ノート4




地球が壊れていく・・・

自然に触れたい
どこかにでかけよう

でも今は寒い

暖かくなれば
どこかでかけよう

動物園か

環境がどうのこうのという前に
感じる・・・・環境の変化を、悪化を
綺麗な空気を吸いたい、おいしいものを食べたい
機械的なものがあふれすぎている
自然な有機的なものをみたい、触れたい、味わいたい

鳥のさえずりをききたい。カエルの鳴き声をききたい
森の匂いを嗅ぎたい、水の流れる音を聴きたい
波の音を聴きたい、海の匂いを嗅ぎたい、動物を見たい
ペットではなくて、野生の

田舎に行けばいい?その田舎自体が壊れている
地球が壊れていく・・・





チャールズ・ブコウスキー

ブコウスキーはおもしろい。少し物足りないが。
「おれは右にも左にもつかない、おれは人間の魂の側につく」
ブコウスキーは「ヒューモア」の意味を分かっている数少ない作家の一人だ。彼にとって競馬は最高の気晴らしだったのだろう。一瞬われを忘れることのできる瞬間があったのだろう。

彼は正直な作家だ。そこが読むものを引き付ける。自分の弱いところもさらけ出し、そしてけっしてナルシスティックにならない。そしてやさしい眼差しを持っている。もちろん嫌いなものに対しては容赦ないが。

彼は文章がうまい。自分でもよく言っているが・・・





柄谷行人

柄谷行人は、今たち現れようとするものを、いまだあらざるものを敏感に察知する。これは予言とかそういうものではない。現状をあらゆる可能性を吟味し、判断し、煮詰めていく。現状を煮詰めていけばおのずと予言的になる。中上健次がいったように詩人のようなところがある。

今回のNAMのような転回。これが柄谷だとおもう。状況は、文脈はつねに変わる、常にどこかから変わっていく。だから同じことを言っていても文脈が変われば、意味が反対になることがある。そういうことに敏感な人だ。この触角は批評家だけでなく、作家、音楽家、ファッションデザイナー、あらゆるクリエイターに必須のものである。大きく文脈が変化するとき、その変化に対して、ポーンと飛ぶようなバネがある。すぐれたクリエイターは皆このバネを持っている。

変わらないためには、変わらなければならない。というか、変わることを「現実」に強いられる。トランスクリティークというのもそういうものだと思う。それはオポチュニストとはまったく違う。オポチュニストはつねに大勢に従う。しかしこの触角をもつ者は、ほとんどの人が驚くようなこと、まだ誰もやっていないことを真っ先にやってしまう。そしてその時にはごく少数派である。

抽象的なことだけでなく、日常の判断、そういうところで正確なことが言えない人は、抽象的なことをいっても当てにならない、と柄谷は言う。そういう日常的な事象に対する判断から、理論が抽象されてくるのだと思う。彼のエッセイが好きだ。『探究』も好きだ。対談は非常におもしろい。目から何度ウロコが落ちたことか・・・





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