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酔狂記

6月16日 (土) スーパーにも行ってみた
 6時半、起床。バイキングで朝食をとり、散策に出る。予想最高気温は35℃らしい。人民委員会の前にあるホー・チ・ミン像の前で記念撮影をするベトナム人の姿をしばらく眺める。皇居の前で写真を撮る日本人の姿を思い出す。それにしても、ホーチミンのバイクの洪水に慣れていることに我ながら驚く。一昨年、初めて訪ねた際にはホテル前の道すら横切れなかったくせに、今じゃスイスイだ。そうして歩いてホーチミン市博物館を再訪。ベトナムの共産主義の歴史を復習し、珍妙な(とても陳列に価しない動物の剥製や陶器類などの)展示物を見学して汗をかく。持参したチビタオルで汗を拭きつつ統一会堂へ向かうも、モーターショーをやっていて入れず。仕方なくそのまま直進し、ディエンビエンフー通りまで出てから右折。それから入り組んだ道を歩き、レストラン「チン」で333ビールを飲んで喉をうるおすも汗はとまらない。もう駄目、とホテルへ戻る途中、「コープマート」に立ち寄ってみる。魚貝、野菜、肉、インスタント……食材だけでなくあらゆる生活必需品がたっぷり並び、あらためてホーチミン市民の豊かさを知る。
 ホテルでしばらく休み、雨がぱらつく中、ホテル7階にあるプールへ。ここても333ビールを飲み、アメリカ人対応としか考えられない巨大なハンバーガーを食べ、言い訳程度に泳ぐ。それだけで疲れが全身にいきわたり、1時間以上の眠ってしまう。極楽。
 夜は、ホテル近くの「ベトナムハウス」へ。ここは量も味も日本人にほどよく、また333ビールを飲みつつ生春巻きと空芯菜炒めとサラダを喰らう。途中から若い女の子たちの伝統(と思われる)音楽の演奏がはじまる。琴、小さな打楽器、横笛、パーカッションのような楽器をそれぞれ担当する4人組に頬笑み、彼女たちを「ニャット4」と名付ける。食後、ドンコイ通りをぶらぶらし、雑貨店をひやかしてからホテルに戻り、サイゴンバーでジントニックを2杯飲んで仕上げ、シャワーを浴びて即睡成仏。
6月15日 (金) またまたベトナムへ
 5時まで松井秀喜の応援をしてから眠り、8時に起きだして「中央公論」の連載原稿。なんとか13時に脱稿し、締切りより5日早く編集部へ送る。
 では、これより、ベトナムへ行ってまいります。

 成田空港内の「寿司田」でヒカリものをたらふく食べ、菊正宗の吟醸を小瓶で飲んで機上の人となり、現地時間22:20、タン・ソン・ニャット空港に到着。迎えの車でホーチミン市中心街にあるカラベルホテルへ。すぐにシャワーを浴びて着替え、別棟の最上階にある「サイゴンバー」へ行き、サイゴン大教会を眺めながらサイゴンサイゴンなるカクテルを飲む。つまみはフルーツ。パッションフルーツの種の妙な刺激に興奮し、小一時間過ごしてから部屋に戻る。1時半、納得の沈澱睡。
6月14日 (木) 準備の日
 旅の準備のため恵比寿駅まで行き、成田エキスプレスの予約切符を購入。その後、数年ぶりにアトレに昇り、RIMOWAのスーツケースと靴下を買う。そして本格的に降りだした雨の中、タクシーで一度帰宅し、今度は天現寺のCostelloで半ズボンとキャップを求める。二度目の帰宅を果たした時点で疲れてしまい、仮眠でもとるか、と思うがどうにか踏んばり、夕食後、連載原稿のメモを作って「Nile's NILE」のゲラ校正をやって送信。
 もう、すでに心はホーチミン。
6月13日 (水) 33歳
 現地ニューヨーク時間(12日)で33回目の誕生日を迎えた松井秀喜選手を祝しつつ、書見と惰眠を繰り返す。その間、自分が33歳だった頃をきれぎれに思い出す。
 まだ「就職ジャーナル」の編集長だったが、やっと3日だけとれた夏休みをつかって中禅寺湖へ行った。湖の先に迫る男体山を眺めてから夕食をとり、溜まった疲労をとろうと早寝を決めこみ、歯を磨きはじめて間もなく、ぎっくり腰になった。洗面所の鏡に映った自分がゆっくりと左側に崩れていき、10数分間、その場から動くことができなかった。冷え冷えとする鈍痛に耐えながらどうにかはってベッド脇の電話機をとり、フロントに連絡。立派な体格をした若いボーイが2人かけつけてくれたのだが、痛みは治まらず、翌朝、横になったまま帰京の途についた。あの時のタクシーの運転手さんたち(ホテルから最寄り駅、上野から月島の自宅までの御二方)はやさしっかた。そんな悲惨な夏が終わったころ、新雑誌の準備のため異動した。それから半年後、「ダ・ヴィンチ」を創刊。そして、結核に罹患していることが判明して入院せざるおえなくなった、……いやあこうして回想してみると、私の33歳の1年間は、あきれるほど激しかった。もう一度やってみろと言われたら、迷わず逃げる。男体山の奥深くへ逃げてやる。人は今その時をしっかり生きるしかないのだから、実は、やり直しの夢想には意味がない。過去の記憶は、これからのために活用するしかない風景であり、それだけにうまく編集していけばいい代物なのだろう。
 つらつらと夜を迎え、本、読了。連載原稿の冒頭部だけ書いて目がくらくらし、よって即睡成仏。
6月12日 (火) それも一つの幸福か
 暑い。シャワーを浴びてから創作。途中、頭がふらふらしはじめて中断、短い睡眠をとり、日が西に傾いてからまた机の前に戻る。主人公の友人の造形が深まるにつれ、忘れていた中学時代の級友の顔が浮かんでくる。彼は元気なのか。音信がなければ、こうして過去の知人の生死すらわからない。とはいえ、音信は時に嘘をつく。そんな思いから以前、「音信」という作品を書いたのだが、創作中の愉しみの一つは、二度と音信がとれない死者との会話が無理なくはじまる点にある。
 ここ数週間、私は四六時中、田村隆一先生と話している。先生はなみなみとウイスキーがつがれたグラス片手にこちらの話に耳を向け、目を細め、笑い、そしてジョークを飛ばしてまた笑う。突然、詩の朗読がはじまったり、長びけば時事放談や哲学問答まで展開していく。油断していると先生とのやりとりに夢中になり、原稿は一字も進まなくなる。酒など一滴も飲んでないのに、気がつくとほろ酔い気分になっていることもある。
 それも一つの幸福か、と思いながら創作を続け、先月亡くなった大庭みな子さんの本を読んでから寝床の隅にもぐりこんだ。
6月11日 (月) 今年の剪定
 4時に起きて創作。6時から松坂大輔の登板試合をBSで観ようとするも、眠くなって断念。ウータを抱えてベッドへもぐりこむ。昼下がり、半ズボンにアロハ姿で近所を散歩して戻り、花をつけなかった紫陽花の剪定をやる。紫陽花の濃緑の葉はそれだけで魅力的なのだが、この時期に剪定をしておかないとまた花をつけない。来年のためとわりきり、ばさばさと切り落とす。今年は赤い花が優勢だったので、来年は青い花にもがんばってほしいものだ。その後、創作。28枚まで。
6月10日 (日) ゆうゆうと馬鹿になる
 いやあ47歳になってしまった。

 おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうじゃないか
 どこまでゆくんだ
 ずっと磐城平の方までゆくんか

 山村暮鳥の「雲」を声にだして空を見ていたら、あっという間に暗雲がたれこめ、豪雨が降ってきた。北東の遠い空には稲妻も走っている。やれやれ。窓をしめてソファに寝転び、ゆうゆうと馬鹿になる。どこへもゆかない。あまりにのんきに午後を過ごし、19時からやっと創作。思いの外、順調に書き進む。深夜に入浴して明け方まで書き、体内に暗雲を感じて昏倒睡。
6月9日 (土) 凪のように
 久しぶりの夜更かしがたたり、午前中はどうにか起きていたものの、午後になると夕方まで寝てしまう。夜、46歳最後の食事をとりに「acalli」へ。生ビールを飲み、特製野菜サラダ(このドレッシング絶品)とチーズの盛り合わせをつまみ、赤ワインに移る。その後、だし巻き卵、鱸(すずき)の塩焼き、エリンギと新玉ねぎ焼きをいただき、いつもより多い150gの肉を喰らう。最後は自家製のアイスクリームで仕上げ、満腹。帰路、猫の餌やトイレ砂、健闘が目立つ「週刊現代」を買い、ごきげんさんになって自宅に戻り、ほどなく、この1年の安寧に感謝しつつベッドの人となる。凪のような一日でした。
6月8日 (金) 罪悪感と喜びと
