| 2月12日 (月) |
沈滞の内側 |
創作、沈滞。書きたいことは待機しているのだが、文章のつらなりをあれこれ吟味、手直ししているうちに時間ばかりが過ぎていく。頭がふらふらしてくる。いつものことながら、これがしんどく、これがおもしろい。 時間の感覚がはっきりと消えていく。 |
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| 2月11日 (日) |
創作の沼から |
| 終日、創作と書見。街が静かだと思ったら、そうか連休中日の日曜日だったのか。創作の沼から目をだし、小さな欠伸をしてまた潜る。紀元節。天照。髪も髭もぼうぼうなり。 |
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| 2月10日 (土) |
金塊と人魂 |
終日、セルフ自宅軟禁。『金塊巻』の古本を読む。先般、56歳で亡くなった渡辺和博さんの出世作となったこの本は、23年前に刊行された。当時、すぐに読んだ記憶がある。横文字職業を中心にいくつかの職種をとりあげ、その中での成否を、収入という視座で二分して見せるという内容だった。20年あまりの時間を経て再読してみると、現在の原形がそこにあるような気がした。そもそも、金持ちと貧乏で区分する手法が、昨今の勝ち組と負け組の対比の雛形となっている。バブル前、80年代の前半に「ミライの金型」はできあがっていたのだな。しかも、そこにはその後の社会学ブームの気配が充満している。 そんなことを考えながら、昨日亡くなった、かつての編集協力スタッフの方とのやりとりを何度も思い出した。3年間のガン闘病の末に50歳で逝った彼は、自信家で仕事に厳しく、論理的だが情動を隠しきれない、信頼のおける方だった。88年から93年の夏まで、間断なく仕事をし、いろいろ教えてもらい、議論もよくした。思えば晩年、彼は愛犬との海外旅行をとても楽しみに何度も実践し、そのことを何冊かの本にもまとめた。本棚を探せば、きっと彼の本が出てくるにちがいない。それらの本の話をするとき、彼は昔ほどには自信を放たず、論理を口にせず、終始、満面に笑みをたたえていた。その顔は、髭を伸ばしはじめてはみても、キューピーを連想させる童顔だった。そう、彼はちょっと老けたキューピーに似ていたのだ。
狂い冬 須弥山見えぬ 青い空 |
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| 2月9日 (金) |
なんだか懐しい夜 |
| 夕方まで創作。18時、「あら喜」へ行き、いしいしんじ、石井孝典兄弟と合流して生ビールで乾杯。3月に刊行されるいしいの新作、『みずうみ』の話をきっかけに小説についていろいろ語り、特に綿谷りささんの近作についてそれぞれの考えを語りあう。旬の魚を肴に3時間あまりを過ごし、予定通り、タクシーにて六本木へ移動。芋洗坂下にある「TRAUMARIS」なる店で、アート関連の編集やライターをやられている住吉智恵さんをいしいから紹介される。間もなく「文藝」編集部のO形さんが合流するも、多忙な彼は途中でまた社に戻る。その後は他の客とともにうだうだ飲んで話し、2時半、散会。孝典といっしょにタクシーに乗って帰宅し、軽く吐いて昏倒睡。 |
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| 2月8日 (木) |
一人芝居 |
食事をとると、どうも刺激がほしくなる。 本日も軽い昼食をとってソファに寝転び、BS2で『フリスコ・キッド』(ロバート・アルドリッチ監督 1979年)を観てしまう。1850年のアメリカを舞台にしたロード・ムーヴィーで、ユダヤ教のラビと強盗との珍道中を描いたコメディだ。ラビ役のジーン・ワイルダーの滑稽ぶりに、強盗役の若かりしハリソン・フォードが颯爽とからみ、フィラデルフィアからサンフランシスコまで何だかんだと事件が起きてあきさせない。人も何人か死ぬのだが、全体としてほんわかした牧歌的なトーンで統一されている。特別な感慨も浮かばないかわりに、後味はいい作品だった。 その後は創作。会話のやりとりを調整するため、猫を相手に口にだしてみる。数秒間目をあわせた後、2匹ともあくびをかまして部屋から出ていった。 「いつ」 「なにが」 「だから、いつからああなったの」 「さっき本人も言ってたけど、二十歳のころにはもう店に出てたらしいからな」 ………………………、 ……。 夜中まで一人芝居。 |
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| 2月7日 (水) |
精力は創作へ |
昼食後、昨日買った古今亭志ん生のベスト集を取り出し、十八番の『火焔太鼓』を聴いてみる。冒頭はひどいノイズ(なんせ昭和31年8月の録音)で慌てたが、4、5分もすると安定し、その後はつい引きこまれて聴きいった。自在な間、語り、ちょっとした音の高低で人物を使い分ける声色は、何度聴いてもほれぼれする。ついでに『大工調べ』と『天狗裁き』も聴き、収録されている当時の観客の笑い声に、そっと嫉妬する。落語は1人芝居でもあるから、やはりライブで味わい、一過性の芸を全身で浴びるにかぎる。半世紀前、志ん生の芸に腹をかかえて笑った人々の声が同録されている点も、このベスト集の魅力である。 夜、編集者Aさんに誘われ、二の橋の「草の家」まで出かけて焼肉を喰らう。風邪をひいてしまったAさんが早く回復するよう、肉や野菜だけでなくにんにくの醤油漬けやレバー刺し(にんにく生姜味)なども注文。とにかく精力の充填を目的にがんがん食べるうちに、こちらはマッコリまで飲んでしまい、いい気分。店を出てタクシーに乗りこむAさんを見送り、急増した精力の使い道に戸惑いながら、冷たい風が吹きだした道を歩いて帰る。 みなさまも暖冬の合間の冷気と、ウィルスを元気にする乾燥にご注意され、どうか風邪などめさぬようご留意ください。 |
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| 2月6日 (火) |
昼間に、たまに出かければ |
13時過ぎ、JRで有楽町まで行き、マリオンの14階にある朝日談話室で「週刊朝日」の取材を受ける。同誌は今月で創刊85周年を迎えたのだが、過去の連載や企画について語ってくれとのことだった。週刊誌で書評をはじめたのは同誌で、丸谷才一さんらが中心となって日本の書評スタイルを模索した。資料を読むと、彼はイギリスのブックレヴューを手本としたらしい。書評以外にも、同誌から出たおもしろい企画はたくさんあり、あらためて85年という時間の豊穣を思う。 後半は、これからの同誌についてあれこれ話した。いつしか編集会議のような内容になってしまい、リニューアルやヒット企画に対する持論をぶってしまった。やれやれ、企画病は治らない。 終了後、大好きな伊東屋へ行き、必要もないのにノート4冊、メモパッド3冊、カード4枚買って映画でも観ようかとシネスイッチ銀座まで行ってみるが、時間があわず断念。そこで山野楽器に入り、『五代目古今亭志ん生落語ベスト集』を購入。CD11枚にライブ録音で傑作を集めただけでなく、装幀、装画(高木克平さん)が素晴らしい。くわえて、志ん生ー金馬のリレー落語「三軒長屋」が特典としてついている。歓喜。ついでに、昇太のインタビューを載せた「東京かわら版」2月号も買って帰路につく。 田町駅からは歩き、三の橋の「さくら苑」に寄るとK原さんがいて、コーヒーを飲みながら風俗営業法の取り締まりに関する裏話を聞く。そのうちに17時半になり、K原さんと別れて二軒隣の「あら喜」へ。まずは生ビールで季節はずれの暑気をふり払い、不二才のロックにかえて、空豆、焼き筍、初ガツオの刺身、飯蛸煮などを喰らう。話題はもっぱら東京大戦争。T夫くんの娘Karenが通学する小学校が麻布(旧テレ朝近く)にあり、昨日の下校から登下校が親同伴になったらしい。まだまだドンパチはつづくだろう。そんな物騒な予想に同意して帰宅。ダメな人になって夜を過ごす。 |
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| 2月5日 (月) |
血管の中でガラス片が動きまわる |
小説が動きはじめ、創作に没入する。つい食事はレトルト物に頼ってしまい、ほとんどの時間を机の前ですごす。それ以外は資料や刺激となる書物を読む。とはいえ、進んだのは5枚強。総数でまだ15枚。植物への水やりと猫の世話だけは怠らないよう心がけ、それらの行動を気分転換としている。茂木健一郎さん的にいえば、時間の「句読点」か。 ところで、ここ最近に知った比喩の中で、その実感がもっともこちらに届いたのは、「全身の血管の中でガラス片が動きまわるような痛み」だった。大杉君枝アナウンサーの自殺をきっかけにテレビでも紹介されるようになった線維筋痛症の症状を、現在も闘病生活を送っている方が表現したものだ。聞いた瞬間、両腕の肩から肘にかけての筋肉が冷え、膝の周囲がチリチリと痛みを覚えた。情けないことに、症状に対して同情する前にその比喩の見事さに唸ってしまったが、同病の辛さは衝撃的に伝わってきた。患者数は、国内に約142万人いるガン患者を上回る200万人にのぼるらしい。これを機に専門医の育成がどっと進むことを期待したい。 |
