| 10月18日 (木) |
不可逆と知りながら |
2時間寝ただけでまた目が覚め、芥川龍之介とドストエフスキーを交互に読みながら昼まで過ごし、仮眠。夜は、中央公論新社主催の谷崎賞のパーティーがあったが、行けばまた深酒になるのは必至で、体調を考慮して欠席し、ウータと戯れる。電話でAさんと話した後、パ・リーグ優勝を果たしたファイターズの選手たちのコメントをテレビで確認してからウータと床につく。
生い立ちですべて決まるには、人生は長すぎる。
上野千鶴子(「婦人公論」11.7号.2007より) |
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| 10月17日 (水) |
新宿の夜 |
4時起床。昼までに『ロンメル進軍 リチャード・ブローティガン詩集』(高橋源一郎訳 思潮社)と『猿橋勝子』(日本図書センター)を読了。スパゲッティを作って食べ、『ノルゲ』(佐伯一麦 講談社)を読みながら仮眠。4時に起きて風呂に入り、着替えて外出。地下鉄で新宿へ向かう。 18時過ぎに「ルージュ」へ行き、荒木さんのインタビュー。『幸福写真』(ポプラ社)をネタに荒木さんの写真の変遷について話を聞き、数年前からの変化の本質について語りあう。荒木さん、この月曜日に白内障の手術を受けたばかりだというのに、いつものようにサービス満点の対応をしてくださる。ありがたい。最後は、「ルージュ」名物の艶やかな花の前で2人椅子に座って写真を撮られる。撮影は、宗教関連の写真で活躍されている藤田庄市さん。その後は当然のように「花車」に流れ、荒木さんの快気祝いにバーボンで乾杯し、荒木さんの写真にも登場しているライターのU田さんが合流したところでカラオケ大会へ突入。まずは「月刊太陽」時代以来20数年ぶりに荒木さんと仕事をした渡邊さんがリクエストにこたえて3曲唄い、おれがその流れを受けて唄い、U田さんも唄う。こうなると荒木さんはいつも携帯しているカメラでばんばん撮影。藤田さんもばちばち。こちらも臆さずにエンターテイメントに徹して唄い、舞う。とはいえ術後間もない荒木さんの疲労は隠せず、早々に散会して荒木さんを見送り、残ったメンバーはしばらく「花車」で歓談してから店を出る。そして、おれと渡邊さんはゴールデン街の「しん亭」に移ってやっと食事をし、別企画の打ち合わせ。芋焼酎で仕上げて店を出ると1時だったが、渡邊さんからもう一軒と誘われ、10余年ぶりに文壇バーの「風花」へ。ママ(荒木さんと同じ昭和15年生まれ)がおれの名前を覚えていて感嘆するも、カウンターの一角を陣取った某文芸誌の編集者たちの会話に渡邊さんもおれも嫌気がさし、ママに謝ってビールを飲んだだけで店を出る。最後はちょっと苦かったが、実に濃い一日だった。年に一回ぐらいなら新宿の夜もいいか、と思った。 |
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| 10月16日 (火) |
不審者 |
| 2時間ソファで眠っただけで目が醒めてしまう。そのまま起きだし、寝室へ入らずに散歩に出る。7時過ぎ、勝手知ったる魚濫坂界隈を歩いて戻りつつコンビニに寄って飲料を求め、レジ前でストールを首に巻いた若いOLさんの後に並んだ。おれは短パンに長袖Tシャツ姿だった。小顔の美人OLは怪訝な目をちらっとおれに向け、そそくさと出口へ急いだ。ただでさえ世間から外れて暮らしている者にとって、この季節の外出はいろいろいちいち面倒くさい。 |
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| 10月15日 (月) |
談笑ナイト |
| 18時半、地下鉄で神保町まで行き、アマゾン帰りの渡邊直樹さんと集英社脇の「嘉門」で打ち合わせ。執筆予定の内容に抜本的な修正が必要とわかってよかった。おまかせの食事を終えてしばらく談笑後、散会。タクシーで帰る途中、まだ早いからとつい行き先を銀座に変更。「D・ハートマン」でM田店長と談笑しながらカクテルを一杯だけ飲み、今度は「まり花」に顔を出す。ここでは焼酎を飲みながらY子ママと談笑。さあ帰ろうと思ったらママからG8ビルの真裏にあるバー「Queen's」に誘われ、カプチーノを飲んでまた談笑。3時半過ぎ、ふらふらになってタクシーに乗り込み、帰宅後、迷うことなく即身成仏。 |
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| 10月14日 (日) |
ひとり寄せ鍋 |
| 涼しさもここまでくれば、とニンマリ。今季初のひとり寄せ鍋を敢行する。豆腐、ネギ、旨し。蟹、ホタテ、なお旨し。ああ俺はいつになったらジムに行くのだろうか。ぽっこり膨らんだ腹をなでながら西の空を眺める。 |
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| 10月13日 (土) |
奥歯を噛みしめて |
半ズボンと長袖Tシャツを身につけ、窓を網戸にして書見と惰眠。猫まさりのマイペースで時を費やす。ひょっとしたら、人生において今がもっとも平和な時期なのかもしれないと思う。ただし、それを充実とは感じられないあたりが人間のややこしいところ。利己と利他のバランスをはじめ、10代の頃から求めてきた端と端の一端を手放していることに起因しているからか、と考える。そんな薄ぼんやりした思索の一部をメモに残し、それだけでまた惰眠にすべりこむ。
久しぶりに無駄な遊びをしたと 奥歯を噛みしめて喜んでいる ねじめ正一「結婚通知」より抜粋 |
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| 10月12日 (金) |
ガラにもなく |
黒川紀章さんの急逝には驚いた。でも、ご本人には予感めいたものがあったんじゃないかと思う。その予感が都知事選以降の彼の行動を後押ししたのではないか。言っておきたいことを言い、やっておきたいことをやってみたかったのだろう。そんなことを考えながら19時半、「あら喜」へ。 予約していたいつものカウンターに座ると、真後ろの座敷に戦力外通告を受けた高津選手がいた。妻子とともにのんびり食事をしていたが、心中は穏やかであるはずはなく、素知らぬふりしてY部ちゃんを待つ。20時、Y部ちゃん到着。早速、朝日新聞出版局の書籍・文庫編集部の編集長になったことを祝って乾杯。久しぶりの会食ながら、もう12年の付き合いになる彼女と不二才をぐびぐびロックで飲りながら旬の肴を食し、閉店まで諸々話してカラオケ。同じ年とあって「スター誕生」時の阿久悠大先生を偲び、彼の楽曲しばりで気炎を上げ、我がマンションの前で別れる。厳しい出版状況を思えば大変な仕事についてしまったY部ちゃん。彼女が難事をクリアしていくためにちょっとでも役に立てればと、ガラにもなく思った。 |
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| 10月11日 (木) |