 午後から創作。主要な人物がほぼ出そろい、各人の特長にしたがって動きだす。声が聴こえてくる。とは言えすらすら書けるわけではないけれど、確実に前に進んでいく。調子にのって20時半まで書いてシャワーを浴びてリビングに戻ると、
「あれえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、おいおいおいおいおいおおい!!」
 メスが、残り1匹となったカブト虫のメスが死んでいる、ではないか。「勘弁してくれよ」とすがってみても、もう動かない。「どういうことだ!?」と叫んでみても、2匹のオスはひたすら虫ゼリーを喰らっているだけ。とりあえず亡骸をケースから取り出し、連日のメス死亡の謎を残したままベトナム仕様の服に着替え、会食の約束をした麻布十番へ。
「あん梅」にて鰆(さわら)と鰺の焼きを食べ、宝山のロックを飲む。岩牡蛎、鶏の唐揚げ、蟹サラダなどもぱくぱく。カブト虫の死への罪悪感と動きだした創作の喜びがいりまじり、宝山の追加を連発。飲む、喋る。食う。飲む、喋る、……かくして6月の夜はふけ、私の意識は酔狂の域へ突入していった。
6月7日 (木) カブト虫(♀)、昇天
 終日、珍しく創作で過ごす。とはいえ、まだ13枚。8月までに(つまり7月末までに)250枚も書けるのか、まったく見当がつかない。
 さて、もう言葉がうかばなくなり、23時半に机を離れてカブト虫たちのケースの前に移動して、びっくり。メスの1匹が動かなくなっていた。土曜日に買ってきたばかりの、その夜早々に交尾していたあの小柄なメスが。見ためには傷ひとつないのに。呆然とあまりに早すぎる死を悼んでいると、番のオスが土中より現れ、あろうことか、屍となったメスにおおいかぶさるではないか。「待て待て、待たんかこら!」と声を荒げてみてもサカリがついたオスは止まらない。尻を振り振り、角をぐんぐん上下させて半時間。やっと異変に気づいたらしく、オス、動きを止めて硬直。その状態でさらに半時間たったとき、メスの体から離れていった。

 ……なんだかな。
6月6日 (水) 生き残りました。それで十分です
 ぼ〜として前日の夕刊(朝日)を読んでいたら、オシム監督に関する記事を見つけた。キリン杯に出場するモンテネグロチームに同行してきた彼の地の記者に、「なくなった国の代表監督だったあなたは、まだ苦しんでいるか」と聞かれ、オシムはこう答えたらしい。
「生き残りました。それで十分です」

 コソボ紛争下、民族間の粛清の恐怖を経験し、そして祖国が崩壊していく中で旧ユーゴスラビアの監督を務めたオシム。彼自身、2年以上も妻と娘に会えず、音信さえまともにとれないままサッカーの指導者を続けた。食材を買いに出かけた主婦が、どこからか飛んできた銃弾に倒れる日常。敵と味方すら区別がつきにくい殺しあいがたかだか10数年前に東欧であり、そこを通過してオシムは今、日本チームの監督して生きている。私がオシムという人物に興味を抱き、その言動にどうしても注目してしまうのは、「彼が生き残った人だから」とこの記事を読んではっきりした。ほんとうは死んでいたはずの、つまりはこうして日本で出会うことなどなかったはずの人物が、日本人にあったサッカーを模索している事実に、私は畏怖の念をいだいている。オシムは、極端にいえば幽霊のような存在であり、一つの奇跡にも思える。
 そんな生き残った知将が日本代表選手に求めるのは、おそらく、日本が世界のサッカー界で生き残っていくためのサッカーなのだろう。
6月5日 (火) 歩きつつ何も考えない
 資料を横に置いて連載コラムを書く。昭和史を検証し、語り継ぐ意義について。ついつい力がはいり、「できた!」と思ったら、1枚余分に書いていて推敲に手間どる。どうにか19時に送信し、入浴。濡れた頭髪を乾かしながらキリン杯の日本VSコロンビアをテレビ観戦。後半の日本は今まで見たことがないほど良いサッカーをやっていた。ワンタッチパスはもとより、全員の動きだしが早く、陣形が有機的に自在に変化していく。素人目にも高いレベルとわかる。「走る」と「考える」が融合してエレガントにチームが動く。これが、オシムの目指すサッカーなのだろう。それにしても、高原は強くなった。
 引き分けで日本の優勝となってテレビを切り、「あら喜」へ出かける。まずは生ビールを飲み、加賀太きゅうり、姫サザエ煮、鮎の塩焼きといった夏にふさわしい料理を食す。その後、荒木家のみなさんと年金問題、介護問題、健康維持の方策などについて談笑し、鮪の漬け丼と味噌汁で仕上げる。頭がぼうっとしてきたところで店を後にし、ほのかな夜風にニヤニヤしながら帰路につく。私は、歩きつつ何も考えなかった。
6月4日 (月) 梅雨の直前の肌あい
 南東を向いている3つの窓を少しあけて創作。いい風が入る。手をとめて仕事部屋の床に目をやれば、風の通り道でウータが寝ている。オランは窓辺の網戸の前で熟睡。梅雨の直前は、おそらく1年でもっとも気持ちのいい気候だと思う。うっすらと霞んだ青空。きれぎれの雲。緩やかな、ちょっとだけひんやりとした風。そこにどんよりとした雲が垂れこめ、空の青が消え、風がとまりだすと梅雨がはじまる。暦の上では、入梅は6月11日。その1日前に、私は生まれた。その影響かどうかはわからないが、私は梅雨の時期が嫌いではない。じめじめしてはいても、雨が降り続けても、どこか気持ちが落ちつく。
 ベランダの紫陽花は満開となった。それらを支える葉の緑ももう十分といった濃さだ。原稿を書く合間、きょうも思わず見とれてしまった。
6月3日 (日) 幸福
 8時から創作。まだ冒頭部。昼、そうめん、野菜のかき揚げ、蓮と南瓜の天麩羅、おくらのおひたしを食べ、点差の離れてしまった早慶戦に見切りをつけてまた机の前へ。18半時まで書いて疲れ、カレイの煮付けと鞘エンドウをつまんで夕食。その後は、眠くなるまでカブト虫の観察をオランと続ける。紫陽花、猫、カブト虫、……幸福。
6月2日 (土) カブト虫の交尾
 5時、起床。7時から創作するも、8時半で中断して松井秀喜の応援。ヤンキースが大量得点をあげたところでテレビを切り、今度は好天気に誘われて自転車の掃除とタイヤの空気入れをやり、そのまま走り出す。まずはペットショップに顔をだし、売れずにいる名無しのフレンチブルドックとしばし遊んだ後、ケーヨーD2に寄って苗や土を物色。その際中、小さいプラスチックケースに入っているカブト虫を発見し、思わず2組の番(つがい)を購入する。Lサイズのケース、専用の土と虫界の密かなロングセラー「虫ゼリー」2袋、朽木なども買う。その後、小川書店に行き、小説の資料のために麻布中学の指定を参照に中学校1年生用の教科書を一揃い購入する。
 夕方、環境が整ったケースにカブト虫4匹を移す。最初はどれもが土の中にもぐっていたが、19時過ぎ、強引に土中から掘り出すと、一組の番ががんがんゼリーを食べはじめた。そして半時間後、あらためて様子を観察していると、オスがメスに正面から抱きついた。メスは相手にせずに黙々と食べ続けるも、そのうちにオスはメスの背後に回り、……ついに交尾をはじめようとするではないか。
「ヌおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
 生まれて初めて見るカブト虫の性器。激しい交尾。見てはいけないものを見てしまったという思いと、まさかこの歳になってカブト虫の交尾を見ることになろうとは、という思いが入り交じり、我を忘れて見入ってしまう。はっと気づいたときには、ケースの真横からデジカメを向けていた。
「すげえ」口から出るのはこの台詞ばかり。「すげえ」
 40分後、ようやくオスがメスから離れ、何もなかったようにゼリーを食べ出す。メスもメスで、交尾の間も、それから3時間後まで食事を続け、日が替わる直前、やっと土中へ戻っていった。観察者である私も疲れ果て、朦朧とした頭のままベッドの中へもぐりこむ。
6月1日 (金) 早起きもあまりに過ぎれば
 4時半、起床。日の出とともにコンビニへ行き、飲食物の他に雑誌を3冊買って戻り、新聞2紙とあわせて黙々読む。「大松本論」というタイトルで松本人志を特集した「BRUTUS」の文字が小さく、8時の時点ですでに目が疲れる。その後、夕方まで創作。冒頭部。内容は定まっているのだが、いつもとは違う文体で書かねばならないとあって、あれこれ文章をいじっているうちに頭が朦朧してくる。日が沈むころにはもう眠くて眠くて。キリンカップの日本VSモンテネグロ戦が終了して間もなく、夕食もとらずに猫2匹と寝室へ移動し、迷わず卒倒睡。
5月31日 (木) お尻に火をつけろ!