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| 2月4日 (日) |
賀春 |
立春。新年。 20時まで創作。『風林火山』を観ながら鯛鍋で夕食をとる。鯛と昆布がからまった出汁が豆腐や野菜にしみわたり、ドラマが終わっても食べ続ける。うっすらと汗をかいて完食し、その後は明後日のインタビュー用の資料を読む。大宅文庫の資料をコピーしたもの数十枚。夜半まで熟読し、今度は『真鶴』を読みながらウータと抱擁睡。 |
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| 2月3日 (土) |
恵方巻き |
| 終日、セルフ自宅軟禁。書見。夜、北北西を向いて恵方巻き一気食いに挑むも、3分の1で断念。うまい商法である。つくづく。 |
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| 2月2日 (金) |
いつもながら談春の声よ |
18時まで創作。それから髭を剃り、コートを羽織って外出。昨日同様、地下鉄に乗って東銀座まで行き、駅から歩いて銀座ブロッサムへ。立川談春独演会。開演前、日経BPのM橋さんと顔をあわせ、談笑。M橋さんは、年明け早々から志の輔をはじめ、精力的に落語会へ行っている。私は彼の落語に対する批評眼を信頼していて、談春を聴きはじめたのも彼に誘われてのことだった。 19時過ぎ、談春登場。銀座ブロッサム(中央会館)にまつわる談志がらみの苦い思い出をまくらに、「宮戸川」。座ったまま二席目へ移り、そのまんま東の宮崎県知事選ネタをきっかけに自身に舞い込んだ渋谷区長選への誘いをまくらにし、「短命」。中入り後は40分余りをかけて古典の大物、「たちきり」(上方では「たちぎれ」)をしっとりと演じた談春。まくらを唯一の伏線とし、長い語りの後、鮮やかにおとしてみせた。いつも書いてしまうが、この人の地声の良さは、啖呵をきる職人と、ちょっと年季がはいった女を演じさせると際立って鼓膜に響き、その所作とあいまって引きずり込まれる。つまり、彼はいい噺家であると同時に、いい役者でもあるのだ。 ひさしぶりに冷えた街に出て、焼肉を喰らい、芋焼酎を呷る。 |
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| 2月1日 (木) |
2月に忠臣蔵 |
地下鉄に乗って東銀座まで行き、11時前に歌舞伎座の二階席へ。二月大歌舞伎の初日。演目は『仮名手本忠臣蔵』である。 人形による口上で幕が開き、人形浄瑠璃(仮名手本忠臣蔵はもともと人形浄瑠璃なのだ)の動きを残す、とても儀式的な「大序」が演じられる。ここで昼食休憩が入り、12時半、三段目から再開。赤穂事件の最初のヤマ場、松の間刃傷の場面となり、中村富十郎と尾上菊五郎が互いに熱演。富十郎、特に見事。そのまま四段目に移り、いよいよ殿切腹の場面。特に見るべきものはないが、美術と照明の完成度には何度もうなってしまう。隙も無駄もなく、展開の多い舞台を滑らかに運んでいき、役者の動きをつつみこんでいた。それもこれも、同作が江戸時代(初演、1748年)から演じられ、この国最多の上演回数をこなしてきたからなのだと推察する。試行錯誤の果ての完成度に感心しながら早野勘平(中村梅玉)とお軽(中村時蔵)の清元連中を眺め、16時、歌舞伎座を後にする。 ところで、今月の『仮名手本忠臣蔵』は、昨年末に亡くなった永山武臣・元松竹会長の追悼公演となっている。戦後、歌舞伎の復興を願った松竹創業者・大谷竹次郎氏の下で歌舞伎のイロハを学んだ彼にとって、GHQの弾圧から解放されて上演を実現した『仮名手本忠臣蔵』は、おそらく歌舞伎の中の歌舞伎であっただろう。また、彼が自らチケットを買って母親に贈り、ともに観劇したのも『仮名手本忠臣蔵』だった。その時、永山武臣は12歳だった。 |
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| 1月31日 (水) |
13月 |
| 18時半まで創作。5枚。終了後、入浴。21時に家を出て外食し、ノートとファイル、コミックと新書を一冊づつ買って帰宅。例年のことながら、1月は前年の12月よりも駆け足で去っていく。13月。 |
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| 1月30日 (火) |
噺のネットワーク |
伊勢の各神宮の資料や熊野の神話に関する書籍を読む。面白い。知らなかったことを知る興奮もあるが、それよりも、そこにある噺のネットワークの広がりと絡み具合の見事さに感心してしまう。大和と伊勢と熊野という土地の相関関係だけでなく、そこに秦の始皇帝の不老不死願望も影をおとし、艶女も舞い、果ては弁慶や義経も登場してきてあきない。少ない情報が人の想像力によってつながり、大きな創作物として物語られ、半ば史実として信じられ語り継がれている面白さ。よろしいいな。 これらの逸話や歴史や偽史は、現在書いている作品には登場しない。取り上げるとしてもほんの一部にすぎない。資料とはそんなものだが、こうして感じ入った古人の世界観や審美感がこちらの意識に沈みこむのが大事なのだと思う。心の地層を重ねる。そのことが新たな種子を抱えこむ土壌づくりにつながるのだろう。芽が出るか、花が咲くかはまた別の問題だが、心が、つまり脳が多層化拡大化することは、それだけで充分に生きている喜びでもある。 |
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| 1月29日 (月) |
冬の一日 |
伊勢行の疲れが身体の芯に残り、ちょっとぼおっとしたまま午前中を過ごす。午後、タクシーで目黒の大円寺へ出かけ、亀谷の墓前に。腰をおろし、冬の陽射しを浴びた墓石を見上げて手をあわせる。妙な云い方だが、とてもいい時間に浸り、浸り、浸る。その後、不動尊に拝礼し、目黒駅から地下鉄に乗って白金台に移動し、都ホテルで編集者のM橋さんと初めての顔をあわせ。3月末からはじめる連載の打ち合わせをし、それから雑誌や音楽についていろいろ話す。気持ちよく話をさせてもらい、彼と別れると歩いて日吉坂を下り、白金高輪のコーエーと文具屋に寄って帰宅。荷物を置き、服を着替えてまた外出し、田町駅からJRで新橋へ。銀座6丁目の「よしだ」で河村と待ちあわせ、2人で亀谷を偲びながら酒を飲み、湯豆腐などを食す。腹が膨れたところでみゆき館に引っ越した「D・ハートマン」へ移り、M田店長とあらためてグラスを重ね、いろいろ話し、24時過ぎ、帰路につく。 8年が、過ぎた。 |
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| 1月28日 (日) |
お伊勢参り(後編) |
6時過ぎに起床し、夫婦岩の先から上がる日の出を拝もうと二見興玉神社へ向かうも、あいにく水平線に雲がはりつき、来光ならず。仕方なく、朱印をいただいて旅館に戻り、朝食をとる。あっさりした分だけ、夕食とは違ってすべていただく。チェックアウト後、タクシーで伊勢市駅へ。車中、運転手といろいろ話す。 1月はもとより初詣の参拝客が多いうえに、今年は選挙の年とあって、立候補予定者の後援団体がこぞって参拝しているらしく、例年にもして街は混雑している。そんな話の後、彼は以前やっていた真珠の外商について詳しく語り、真珠人気の翳りを嘆いてみせた。 タクシーを降りて帰路の切符を買ってから月夜見宮まで歩き、昇ってきた朝の陽光と木々の香りを浴びながら参拝。清々しい気分になってまた歩き、参道の端にある「ボンヴィヴァン」でコーヒーを飲み、駅に戻る途中、「せきや」で土産を購入。これですべての予定を終え、11:54発の近鉄特急で名古屋へ。名古屋の駅前で正月と同じく「弁慶」の櫃ぶしを喰らい、生ビールを飲んで帰京の人となる。 帰宅後は、ぼろ雑巾のようになってどうにか夕食をとり、にょれにょれの体で成仏。予想外のいい旅であった。 |
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| 1月27日 (土) |
お伊勢参り(中編) |
