。
当時にはこのような悲劇が多かったのでしょうか?
でもどんなに辛くても明るいほうへ、明るいほうへ
自ら向かっていく自然の動植物のように
彼女も不満を漏らす事無く生きてきたのです。
小さなことにも喜びを見つけ日々まさに明るく
生きて行けたのは、やはり詩があったからでしょう。
彼女の才能は彼女と共にあり、生きがいになったのでしょう。
もちろん、弟や西条先生、娘の存在も彼女を強く支えたに
違いありません。
しかし、究極、彼女の中から消え去らなかった強き支えは
やはり彼女の自己から生まれたもの、
彼女の才能だったのではないでしょうか?
それを誰も奪うことはできなかったと思います。
心のなせる業、詩を作ること。
憧れだけでは実際詩を作ることはできないと思います。
彼女の天性の才能、彼女の心の声は彼女が死んでも
決して彼女から消えることはないでしょう。鵜飼:金子みすゞには弟雅輔に郵送した3冊、娘フサエに残したフサエの片言を記録した「南京玉」の4冊の手帳に書かれた作品しかしか今のところないようです。もっと読みたい。
このドラマは単にみすゞという偉大な詩人の半生を
描いたものではなくなっているような気がします。
誰もがみすゞのような才能を
持ち合わせているとは思えませんが、
それでも、自分を生かす何物かを信じて
実行していくことで、可能性が生まれ、
道が拓けて行くことを教えてくれているような
そんな気がしました。
「麦秋」について
原節子さんという美しくて評判だった女優さんの映画
初めてみました。
個性的な方ですね、話し方も若々しくはつらつとして。鵜飼:4/1ドイツ人の血が入っています。後年彼女は「兄弟が映画のカメラマンで、驀進してくる列車を線路内で撮影していて、除け損なって惹かれて死んだ」ショックで映画界が嫌になり、けいやくぶんを全部撮ったのち、引退したそうです。
のりこという娘さんは最後にひっそりと泣きましたね。
この号泣の意味は何でしょう?やはり、
お嫁に行きたくはなかったのでしょうか?
両親を心配させ、兄夫婦には小姑でいる自分が申し訳なくて
身近なご近所の男性と結婚をする気になったのでしょうか?鵜飼:恋愛と言うにはぬるい愛、見合いで全然知らない人のところへ行くよりも安全。そして、(杉村春子演じる)叔母さんが好きだったのでしょう。「私でよかったら」といいます。この場面が素晴らしい。しかし燃え上がる喜びが無い。あの夢も、この夢も皆散り散り。ひそやかな、埋もれ火みたいな隣人愛。
似た涙。小津安二郎映画「秋刀魚の味」で岩下志麻の演じる娘に意中の男性がいて、兄が打診したが、「そうですか。おしかったな。ぼくは貴方の妹さんが好きだった。貴方に相談したが「妹は、全く嫁に行く気がない」と言われ、諦めて他の女性と婚約したんです」。この事を兄に言われて、娘は、「お見合いの話の相手の方に「お嫁に行きます」と、伝えてください」と言って、立ち上がって2階に行くが思わず涙を流し弟に見られる。この涙と似たようなもの。
この映画を見るとかつての古きよき時代の日本の様子が
よくわかります。サザエさん一家のような大家族。
私にもかすかに記憶のある台所風景。
娯楽はないけれど、家族がそろって笑い合う暮らし。
今の核家族が失ってしまったものがあります。
かつて、夫婦はあのように静かに向き合っていたのですね。
会話もそう、はずんだものではかった。
しかし満足していたのですね。考えさせられますね。
「晩春」について
最後の父親の姿、寂しそうでしたね。
ぽつんと1人、可愛い娘のいなくなった1人暮らしは
さぞ心に穴が空いたような寂しさを感じることでしょう。
笠智衆さん、とてもいい俳優さんでしたね。
私は、娘の立場から父の寂しげな姿が印象に残りました。鵜飼:たまたま会った父親の再婚話を利用して娘を、居辛くして嫁にいくよう仕向ける。親心です。「お父さんと何時までも、一緒にいたいの」と言うセリフがいいですね。
同じ映画ですが立場によって違う見方ができますね。
「東京物語」について
面白かったです。
残念ながらビデオが途中で切れてしまいました。
おばあさんが危篤だと電報が届いたあたりで。
このあとどんな感じに話が進みますか?
