| 8月17日 (金) |
淡い紅色 |
2時、起床。ぐっすり眠ったから二度寝はせず、ゆっくりと未明の朝食をとってシャワーを浴び、ゴミを捨て、朝刊を読んで植物たちとカブト虫の幼虫の世話をし、オランとウータの相手をし、6時から創作。読み返しつつ手直しを続け、疲れたところでソファ睡。午後、4枚書き進め、それから『ユング心理学入門』(河合隼雄 培風館)を読む。赤い傍線をひき、時にポストイットも貼り、自分の過去をあてはめてしばし呻吟。あの人の顔が浮かぶ。 夕、静かな雨が降った。 蒔いた種が成長し、淡い紅色の蕾をつけて炎天の彼方へ去っていく。刈り取らねば。 20時、夕食をとっていないことに気づかぬまま、就寝。 |
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| 8月16日 (木) |
熟睡に感謝 |
半ズボンTシャツ姿で自転車に乗り、銀行、郵便局を廻ってマンションに戻ってきただけで目眩がした。肌が焼けた。多治見と熊谷で40,.9℃を記録したらしいが、熱中症で11人が亡くなったと知ってさらに驚く。シャワーで全身にまとわりつく汗を流し、ボトル1本のミネラルウォーターを飲み干してぐったり。夕方には、寝不足もあって早々にベッドの人なる。 ぐっすり眠れるだけで幸せだ。 |
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| 8月15日 (水) |
蕭然の日。 |
朝までがんがん書き、2時間だけ眠って11時半に起床。高校野球、仙台育英VS智弁戦を観てからシャワーを浴び、着替えて外出。地下鉄で日本橋まで行き、三越劇場へ。浜乃久里子、風間杜夫主演の『婦系図』(作・泉鏡花 大場正昭・演出)を観る。どうにも作品に気持ちがいかず、舞台よりも古めかしい劇場の造りに気がいってしまった。早々に劇場を出た後、催事場でやっていた「北大路魯山人展」を観賞。備前、織部による鉢や皿の一点一点に感心。強弱のはっきりしたデザインと絵柄が図太い生命力を放っていて、それは、彼の書にもよく出ていた。また、彼が良寛の書を最良としていたことにちょっとした感慨を覚える。 その後は、島根料理店で食事。鮎の塩焼き、〆鯖、サザエの壷焼、あごの焼き、いわしのさつま揚げなど魚貝類を中心に食べ、超辛口の冷酒で酔う。それから長い夜を過ごし、蕭然と終戦記念の日を終える。 |
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| 8月14日 (火) |
書き出せば |
| 夜になってようやく創作に集中。書き出せば書ける。それが嬉しい。 |
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| 8月13日 (月) |
ユングでフロイト |
| 早朝に植物の手入れをしてもう駄目。この狂暑に歯向かう気も、文句を言う気も起きませぬ。終日、駄目な人として過ごし、ユングの入門書を10ページ読んでフロイト睡。 |
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| 8月12日 (日) |
百恵のキー |
昼間はうだうだと暑さから逃げ回り、夕方から創作。21時には切り上げ、水木しげるさんの実体験を元にしたドラマを観る。香川照之の演技はもとより、工夫された構成に好感を覚える。そしてラストに共感し、水木先生のご健勝を祈願する。 その後、伊勢神宮のガイドブックを「あら喜」のT夫くんに届けたついでに麻布二の橋まで歩き、カラオケ。阿久悠さんを偲ぶつもりだったが、いつしか百恵ちゃんのメドレーを熱唱していた。それにしても、彼女のキーはほんとうに低かったのだなあ。 |
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| 8月11日 (土) |
華火が消えて |
ドン!ドン!ドドン! ドドン! 14時ぐらいから眠っていたら地鳴りのような音で目を覚ました。なんだなんだとリビングに移動すると、窓の向うに見事な花火があがっていた。 ああそうか。 今夜は東京湾大華火祭だった。 20時半の終了までしばし観賞。最後の大輪はなかなか華びらが落ちてこなかった。取材用のヘリコプターも去り、15,000発が打ち上がった夜空に静寂が戻ると、私は夏至の夜中と同じ甘酸っぱさを味わった。終わりに向かっていくと自覚する時に感じるこのセンチメンタル。叙情の根底にあるこの種のセンチメンタルは、どこまでもあいまいな感覚だけど、しっかとこの命の有限を思い出させてくれる。勉強して知るのではなく、生きている結果として堆積してきた数多の経験が、ある時から不意に授けてくる通告のようだ。 ちんたらしてたら終わっちゃうよ。腹決めて一つぐらい真剣にやってみたらどうだい。いつか、必ずあんたのいない夏がやってくるんだから。なっ。
明後日からお盆か。田村先生と亀谷に会いたいな。酒呑みながら痛風対策でも話題にして、脱線するままだらだらと話しがしたい。 |
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| 8月10日 (金) |
視座、145cm |
仕事場のエアコンが不調のため昼間を避けて仕事。したがって、早朝4時半からと日没後に机に向かって書く。構成に不安を感じつつもストーリーはしっかりと動いていて、期待以上に前進していく。8月に入ってからは机に向かった途端に13歳の中学生になってしまい、場面場面を145cmの視座から見るようになった。暑いけどどうにか書けるのは、この変身が楽しいからなのだと思う。 夜、閉店間際の「あらき」へ行って遅い夕食。禁断の生ビール、茶豆、岩牡蛎、鶏の唐揚げのおろし和え、新さんま焼きなどを食し、満腹になって帰宅。河合隼雄さんの本を読みながらツツツツツツッッッッッッッッッ……睡。 |
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| 8月9日 (木) |
水風呂頼り |
串木野産の薩摩揚げをおかずに朝食をとる。薩摩揚げはやっぱり串木野だ。 それにしてもこの暑さよ。書斎のエアコンは、掃除をしても一向に改善されずに普通の風を送りつづけている。そのためにじっとりと汗をかいたまま机に向かい、わずかに前進するたび水風呂に逃げこむ。バスタオルが足りなくなる。
かまきりばたりと落ちて斧を忘れず 放哉
兜虫の糞をすつる真昼 鮟鱇 |
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| 8月8日 (水) |
女よ |
7月下旬から昼夜大逆転の生活、というより、書いて読んで書いて眠くなったら寝るという生活が続いている。体調はすこぶる良い。原稿もここに来て調子をあげているから、許される限りこのペースで最後まで創作を優先していこうと思っている。 本日も9時過ぎにベッドに横になり、15時まで熟睡。夜になって創作をはじめた。原稿は割いた時間に応じて前進し、もっともっと書きたい気分がたかまったが、上滑りを案じて6時で切り上げた。そして、届いた『中央公論』の今月号の巻頭に載っていた吉本隆明氏と内田樹氏の対談を読んで朝食をとり、その後『尾崎放哉句集』(池内紀編 岩波文庫)を読み、『ジョン・ダン詩集』(湯浅信之編 岩波文庫)の「聖なるソネット」を音読してふらふらになる。
女よ女よ年とるな 放哉 |
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| 8月7日 (火) |
ビール、一杯だけ解禁 |
朝まで原稿を書いて6時で切り上げ、具合の悪いエアコンの掃除をはじめる。カバーとフィルターを外し、溜まった汚れを浴室で洗いおとす。それからすでに強烈な陽射しにさらされているベランダで乾かして元に戻す。ついでにこちらもシャワーを浴び、すっきりしたところで素麺を茹でて食べ、ヤンキースの試合を途中まで観てアイスノン睡。目が覚めたら15時だった。 夕方から創作をはじめ、21時までやって外出。久しぶりに「あら喜」へ行き、痛風が発症して以来口にしていなかったビールを飲む。ああやっぱり美味い。加賀太きゅうり、茶豆、鰻巻きを食べながら不二才のロックをぐぴぴ。最後は鮪の漬け丼と貝汁でしあげ、明日から始まる高校野球話をして早々に帰宅してみると、予想以上に自分が酔っているとわかる。やはりビールが効いたのだろう。崩れるようにソファ睡。未明に目が開き、机に向かって新しい朝を迎える。盛夏だ。 |