ホテルをチェックアウト後、一階のパン屋さんで朝食を取り、近鉄電車に乗って隣の宇治山田駅に移動し、臨時バスで内宮へ向かう。宇治橋前に降り立つと、駐車場はすでに大型の観光バスで満車状態。内宮は右側通行、のルールにしたがい、団体客とは少し違うコース(とにかく右端、右端の道)を歩いて前進し、天照大御神を祀る御正宮前の階段で足留めをくらいながらも、十分待って拝礼をすませる。それから古殿地に参ると、それまで雲に隠れていた太陽が真正面の天上から射してきて陽光に包まれる。鳥肌がたつ。何もない玉砂利の空き地を拝むわたしの後ろを次々と人々が通り過ぎていくも、長い時間、その場に立ちつくす。来てよかった、と素直に思う。仮説への確信が一気に喉元までせりあがり、大声を出したい気分に襲われたがどうにか自制して荒祭宮へと移動し、巨木の精を頭から浴びて歩く。最後に朱印帖と神札を購入し、宇治橋を渡って俗世に戻る。 これぞまさに俗世の象徴ともいうべき「おはらい町」を歩き、赤福本店近くでサザエの壷焼を喰らい、それから「海老丸」でさんま寿司セットを注文して昼食。食後ぷらぷらしながらつい「伊勢萬内宮前酒造場」へ誘われて入り、「おかげさま」の生しぼりと「老緑」を半合づついただく。どちらも美味く、あてまで注文してまた飲む。ほろ酔いになって「おはらい町」を抜け、今度は芸能の神様である猿田彦神社へ。朱印をいただき、境内にある佐瑠女神社の芸能のお守りを購入して国道23号を歩き、足裏に痛みを覚えながら月讀宮、倭姫宮と別宮を順に参拝し、ここまで歩いたのだからとそのまま宇治山田駅まで徒歩で帰る。全部で6キロ弱の行程だった。駅舎内でしばし休憩し、さあと立ち上がってタクシー乗り場へ行くと、乗った車には前日と同じ運転手が待っていた。互いにこの偶然にひきつり、感謝し、笑ってしまう。しかも、目的地は前日とおなじ二見浦。いやはや。 当日予約した旅館の浴場で腫れた足裏をもみなだめ、さっぱりして夕食。旅館にありがちな卓一面の料理が並ぶも、美味いものは一品もなくげんなり。ビールを飲んで酢のもので気分をなだめ、早々に布団にもぐりこむ。 |
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| 1月26日 (金) |
お伊勢参り(前編) |
朝に家を出て伊勢へ向かう。 13時半前に伊勢市駅前に立ち、薄曇りの空を気にしながら外宮へ向かう。火除橋を渡るころから日が射しはじめ、一の鳥居、二の鳥居をくぐるにつけ、巨木の合間から射す日が強くなる。それにつけ木々の放つ香りも強まり、初春の涼気に全身が包まれる。外宮は左側通行、のルールにしたがって歩き、風、多賀、土といった各宮を参拝してから御正宮の前に立つ。豊受大御神にお参りし、この旅の目的でもある古殿地にも拝礼。写真を撮り、しばらく呆然としながらも自分の着眼点の是非について吟味する。ほのかな陶酔。緊張。 ご朱印をいただいて外宮を後にし、参道脇にある「磯部屋」で伊勢うどんを食べ、それから歩いてホテルに向かう。チェックインしてしばし休憩後、タクシーを呼んでもらって二見浦へ。二見興玉神社前で車を待たせ、天の岩屋の前まで歩く。いろいろ考える。思う、ではなく、想う。想うままタクシーに戻り、ニキビ跡が顔面を覆う誠実そうな運転手にいろいろ話を聞きながら駅前の繁華街をめざし、彼が勧めてくれた伊勢牛の名店「若柳」前で降りる。案内された個室の座敷で、伊勢牛の網焼きをいただく。ヒレもさることながら、ロースが絶品。思わず顔がほころび、酒を呷り、ついにはアホになる。伊勢牛の刺身をいただくにいたってはもう溶解し、降りだした小雨の中をたらたらと歩き、子どものころうんざりするほど耳にした赤福餅のCMソング(伊、勢〜〜の名物、赤福餅はええじゃないか)を何回も復唱しながらホテルへ帰る。久しぶりに完璧な昏倒睡。 |
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| 1月25日 (木) |
井川のマネジャー |
夜、テレビをつけたら、ヤンキースに移籍した井川選手が将棋の親善大使に任命されたというニュースをやっていた。その内容にはまったく興味はなかったが、あいつが映っているのでは、とモニターに注目すると……、いた。 Y尋が、また、井川の背後に映り込んでいた。 井川の記者会見がニュースになるたびに、その近くに映っているY尋。背が高く、甘いマスクで人なつっこい笑顔をふりまくY尋。彼は就職ジャーナル編集長時代のメンバーの1人で、リクルートのアメフト部でも活躍し、日本一も経験している。その彼が、今では井川のマネジメントを担当しているのだから、つくづく「仕事の選択」とは面白いものだと思う。井川選手が我が松井秀喜と同じチームで仕事をする以上、彼が最大限の活躍ができるようY尋にも奮闘を願うばかりだ。まずは、将棋の普及などどうでもいいから、そんな時間があったら対戦相手の研究に集中するようアドバイスしてほしい。切に願う。 |
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| 1月24日 (水) |
源 |
面白い。 この言葉の語源を知ってあらためて思うのは、日本の神話(『古事記』と『日本書紀』)の重要性とそれらが漢字で書かれていたという事実の意味だ。神話としての国の成り立ち、神の誕生をつづる漢字は表意文字だから、実は、それらを読み進めていけば、自ずと、現在わたしたちが使っている言葉の原形をそこに発見する。つまり、その源を知ることになる。たとえば、「面白い」は天の岩戸神話に基づいている。天照大御神が引きこもっていた岩戸から外をのぞいた時に見た、岩戸を囲みながら自分の出現を待ち焦がれていた神々の表情の変化(久しぶりに陽光を浴びて白く輝いた顔、顔、顔……)が、語源である。言い換えれば、表情にぱっと明るい変化をもたらすものが、「面白い」となる。 漢字で書かれた神話は、母語の大地だ。 同時に母語の呪縛もふりかかる。人は言葉で考えるから、母語はどこまでもわたしたちにつきまとう。だから、せめて付きあい方を楽しみたいと思う。 なお、漢字そのものについて探求したければ、ぜひ、白川静大先生の著作にあたってみてください。わたちたちがいかに中国文化圏の住人であるか、まさに面白いほどに理解できます。 |
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| 1月23日 (火) |
夜明け前 |
3時起床。5時過ぎまで書見。その後、創作ノートを書き続ける。朝食をとるまでに全体図面がぼんやりと見え、ざわざわと高揚感を覚える。食後、必要な資料を注文し、あらためて書見。途中、某プロダクションに電話を入れ、打ち合わせの日程などを確かめる。 夜、久しぶりに「あらき」へ。K原さんの隣で白子、ナマコ酢、新玉葱焼き、北寄貝の刺身を喰らい、神亀の熱燗を二合飲む。筑紫さんが都知事選に出馬したらいいのに、とか、四国八十八ヶ所巡り周辺のゴミ問題はどうなっているのか、などと市井にふさわしい話題で歓談してから帰る。ほどよく酒が身体を巡り、ぽかぽか睡。 |
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| 1月22日 (月) |
ロープの中のミライ |
5時半、起床。ちょっと早すぎだとは思ったが、目が覚めてしまったのだから仕方ないと、ミニクロワッサンをパクつきながら「新潮」1月号に掲載された『ロープ』の戯曲を読む。惚れ惚れ。朝食後は、買ったまま2年以上も棚の奥に放置していた『アカルイミライ』(監督・黒沢清)のDVDを観る。よくできているが、『ロープ』の余韻の方がその内容を上まわっていた。ただし、間もなく公開される黒沢監督の新作は観ておこうと思う。 昼を過ぎるとさすがに眠くなり、川上弘美さんの『真鶴』を読みながら昼寝に突入する。夕方、起床。納豆で一膳飯を食い、編集者と電話。関西テレビのねつ造事件や連載タイトルの付け方など、思いつくままに話す。夜は、こざっぱりした寿司弁当を喰らい、野田秀樹さんの『20世紀最後の戯曲集』(新潮社)を少しだけ読んで早々睡。 |
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| 1月21日 (日) |
放屁が脱糞 |
| 終日、セルフ自宅軟禁。お腹がゆるゆるで、放屁が脱糞になりかねない。生活のリズムのずれが身体に出ているのではと反省し、早速の早寝。 |
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| 1月20日 (土) |
野田ロープ |
『他人の時間』を読んだある若い編集者が、「(同作と)通底するテーマを抱え、かつベトナム戦争も題材にした演劇がある」と話してくれたのは、昨年末だった。野田秀樹の新作、『ロープ』がそれだと言う。「チケットはもう完売したけど、もし追加が出たらぜひ観てほしい」と勧められた。そして後日、その編集者は追加に出たチケットまで入手してくれた。 こうして本日、シアター・コクーンで『ロープ』を観てきた。舞台には最初から最後までプロレス用のリングがすえられ、その内外、あるいは下で芝居がつづく。 最後の場面を見届け、そこに重なるようにビートルズの音楽が流れた途端、「素晴らしい」と声をもらした。編集者に指摘されたテーマの親和性もさることながら、野田が放つ台詞がことごとく詩になっていることに感激したのだ。それらの詩が有効に連なり、作者の怒りと祈りを爆発させていた。構成も考え抜かれていて、様々な伏線はコミカルに絡みあいながら後半にきて1本の太い導火線となり、宮沢りえ演じるコロボックル、タマシイの生いたちが判明するとき、爆発する。そこではベトナムの悲劇が再現され、「人間を死体に変えることのできる能力」である「力」がこれでもかと発揮された事実が蘇る。一方には、そんな状況を伝えるテレビカメラの存在。その報道を求めるのは「ユダヤ人の社長」らしい。彼は最後まで姿を見せないが、視聴率をちらつかせながら一層の過激を求めてやまない。そのために、ロープの中では人間の狂気の所業が次々と演じられるのだ。八百長? 惰性? 麻痺? 熱狂? 暇潰し? 「ユダヤ人の社長」とは、わたしたちのことだろう。油断すればすぐに「熱狂できる刺激」を求めるわたしちは、「力」をロープの外側から眺めて興奮し、感想を語り、ときに同情までしてみせる。わたし、ではなくて、わたしたち。 観劇後、近くのベトナム料理店で大いに飲み、腹が膨らむまで彼の地の料理を喰らった。「わたしたち」に同化しないためには、と、ずっと考えていた。 |
