覚問のすすめ 創め 三堀太聖 平成17年10月30日朝 7.18 歌人
覚問のすすめを創めるまえに、お詠みください。 三堀太聖
俳句禅 Haiku
poem zen
「人も小猫 愛希望なく生きられぬ」675 左手に筆しるす 歌人太聖 9/11
「I am the same as a
kitten. I cannot live without love hope.」
Poet Utahito
Takakiyo
日本国 静岡県 富士宮市山宮104-1 湯沢橋傍の庵主
歌人太聖
富士山に抱かれて
Japan 104-1, Yamamiya,Fujinomiya-shi, Shizuoka-ken
Master of a
hermitage by the side of the Yuzawa bridge
Poet Takakiyo It
is held in Mt. Fuji.
”やまとうた”は日本人の心の魂の歌です。 太聖
9/16
和歌、俳句も、その一つです。万葉より、更に古より詠まれてきました。
A 31-syllable Japanese poem and a
haiku poem are also one of them.
口語時代、縄文時代には詠まれていました。 詠み人知らず以前の話です。
A
poem was composed by the spoken-language age and the Jomon
period.
歌人太聖、筆に詠む Instead poet 歌人太聖 write and
sing.
歌人太聖は、歌名がいろいろあります。
太聖、たかきよ、老鶯、鶯、陶歌人など。
The alias of 歌人太聖
is "UtahitoTakakiyo,たかきよ,
OiUguisu,老鶯, Uguisu,鶯,and
陶歌人,Toutahito."
覚問のすすめ 創め 三堀太聖 平成17年10月30日朝 7.18 歌人
古今和歌集の紀貫之に、土佐日記に倣い、和歌、俳句に、”やまとうた”に
詠い、随筆に記し、覚問のすすめを認める。 歌人 太聖 10/30
福沢諭吉先生の詠まれた、和歌、俳句をさがし、インターネットで検索し、
学問のすすめを拝読する。 これが創めての拝読である。太聖 10/30
学問のすすめ創めてよむに
「人の言うこと確かざる思いあり
学問のすすめ 創めてよむに」
太聖 11/13
覚問のすすめ
「人の言うこと確かざる思いあり
覚問のすすめ 創めてによむ」
太聖 11/13
学問のすすめ 初編 福沢諭吉 明治五年二月第一編を初として
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、
生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって
天地の間にあるよろずの者を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、
互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの
趣意なり。
されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、
おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、
下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。
その次第甚だ明らかなり。「実語教」に、「人学ばざれば智なし、
智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと
学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、
やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、
やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い心配する仕事は
むつかしくして、手足を用いる力役はやすし。故に、医学、学者、
政府の役人、または大なる商売をする町人、
あまたの奉公人を召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。
身分重くして貴ければ自ずからその家も富んで、下々の者より見れば
及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力
あるとなきとに由ってその相違も出来たるのみにて、天より定めたる
約束にあらず。諺に云く、「天は富貴を人に与えずしてこれをその人の
働きに与うるものなり」と。されば前にも言える通り、人は生まれ
ながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は
貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、
詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学も
自ずから人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者
和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来
漢学者に世帯持の上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる
町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、その子の学問に出精するを
見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬ
ことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
合本学問之勧序