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| 8月6日 (月) |
想像力の手前で |
広島に原爆が投下されて62年、8時15分、黙祷。映画『ヒロシマナガサキ』(オカザキ監督)のダイジェストをテレビで観る。被爆直後の広島市内の光景や被災者の姿を映したフィルム、被災しながらも生存されている方々の語りの圧倒的な凄みもさることながら、1945年8月6日に起きたこの人類初の出来事を知らない渋谷の若者たちの姿に感じ入る。そこには、私が『他人の時間』で描いた世界がもっとあからさまな形で晒されていた。 歴史の現在性は、実は彼ら彼女たちだけの問題ではなく、きっと私たち年長者たちもまた「ある決定的な史実」を知らずに今にいたっているに違いない。それでも生活はまわっていくのだけど、今、自身がここにいる偶然に思いを馳せないことは、とても惜しい気がしてならない。卑近なレベルであれこれ考える一方で、時にもっと長いスパンでこの愚かな自身を眺めてみると、思いがけない感情がわき上がったり、はっとする発見があるものだ。ひとりきりで過去の人類の歩みに合点し、思わずフムフムと笑ってしまう瞬間すら訪れるときがある。それは、極めてささやかではあっても、とても幸せな体験で、生きている実感すらともなっている。 思いを馳せる。想像力云々を語る前に、まずは思いを馳せること。あらためてそう自戒し、夜はずっと創作。13歳の頃は、蓄えた言葉がたりなかっただけに思いが勝っていた。だから、四六時中イライラもしたのだけど、言葉にならない感情を抱えて世界と対峙していたように思う。その態勢を忘れずにちこちこ書く。 |
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| 8月5日 (日) |
夏の冬 |
| いやあ暑い。こうも暑いと何にも考えられなくなるんだけど、それでもふっと、今日もまた日(照時間)が短くなっていくんだなという思いがよぎる。夏至を過ぎれば冬至へ向かうのだから、それは至極当然の摂理。だけど、盛夏の太陽を見上げて冬を思うと、いつも胸がざわっとする。真冬に夏を思うときも同じように胸がざわつく。期待とか展望とはちょっと違う、もっと時間の流れと自分の日常がからまりあいながら風に吹かれている感覚が、心をかすめる。それは、たぶん、無常感に近い。楽観とも悲観とも違うその感覚を夏がくるたびに味わい、しばらくは愛しいと思う。 |
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| 8月4日 (土) |
呼吸の微調整 |
3時半、起床。朝のうちに創作。昼間、ちょっと外出。猛暑に白旗をあげて早々に帰宅し、迷わず昼寝。夕方に起きだし、再び創作。23時、博多ラーメンで遅い夕食。……それにしてもこの体言止めの連発よ。思考がうまく巡らないとき、体が気怠いとき、文章はどんどん短くなり、文章の体をなさなくなる寸前にどうにか名詞でとりつくろって終わる。おそらくは呼吸の問題ではないか。普段は腹式を心がけているのだが、体や心が落ち着かないと、口呼吸で忙しく事にあたってしまう。 そんなときはロクなことがない。姿勢を正し、丹田に意識を集中してゆっくり呼吸からやりなおさないと、暑気にやられっぱなしで時間だけが過ぎていく。だから、夜中、久しぶりに座禅を組んだ。 |
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| 8月3日 (金) |
13歳の夏 |
午後、ずっと創作。13歳の夏はまだまだ続く。7章で新しい人物が登場してくる。その必然性と性格を考えているうちに思考力がぷすぷすと消え失せる。 よって、早々睡。 |
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| 8月2日 (木) |
夏のパターン |
| ベランダに出ただけでその湿気にうんざり。アイスノンを抱いてマルグリット・デュラス論とオーデンの評伝を読む。予想どおり途中で眠ってしまう。頭がすっきりしたところで机に向かい、ここまで書いた原稿の推敲。13歳の主人公の言動と行動を、47歳のおっさんが吟味する小説家ならではの作業だ。4時間あまり熱中して作中世界から戻ると、やっぱり湿気にうんざり。アイスノンを抱いてまた眠る。 |
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| 8月1日 (水) |
夏はいつも創作 |
東京、梅雨明け。8月に入って梅雨があけていたら、子どもたちは困るよな。もう2週間もすれば海は秋だから、平均気温があがっているとはいえ、実は夏らしい夏は短くなってたりして。夏がねじれだしているのかもしれない。 こちらは終日セルフ自宅軟禁で過ごし、連載原稿をしあげ、予約してあった『カラマーゾフの兄弟 4』を少しだけ読む。その後は資料本にあたり、ひきつづき創作。夏はいつも創作。 |
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| 7月31日 (火) |
横澤さんとオシム |
朝9時に寝て、起きたら15時。熟睡できたらしく、頭はすっきり。シャワーを浴びて近所の銀行へ行き、それから小川書店へ。『日本人よ!』(イビチャ・オシム 新潮社)と週刊ポストを買って帰り、黙々と読む。 久しぶりにポストを買ったのは、横澤彰さんのインタビューを読むため。横澤さんには、彼がフジテレビで活躍されている頃からお世話になり、吉本興行に移られてからも、私の対談番組にご出演いただいた。その際には、銀座7丁目劇場の舞台に2人で立ち、漫才形式で対談を敢行した。その横澤さんがガンを患っていることを、私は知らなかった。インタビューの内容は最近のテレビ業界や吉本の内紛についてが主なものだったが、記事を読む限り、横澤さんの体調は安定しているようだ。とりあえずほっとする。 夜、オシム監督の本を読みおえてから机に向かい、「Nile's NILE」の連載原稿。オシム監督の言葉の裏側について考察し、ついでに『オシムの言葉』(木村元彦 集英社)を再読してしまう。異質の魅力。動乱を知っている人物の洞察に晒された日本、日本人の言葉は、どうにもぬるい。このぬるさと向きあうか。あるいは、歴史を遡っていくのか。考えているうちに夜が明けてしまった。 |
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| 7月30日 (月) |
25年がすぎて |
左手(品川から遠くは対岸の千葉方面)から轟く雷鳴を聞きつつ机に向かい、夜中の2時まで創作。もうだめ、とパソコンを切って居間に移り、おもむろにテレビをつけたら、あみんが映った。しかも、1982年のあみん。「SONGS」というNHKの番組の再放送らしい。「待つわ」を唄う2人の声を聞きながら私はちょっと感動してしまったのだが、それは、私が初めて仕事としてインタビューした相手が彼女たちだった、からだ。 1982年8月。 私は大学4年生、22歳だった。まだリクルートが日本リクルートセンターと名乗っていた頃の名古屋支社で短期アルバイトをすることになり、職場に慣れた頃、上司からあみんの取材を命じられた。当時あった学生向けの新聞媒体用に、一人で取材し、写真も自分で撮ってきて原稿を書けという。私は指示されるまま自分の車で彼女たちが通う女子大まで行き、近くのファミレスで取材をした。何を訊いたか、どんな話が返ってきたか、まったく記憶はないが、急速に人気デュオになった彼女たちのとても疲れた表情は覚えている。最後に店内でさっと撮影をして別れたのだが、社に戻って現像した写真は、背景が真っ黒だった。慌てふためいてデザイナーに相談すると、2人を切り取り処理したレイアウトをすぐに用意してくれた。プロの対応に感心しつつ指定の文字数ぴったりの原稿をしこしこ書いて事なきを得たのだった。ただし、その内容もまたまったく覚えていないのだが。 こんな回想をしているうちに、テレビ画面では、2人が「待つわ'07」という曲を唄っていた。あきらかに声質が劣化していた。張りも伸びも年相応に弱っている。それにもまして、'07ってどういうことよ。四半世紀ぶいのリバイバル。まあ体のいい岡村孝子の復活作戦なのだろうが、あまりに安直で痛々しい。とても最後まで観ていられずにテレビを切り、『僕はパパを殺すことに決めた』(草薙厚子 講談社)を開く。読了して朝を迎え、アイスノンを抱えて寝床の人なる。 |