 7時起床。松坂投手の空転気味の投球を観てから机に向かい、創作。ついに、というか、月末になってやっと動き出す。「やりはじめなければ、やる気はでない」の教えはそのとおりなのだが、その結果、不思議とアイデアが湧き出す。四方八方へとっちらかっていた話の方向性が、すっと一つの焦点に向かう気配すら漂う。その感覚が、書き続ける意欲を強くしてくれる。
 18時過ぎまで書き、雨の中、散髪へ。小一時間でさっぱりして一度帰宅し、着替えをすませて「あら喜」へ。外は豪雨とあってお客は少なく、のんびりと生ビールを飲み、定番の加賀太きゅうりを味噌でいただき、マコカレイの刺身、くりからの串焼きを堪能。不二才をぐびぐび飲んで起稿を一人で祝い、鮪の漬け丼と貝汁で〆て帰る。
 こうして今年の5月は終わっていった。我ながら、暢気に過ぎる、と反省。もっと仕事を増やした方が良いよな、と素直に思う。お尻に火をつけろ!
5月30日 (水) 今年も行こう、ベトナム
 下駄をはいて麻布を歩いていたら雨が降ってきた。ローソンで傘を買ってしのぎ、もうしばらく徘徊してから帰った。ベトナムへ、今年も行くことにした。
5月29日 (火) 情事と殯
 昼食後、BS2で映画『二十四時間の情事』(アラン・レネ監督 1959)を観る。マルグリット・ディラス脚本のこの作品は日仏合作で、'58年当時の広島を舞台にしている。第二次世界大戦で心に深い傷を負った日本人の男性とフランス人の女性の、24時間だけの濃密なやりとりが描かれ、解放への手がかりを探求する。心理劇のような映画で、それだけにディラスの脚本が作品の支柱となっていた。
 夜、NHKハイビジョンで『殯(もがり)の森』を観る。周知のとおり、今年のカンヌ映画祭でグランプリを獲得した河瀬直美監督の新作。奈良のグループホームを舞台にした、これも喪失感からの再生を描いた作品だった。前半はちょっと説明的だが、2人の主人公が森に分け入っていくあたりから俄然と面白くなる。ロードムービー的なカメラワークもあいまって、その姿はそのまま心の奥底へと歩を進める行軍にも見える。切迫した老人の前進、それを追う若いヘルパーの女性。ただし、『二十四時間の情事』のような台詞の応酬はなく、躯全体で感情が表現されている。芝居ではなく肉体の在処(ありか)によってテーマを主張していく、ドキュメント映画を目指して作りこんでいくような河瀬監督らしい手法である。
 偶然、同じ日に観てしまった2作の映画は、どちらとも面白くは、ない。思うこと、考えることを観客に提案してくる内容である。かなり鬱陶しい。とはいえ、そこは映画だから、前者は原爆被害からめざましい復興をとげつつある広島の光景を全面に映し、後者は神々しいまでの森の姿と風の動きをはさむ。つまり、映像の利点はそれぞれに活用されている。特に後者は、映像詩とも呼びたいほどに自然の生々しさを強調し、それだけで何かを思い出させてしまう力となっている。森に迷う意義みたいなもの。そのことについて考えるだけで、少し、気持ちが踊り出す。
5月28日 (月) マツオカ君のカーディガン
 その山に登るには、防寒のためか防風のためかはよくわからないけれど、みんなカーディガンを身につけていく。マツオカ君も、だから、一枚のカーディガンを羽織ってその山に分け入って行った。
 歩み出して間もなく、マツオカ君は最初のボタンをかけた。その際、慌ててしまったのか、それとも先輩からそう教えてもらったのか、ボタンの穴を一つかけちがってしまった。山道を登っていくにつれ、マツオカ君は当然のように胸の前を、腹の前を、臍の前をカーディガンで隠していったが、ボタンと穴は一つずつずれたままだった。
 そして山の頂きが見えて来たころ、回りの登山者からマツオカ君に声がかかるようになった。「おまえ、どうしてそんな風にカーディガンを着ているんだ?」とか、「みっともない」とか、「それじゃあこれ以上前に歩くたびにボタンが外れてしまうぞ」とか。マツオカ君はそれらの声が気になり、足を止め、手持ちの鏡で自分の姿を眺めてみた。
 驚いた。羽織っただけのつもりでいたカーディガンの裾は、いつの間にか、足首を隠すほどまで伸びていた。ボタンと穴は一つずれたままだった。前に進むにも、後へさがるにも、かけちがったボタンが邪魔になり、どうにも動くことができなかった。仕方なくボタンを外そうかと思い、マツオカ君はしゃがもうとした。だが、首もとから足首までを包むように覆ったカーディガンのために、膝も腰もうまく曲げることができず、マツオカ君はほとほと困った。空を仰ぐと、山頂にいたアベ君から声がかかった。
「そのまま、もう少しだけそのまま、そこにいて」
 マツオカ君は弱り果てた表情をうかべながらも、こくりとうなずいた。その時、足首に小石があたった。落石だった。不安定な体勢で立っていたマツオカ君はさらにバランスを崩し、「ああ、もうだめだ」と思った。
「もうこれ以上は立ってられない」
 マツオカ君は、ボタンをかけちがったカーディガンで身を包んだまま山から谷へと落ちていった。
5月27日 (日) 猫の餌を買って中国について考える
 6時起床。いい天気。午前中、魚籃坂など近所を散歩し、その後、ピーコックで猫砂や身の回りの日常品を大量に買って帰る。なかでも猫の餌を購入する際には、ついつい生産国名を確認してしまう。猫の餌については、中国ではなくタイが圧倒的に多かったが、中国について考えるとき、自分を冷静にするために考慮するのは、「13億人の超高度経済成長」という事実だ。公害をはじめ、日本の高度成長期にもいろいろと無茶無謀が横行したが、それが10倍強で集中していると想像すれば、良い面悪い面も10倍以上で発生するのではないか。つまり、人間の善悪もまた端的にはっきりと表面化してしまっているのが、現在の中国なのではないか。露呈するべくして世界にその現況が露呈している。
 おそらく北京オリンピック後に一度、中国は危機的な局面を迎えることになるだろう。
5月26日 (土) 増上寺の薪能
 夕方、タクシーに乗って増上寺へ出かけ、境内で演じられる薪能をたのしむ。まずは17時半、三解脱門を背にした能舞台で法要がおこなわれ、法主からの挨拶。読経の声が朗々と空へ昇っていく。18時、能の「楊貴妃」がはじまり、能面をつけて死界で舞う楊貴妃の舞いに見とれてしまう。シテは梅若万三郎。日常には決してない足の運びに息すらつまる。休憩となり完全に日が沈み、会場となった境内の後を見上げれば、本殿の背後からオレンジ色の東京タワーが天を突いていた。昇降するエレベーターまでよく見える。異様なビジュアル。無節操の美。
 そして、舞台の手前で火入れの儀がはじまり、二つの炎が勢いよく揺らぎだす。火の粉が紺色の空をめざすも、間もなく消え去り、いよいよ舞台は幽玄の界へ。まずは狂言、「附子(ぶす)」。軽快、愉快。最後は半能、「石橋(しゃっきょう)」。白髪と赤髪の獅子が登場する連獅子で、歌舞伎の連獅子の原形にもなっている舞 。親獅子(白)と、その左右に子獅子(赤)が現れ、ゆったりとした動きから徐々に激しい舞へと移っていく。三人の動きの切れよく、見とれているうちに終演となった。境内に一瞬、静寂が漂う。その直後、日比谷通りに面した三解脱門の扉が開き、往来する車やビル群が舞台の後景となる。この眺めの不思議に虚をつかれ、しばらく立ちつくす。数多くいた外国人たちも口をあけて見とれている。異国で見る日常と非日常の境界は、彼らにどう映ったのだろうか。
 赤羽橋まで歩き、そこでバスに乗って三の橋まで行き、「あら喜」で遅い夕食。今年初の加賀太きゅうりの水気を口にし、はっきりと己の現(うつつ)に戻る。
5月25日 (金) パーティーの夜