鵜飼:おばあさんは旅でこじらせた病気で尾道の家に帰った途端なくなります。尾道の家に兄弟とその配偶者たちが勢ぞろい。ここでもやっぱり、そうしきをすませると、形見分けに何をくれと言ったり、戦死した次男の嫁(原節子)以外はさっさと帰ってしまう。男ヤモメの笠智衆と、同居の末娘(香川恭子)に「貴方が一番心が篭っている」と感謝され、仕事の待つ東京へ向う。その列車を、学校の先生である香川恭子が教室から名残を惜しみ見送る。(終わり)
最後の言葉で弟のお嫁さんのことを褒めるのでしょうか?鵜飼:おばあさんはもう出て来ません。
それとも子供たちより弟のお嫁さんが1番悲しむような
ことになるのでしょうか?鵜飼:そうです。弟のお嫁さんが1番悲しんで、他の人より長く滞在します。
鵜飼さん、ご存知でしたら教えてくださいね。
これらの作品には日本語の美しさがありますね。
敬語の美しさ、親への敬意、立ち振る舞いの美しさ。
私たちが忘れてしまっている日本の伝統美。
昔の方は偉かったですね。こうやって、もの静かに暮らし
丁寧に生きていたのですね。
9/29
●ヤフーBBより「モデムは受け取った。契約解除のためにキャンセルの電話をしてほしい。」と電話あり。
5分ぐらい有料だと思い「なんでそんな事をしなくてはいけないのか!」と怒鳴っていたが「無料」と判ってOKした。契約申告の電話は電話工事をした自宅からする。してみたらの電話工事の日付案内書の数字が必要だった。再度電話した。中日新聞では解約はがきを出す
●ヤフーオークションで求人案内広告を置かせてあげるお礼のDVDプレイヤーが売れたが、保証書は何処にあるかで、すごく心配した。
いつも買うときは封筒は繋がっているのに、今回切れている。青い部分に手を入れたり隙間を作って覗いたりしたが判らない。求人案内会社に電話したが、保証書を入れる作業をした人で無いので要領を得ない。私の質問をこうすればよかったのだ「@封筒はミシンセンで切ってあるがそちらで切ったかA開封せずに保証書を確認する方法はないか?」そうすれば、「@切ったA切って、箱の中のプレイヤーの上に載っているから、保証書は此処から出せます」と言うところに手を入れる。ミシンセンで一部ダンボールが切れる」と回答が得られただろう。保証書はあった。ほっとした。4時間心配した。

●あちらを繕えばこちらが壊れるサンダルのつくろい。
右の針金を入れたのは3週間前だった。今日、又千切れて左の針金を入れた。でも、底の補修が、うまくいった喜びで捨てられない。あるけば、義足のような音がするけれど・・・。
●文豪からメールあり。
私、以前に老人ホームへ介助や話し相手のボランティアに
行ったことがありました。
また、耳の不自由な方への筆記通訳という作業も
したことがあります。
しかし、ボランティアの形にはさまざまはものがあるんですね。
その人の望むことを望む分量だけ望む形で提供する。鵜飼俊男の感想 深い考えである。押し付けはいけない。
これが本当のボランティアではないでしょうか?。
●いつもの文豪からメール来る。この人の作品の朗読を、しっとりと読む人の声で聴きたいとメールを出した)
私の文章を朗読で、と仰っていただきました。
私もそんな活動をしている1人としてこう思います。
たとえば「雨」は自分が書いたものです。
そういう意味では、文意は一応は
自分がよくわかっているはずです。
文意を正しく音声で表現するという技術が
1番難しいのが朗読ですから、
私は読みやすいはずなのです。いつも、作者の心を想像しながら、ここの箇所は
どんな意味なのだろう?と想像しながら読んでいるのですから。
が、しかし「しっとりと」という部分で、外れてしまいます。
会の中にはいい声を持った者もおりますが
自分の作品を公開するのはさすがに恥ずかしいものです。
何とか、チャレンジしてみたい気がします。
文章を書くことと読むことを自分の中で比べてみた場合
読むことのほうが慣れている分、まだ、成功しそうな気がします。
自分のチャレンジとしてやってみようかなと思い始めております。
鵜飼俊男の感想
文は記憶だが、記憶する内容は、性格、天性のもの。
同じように、1冊の本を読んで、覚えている箇所は各人違う。
●宗教・人生論雑感