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| 7月29日 (日) |
安倍さんの鈍感、そしてイラクの優勝 |
第21回参議院選挙は、誰もが(自民党員すら)予想していたような結果となった。まあ議席が30代まで減るとは思わなかったけど。首相は早々に続投を表明したが、その感覚が今回の敗因と通底していることに気がついていないのだろうか。もしくは、後釜がいないという為に周囲も声をあげないのだろうか。彼のこういう感覚の鈍さが、実は政治にとって致命傷であることを国民が表明したのに、だ。つまり、安倍さんは「危機管理能力」が弱いのだろう。外交における危機を語るのは、例えば現在の北朝鮮のように仮想敵国を設定して語ればすむから誰でもできるが、卑近な、同じ文化、社会に生きる者たちが抱く危機については、積極的に察してみせなければ理解できない。今回の結果は、その現れでもあると思う。前回の衆議院選挙で自民党が大勝した際、私はその日('05.9.11)の日記のタイトルに「自民党、真の崩壊のはじまり」と書いた。その選挙の勝利者が自民党ではなく、小泉純一郎個人だったからだ。その恩恵に見事にあぐらをかいてきた安倍首相がこのまま退陣せず、これから半年以内に解散選挙が実施されれば、政権交替は現実のものになるだろう。 ところで、サッカーアジア杯決勝。イラクが勝った。選挙報道の喧噪の裏で、実は私、しばらく感動しておりました。このことは、またじっくり考えてみたい。 |
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| 7月28日 (土) |
オシムJapan |
オシムJapanが韓国に負けました。テレビ観戦した人はわかるとおり、この試合は、相手が一人減った後半内に決着をつけなくてはならないものでした。いわんや延長30分のうちに勝てなかったのは致命的であります。PK戦はオシム監督の言葉を借りるまでもなく、(あのレベルでは)運でしかないなのです。それ故に、川口は一部のファンから「神懸かり」と命名されるにいたったわけです。……なんだか、変な文体になってしまった。「赤旗」みたいだ。 まあ、この結果をうけても、私はまだまだオシム監督を指示します。「日本サッカーの日本化」はたしかに進行していると感じるから。ジーコJapanの無戦術時代に較べれば、そこに監督がいる意味を理解できるから。そして何より、やはり私は、オシムの言葉をもっと聴きたいのだ。ひねくれた哲学者の詩の暗唱のような語りは、今の日本では彼の口からしか聴けない貴重なものだから。(おそらく、20余年後のイチローはオシム的な話芸を披露することになると想像します)。課題は、千葉の選手を超える控え層の発掘と強化につきるでしょう。このままの選手層では、今回のような厳しい大会スケジュールを勝ち抜けない。その見極めは、今大会で終わった。オリンピック世代、U-20世代を含めた選考がこれからの1年で繰り返され、2009年の年初には今とは半数ほどが入れ替わったオシムJapanができあがっていると思う。 どうかその時まで、オシム監督の体調が維持されることを。 |
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| 7月27日 (金) |
愚に愚を |
体調回復のための一日となる。 原稿を追いこむ前に自身が追いこまれるとは。愚に愚を重ねている実感だけをしみじみ味わいながら夜、朝顔に水をやり、カブト虫の幼虫の糞掃除。 |
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| 7月26日 (木) |
だから銀座はつらいのだ |
昼から18時まで創作。それからシャワーを浴びて外出し、山手線で新橋まで出て銀座へ。金春湯近くにある「たくみ」で「週刊朝日」のH山さんと暑気払い。痛風体験で弱気になり、ビールを避けて芋焼酎を「宝山」で乾杯。旬の岩牡蛎を手はじめにおまかせコースを食べながら諸々の話題で盛上がる。とはいえ、話題の底にはいつも面白い本がある。時事話をしても、お互いが敬愛する人についても、最後は本を基軸にして話が広がっていく。それがいい。しかも、H山さんはあまり酒が飲めないので、話がちゃんと着地して記憶として落ち着いてくれる。酔うのはこちらばかり也。 22時半、店の前でH山さんと別れ、久しぶりに文壇バー「まり花」に顔を出す。Yママと2人でドンペリより美味いというシャンパンで乾杯。13年来のつきあいとなるだけに、しかも最近では滅多に銀座で飲まなくなったこともあって、ボトルが空になるまで2人で話しこむ。そして、そろそろと思ったところでリクルート関係者がやってくる。こちらはもう酔っぱらっていて、何を話したかよくわからないままほどなく散会し、ひとりでタクシーに乗って帰る。 ふらふらで降車してマンションの周囲を吐瀉しながら一周し、ちょっとだけすっきりしてどうにか帰宅。リアルに昏倒睡。 H山さん、忘年会はやっぱり麻布でやりましょう。 |
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| 7月25日 (水) |
さて、オシム |
負けました、日本。オシムフリークの私としては、これもまた面白い躓きと受け止め、彼の発言に耳を傾むけ、そして3位決定戦に対する対応と戦術を見てみたいと思います。 後、河合隼雄さんと鶴見俊輔さんの文章を読んで横臥睡。 |
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| 7月24日 (火) |
4時間の映画 |
午後1時、昨日第一部を観た映画、『ナポレオン』(アベル・ガンス監督)の第二部をBS2で観賞。1926年に製作された無声映画の大作で、ナポレオンの生いたちからフランス革命後に国の実験を握るまでが描かれている。80年前の作品ながら、実験的な映像技術を駆使して飽きさせない。また、なんといっても、素材がいい。主人公ナポレオンはもとより、フランス革命を担った実在の人々の特長が的確に描き分けられていて、史実の力を感じる。さらには、社交界を彩る女性陣もしっかり描かれ、恋におちたナポレオンの夢中の姿も作品に奥行きを与えている。4時間が無駄ではなく、願わくば第三部があって、ロシア遠征に失敗して以降のナポレオンも観たかったと期待させるほど。久しぶりにフランス革命時の本が読みたくなった。 その後は、夜まで創作。13歳に戻って考え、眺め、書く。途中、函館から毛ガニが届いた。 |
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| 7月23日 (月) |
頭と尻 |
| 疲労が残り、終日ほとんど横になって過ごす。どかどかと届く本をぱらぱらと読む他は、まったく頭を使わなかった。さあ、7月も残すところ1週間となった。尻がますます焼けていく。 |
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| 7月22日 (日) |
完治で仕事 |