意見の交換 |
17時半に外出。山手線に乗って新橋まで行き、東新橋にある韓国料理の「梁の家」へ。同店の座敷部屋で朝日新聞メディア研究プロジェクトのメンバーの方々との食事会に出る。まずは生ビールで乾杯し、調理をつまみながらメディア企画、マーケティング、コンセプトワーク等について問われるまま話す。酒はマッカリに替わり、次々と(飽きれるほどの種類の)料理が出てきてもとにかく話を続ける。途中、Gさんの携帯電話が鳴り、村上春樹さんがノーベル賞に選ばれなかったと知らされる。ロンドンのオッズでは2番目だっただけに、新聞社としては万全の対応をとっていたらしい。その後も22時まで間断なく意見交換をやり、みなさんに見送られてタクシーに乗りこむ。よくしゃべったからか、シートにもたれた途端どっと疲れ、帰宅後すぐに仮眠。目が醒めてからは朝まで書見。日本におけるキリスト教について考える。 いい気候になってきた。 |
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| 10月10日 (水) |
いしいしんじのスーツ姿に遭遇す |
夕方まで撃沈。目を覚ますと酒は抜けていたものの体は重かった。そこでベッドからソファに移動してまた横になり、青来有一さんの『爆心』(文藝春秋)を再読。長崎と原爆についてぼおっと考え、林京子さんの本を数冊注文する。その後は猿橋勝子さんの伝記を少し読み、がっつり夕食をとったらまた眠くなり、牛よりも早く眠ってしまう。とはいえすでに寝過ぎているのだから夜中に目が開き、未開封だった「Nile's NILE」10月号をぱらぱらめくっていたら、……なんとスーツ姿のいしいしんじの写真が掲載されているではないか。しかも、いしいはいわくつきの銀座三越のライオンの前にいた。ネクタイまでして。彼とは17、8年のつきあいになるが、ここまできっちりしたスーツ姿を見たことはないからもう爆笑。ひとりで喝采まであげ、時刻も気にせず驚嘆メールをいしいに送ってしまった。 俺も明日、ひさしぶりにネクタイ締めてスーツを着てみるか。 |
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| 10月9日 (火) |
火曜日の宴 |
夕方までに連載原稿を書き上げ、シャワーを浴びて外出。地下鉄で飯田橋まで行き、神楽坂へ。Wさんの案内で昔風の炉端焼き「ろばたの炉」神楽坂通り店に入る。六本木の「田舎屋」を広くしたような店構えで、日本酒、焼酎が充実していて、なんと不二才まであった。ひゃっホ! 嬉しくなってロックでぐびぐび。旬の食材を楽しみながらいろいろ話をし、今度は渋い赤ワインが飲める店をリクエスト。そこで「MATOI」に流れ、きっちりボトル1本飲りつつ、同店のアルバイトの学生T場くんもいっしょに話しこむ。こうなるともう酔狂の域に達し、なぜかカラオケまでやり、早朝、Wさんを送ってから帰宅。タクシーを降りる際、運転手が声をかけてきた。 「いやあ、きょうはお客さまのおかげでいい一日になりそうです」 「……そりゃ良かった」 俺は半睡状態で料金を払い、ちょっと怖いぐらいべったりとした笑顔をふりまく運転手に見送られながらマンションに逃げこんだ。先週といい今週といい、火曜日の宴は鬼門かもしれない。 |
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| 10月8日 (月) |
「肝心の子供」ほか |
土曜日に届いていた「すばる」と「文藝」の最新号を開くと、どちらも新人賞の発表をしていた。それぞれ2名の方が受賞していたが、ざっと読んでみたところ、文藝賞の「肝心の子供」が抜群に面白かった。作者は磯崎憲一郎さん、42歳。10代の受賞すらすでに珍しくない同賞にしては老いた新人だが、ただ淡々と偽史まじりのブッダ親子三代記を書いている。それがどうした、と問いても、だから何なんだ?と問いても応えない作品。読む。留まる。考える。いろいろ想像する。で、また読み進め、同じ脳内活動をする。ここにあるのはあくまでも説話でしかなく、後は読者が膨らませる。説明の多いわかりやすい小説に慣れきった人には不満が残るだろうが、独特の文章のリズムを味わいながらまずは一読してほしい逸品である。 しかし、これらの新人賞がまったく霞んでしまうほど素晴らしいのが、「文藝」の笙野頼子特集だ。日本の現代文学の貴重な牽引者である彼女を知るには(無論その作品群を読むのが一番だが)、とりあえずこの特集にふれてみることだ。そして『笙野頼子三冠小説集』(河出文庫)をひもとけば、こんな作家が日本にいるのかと感嘆する人と、絶対無理と離れる人にはっきり区分されるだろう。まあ前者は少ないと思うけど、彼女の存在を知るだけでも意味はある。俺は、彼女の本を読むたびに脳内がかなりシャッフルされるから読んでいる。つまり、一度混乱が生じ、その状態から逃れようとあれこれ考える作業を強いられ、それが気持ちいいから、時おり集中して彼女の本を読んでしまう。 雨の体育の日、これら以外に2冊の単行本を読んですごした。おかげで、脳はよく動いた。次作への道もぼおっと見えてきた。 |
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| 10月7日 (日) |
古田の空 |
17時に麻布十番へ。「あら喜」のT夫くんと同店の常連のA木さんと待ちあわせて、タクシーで神宮球場へ向かう。スワローズの古田の引退試合を見に行く。青山墓地の前を通りすぎるとき、ビルマで亡くなった長井健司さんの通夜をしらせる看板を見かけ、合掌。間もなくして球場に近づくとすでに長蛇の列ができていた。東京ドームとは勝手の違う素朴な誘導に従って球場に入り、一塁側ベンチの上20段目のシートに座ったときには、17時45分になっていた。 早速ビールで乾杯し、練習する古田の姿を眺める。実は、「あら喜」には高津選手をはじめスワローズの選手がやってくる。古田も選手時代に来ていて、T夫くんと外見も体格も似ているとあって2人で撮った写真もあるぐらい。スタンドにはすでに歓声がうずまき、古田が5番で先発と発表された際には、さらに歓喜の声があがる。試合が始まってみるとスワローズの貧打がめだち、さすがに5位と6位の内容でしかなかったが、古田の打席だけはヒートアップ。それでもヒットが出ないと、2杯目のビールを空にした俺は、「佐々岡を出せ!」と広島ベンチに声を出す。前日に広島で引退試合をしたばかりの佐々岡だけど、入団同期の古田に投げれば両者の好い記念になるはず。スワローズに逆転を期待できないならブラウン監督に演出を頼むしかない。すると、8回、2アウト古田の場面で佐々岡が出てくるではないか。さすがMLB育ちの監督は違うよな、ショービズがわかってる。この2人の対戦を見られただけで、来てよかったと実感できた。 試合後の引退セレモニーを見届けて球場を後にする。途中、振り返って球場を見上げ、空の下で野球が観られるのはいいもんだ、とつくづく思う。古田も神宮の空の下で18年間野球をしたんだよな。空は、雲は、おうおうにして見上げる者の映し鏡になるから、機会があれば、古田と空について話がしてみたい。昼夜を問わずユニフォーム姿でふっと見上げた神宮の空。きっと、彼ならではの空の話が聞けることだろう。 |
