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上海遠征記
http://www.geocities.jp/urawa_meoto/sentou/2007shanghai.html
(2007/04/30)
人生で最初の(そしてたぶん最後の?)サポーターとしての海外遠征。あくまでもサポートが目的なので、その過程云々はオマケに過ぎず、「勝ち点1」という結果だけが事実。
とカッコよく言い切ってしまうと実も蓋もないのでw、老後にニヤニヤと思い返すことができるように、ここに上海遠征を書き記しておこう。
出発前日まで
1月末。試合まで3ヶ月近くあるこの時期に、ツアーを選ぶ。
出張続きの日々で溜め込んだマイルがあるのに、なんで高くつくツアーかというと、新婚旅行以来15年以上も海外経験がない、中国語も麻雀用語以外は全く喋れない、そもそも田舎モノなので単独行は無理・・・等々の理由である。
料金ははっきり言って割高。あとになればもっと安い対抗ツアーが出てくるのはわかっていたが、チケット争奪戦などから想像するに、安いツアーが出てきたときに争奪戦となることは明らか。そうなると仕事持ちの身としては争奪戦に勝てないということもわかり切っていたので、あとあと後悔することのないように、とにかく足を押さえる、そういう判断だ。
手付け3万、足確保、である。
が、結果的には、このツアーは最終的にはキャンセル。3月に入って出てきた3万ほど安いツアーが余裕で確保できたからである。
最初のツアーの手付金3万は戻ってきた。新しいツアーは手付けを入れて残金を入れて・・・都合4回も銀行に足を運んでしまった。入金確認とかがないので果たして申し込みが受理されているかどうかかなり不安だった(だったら旅行規約だか何だかを読めって話なんだが、そういう面倒なことはしない)が、出発の10日前には旅行の栞が送られてきて、決まりきった出張は別にして旅慣れしていない俺は、ヤレヤレ・・・。
残る唯一の懸案であったゲーフラの棒(園芸棒なんて機内に持ち込めないし、預けるのも面倒で面倒で絶対にヤダ)はリュックに入る塩ビパイプをジョイントで繋ぐ目論見だったのだが、東大宮のドイトに売っている中では最も細い外径13mmのパイプでは旗の袋に収まらず・・・。
と、ここまでは過去のコラムに書いてきた話である。で、結局ゲーフラ棒はどうしたかというと、袋を再びミシン掛けしてくれとはカミさんには言えず、しょうがないので手持ちの赤いガムテに加え、カミさんに白いガムテを買ってきてもらい、それを持参することにする。これが24日の朝の状態。夜にはいちおう持ち物準備なんかして、1時頃就寝。
試合当日・試合前
朝5時起床、6時前に家を出て、2時間半かけて七里→柏→我孫子→成田と乗り換えて空港へと向かう。荷物はリュック1つに 着替え(パンツ・靴下・Tシャツx2)/マフラー/レプリカ(念のため)/旗/30cm13φの塩ビパイプx10/塩ビジョイントx8/赤ガムテ/白ガムテ/ツアー書類一式が入った封筒/パスポート と、まあこんな感じ。あとはカメラ用の携帯、suica、財布に1万5千円(少なっ!)、ホールズとガムがポケットの中。グッズは一切身につけず。いつもと違うといえば、普段はしない腕時計をしたことぐらいか。と言っても実は心拍計なんだが・・・w
柏駅のトイレでハンカチ忘れに気が付き、ついでに洗面道具忘れにも気が付いたが、手はジーパンで拭けばよいし、ホテルに歯ブラシぐらいあるだろうし、なくても死ぬわけじゃないw
などとやってるうちに8時30分ごろ成田第2ターミナル着。ひとしきり迷って、ツアーのカウンターに辿り着く。ツアーはお馴染み 阪急交通社・赤い稲妻大作戦 の1号車。
中国東方航空という聞いたことのない会社のMU272便(オンボロ)で11時くらいに出発。機内の寒さと乾燥とスッチの素っ気なさっぷりは予想通り。全く言葉が通じないなら別だが、中国人スッチとも中途半端に日本語が通じるので日本語でのコミュニケーションを期待すると、「ハァ?」とか言われて裏切られる。
一眠りして起きた頃に出てきた機内食は、ご飯とお寿司と蕎麦と大福というカーボローディングなセット。カップは結局使わず。わけわかんねぇ。
たぶん14時過ぎくらいに上海浦東空港着。日本との時差は1時間だが、自分自身の時計を合わせなかった都合上、以降も日本時間で話を進める。
写真は「外国人通道」・・・入国管理だかなんだか。空港の雰囲気は関空チック。
税関を抜けたところで、どう見ても会社の人がいてビビる。自動車業界なので、たぶん上海モーターショー関連と思われるが・・・敢えて目をそらす俺であったw
ツアーの人が1人税関から出てこず、空港からの出発が遅れに遅れる。結局バスが空港を出たのは15時30分くらいだっただろうか。1時間以上足止めを食らったわけだ。
バス出発待ちの間にチケットが配られる。
事前情報では2,3,4ゲートの100元席ということだったが、配給されたのは5ゲートの50元席。でも気にしない。チケットには昔風のスタンプや彫印が押されていて雰囲気満点。結局はポケットの中でクチャクチャになってしまうのだが・・・。
バスは真新しいハイウェイを進む。周囲は何もかも人工的。黄砂なのかスモッグか、晴れているのに空はくすんでいる。
そのうち高層ビルが見えてくるが、こんな風景は序の口に過ぎないことがだんだんとわかってくる。携帯では全く雰囲気を伝えられないので写真は割愛するが、とにかく古いものをガンガン壊して、新しい高層ビルをガンガン建てまくっている。
もっとも、ハイウェイの高架下を棲家にしている人や、摩天楼街でリヤカーを引く人もいる。50年前と50年後が同居している?