朝起きると、右足親指の痛みは完全に消えていた。指をつまんで左右にいじり、引っぱり、ぐるぐる回して無事を確かめる。いったい昨日までの2日間はなんだったのか、しばらく家の中を歩き回って快復を祝う。 午後からは腰をすえて「中央公論」の原稿を書く。今回は、日本における同時通訳の草分け、西山千氏。夜、遅めの食事をとってサッカーアジア杯の準決勝2試合をテレビ観戦してから再開し、夜が明けたころ、脱稿。推敲して編集部に送信し、ベランダの植物の世話をしながら頭をクールダウン。朝顔、成長のスピードをあげている。それを上回るのがドラゴンフルーツ。先を急ぐサボテンのようでちょっと気持ち悪い。うっすらと汗をかいたところで寝室へと逃げこむ。 |
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| 7月21日 (土) |
痛風やわらぎ、日本勝つ |
朝、目が覚めた時点で、右足の親指付け根の痛みは半減していた。エアコンをつけず、水分を十分とってのんびり過ごし、汗をかき、排泄をくりかえして夕方を迎えるころには付け根の一部を除いて痛みが消えた。気をよくして「中央公論」の連載原稿にとりかかるも、19時にはテレビの前に陣取ってサッカーアジア杯、日本VSオーストラリア戦に集中する。いつもなら酒でも飲みながら応援するのだが、この日は緑茶とおつまみで我慢する。 結果はご存知のとおりで、神懸かり川口が本領を発揮して勝利したが、オーストラリアのGKも見事だった。とはいえ最も印象深かったのは、やはり高原だった。彼に対する評価は7/13の酔狂記に書いたから繰り返さないが、客観的に見て、釜本以来久しく出てこなかった絶対的なストライカーの誕生だと思う。また、中澤の有言実行には感じ入った。偉い選手だと素直に思う。 勝利を祝った後、イラクVSベトナム戦まで観てしまう。0-2。オリンピック候補選手で陣容をかためたベトナムは、予想以上に健闘した。良かった良かったと一人つぶやき、まだ足を引きずってベッドの人となる。 |
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| 7月20日 (金) |
やっぱり痛風 |
7時前、右足親指の痛みで目が覚める。歩くのもままならないほどの痛み。 なるほどこれが痛風か、と感じ入りながらソファに倒れこみ、しげしげと患部をながめる。指でちょんと突いて「ワオ!」と声をあげ、内側から突き上げてくる痛みに耐える。付け根が腫れ、息を吹きかけるだけで痺れを感じてしまう。風でも痛むと書いて痛風。わざと声に出してみたところで痛みはやわらがない。 もう20年近く前、リクルートの先輩社員たちから初めてこの病気について聞かされた。評論家や独立して社長になっていたOBからも。みなさん、美食家で愛飲家だった。長薗くんも気をつけろよ。と言い添えられた。そのうちに部下にもこの病気になる者があらわれた。執筆に専念するようになると、担当編集者の中の何名もがこの病気をかかえていると知った。「あら喜」の常連客にも何人もいた。でもなぜか、私は患わずにここまできた。医者に太鼓判を押された代謝の良さに救われているのだろう、と推察して勝手に納得してきた。しかし、本日、痛風を発症してしまったのだ。 エヘヘヘヘヘ。 落胆すべきなのかもしれないが、私はついにやにやしてしまった。どこかで「やっとなったか」と奇妙な達成感みたいなものが生じ、「痛てえ痛てえ」と声をもらしながら笑みを浮かべる始末。愚者の頬笑み。顔をしかめても一方でときめいている阿呆。困ったもんだ、と自身にあきれる。そして、どうにか2本のゲラ校正をやり、小栗康平監督を囲むパーティーを欠席させてもらい、資料本を読むことに専念して夜を迎える頃には、痛みは3分の1になっていた。 さて、明日はどうなることやら。痛みがぶり返すようなら素直に白旗をあげ、古川橋病院へ行こうっと。 |
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| 7月19日 (木) |
ニュースから痛風? |
朝から「週刊朝日」の原稿。昼食もとらずに続け、14時過ぎに脱稿して編集部に送信する。やれやれと冷や麦で遅い昼食をとり、西山千さんの本を読む。目が疲れたところで本を置き、コンビニへ行って週刊誌や飲料や猫の餌を買って帰りテレビを観る。 北京の段ボール入り肉まんがヤラセだったニュースに触れ、それについていろいろ語るテレビ界の人々の姿をみて思わず笑ってしまう。日本のテレビ界が偉そうに、である。雨後の筍のようにテレビ局が乱立している中国でも視聴率競争が激化していて、日本と同じように、時勢に悪のりした制作者が現れても何の不思議もない。日本であればその時勢が、健康、長寿、ダイエットであり、中国であれば食だったにすぎない。ある意味、お手本は日本のテレビだとも言えるだろう。当然、一党独裁の中国だから政治的な背景があってもおかしくないが、せめて一人でも自戒のコメントを口にすべきじゃないのか。「あるある大辞典」などのねつ造事件は、まだ今年の出来事なのだ。あれらだってちょっと見方をかえれば、「健康」や「ダイエット」のお題目のために段ボール入りの肉まんを推奨していたようなものじゃないか。あちらは(ほんとうにヤラセだったとすれば)実際に食べた者はいなかったが、こちらは、まんまと視聴者が踊らされてしまった。該当商品は毎回すぐに売り切れた。それだけにより悪質だとも言える。 中国社会の肩をもつつもりなど毛頭ないが、自分たちの足もとの汚濁を見ないふりして一方的に責めたてる姿は醜悪でしかない。これでは、日本のテレビ界の自浄能力なんて期待しようがないな、来年にはまたやるよな……そんなことを考えていたら、どうしたことか、右足の親指の付け根が痛くなってきた。 痛風か? |
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| 7月18日 (水) |
早寝が定番 |
| 少しだけ創作。その後は、「週刊朝日」の書評原稿のためにメモ作り。ついでに関連図書を手にとり、いつのまにかその内容に引きこまれて夜を迎え、22時過ぎに就寝。ここのところ早寝が定番となっている。いいこと、だとは思うが。 |
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| 7月17日 (火) |
梅雨寒的一日 |
4時半、起床。創作の合間に同時通訳の神様、西山千さんの本を読む。アポロ11号の月面着陸に関するエピソードなど、歴史の側面を覗く思い、湧く。カレーライスで昼食をとり、イチローの回復具合をテレビで確かめてから机に戻り、岡崎京子の『秋の日は釣瓶落とし』(双葉社)を読了して夕方までまた創作。まだ74枚。夜はパスタを茹でて食べ、デザートに高知産のソルダムを3個平らげたところで眠くなり、22時過ぎにはもうベッドの人となる。 なんだか、梅雨寒(山瀬)にふさわしい一日だった。 |
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| 7月16日 (月) |
………中越 |
地震による揺れで目を覚ます。震源地が中越沖と知って驚き、午前中はテレビの前に釘づけとなる。 3年前、中越地震が起きて4日後に現地を訪ねたが、新潟空港から小千谷にいたる道は土砂崩れや陥没にみまわれ、車は徐行と迂回を余儀なくされた。路肩に連なる電信柱も倒れ、歪み、電線は道路や両脇の田圃にしなだれこんでいた。雪国特有の縦長の家屋は数えきれないほど崩壊していた。私たちが空港に到着する5分前には震度6弱の余震があり、目的地の周辺は新しい土砂崩れや家屋の崩壊に見回れ、電気、ガス、水道はすべて止まったままだった。銀行の駐車場には、車中生活を送っている人々があふれていた。10月下旬とあって日没が早く、太陽が西の山に沈んだ途端、世界は一斉に真っ暗になった。墨色の山々、くすんだ藍色の夜空。宿泊先に戻る途中、信濃川にかかる橋の上に立ち、カー・ラジオから流れてくるNHKの記者の現地レポートを聴きながら、川沿いの地滑り現場で救出活動を続けるレスキュー隊を遠望した。その作業現場だけにオレンジ色の照明があたっていたが、救出された若い母親と長女は亡くなった。幼い長男だけは奇跡的に助かり、長岡の日赤病院へ搬送されてその後の報道の対象となった。 …………。 回復の途上を登り終えかけたところで、またこれだ。 地震や台風をはじめとする天災の繰り返しは、日本人の無常観、死生観に大きく深く影響を与えてきたとあらためて思い知る。最後は崖っぷちしかない島国から逃れることもできずに、周期的に襲ってくる天災に逃げまどう。八百万の神を崇めたくなる心理が生じるのも無理のない流れだ。 東京はいつだろうか。実際的にはほとんど意味のないことを、ふと考えた。 |