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| 1月19日 (金) |
歌舞伎を私企業が支えている不思議 |
終日、「中央公論」の連載原稿を書く。食事休憩、下痢気味による便座安静、ウータとの夕暮れ睡眠などをはさみながら8時間余り机に向かい、どうにか7枚強を書きあげる。もっとスムーズに、たとえば1時間に2枚ペースで書けないものか、といつもながら思う。 今回(来月号)は、松竹の会長だった永山武臣さんの『歌舞伎五十年』(日本経済新聞社)を取りあげた。歌舞伎を仕掛ける側、つまり興行主サイドから見た戦後の歌舞伎史がよくわかる一冊で、日本文化の代名詞でもある「カブキ」が、一私企業である松竹によって維持運営されている事実について考える内容となった。面白かった。それだけに集中が増し、疲れた。 |
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| 1月18日 (木) |
5個の地球 |
経済成長が著しい中国とインドの国民が、日本を含む先進国と同じレベルの消費生活を送るようになった場合、いったい地球はどうなるか? これに似た問いは、90年代にはいった頃から議論の対象となってきた。それらはおしなべてエネルギーや環境の問題を憂う視座に立ち、両国、あるいは中国の繁栄は由々しき状況を地球に生み出すものでしかないと嘆いてきた。しかし、21世紀、両国は実際に経済大国の道筋をずんずんと歩いている。問いはすでに現実の問題としてあり、世界は彼らの動向を無視しては政治も経済も環境も議論できない状況を迎えている。数値を駆使した近未来予測も、両国の経済発展を前提としなければ意味がなく、その結果、冒頭の問いへの明快な回答が出てきた。
地球が5個必要。
どうですか。明快でしょ。わたしたちがどんな状況下で生きているか、よくわかるでしょう。リンダ困っちゃう、といったレベルではもうないのです。地球1個ですむ話ではないのです。われわれを含む先進国の消費活動を支えるために必要な資源をベースにした数値予測なのですが、現状でも、実は許容レベルを超えて(つまり地球1個分の許容消費を上回って)われわれは日常生活を送っているのです。換言すれば、借金を重ねて贅沢をしているような生活です。まるで日本の国家予算のようです。無理を超えて、無駄をしている。そんなところでしょうか。とはいえ、中国やインドの人々に、「こういう生活はやめておきなさい」と命令する権限は、わたしたちにはありません。 中国とインドには23、24億の人民がいます。だから、地球が5個必要なのです。……、ね、なんだか笑っちゃうでしょ。世界中で盗まれた銅線が中国に集まるのは当然です。ガソリンが高騰するのは必然です。資源王国ロシアが強気なのは仕方がないのです。 理想と現実のズレ幅は、おそらくわたしたちが抱いている感覚値よりも何百倍もあるのでしょう。2050年には、地球の人口は今より30億増加して90億人になります。時には、具体的な数値で現状と近未来を考えてみなければ、と思います。きっと、こうしてネットを使って暮らしていること自体、地球が2個あることを前提とした生活なのかもしれません。わたしたちは無理を超えて、無駄な暮らしをしているのです。日本国内における貧富の格差なんて、小さいコップの中でのこざかしい芝居のようにさえ感じます。 中国とインドはきょうも元気です。アメリカは覇権を譲る気など毛頭もありません。ロシアは捲土重来を狙っています。EUは地味ながら堅調です。日本はふらふらながら脱亜入欧をつづけています。 わたしたちは地球が5個必要な地球の人間です。地球は残念ながら1個ですから、きっと今世紀後半あたりで滅びるんでしょうね。そんな諦念をしっかと抱いて生きてまいりましょう。 |
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| 1月17日 (水) |
自転は偉い |
分別ゴミをマンション内の集積場にもっていった以外は、家から出ない。それでも食事と創作の前後には、テレビやネットや新聞や週刊誌でニュースを見たり、眺めたり、聞いたりするから、大まかな社会の出来事は知っている。だが、はてご近所はどうか、となると何も知らない。歩道の街路樹がどうなったか、三の橋の架け替え工事の進捗はどんな具合か、魚濫坂の上の景観は改善されたか、ユダヤ料理店はきょうも閑古鳥が啼いているのか、何もしらない。2日も散歩すればこの目でしることができる近い日常を、わたしは知らない。 せめてもの救いは、例年どおり、日ごとにちりちりと日没が遅くなっていることだ。それを感じるだけで喜んでいる。地球は温暖化しても、回転は続けているらしい。自転ってのは偉いもんだ、とつくづく思う。 |
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| 1月16日 (火) |
バカの時間 |
終日、セルフ自宅軟禁。創作は遅々としているが、かすかでも前進はしている。とにかく書こうと机に向かい、呻吟し、言葉を探し、文を列ね、読み返し、呻吟し、直し、また言葉を探し、書いている。疲れると本を持ってソファに横になり、書見をはじめてうとうとし、股間に眠るウータを手本とばかりに眠ってしまう。いつもどおりだ。もう少しすれば、このサイクルだけであっという間に一日が暮れていくだろう。地味で、狭くて、不健康で、それでも当人は自身が発見した光に近づこうと必死だから、どこか愉しい。端から見れば、うっすらと狂気を感じるかもしれない異様な日々。創作の時間とはそんなもんだ。美しくも、厳かでも、ましてや麗しくもないちまちました時間の重なりの果てにしか果実はない。だが、だからといって、それが美味とは限らない。ほとんどの場合、腐っていたり模造品だったりして愕然とし、騙した相手を探して己に行きあたってうんざりする。やれやれ。こんなことをしていて何になる、と思ったりする。いっそ足を、手をあらって違う土俵へ行ってみようかとも思う。だが、しかし。そんなときまた新たな光を見てしまい、気がつけば、そちらへもう足を向けているから質が悪いのだ。 こうして、また、バカの時間に戻っていくわたし。 |
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| 1月15日 (月) |
猫を描く |
夕方、3年半ぶりにウータの絵を描く。 筆ペンを使った点描で、タイトルは『眠る猫2』。前回は黒のボールペンで右向きの寝姿を点描した。今回は、こちらに向かって横になり、左の前足で顎を支えて眠るウータの姿を描いた。紙は200字詰めのペラ原稿用紙。その裏面に夢中で描きあげ、前回と同じく、朱肉をつけたウータの肉球を紙の隅に押して完成。壁に貼ってある前作の下に並べ、しばらく眺める。 ウータが、そこに在りました。 ついに7kgを超えてしまった今のウータを抱き、腕が痺れるまでその絵に見入ってしまった。正邪の念がしばし消え、腹が減ってウータを落とした。 |
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| 1月14日 (日) |
夜の神社 |
ひょんなことから外出し、日が暮れた後、ある神社を訪ねる。神楽殿もある八幡神社で、それはそのまま、田園と林がひろがっていた時代の世田谷の丘陵をしのばせる土地の名残でもある。蝉のしたたり落ちてくるような啼き声を浴びながら樹々の隙間を見上げる夏の昼間もいいけれど、冬の夜、藍色の帳(とばり)と溶けあったような神社の杜に覆われるのも悪くないと思っている。恐怖など感じることはなく、本殿前の地面の上に立っているだけで、本人も照れるほどに清々しい感覚に包まれる。実は、この包まれる感覚を味わうために自分は神社や寺に足を運んでいるのではないか、とさえ思う。 天空でも夜空でなく、もっと近い位置にある巨木や木製の建造物や木々をすり抜けてきた光を感じることで、その時、そこにいる自分の存在の不思議にふれているのではないか。今、ここにいる私。鎮守の杜に立ち入るまでよりは静寂と同化しつつある私は、奇妙な浮遊感すら覚えつつそこにある現実に包まれる。死生観を持ち出すこともなく、ふわふわした存在として自分を感じる幸福。これは、かなりありがたい。このありがたみに感謝するためだけでも賽銭を奉じ、頭を垂れる意義がある。そう考えると、そもそも神さんに何かお願いをすることはかなりあつかましい行為のように映る。 参道を歩きながら変容していく気分を味わい、拝殿する際にはその一時の覚醒に感謝して頭を下げる。要は、その土地と、その土地が醸し出す時間に抱っこしてもらいにいくのだ。抱っこしてもらったお礼だけはちゃんとする。無論、この行程に昼夜の違いは関係ない。 神社を後にし、近くの交差点に面した中華屋さんで味噌ラーメンを食べて帰った。ビールは飲まなかった。 |