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| 10月6日 (土) |
だったら問題ない |
日があるうちに表参道の眼科へ行って定期検診。問題はなかったけれど、老眼対策のためにコンタクトレンズの度数を抑え、遠くよりも近くを優先するレンズを選択。眼鏡をかけるときは老眼症状は出ないので、これで内外に限らず苦労せずに本が読める。 日が暮れて帰宅後、13年前に「ダ・ヴィンチ」のスタッフが結核見舞に贈ってくれた立派な(一度も着たことのない)浴衣を持って着物屋さんへ向かう。これを着て採寸の精度を上げ、それから長襦袢と羽裏のデザインを選ぶ。前者は役者絵、後者は風神雷神にする。いやあ酔狂。最後に羽織の色と生地を選び、年内納品で話がまとまる。店を後にする際、オーナーから「失礼ですが、どういうお仕事をされているんですか」と訊かれた。そういえば、眼科でも同じ質問を受けた。 「もの書きです」 「何を?」 「小説とか、コラムとかエッセイとか」 「ご自宅で?」 「ええ」 「だったら問題ないですね、よかった」 なぜか、やりとりまでまったく同じだった。まあ、近くを優先するレンズを選ぼうが、酔狂な着物を身につけようが、何やっても問題ないんだな。俺は。帰路、世間から外れた者の恍惚と不安をしっとりと味わった。 |
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| 10月5日 (金) |
幸福写真 |
荒木さんの『幸福写真』(ポプラ社)をじっくりゆっくり眺める。荒木さんがあえて"幸福"にこだわったところにこの写真文集の新しさがあるのだが、俺がじっと見つめてしまったのは、今もちゃんと荒木さんと暮らす猫のチロだった。人間でいえば優に100歳を超えていて、だから当然のように痩身になってしまったチロは、傑作『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社)の最後で、雪が積もった荒木宅のバルコニーを跳ねていた。陽子さんが亡くなった後に降った大雪と戯れ、放物線を描いて飛び回るその姿に、荒木さんは精一杯の希望を見たのだろう。あれから17年がたち、荒木さんが撮る"幸福"。深いね。いいね。あとがきにこんな文章がのっていた。
今でもバルコニーで花とか雲とか写してるんだけどね。今はすごいよ、廃墟ってゆーよりジュラシックパーク。みんなどんどん錆びついて、ガタがきて、壊れてく。でも、それも魅力。生きてるのか死んでるのか、愛おしいものがそこに在る感じ。無意識に墓場にしてるのかなー。墓場、墓地。オレの原点。みんな、元に戻る。愛おしいものに戻る。
こんなのを読むと、嬉しくてつい涙が出そうになる。人間の大元(おおもと)がいいんだよね、荒木さんは。腐蝕好きの俺は、荒木さんのガタついたバルコニーを隅々まで見回し、そして見上げた空に目を細めた瞬間の"幸福"を知っている。今月某日、「愛おしいものがそこに在る感じ」を感じて生きている荒木さんにインタビューする。現代における宗教について話をする予定だけれど、きっと、すぐに酒を飲んでエロ歓談になることだろう。シラフで向き合うなんて気恥しくてお互いできないから、それでいい。 |
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| 10月4日 (木) |
貝づくし |
次作のメモを記し、18時半、外出。地下鉄で本所吾妻橋まで行き、貝料理の「海作」へ。中央公論新社のK佐貫とN西さんと仕事抜きで会食。料理はすべて貝づくし。酒は生ビールからはじめ、昭和天皇が愛飲したといわれる日本酒、惣作に移り、後半はずっと芋焼酎。この焼酎を飲りながら「みそたま」なる鍋焼き貝料理を食すと、ひゃーびっくり、それぞれの旨味が4倍ぐらい増すではないか。まいったな。途中からK佐貫さんの奥さんで編集者のY田さんも合流。さらには、N西さんのご主人で某大学助教授のA山さんが「N西を回収にまいりました」と登場し、宴は最高潮へ。いつもどおり見事に酔っぱらったN西さんをA山さんに回収していただき、残った3人で二軒目に流れる。アサヒビールの本社ビルにあるバーで閉店まで飲み、三軒目をめざして吾妻橋を渡り、浅草でまだ開いている店を探して焼肉屋へ。そこで3時半過ぎまでビールを飲み、ホルモンをつまんで取り憑かれたように話をつづける。 岐阜出身の運転手が運転するタクシーで帰宅したときは、4時をすぎていた。いやあ、今週はほんとうによく飲んだ。いろんな人とよく話をした。明日は、じっとしていよう。黙っていよう。瞑っていよう。 |
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| 10月3日 (水) |
玉三郎の芝居 |
16時、歌舞伎座へ。今月の夜の部は三遊亭園朝原作の『怪談牡丹灯籠』と、『娘道成寺』をアレンジした『奴道成寺』。 まずは、18年ぶりに片岡仁左衛門と坂東玉三郎が伴蔵とお峰を演じる通し狂言、『怪談牡丹灯籠』。坂東三津五郎が扮する園朝の口演によってストーリーが展開する演出で、第一幕は落語の『お札はがし』どおりに舞台がまわる。楽しみにしていたとおり、仁左衛門と玉三郎の夫婦はまあ上手。中でも、玉三郎の芝居の巧さには何度もうなってしまった。台詞のひとつひとつに「そうあるべき」間と声の変化があり、そこにあの艶姿が伴って演じられるのだから、ちょっとまいってしまう。その玉三郎を相手に仁左衛門の男っぷりも冴え、この2人を観ているだけで淡い陶酔感を覚えた。また、中村吉之丞演じるお米の「これぞ老婆の幽霊!」と拍手を送りたくなる姿勢が素晴らしく、時間をかけて創られた型にひとしきり感心する。 第二幕になり、荒物屋の女将になった玉三郎。一幕の場末の女房とは違うレベルの女に変化していて、その所作に落ちつきが加わり、それだけに嫉妬する姿に色が、華が増していた。あきれてしまうほどにイイ女。だから、夫の裏切りによって迎える凄惨な最期にきて、まるで大輪の華が咲いたような美を放った。練り上げられた作品と演出があり、それに応える役者が揃えば、芝居はやっぱり素晴らしい。 『奴道成寺』は、もう三津五郎の独壇場。坂東流の家元の舞いを、そのバリエーション豊な踊りを眺めるうちに、自然と微笑んでしまう。名人の踊りは観る者の気持ちをなだらかにしてくれるものです。特に坂東流は。 帰途、芝居の終了間際に駆け込んだAさんと韓国薬膳料理の『はいやく』へ入り、お互い風邪気味ということでサムゲタン・コースを食べつつマッカリをいただく。帰宅後どっと汗をかいて頭がすっきりしたところをみると、薬膳効果はあったのだろう。久しぶりに納得の熟睡を得た。 |
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| 10月2日 (火) |