 夜、荒木(アラーキー)先生の67回目の誕生日パーティーに出席する。アラキネマが上映されている間、隣では友さん(K2長友啓典さん)が携帯で撮影。友さんはたしか荒木さんより1歳年上だが、毎日、ブログに日々撮った写真をアップされている。久世ドラマでも何度も披露された満面の笑みになごむ。その後は、町田康さんご夫妻と椅子に座っていろいろ話す。来週食事でもとお誘いすると、なんと、町田さんは熱海に引っ越しされていて驚く。猫が10匹になってしまったらしい。会話の途中、目があった女性から声をかけられる。赤塚不二夫さんの事務所、「フジオプロ」のT中さん。編集者時代に赤塚さんの対談本『これでいいのだ。』(メディアファクトリー)を作った際、いろいろお世話になった赤塚夫人(眞知子さん)とともに仕事をされていた方だ。よくぞ覚えていてくださったと感激する。当時を懐しむと同時に、赤塚さんの看病をされていて亡くなった眞知子さん('06.7.15参照)をあらためて悼む。その上で、フジオプロの経営を引き継がれた赤塚さんの娘さんを紹介される。そうか、彼女が後を継いだのか、としみじみ感じ入り、昏倒中の赤塚先生を抱えての奮闘を願う。
 荒木先生には昨年同様、「早く賞を獲れ!」とはっぱをかけられる。やれやれ。一方、町田さんから中上紀さんを紹介される。かの中上健次の娘さん。「すばる」の紙面で作品は読んでいたが、お会いするのは初めてとあって緊張する。2次会のために六本木の「White」へ流れる。90年代の荒木組とはずいぶん集まる面子が変わっていたが、白夜書房の末井さんらの顔もあった。荒木先生の右腕、安斎さんとカウンターで飲み、今はKKベストセラーズで働くK村さんといろいろ話す。かくしてどっぷりと懐旧の時間に浸り、それだけに今いる時間の輪郭をくっきりと眺めた気がした。「何を見ても何かを思い出す」とヘミングウェイの短篇集のタイトルにあるが、そこに埋没するには、自分はまだ若い。
 困惑。ほとほと、酔狂。
5月24日 (木) 昭和史入門
 久しぶりに焼肉を食べ、冷麺で仕上げて帰宅後、『昭和史入門』(保阪正康 文春新書)を読む。62年と2週間にわたった長い昭和という時代をどうとらえるか。著者はその仮説を4本たて、長年の考察を平易に展開している。しかも、最後には「昭和史入門」のための読書案内が125冊分用意されている。私も『きょうも命日』(中央公論新社)の巻末に「死を想う50冊」を付けたことがあるが、入門書にはやはり読書案内が必須であろう。門に足を踏み入れた者は、あとは自らの興味関心にしたがって歩むしなかないから、その際、本がよき道案内となる。願わくば、同テーマについて最低2冊。できれば3冊読めば、歴史の多面性とうまく付き合うことができ、自分なりの視座に近づけると思う。
 それにしても思うのは、どの時代と向き合うにせよ、つくづく天皇について考えなければ話が深みにはいたらないということ。その出自自体に謎があるだけに、天皇について考えることに終わりはないように思う。その上で現在の状況、そして今後について考えてみると、なぜか、彼らがちょっといたましい。
5月23日 (水) なめくじ生活
 暑い一日だった。湿度がもっと上がったらエアコンをつける予定なので、窓を開けて机に向かう。冒頭部を云々考え、書き直しをくりかえすうちに日が沈む。そろそろ夕方にもベランダの植物群に水をやらなければいけない季節になった。日があたらない紫陽花の葉を摘み、青色紫陽花用の追肥を撒き、オランとともに三田松坂町の旧住宅街を眺めてから夕食。7-11の弁当を2種食べる。季節が移っても食欲だけは旺盛なままだ。眠気を堪えて夜中、ファックスで届いた「中央公論」のゲラ校正をやり、ヨーロッパ・クラブチャンピオンシップの決勝戦を観る。ミランのインザーギ選手は、ハンドによる先制点を含め、最初から最後まで見事な曲者でありました。オシム監督の顔を思いうかべなら腰くだけのソファ睡。
5月22日 (火) やりはじめない
 前夜から起きたまま朝を迎え、朝食をはさんで書き続け、昼過ぎ、どうにか「中央公論」の連載原稿を仕上げる。首をどくろにして待っている担当N西さんにすぐに送信し、くらくらする頭で部屋中を歩き回る。混濁の時間。なぜか短パン姿で近所を周回して戻り、パンで飢えをしのいで書見。いつのまにか眠ってしまい、18時半、目を覚ます。

 やりはじめないと、やる気は出ません。

 今年から使っているほぼ日手帳の5月22日の欄外に上記の一文があった。そのとおり!!!! 昼前には激しく共感したものの、夕方には何もやりはじめる気が起きず、漫然と週刊誌に目を通し、新聞を精読し、毎日舞い込んでくるタウン誌の類におぼれて一日を終えてしまった。紫陽花が泣いている。
5月21日 (月) 父と語るには
 終日、「中央公論」の連載原稿。書きたいことをきっちり整理しなければ、とても所定の文量におさまらない。それほどに植木等さんのお父上の生涯は興味深い。また、その一生を手間をかけて辿った息子、等の態度に感銘を受けた。父が逝ってから父と語るには、それなりの手続きが必要なのです。
5月20日 (日) 夏の夕暮れの温泉を想う
 松坂大輔投手の抑制の効いたピッチング(VSブレーブス戦)を観ながら「つまらんなあ」とつぶやいて寝てしまい、昼過ぎに起き出す。
 立派な好天に気持ちが落ち着かず、日があるうちに風呂に入って外出。これから書く舞台の気分を味わうために坂や公園や学校やグランドや路地をたらたらと歩く。歩く。立ち止まるたびに空を見上げ、光の変化を確かめ、雲の輪郭に目を細める。日が沈みかけたところでタクシーに乗り、雑誌編集者Sさんと焼き鳥屋で会食。煮卵入りもつ煮込みや各種焼き鳥もさることながら、骨付きもも肉を手にとってささみを頬張りながら芋焼酎や泡盛の古酒を呷ると、「もうこのまま箱根にでも行って温泉に沈みたい」気分になってくる。夏の夕暮れの温泉は、冬の雪の舞う露天風呂と対極をなす極楽である。
 ご機嫌さんになって帰宅。机を避けて書見とメモに終始し、夜が明けてから卒倒睡。
5月19日 (土) 花を愛で飯を喰らい、一字も書かず
 目まぐるしい天候の変化を横目にセルフ自宅軟禁で過ごし、創作メモと書見を続ける。ベランダの紫陽花は狂い咲きの眺めになってきた。期待以上の充実。頭の中でストーリーは動き出したが、まだ一字も書いていない現実に少々脅えながら花を愛で、三度三度飯ばっかり喰らっている。
5月18日 (金) あらためて、合掌
 愛知郡長久手町でおきた立てこもり事件。犯人が捕まってみれば、尚更、林一歩さんの死が悼まれる。一組の元夫婦の復縁話のもつれのために、別の家族の23歳の若い父親が亡くなる不条理が、やりきれない。SATの同僚たちも、大林なる男を確保する際に殴り殺したかっただろう、と察する。職務で逝った仲間のために、とにかくは職務を遂行することで我慢したのだろう。辛いよな。いろいろ意見はあるが、今日は、あらためて林さんへ合掌して黙る。
5月17日 (木) 藤原さんの推薦文
 藤原伊織さんが亡くなった。
 実は、藤原さんが直木賞を受賞された直後、私は偶然、彼と一緒に酒を飲んでいた。仕事を終えて行きつけの店のカウンターでグラスを手にしていたら、電通の同期の方と藤原さんが来店し、隣に座ったのだ。店のマスターが私の素性を紹介する前に、私は彼に祝いの言葉をかけ、しばらく3人で飲みながらいろいろ話した。そして、「ところで、ここでこんな風に飲んでいていいんですか」と訊ねると、「推協(推理小説家協会)のメンバーが(お祝いに)集まってるらしいんだけど、どこにいるのかな」とぼそっと話されるので、「おそらく」とことわった上で、彼らが常連となっている文壇バーを紹介した。「じゃあ顔出してみるかな」藤原さんは飄々と苦笑し、友人と連れ立ってカウンターを離れた。