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| 1月13日 (土) |
とにかく、全員集合! |
深酒がもたらす倦怠感と頭痛に震えながらなんとか入浴して着替え、背中を丸めて「蕎麦の会」へ向かう。地下鉄に乗っている間も胸のムカムカは時おり喉までせりあがってきた。浅草で降り、しんしんと冷えこむ雷門の前を通り過ぎ、二次会の会場である「二葉」の二階の座敷へ。2年ぶりにN良さんの顔を見かけ、それだけで来てよかったと思う。年末に会えなかったいしいに酒をついでもらい、大竹伸朗さんとのトークショーにまつわる話や、そのイベントの前に訪ねた別海町の様子についていろいろ聞く。1時間余りして仕事で遅くなったA野さんが合流し、久しぶりにメンバーが全員揃う。いつのまにか、最年少のいしいが今年本厄を迎えるといった会合になってしまったが、歓談は以前とかわらず賑やかに過ぎた。それからいつものバーへ流れ、またいろいろ話し、いしいとタクシーに乗って帰った。 結局、また深酒だった。蕎麦を食べることもなかった。 身体が沈静化を求めている。 |
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| 1月12日 (金) |
起稿の手前、直後 |
午後2時過ぎ、外出から戻って雑誌を読んでいて、ぎゅっと背中を押されるような感覚を味わった。ここ3ヶ月余り、漠然よりは少し具体的に浮かんでいる次作の構想に肉感をもたせたいと考えつつ、そんな思い(意識)が吸い寄せるように集めてきた言葉や映像や気配が一瞬しゃきしゃきと連結したのかもしれない。それは決して予定していたものではなかったが、こちらに有無を云わせない明快な方向性を示していた。垂直に気持ちが高揚し、腰が浮き上がった。そのまま自然に机に向かい、原稿を書きはじめた。つまり、起稿したわけだ。自分でも不思議だったが、これまでに書いたどの作品とも文体が違っていて、でもその方法でしか書けないと確信して書き進めた。 18時に強引に切り上げ、約束していた会食の場へ向かった。頭の中には小説の場面ややりとりが渦巻いて、普通の感覚を取り戻すためにタクシーに乗って何人かに電話をかけ、短いやりとりをして正気を思い出した次第。その後、銀座で大先輩2人と飲み続け、喋りつづけ、口論もまじえてまた飲んで喋り、3時半に帰宅した。いったいどれだけ日本酒を飲んだのか、しつこい嘔吐感に耐えながらも、小説にまだ登場していない人物の顔と声がちらつき、それを歓迎しながら微笑睡。 |
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| 1月11日 (木) |
詩人の散文 |
| 前夜の酒が残り、自宅で静かに過ごす。ネットで諸々調べ、必要な資料を手配したり注文しているうちに日が暮れる。夜には体調も戻り、がっつり食事をして夜半まで本を読む。詩人の散文が身体に染み入る。言葉の選出、形容句との組み合わせが、まるでピンセットで運んできたような繊細さでなされている。前提としての語彙の幅広さも気持ちがよく、日常の所作の描写に潤いがまぶされて見える。日常が、言葉によって普遍に変身していく様を眺めているような錯覚にひたり、そんな幻影にうっとりしながら眠りに降りていく。 |
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| 1月10日 (水) |
春をついばむ |
21時半、今年最初の「あら喜」詣。みなさんに新年の挨拶をし、いつものようにカウンターの左隅に座る。T夫くん、昨晩、仕事中に風邪をひいたらしく、喉を痛めて声が出ない。沈痛な表情で黙々と料理を作る姿が辛さを伝える中、こちらはお父さんから高山土産の日本酒二種(「山車」と「鬼ごろし」の搾りたて)をいただき、お猪口でぐいぐい飲む。それから「不二才」をロックで飲みながら、牡蛎、ナマコ酢、菜の花の蟹マヨ和え、焼き筍をついばむように食し、春めいた気分にひたる。 帰宅後、即卒倒睡。 |
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| 1月9日 (火) |
映画2本と徹夜メモ |
昼食後、BSフジで映画『ゴーストワールド』(テリー・ツワイゴフ監督)を観る。主人公のファッションと言動をはじめ作品全体が抜群の時代感覚で彩られいて、それを観ているだけでも楽しめる。その上で10代後半のあのどうしようもない無力感と焦燥が見事に描かれていて心が動く。ソーラ・バーチ演じるイーニドの鬱屈と不安と混乱は、普遍の魅力をたたえながら今もこちらの胸を疼かせる。ダイニエル・クロウズの原作コミックが読もうと思う。 さらに映画が観たくなり、溝口健二監督の『雨月物語』をDVDで観る。3度目の観賞。森雅之と小沢栄演じる兄弟がもっと破滅したり、逆に出世していけば、どんな展開になったのかと想像する。発表当時の資料を読むと、監督も弟の方がどんどん出世していくシナリオを考えていたらしい。その方が予定調和的なストーリーに収斂されずに面白いものが作れたはず、と悔しがっていた。さすが溝口、と感心する。一方で、昭和20年代のモノクロの、しかも保存の悪いフィルムで時代劇を観ていると、ふと、ドキュメントを観ているような錯覚をおぼえてしまう。田中絹代も京マチ子もその時代にほんとうに生きているようで、ちょっと感覚がずれていく。これは宇宙人的視点なのではないか、とさえ思う。地球で採集した記録映像を自分の星に帰還して眺めている気分。たかだか半世紀余り前の創作物なのに。 夜中、机に向かってメモ、ノート。考えていた話と少し違う方向に行きそうだ。修正したいと思いつつも、そこに浮かんでいる話に引き寄せられていく。幾冊かの本に刺激をもらって朝までメモを続け、平出隆さんの詩の塊のような小説を読みながら8時に朦朧睡。 |
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| 1月8日 (月) |
ゲイと恐竜とほ乳類 |
| 高校サッカーの決勝戦を観てから外出し、年末年始にバンコクへ行っていた編集者と会食しながらいろいろ話を聞く。写真を見せてもらう限り、テロの後も街はにぎわっていた様子。とはいえ、それでも軍による規制があって例年よりは静かだったらしい。他にも、ここにはさすがに書けないような彼の地のゲイ界にまつわるダークサイドの話を肴に泡盛やビールを飲んで盛上がる。新年早々、面白い逸話をいくつも聞けて満足し、0時過ぎに帰宅。酒で火照った身体をソファに寝かせ、『恐竜VSほ乳類』(ダイヤモンド社)を読む。眺める。恐竜とほ乳類が共存した1億5000万年の月日を思うと、人間の想像力なんてまだまだだと感じる。サルの祖先と進化の道を別れて誕生した人類は、まだ700万年の歴史しかない。だから、……それ以上は酔いと睡魔で考えられないままウータの横で昏倒睡。 |
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| 1月7日 (日) |
噴霧器の一分 |
高校ラグビーの決勝戦を観終わってから品川まで出かけ、『武士の一分』を観る。これは、結局、笹野高史と三津五郎の映画だった。キムタクはキムタクだった。可もなく不可もなく、きっちりと演じてはいたが、映画のフレームワークとの相性はよくなかった。なお、壇れいの臀部は美しかった。山田監督もその特長をいかして撮り、彼女が醸す上品な艶気をフィルムに漂わせることにこだわっていた。つまり、ほとんどの男が手を出したくなる対象として彼女を描き、それが三津五郎演じる島田の邪念に火をつけた根拠としたのだろう。 寒風の中すぐに帰宅し、夕食後、今度はテレビで『風林火山』の初回を観る。16世紀前半の甲斐の地を舞台にし、山本勘助の活躍を描くこのドラマ。まずは、当時の諸大名の勢力関係を理解させるのに苦労することだろう。今川、北条、武田は、その後三国同盟を結ぶとはいえ、それまでは細かい戦や交渉事がいろいろあり、信長、秀吉、家康らの戦国モノほど明快ではないだけに、仕切り、つまり脚本の展開、構成力が問われるのだ。資料によれば、11話までは井上靖の原作にない話で構成するとのこと。映画『寝ずの番』の脚本家、大森寿美男がどう仕上げてくるか、楽しみだ。ただし、初回を観る限り、ちょっとあっちゃこっちゃに振れた感が否めない。あの時代に興味の薄い人は途中でチャンネルを変えたのではないか。とにかく次週までは観てみようと思う。 夜中、次作のために机に向かう。書き出しを書いて削り、書き直してまた 戻りといつもどおり悪戦苦闘。数時間の悶絶の後、疲れて原稿を眺めれば、「噴霧器」の三文字だけが残っていた。噴霧器……。いったい、この作品の一分はどこにあり、どこへ行こうとしているのか自身でも困惑してしまう。辻原登さんの短篇を一本読んで混迷睡。 |
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| 1月6日 (土) |
歌舞伎五十年 |
