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第一話「来年の桜が舞い散る頃、君等は今の君等のまま居られるかな?」
[月浦豪]
ロクな事にならないのだ。
伊豆半島のほぼ全域で進行中である住民の高齢化と、そして少子化の問題。
そこから発生する問題は、まあ、様々あるだろうが例えば学校の運営か。
俺がついこの間卒業した中学校も、去年同じ町の中学に合併されてしまった。
……入学式を終え、校舎に戻った俺が自分の下駄箱で見た物はカッターか何かでボロボロにされた上履きと陰気な字が躍るメモ書きだった。
半島中の小中学の生徒数は年々減っている訳だから、より深刻なのが高等学校だと言う話はまあ、解ってやらんでも無い。
伊豆源条高等学校。
俺が進学した学校は、つまりそういう問題を解決する為に創立された学校だと聞いている。
より少なくなって来る伊豆半島在住の進学生徒を、いっそこの天城の山奥に集めてしまおうと言う訳だ。
まあ、そんな理屈も解ってやれない事は無いのだが――。
「よ、豪じゃねーのよ。相変わらず陰気な顔してんじゃん」
メモ書きに指定されていた中庭では、中学の時に二、三回ほど見かけた男が待っていた。
軽薄さが服を着ているような、人生適当街道まっしぐら。女も金も後から付いて来るよ、みたいないい加減な生き様がそのまま顔に現われているホスト顔。
髪は長髪を後ろで束ねて、何故か白髪が混じって遠めには灰を被った様な色。
「お前か」
初対面から気に食わないこの男――沢田秀弘――が、自分と同じ源条高校の制服を着ている事で、改めてコイツと俺が同じ学校に通う事になった事に内心うんざりしながら――殺意を込めて睨みつける。
「入学早々、くだらねぇ事してくれんじゃ無ぇよ。俺はテメェみてーな蚊トンボとさえずり合ってる暇なんざ無ぇんだ!」
中学時代にぶちのめして来た人間の数は今さら覚えていないが、その中で一番厄介で執拗だったのがこの男だ。
幼少の頃から大人に混じって漁に出て、高層ビルのような大波に煽られながら投網を曳いて生活してきた俺の腕力と覚悟に、今まで敵う奴はいなかった。それは目の前の優男に対しても同様だ。
ただ……この秀弘と言う男はどこか得体の知れない、殴っても、蹴飛ばしても次の瞬間に血反吐を吐いて倒れるのは俺じゃ無いかと言う奇妙な不安が、過去二、三回の喧嘩の間、常に俺を――。
「何言ってるか解らないけどさ」
間延びした声に、思考を遮られる。
ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、秀弘が無造作に近寄ってくる。
「もしか、あんたも呼び出されたんでないの?」
「あ?」
秀弘が俺の背後を顎でしゃくって示す。
振り返れば、金髪のリーゼントやら、筋肉質のボサボサ頭やら、巨大生命体(?)など、解り易過ぎる『不良やってます』風の上級生達が近付いて来る所だった。
「俺もホラ、中学校じゃ色々ヤンチャだったし。それに豪ってば暴れっぷりがもう伝説クラスじゃん。先輩がたに目ェ付けられるのも仕方無いって感ジ?」
……だから、ロクな事にならないのだ。
伊豆中から生徒を集めると言うのは、つまり。
伊豆中から、脳内が煙草と喧嘩に浸されている大バカ達が集まるって事なんだ。
「月浦豪と、沢田秀弘だな」
俺と秀弘を囲むように立ち塞がった四人の上級生達の内、金髪リーゼントが声をかけて来た。
「呼び出しといて人違いもねーだろーよ」
……。
俺の受け答えで、中庭の空気が一気に強張る。
「どーゆう用事か知りませんけどねー。チャッチャと済ませて下さいよぉ。クラスの女の子と早くニャンニャンしたいんすから。俺」
…………。
秀弘の提案だか妄言が、上級生達の感情を一気に逆撫でしたらしい。
ついでに俺もこいつの言動にはいちいちムカつくのだが、差し当たっては目の前の上級生達だ。
「……てめぇ等二人さぁ、中学からンな感じで好き勝手やってんけどよォ」
見て来たような口調で金髪リーゼントが口を開く。
「今の源条は五十嵐サンがまとめてンだからよォ、あんまり面倒起こすんじゃ無ぇぞコラ。解ってンのか?」
「――騒ぎ、良く無い」
金髪と向かい合う形で俺達の前に立っている巨大生物が言った。
フォローしとくと、別に背中にヒレがあったり目が三つあったりはしない、形状はごく普通の人間である。
但し、身長――つうか体長が真っ当な人間サイズでは無い。