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| 7月15日 (日) |
パグと猫 |
早朝から昼過ぎまで創作。昼過ぎ、台風の威力が弱まったところを外出。作中に登場する小道具のために文具、本を購入。ついでにポストカードも買い求める。一葉は、青空を背景にジャンプしている猫を真下から仰撮したもの、ゴムのように伸びた猫の肢体が美しい。もう一葉は、パグと雑種の飼い猫が並んでこちらを向いているもの。おそらくは同じ家で飼われていると思われる二匹の、泰然とした構えがどうしても微笑を誘う。まいったな。思わずそうつぶやいた。 夕、晴れ。夜、豪睡。 |
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| 7月14日 (土) |
過ぎたるは |
| 時おり台風情報をチェックする以外は寝て過ごす。寝過ぎて疲れた。 |
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| 7月13日 (金) |
寝不足の日は忙しい |
2時半、起床。サッカーのアジア杯、ベトナムVSカタール戦の後半をテレビ観戦し、ベトナムの引き分けにうなる。サポーターの応援よりも、高温多湿こそが彼らの地の利になっている。中東のチームには、あの80%を超える多湿がたまらないのだろう。オーストラリアも。 その後はパンで食事をし、14時まで創作。シャワーを浴びて外出し、日本橋兜町にある日本ペンクラブへ。言論表現委員会の新年度初の会議に出席する。東京都の副知事に就任された猪瀬委員長に代わる山田委員長の下、今後の方針が検討されるが、電子メディア委員会と合併した経緯からしてもめる。17時に終了後、同じメンバーの長田渚佐さんから、彼女をはじめとする有志で創刊されたという「スポーツゴジラ」をいただく。無料誌とあって運営はたいへんだろうに現在3号目、偉いよな。 地下鉄で三田まで戻り、寝不足と湿気でふらふらの足をひきずり「あら喜」まで歩く。まずは生ビールを飲み、加賀太きゅうり、しったか貝、佐渡アワビをいただき、不二才に酒を替えてイワシの刺身。20時、目が閉じかけ、帰宅。小一時間だけソファで眠り、日本VSUAE戦を応援する。 高原は、格が違った。ドイツに留まって奮闘してきた成果に違いない。アジアレベルを超えた彼の活躍はうれしいが、これでチームの攻撃が彼を中心に形成されていくと考えると、ちょっと不安も残る。強力な武器は、一方で弱点にもなり得るからだ。たとえばきょうの後半のように彼が体調不良でいなくなった場合、攻撃力は格段に落ちる。敵も彼を潰しにかかるだろう。さて、そのあたりをふまえてオシム監督がどんなチーム作りをしていくのか、それはこの大会が終わった後、来年からのワールド杯予選の楽しみでもある。 |
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| 7月12日 (木) |
ルミちゃんを思えば |
停滞する梅雨前線にふさわしい停滞の一日。ただ、かつて銀座で文壇バー、「月のしずく」を経営していたルミちゃんと連絡がとれたことは嬉しかった。今はソウルで暮らす彼女と一緒に行った真冬のソウル。韓流ブームなど兆しもなかったあの頃。水より安い現地の「真露」をがばがば飲んで死にかけた。生涯きっと忘れることのない旅となったが、思えば、あのとき私とルミちゃんと一緒に飲んだくれたのは、鷺沢萌だった。「長ちゃん、もっとしっかり飲みなさいよ」と脅すように酒をすすめる鷺沢。断れば「情けない!!」と罵倒される始末。仕方なく受けてたつ私。そしていつの間にか酔っ払った私は、「うるせえよ鷺沢、飲みゃあいいんだろ飲みゃあ」と語気を荒げて酒をあおり続けた。3人でホテルに戻ろうと坂道を下っていたら、足がうまく運べずに転んでしまい、起きあがれないまま坂を転がった。私も、ルミちゃんも。だけど、鷺沢だけは元気だった。「なにやってんのよ2人とも」と大声をだして笑っていた。 ルミちゃんを思うと、いつも鷺沢と、そしていっしょに「月のしずく」で飲みまくった亀谷が顔を出す。30代半ばで逝った2人と、どうにか40代を送っている2人。 いろいろあるですよ。 |
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| 7月11日 (水) |
尿酸の夜 |
4時半、起床。7時から机に向かい、10時、テレビでMLBのオールスターゲームを観戦。イチローのランニングホームランに興奮し、後半はカブト虫の糞掃除をしながらアメリカンリーグの逃げ切りを願う。どうにか同リーグが勝利をおさめ、イチローの歴史的MVP受賞を祝す。 腹が減らず、何も食べずに机の前に戻り、17時半まで創作。久しぶりにノルマの枚数を書き、外出にそなえてシャワーを浴びて着替えるも、まだ1時間の余裕があると知ってソファに横になる。そして瞼を閉じて次に目をあけると、1時間たっていた。「ひゃあー」と慌てて髭をそって外へ駆け出す。約束に15分遅れて「あら喜」に着き、「中央公論」の担当N西さん、前任者で今は新書を編集しているK佐貫さんと暑気払い。K佐貫さんの痛風話や同誌の最新号に載っている大庭みな子さんの「遺書、拝読」についていろいろ話す。併せて次号の打ち合わせをすませ、そこからは怒濤の勢いで酒を飲む。何せ3人とも酒好きとあって、不二才はすぐになくなり、新たに頼んだ不二才もあからさまに減っていく。つまみの料理もどかどかと平らげ、話はつきない。 酒がつき、来月の飲み会を浅草吾妻橋近くの某貝料理店で開くことを約束し、散会。K佐貫さん、くれぐれも尿酸にだけはご留意を。 |
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| 7月10日 (火) |
子を捨てる |
午前中、創作。やはり、牛歩。讃岐そうめんで昼食をとり、デザート代わりにとうもろこしを茹でて食べる。その後は、尊敬する山折哲雄さんの『ブッダは、なぜ子を捨てたか』(集英社新書)をつらつらと読む。シッダールタからシャカ、シャカからブッダへと変化していくブッダ(仏陀)の歴史を追跡することで本来の仏教に迫る一冊だが、その根底には、日本の仏教が「日本仏教」とでも呼ぶべき宗教に変容しいていることへの違和がある。 山折さんは、日本の仏教についてプロローグでこう記している。
〈私の目には、ブッダの人生と仏教の歴史が対立したり、分裂したりする光景がきわだって見える。ブッダの人生から遊離した仏教の歴史、ブッダの生死を踏み台にしただけの仏教の歴史が蓄積され、そのあれこれの破片や断片が、あまりにも無造作に積みかさねられてきたようにも見える〉
私たちの知っている仏教がブッダの教えとはもうずいぶん違うものになっていることは、常識の域に入る。それが良いか悪いかの問題ではなく、悟りをひらいた者(覚者)になる前のブッダ、つまりシッダールタやシャカの時代に着目することで、山折さんはブッダの思想の真髄に迫ろうとしている。ブッダはなぜ子を捨てたのか。明快なアプローチであり、それがそのままこの本の魅力になっている。仏教だけでなく、少子高齢化の時代背景、なにより命の意味について興味がある方には、ご一読をお薦めします。 |
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| 7月9日 (月) |
スポーツは体に悪い? |
終日創作、されど牛歩。 19時にはテレビの前に座って塩カルビ弁当を喰らいつつ、サッカーアジア杯の日本VSカタール戦を観る。結果は周知のとおりなのだが、終始、現地ハノイの気候(試合開始時34℃、湿度70%超)が妙に実感されてしかたなく、試合が終わったときには全身にじっとりと汗をかいていた。あの高温多湿の下で走り回る選手たちの体力にあらためて感心。その一方で、「スポーツは体に悪い」という先人の言葉を思い出しながらシャワーを浴び、1時間後には寝てしまった。 |