軽いカルチャーショックを感じつつ、ようやく源深体育場に到着。
キックオフ30分前にスタジアム外でツアーの記念写真を撮っているんだから「お前ら暢気だな!」と言われそうだが、実はこの時点ではチケもぎりの人がいない。旗関係は事前申告なんて話もあったから、ペットボトルを尻ポッケにねじ込む以外に準備することもないのだ。
結局、荷物チェックもなく、もぎりのオッサンに「どうもーっす」と声をかけつつ無事に入場。
チケットにスタンプされている「北区5台」という表示に従い5ゲートから入場。スタンドの向こうに広がる風景にしばし唖然。
スタジアムはコンパクト・急傾斜・屋根つきで、俺的には好印象。それにしても上海のサポ少ねぇ・・・。16時キックオフじゃ無理もないよな。
我に帰ってゲーフラの準備を開始。パイプをジョイントで繋ぎガムテで補強し棒を作る。その棒に旗をガムテでくっつける。白い部分は白いガムテで、赤い部分は赤いガムテで。
ここまで準備して5ゲートを辞す。
本体のいる4ゲートではチケットチェックをしていて、5ゲート席とはチケットの色が違うため一瞬躊躇したが、係員がどう見ても嫌々仕事しているので「お疲れっす!」と労をねぎらったら「どうぞどうぞ」と招き入れてくれた。
埼スタでやるのと同じように、当たり前のように、階段に立つ。
荷物を空いている席に投げ捨てたら、さあウォーリアーだ。
平常心OK。喉の調子も絶好調だぞ!
試合後
試合で感じたことは後回しにして、ここは淡々と書き進めよう。
ツアーの悲しさ、試合開始直後にさっさとスタジアムを出て、無謀な秩序に支配されるトラフィックの中をツアー向けの晩メシに向かう。スコアレスドローに微妙な雰囲気も、同行の方に青島ビールをご馳走になり一気に饒舌になる俺^^
闇の濃さと反比例するように、市内は華やかさを増していく。ああ、本当に性能の良いカメラがあればいいのにと思う。上海のきらめきは、こんな写真では全く伝えられない。浦江や市庁舎の周辺は圧巻だ。
宿泊は3つ星の「上海良安大飯店」。中国の3つ星は地雷という話もあるが、東横インに慣れた俺には全く問題なしの快適さ。お湯は豊富に出るしドライヤーも歯ブラシも拡大鏡もある。ないのはウォシュレットのみ。なぜか部屋はダブルだった。
冷蔵庫に入っていた、このペプシはいったいなんだろうww
人民元を全く持っていない(!)し下町を一人で歩く度胸も元気もないので、風呂に入ってテレビをザッピングする。ドラゴンボールとか、声が全然かわいくねぇw
目に留まったのが「女人30」とかいう相談番組。旦那が家に金を入れないとか言ってるらしいw
上海体育電視台というチャンネルでUEFAの方のチャンピオンズリーグをやっていたのでなんとなく見ていたら、スポーツニュースで上海申花対浦和紅宝石の試合のダイジェストが始まった。
それがひととおり終ったところで、今度は浦和のサポーターが取り上げられていた。
「ところで、この試合では日本から来た浦和紅宝石の球迷たちが熱狂的な応援を繰り広げ、体育場を訪れた上海人民を驚かせていました」 (想像)
試合の中継では浦和のサポーターが映されることはほとんどなかったが、このコーナーでは、このとおり。
「チームカラーの赤・白・黒に身を包んだ浦和紅宝石の球迷たちは、メインスタンドの一角をぎっしりと埋め尽くし、統制の取れた手振りと大声で選手たちを鼓舞していました」 (想像)
テレビに映ることのなかったサポーティングの様子は、いつものように浦動 が素晴らしい。俺のゲーフラもバッチリ(^^)
明けて翌朝、6時起き。ホテルの部屋の窓から外を望む。
隙間なくビルが立ち並ぶ様は、壮観。
が、すべてが超近代的というわけではない。川の手前側が下町なのはお分かり頂けるだろうか。
高層ビルに代表される都市の顔は東京より先を進んでいると感じさせる上海だが、それ以外の場所は戦前戦後といった言葉を想起させるような有様、もしくはそういった古い家屋が取り壊されて更地になっているという状況である。