宗教・人生論の話になると時を忘れる、3時間、夜1時過ぎまで鈴木大拙選集の落札者にメールを打って、風呂の鏡で気がついた。赤目になっている。目のふちが出血していた。
宗教には実体がない。心の中だけのこと。恋心のようなもの。阿弥陀様への信仰は、中学校のあこがれの人への思いに似ている。教行信証をくさすと真宗人に叱られるだろうけど、だけど言いたい。あれを、現代語訳で読んで「なんだ、証明すると言いながら「何という書物にこう書いてある」の羅列じゃないか」と思ったのである。なぜ親鸞氏はそんな本を世にだしたのか?、自然界、物的現象に、材料がない。(強いて言えば、世界の全人口の何割かが「心は死後も存在する」と思っていると言う現象があるが・・・その程度である。)親鸞氏はそれ以外書きようが無かったのだ。
禅もそうで、道元氏は、漱石と一緒でせっかく世界第一の文化国に留学したのだからと、せっせと現地の本を集めた、あるいは筆写した。漱石は日本に持ち帰った。道元には横槍が入った。中国僧から「本に頼るな」と言われた。哲学、宗教は「他人の考えはあくまでヒント、自分で考えろ、」である。鈴木大拙選集の落札者氏が、NHKのラジオ番組の音声テープを「弟子たちの評論であれば、本を読む前には聴きたくありません。読んだ後に理解を深めるのに役立つでしょうから・・・」と言った。これも、宗教人生論が何か、わかっているから。
宗教・人生論は好みである。どれが優れているかではなく、どれが好かれるかだけ。宗教・人生論はたまねぎ、キャベツで、実体が無い。睡眠中にみる夢に等しい。現代人に通用しにくい。だから、説教をするのはキリスト教と、浄土真宗くらい。そしてどちらも愛を強調する。
「愛」何と甘い言葉だろう。金も、愛には劣る。脅しの部分「貴方はそのままでは地獄に落ちる」は控える。脅しの部分を前面に押し出すのは「エホバの証人」くらいか?仏教寺院にも出かけ、住職夫人にも勧誘する。それは正しい。なぜなら、たまねぎで、実体が無いから。夫人は仏教徒で無ければ成らないと表向きはなっているだろうけど、心の中までは、檀家も干渉しない。
「愛などとなまっちょろいことをいっていたのでは駄目だ」と、釈迦、一休、道元がいう。「うんうんハザマで苦しんだのは漱石。こんなことばかり言っていっこうに進歩が無いのが私。




我が家の百日紅。私の子供の頃50年前が一番鼻が多かった。これが100くらい。伊勢湾台風等の影響も有ってか、今は30ほどしかない。

9/27●ヤフーオークション落札者への往復メール。
鈴木大拙選集13巻の落札者(エリートらしい)より
「
試しに第1巻の「緒言」を読んで見ました。 非常に論理的で、ひつこい
くらい丁寧に説明されていますので、大拙の文体や論理展開が理解しに
くいのではなく、採り上げている内容が難しいものと理解しました。
特に専門的な用語や漢文の意味が分からないことが理解できない理由
ではないでしょうか。 外国語と思って専門用語を調べて、繰り返し読めば
ある程度理解できるのではと感じました。
(4)大拙に関する研究論文を書くために読むわけではないわけで、全部理解
する必要もありません。 ところどころ理解できて、私にとって新しい知見に
感銘を受けたり、自分の経験的知見の整理ができたり、考えるヒントが得
られるなどで充分です。
従って、あまり構えないで気楽に読んで見ます。 大拙やその他一部の
本が難解でその他は平易というのではないでしょう。
(5)頂いたテープはしばらく保存し、大拙の読書に行き詰った時に聞いてみよう
かと思っています。 小説のように一気に読むわけではありませんので、1年
以上かかるでしょう。」
出品者の私より(以下を打つのに3時間かかった。下手だ、生まれつき、でもまあ・・・)
毎度ありがとうございます。
大拙の難しさは、独立峰で、似たような存在がないことです。比較宗教学、念仏禅だそうです。
貴方様が、どういう宗教経歴の持ち主か、どの程度、仏教に通じておられるのか分かりませんので、釈迦に説法になるかも。長話を。