言葉を生きる |
私なりの時間設計に忠実に生きることを人生と思っている人がいて、その人はいつもガンバッテいる私が好きだったりする。設定した目標に邁進する私が好き、ってやつだ。でも、ガンバッテいる基準なんてそもそもないから、そういうタイプの人が何を気にして生きているかと14歳ぐらいからずっと観察してきたら、要は、既存の他者たちが形成した目安を時々の合格ラインにしているらしいと、うんざりするぐらい知った。しかも、これは今も昔もかわらない特徴で、30年余り観察してきた者としてはちょっと呆れてしまう。 たとえば、まあこれが一番わかりやすいから、それなりの学校を出るよう勉強した私。友人たちが「よく入れたね」と言ってくれる会社へ就職するか、その種の仕事に就いている(けど、自分がその仕事に向いている自信は実はない)私。進学時と就職時と同じようなコメントを友人や知人がつぶやいてくれるような結婚をする私。無論、それは、親が思わず近所や親戚に自慢しちゃうような結婚でなければならない。そして、子どもを産み、母親の手を借りて新しい母親らしく育児法に目を配りながら育児に手を染め、仕事でも成果を挙げるつもりでガンバッテみせ、いつしか子どもにも私と同じ30代までの人生を要求していく私。 この手の人は男女を問わずとってもとっても多いのだけれど、こうして見ればわかるように、基本は30数年と子どもの独り立ち期間を生きればことたりる循環を生きている。つまりは、せいぜい50数年の人生だ。昭和20年代までなら、現実にこれで人生は完結したのだけれど、この半世紀で人生の平均期間が30年も延びたから大変なことになった。結果、時間設計やら何やらが変化して当然だが、30代までの実際は、ますます保守化している。 50代以上は、あわてて資格や趣味の先鋭化に走って時間を費消するようになり、そうやってぽっかり横たわっている終わらない人生をどうにか生きている。どうにかならなければ、ある者たちは自殺する。ある者たちは犯罪者となって刑務所に入る。若者は、特に素直で無器用な者たちは、うつになる。間尺があわない生と時間の関係性の穴に落ち入ってヒーヒー生きている。ある者は社会のせいだと訴える。たしかに異常な、未曾有の時代に生きてるのは間違いないが、早々に何とかしたいならもっと大胆に世間の目安から外れることだ。おそらく(いや、きっと)政治よりもマスコミの方が悪いのだけれど、経済(販促)活動に裏打ちされた喧伝情報に「あるべき生活・恋・人生・美しい私像」を観てしまうことを止め、ここは本気で(つまり既存の他者たちが形成してきた目安から外れる覚悟で)私の本心と向きあわないと、後々、もっと悲惨になるだろう。 子どもの養育・教育を核とする家庭の維持は、経済的理由よりも情報的理由でますますしんどくなる。それでも子どもがとにかく手を離れれば、やっぱり問題はその後の私の人生だ。なかなか終わらない人生だ。その時に戸惑う意味においては、18歳も23歳も61歳も大差ない。安定した会社に就職することがそのまま安定した結婚につながり、それがとっても優越したもののように語られることはやはり過渡的な意味あいしかなく、最後は本人ひとりの、贅沢なまでに孤独な時間との対峙が待っている。 ああ説教くせえ。酔っているから、か。いい素質を持っているのに、つまりは世の中を面白くする資質に恵まれているのに、つまらん瑣末な次元に「ガンバる」とか言う若い人とムキになって向き合ってしまったから、か。ほっといてもほとんどの人はイデオロギーなど関係なく保守的に生きていくのだから、何も送り手側が保守を求めてどうするのか。芸術はきっと環境問題を救えないし、貧困すらいまだに救えないけど、もう一方の可能性を提示することで生きる幅だけは広げていると信じている。それが、幻影のようなものでも、だ。 「生きて思っていれば、大丈夫」と、もう20年も語ってきた。講演でも、サラリーマン時代のスタッフにも、大好きな女性にもその意味を詳しく話した。多くの人が喜んだ。元気がでる。わかった、と応えた。だけど、そのように生きている人はほんのわずかしかいない。ほとんどの人は、結局は時々の目安に適合するように生きている。きっとそのおかげで世間は安定している。……いる? 本当か? まあそれも幻影だろう。安定した生活のためにどれだけの幻影を人は眺めるのか……。たとえば立派な車に乗って地球環境を憂う人は何にスジを通すつもりなのか、自閉化が進む息子を憂いつつ新たな携帯電話ビジネスを仕掛ける人は何を解決しようとしているのか。タイアップ広告だらけの雑誌を編集している人は、いったい私と世の中の関係をどこに向けるのか。処世に富んだ人は言葉を生きないから、別に問題はないんだろうな。
言葉を生きると、やっぱり世間から外れます。 |
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| 10月1日 (月) |
三鷹詣 |
「週刊朝日」のゲラ戻しをやり、着替えをすませて三鷹まで外出。横河電機の本社に沿った静かな道を歩き、16時、次作の版元を訪ねる。マンションの一室。作りたい本を作るために出版社をおこしたT田さんと1年1ヶ月ぶりに会う。奥様のT佐さんが出してくれたお茶を飲み、彼の仕事部屋で渡してある原稿についての感想を聞く。すでにデザインがほどこされていて驚く。タイトルも含めて気にいってもらったようでひと安心。 日が暮れる前にバスで吉祥寺駅前へ移動し、手羽先の店でT田さんと乾杯。生ビールをがんがん飲み、豆腐、手羽先、串焼き盛り合わせをつまみながら焼酎も飲む。いろいろ話す。なかでも、憧れの同性の年長者と仕事をすることの幸福について盛上がる。きっちり酔いがまわりはじめたところで河岸を替え、地下にあるバーで2杯飲んで23時半、駅へ向かう。次回は麻布で打ち合わせする約束をしてT田さんと別れ、中央線に乗りこむ。こういう時間に電車に乗ることがないので、同じ車両に乗り合わせた人々をじっくり観察してしまう。それにしても携帯メールに熱中している人の多いことよ。正面の3人、両隣りの2人ともずっと頭を下げたままだった。不気味に感じつつ四ッ谷で降り、強まった雨の中、タクシーで帰宅。CSで『南京の基督』を観てから昏倒睡。 |
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| 9月30日 (日) |
ヒトは怪物 |
今年の9月は逃げ足が早かった。やることはやったはずなのに、厚手の暖簾に右腕をぐるぐる巻きにされたような感覚だけが、残っている。今も。
モノをほしがる物欲、のほかに ココロをほしがる心欲、まで持っているから ヒトは怪物、なのだ
北村太郎「すてきな人生」より抜粋 |
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| 9月29日 (土) |
採寸 |