| 返信用の年賀状をせっせと書き、夜は次作と次々作のメモをノートに整理する。ほんとうはもう書き出したいのだが、今ひとつふんぎりがつかない。14、5枚目で冒頭からやり直す己の姿が見えるからだ。その後は『歌舞伎五十年』を読む。昨年末に亡くなった松竹の永山会長の自伝だが、歌舞伎復興の歴史が明快にわかる好著。襲名の重要性と、その興行的な価値について理解できた。また、役者への配慮が作家へのそれどころではない苦労を要することもリアルに伝わってきた。明け方、一気に読了。すとんと就寝。 |
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| 1月5日 (金) |
トムとの再会 |
トムに遭った。3年、いや4年ぶりか。 かつて一度だけカウンターをともにしてさんざん酒を飲みながら、彼の現状への不満や人生の巻き返しへの思いを聞いた。シャイな性格からか、彼は大事な話の前後に必ずギャグやシャレをはさんで冗談めかしてはいたが、語りたくて仕方のない話をする時には目が定まっていた。酒の相手としては手のかかるタイプの人間と認めながら、軽佻でまぶされた真剣を見たような気がした。 その後、トムに遭うことはなかった。願っていた音楽業界への転職がかなったと噂に聞いたことはあったが、それはよかった、と一息つくようにうなずくだけだった。そんなトムと遭遇した途端、私は彼と握手をかわし、再会と新年を祝して乾杯した。トムは相変わらずつまらないシャレを飛ばし、落ちのない話をくりかえし、時に奇声を発した。何も変わっていない自分、あるいは変わりようのない自分を誇示するかのような振る舞いに安心し、私は彼をほったらかして食事をし、ワインを飲んだ。彼の横にはカノジョがいたから、それは正しい選択だったにちがいない。そして、食事が終わったころ、彼からDVDを一枚もらった。彼が発掘し、メジャー・デビューをプロデュースするというバンドのワンナイトライブが収まっているという。 互いに酔って別れた。酔狂に生きるには、まず元気であらねばならない。生きて想っていれば、大丈夫。想うことがすべての力の源と信じている。 |
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| 1月4日 (木) |
そろそろ朝型へ |
| CS放送で『フルメタル・ジャケット』(キューブリック監督)を観てから就寝し、昼過ぎに起き出してすぐ野菜炒めで食事をすませ、また白金ブックセンターへ本を持っていく。今回は文庫版の手塚マンガも持参し、おそらく50冊以上を処分する。その後、コーエーに寄り、洗髪まわりの品々と猫砂を買って帰る。夜は牡蛎鍋を食ってから年賀状の返事を書きはじめる。こつこつと続け、住所録の訂正・加筆も併せて進め、すべて終わったときには3時になっていた。疲れた。今年最初の達成感を少しだけ味わい、月光を浴びた街へ出て投函をすませる。そろそろ朝型にもどそう、と思いつつ二度目の帰宅を果たす。 |
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| 1月3日 (水) |
「その瞬間」の集積所から |
夕方になって外出し、春日神社へ初詣。それから日が暮れた田町の駅前へ移り、昨年も正月に訪ねたふぐ店へ。軽くのつもりがきっちりコース料理を喰らい、ビールと黒龍を飲んで腹一杯になる。腹減らしに歩いて帰り、また本の整理。それにしてもどうしてこうも本が溜まってしまうのか。 書棚から溢れ出した書籍は優に1000冊は超えている。読んだ本も、これからすぐにでも読みたい本も、タイトルも作者名も覚えのない本もそこにはあるが、それらはとにかく、一度はこちらの興味を引いたものだったはず。おそらく興味・関心の強度は、こうして時間を経たときに判然とするものなのだ。過去の「その瞬間」にはこちらを捉えた何かが、それらの書籍にはあった。 「その瞬間」の残骸のような自室に座り込み、途方に暮れながらも、どこかでほのかな良い気分に浸っている。知らないうちに過去でできた薄い雲にでも乗っているのだろう。 凝縮されたノスタルジーの空間で、今年も新らしい小説を書きにいく。 |
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| 1月2日 (火) |
日常はトイレ掃除ではじまった |
9時過ぎに起き、10cm四方大の餅が2個入った雑煮と格闘。この元旦で5人の方々が餅を喉につまらせて亡くなったらしいが、誰だってその餅を口にするまでは、自分が窒息死するなどとは考えてなかっただろう。そんなことを考えながら慎重に細かく噛み刻んで食べる。 昼過ぎ、多治見駅まで車で送ってもらい、中央本線で名古屋へ向かう。すでにUターンが始まっているらしく、のぞみの切符が満席で、16時まで時間が余ってしまい、駅前の松坂屋にある「弁慶」でビールと板わさを頼み、最後にひつまぶしを食す。満腹に寝不足も重なり、のぞみに乗りこんだ直後から熟睡。目を開けたら小田原を通過中だった。 帰宅するとウータ狂乱。寂しかった2日間の思いをぶつけるように啼きつづけ、ごろにゃんの連続技を披露。さらには、トイレ掃除をしている横で脱糞のデモンストレーションをしてみせる。オランは放尿で応対し、こちらはまた掃除。いきなり日常の絵の中に入りこんだ気分になり、今年もこいつらと暮らしていくのだ、と覚悟する。平穏。 |
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| 1月1日 (月) |
ああ濃尾平野 |
7時過ぎ、カーテンを開けて初日の出を仰ぐ。テレビのニュースと中日新聞でバンコクの同時多発テロを知り、彼の地で休暇をとっている知り合いの編集者やゲイバーのマスターの安否を憂う。その後、あらためて両親に挨拶をし、母が作った雑煮をいただいて布団にもぐりこむ。14時過ぎに起きだし、前夜の残り物で昼食をとり、ぱっぱと着替えて実家を後にする。 名古屋駅から初めて高山本線に乗り換える。車中から稲葉山城や犬山城を遠望し、ついつい「信長の野望」を想ってしまう。濃尾平野はそのまま戦国史の遺跡公園でもあるのだ。斉藤道三、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの英傑を偲びつつ親類宅を訪ね、連夜のすき焼き。飛騨牛をいただき、それから知人宅へ移動して酒宴。手酌で日本酒を飲み続け、酩酊する前にお暇して戻る。一度寝て2時に起きだし、NHKアーカイブス「あの人に会いたい」を最後まで観る。大村はま(国語教師)さんと徳川夢声さんに強い尊敬の念をおぼえ、すごすごと二度寝へ。これまた連夜の布団睡で、上下の毛布のに包まれながら薄夢睡。
みなさん、今年もどうかよろしくお願いいたします。過去の上にある「今、このとき」を、「今、このとき」に生きている自身の感覚で受け入れ、次の「今、このとき」とまた鮮やかに向き合っていきましょう。 |
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| 12月31日 (日) |
凡々、淡々と年を越す |
前日に引き続き書籍と雑誌類の処分と整理を15時までやり、捨てるものは捨てて外出。品川からのぞみに乗り、名古屋で在来線に乗り換えて実家へ帰る。準備万端の母にうながされ、炬燵の前に座るやいなやすき焼きを食べはじめる。刺身も海老フライも膾(なます)も同じ食卓にならび、小一時間で満腹になって珍しく紅白歌合戦を眺める。演歌歌手についていろいろ考えるが、積極的には興味をもっていないので何も残らない。 22時、「KABIRA」へ出かけ、カウンターの先にあるテレビモニターで格闘技の試合を観ながら芋焼酎・伊佐美のロックをぐぴぐぴ飲む。そして24時、つまり1月1日の零時、他のお客さんたちと一緒にクラッカーを鳴らして新年を迎える。あらためて生ビールを一杯頼んで飲み、店長と東京での再会を約束して実家に戻る。 このように凡々、淡々とした大晦日でありました。何より。 |
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| 12月30日 (土) |
大掃除の夜は昨日のつづき |
真面目に大掃除。とはいえ、絶対的に多すぎる本をどうするかの解決策はなく、検討の結果、廊下に奥行き17cmの棚を置くことにする。まずは昨日につづき白金ブックセンターに30冊ほどの本を持って行き、その足でケーヨーD2に向かい、サイズぴったりの棚を2本購入して戻る。いい散歩にはなったが、この段階で疲れがどっと出だし、腹もへり、ならばと「三田 長寿庵」で今年最後の鴨南せいろとビールと板わさを喰らう。帰宅後、棚を組み立てて廊下に並べたところで「あら喜」のT夫くんから電話が入り、「acalli」で待ってるとのこと。本の整理を21時で中断し、T夫くんらと合流して連夜の痛飲。最後は、昨晩で年内の営業が終わったはずの「あら喜」に下りて2時半まで飲みつづける。 馬鹿だな。バカだな。 |
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| 12月29日 (金) |
散髪しても馬鹿だな |