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| 7月8日 (日) |
僕は地獄へ行こう |
昼前から15時まで創作。それから自転車に乗ってペットショップへ行き、猫用の新しい爪研ぎポールを購入。その帰途、DIY店でカブト虫用のマットを大量に求め、帰宅するなり12匹の幼虫を3箱のケースに分散させる。ついでに幼虫の糞の掃除を黙々とやり、腰が痛くなる。やれやれ。 夜は、『読む人間 大江健三郎』(集英社)をぱらぱらと読む。「すばる」に掲載されていた読書講義をまとめた一冊だが、自身を読む人間として定義している点に強い共感を覚える。人生の基軸としての読書。その回転活動として考えることがあり、書く行為がある大江健三郎の生涯。おそらくは、人生の始末をつけるための作業の一環として取り組まれたのだろうが、内容がきわめて具体的なだけにいいテキストになっている。ちなみに、大江さんが自分の人生を作りはじめるきっかけになった本は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』(中村為治訳 岩波文庫)だった。そこに登場するハックの言葉が13歳の大江少年の胸に深く刻まれ、その後の選択の「時」に重要な役割を担うことになる。
「じゃあ、よろしい、僕は地獄へ行こう」
黒人奴隷であるジムとの友情を守るために当時の法律に反する決定をしたハックのこの言葉。大江少年は、これを(とても貴重だった)ノートの最初のページに書きつけたらしい。 |
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| 7月7日 (土) |
ヤンキースなみ |
| 松井秀喜の応援に集中しすぎ、延長13回の末の敗戦を観終わった時点でフラフラになっていた阿呆は、私だ。今年の前半戦は負け越し決定。ヤンキースなみの為体(ていたらく)だ。かくして惰眠と書見だけで一日が終わってしまった。 |
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| 7月6日 (金) |
砂利 |
夕方まで創作。シャワーを浴びて着替え、外出。地下鉄三田線で大手町まで行き、千代田線に乗り換えて亀有へ。駅前のイトーヨーカ堂9階にあるリリオホールで、俳優、近藤芳正が主宰として活動している劇団DAN DAN BUENO(ダンダンブエノ)の芝居を観る。作品は、歌舞伎の大看板、坂東三津五郎が初めて小演劇に出演とあって話題の、『砂利』。脚本は、本谷有希子がエチュードを見て当て書きしたらしい。演出は、評価高まる倉持裕。三津五郎、近藤の他に、田中美里、片桐はいり、酒井敏也、山西惇。つまり、6人芝居。 結論から言えば、まったくの新作なのにとても古典臭の漂う作品でした。記憶や感情を素材として大事に扱いながら、多かれ少なかれ誰もが内面に抱える空虚の姿を浮きぼりにしていた。初演とは思えぬ完成度。三津五郎、きっちり演っていた。そして、なんといっても片桐はいりの演技よ。あらためていい役者だと感じ入る。声もよく、三津五郎と2人だけになった際の台詞のやりとりは、その声を互いが細やかに使い分け、贅沢な時間を生み出していた。この2人だけの芝居をぜひ観たいとさえ思った。 ところで20年前、東京に転居してきたとき、はじめて暮らしたのが葛飾だった。半年で月島へ引っ越したものの、今でも堀切菖蒲園前の光景は忘れられない。亀有で遊んだことはなかったが、久しぶりに葛飾で金曜日の夜を過ごし、ほのぼの気分で都心へ戻った。踏みつけられた砂利の音が、したかしなかったか。ビールと焼酎を飲み過ぎて忘れてしまった。 |
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| 7月5日 (木) |
優れた寓話 |
| 「Nile's NILE」の連載原稿を書く。優れた寓話に共通する残酷さについて言及。ほんと、記憶に残る話は、たとえ楽しそうなストーリーやキャラで彩られていても、その根底には残酷が潜んでいる。なぜか。そのあたりについて短く書き、担当のM橋さんに送ってほっこり。そのままユルユル気分で夜を迎え、ほんの少しだけ創作。暑い。 |
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| 7月4日 (水) |
栄養ドリンクの功罪 |
創作に没頭しはじめるとつい食事を忘れてしまいがちになるのだが、そういう時、つい栄養ドリンクに手が伸びる。飲む点滴として重宝し、おかげでどうにか2枚余分に書ける。しかし、まだそういう状況下にもないくせに栄養ドリンクを飲んでしまうと、ただ頭がぼおっとするだけでかえって逆効果になる。今日などはその典型で、結局、シャワーを浴びて全身のほてりを鎮める始末。そのために疲れがぶり返し、うとうとして原稿はまったく進まなかった。 阿呆。 |
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| 7月3日 (火) |
師弟関係。と。 |
終日セルフ自宅軟禁。起きている間は書く、あるいは読み、言葉の出し入れができなくなると迷わずベッドに倒れこむ。 そんな中、遅い夕食後、カブト虫の幼虫の糞処理。まあほんとうによく出すもんだ。ついでに生存状況を確認すると12匹。1匹減っていた。やつらは共食いをするらしいから、小さなケースでも早速、冷厳な生存競争がはじまっているのだろう。手を洗って机に戻り、創作に疲れて手にした『先生とわたし』(四方田犬彦 新潮社)がどうにも面白く、一気に最後まで読んでしまった。作者の実際の師弟関係が詳細に検証されているのだが、その豊かで理不尽な関係を通し、あらためて師弟の在り方について考える。思えば、数多の宗教や哲学や自然科学の分野だけでなく、日常の仕事や生活の中にも「師弟」的なる関係は存在する。その価値と限界を探ると、つい胸が痛くなる。憧れと憎悪。忠心と反抗。長い関係の下、それら二律背反な感情がうずまき、言葉の響きとは違う哀切な結末を迎えることも多いようだ。 だけど、と思う。こんな時代に、真に師弟の関係を経験することは、結末はどうであれ幸福な体験である。 と。 |
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| 7月2日 (月) |
喉がかれるまで |
夕方まで創作。シャワーを浴びて着替えをすませ、「あら喜」へ。18時半から久しぶりにK田さんと会食。お疲れぎみのK田さんに元気をつけてもらおうとT夫くん、いつにもまして腕によりをかけてくれる。姫サザエの壷煮、加賀太きゅうりからはじめ、鰺のたたきとあいなめの昆布〆に絶句する。旬の美味に2人でうなっていると、T夫くん、鯨肉をさりげなく出してくれる。これまた……。海の幸ってのはたいしたもんだな、ほんと。 不二才をたらふく飲み、腹がふくれたところで2階(acalli)に上がり、フィレとサーロインを50gずつつまみながらチリの赤ワインを飲む。同じカウンター席には、パパセシルことI垣さんの顔もあった。お元気そうでなにより。いろいろ話して店を後にし、大きなバッグを引きずるK田さんを三の橋で見送ってからまた「acalli」に戻り、ご夫妻とさらに話しこむ。話しすぎて喉がかすれ出し、やっと帰途につく。どうすることもできずに昏倒睡。 |
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| 7月1日 (日) |
ひょっとこの夏 |
夕方まで創作。最低限のノルマ枚数を書き、シャワーを浴びて外出。山手線で東京駅まで出て、八重洲北口にある居酒屋「ひょっとこ」へ。ここは、「あら喜」でもっとも有名な常連客であるK原さんのお店なのだが、「あら喜」の顔なじみで暑気払いや忘年会をやる際、宴会場となってもらっている。アイデアに富んだ創作料理が豊富で、酒(特に日本酒)も粒揃い。しかも、お値打ち料金ときている。さらにいえば、交通の便も文句なし。もしも、私がまだサラリーマンをやっていたら、スタッフをつれて通ったことだろう。この日も、酒と料理を満喫し、いろんな話をして盛上がった。いい暑気払いだった。 かくして、麻布三丁目「あら喜」に集う人々の夏がまたはじまった。 |