| しっかり眠ったからか、風邪は悪化せずにすみ、熱も下がった。そこですぐに机に向かい、書評原稿を書き続ける。2日がかりで14時に脱稿。しつこく推敲してH山さんに送る。やっぱり人生をかけた詩はいいな。夕刻、連絡をもらっていた近所の着物屋さんを訪ね、生地選びと採寸。某着物学院で教授をされているオーナーに相談しながら、落語や歌舞伎の観劇用に一式作ることにする。外がとっぷり暗くなって店を後にし、「あら喜」でゆっくりと夕食。鰹の刺身、牛ごぼう煮、うなぎの肝串焼き、万願寺焼き、合鴨とエリンギの炒めを喰らい、不二才ぐびぐび。食べ過ぎて帰宅し、ぼんやりとサスペンス映画を観て横倒睡。寒い。 |
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| 9月28日 (金) |
免疫の力 |
| 「週刊朝日」の書評原稿にとりかかるも頭痛がひどくて集中できず、休み休み書き続ける。予約していた宮沢章夫さんの芝居を諦めて机に向かっているうちに熱まで出てきてしまう。あぅあぅ。冷えピタを額に貼ってもだめで、ついに横になる。風邪か? 免疫力が落ちている。 |
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| 9月27日 (木) |
いつもより多めに |
書評の参考資料として『自伝からはじまる70章』(詩の森文庫)、『若い荒地』と『詩人のノート』(ともに講談社文芸文庫)を読む。著者はすべて田村隆一。我ながらここまでしなくても、とは思うが、日本の戦後詩の核となった「荒地」メンバーが実名で登場する小説だけに、背景となる人間関係をきっちりおさらいしたかったのだ。その上で担当のH山さんに電話をかけて表記について打ち合わせをし、夕方までメモを作る。 18時過ぎに机を離れ、シャワーを浴びて外出し、小学館のI垣さんが待つ「acalli」へ。久しぶりに2人並んでカウンターに向かい、近況などを話しあいながら食事をする。しかし、I垣さんは風邪をひいていて、途中から咳がひどくなる。野菜5種、肉、そしていつもより多めにガーリックを使ったガーリックライスを食してから「あら喜」へ移るも、I垣さんの咳は止まず、21時半には散会し、I垣さんを見送る。その後カウンターにもどった俺は、常連さんの長男誕生を祝いながらいつもより多めに不二才を飲んだ。 |
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| 9月26日 (水) |
奈津子と隆一 |
昭和55(1980)年当時の田村隆一さんの姿を知るために、映画『四季・奈津子』(東陽一監督)をDVDで観る。 田村さんは、福岡から上京する奈津子(烏丸せつこ)と新幹線ひかりの隣の席に乗りあわせる「詩人・田村隆一」役で登場し、世界を広げようとしている奈津子を励ますようにあれこれ話していた。その際に、この作品のテーマである「魂の在処」についてもふれ、「ぼくは酒飲みだから、(魂は)胃にあるかもな」などと言って奈津子を笑わせる。当時、田村さんは57歳。風貌はすでに初老で、酒と栄養不足のためか、歯と歯茎の傷みがめだった。それにしても、'80年頃はまだ「詩人・田村隆一」が役名として成立する時代だったのだなと感心する。今じゃあ、谷川俊太郎さんだけかな。 一方、主役を演じた烏丸せつこ。 その裸身を目にしたのは20年ぶりぐらいだったが、いやあ凄い肉体でありました。現在活躍しているグラビアアイドルなんて相手になりませんわ。また、顔をよく見ていると誰かに似ている、……ああ、沢尻エリカの鼻頭を少し丸くした感じだ。おでこから目もとにかけては瓜ふたつ。その上、これが映画初主演とは思えぬ演技で、きっちり奈津子を体現。才気が漂ってをりました。 あの頃がいい時代だったかどうかはともかく、ウーマンリブ運動の'70年代を経て女性の社会進出が本格化する、つまり東京や学生街だけでなく、地方でもキャリアを自分で選択する女性が増加しはじめた時代だった。その変化を四姉妹の個性によって描いた原作(五木寛之)ともども、この映画はとてもわかりやすく定着していた。男女雇用機会均等法が施行されたのは、この映画の封切りから6年後、1986年のことだった。 |
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| 9月25日 (火) |
憧れの図書室 |
4時間ぐらい寝て目が覚める。買い置きの雑誌数誌を読むうちに眠くなり、ウータとともにソファ睡。昼過ぎに起きてからは、新しい書棚を仕事部屋の弦田先生の書(「無尽蔵」)が飾ってある壁にすえ、書籍の処分と部屋の大掃除をはじめる。次の作品に取りかかるためにも必要なこととふんでの作業だったが、我ながらその乱雑ぶりに呆れ、途中、メールや携帯電話で10月の会食や打ち合わせ交渉をはさみながら夜まで続ける。6年前の退職時に持ち帰った文具類がソファの陰から大量に現れたときは、しばし過去の人となる。俺はサラリーマンだったのだ。 本70冊、雑誌4袋、大中小の段ボール、燃えないゴミ2袋を捨て、夕食をとったときには疲れきり、腰が痛くなってしまった。それでもまだ部屋は片づかず、新しい棚もほとんど埋まってしまい、つい引っ越しを考えてしまう。旧い小学校の図書室のような部屋の窓際に今使っている大きな机を置き、自然光だけで仕事をする日々を夢想。近くには川。この想いはもう10年以上前から少しずつ強くなってきているのだが、後はタイミングだけという自覚もある。それがどんなタイミングか、その点ももう見定めつつある。収入の多寡ではない、もっと精神的なタイミング。 そのためにももっと仕事をせねば、とヌルイ誓いを立てつつ腰痛睡。 |
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| 9月24日 (月) |
インカ、アメ横、芋ようかん |
7時半、起床。昼まで書見。『荒地の恋』、読了。腹が減ってないので昼食はとらず、「中央公論」の連載原稿のゲラ校正をやって15時に外出し、上野の国立科学博物館へ。行列嫌いの俺としては珍しく行列の最後尾に並び、本日で終了する「インカ マヤ アステカ展」を見学する。 NHKハイビジョンの特集番組で観た遺物がいくつも出品されていたが、中でも印象深かったのが「ベビーフェイスの土偶」。オルメカ文明の芸術様式をよく表わしたこの土偶、地べたに尻をついて泣きじゃくる幼子の表情がとても写実的で、全身から声が響いてきそう。アステカでは「雨の神の土偶」だな。こちらは雨神がぽつ念と地に座って膝の上で両腕を組み、遠い空を眺めているよう。ひどい出っ歯のような牙が5本突き出してはいても、その体勢と表情はのどかだ。農業に従事するおっさんが、儀式用の着飾りをして雨乞い後に疲れ、畦道で休んでいる。そんな日常、文化がこの70センチ弱の一体の向うに見える。他には、「ヘビの象形」の肉感、「ミクトランテクトリの神像」のあばら骨、「ヒスイ製仮面」の眼と唇、「クジラ=人間」象形壷のデザイン力、そして、服を着た大人と子どものミイラ、犬のミイラ。 エジプトにも日本にも、インカにもあるミイラ。