@浄土真宗の明治の大物に清沢満之(まんし)=蓮如が「公開するな」と言った唯円坊(=親鸞の親戚であり、付き人)の書いた歎異抄を公開してしまった人がいます。その一族で、満覚寺の住職(70歳くらいか。愛知県常滑市市場2−13 0569-35-2735)に、20分程立ち話で対話をしました。そこの檀家に一人私どもの店の常連さんがいました。私がいい本だと思って貸してあげますと、著者略歴を読み、3分ぱらぱら読んで「ん、ありがとう」と返して寄越すのです。お寺ではどうかなと思いお尋ねすると、「奥さんの送り迎えはするが、聴聞を避けている」とのこと。自分の考えにかたまった人。次に「信仰で大事な事はなんですか」と尋ねました詳しいことは忘れましたが、「あれこれと、比較、疑う心があるうちは楽になれない」という趣旨だったと思います。この住職は浄土真宗の、理論家です。浄土真宗の教義などで分からないことは、往復はがきで尋ねられると、いいと思います。浄土思想が一番分かりやすく、又その中でも「妙好人」が、楽しく「選集」の中にもありましたが、先ず真っ先に読まれるといいと思います。当たり前かもしれませんが、どれか1冊の中身を理解すると、全13冊の中身の半分は理解できる。
A浄土宗光明寺派の別格本山(知多半島を束ねる)住職木船師は「宗教の話は1対1で何十時間でもとことん議論を戦わせないと、理解出来ない」といいます。その2代前の榊原師は光明寺派のNO5?のひと。私が作業中の師に「お釈迦様が唱えた説と日本の仏教とは随分違いますが・・・」と問うたら、「師の教えを、充分吸収して、自分の工夫を加え、後進に語り聞かせる。その結果が今の、日本の仏教です。」と言われました。
B曹洞宗「心月斎」の住職は、知多半島の有名寺院真言宗?時志観音の住職の弟で、山門下で売店をしていて、大志を抱き、僧の資格を取った人ですが私に「自灯明,法灯明」(無くなる何日か前の釈迦の言葉)(己こそ己の指針、よく磨かれた考えに従って行きよ)と教えてくれました。
C三河吉浜の浄土真宗の80歳くらいのご住職夫妻は、20分ほど、私の苦しい身の上話を一生懸命聞いてくれました。真宗の優れたところは、熱心に俗人と話すところです。
D半田市乙川市場町1-67、法蔵院0569-21-2912は曹洞宗で「死ぬのが怖くて気が狂った禅僧がいた」と言われ「本当の事を言っている」と感じました。禅宗の坊さんは、釈迦直伝のほこりがあるのか、強気です。
E25歳くらいで、永平寺を拝観中、「これより立ち入り禁止」の、小さな木札が目に入らなくて、雲水の生活空間に5歩ぐらいはいりこんだら「此処は非公開です」と、とがめられた経験があります。廊下のすみの壁が直角になったところに縄が70cmくらい張られ、雑巾が1枚かかっていました。
聞いた話ですが、団体の人数が1人多いといって、雲水が団体客を叱りつけていたそうです。禅僧は叱られて育ってきたので、人を叱るのでしょう。言葉は記憶です。警察官の言葉が汚いのは犯罪者と話すうちに、そまるから。
F鎌倉だったか、頼朝公の墓の、墓石の1番下の石に乗ったら売店の人らしき老婆に「もうそこは墓だから降りなさい」と言われました。
G川崎大師、鶴見の総持寺に行ったことがあります。
H私は高卒ですが自信家です、貴方様は飛行機で外国に出張されたエリートでいらっしゃいますから、自分の判断力に、自信がおありでしょう。漱石もそれで禅と西洋的教養の、板ばさみになりました。「聞けわだつみの声」の出陣学徒も,軍国主義と西洋的教養の板ばさみ。宗教は正しいか否かよりも好きか嫌いかの世界だと思います。
大拙が難しかったら「盤珪禅師」「鈴木正三(しょうさん)」「宿無し、沢木コウドウ」を読まれるといいと思います。
では、どうも色々ありがとうございました。ご縁がありましたら、又お願いします。
とうめいさうんど鵜飼俊男。
●小説 「若侍と禅僧と妙好人」 妙好人とは浄土真宗の信者です。








私の宝。昭和12年元日名古屋新聞付録
9/26
●いつもの人からメールあり。
「雨」は少しも考えずに書いてしまいました。
勢いというのか、計画性もなく、技巧もなく、
色や形の味付けをすることもなく・・・。
文章としてはまだまだ「青い」、熟成されていません。
まろやかな葡萄酒のような香り高い文章を書いてみたいものですが
文章や言葉が記憶だとすれば私の中から生み出されるものは
まだまだ青くさい味がすることでしょう。