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| 6月30日 (土) |
7月は |
14時過ぎから机に向かう。頭の中で小説の次の場面を思い描き、その幸福な光景を眺めているうちに眠くなってしまう。結局、創作は小一時間で中断。 ああ、7月は勤勉の人となろう。 |
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| 6月29日 (金) |
鳥獣戯画 |
カブト虫の幼虫の飼育において気をつけることは、乾燥を防ぐことの他にもう一点ある、と専門家がHPに書いていた。それは大量の糞の処理だとあった。そこで、いったい幼虫らの糞とはどんなものか気になり、朝、マットを掘り返してみた。そもそも何匹の幼虫がいるのかわからずにいたから、見つけた幼虫をすべて外に出していくと、……13匹も。かすかな恐怖感を覚える。そして、マットをよく見てみると、あるわあるわ糞の山。貧弱な朝顔の種のような黒い糞がいたるところに転がっている。指先で感触(まさに朝顔の種のような硬さ)を確かめながら取り出し、百粒ほどを始末した。 幼虫をケースに戻して手を洗い、ケースをじっと見守る猫2匹の傍らで『頭のうちどころが悪かった熊の話』(安東みきえ 絵・下和田サチヨ 理論社)を読む。動物が主役のショートストーリー7編。作品の寓意に引きこまれたのか、頭の中で猫とカブト虫が会話をしはじめ、顔なじみの宅配業者さんがインターホンを鳴らすまであっちの人になっていた。 そんな朝を送った影響か、終わってみれば、まるで鳥獣戯画のような一日だった。 |
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| 6月28日 (木) |
ニャスの世界 |
終日、心身の静養で過ごしたニャス。腑抜けになったニャス。 3度目のベトナム行以来、語尾にニャスを付けてくすりと笑うことが秘かなマイムーブとなっている。語源は、ホーチミン市のタン・ソン・ニャット国際空港。「ニャット」な「ヤス(安浩)」という語感をイメージして生まれた接尾語であります。ニャス。時に、単独でも使用可です。 「これ以上起きていてもトリップして何も書けないし、何も読めないから、もう早々に寝るニャス」 「ニャス」 「では、お言葉に甘えて、ニャス」 こんな感じ。力が抜けます。ストレスすら少し軽くなりますが、とりあえず、仕事場では試さない方がいいと思います。 |
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| 6月27日 (水) |
なぜか幼虫 |
あっという間に死んでいった2組のカブト虫の番(つがい)。今では、すべてベランダの鉢の中で眠っている。彼らが短い夏をすごした飼育ケースはリビングに置いたままで、マットが乾燥すれば霧吹きで湿らせてきたのだが、今朝、幼虫の姿がプラスチックのケース越しに見えた。どういうこった? しばらくその芋虫姿を眺めながら考える。おそらく、番を買ってきた段階でマットには卵がいたのだろう。18時まで創作をやってまた観察すると、幼虫は3匹になっていた。マットをめくればもっと多くの幼虫たちがうごめいているに違いない。こうなったらこれらの幼虫が蛹になり、そして成虫になるまで面倒を看ることにする。 夜は、ベトナム行で世話になった編集者Aさんと刺身を中心に食べ、京都の純米酒「古都千年」を飲み続ける。湯葉の刺身が格別に美味かった。ああ、久しぶりに川床に座って京の夏に酔ってみたいものだ。 |
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| 6月26日 (火) |
命乞い |
前日の宴の余韻につつまれた中、さっそく芽を出した朝顔に感激し、長い間ベランダで中腰になってすごす。その後、何本かの連絡業務をすませ、新聞を数日分読みなおして夜を迎える。 ニュースを見る。光市母子殺害事件の差戻し裁判の報道で、被告の元少年(現26歳)の弁明を知り、あきれつついろいろ考える。弁護団の創造した物語に即したその内容はただ「卑しい」だけなのだが、その「卑しい」弁明が生まれてくる根底には、被告自身の「命乞い」が透けて見える。差戻しを指示した最高裁は、新たな事実がなければ被告には死刑が妥当と宣言しているのだから、無期懲役と目論んでいた被告も焦っているのだろう。自分の命の終わりとやっと真剣に向きあったのだろう。一、二審と内容が矛盾しようが、物的証拠や状況証拠がいくら揃っていようが、とにかく亡き母を求める行動の一環として2人の殺害を物語の中に吸引しようとしている。 失礼な話だと思う。母を亡くし、厳しい暴力的な父をもってしまった男の子は、ならばみな被告のように殺人を犯しても死を免れることができるのか? 被告の幼児期や成長期に同情することはやぶさかではないが、それと殺人は別の次元にあるものだ。因果の関係にするには、他者の命を殺めた事実は重すぎる。さらにいえば、被害者とむりやり性交している事実は亡母を求める行動物語においても異常であり、今回の弁明を聞いても矛盾点として際立つ。おそらく弁護団だってそんなことは知っている。彼らは、あくまでも死刑廃止運動の一環として被告を弁護している。そのことは前回の公判における彼らが書いた物語を読めば明白である。手垢のついたトラウマ物語。 今さらの命乞い。他者を殺して命乞い。卑しさの極みであろう。 |
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| 6月25日 (月) |
講義のあとで |
2時間ほどだけ寝て軽く食事をし、黒の麻のスーツにTシャツ姿で家を出る。地下鉄三田線に乗って西巣鴨まで行き、大正大学へ。久しぶりに渡邊直樹さんにお会いしてから創作科の1,2年生100余名相手に講義をする。準備万端故につい話しこみ、質疑応答の時間を5分しか用意できなかった。終了後、数人の学生から質問を受け、大学を後にする。寝不足もあって強い疲労感を覚え、どこにも立ち寄らずに自宅まで帰る。 コンビニ弁当で遅い昼食をとり、シャワーを浴びて1時間眠り、再び外出。地下鉄で神保町まで行き、17時半過ぎ、三省堂書店で渡邊さんと合流。明治大学のリバティタワーの23階にある店で、生ビールで打ち上げ。曇天の下にひろがる皇居を中心にした眺めを味わいながら、渡邊さんの近況や伊勢神宮についていろいろと話す。『宗教と現代がわかる本 2007』(平凡社)の話題もつきない。ビールを3杯飲んでから下界に降り、鳥魚料理の「八羽」へ移動。焼き鳥の盛り合わせをいただきつつ芋焼酎をぐびぐび。話、いよいよ盛況。腹が膨らんだところで店を後にし、今度は小宮山書店の5階にある同店系列のバー、「書斎」でカクテルを飲む。思わず身をあずけたくなるような立派な骨格をもつ女性バーテンダーが軽快に酒をつくってくれ、そのしっかりした味を堪能。話は止むことなく、旧交をあたためる、とはこういうこととあらためて思い知る。 渡邊さん、ありがとうございました。おかげ様で楽しく刺激的な、文字どおり酔狂な一日を過ごすことができました。 |
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| 6月24日 (日) |
珍しく書きっぱなしの日曜日 |
午後から創作。18時までに4枚書き、出前でとったうな重をかっこんでさらに3枚書き、22時半で切り上げる。そこから先は明日の大正大学での講義用にレジュメ作成。軽い気持ちでまとめはじめたものの、テーマがテーマ(創作の諸問題)なだけについ夢中になり、11枚書いて安堵したときには東の空が明るくなっていた。 アイスノンを抱きしめて緊急睡。 |
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| 6月23日 (土) |
さて、今年の朝顔 |
