ノート8




テロリズムと文学

911事件以降、テロリズムについての論考や、本が多い。テロリズムは自分たちの主張を知らしめる手段としては最低である。しかし、そういうことを言ってもテロは繰り返される。テロを生み出す対立、貧困、そういうものを除去できないかぎりテロはなくならないだろう。

文学も自分を主張する手段である。中上健次も若い頃は爆弾を投げる代わりに書いていたと思う。「犯罪者永山則夫からの報告」にもそういうことが書いてあった。


爆弾ではなくペンを。古い諺(ことわざ)じゃないが、そう思う。
テロは悲しみを広げるだけに終わる。

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サッカー

ワールドカップまでもう少しだ。
日本のサッカーは決定力が無いとよく言われる。これは日本の社会自体に決定力がなく、またそういう風に教育されてこなかったからだと思う。社会自体に決定力がないのに、そこで育つ選手に決定力がつくとは思えない。

日本のサッカーは細かすぎる。一本のパスで行くところを2本、3本と細かく刻んでいる。
シュートのタイミングが遅い。日本代表にはいいフォワードが少ない。フォワードの資質とは何か?何が何でも俺が!というような一種の野蛮さ。人とは違う動きが必要だと思う。変な動きをする奴。日本の社会はそういう奴を排除してきた。そのつけがサッカーに出ていると思う。

国外のチームと試合をするとそういう日本の特性が如実に出る。
そして、外と擦れあっている部分が最も早く先鋭的に変化する。              

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物質と精神

物質と精神。物と心。身体と精神。経済と理念。どんなに美味しいものでも、嫌な奴と一緒に食べるとおいしくない。物質の限界に精神が表れてくる。逆に精神的なものの限界に物質が表れる。どんなに精神力が強くても、食べなければ死んでしまう。

物質だけの議論でもだめだし、精神だけの議論もだめだと思う。精神と物質はつねに反転する契機がある。


世の中で精神論が大勢のときは物質(経済)を強調するべきだし、物質的なものに流れているときは精神を強調するべきだと思う。
ちなみに今は精神を強調するときだと思う。

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反フランチャイズ

何でもかんでもフランチャイズ、儲けるためならフランチャイズ。食べ物や洋服、なんでも画一化、均質化されている。作った人の味がしない。そんなもの旨くもないし、不味くもない。


そこでしか味わえないもの、その人しか作れないもの。そういうのが少なくなっている。そういうものを求める気持ちがある。そうじゃないと驚きもないし、つまんない。

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有事法制とメディア三法案

法律は時限爆弾のようなものだ、と加藤周一は言っていた。
そのときは爆発しないが、時がたち時間がくると爆発する。法律は解釈によって姿を変えるし、どんどん拡大解釈されていく。二次大戦中の軍部もそうだったのではないか。今はどうってことないが、かならず後悔するときが来ると思う。

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ネーネーズ『美ら唄(ちゅらうた)』

新生ネーネーズのファーストアルバムが3月に出た。
メンバーが入れ替わりすっかり若々しくなった。アレンジもシンプルでいい。歌声も初々しい。花の蕾(つぼみ)という感じがする。知名定男がメンバーを新しくしたのもなんとなく分かる。熟したのもいいが、若々しいのもいい。春が来たという感じがする。

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