鵜飼俊男の感想
小説の2大要素は@着想、テーマ、主張A誰にどういう言行を指せて表現するかだとおもう。この人は、叙情文が一杯記憶された人で、文章に流れ出ている。優しい人柄が感じられる。
●西行の「心なき 身にもあわれは 知られける 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」が好き。西 行 物 語
出家す
円位上人こと西行は、元永元年(1118)、父-佐藤康清、母-源清経の娘との間に生まれた。俗名を佐藤義清という。
代々、勇士の武門であるため、鳥羽法皇の北面の武士として仕えていたが、誉ある身分を捨て、保延六年(1140)十月十五日、二十三歳の若さで出家した。
これをタイトルに小説を書く。
小説「心なき 身にもあわれは 知られける 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」
西行は小筆を矢立に納め、腰に挿した。夕日が和紙の創作帳を照らしている。直ぐ閉じない。墨の乾くまで待つのだ。その間「心なき身」に目を注いだ。遠い昔の、出家を決めた頃の日々が胸に浮かんだ。あの時自分は生活のために必死だった。隣地の所有者は武装兵力千人を抱える大地主。対する自分は雇い人に、加勢してくれる兄弟、叔父とその雇い人を合わせても数十人である。勝手に、こちらの稲を刈り取っていく。作物を奪っていく。抗議しても、知らぬ存ぜぬである。それで精根尽き果てて、所有権を兄弟、叔父に譲り、見返りとして妻子を共同で扶養してもらう約束を取り付けた。妻は、憔悴した夫の考えに嫌々ながらも賛同したが、幼い娘は泣いた。頭をそり上げ、墨染めの衣を来た父の姿を見て「もう2度と会えないのでは」と、小さな胸を痛めた。わらじを履く父にすがりつく。後の西行、佐藤義清はひしと我が子を抱きしめ、「父さんは、吉野のお寺で坊さんになるのだよ。元気でね」と言う。大粒の涙が我が子の黒髪の上に落ちる。妻に「頼む」と言ってすがりつく我が子を振り放す。我が子はワアワア泣いて「お父様、行っちゃ嫌」とすがり付く。見送る一族親族の前で、23歳の義清は、「骨なし」と言われたくない一心で演技して見せる決心をした。「さらば1合戦を」と言う親族もいたのだ。「さらばじゃ」義清は、高く我が子を掲げ妻の両手に渡した。がそれを嫌って幼子ははあばれ、地面に落ちて泣いている。抱きあげ、もう一度妻に渡す。もう幼子に暴れる力は残っていない。くるりと向きを変えると、見送りの一人一人に挨拶、あるいは目と目で挨拶を交わし,家を後にした。
あれからもう数十年。妻と直接の文通はしなかった。見せてくれることを、願いつつ、叔父に近況を知らせる。心優しい叔父は、早速留守宅に届け、又それとなく妻の返事を聞かせるのだった。やがてそれは、叔父の危篤を知らせる従兄弟の手紙になり、急遽駆けつけてみれば、叔父は冷たい骸。妻と、美しく成長した娘に再会。しかし3人きりで話をすることもなく別れた。それからさらに数年、娘は豪族に嫁ぎ、一人暮らしの妻は従兄弟夫婦に引き取られ扶養され、病でなくなった。なくなった後で知らされ、駆けつけた。「報せてくれるな」と病人の強い願いだった。嫁いだ娘やその夫に会った。が世の親のようには、言葉が交わせない。僧は、半分仏なのである。交わせば、出家の意味が半減する。さらに数年。「貴方に孫が生まれたよ」と、従兄弟より頼りあり。「心のない人間であらねばならぬ僧という世界に進んで身を投じたこの私を、鴫よ、仲間に入れておくれ。お前の親はどうした。子はいるか」西行は、一羽、絵をついばんでいた鴫に呼びかけた。最後の鴫は一声鳴いて沢を飛び立っていなくなった。赤い雲が浮かび、創作帳を閉じ油紙で包んで懐にしまい、西行は足元の振り分け荷物を取り上げた。林の中の人影のない小径に向う西行の後姿を夕日が静かに照らしていた。(完)





●9/25
●杉石病院横交差点が南に抜けた。しかし数百m南で小道に突き当たる。左折(東の武豊町集落に向う)は普通の2車線だが右折は西海岸や中央道武豊インターに向うが途中軽自動車同士でもすれ違いが難しいところが数百mある。大型が入り込んだら困るだろう。
杉石病院ビルを南から見る。


●家電店店主さんの話




