催し物会場

ウルトラマン80 ショー

1981年1月3日

ダイエー熊谷店 催し物会場

戦闘員(小)として出演。

ウルトラマンなのになぜか戦闘員

でした。高校生5人だけでやりました。

Go!

デンジマン ショー

1981年4月5日

東急ストア鷺沼店 特設会場

デンジブルーとして出演。

となりの広場では、中村雅俊とアイドル、

ビビ(だったかなあ?)のお二人が

一日警察署長のような事をやっていました。

Go!

3大ヒーロー ショー

1981年5月5日

玉川高島屋 屋上特設会場

アマゾンライダーとして出演。

子どもの日のイベントで、

会場も二子玉川の高島屋だし、

もっともお客さんが多かった。

戦ってる最中にアマゾンの背中の

ビラビラがはがれて、会場で拾った

子どもが楽屋に届けてくれました。

着替えたあとだったので、

「ありがとう。アマゾンに渡しとくね。」

と言って、受け取りました。

ウルトラマン役の大学生の

立ち回りが、とてもへたくそでした。

ガッチャマン役の彼は、ヘルメットの下は

素顔なので、とても恥ずかしそうでした。

Go!

私が高校時代にやっていたアルバイトです。

中目黒のプロダクションに登録しておいて、休みの日になると東京近郊のデパートなどの催し物会場へ出かけていました。

遠くは茨城県の下妻の畑の中のスーパーにも行きました。

バイトとしてはあまり割りのいいほうではなかったと思います。遠くに行く時は、朝6時に事務所に集合して、帰宅は夜の9時近くなる時もあり、

それでも1日4500円でした。5月5日の「3大ヒーローショー」の時だけ、5000円だったと思います。

通常、ショーは1日で2回。たとえば、午後1時と3時に本番があると、朝から会場に入ります。

会場スタッフがいるかというと、現場では高校生のわれわれだけ、というのがほとんどでした。

高校の器械体操部の仲間と、その他あわせて4〜8人くらいで全部やっていました。

全部と言うのは、会場設営からストーリー作り、人員整理、サイン会、グッズ販売、後片付けまで、ほんとに高校生数名でやってました。

朝、会場に入ると、客席のいすを並べながらストーリーの打合せ。ストーリーを頭に入れると、戦闘シーンの立ち回りの練習をします。

お昼前に、衣装をつけずにリハーサルをしてから昼食。

昼食はだいたい、社員用の食堂のチケットをもらって、社員のみなさんと一緒に食べていました。

本番も人数が少ないので一人何役も掛け持ちます。戦闘員役は、会場の後ろから登場しなくてはいけないので、

お客さんが入る前から扉の影で全身タイツのまま隠れています。( 隠れているのを見つけられて、孫をつれたおばあちゃんが、

「ほら、ウルトラマンよ。握手してもらいなさい。」と嫌がる孫の手を引っ張って、戦闘員の私と握手させていた事もありました。)

「呼び込み」や「誘導」は出番の遅いヒーロー役の人が、ジャージ姿でやります。

「悪ボス」役の人は衣装に着替えて、裏で準備。司会の人は音響設備の準備等。

司会は通常女の子がやりますが、ドタキャンされたりすると、悪ボスをやるはずだった男が、音響と掛け持ちでやったりすることもありました。

ヒーローが1人だといいんだけど、デンジマンのように5人もヒーローがいるともう大変。

前半は戦闘員として、「子どもと遊ぶコーナー」や「お笑いのコーナー」をやって、ヒーローも小出しに一人ずつの登場になります。

でも、最後にはデンジマンは5人揃わなければならないので、そのころになると悪者役は1人くらいになってしまいます。

だから、最後は5人のヒーローでよってたかって1人の悪者にトドメをさす事になります。

デンジブルーでトドメをさしている時に、会場の最前列の子が『 かわいそー 』と言っているのを耳にした時は、胸が痛みました。

ヒーロー役は終了後、汗ビショビショのままで握手会・サイン会をしなければなりません。

会場に来たほぼ全員の子どもが握手会の列に並び、大半がサイン色紙を買っていきます。

サイン色紙が300円、カレンダーが1000円でしたが、私のサインも飛ぶように売れていきました。

悪ボス、怪獣、戦闘員などの人はすぐに着替えて、握手会・サイン会の人員整理・受付・販売の仕事につきます。

そんなショーを2回続けると、体はへとへとになります。

昔、三宅裕司氏もこういうバイトをしていて気分が悪くなって、ウルトラマンのまま、中で吐いてしまったという話がありますが、

わかるような気がします。

立ち回りもけっこう危なくて、熊谷の『ウルトラマン80』ショーでは、本番中にウルトラマンのパンチが私のあごにヒットしてしまい、

次のアクションを起こそうとした時に、ヒザから崩れ落ちた経験があります。しかも全身タイツの上から殴られたので、

あごがスリむけ、血がにじんでいました。

後楽園とかでやってるやつは、JACとか、本物の人たちが来てやっているんでしょうけど、

僕らが入ってた会社は、素人ばかりで、高校生や売れない芸人さんばかりでした。( いっしょにやった人の一人が、

まだ売れてないお笑い芸人で“ツーツーレロレロ”だっていってたから、今思えば、「そのまんま東」か、「大森うたえもん」

だったのかもしれない。)

だから、バク転や宙返りなんかやる人がいなかったから、体操部だった僕らは歓迎されました。

鷺沼のデンジマンショーのときは、はじめて社長が見に来て、バク転や宙返りを盛り込んだ立ち回りに喜んで、天ぷら屋に連れてってくれました。

というわけで、『 つくしんぼ3 』のできる背景には、こういうバイト経験があったのでした。        〜おわり〜

渡辺家の仕業

黒魔尼四の仕業