本編は余が読書の余暇随時に記すところにして、明治五年二月第一編を
初として、同九年十一月第十七編をもって終わり、発兌の全数、今日に
至るまで凡そ七十万冊にして、そのうち初編は二十万冊に下らず。これに
加うるに、前年は版権の法厳ならずして偽版の流行盛んなりしことなれば、
その数もまた十数万なるべし。仮に初編の真偽版本を合して二十二万冊と
すれば、これを日本の人口三千五百万に比例して、国民百六十名のうち一名は
必ずこの書を読みたる者なり。古来稀有の発兌にして、またもって文学急進の
大勢を見るに足るべし。書中書記の論説は、随時、急須の為にするところ
もあり、また遠く見るところもありて、怱々を筆を下したるものなれば、
毎編意味の甚だ近浅なるあらん、また迂闊なるが如きもあらん。今これを
合して一本となし、一時合本を通読するときは、或いは前後の論脈相通
ぜざるに似たるものあるを覚うべしと雖ども、少しく心を潜めてその文を
外にしその意を玩味せば、論の主義においては決して違うなきを発明すべき
のみ。発兌後すでに九年を経たり。先進の学者、苟も前の散本を見たるものは
固よりこの合本を読むべきに非ず。合本はただ今後進歩の輩の為にする
ものなれば、いささか本編の履歴及びその体裁の事を記すこと斯の如し。
明治十三年七月三十日
福沢諭吉記
2006年度言語文化研究所公募研究募集
20050909
慶應義塾大学言語文化研究所は、以下の通り、塾内の共同研究プロジェクトを
募集します。
Spiritual
history
スピリチュアル・ヒストリー
言語文化研究所では、「精神史における言語使用の創造性」というテーマで、
塾内の共同研究プロジェクトを募集する。人文学・社会科学・自然科学の
最近の成果を十分踏まえた上で、このテーマに取り組む研究を歓迎する。
大学学部、大学院研究科、研究所、一貫教育校等を横断する共同研究が
望ましい。詳しくは研究所ウェブページ(http://www.icl.keio.ac.jp)
掲載の募集要項を参照されたい。
5.申請:
2005年11月30日(水)必着で言語文化研究所事務室に申請書を提出すること。
覚問のすすめ 創め 三堀太聖
「精神史における言語使用の創造性」三堀太聖 10/30
「”やまとうた”うたいよむそこなにかあり
文字の世界も お金も放れ」
太聖 11/13
「精神史における言語使用の創造性」というテーマを、和歌、俳句、
”やまとうた”を詠み考えていく。
”やまとうた”は縄文時代の口語による、和歌、俳句と考える。
文字や、漢字の影響や規制をうけない時代の、いにしえの歌である。
「”やまとうた”いにしえのとき
文字のかわりに」太聖 11/13
「”やまとうた”いにしえのとき
お金のかわりに」太聖 11/13
今に残された記述、記録以前の口語の時代を考える事になる。
理論考古学である。縄文時代の創まりは、土器の創まりであるが、
新発掘や発見によりこの先時代は遡るが、土器の創まりを区切りと
かんがえる。土器の創まりによる、口語歌は豊かな時代をむかえる。
私の言う”やまとうた”は、
まさに縄文時代〜20000年以上の口語歌である。太聖 10/30
鶯 六、へ 歌集今古今集「遷都ふるさともとめ」魯山人十二話 8/6
やまとうたには、仏教、禅、哲学まで包み込む魅力がある。
古人はみな詠ったやまとうた
「やまとひと よみがえれみな いまからは
やよいはるかに なわめのときに」
太聖 8/6
縄文土器も、縄文時代も、名前の呼び方が私は好きでない。
漢字よみ中国よみだからである。
私はあえて、なわめ縄目の時と呼びたい。太聖
覚問のすすめ 創め 三堀太聖
学問のすすめは、福沢諭吉先生の偉大な偉業である。
「覚問のすすめ」は、「精神史における言語使用の創造性」の研究を、
”やまとうた”に詠み、詠い、考え、目覚める、閃き、悟りを啓き、
言語使用の創造性を研究する試みである。知識の先の知者や秀才と
言われる世界を、偉大な先人たちは、学問と呼び学んだ。閃く悟る
目覚める覚者や天才の創造性の世界を考え、学ぶ学問を覚問と考え、
「覚問のすすめ」と題し、
”やまとうた”に詠み詠い学ぶのである。
先人に学ぶだけでなく、悟る閃く、目覚める、創造する事を考えると
学問に留まることなく、
覚問の世界にふみこみ、考えるのである。 太聖 10/30
鶯 六、へ 歌集今古今集「遷都ふるさともとめ」魯山人十二話 8/6
魯山人は、創めて土器はどの様に造られたか知らないと、 魯山人十二話
創めての器は、人を豊かにした時
「水を呑み竹にたくわえ器しり
古人は 蓄えを知り」
太聖 8/6
桃山の時に
「千利休 竹にかえりて花入れに銘をしるして はじめに返る」
太聖 8/6
万葉時代の長歌と反歌に詠む 57 57 57577と575 77
創めての竈かまどができて 長歌
「食べものを焼くこと創め 食べる物いろいろふえて
楽しけれ 焼く工夫して かまどでき まず竈でき 豊かな料理」
老鶯 8/6
創めての土の器 反歌
「竈でき 土の竈の焼けし土 すぐに気がつき土うつわ焼き」 太聖 8/6
初恋の器に
「縄目つけ 織姫もよう愛らしく 熱くやきあげ君にささげて」 鶯 8/6
桃山の時に
「利休あと 古田織部は花入れに茶碗にひずみ 縄目のときの」太聖 8/6
「拙さは縄目の器 一つづつ」陶歌人 8/6
弥生土器、弥生時代の、弥生には、寂しい哀れを感じる。
倭国の、なわめ縄目の時の器による豊かさと平和を脅かす、
大陸からの青銅器、鉄器と齎された、搾取と争いの心が、哀れに感じ、
弥生の器にはそんな寂しさをみるのは、私だけなのか。太聖
弥生土器、泪をためる器に
「弥生土器 その哀れさと寂しさは 壊れることを知りて儚き」太聖 8/6
岡本太郎は、縄文土器の素晴らしさを、なわめ縄目の時の、
魂のエネルギーを、自分の藝術にかさね、縄文土器の素晴らしさを、
世界に伝え広めた。弥生土器には、エネルギーは無いと語っていた。
創めての土の器 反歌
「竈でき 土の竈の焼けし土 すぐに気がつき土うつわ焼き」 太聖 8/6
日本では、縄文時代の以前に、土の竈が出来ていたと、思われる。太聖
土の竈のはなしは、つづきへ、
中国漢時代緑釉銀化竈 日本の弥生時代