起きて間もなく、大掃除のようなことをやるつもりでリビングに溢れていた本や雑誌の整理を始めるも、床屋さんの営業が今日まででは、と心配になり、急遽、予約を入れた上でそちらに向かう。店、ガラガラ。しかも31日の14時ぐらいまで営業する予定と知ってがっくり。でも、おかげでさっぱりして家に戻り、袋に入った30冊ぐらいの本を持って近所の新古書店に向かう。どういう査定かはしらないが、3,400円を受け取り、替わりに恐竜時代の図鑑を買って帰る。それからも掃除と本の整理を続け(つまり、私にとっての掃除とはほとんどの場合、書籍の処分云々を意味する)、20時過ぎ、本日で年内の営業を終える「あら喜」へ。 24日に下北沢で遭遇したo野君とカウンターで合流し、最初から神亀の熱燗で飛ばす。呑む飲む、喋る、語る。相当に酔いがまわった後、2階の「acalli」へ上がり、赤ワインを注文し、また喋る。いつしかボトル1本を空けてしまい、下から迎えに来てくれたT夫くんに誘われ、盛運亭で忘年会という名目でまた飲み、もうほとんど何を食べたかは思い出せない何かを食べながら、お開き、と云われるまで喋り続け、店の前で散会。このあたりからの記憶はうっすらとしかないが、とにかく歩いて50mの自宅に戻って超酔狂睡。 馬鹿だな、 バカだな。 |
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| 12月28日 (木) |
短篇を書き終えて |
14時まで短篇の推敲。4年前に約束した作品がやっとできあがる。こんなに引っぱってしまったのはひとえにこちらの怠惰が原因なのだが、短いものを書くことは難しく、やっと書けるようになったという思いもある。横着な性格なくせに、珍しく、何本か習作も書いて技倆を磨いたりもした。 その後は鼻風邪をひいているのに洗髪をし、近所の高輪図書館へ行って港区の図書カードを作ってもらう。来年は、たまには図書館で手書きで原稿を書いてみようかと考える。学生たちに囲まれて黙するのもいい気分転換になるのではと期待する。帰途、お気に入りの「J」でジンジャエールを飲む。辛めの生姜が効いた、風邪退治にふさわしい味に喉を鳴らして店を後にし、大丸ピーコックで猫砂や長袖下着や赤と黄の千両を買って帰る。夕食後は年賀状と大掃除の準備をしながら、テレビで映画『イン・ザ・カット』を観て過ごす。ちょっとだけ年末気分にひたり、通気がよくなりつつある鼻をいじりながら平穏睡。 |
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| 12月27日 (水) |
春のような年末 |
| 窓を開けていてもあたたかい。書見と電話の応対以外には何もしないで日が暮れた。春のような年末を静かに満喫。 |
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| 12月26日 (火) |
RONINはねえよな |
夜中、テレビで映画『RONIN』(監督ジョン・フランケンハイマー)を観る。東西冷戦後に仕事を失った各国の元諜報部員が集まり、ジュラルミン製らしきケース(中身は最後まで不明)を強奪するという依頼に応える話なのだが、途中で裏切りがおきて派手な追跡劇に変わっていく。ロバート・デニーロとジャンレノは最後までよき相棒として行動し、互いの持ち味を期待どおりに演じてみせる。しかし、最大の見せ場は10分ほど続くカーチェイスなのではないかと思う。単なる追走ではなく、高速道路の逆走や街中の道なき道での暴走は、夥しい数の車や人を巻き込みながらこれでもこれでもかと続くのだ。いったい何十台の車が壊れ、何十人の人々が路肩へ散ったのか。金や手間もさることながら、よくぞ行政の許可が下りたよなあと感心してしまった。とはいえ、RONINはねえよな。冒頭で浪人の解説と、途中で忠臣蔵の四十七士に関する話が紹介されるものの、本質的に無理がある。男臭い映画を作りつづけるフランケンハイマー監督は、きっと武士が好きなのだろう。 その後は創作。短篇の初稿を書きおえ、推敲して時計を見ると、7時を過ぎていた。年末の集中は、いつもよりも疲れる。 |
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| 12月25日 (月) |
喉飴聖夜 |
| 目覚めると喉が痛い。終日、無言でセルフ自宅軟禁。川崎大師平間寺御用達ののど飴を嘗めつづけ、口臭がはっか臭くなってしまった。その息をウータとオランに吹きかけて廊下やベッドで戯れ、サンタのいないクリスマスをやり過ごす。やり過ごす。 |
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| 12月24日 (日) |
無題、あるいは幻のチュートリアル |
実は、M-1で優勝したチュートリアルについて論考した文章をここに書いた。芸好きとして真剣に書いた。かなり長い文章となったが、書き終わって間もなく、突然消えてしまった。おいって、……………あまりのショックで呆然自失。機会があればあらためて書こうとは思うけど、今はだめだ。 ………………………………………、なんでやねん! とりあえずのメリークリスマス |
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| 12月23日 (土) |
やっぱり大竹伸朗はすごい |
開催前から観にいくことを決めていたにもかかわらず、その開催期間の長さからついつい後回しにしていた大竹伸朗展、『全景』。気がつけば明日までだった。 こりゃいかん、と地下鉄を乗り継いで東京都現代美術館に向かう。 若い男女を中心とした多くの人々にまぎれ、案内係のオネエさんの指示に従って3階から観賞。地下2階までを使った厖大な数の作品数に圧倒されつつも、工夫をこらした部屋割りと展示を楽しむ。なによりその作品の中身が飽きさせない。小学生時代のものから最新作まで、具象、抽象、2次元、3次元、美術、音楽と自在に枠を飛び越えた表現物が続くのだ。ダダ的なコラージュ作品があったと思えばアメリカン・ポップアートやブラック的なものが現れ、線画やスケッチを中心とする平明な絵画が並び、スクラップアートが並び、写真やシルクスクリーンを活用した作品が登場し、はたまた廃船の木材を転用した過剰なまでの迫力に満ちた立体物が空間を支配している。ホールでは自動演奏の楽器がサイケチックな音を奏で、その傍らには「女神の自由」像が鎮座しているのだから、飽きる暇がない。丁寧に向き合うには、とても一日では足りない量と多彩な内容に感服する。 やっぱり大竹伸朗はすごい。 そもそもどうやったらこれだけの数の作品を創作できるのか。また、少年期からの作品をどうやって散逸せずにこれたのか。そんな疑問を抱きながら、中でも、「網膜」シリーズには深く感銘した。個々の一点づつの前に立つたびに、そうだよな、そうだよなとつぶやいてしまった。これはとんでもない作品群に違いなく、これを実物で観てしまった以上、ジャンルは違ってもこちらの創作が影響を受けてしまうのは逃れられないだろう。文字どおり、網膜に焼きついた。他には、「オカマ牛の憂鬱」が気にいった。タイトルが素晴らしい。詩が書きたくなった。 美術館を出た後タクシーで有楽町へ行き、「ビッグカメラ有楽町店」に初めて入る。こっちはこっちでその商品数と買い物客の多さに驚いた。なんだか新種の美術展を観ているような気分になり、1時間半後何も買わずに店を出てみると、Nintendo DSを買うための行列がまだつづいていて、少し胸がキュンとした。 田町駅近くの韓国料理屋で焼肉をたらふく喰らって帰った。 |
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| 12月22日 (金) |
暦の質感の磨耗 |
予定外に早起きをしてしまい、結局、長い昼寝をしてしまった。睡眠は絶対なのだ。夜になって創作。その後、書見。それにしても年々歳々、年末年始感が消えていく。暦の質感の磨耗。ちょっと味気ない。日々の多くを室内、しかも自宅内で過ごすからか。外気にふれない、街の変化に接しないためか。部屋から街を眺めるだけでは不十分らしい。 家猫はどうなんだろうか。こちらにも増して、食って糞して眠って爪研いで日々をやりすごしているウータとオランをみつめる。やっかいなのは、何かを考えながら2匹を見ていても、いつのまにか一緒になってうとうとしてしまうことだ。眠っているうちにクリスマスも年越えもすんでしまう。 |
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| 12月21日 (木) |
くわばら |
昼過ぎ、9月に予約していた「溝口健二 大映作品集」vol.1とvol.2がまとめて届く。全部で9本の映画が収められたDVD BOXなのだが、年末年始はこれらを観て過ごそうと思う。楽しみ。 夜、今月初の「あら喜」詣で。ビール、神亀の熱燗、不二才と飲み続け、その後「acalli」に上がり、K原さんと話しながら赤ワインを飲む。見事に酔っぱらい、ふらふらになって帰宅。マンションの手前からの記憶がほとんどない。それなのに酩酊状態のまま3本ほどメールの返事を書いて送り、いつのまにかベッドで眠っていた。 くわばら。 |