その時代のその社会の死生観の象徴として今もそこに在るミイラは、眺めるたびに結局は内省を求めてくる。一瞬、ふと部屋の片隅から自分を見てしまったような感覚が襲う。解離だ。これが一瞬間のうちは快感にも近い光景を楽しめるのだが、長く続くとあっちへ行ってしまってなかなか戻れずに苦労する。だから、というわけではないが、館の出口を抜けてからアメ横に向かい、あえて雑踏にまみれる。 日本はもとより、韓国や中国やアメリカの言葉が飛びかう中、いろんな店をひやかしつつ歩いている途中、はたと、自分が20年ぶりにここにいることに気がつく。東京で暮らしはじめてしばらくたった頃、この通りにある若者向けの店でGジャンを買ったのだ。その記憶に刺激を受けたのかふつふつと購買欲が湧き、セレクトショップのような靴店で、ヘンリーハービーの手作り靴(日比野克彦が段ボールで作ったような靴)を買ってしまう。やれやれ。浮かれぽんちの己に呆れながらもうしばらく散策し、しゃぶしゃぶ専門店でビールを飲んで肉と野菜を喰らい、舟和の芋ようかんを買って御徒町駅から電車に乗って帰った。 |
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| 9月23日 (日) |
北村さんとの会話 |
前夜、秋の旬の料理を肴に遅くまで酒を飲み、気持ちよく酔い、ソファで眠ってしまった。その気怠さをひきずったまま半睡半覚の頭で過ごし、いきなり秋めいた風を楽しむ。夜も、書見をあきらめて早々睡。すると、会ったことのない北村太郎さんが夢に出た。その隣には、彼の最後の恋人である阿子さんが付き添っていた。会ったこともないのに俺は、「どうも」などと適当なことを言って頭をさげ、会釈を返す2人をしげしげと見つめた。 「どちらへ?」と俺は訊ねた。 「ちょっと西口のホテルまで」と北村氏。 「それはそれは」 「じゃあ」
会ったこともないのに。 |
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| 9月22日 (土) |
ウータ、また肥る |
予定よりも一ヶ月半遅れてウータを3種ワクチン接種につれていく。キャリーケースの中で向きを変えられないほど肥ってしまっているウータ、片手で持つと手がちぎれそうになる。仕方なく両手でケースを支えて病院へ着き、体重測定をしてもらった瞬間、院長の表情がこわばった。 「まずいなあ」 一息間があき、 「やばいなあ、これは」 「何kgですか?」 「7.78kg」 「…………」 以前から何度かご報告しているようにダイエットを心がけてきたはずなのに、ウータの体重は、この1年で約1.2kgも増えてしまった。原因は当然ながら食べ過ぎ。実は、ウータの食事の量に気をつけてはいても、目を離した隙にオランの分まで食べてしまうのだ。こうなったらオランにも協力を強いるしかないな。 ワクチンを打ってもらった後、階下のペットショップに顔を出すとすぐに子犬が寄ってきて、ウータの臭いをかぎ、臆することなくウータの鼻を耳を頬をなめ回す。ウータ、されるままその場を動かない。犬が飽いてどこかへ去ると、自ら嫌いなはずのキャリーケースに戻っていった。 「もう帰ろうか」 ウータ、こちらを見て動かない。 人見知りも犬見知りもしないデブのウータを抱えて、残暑の夕暮れの下、とぼとぼ歩いて帰った。 |
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| 9月21日 (金) |
荒地の恋 |
朝食をとってから眠り、昼過ぎに起きる。躯がむずむずする。コーヒーと餡パンでむずむずを抑え、「さあ」とひと声あげて気合いを入れ、『荒地の恋』(ねじめ正一 文藝春秋)を読みはじめる。これは、詩人・北村太郎が、16歳からの親友である田村隆一の四番目の妻、明子と恋におちるところから始まる長編小説。無論、事実に基づいて書かれているのだが、田村さんはもとより登場する土地や店などが身近すぎて、生々しい古い日記を隠し読みしているような気分になる。しかも、それがねじめさんの手によるものだけに、単なる赤裸々な表現にとどまることなく、当時の状況や関係性の本質をわしづかみするように言語化されていて、ほんとうに何度となくクラクラする。読み飛ばすことなど到底できず、少々辛い思いを引きずりながらページをめくる。しかし、いや、だからこそ読み応えがあって飽きず、本を手放さずに夜を迎える。 詳しい書評は「週刊朝日」に書く予定。 |
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| 9月20日 (木) |
お試し |
終日、「中央公論」の連載原稿。阿久悠さんの美空ひばりへのこだわりを基軸に、彼の作詞哲学について言及する。自分で書きながらいろいろ考えが展開し、原稿とは関係ないメモをいくつも残す。 ところで朝9時過ぎに早々と宅急便が届き、愛読誌「non・no」の最新号を受け取る。ものすごい厚さを怪訝に思いつつ封をあけると、ウィスパー提供の"一週間スマイルBOOK(お試しナプキン付き)"が付録についていた。なるほどなあ、と13歳の少年にもどって驚く。やっぱり男と女は違うのだよな。中学3年生のとき、この驚きを生理的言語への目覚めとしてとらえ、15枚の小説を書いたことがある。タイトルは『辞書』。そのエッセンスは先日脱稿したばかりの小説にも取り入れた。でも、この差異への着眼をさらに深更すれば、結局は自己と他の問題にいきつく。私はこのやっかいな私の自我とあれこれ折り合いをつけながら生きていくしかなく、他への理解や反発は、つまり、私と私の自我とのやりとりを客観視するトレーニングのようなものではないかと思う。他(彼、彼女)に起こることは、私にも起こりえる未来であり過去でもあるのだから。 21日の夜明け直後、原稿を書き終えた。また遭う日まで。 |
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| 9月19日 (水) |
「GORO」1984.11.8号 |