| 松坂大輔のピッチングをテレビ観戦し、冷し中華を食べる。午後、しばらく創作。3章で停滞。夕方、自転車に乗って麻布十番まで行き、細竹5本と「ツチカエール」を購入して帰る。朝顔の種まきをするために土の再生作業をやり、それから買ってきた竹を土にさしてタコ糸で組んでいく。20時過ぎにどうにか作業を終えて種をまき、冷しゃぶサラダで夕食。ずっと中腰で作業をつづけたために腰がいたくなり、机に戻ることなく早々に横臥睡。体力減退はなはだし。 |
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| 6月22日 (金) |
仁左衛門は美しい |
どうにか15時半まで創作をやり、地下鉄に乗って東銀座、歌舞伎座へ。六月大歌舞伎の夜の部は、まず、新歌舞伎の名作『元禄忠臣蔵』から御浜御殿綱豊卿(二幕)。これはもう片岡仁左衛門の独壇場で、芝居、見栄え、どれをとっても美しく、文句なし。現在の浜離宮を舞台に、作者、真山青果の台詞の応酬が二人の男の意気地と胆力を浮き上がらせ、その渦をまくような盛り上がりの中心にいつも仁左衛門が立っている。いよ、松嶋屋!! 次は河竹黙阿弥作の『盲長屋梅加賀鳶』(それにしてもすごいタイトルだ。今だったらまちがっても使えない)。金のためなら人殺しも平気でやる悪按摩の道玄を松本幸四郎が演じ、加賀鳶の松蔵を中村吉右衛門が演じる。つまり、兄弟による世話狂言。話の筋がわかりやすく、芝居もたえず滑稽の味をたたえているだけに、多くの外国人を含む観客におおいに受けていた。幸四郎が道玄をやるのは一昨年につづきまだ二度目だが、彼の意外な面白味がうまく出ていた。 最後は同じく黙阿弥の歌舞伎舞踊『船弁慶』。市川染五郎の静御前の舞が見物だったが、滑らかさが足りないように感じた。踊りの確かさばかりが目につき、着物の艶やかさとは裏腹に艶(つや)を堪能できなかった。ただし、二役で演じた平知盛の霊は見事だった。 観劇後は、いつもように酒を飲んで語り尽くす。八海山、玉の光といった冷酒と串物の組み合わせ、最後は酢の物で仕上げ、タクシーに乗るや眠ってしまった。ホーチミンの疲れがぶり返しそうだ。反省。 |
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| 6月21日 (木) |
だめじゃん |
| 書見の他に「中央公論」のゲラ校正と戻しをやっただけで、後は前日とほぼ変わらない一日を過ごす。だめじゃん、まったく。 |
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| 6月20日 (水) |
いやはや |
| 終日惰眠。虚脱、腑抜け、……呆然。 |
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| 6月19日 (火) |
オラン、おしっこ |
朝、成田に到着。ラウンジでコーヒーを飲みながらホーチミンの地図(中国語版)を眺め、ふっと横を向いたら、草刈りをしているもんぺ姿のおばあちゃんの尻が目に飛びこんできた。ガラス張りの窓の向うは日本の初夏だった。 成田エクスプレスで帰京し、猫2匹に迎えられる。オラン、かすかに大きく見える。最後のカブト虫(♂)が死んでいた。溜まったメールや郵便物のチェックをしているうちに眠くなり、横になって目がさめたら夜だった。オラン、異臭でも嗅ぎつけたのか、バッグにおしっこ。中に入っていた書類や資料がゴミと化す。夕食をとってまた眠気に襲われ、逆らうことなく眠りにつく。 |
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| 6月18日 (月) |
さよならホーチミン |
6時20分、起床。この3日間でもっともよく晴れている。和食を中心にバイキング式の朝食をとり、しばし休憩後ケム・バクダンへ行ってコーヒーアイスを食べ、ホテルへ戻ってからタクシーでビンタイン市場へ。内部の店をちらっと見て市場前のロータリーを横切り、骨董品店が並ぶレコンキエウ通りをきっちり見て回る。土器や浮世絵といった一目で偽物とわかる品々も多く、まあどこまでほんとうの骨董なのかは怪しいかぎり。それからレロイ通りに戻り、黙々と歩いてお目あての「フォー・クイーン」を目指す。前回も前々回も訪ねた街中の、日本でいえば古くからあるラーメン屋さんのようなフォー専門店。西麻布「キッチン」の鈴木さんから直々に教えていただいた店なのだが、その味に魅了されてまたまた訪ねてしまった。40円値上がりしていたが、その味は裏切らない。溢れて流れ落ちる汗も気にせずに食べ、サイゴン・レッド・ビールで喉をうるおし、「美味い!」を連発しながらまた喰らう。正直、これを食べるためにやってきたようなものだ。日本人や白人に会うことないエリアで、地元の人々にまじって喰らうこの180円のフォーこそがホーチミンの魅力の代名詞なのだ。私にとって。 さすがに帰りはタクシーに乗ってホテルへ帰った(初回は歩いて帰ったのだが……)。シャワーを浴びてチェックアウトまでの時間をどうすごすか考え、プールと同じフロアにあるスパでフットマッサージをうける。足裏をもまれるうちに眠ってしまった。極楽。失禁しなくてよかった。 チェックアウト後の最後の夕食は再び「ベトナムハウス」で。飽きずに333ビールを飲んで生春巻きを食べ、最後は蟹炒飯で仕上げる。名残惜しさから白ワインを一杯だけ飲んで店を後にし、ホテルのラウンジバーでアイスコーヒーを飲んで20時45分、迎えの車で空港に向かう。結局この3日間、一度もスコールがこなかった。「他人の時間」のおさらいのような旅だっただけに残念。そんな心のこりをかかえつつも、もう当分ホーチミンには来ないだろうと思いながら帰途の人となる。地図を見なくても歩けるようになったホーチミンの市街地は夜中でも煌々と灯りがともり、飛行機が上昇していく間、ずっと真下で輝いていた。 |
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| 6月17日 (日) |
チョロンは怖かった |
6時20分、起床。バイキング式の朝食後、これまで行ったことがなかった中国人街チョロン地区へとタクシーで向かう。ビンタイ市場前で車を降り、むっすとする臭気の中、市場へと入っていく。ほとんどが卸のために商品を置いているからか、観光客相手ににぎわうベンタイン市場とは様相がことなる。険しい気配を感じながら中庭へ抜け、ほっと息をついてベンチに座る中年の男をちらっと見て足がとまった。顔の左半面、目から下の肉が四層になって垂れ落ちているではないか。あえてたとえれば、巨大なサルノコシカケが四層になって垂れている。もっとも下の肉は首の半ばまで落ちている。唾をのみ、息をのみ、そっとその場を離れるしかできなかった。おそらくはベトナム戦争時の枯れ葉剤などの後遺症なのだろう。むきだしの戦後を目のあたりにした思いを抱えたまま市場をぐるっと回って外に出、市場の回りの外商地区を歩く。文具店はまずまず面白かったが、歩道の保全がひどくて歩きづらく、強烈な臭気もつきまとって気分が悪くなる。しかも、怪しい人々の数が半端でなく、自然と市場から足が遠ざかる。チョロンはデュラスの『愛人』の舞台とあってガイドブックではずいぶん面白く紹介されているが、女性が一人で訪ねることはお薦めできない。あきらかに鞄をねらっている男たちがぶらぶらしていた。 流しのタクシーを拾ってホテルに戻り、汗で濡れきったシャツを脱いでプールへ。ひと泳ぎしてから333ビールを飲み、また泳いでクラブサンドウィッチを食べる。弛緩。夕方、近場を散策。書店内の文具売り場で5センチの厚さがあるノートを買う。いったいこれほどのノートをどうやって使うのか。実際に使って検証してみたい。 夜は、前回初めて行って気に入ったサイゴン川に近い「マキシムズ・ナムアン」へ行き、淡水魚の料理で腹いっぱいになり、赤ワインをぐびぐび飲んでできあがる。ホテルへの帰路、シェラトンホテル脇のオープンカフェでジントニックを飲んで仕上げ、スコールが来ないことを憂いつつシャワーを浴びて卒倒睡。 |
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