ノート2




音楽

ネーネーズアントニオ・カルロス・ジョビン。ここのところ気に入っているミュージシャン。手触りの感触のする音楽。生の楽器、声、そういうものに惹かれる。

機械的なものは受け付けない。もおうんざりっていう感じ。それは日常生活に溢れている。
文字もそうだと思う。少し前までは、ワープロで活字になると綺麗だと思ったが、最近は手書きの文字に目が行く。ワープロの綺麗な文字は今では普通である。テレビなどで流れている音楽は今だに機械的な音が多い。打ち込み、シンセサイズされた音楽。

たぶん機械的なものの反動なのだと思う。自然のもの、そういうのを求めるというのは。けっきょく機械的なものは、何でもかんでも置き換えられる。均一で、寸分の狂いもない。そうじゃない、取替えの利かないもの、そこに確かにあって、手で触ると感触の在るもの、人間らしく温かみのあるもの。そういうものを求めているのだと思う。自然のものの複雑性には機械はかなわないってことだと思う。自然回帰というのでもなく、機械的、構造的なものを通過した後の欲求だと思う。だから進化といってもいい。

本当に良いものはその人しか出来ないし、取替えの利くようなものではない。その人が死んだらそこで途絶えるようなもので、途絶えさせないように後継を育てなくてはならないようなものだ。それが文化の伝承か。いまは伝承といっても師匠、弟子とかではなくて、かってに自分の憧れの人を真似し、いろんな人のをミックスしていく。しかしそれも無自覚の伝承なのだと思う。
そうしてそこでしか聴けないもの、味わえないもの、固有名的なものが伝承され、反復されていくのではないか。

固有名的なものは普通の意味での永遠を否定するものだ。一回きりのものだし、そこで終わってしまうものだ。しかしそれが形を変えて伝承されていくのではないか、永遠につながる回路があるのではないか。固有名的なものだけが反復される可能性を秘めているような気がする。そうじゃないものは人の心に届かないのではないか。





アントニオ・カルロス・ジョビン

ボサノバはインストのほうがいい。ボーカルが入るとなんか良くない(そうでないのもあるが)。ジョビンの音楽はすごく洗練されている。ジョビンのピアノは坂本龍一のそれに似ている。
控えめで洗練されたピアノ。どもっているようなピアノ。坂本のピアノもどもっている。それがいい、そうじゃないようなのは、はつらつと弾かれては困る。どもるというのは、根拠の無いところに切り込むときに一瞬ためらうような、そういう一瞬だ。べつにもたもたしてるということではない。

ジョビンはクラシックをやっていたらしい。クラシック+ブラジルのリズムだと思う。複雑で心地よいリズム、ボサノバの特徴であるリズム。ジョビンの作品には前面には出てこないが確実にあのリズムがあると思う。あれはアフリカからきたものだろう。アフリカから奴隷として南アメリカ大陸に連れてこられた人達が培ってきたリズム。
だからヨーロッパ+アフリカなのだろう。それに南米リオの風土がミックスされて、魅力あるものになっている。普遍的なものになるには、やはりいくつかの大きな要素がミックスされている。ジョビンの音楽は、音楽の喜び、楽しさに溢れている。





ネーネーズ

あの4人のユニゾンの素晴らしさは何といえばいいのか。おなじ旋律を歌っていても、声質が違う、微妙にピッチが違う感じ、切ない情感が湧きあがってくる。

お涙頂戴ではなく、本当の切なさ。演歌のようなものは好きじゃない。べったりとして湿っぽい感じは。沖縄のは切なくても、からっとしていて透明感がある。それが本当じゃないか。沖縄には本当の切なさがあるのではないか。そしてそれを唄にうたって共感し昇華させてきた。そういう伝統が沖縄にはある。唄が今も生きている。

おなじ三味線でもサンシンの音はからっとしている。普通の三味線の音はあまり好きじゃない。
そういえばボサノバも切ないがからっとしている。切なさとはそういうものなのではないか、本当の現実に直面したときにべたべたなんかしてられない。涙を拭いてっていう感じだ。

知名定男はなかなかすごいと思う。ネーネーズをつくり、曲を書いている。いい唄を作る。ウムカジは名曲だとおもう。知名のサンシンもいい。とつとつとして、でもしっかりとしていて男らしい。
沖縄の男ここにありって感じがする。音色に対してとても敏感な人なんだと思う。心の琴線に触れるのはこの音色だ。西洋音楽風の旋律ではなくて音色。音色の色艶にぐっとくる。ひじょうに微妙なものだ。これは音符では表わせない。それこそ口伝えの伝承である。音色の積み重ね、これで曲ができている。

それからいい加減な曲が無い。どの曲も丁寧に作られているし、真心が込められているように思う。アレンジとか少し変かなと思う曲もあるが、新しい試みをしようという心意気を感じる。そのへんのインチキミュージシャンとは唄に対する姿勢が違う。それはやっぱり修行し、伝承してきたものがあるからだと思う。そういうものを感じる。またそういった事の大切さを感じる。

『オキナワ』という曲に「島唄に出会い、愛を見つけた・・・」という歌詞がある。それはこういった唄に対する姿勢から生まれてくるものだと思う。ネーネーズも修行し歌い込むことによって、この愛を知っていったんだと思う。最後のライブ盤を聴くと分かるが、歌い込むほど唄が味わい深いものになっている。

音楽で愛というのはあまり考えてこなかったけれど、ネーネーズの音楽を聴くとそういうことを考えさせられるし、また感じる。慈悲深くあること、慈しむこと、そういうことを教えられる。
沖縄の人がみんなそうではないと思うが、人に対して優しいんじゃないかと思う。困っている人がいたら助けるのは当たり前とか。あとテーゲーの精神。そういう忘れかけていたこと、置いて来てしまったことを、教えられる。

それよりも何よりもネーネーズを聴くとアルファ波が出る。癒し系とよばれる音楽に癒された試しは無いが、ネーネーズには癒される。





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