珍しく連続して8時間眠り、体調もほぼ回復してきたというのに脱稿ボケのためか、連載原稿にまったく集中できずに漫然と虚空をながめ、突然にきょろきょろと周囲を見回して椅子から逃げ出す。仕事場にある書見専用の一人がけソファに腰を沈め、左手の書棚に手をのばしてさくっと掴んだのは、古ぼけた雑誌だった。 「GORO」(小学館) うっすらと埃をまとったその雑誌は1984年11月8日号で、表紙には後に自殺する可愛かずみが聖子ちゃんカットで映っている。半開きの口がちょっと哀しげで、眉もハの字だからこちらまで不安になってしまう。いきなりしみじみしながら中ページをめくっていくと、篠山さん撮影の「平田明子・19歳」のヌード写真がグラビアを飾り、2色ページの冒頭にはデビューしたばかりのセンイトフォーが紹介されている。次は、高橋幸宏の新しいアルバム紹介。その次には、映画『チ・ン・ピ・ラ』で柴田恭兵とベッドシーンを演じる高樹沙耶のインタビュー記事が。彼女、この時、21歳。この人が後に海に潜る人になるとは、間違いなく本人も予感すら抱いていない。女優にむいてなかったんだろうな。高樹さんの次は、時任三郎のインタビュー記事。ここから先は細切れの記事が続くのだが、オールナイトフジの新司会者になったばかりの麻生祐未が白黒写真とともに紹介されていた。彼女、この時、青山学院大の2回生。山口百恵を知的にしたような容貌につい見とれてしまった。その左側には蜜月時期のマッチと明菜。明菜がマッチの自宅浴室で手首を切ったのは、この何年後だったかななどと当時の記憶をたどってページをめくると、『気まぐれコンセプト』(ホイチョイ・プロダクション)の広告が。 次に連載記事を探してみると、……「景子の思いやり青春相談」なんてのが出てきた。たしかこの年に30歳になったはずの竹下景子が、読者(GORO野郎)の〈人生、学校、愛情、SEX、仕事〉に関する悩みに答える企画。すでに80回目を迎えていて驚くが、それ以上に、処女性について男女平等論を援用して答えている景子さんの生真面目ぶりにくらくらする。ちなみに私、学生時代、弁護士であった彼女のお父さんの授業を受けた経験があります。 巻末には肝臓を壊す前の石川ひとみのセミヌードと、翌1985年のカティサーク・カレンダーのモデルに決まった香坂みゆきの透け乳写真が掲載されていた。 いやあ、 まいった。 2007年9月19日に意識が戻るまで、1時間21分ぐらいかかった。 |
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| 9月18日 (火) |
のらりと |
7時半、起床。第一稿を書きあげた頃から夢を見るようになった。正確には、見た夢を覚えているようになった。 午前中、阿久さんの本を読了し、次に『新編 戦後翻訳風雲録』(宮田昇 みすず書房)を読む。著者は早川書房時代の田村隆一さんの部下だけに、編集者田村の実像の一端が見えてくる。興にのり、『北村太郎詩集』(現代詩文庫 思潮社)をめくる。怜悧な人である。書見に飽いてから机に向かい、仕上がったはずの原稿の冒頭に三行加え、その追加にあわせて後文をいじる。さらに137枚目、140枚目に訂正を入れ、あらためて最終部を読みなおしてからプリントアウト。プリンターから出てきた紙々が冷えるのを待ち、封筒におさめ、印入りの葉書を添えて宅急便に出す。 ふう〜〜。 一息つく。ジムにでも行くか、と思うが全身が虚脱し、間もなくドカドカと届いた7冊の本をながめるうちに小一時間、眠ってしまう。日没前、ぶりかえした残暑を喜ぶように咲く朝顔の花々に目を奪われ、夜になってのらりと部屋にもどった。 |
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| 9月17日 (月) |
気分転換、2種 |
刷り込みとは怖いもので、「敬老の日」と聞くと、どうしても9月15日と答えてしまう。ハッピーマンデーか、……ハッピーマンデーね、自殺者が増える暗い月曜日よりはいいんだろうな。でも、ハッピー明けの火曜日はどうなるんだ? ブルーチューズデー。新しい厄日か。 さて。 午前中は、阿久悠さんの『生きっぱなしの記』(日本経済新聞社)を読む。サラリーマン時代の記述に妙な親近感を覚える。14時、書見にも飽き、気分をがらっと変えようとしながわ水族館へ。タクシー、JR、専用バスを乗り継いで到着してみると、ものすごい数の家族づれ。20代、30代の夫婦と幼子がうようよいて、優に100台を超えるベビーカーを避け避け中に進み、東京湾の魚やサメやペンギンやアシカやイルカたちと向きあう。エイってのは面白い生き物だな(「作品と猫と猫」参照)。旭山動物園を模したと思われるアザラシの行動展示もあったけど、あまりにちゃっちゃくて哀しみすら覚えた。でも、幼子にはこれで充分なんだろうな。 水族館を出てソフトクリームを食べつつさらに気分を変えたくなった私は、タクシーとバスを乗り継いで六本木へ向かい、東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で『BIOMBO/屏風 日本の美』展を観る。「日月山水図屏風」についつい見入ってしまう。秀吉の吉野山への花見を描いた屏風の細かい描きこみにもあきれ、中央部で担がれている太閤の姿を見つけて思わず笑ってしまった。ついでに専用ショップで「安」の印鑑と収納ケースを買ってしまう。 19時直前、外出から戻る。背中も脚も汗びっしょり。あいかわらず後頭部の右側が痛み、胸の内ではやっぱりさざ波がたっていた。気分転換は、どうも失敗したらしい。 |
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| 9月16日 (日) |
脱稿の日に田村隆一を思った |
体調不良のまま3時半、起床。夜が明けるころから推敲をはじめ、朝食後、朝日新聞の朝刊を通読していてびっくり。「田村隆一は終わらない」のタイトルの下、私が机の前に貼っているものと同じ田村先生の写真が掲載されているではないか。しかも、記事の冒頭には、私が一番好きな田村さんの詩(「帰途」)が抜粋してある……。実は、今まさに脱稿(真)しようとしている作品は、最晩年の田村隆一に13歳の私が出会ったら、という夢想をきっかけに書いてきた代物なのだ。だから、この奇妙な符合には驚いた。 その驚きをモチベーションに換えて再び机に向かっていると、昼前、なんとパソコンがフリーズしてしまった。しかし、ここまで来れば慌ててもしかたないと腹をくくり、30枚前までもどって継続。そして、16時20分、本文とは別の参考・引用本の但書きを書き添え、ついに脱稿にいたった。 執筆に4ヶ月近くかけた作品とあって、224枚目に最後の句点を打った途端、ぐっと来た。まだ熱があるらしく、冷房をつけていても全身は汗びっしょり。しばらくすると深い疲労感に襲われ、バスタオルを敷いてソファに寝転ぶ。ついでにテレビをつけるとBS-2が映り、世界最古の砂漠、ナミブ砂漠の紹介映像が流れていた。そして、そこに見覚えのある(砂漠をおおう霧だけを頼りに生きている)奇形の巨大植物が、……ウェルウィッチアではないか。ナレーターは「ウェルビッチェ」と呼んでいたが、その不気味な生物こそ、私が「文學界」に発表したデヴュー作、「ウェルウィッチアの島」のモチーフとしたものだ。 「まいったな」 声がもれた。思えば、ウェルウィッチアは田村先生の象徴だった。言葉が無惨なまでに効力を失っていく時代に、この国で、それでも詩神と向きあって生きている先生の姿を、私はそのナミブ砂漠だけに生息する植物にたとえた。詩人の悲哀と、それだけに美しい覚悟が浮き上がればと願って書いた。 新しい小説を脱稿した日に、新聞記事といいウェルウィッチアの映像といい、田村先生ときっちり向き合う時間がもてたことはありがたかった。単なる偶然に過ぎないが、それでもやはり、出くわすべきときに出くわした感はある。つまり、これは、幸福な必然なのだ。 かくして終日、言葉についてあれこれ考え、私はあらためて思った。相手が年上であれ年下であれ、男であれ女であれゲイであれ、私は、言葉をテキトーに発する者が嫌いなのだ。自他ともに認める怠惰な私は、だからこそせめてもの思いで言葉を頼りに生きてきて、結果いろんな人にだまされもしたけれど、気がつけばやっぱり言葉を信用してしまう。だから、自ら発した言葉を自ら保古にして生き延びている人物にあきれてしまい、怒りを覚え、その後、土中深くに引きずりこまれていくような寂しさに包まれる。…………まあいいや、とにかく脱稿だ。 |