体格も風貌も何となく熊を連想させる。中に人が入っているのでは無いだろうか。
「五十嵐さん、良い人。何もしなければ、何もしない」
「バカだけどな」
一見すると不良には見えない、地味な中肉中背の男がボソッと呟いた。
「後、勝ちゃんな、別に俺等はこの子らの説得しに来たんじゃ無いの。よーするに難癖付けて早いウチにシメとこって話だから」
「話が早ぇのが居るじゃねーか」
その地味男が巨大生物を諭すように言った言葉を受けて、俺は一歩足を踏み出した。
「んで? その五十嵐サンってのがボスなんだろーけど。アンタ?」
秀弘が最後の一人、筋肉質のボサボサ頭に声をかける。
「――ワシは鈴木和成やぁぁぁぁ!!」
怒号をあげた。
「……なんでそこで叫ぶのん?」
そして何でフルネームを名乗る。
「五十嵐はいねーよ」
俺が秀弘に答える。
「どーせ大物を気取って、一年の相手を手下に任して自分はどっかでふんぞり返ってんだよ」
「……てめ、黙って聞いてりゃいい気になってンじゃねェぞコラァァッ!」
俺の言葉に、金髪リーゼントが血相を変えて怒鳴り散らす。
言葉の文法がおかしいのは興奮している為か、あるいはタダのバカなのか。
とにかく、双方の言いたい事は言い合った。
ロクでも無い会話だったが、この後はもっとロクでも無い……。
「まあいいや。歴史の節目を教えてやるぜ、かかって来やがれ昭和生まれども!」
秀弘が叫ぶ。
そう、ここからは。
喧嘩の始まり。
[稲生沢芳樹]
生徒会長から預かった書類を職員室の松野原先生に手渡した僕は、急に騒がしくなった中庭を見下ろして。
殴り合う六人の中にちらほら見知った顔を見出した。
「喧嘩かね」
「喧嘩ですね」
松野原先生の背後からの問いに、簡潔に答える。
昨年、僕等が入学した時もそうだが、新入生が入る度に多かれ少なかれ、こういう事は必ず起こる。
まるで古い血が、新しい血を拒絶するかのような――。
「言い得て妙だね。先人が新たな血を拒むのは、何も学校だけに限った話では無いが――」
エスパーだろか、この先生は。
僕が何となく想像した事に答えたとしか思えない言葉を吐きながら、松野原先生は僕と並んで窓から中庭を見下ろし、続ける。
「奇麗な桜だね」
……壮絶に殴り合っている自校の生徒達を尻目に、中庭の片すみにぽつんと立つ桜の木を見ているらしい。
相変わらず訳の解らない先生だ。
っつうか、一番解らないのはその顔の上半分を何やら豪華な仮面(王冠付き)で覆い隠している事なんだけれども。
解らない以前に、そんな教師が居ていいのか。
「いや実際居るんだから仕方無いし」
「だから心読むの止めてくださいって」
そう言いながら、桜の木に目をやる。
諸事情で入学式が一週間延びた事もあり、桜は満開咲きを過ぎて散りつつある。
……明日には、散りきってしまうのかな。
「儚いと思うかい」
先生が呟く。
「……? ま、そりゃあ」
僕も、まあ色々問題はあっても一人の日本人として、散り往く桜の花への情緒と言うか、そういうのは普通にわきまえている。
「でもね、桜はまた来年、花を付ける。それに対し、人は」
自分の席へ戻りながら、先生が続けた。……いや、続けようとして、何やら考えながら言葉を紡ぐ様に、言った。
「……来年の桜が舞い散る頃、君等は今の君等のまま居られるかな?」
それは。
その言葉は、この時は全く理解出来なかったので。
「って言うか先生、下の喧嘩、止めなくていいんですか?」
とりあえず流して、当面の問題に話題を戻す。
「えー、だって」
「だってって」
「止めようとして殴られたりしたら、痛いし」
「アンタ本当に教師か」
[月浦豪]
四人の内で一番武闘派ぶっていた金髪リーゼントは、俺の最初の拳で昏倒した。
弱い犬ほど良く吼えるという論説の、いい生態標本になるだろう。
振り返り様に、巨大生物の腕が俺目掛けて振り下ろされているのが視界の端に見える。川で熊が鮭か何かを捕る仕草そっくりだ。
威力も大差無いんじゃ無いかという妄想を振り払い、頭をずらし、右肩でその腕を受け止める。
そのまま右腕を、それこそ鮭のように中空に吹っ飛ばされたかのような衝撃。
「んの……野郎っ」
肩の痛みを無視して、そのまま背負い投げようとして。一瞬の躊躇の後に体落としに切り替える。背負って、そのまま潰されたんじゃ笑い話にもならない。
「んが」
奇妙な呻き声をあげる巨大生物の喉目掛けて、右足を振り下ろす。
蛙を潰したような奇妙で耳障りな音を立て、巨大生物が動かなくなった。
「豪ちん。豪ちん。こっちヘルプ入ってよ」