 たしか、あれは12年前の出来事だ。その後、「ダ・ヴィンチ」にも登場いただいた。退社して3年が過ぎたころ、藤原さんが理事を務める日本文藝家協会から入会推薦書が届いた。藤原さんの推薦文が添えられていたが、日本ペンクラブの活動だけでも躊躇していた私は、何の返答もせずにその文書を放置しつづけた。そのまま今にいたり、そして藤原さんの訃報にふれてしまった。
 困ったな、と思う反面、このままでいいか、とも思っている。
5月16日 (水) 問題は、沈黙の後だ
 『夢を食いつづけた男』(植木等 朝日文庫)を読了。植木等氏が、実父の人生を丁寧に調べて追慕する内容だが、佳い本でした。
 主人公の父上であれ息子の等氏であれ、人生に戦争がからんでしまうと、それだけで、嫌が上でも物語が波打つ。当事者にとってはとてもしんどい体験に違いないのだが、それを眺めるしかできない者は、波のうねりの痕跡に沈黙する。知らないけど凄いとは思う。そのぐらいは体感できる。津波や街に溢れた川の水の水位記録を見たときの、かすかに身の危険を覚えるときのあの感覚。よくもまあそんな時代を、という思いを抱くとともに、その時代を生きながらえることができなかった人々が縷々といたことを察して、黙る。
 問題は、沈黙の後だ。芯に響かない物語は読者を変容させることはないから、読者は、ちょっと時間が過ぎれば繰り返しの流れの中に戻っていく。植木さんの本は芯に響く凄味をたたえていた。だから私は、わずかながら変容しそうだ。知って、考える。池田晶子がどこかで笑っている。
5月15日 (火) タイミング
 そろそろ尻に火種がついてしまった。ぷすぷすと煙すら漂ってきて鼻がむずむずする。もう10ヶ月前から脳内に浮かんでいる老人と中学生をじっと観る。観る。言葉のやりとりもいくつか聞こえてくる。声質も聞き分けられる。老人の家もぼんやりだが見えている。壁も。机も……やっぱり、もう書きはじめた方がよさそうだ。
5月14日 (月) 尿酸値、下がりました
 o野くんから「尿酸値が下がったのでまたあら喜に誘ってください」とのメールが届いていた。ならば、善は急げである。夜、あら喜で会うことにして行ってみると、o野くん、彼女と並んで食事をしていた。いやはや。しばし歓談後、2人を見送ってT夫くんと雑談。たらたらと帰宅し、同和問題について考えながら寝床の人となる。
5月13日 (日) そろそろ紫陽花
 前日の疲れもあってか、書見だけで終日すごす。紫陽花の花に色がつきはじめた。
5月12日 (土) 再会の宴
 夕方6時前、「あら喜」へ。リクルート名古屋支社時代にお世話になった先輩Sさんが、現在暮らしているコロラドから来日しているのを機に、在京の元同僚が集まる。中には名古屋から上京してきた者もいて、大いに盛上がる。T夫くんもメニューにない料理などを用意してくれ、座敷の卓に並んだ料理はテンポよくなくなり、不二才のボトルも空になる。今はどうかは知らないが、とにかくリクルートにいた人間はよく喋るから、さほど混むことのない土曜日でよかった。
 思えば、私が名古屋で仕事をしたのは入社後の4年間だけだ。東京に移って今夏で21年目になる。だが、やはり初めて仕事を覚えた時期にかかわった人々(そのほとんどは先輩である)の記憶は鮮明で、こうして久しぶりに会うと、つくづくいろいろ影響を受けたのだと確認できる。Sさんとは実に20年ぶりの再開だったが、すっと会話がはじまり、淀むことなく酒杯をかかげ、大笑いしながら時を過ごした。
 さて、次にみんなに会うのはいつだろうか。会える機会には会っておかないと、そろそろ会いたくても会えなくなる年齢になっている。なんせ団塊の世代が還暦を迎えたんだよな。……すごいよな。
5月11日 (金) 不思議な一日
 午前中、一昨日の火事の現場となった都営アパートまで歩いて行く。嵐のような強風の中、合掌。悲劇の惨状を知らしめるものはもうなかったが、マスコミ関係者に対する「子どもたちへの取材拒否」の貼紙の前で足をとめてしまった。心の傷への対処策かと思うが、自治会が機能していてよかった。
 帰途、週刊文春と新潮、そして新装刊となった「クーリエ・ジャポン」を買って帰り、コーヒーを飲みながら一気に読む。敬愛する編集者、渡瀬昌彦さんが発行人を務めている「クーリエ・ジャポン」には、内向きの世相に石を投げ入れる意味もこめてぜひ頑張ってほしい。
 その後はずっと『カラマーゾフの兄弟』を読み、問題の「大審問官」の箇所について、つまりキリスト教の根底について考えているうちに夜を迎え、シャワーを浴びて外出。西恵比寿にある鮨屋「竹半」で会食。「竹半」での食事はほぼ1年ぶりだが、相変わらず刺身もにぎりも美味い。特に旬のコハダはほどよい脂がのって絶品だった。伏見のにごり酒や吟醸酒をぐびぐび飲み、いろいろ話をして流れ、帰宅は2時半となった。
 ここには書けないが、それにしても、この日はとっても不思議な1日だった。その現実に、終日、頭の芯がたえず覚醒していた。
5月10日 (木) 時を迎える
 昨晩、眠りにつく頃、消防車のサイレンがひっきりなしに鳴っていた。通り過ぎるだけのものとたかをくくり、「うるせえな」とこぼしながら寝入ったが、今朝、その火事が近所の都営住宅でおきていたとテレビのニュースで知る。7歳と5歳の子どもが煙に巻かれて亡くなったらしい。その報道にふれた途端、命を落とした2人の子どもが先週末の清正公祭に足を運んでいたと確信する。あの出店でにぎわう人混みの中に彼女たちもいて、母親に綿菓子や金魚すくいをねだったに違いない。この界隈に暮らす者の特権として、雑踏にまみれながら祝祭の時間を過ごしたことだろう。胸がしぼみ、強い圧を感じて目をふせる。
 夜、閉店間際の「あら喜」に顔を出し、土曜日の予約の件についてお願いしてビールを飲んでいると、T夫くんが声を弱め、昨晩の火事の件について私と同じ想像を語った。「あの中にいたよね、きっと」「いたね」「屋台の前であれ買ってこれ買ってって言ってただろうね」「そうだな」「……たまんないね」「あれが最後の祭だったんだな」
 夜も暑いものと勘違いしてアロハシャツを着ていた私は、夜風に震えながら帰った。そろそろ夏も飽きたな、と思っていたが、夏を迎える気持ちになった。時は迎えるもので、決して、待っていてくれるものではないのだな。
5月9日 (水) 空庭の午後
 昼過ぎまで「Nile's NILE」の連載原稿を書き、推敲、送信。今回は「古典を読む時」について書いた。その後、編集者Sさんと電話で話し、昨日の朝日新聞の「すばる」6月号の広告に大きく名前が出ていたことを知らされ、慌ててその新聞をチェックする。『空庭』。からにわ。

 あなたにも私にも、空庭は用意されている。そこにある。

 しばらく呆然とした後、天気がいいので出かけることも考えたが、生来の出無精が前面に出てきてDVD観賞を選択。西川美和監督のデビュー映画『蛇イチゴ』('03)を観る。近作を先に観てしまってはいたが、逆算する形で、彼女が拘泥するテーマがよくわかる作品となっていた。宮迫博之もつみきみほもいい演技だったが、終わってみて強く印象に残っているのは、伯母役の絵沢萌子だった。生臭いまでの存在感。猥雑な気配をたえず放ち、老いてなお女である役をやらしたら彼女の右に出る者はいない。本来、「女の一生」なるテーマは彼女のような女優が演じるべきでは、としみじみ思った。
 夜は夜で、野球観戦とサッカーのAFL観戦に興じ、遅い夕食後、早々に寝床の人となる。そろそろ次作を書かねば。
5月8日 (火) コカ・コーラ譚
 暑い。だるい。あいかわらず『カラマーゾフの兄弟』と、千葉さんから送っていただいた新しいご著書『古いものに恋をして。骨董屋の女主人たち』(里文出版)を交互に読むだけで疲れてしまい、無理せず惰眠につく。しかし、ほとんど寝ないうちに電話で起こされ、コンビニへ。暑さのせいか、妙にコカ・コーラが飲みたくなって買い求め、帰宅後すぐに飲んでみる。いやあ凄い味。大学生のころ、これを飲みながら小説を書いていたことを思い出す。夜中に煙草とコーラを買っていて警察官から職務質問を受けたことも併せて。それにしても、こんな味の液体を毎晩1リットルも飲んでいたとは。あれも若さなのか。コカ・コーラが、つまり、若さの象徴なのか? 4分間あまり考え込んでしまった。