近くに寄って見ると、こんな感じ。が、これなどは立派な家のほうだろう。失礼な言い方だが、掘っ立て小屋というかバラックというか、冬などは寒さを果たして凌げるのだろうか・・・という建物も多い。
古い家並みや下町は、とにかく無造作に物干し竿が突き出し、無遠慮に洗濯物が吊り下げられている。それは公衆の面前だろうが公共の建物の塀だろうがお構いなし、のようにも見える。真新しく幾何学的なデザインの集合住宅の窓から洗濯物が突き出ている様は、ミスマッチの極みだ。
などと偉そうなことを書いてしまったが、俺は上海をバスの窓越しに見ただけに過ぎない。
上海の「生きた感じ」というか、下町と都市の中間、アクティブな部分は、以下のブログがよさそうな感じだ。(ていうかシドニー戦の時も感じたけど、現地でのことを書く人ってあんまりいないんだねぇ)
小田急沿線レッズサポ
God Bar 別館
事務局だより
The Republic of Urawa
そんなこんなで、再び上海浦東国際空港に到着。あとはお土産を買ってササーッと帰るだけである。
帰りの飛行機は中国東方航空の・・・何便だったかは忘れたが、26日の13時過ぎに成田に戻ってきた。
スッチの王珊珊(わんしゃんしゃん)ちゃんがめっちゃくちゃ可愛かったこと、機内食で千島汁(w)が出たこと、到着時に機内にセイリングが流されて微妙に嫌がらせっぽかったことなどが特筆すべき事項か。
そう言えば、「家に帰るまでがアウェイ」と言うが、帰りの東武野田線が何の前触れもなく江戸川台で運転中止となるなど、「アウェイの洗礼」は最後まで続いた。
16時過ぎ、無事帰宅。
感じたこと
初めての海外アウェイでもう少し入れ込むのかと思っていたが、全く普通だったのは自分でも意外だった。
GW直前の週なかに2日間休むということでワクワクしようがなかったというのが本当のところかもしれないが、国内の移動と大して変わらないし、行った先の人の顔は一緒だし、赤い人は2千人も3千人もいてアウェイ感はないし、厳戒体制という感じもない。そもそも現地に着いてから試合開始まで「待ち時間」がなかったので、過剰に緊張する時間もなかった。
自分としては、今の自分にできるサポートを普通にできたと思う。これを、普通に試合に臨めたから普段どおりの力を出せたと自己解釈していいのか、それともアジアのアウェー、もっと特別な何かを発揮させなければいけなかった、普通どおりじゃ勝てないと反省すべきなのか、それはよくわからない。
俺は、これまでも大一番で過剰な入れ込みをしてきて、その多くは声も出ず体力も途中で切れ、要は失敗してきた。いいサポートができたナーと思い出すことができる鳥栖戦、2度目のナビ決などは、思い返すと心穏やかだった。そういえば、悟空だって、スーパーサイヤ人に慣れた方がいい戦いができると言っているよなw
そんなわけで(どんなわけだ)、俺的には何も恥じることがないサポートが初の海外でもできたと思う。(他の人のことは知らないし、評価する資格もない)
そういう思いで帰ってきたので、「勝てなくてゴメン」という論調には違和感がある。行った奴らは「俺らが頑張ったから勝ち点1獲れたんだ!」と堂々と表明していいのだ。それとも、中には「やり残し感バリバリ」の人もいるのだろうか・・・?
しかし、都市としての上海のあのメチャクチャな摩天楼っぷりを思うと、県庁パインズ伊勢丹くらいで打ち止めの浦和が、よく勝ち点1を獲って帰ってきたと思うんだがなー。(←半分ほど真面目に思ってます)
ああ、またなんかの拍子に上海遠征のことを思うんだろうが、今はこれぐらいにしておこう。
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【おまけ】
ボツになった「勝ち点3を獲って帰ってきたときの『ただいま!』画像」
めおとサポーター奮戦記
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