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子育てをしたことがない者が語るのは無理かもしれないが、近年の幼児虐待、過保護に関しては無視できないものがある。
幼児虐待(チャイルド・アビューズ)は私が高校の頃、アメリカで問題になっていた。今から10年以上前のことだ。なぜ子供を虐待するのだろうと不思議に思った記憶がある。だいたい日本はアメリカの10年遅れで同じような問題が出てくる。幼児虐待は近代化の終焉で起こる普遍的な問題なのだろう。
なぜ虐待するのか。この問題には核家族化、離婚の増加、そして地域の人間関係の希薄化が関係している。核家族つまり両親と子供だけだと密室になってしまう。昔は親と同居したり、近所に親戚がいたりして、横からの目が在った。いまは母と子だけ、父親も会社にいて家にはほとんどいない。こういう息苦しいような状態になっている。
そして近所づきあいも格段に減っている。私が子供のころは近所の付き合いが密接にあった。その付き合いは、本当に生活の一部を占めるような大きなものだった。もっと風通しがよかった。近所の人の目があれば子供を殺すような極端なところまでは行かないだろう。
今はそういうのはほとんどない。とくに都会では。挨拶程度とか、そんなものではないだろうか。またそういう希薄な関係を求めてきたところもある。つまり近所づきあいは面倒くさい、うっとうしい、そういう側面が多々ある。
訊ける人がそばにいないので、母親もどういう風に子育てをすればいいのか分からないのだろう。以前、子供は母親、祖父母、ご近所、みんなに育てられた。いまは子育ての負担が母親一人に集中してしまう。重荷を背負った母親はストレスがたまり、子供に当たってしまう。父親は話に乗ってくれない。あるいは父親も虐待に加担する。
殺される子供のケースをみると、両親ともども虐待してることが多い。特に再婚での連れ子が虐待される。再婚で連れ子がいる場合、最初から行政が介入してケアするようなシステムが必要なのではないか。
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周りの目がないから、暴力はとどまるところがない。子供は悲惨である。逃げ場がない。唯一安心できる親のところが安心できないとしたら地獄である。核家族、近所づきあいの希薄、これは気楽さを求めた結果でもある。それがこういう問題を生み出してる。どうすればいいのか。
子育てに関するアドバイザー的な人がいると思う。母親もどうしていいのか分からないのだろう。アドバイザーなどの横の目がないと、どうしても密室になり、極端な結果になる。こういうのは行政だけでなく民間のボランティア的なものでもいいと思う。子育てを終えた、リタイアした母親が、時給をもらってやってもいい。こういうのは今もあると思うが、もっと増えるといい。
虐待と過保護は表裏一体だと思う。つらく当たるか、過保護になるか。どちらも子供にとって良くない。子供との距離が上手く取れてない。くっつきすぎるか、跳ね飛ばしてしまうか。これは子供との距離だけでなく、人との距離が上手く取れてないのだろう。社会とのかかわりがなくなり、家庭という密室にこもると、人とのコミュニケーションが上手く取れなくなる。
近所づきあいはうっとうしいものだが、同時にコミュニケーションのとり方を学ぶ場でもあったはずだ。昔のような密接な近所づきあいは無理かもしれないが、希望するものが集えるような地域の場があればいいとおもう。そこで母親同士が情報を交換し合ったり、お互いが話し合えるような場が必要なのだと思う。
ネットの活用。『ご近所さんを探せ』のようなもので、コミュニケーションの場を作る。アドバイザーに相談できる場を作る。
とにかく子供は悲惨だ。子供は親を選べない。親も子供を選べないが、立場は子供が圧倒的に弱い。
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