 結局、きょうも一文字も書かなかった。
5月7日 (月) 特選落語名人会
 NHKハイビジョンで『オペラ座の弁慶』を観る。3月下旬にパリのオペラ座で歌舞伎を演じた市川団十郎と海老蔵をドキュメントした1時間50分の番組。前半は準備段階を描き、後半は、実際に演じられた「勧進帳」を放映。ダブルキャストで弁慶を演じた父子の演技の違い、演出方法の違いがよくわかる面白い内容に満足し、入浴。軽く食事をして次作のメモを書き、それから外出。
 山手線に乗って有楽町へ行き、東京国際フォーラムCホールで特選落語名人会を聴く。1500名あまり入る大きな箱で、まずは前座の三遊亭歌ぷとが「道具や」をやり、次は林家たい平か、と思ったら小朝が登場してきた。? そう感じつつも、淀みのいっさいないまくらの連発に笑ってしまい、職人の名人技をモチーフにした噺に聴き入ってしまう。
 中入り後は、たい平の「明け烏」。たい平の噺を聴くのは久しぶりだったが、とても巧くなっていて驚く。正蔵もこのぐらいできれば、とふと思う。そしてトリは、待ってました立川談春。「どう考えてもこの順番はおかしいでしょ?」と観客に問いかけ、「くじ引いて決められちゃった」と裏話を披露。そして、得意の「妾馬」に突入。自分でも噺の途中でつっこみを入れていたが、やるたびに八五郎の老母がうまくなっていく。いやらしいぐらい巧いから、自分でも照れてつっこんでしまうのだろう。それほどに大名の側室になった娘を思う老母になりきっている。もともとがらっぱちの演技は巧いだけに、コントラストがより鮮やかになり、この演目はますます彼の十八番(おはこ)になっていく。
 大いに満足してホールを後にし、いつもの「まつ惣」で飲んで食べ、ほろ酔いになって帰路につく。街はとっくに初夏だった。
5月6日 (日) つい漫然と
 6時半、起床。3日連続で各所を歩きまわったためか、ちょっと疲労が残っている。昨日買った諸星作品を読んだり、『カラマーゾフの兄弟』を読んだりしながら崩れていく天候を眺め、昼寝をしてまた本を読む。諸星大二郎はやっぱり面白い。彼の物語る力はどこかなつかしい。
 夕方からは東京ドームに巨人VSヤクルト戦を観に行く予定で、チケットも手もとにあったのだが、疲れがとれず、しかも雨がひどくなってきたので中止する。夕食をとりながらテレビをつけると、「東京ドームは雨にもかかわらず満員になっています」とテレビ東京のアナウンサーが語っていた。変な気分。ネット裏には塩川(塩爺)元財務大臣がどかっと映っていた。
 雨らしい雨の一日。紫陽花の季節が近づき、気持ちが落ち着く。つい漫然と外を眺めて過ごしてしまった。
5月5日 (土) 子どもの日、雑踏にまみれて
 5時半、起床。『カラマーゾフの兄弟』を30頁ぐらい読み、MLB、ヤンキースVSマリナーズをテレビ観戦。松井秀喜と城島健司のホームランに拍手を送り、井川の壊滅的な投球にげんなりして昼を迎え、気分転換にシャワーを浴びる。着替えをすませるとそのまま外出し、都バスに乗ってのんびりと渋谷まで出、井の頭線の電車に乗ってぶらり一人旅。
 カメラもペンも持たず、とにかく目で、耳で、鼻で雑踏観察。途中、初めての店で和風ロースカツ定食で遅い昼食をとり、また歩く。気になる店には足を踏み入れ、ピンと来た商品は買ってしまう。たとえば、「人と鉱物 24種」とか諸星大二郎の『私家版鳥類図譜』や『私家版魚類図譜』、両手をひろげたオランウータンの人形など。調子にのってガラスケースの骨董品を買ってしまいそうになったが、これはどうにか我慢した。喉が渇いて喫茶店に入ると、後輩にビジネスを説く早口男の声ががんがん店内に響いていた。しかもその内容が経済入門編レベルでしかないのだから始末におえず、思わず注意して表に連れ出そうという衝動にかられるも、その話を大げさにうなずきながら聴き、時に感嘆の声をあげる後輩のバカ面を見てアホらしくなり、さっさと店を出る。あいつらがビジネスに成功することはないだろうが、これもまた面白い眺めではあった。また、休憩のために公共施設の椅子に座っていると、間もなくやってきた若い女性2人が真後ろの席で恋の話をはじめ、ここには書けないような内容について熱中。去るに去れず、半時間も密談を聴いてしまった。
 そんなこんなで日がくれるまでぶらり旅をして過ごし、20時に帰宅。しばらく鉱物を愛で、夕食もとらずに寝床の人となる。
5月4日 (金) 白金で祭に酔う
 松井秀喜のゆるやかな復調ぶりに気を良くし、午後、外出。白金の庭園美術館へ行き、「大正シック」展を観る。ホノルル美術館が所蔵している大正から昭和にかけての日本の絵画や工芸品が展示されていたが、その中で白眉ともいえるのは、中村大三郎作の『婦女』だった。これは女優の入江たか子を描いた昭和5年の作品で、猫脚の洋風長椅子に横たわる紅い着物姿の若い女性という構図が艶やかな印象をふりまいていた。しかし、この作品も含め、全体としては瞠目するようなものはなく、あくまでも時の風俗的な特長を知る上で貴重といった程度のものばかりだった。その意味では、同じ入江たか子をモデルにした仁丹の宣伝用の団扇がおもしろかった。
 それにしても、この美術館に来るたびに感じるのは、ここに展示されるさまざまな作品群(絵画、写真、工芸品など)よりも、建造物の方が美的にまさっているという思いだ。旧朝香宮邸の贅沢な内装や調度品の品格や麗しさは、展示物のレベルを知る上で、いつも厳しい比較基準となってそこにある。昭和になってできた宮家ですらこれほどの家屋を有していたのだから、もっと古いそれらがどれほど豪奢な建造物に暮らしていたかと思うと、興味がわいてくる。いつの時代も、芸術作品は富が遍在する場所に集まっているのだ。家族連れでにぎわう庭園を眺めながらそんなことを思って外に出、目黒通りを歩いて帰る途中、瑞聖寺に寄ってカラスの大群に遭遇。ひゃあと逃げて明治学院の前を過ぎ、覚林寺へと進む。
 釈迦牟尼仏とともに加藤清正を祀ったこの寺では、毎年5月4日、5日に「清正公大祭」が行なわれる。勝負運の強かった清正にあやかって人生の様々な苦難に打ち勝つための祭らしいが、近所に住みながら行ったことがなかったので、この機会にと近づいてみて驚いた。境内だけでなく歩道、そして道路をわたった先の長い坂道に露店がひしめきあっているではないか。子どもから老人までが集い、本堂から響いてくる太鼓の音に混じりあいながら喧噪の渦が立ち昇っている。その渦の中に飛びこみ、焼き鳥と缶ビールを買って小腹を満たし、それからご朱印をいただく。その際、本堂にあがるよう指示され、御祈祷を受けている人々の傍らに座って清正を描いた掛け軸と正対する。尾張に生まれ、秀吉の下で活躍し、朝鮮にまで戦に出かけ、熊本城を造り、徳川家康と豊臣秀頼の会見に尽力して没した男が、こうして白金の地で崇められている不思議は、たしかに物語性に満ちている。この寺を開創した朝鮮国の王族の子息を主役にすえればちょっとした歴史小説が生まれそうだ、などと卑しいことを考えながらご朱印をいただき、寺前の道路をわたって間もなく、「あら喜」のT夫くんや霞ちゃんやKarenとばったり出くわしてまた驚く。地元で生まれ育ったT夫くんにすれば、この祭は必須であり勝手知った宴でもある。穏やかに楽しむ彼らとともに坂の上の屋台へ移動し、そこでまたビールを飲み、焼き鳥を喰らう。Karenの綿菓子もちょっともらう。日が暮れ、酔いが回りだし、気がつけば20時近くになっていて再び帰路につく。
 みんなで歩いて帰り、マンションの前で彼らと別れて小一時間後、夏仕様になったベッドで見事な酔狂睡。
