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柄谷行人は、今たち現れようとするものを、いまだあらざるものを敏感に察知する。これは予言とかそういうものではない。現状をあらゆる可能性を吟味し、判断し、煮詰めていく。現状を煮詰めていけばおのずと予言的になる。中上健次がいったように詩人のようなところがある。
今回のNAMのような転回。これが柄谷だとおもう。状況は、文脈はつねに変わる、常にどこかから変わっていく。だから同じことを言っていても文脈が変われば、意味が反対になることがある。そういうことに敏感な人だ。この触角は批評家だけでなく、作家、音楽家、ファッションデザイナー、あらゆるクリエイターに必須のものである。大きく文脈が変化するとき、その変化に対して、ポーンと飛ぶようなバネがある。すぐれたクリエイターは皆このバネを持っている。
変わらないためには、変わらなければならない。というか、変わることを「現実」に強いられる。トランスクリティークというのもそういうものだと思う。それはオポチュニストとはまったく違う。オポチュニストはつねに大勢に従う。しかしこの触角をもつ者は、ほとんどの人が驚くようなこと、まだ誰もやっていないことを真っ先にやってしまう。そしてその時にはごく少数派である。
抽象的なことだけでなく、日常の判断、そういうところで正確なことが言えない人は、抽象的なことをいっても当てにならない、と柄谷は言う。そういう日常的な事象に対する判断から、理論が抽象されてくるのだと思う。彼のエッセイが好きだ。『探究』も好きだ。対談は非常におもしろい。目から何度ウロコが落ちたことか・・・
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