秀弘はボサボサ頭――フルネーム鈴木和成らしいがどうでもいい――と、地味男相手に幾分か苦戦しているようだった。
頬に刃物か何かで切りつけられた傷が出来、血が滴り始めている。
「は、どーも、アレだね。さすがにマンモス校のボス達って感じ?」
「テメェが弱ぇんだよ」
二人の攻撃をさばきつつ、秀弘が俺の所まで後退してくる。
「これでも簿記検三級持ってんだけどさ」
「うるせぇよ」
何だかんだ言いつつ、数分に渡る喧嘩の最中で秀弘が受けた傷は頬の切り傷一つだけらしく、それだけ器用に二人がかりの攻撃を避けながら息の一つも上がっていない。この身の軽さには、俺自身が何度か手を焼いた事がある。
「こういう共闘って始めてじゃん、俺達」
「成り行きだろ」
「いや、案外ここから二人の友情が始まったり」
「絶対無いから安心しろ」
言いながら、地味男の方と相対する。手にカッターナイフを持っているのが、俺の気を引いた。
「……俺の下駄箱に馬鹿な真似しやがったは、テメェかよ」
「俺じゃ無いよ。……上履き切り刻んだのはこのカッターだけど、使ったのは山田」
「……名前言われても解らねぇって」
「アンタが最初にぶっ飛ばした金髪」
振り向くと、金髪山田はまだ蘇生する気配が無い。
口から泡吹いているしな。
と……正面からの殺気に、上半身を捻って避ける。
「そもそも今回の事もイチロー……山田が言い出しっぺなんだよな。俺ら、つうか五十嵐さんもこういうの、好きじゃ無いんだけどさ」
カッターを突き出し、地味男が呟く。
「言ってる事とやる事が一致してねぇんじゃ無いのか」
「成り行きに流されちゃう事って、結構あるよね」
他人事の様に言いながら振り回すカッターナイフを、回し蹴りで撃墜する。
……が、それは男の方で予定内の事だったらしく、次の瞬間には素手で躊躇無く襲いかかって来る。
「野郎っ!」
抜き手で狙われた目をかばいながら、後退する。が、
「……っ!」
その目潰しさえフェイクだったらしく、引き際に一撃、顔面に裏拳を叩き込まれた。
……さっきの巨大生物といい、ザコのくせに妙に芸達者な連中である。
「知ってる知ってる。相手に自分の武器を意識させといて、隙をうかがうインディアンの戦法な。『マスターキートン』でやってた」
ボサボサ頭の方と、喧嘩と言うより武道の試合のような攻防をしながら秀弘が愉快そうに言った。
「何を」
訳の解らない事を、と言う俺の言葉を秀弘が遮った。
「な、豪」
「ンだよ」
「魔法とか、使えたらいいなって、思った事ある?」
…………。
「……何だって?」
「親友のお前だけにコソーリ教えてやるけどさ。俺、昔魔法使いだったんだぜ?」
……。
…………。
「――誰が親友だって?」
「ツッコミ、そっちかよ」
秀弘が苦笑する。
「……さぁて」
「……?」
ボサボサ頭が、ふと身を固くした。
秀弘の表情が、俄かに変わった事に気付いたのだ。
ヘラヘラしたホスト顔から、闇の中で獲物を探す猛禽のような、深淵の底から遥か上を見上げる微笑。
それは俺同様、生き死にの修羅場を掻い潜って来た者特有の――狂戦士の笑いだった。
「けっ」
さっき殴られた時に口の中を切ったらしく、舌が鉄の味に痺れている。
それを妙に心地よく感じながら目の前の地味男と相対し……俺は構えを解いて、一歩、二歩と無造作に相手に近付いていく。
「……?」
明らかに困惑した男が、懐に手を伸ばす。カッターナイフの他にも、色々と玩具を常備しているようだ。
持ち物検査、やっとけよ。学校。
疾走するようにボサボサ頭目掛け踏み込んだ秀弘が、相手の拳を二、三回ほど避わして、相手の膝に飛び乗った。
「……なっ」
狼狽する相手を尻目に、秀弘は膝の上から跳躍し――肩を踏み台に、更に飛ぶ。
信じられないモノを見るかのように、驚愕しながら頭上を見上げたボサボサ頭の額目掛けて――秀弘の踵が叩き込まれた。
取り出した警棒を、何度か体に打ち込まれたが、無視して進む。
「おま……避けるなり痛がるなりしたら」
どうなんだ、という地味男の科白を最後まで聞いてやる義務は無い。
相手の攻撃を全く無視して、その顔面を鷲掴みにした俺は、そのまま――。
地味男の頭を、校舎の壁目掛けてぶん投げた。
[長岡鈴]
……………………。
………………。
……………………。
……下駄箱の中。
上履きに落書きとか、されてたり…………。
………………してないけど。
………………「あの事」が知られれば。
「あのー」
……………………私?