5月3日 (木) 気候に身をゆだねて
 連日の好天にうながされ、久しぶりにアースダイビングに出かける。とはいえ、目的地は近くの芝公園。バスに乗って赤羽橋で下り、公園内の芝丸山古墳群を覆うように伸びる木々の下を歩く。若草色に萌える草が目にしみる。前方後円墳の頂上で写真を撮り、降りる途中、円山随身稲荷にお参りして芝東照宮に移動。公孫樹(イチョウ)の巨木の回りを歩いてから増上寺に流れ、広い境内をのんびり歩く。ここでも参拝し、葵の御紋入りの朱印帖を購入。徳川家の墓所の後を通って東京プリンスホテルの敷地へ入り、そこで昼食をとる。生ビールを飲んでビーフカレー。腹一杯になってまたぶらぶら歩き、地下鉄に乗って帰宅する。
 気候に甘えるだけの一日だった。
5月2日 (水) 連休中の東京で
 予定どおり6日ぶりに家を出る。好天。乗りこんだ個人タクシーの運転手といろいろ話す。彼は、連休中は六本木には近づかないとのこと。都外のナンバーをつけた車がとろとろ走行し、それがまた突然車線変更したり停まったりするから危なかしくてしかたないらしい。それは、まあそのとおりだ。東京は、実は日本一の観光地でもあるから、連休中はこの手の車がどっと都心に集中し、そこかしこで小さいトラブルが多発する。駐車場を用意している店も限られるし、道自体が狭くわかりにくい(なにせ皇居を中心に道ができている)ので接触事故がたえないのだ。
 みなさま、東京への観光はぜひ電車か飛行機で。あるいはバイクで。都心についてしまえば、移動は地下鉄が一番便利です。浅草〜銀座間なら、水上バスがお薦めであります。

 久しぶりの外出と1週間ぶりの酒でほろ酔いになり、揺れながら帰宅。疲れた。
5月1日 (火) 歩き方がぎこちない
 鼻のぐずぐずは何とか終息にむかっている。時おり咳に噎せるが、その頻度も急減しつつある。もう少しで快復するだろう。
 気がつけば、先週の金曜日から5日間、一度も外出していない。つまり、まともに歩いていないことになる。慌ててベランダに出て森光子スクワットを60回やり、臀部の筋肉のストレッチに精をだす。数日間ひきこもった経験をもつ方、あるいは入院経験のある方ならわかってもらえるだろうが、久しぶりに歩行すると、自分の手足の動きがぎこちなく、歩きながら照れてしまうこともままあるのだ。扱いが未熟な人間に操られる人形のような動き。腕の振りと膝の上げ下げがずれている。左右が別人になっている。そんなとき、意識せずに自在に動く肉体の素晴らしさに感じ入る。脳と肉体の関係の美しさ。中枢と末梢のバランスあってこうして生きている実際。その単純な事実に感謝さえしてしまう。
 明日は、たとえ雨が降っても、外を歩こうと思う。
4月30日 (月) 地下の国
 未明に起床。コーヒーを飲みながら書見。まずは、いしいしんじの『みずうみ』(河出書房新社)を再読し、それから『地下の国のアリス』(書籍情報社)を読む。これは、かの『不思議な国のアリス』の原本といえる作品で、ルイス・キャロルが手書きで仕上げたオリジナル原本が完全復刻されていて面白い。ななんと言っても、その挿絵の稚拙さがあたたかい。文字は、丁寧に気をつかって書かれているが、こちらも上手くはない。それでも、いや、それだけに、一人の女の子(アリス)のためだけにせっせと書き連ねている作者の姿が浮かんでくる。140年前のぎゅっと集中した思いが冊子となっている。本来、本はこういうものなのだと思い知る。

 鼻風邪からくるくしゃみを連発しつつ本を読み、うりゃうりゃと意味もなく唸りながら4月の終わりを迎えて寝床の人となる。
4月29日 (日) 昭和の日
 MLBのテレビ観戦。まるでマンガのようなアクシデント(初球を打ち返されて先発投手が負傷)で急遽登板となった井川が、あれよあれよと好投。ストレートの走りはこれまでで一番のできだった。しかも、7連敗中のチームに勝利をもたらしたのだから、彼にはまだ強運がついている。
 この試合観戦と食事以外はずっと寝ていた。激しいくしゃみを連発し、鼻水をかんでぼうっとしているうちに「昭和の日」は終わってしまった。
4月28日 (土) 黄金週間
 朝、テレビのニュースを観て初めて、今日から黄金週間と知った。みなさん、どうか交通事故や食あたりにご留意の上、まとまった休みをお楽しみください。こちらは鼻風邪に弄ばれながら諸般の準備に勤しみたいと思います。
4月27日 (金) 野球の注目点
 久しぶりにMLBのヤンキースの試合を観る。もちろん松井秀喜の応援をするのが目的だったが、結局、ヤンキース投手陣の壊滅ぶりに呆然として終わった。ひどいひどいと聞き知ってはいたが、これまでとは。アメリカン・リーグ最下位に位置しているのも無理はない。先発は5回までもたず、中継ぎは四球を連発してタイムリーを打たれ、終盤には4〜6点差となっているのだから、いくらリーグ最強の攻撃陣をもってしても勝ちようがない。トーリ監督の憂鬱な顔ばかりが印象に残った。ただし、ヤンキースのことだから7月に向けていくつものトレードを駆使して立てなおしにかかるだろう。さて、9月の時点でいったいヤンキースは地区何位にいるのか。優勝しているような予感はあるが、とにかく、今季の楽しみはこの一点に絞られてきた。
 ちなみに、日本のプロ野球に関していえば、日本ハムのダルビッシュ投手が年間いくつの三振を奪取するか。このままの調子でいけば、金田や江夏の記録に迫るかもしれない。

 風邪をひいたらしく、喉が痛い。薬を飲んで早々睡。
4月26日 (木) 4月は残酷な季節だ
 昼食後、未開封のDVD群から『木靴の樹』(エルマンノ・オルミ監督 1978年)を選んで観賞。2時間59分の長編ながら、緩むことなくじっくりと最後まで観てしまった。19世紀後半のイタリアの農村を舞台にしたこの映画は、どこまでも写実に徹し、その姿勢によって当時の小作農者たちの悲哀を浮き上がらせている。同時に、そんな貧困の暮らしの中で彼らが何を支えにしていたのかもよく伝わってくる。それが、また、切ない。たかだか100年余り前のヨーロッパの風景。生活。日本も戦前までは、同じような搾取のシステムの下で多くの農民が喘いでいた。
 職業俳優を使わず、オールロケでこの映画を撮ったオルミ監督が敬愛してやまないのが、『自転車泥棒』の監督であるヴィットリオ・デ・シーカらしい。なるほど、と思わずうなずくほど、先人の美点を継承している。もしも白黒フィルムで撮っていたら、作品の印象はよりデ・シーカに近いものになっていただろう。つくづく、映画は監督のものである。
 夜は、田村隆一先生の本を読む。4月は残酷な季節だ。
4月25日 (水) 新しい錦之助
 騒音に耐えながら次作のメモをつらつら書き、それからシャワーを浴びて外出。地下鉄に乗って東銀座まで行き、いざ歌舞伎座夜の部へ。今月は、二代目中村錦之助襲名披露。初代は映画界に移って一世を風靡したあの萬屋錦之助で、彼の甥にあたる中村信二郎が襲名のはこびとなった。
 さて、一本目は『実盛物語』。片岡仁左衛門の実盛、ほれぼれするほどの立ち姿と完璧な芝居で、あらためてその演技力に感じ入ってしまった。その直後、待ってましたの口上がはじまる。舞台の端から端まで23人の役者がずらっと並び、壮麗な輝きの中、師匠の中村富十郎を皮切りに一人ずつ口上を述べていく。そして、緊張の口上を終えた新・錦之助が演じる『角力場(すもうば)』に移ったが、声、切れ、ともに弱かった。ちょと残念な空気が漂う中、舞台は勘三郎主演の『魚屋宗五郎』へ。いやあ………、お見事。酒乱の宗五郎を演じる勘三郎を観ていたら、子どもの頃に観た藤山寛美の酔い姿を思い出してしまった。勘三郎は箍(たが)がはずれた人物を演じさせると本当に巧い。
 終わりよければすべて好し、といった感じで歌舞伎座を後にし、有楽町まで歩いて「まつ惣」へ。芋焼酎を呑みながら、鰹のたたき、鶏皮、豚タンの串焼き、蛸のマリネ、冷奴、冷トマトなどを喰らう。