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| 12月20日 (水) |
生者の傲岸 |
19時前に表参道まで出かけ、眼科に寄ってから久しぶりに無印良品の青山店をのぞいてみる。ここは『セシルのビジネス』にも登場するのだが、実は店内に入るのは初めて。予定通り新しいノートとファイルを購入するも、それだけでは済まず、ボールペンとその替え芯やなぜか麦チョコレートなどを買い求めてしまう。銀座の伊東屋をはじめ、どの土地に行っても文具屋に入ると知らぬうちに何時間でも過ごし、両手一杯に袋をかかえてしまうことになる。 どうにか店を後にしてコンビニに寄り、富良野のとんとろ丼やチゲスープや週刊誌を買ってタクシーで帰宅する。夜半、一息ついて「週刊文春」を開き、そこで吉村昭先生の『死顔』の書評を読んで感銘を受ける。筆者は花村萬月さん。見事な小文で、思わず萬月さんにメールを出す。吉村さんの仕事を通じ、小説家の本分、記録文学の本質的な魅力について書かれたこの文章を一人でも多くの人に読んでほしいと願う。生者の傲岸(ごうがん)をとらえ、そしてそれを描くことこそ文学の基本なのだ。とっても難儀な基本なのだが。 |
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| 12月19日 (火) |
シャカは爪を研がない |
昼過ぎ、年に一度の3種ワクチン接種を受けさせるため、オランを病院へつれいていく。往復の道中、オラン、終始キャリーのプラスチックのドアを左右の前足で掻き続ける。シャカシャカシャカシャカシャカシャカ……………。 マンションに戻り、エレベーターの前へ行くと、6歳と4歳ぐらいの息子をつれた30代後半らしき奥様に声をかけられる。 「まあ猫ちゃんだ、ほらちゃんと見なさい」 息子たちしゃがみこみ、オランを観察しはじめる。オラン、シャカシャカシャカシャカ。奥様、わたしに顔を向けて微笑む。 「猫ちゃん、爪を研いでるんですね」 「いや、外にでたいだけですよ」 「ほら、猫ちゃんはこうやって爪を研ぐのよ。よく見なさいよ」 「………………」 息子たち、困惑した顔つきでオランを見ている。シャカシャカシャカシャカ。太めの美顔の奥様、とても満足そうに頬笑む。そこでエレベーターのドアが開き、逃げ込むように中に入ると、3人は黙って見送ってくれた。ドアがしまった途端、わたしはオランと顔をあわせ、13階に到着するまでじっと見つめあう。オラン、下界にはいろいろあるんだよ。 「ご苦労さん」 シャカシャカシャカシャカシャカシャカ…………、シャカ。 |
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| 12月18日 (月) |
12月の歌舞伎 |
姉の誕生日。記憶が正しければ、布施明もこの日に生まれている。 3時間だけ眠って書見で15時まで過ごし、地下鉄に乗って東銀座へ。十二月大歌舞伎の夜の部を観る。いつものように筋書(いわゆる演目紹介パンフ)を買って座席で開くと、先日亡くなられた松竹の永山会長の「ご挨拶」がいつもの場所に掲載されていた。台割はいつだって冷静なのだが、ちょっと前に関さんと飲んで彼の話を聞いたばかりだったのでひっそりと読みこむ。昨今の歌舞伎人気は彼の仕掛けに拠るものだった。ご冥福をお祈りする。 さて、まずは「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」で菊之助の女形に目を見張る。今年は玉三郎との競演も果たし、ますます女っぷりが上がっている菊之助。おぼこい娘が恋心にかられて実父とやりあう変化を、見事に艶やかに演じてみせた。この美しさに年が重ねられていけば、ほどなく妖艶が漂うことだろう。敬愛する富十郎の実父は、ちょっと足もとに不安な気配がついてまわり、最後まではらはらした。 次は菊之助の父である菊五郎の「出刃打お玉(でばうちおたま)」。女郎お玉役に扮した菊五郎の貫禄に満ちた、腐臭すら漂いかねない年増の女っぷりが観客をひきつけ、梅玉演じるしがない武士の不安との対比を鮮やかにして物語が進む。そして、28年後。老女となったお玉の登場に観客は拍手拍手。別人かと思うほどに完璧に老いて歩く菊五郎の姿は、コミカルなだけでなく時間の無情を象徴していた。それなのに衰えをしならない出刃打ちの(出刃包丁を狙った的に投げる)技。昔とった杵柄は、そのまま彼女の存在の証であった。ちなみに、作者はあの池波正太郎である。 そして三作目は、新歌舞伎十八番の内「紅葉狩」。海老蔵が更科姫こと戸隠山の鬼女を演じるのだが、将軍に所望されて舞ううちにもの静かな姫から人を喰らう鬼に変化していく様は妖気を漂わせ、豪華な着物をまとったままダン、ダン、ダン、ダダダダンと舞台を踏みつけながら袖に消えていく姿は、観客全員の視線を引き連れていくほどに覇気に満ちていた。最後は、松緑演じる将軍と対決。舞い、跳ね、髪を振り回して見事に歌舞き、松の巨木に上って見得をきってみせた。手前に松緑、その背後の松の枝に海老蔵。天からは舞い散る紅葉。その眺めはあっぱれなまでの麗しき絵巻だった。3列目の座席から長々と拍手をおくり、紅葉を一枚手にとって劇場を後にする。 どれ一つとて弛みのない充実の歌舞伎。12月。 |
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| 12月17日 (日) |
冬眠 |
昨日、今日と冬眠生活。 来年の大河ドラマの主役が山本勘助と知り、またぞろ「信長の野望」を引っぱり出してゲームをはじめる。武田騎馬軍、強し。早々に今川家を滅ぼすと、その間に織田家が亡くなっていた。その後間もなく、信長は信玄の家来となった。秀吉も利家も。歴史はかくも危うかったのか。 夜、久しぶりに出前をとり、ちらし寿司を頬張りながらバルサVSインテルナシオン戦を観る。結果はインテルナシオンの勝利となったが、こういった千載一遇の勝利も彼らの高い力量があればこそと思い知る。世界レベルでは、へなちょこにはカウンターさえ無理である。高い基礎力があっての奇襲なのだ。 冬眠がつづく。 |
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| 12月16日 (土) |
豆乳鍋 |
| 豆乳鍋を初めて食べた。二度は食べなくていい、と思った。 |
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| 12月15日 (金) |
歩調がぎこちない |
昼、連載原稿のゲラを戻し、「功名が辻」の再放送を観てから19時半まで創作。それからシャワーを浴びて着替え、タクシーで外出。月曜日に青森から帰京して以来、初めてのマンションの外に出た。歩くことが新鮮で、歩調がぎこちない。 劇団関係者がよく集まる和食屋のカウンターで食事をとる。特段美味くはないが、談笑しながら飲んで食べるにはちょうどいい加減だった。 夜半、タクシーの窓から街をまじまじと眺めて帰る。忘年会のピークとあって、やたらとタクシーが多かった。お疲れさん。 |
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| 12月14日 (木) |
孤独は鏡 |
期待していたある映画をDVDで観る。だが、しかし。映像美ばかりに力点を置いた作品で、気がつけばソファで熟睡していた。監督の美意識、あるいは哲学を詩的に描くことは監督の自由だが、それを観客が受けとめるのは至難の作業となる。しかも、その監督が西洋人となれば、そこにキリスト教の歴史や影響が色濃く反映されていてさらに難度があがる。ちょっとお手上げ。お手上げついでに「詩」について考える。 浮き世がまた遠ざかる。 青森から帰ってから他者と会話をしていないだけに、なおさら孤立感が際立ってくる。いじめられている子どもや大きな子どもたちには、きっとこれが辛いのだろう。理解はできるが、正直、同情できない自分がいる。孤立は状態の問題でしかなく、それはいじめに限らず、生きていれば幾度となく経験する「場面」だから、どうであれ自分で対処していくしかない。思春期を過ぎたら、自我に目覚めたら、極力一人で乗り越えなければ。「場面」はついてまわるから、遅かれ早かれ自分なりの対処を身につけていかねば。その上で対峙する命題が、「孤独」である。場面といった表層論ではどうにもならないこの魔物とどう向き合い、つき合い、それを鏡として自分を映すしていくかで自ずと生き様が変わっていく。だから、実は、孤独の問題は面白い。孤独とは、つまり「生」の別称だから、真の芸術は、かならず孤独をそこに取り込んで生成されている。 孤立なんかで死ぬよりも、孤独と格闘して討ち死にする方が面白いに決まってる。 |
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| 12月13日 (水) |
読む読む読む |
| 終日セルフ自宅軟禁。諸々読む読む読む。夜半、CS放送でサスペンス映画(タイトル失念)を観て横倒睡。 |
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