アジアは、良きにつけ悪しきにつけ、中国五千年の文化の影響を被らない地域はない。日本、韓国は言わずもがな、ベトナムといえども例外ではない。そして、中国文化のあるところ、必ず囲碁が存在する。千年の永きに渡って中国の支配下にあったベトナムに、何故囲碁の影が見あたらないのか、ハノイの暮らしの中で永い間一つの疑問となっていた。
一年余り程前から、ハノイ暮らしの無りょうを託つまま、クラブの代表を務める
Miss.ランLan を誘って石を並べ始めた。井目をおいての初対局に、白の小目の掛かりに対して、いきなり「つけのび定石」を打たれて驚き、井目をおかせたのは早とちりではなかったかと慌てたことである。流石にまだ碁のルールも定かでないこともあって、九子から八子、七子までには暫く時間がかかり、特に八子は天元の一目がなくなることもあって、九子に帰ったり八子に戻ったりを繰り返したが、この壁を突破してからは、見る見るうちに上達して、現在自称初段の編者に四子をおいて打つまでになった。「シチョウ」も「ナカテ」も教えられることなく、ただ石を並べているうちに自得したのである。彼女につられて二三の学生達も並べ始めたが、こちらは先達がいたこともあってたちまち覚えてしまった。正統的な囲碁の指導を受ければ上達も早く、さらには高段位を望むこともできようものをと、常日頃臍をかむ思いをしていたところである。
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2001年8月、中央学院大学教授の堀博士の訪問を受け、同氏のご尽力により囲碁普及の道が開けることとなった。同年10月同氏とともに日本棋院海外室を訪れ、ベトナムでの囲碁普及活動について懇談、協力を求めたところ、資材の提供、ボランティア指導者の派遣など非常に好意的な反応を得ることが出来た。
12月24日堀博士が再度来越された。
26日から早速同氏を交えて今後の普及活動予定を話し合い、29、30日の両日、当クラブにおいて第一回囲碁講習会を開催することになった。当初、学生新聞に開催広告を掲載する予定であったが、この新聞は、新聞とは言うものの週1−2回のウィークリー的な形で発行される。従って原稿の受付も週一回程度であるため、既に一両日に迫った日程には時間的に間に合わず、手分けして(主としてMiss.ランLanの人脈を利用して)貿易大、ファンドン大、ハノイ国家大等各大学にポスター(註1.)を掲示させてもらうこととした。玄関扉にも同様のポスターを貼り付けた看板を立て、この時点では出来る限りの手段で広報に努めたことである。
Lan代表の予想では、「土曜日午前は、まだ会社も勤務中だし、学生の中にも授業のある大学が多いので、余り期待できない。しかし、午後はだいぶん多くなるのではないか」と言うことであった。
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案の定、午前の部は受講者の出足が悪く、午前九時の開講予定を過ぎても僅か1−2名程度、結局30分待ってようやく6名になったところで開講に踏み切った。
まず司会をかねてランLan代表の開会の辞と挨拶、続いて本日の講師である堀博士から大略次のような挨拶があった.。
「東洋の文化の根本は、中国に由来します。例えば先祖を敬う儒教や紙や漢字を用いることなどです。中国文化は東方には朝鮮や日本に伝わり、南方にはベトナムに伝わりました。従ってベトナムと日本は、多くの面で文化を共有しているわけです。しかし、不思議なことに、囲碁と麻雀だけはベトナムには定着しませんでした。
さて、囲碁には二千年以前の中国に由来し、戦国時代の戦略も、囲碁に基づくものでした。囲碁は二千年の間に日本、朝鮮に広まり、現在では中国で300万人、日本、朝鮮で100万人の人が楽しんでいます。
東方文化の一翼を担うベトナムにおいて、囲碁は最も国民性に適した頭脳スポーツです。何故ならば、ベトナム人は世界でも屈指の聡明な民族だからです。そのような素晴らしい素質を持った皆様ですから、このゲームのルールを覚えていただければ、必ずや素晴らしいプレーヤーになると確信しています。それでは、2日間の講習をゲームで楽しんで下さい。」
続いて本日の講習内容について説明があり、早速ヴィデオによる基本的ルールの説明、九路盤による対局方法の実戦講座に入った。参加者は何れも20才前後の学生達で、非常に熱心にルール説明に耳を傾け、九路盤の指導碁にも質問が相次いだ。
午後の部、午前の部参加者を交えての昼食を終わってクラブに帰ってくると、既に参加者が門前に待ち並んでいた。
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