『渡辺家の仕業』が始まった経緯について説明しておきましょう。話は大学時代にさかのぼります。高校卒業後、一浪して「東京学芸大学」に入学しました。「東京学芸大学」はいわゆる教員養成大学です。全員がそうとは限らないのですが、教員になりたい人が多くいる大学です。私は、入学して間もなく、「むぎのこ」という名前の地域子ども会活動サークルに入りました。本当は、プロレス研究会を探したのですが、なかったのでどこかほかに入るサークルを探していました。細かい経緯は忘れてしまいましたが、最終的に「むぎのこ」に入部しました。「むぎのこ」は、当時80名前後の学生の所属する、大きなサークルでした。「むぎのこ」というサークルは、6つの班に分かれていて、全員どこかに所属します。参考までに、6つの班とは、「つくしのこ」「かぜのこ」「小平」「国分寺」「星空」「松ノ木」です。それぞれに、違った形態の子ども会活動をしており、「むぎのこ」全体でもキャンプや学園祭参加などの行事もやっています。子ども会活動の中で、子どもも学生もあだ名を付けられます。活動中は、本名でなく、あだ名で呼ばれます。あだ名は、基本的には子どもたちとの「あだな決め」で決められます。見た目や本名、あるいはどういう理由か分からない場合もありますが、あだな決めの時の話し合いによりあだ名が決定し、4年間、いや卒業後も、へたすると一生そのあだ名で呼ばれます。私は、「つくしのこ」班に配属になり、つくしのこ子ども会の子どもたちの話し合いにより、『クロマニヨン人』と名づけられました。なぜ、『クロマニヨン人』なのかは分からないのですが、別の子ども会にお試し版のような形で遊びに行って、付けてもらったあだ名は、『北京原人』と『猿人』でした。まわりにいた学生が、何がしかの入れ知恵めいたものをささやいたかどうかは、定かではありませんが、こういう関連した名前が付けられたのでした。しかし、私の所属する子ども会は「つくしのこ」でしたので、『クロマニヨン人』に決定したのでした。これが、『クロマニヨン』となったり、『くろまによん』となったり、略して『くろま』、『くろまちゃん』などと呼ばれるようにもなりました。なんとなく、ひらがなやカタカナが恥ずかしいような時があり、当て字で、『黒魔尼四』などと書くようになりました。これが、『黒魔尼四』の所以です。むぎのこの中で、私の同期のOB会が『むぎふみ会』です。『むぎふみ会』は、おそらく他の学年に比べ、結束力が強く、卒業以来、年に2回集まっています。最近では、それぞれの子どもを連れてくるので、『むぎふみ子ども会』みたいになっています。この『むぎふみ会』の事務局になってくれているのが、Gian(ジャイアン)です。もちろん子ども会ネームです。彼が、このたび『むぎふみ会HP』を立ち上げてくれました。それをきっかけに、『黒魔尼四の仕業』を作りました。隠しページとして、『渡辺家の仕業』を作りました。はじめは、うちの奥さんの実家や親戚向けに、子どもたちの様子を見せるつもりで作りました。が、だんだんエスカレートしていって、現在のように公開に至っています。わけのわからないページが多いと思いましたので、説明をつけてみました。何か、ご質問がございましたら掲示板で。

                 

 

 

 

 

 

 

 

 

見もの 聞きもの 渡辺家の仕業 用語集 読みもの

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むぎふみ掲示板

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復活日々の雑感

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