 ほろ酔いになり、ニンニク臭をまきちらしながら帰宅すると、懐しい人から手紙が届いていた。やっぱり、手紙っていいよな。
4月24日 (火) 卑近な環境問題
 いよいよ隣家からの騒音は激しさを増してきた。朝は嫌でも目が覚める。寝不足だからと昼寝をしようにも、ドリル音がそれを許さない。机に向かうと、背後にある本棚の奥から轟音が迫ってくる。「空庭」を書いているときでなくてよかった、と思うものの、次作のメモ書きすら中断を余儀なくされる状態だ。こういう出来事が隣家への悪意を芽生えさせるのだろう。とはいえ、今般はまだ住人がいないから、もしも苦情を入れるなら業者相手になる。そうなると、ビール券とか商品券とか握らせられかねない。それでは何の解決にもならない。問題は、昼間の執筆環境をどう確保するかなのだ。あああアアアア。
 やっぱり図書館しかないのだろうか。
4月23日 (月) 空庭
 マンションの隣の部屋(5LDKの豪華な角部屋)の工事が本格化し、猫ともどもそのドリル音に脅えながら呆然としている。電話をしていても、こちらの声に騒音がまじってしまう。文句を言っても仕方がないので、じっとしたまま本を読む。これが5月末まで続くとは、いったいどこで原稿を書けばいいのか。
 そんな憂鬱な昼下がり、予定どおりK田さんから電話をもらい、小説の最終校正をやる。十分間ほどのやりとりの末、校了。来月号の「すばる」に新作が掲載されます。タイトルは「空庭」。からにわ、と読みます。造語です。40年ぐらい生きてきた人に読んでもらえるといいなあと思いながら書きました。なかなか死なない、死ねない時代に自殺せず、発狂もせずに生きていくことの思いを、ポジでもネガでもなく描いてみたいと念じつつ執筆しました。よろしかったら「すばる」6月号をお読みいただき、またご感想やご意見を送ってください。

 18時過ぎ、銀座にある「樽平」で千葉さん、いしい、S一郎さんと会食。芝居や映画の話で盛り上がり、二軒目は理佐ママの「青風倶楽部」へ。ここで位田さんが合流し、ほどなくして三軒目に流れ、カラオケを唄って呑む。そして、唯一の現役ビジネスマンであるSさんを(朝が早いからと)帰そうとしたところ、まだ呑むとのこと。そこで「まり花」に顔を出すと、よしこさんが「週刊朝日」の最新号を取り出し、いしいのインタビュー記事と私の書評記事を見せてくれた。その後、いしいと『みずうみ』について話をしかけたところを泥酔したSさんに妨害され、結局2人ではまともに話ができないまま散会。二手に分かれたタクシーを見送ってから一人でタクシーに乗り込み、つくづく空庭を生きることはしんどいことよ、と思った。死んでしまった知人の顔が次々と浮かんできて、困った。
4月22日 (日) 猫のホテル
 午後2時、三軒茶屋にあるシアタートラムで、猫のホテル(という名の劇団)の「苦労人」を観る。この劇団の作品を観るのは初めてなのだが、きっかけは、野田秀樹氏の「ロープ」に出演していた中村まことの芝居が良かったから。藤原竜也や宮沢りえを相手にひゅっとした存在感を発揮していた中村。こんな良い役者が所属している劇団ならば、と期待したが、作品自体が説明的でちょっと残念だった。
 室町時代後半の、戦乱に巻き込まれた或る村の住民の悲劇が、江戸や、戦前や、戦後や、現代になっても連綿として繰り返されていく話なのだが、どれもが中途半端で、「引き継がれる苦労」というテーマがとうに透けて見えているために説明的になってしまうのだ。どうせなら、深沢七郎の『笛吹川』のように、もっと淡々と人が生まれ死んでいく様をうんざりするほど繰り返して見せた方が、恐怖や悲しいまでの諦観を放つことができたのに。或いは、最初と最後(つまり、室町後期と現代)だけを描いてみせても良かったと思う。中村だけでなく、岩本靖輝や市川しんぺーら良い役者が揃っているから、尚更、作品への期待が強くなる。作・演出を手がける主宰者、千葉雅子、頑張れ。
4月21日 (土) 30年前、眠りについて知ったこと
 あきれるばかりの無為の時間をすごす。こういう日も含めて自分の人生が形作られていくのだなあ、と知ったのは、高校時代、20数時間ぶっ続けで麻雀をやって床に就き、目を覚ましたら二日後の夕方になっていたときだった。たしか、27時間眠っていたと記憶している。
 あのとき、生きているってことは目を覚ますことなのだと実感した。同時に、眠りに就くことは、再生の過程であり仮死への突入なのだと理解した。
 明日も目が覚めますように。
4月20日 (金) 春読
 本ばかり読んで小説の再ゲラ確認を待つ。『狂いのすすめ』(ひろさちや 集英社新書)を読了し、『自伝からはじまる70章』(田村隆一 詩の森文庫)を読み、『若い荒地』(田村隆一 講談社文芸文庫)を読む。珍しく澄みきった夕方の空を眺め、田村先生と酒が呑みたくなったところにK田さんから電話が入り、本日は再ゲラが出なくなったとのこと。やれやれ。予定がすべて狂ってしまい、その後は徹底的に無為の人となる。
 夕食後、せめて、と気を取り直し、また本を読む。
4月19日 (木) 恒例、一人打ち上げ
「中央公論」のゲラ校正をやって戻し、週刊誌3誌を黙々と読む。文春の連載マンガ、「タンマ君」(東海林さだお)に大爆笑。"お門違い"のオチ、見事です。東海林さんって、ほんと、凄い人だよな。他には、「AERA」の佐藤優の特集が良かった。中でも、その勉強法は芯を食っていて感心する。
 夜、つけ麺などで夕食をとってから「あら喜」へ。恒例の一人打ち上げ。鰻の肝の串焼き、蛍イカの沖漬けを肴に熱燗を呑み、それから不二才に移る。K原さんと飲食業界の経営者について話をする。いろんな人がいるが、やはり大きくなってからが難しいのだ。
 その後、編集者Sさんと合流して違う店に行き、霧島をロックでやりながら話しこむ。帰宅、3時50分。酔狂。
4月18日 (水) 推敲の日
 長崎市長の死を悼みつつ、終日、小説のゲラ校正。いわば最後の推敲作業になるので、うんざりするまで吟味する。文章を訂正する際には、元原稿をいじって流れの中に置いてみて是非を検討。その上で赤字でゲラに書きこむ。
 24時、やっと終了。バイク便でK田さん宛に送り、今度は「Nile's NILE」の連載原稿のゲラ校正。すべて終えたときには、1時になっていた。やれやれ。しばらく呆然とした後、『カラマーゾフの兄弟』の新訳本(亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫)を読みながら朝まで過ごし、ヒーターを点けて卒倒睡。夢の中に、なぜか真鍋かおりとドストエフスキーが出てきてここでも呆然。
 夢は推敲できません。
4月17日 (火) 粗にして野だが卑ではない
 夕方まで「中央公論」の連載原稿を書き続ける。石田禮助の生涯を描いた『粗にして野だが卑ではない』(文春文庫)を題材に、城山三郎さんの気骨について考え、強い畏怖の念をもって書いた。良い原稿ができたと、ちょっと自負しつつ編集部に送信。それからもろもろの連絡業務をすませ、冷たい雨の中、「あら喜」へ出かけ、「文藝」のO形さんと初めて2人きりで会食する。
 小説についていろいろ話しこみつつ旬の魚と春の野菜を喰らい、途中、小学校2年生になったKarenとあやとりに興じながら後ろを振り返ると、ヤクルトの高津投手が座敷で食事をしていた。そうか、今日の神宮は雨で中止になったから、と納得してまた会話に戻り、次回を約束して散会。帰宅すると、ゲラになった小説がバイク便で届いていた。気のぬけない日々が、まだ続いている。
4月16日 (月) 細切れ睡眠は駄目ね
 寝坊。城山三郎さんの資料を読みこみ、原稿のメモを作ってもう疲れ、早々にベッドの人となる。細切れの睡眠は不得手であります。