……誰。…………大きな箱を抱えてる。
「……一年一組の教室って、どこですかねぇ?」
……………………私の、教室。
………………制服…………トラネコ宅急便……。
……なんで……宅急便屋さんが…………教室……?
指し示す。
「ありがとうございます」
……………………。
…………………………。
……何故だろう。
水と、土と、風を感じる。
……私の中の炎をかき消す何かが、……。
…………あるような気が………………。
[?]
水槽の中。
……。
……は?
水槽の中?
何でンな所に入ってるんでしょうか僕は。
水槽の中にはどっぷりと、水。
浸かってます僕。
真水なのか潮水なのかどうもはっきりしませんが。
――ああ、水族館ですかね? ここ。
……でも、あそこってフツーは水槽のこっち側には来ませんよね。
向こう側に立って、こっち側を見て楽しむ娯楽なんですから。
…………。
いや、ていうか死にますって。
息出来ませんから。
こちとら熱帯魚じゃないんスから。
「君はね」
外側から誰かが呼びかけてきました。
「神サマになれる子なんだよ」
いえ。なれません。死にます。水死です。
頼む。助けれ。
神サマというか、もうすぐ仏サマ。
……うあ。ダメっぽい。
何て言うんですかね。走馬灯?
人は死ぬ時に昔の色々な事を思い出すといいますが。
……あれ?
なぜだか何も思い出せませんが。
どうしたもんでしょうか?
思い出すべきナニモノも無いっつー事ですか僕?
悲しいですね。それは。
泣けてきました。
……なんて哲学を語ってる場合では無いのでした。
……。
……あー駄目だ。死んだ。
「いいかい? 一つだけ憶えておいて。君はね」
いや死にましたから僕。色々言ったって無駄ですってば。
……。
「君は『川崎善次郎』と出会ってはいけない」
[月浦豪]
「いやいや、タフだねー豪ちんは」
けたけた笑いながら、秀弘が話し掛けてくる。
「……お前は無駄に派手な動きが多すぎんだよ」
言いながらも、目の前の男がたった今しでかした雑技団めいた大技には正直、舌を巻く。
相手の膝、肩を駆け上って上空からの踵落とし。
常人に出来る真似では無いし、たかがガキ同士の喧嘩にそんな芸を繰り出すコイツの神経もよく分からない。
あんな魅せ技を出す余裕がある分、普通に相手を小突き回せばいい話だ。
「ケンカは楽しく、が信条でね」
俺の思考を追った訳では無いだろうが、秀弘がそんな事を言った。
「ギャラリーを、そして自分自身を、いや、場合にゃ喧嘩の相手を楽しませにゃあ、こんな殴り合いに何か意味があるのかねえ」
……。
「――バッカじゃねぇのか? 喧嘩は勝つか負けるか、それだけだ」
心からそう思う。
「相手を楽しませる? ンな事言ってっからテメェは俺に負けっぱなしなんだ」
そう思っているはずなのに、心がざわつく。
目の前の秀弘は俺の言葉に幾分の心も揺らいだようには見えない。
……気に入らない。
「聞くがな、豪よ。喧嘩って何だ? 勝ち負けって何だよ?」
「質問の意味が分からない」
「お前によると俺はお前に負け続けてるようだがな、それじゃ今、お前の目の前に立ってるこの俺は何だ?」
「……訳の分からねー事をガタガタ抜かしてんじゃねーよ。負け、ってのが分からねぇってんなら、今この場で三度目だか四度目のそれを教えてやってもいいんだぜ?」
「……」
肩をすくめ、秀弘が笑う。
「豪ちんとのケンカは楽しいからさ、売ってくれれば買うけどさ。……先客だ」
「あ?」
最後の言葉の意味が解らず、眉を寄せる。
「――豪か?」
その声は、俺の背後からかけられた。
聞き覚えのある声。
忘れようにも、忘れる事が出来ないその声。
振り向いた先に――。
「何も入学初日から、大暴れする事も無ぇじゃんか」
伊豆中から集まる不良達をまとめている男。
かつて、俺の兄を殺した男。
源条高校二年、五十嵐が立っていた――。
⇒第二話に続く
[稲生沢芳樹]
「稲生沢くん、書類渡したらさっさと戻って……ん?」
遅れて入って来た夏江さんが、僕と先生のやり取りを見ていたらしい。
「――なになに? ケンカ? 止めて来ようか、あたし」
「……会長が行くと、喧嘩っつうか彼等の生涯が止まりそうなんですけど」
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