魯山人館 鎌倉 今古今庵 茶室  三堀太聖 庵主館長   

道楽を極める。  北大路魯山人の器に、書に、魯山人の声が聴こえる。   
陶器の素晴らしさは、造って、観るとより身近に感じられる。まず土にふれろことだ。
小さい美術館にしても、実際開いてみると、みえてくるものである。 歌人 三堀太聖

  鶯 六、へ 歌集今古今集「遷都ふるさともとめ」魯山人十二話

 八月三日、夜明けまえにひぐらし啼きだし、湯沢の庵に、歌集め
今古今集「遷都ふるさともとめ」と題し、魯山人の十二話をむかえ、
一段落と、節目と想い、富士宮に鎌倉の魯山人館より移したる器に、

 魯山人の器に、和歌、俳句詠う。 

 やまとうた和歌詠う所に、いのち芽生え心豊かになると、
古を今の言の葉で記し、その事を創める。
左手に筆を記すことは、誰にも真似できない、
不二の心、拙い筆の心で、
素人の美学である。玄人には、まねの出来ない下手な美学である。

 上手な筆は、私には到底無理な世界で、
残された時間も、根気もない。
この病にしか出来ないと諦めて、左手に、
拙い筆で心の想いを、俳句に、和歌に、詩尓、やまとうたにと、
光悦の筆に、万葉の歌尓、芭蕉の俳句に、やまと古を偲び、
魯山人の器に、和歌俳句に、命を芽生えさせ、やまとうたを詠う。

 心に、豊かな心に、息吹を求め、心の故郷をもとめ、富士宮に、
富士の山田舎に、住めば都と故郷もとめ歌を詠む。 歌人 太聖



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  魯山人館へ、ようこそいらっしゃいました。  

 李朝文官石人の二人が出迎えます。 語りは私です。 館長で歌人 三堀太聖











          








 

 火土火土の包装紙です。 北大路魯山人の軽妙な筆に、脱帽です。





 

  赤呉須牡丹絵向 です。 北大路魯山人






           

            帽子姿の、北大路魯山人
            ロックフェラーに招かれて、外遊、ピカソに逢って
















 

  静かな中にも、魯山人の声が聴こえてくる。










 

魯山人十二話

  十一、北大路魯山人 北鎌倉の伊東深水邸にて
「ロ山人器にきそい絵をかさね 深水娘 雪路モデルに」太聖 6/24


 十二、北大路魯山人「木瓜の花」黄瀬戸あや免手鉢尓
「木瓜の花悟りし花か薫る花 拙い彫りを 黄瀬戸の鉢に」太聖 6/13




 
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   けふ乃一句  一首
 「魯山人うつわに命やどらすか 拙く創り 桃山織部」太聖 11/28









 

   魯山人十二話

  七、北大路魯山人 織部桧垣文壷尓  昭和二十五年

 「魯山人 葉茶壷にするか織部壷 肩に鉄絵で鎌倉桧垣」太聖 8/19








 






             

  十、北大路魯山人 虻の文 木の葉尓

 「枯れ木の葉 緑を点して虻がとび ほのかな香り器に描く」太聖4/24

   古今和歌集

  冬千鳥    壬生忠岑
 「千鳥鳴く佐保の川霧立ちぬらし 山の木の葉も 色増さりゆく」











 

 

  北大路魯山人作  赤呉須漢詩扇面向一客、呉須扇面向二客と、
              明古染付呉須山水扇面  向二客

 魯山人が日ごろ愛用していた扇面向五客には、色々な料理が盛られた。
二客は中国明時代の古染付呉須山水扇面向で金の繕いがある。
 魯山人の手本と思う。 魯山人の器には沢山学ぶ所がある。 太聖 7/2
  (〜魯山人二十四話までは纏り次第に)







  呂山人作 赤呉須漢詩扇面向
「孤鉢千畆餅 布衣一身纏 飽食何所作 騰ヽ老太平」


 千の畝の餅、一つの鉢に餅のやまがあり、布が掛けられている、
私も着がえて、さて、飽きれる、ビックリ満足する料理はどの様に作るか、
まだまだこの年をむかえ楽しいよ。

 


 

  魯山人の漢詩に、やまとうた和歌二首ささげん       太聖 7/3
「魯山人 器をまえに 餅のやま  
                如何につくるか 穏やかにみて」

「餅の山蒸すか焼くかと呂山窯 漢詩扇面 筆赤呉須で」


 餅の山を前に、蒸すか焼くかと考えたが、結局の所、
のせる筈の呉須扇面向に、この今出来たばかりの漢詩を赤絵で書き、
呂山窯で焼く事にした魯山人。


 古染付の虫喰いは、仏教の拙なる禅哲学である。
 桃山の織部の、ひずみたるはじけたる物の欠陥も拙い美学である。
 魯山人の器にしても、書にしても、會津八一の和歌の書にしても、
仏教の拙なる禅哲学の美学を感じさせる。
 良寛も沢山の漢詩を和歌に詠い、漢詩を日本文化にとりいれた。

 やまとうたには、仏教、禅、哲学まで包み込む魅力がある。


 古人はみな詠ったやまとうた
「やまとひと よみがえれみな いまからは
                 やよいはるかに なわめのときに」太聖


 縄文土器も、縄文時代も、名前の呼び方が、私は好きでない。漢字よみ、
中国よみだからである。私はあえて、なわめ縄目の時と呼びたい。太聖









 




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魯山人の職人が焼いた陶器を、かまくら山焼きの陶器をご覧下さい。絵葉書も










 

 古今和歌集の巻頭の在原元方の和歌を

  年内立春の年に光悦が認める
「年乃のうち尓 春ハき尓介利 ひとゝ勢を 
                     こぞとやいハ無 ことしとや者む」 光悦書

  年内立春  富士山いなか湯沢庵にて
「豆まきを 庭にむかえる 鳥と犬 さる年のうちに 春をむかえん」
                                    太聖 2/3 陰暦12/25

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 歌集 今古今集「鶯」、目録

 週刊新聞「鶯」

 けふ乃一句  一首   ”やまとうた”今古今集

 記述日 2005/11/28



       

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