ノート7




コンビニ文化――洗練の場所としての日本

コンビニは一人暮らしの友である。一日に一回は行ってしまう。惣菜や飲料も品数が多く細分化されている。お茶の種類だけでも10種類近くある。こんなのは日本だけだと思う。

マツモトキヨシに行けばシャンプーだけでも10種類ぐらいある。リンス、トリートメントなども合わせると数十種類に上るのではないか。消費者は自分の好み髪質に合わせて製品を選び買う。その微妙な違いもある程度把握している。

こういうカタログ的な、微妙な差異を理解し楽しむ、こういうのは日本文化だと思う。コンビニやマツキヨは日本文化である。こういう一種の洗練はある閉域において成立する。そういう意味では現代日本も閉じた閉域なのではないだろうか。良くも悪くも洗練は日本文化の特徴だ。

しかし閉じてばかりもいられない。変化がおきている。もう外国と無縁ではいられない。閉域ではいられない。そういう変化が今あらゆる領域で起こっている。そういう時にこの洗練という日本文化の特性を見極めておくのも必要だろう。





ラーメン二郎

ラーメン二郎との出会いは学生時代だった。近くの大学に通っていたので、三田の本店によく行っていた。まだ国道1号線の交差点に店があった頃だ。今でもそうだが、いつも行列ができていた。並んでいると豚の背あぶらと醤油の入り混じった何ともいえない、いい匂いが脳天を直撃する。

何度か食べると、脳の細胞にあの味、あの食べ応え、あの満腹感が刻まれてしまう。二郎は二郎によってしか満たされない空洞をつくってしまう。腹が減るとどうしようもなくあの味が思い出され、いても立ってもいられなくなり、店に駆けつけることになる。

二郎は多分いい材料を惜しげもなく使っているだろうから、身体にはいいと思う。ただ、化学調味料をドバっと入れるので、やっぱり身体には悪いんだろうな・・・

二郎を食いたくなるときを分析するとストレスが溜まると食いたくなるようだ。休みの日とかはあまり食いたいという気分にはならない。ストレスが溜まり腹が減っていると無性に食べたくなる。

あのラーメンを発明した本店のおやじさんはすごいと思う。豚の親分のような風貌のおやじ。さいきん本店には行ってないが久しぶりに行ってみたい。





宇多田ヒカル

宇多田ヒカルがアメリカのレコード会社と契約した。秋にもデビューするようだ。レコード制作費はトップクラスの扱いだという。売れるかどうかは別として、それだけでも充分に評価されている証だとおもう。

日本の音楽シーン(音楽に限らず文化全般にいえるが)はあまり欧米では知られていない。欧米のレコードを私たちは簡単に手に入れることができるが、欧米で日本の音楽はほとんど売られていない。一方的に受け入れるばかりの自家中毒的なマーケットである。

スポーツや科学の世界はそうではない。スポーツにはオリンピックがある。野球ではメジャーリーグ、サッカーではヨーロッパのチームで活躍する選手が増えてきている。世界進出というふうに言われるが、そういう発想自体が日本的なんだと思う。レベルの高いところで自分の力を試してみたいと思うのは自然なことだ。日本だけに囲って考えるほうが不自然だろう。科学の世界ではもっとはっきりしていて、世界的なレベルとの競争でないと最初から意味を成さない。文化だけが取り残されているような気がする。

若いうちは欧米志向で、ある年齢、熟練と呼ばれる年齢になると日本的なものに回帰する。日本の文化に従事する者のパターンだった。そういう道しかなかった。宇多田ヒカルにはそういう道をたどる必要はないだろう。





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