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| 9月15日 (土) |
脱稿前の体調不良 |
最終部が書けたことに気をよくしてそのまま推敲をつづけたものの、いっこうに頭痛が治まらず、机から離れる。食事だけはと朝、昼ともにしっかり食べ、回復を待つも体調は停滞したまま。熱もまだあるのでついに薬を飲み、15時半、アイスノンを枕に床につく。そのまま夕も夜もずっと眠り続ける。 大丈夫か? 俺。 |
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| 9月14日 (金) |
発熱して |
7時半、起床。12時過ぎまで創作。書き直した最終部にまだ納得できず、最終章全体を見直しながら手を入れる。しかし、まだだめ。 13時、新橋へ行き、朝日新聞社のS木さんと文教堂で待ちあわせて新橋第一ホテルへ移動し、ラウンジ21で会食。秘密の相談を受け、いろいろ思いつくところをそのまま話す。アイデアも気前よく提供。途中、S木さんがかつて担当された小説や作家の話をきっかけに作家の気質などについても談笑。今度は酒でも飲みながら、ということで16時に別れ、どこにも寄らずに田町駅へ戻り、歩いて帰宅したときには全身が汗びっしょりになっていた。そして、シャワーを浴びて着替えをすませたところで、自分が発熱していることを自覚。後頭部がドクドク痛む。おそらくは、一昨日あたりからの不調もこの熱のせいだったのだろう。 冷えピタを貼ってビタミンCとウコンを飲み、横臥。食欲もなく少しだけ夕食をとって早々に床につき、淫らな夢にうなされて2時半に目を覚まし、ミルクコーヒーを飲んで机に向かう。7時半、ついに納得できる最終部を書きあげた。 |
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| 9月13日 (木) |
井戸から抜け出せ |
やっぱり後は怖い。 朝食はとるも、午後の外出をとりやめて横臥。合間、執筆。推く敲く。夜も同様に過ごし、早々に床につく。集中力はまだ維持てきていると思うのだが、そろそろこの生活から抜け出さないとやられてしまう。井戸も、日が射さなくなれば土中の穴にすぎない。血管にまで土がまぎれこむ。 |
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| 9月12日 (水) |
時間が惜しい |
朝、ベランダに出てみたら、今年最初の朝顔が一輪、咲いていた。 先月来溜まっている疲れに先週末からの寝不足が重なり、体調は停滞。歩くとふらつくとあって横臥して安静にしていても不安が残り、楽しみにしていた歌舞伎観劇をあきらめる。久しぶりに玉三郎を拝めるというのに、関さん、ごめんなさい。 そうこうしてテレビをつけると、安倍首相が首相を辞めたいと言っていた。なんだかな。驚きにもいろいろあるけど、彼の場合は、いつも「あきれ果てる」驚きを提供してくる。だから、うんざりする。腹をたてる気もしない。むしろ、2年前の9.11の日記(「自民党、真の崩壊のはじまり」)に書いたとおりに事が流れていることに気色悪さを覚える。どうせ混乱するなら、早く政権交替をして癒着の掃除をした方が国のためになるのに。時間が惜しい。 夜、どうにかふらつきが治まり、机の前へ。まだ納得できないから、まだまだ書く。書いていると元気になるから、後が怖い。 |
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| 9月11日 (火) |
ウワバミ |
終日、セルフ自宅軟禁。最終部の見直しを中心に推敲を進める。 お尻が終わったらまた頭から。ああ、ウワバミ生活。体調悪し。 |
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| 9月10日 (月) |
脱稿(仮) |
| 3時半、起床。洗顔をすませ5分後には机に向かう。朝昼晩の食事をはさみつつ書き続け、21時半、どうにか最後までたどりつく。座っていても頭の芯がふらつき、推敲する余力なく、シャワーを浴びてどうにか正気にもどる。それから這うような思いで「あら喜」へ行き、とりあえずの1人打ち上げ(仮)。ごぼう煮と蟹酢を肴に生ビールを少し飲んだだけで酔いがまわり、早々に退散。帰途、お世話になったAさんに電話をかけ、誕生日を祝すとともに脱稿を報告する。そうするうちに眼がかすみ、帰宅した途端、ソファに倒れこむ。実はまだまだだけど、やっと目処がたった。よかったと思うと同時に、この作品が仕上がってしまうことに、深い寂しさを覚える。 |
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| 9月9日 (日) |
言葉のない世界へ |
| 寝て起きて、食べて書いてまた寝て、起きて書いて……。体調はどうあれ意識はどっぷりと作品世界にあって、幻の人物たちが発する言葉とからみあっている。言葉のない世界へ、もう少し。胆力。 |
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| 9月8日 (土) |
書くだけ |
この1週間は何かと忙しかった。すべての原因は、遅くても8月末までには終わると目論んでいた小説を仕上げられず、仕上がる前提でいろいろな予定を入れてしまっていたからだ。反省しつつもこればかりは書くしか打開策がなく、だから、本日は終日創作をつづけた。 すでに200枚を超え、最終部の光景もはっきりと見えているが、それだけにこれまでの内容との連動性を慎重に見極めながら前に進む。改稿すべき箇所もいくつか見つかる。あと10枚か。15枚か20枚か。どちらにせよ、来週中には版元に原稿を送ると明言してしまっている。 これから寝て、起きたらまた書くだけだ。 |
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| 9月7日 (金) |
日が暮れてからが長い |
17時で創作を切り上げ、外出。東京ドームへ行き、バックネット裏の視界絶好の席で位田さんと2人でジャイアンツVSタイガースを観戦。いつもなら試合状況をみて7、8回で食事へ向かうのだが、逆転につぐ逆転で9回をむかえて同点という内容で席を立てず、とうとう最後まで観てしまう。結果はご存知のとおり、上原が桧山に決勝ホームランを打たれて9-8でタイガースの勝利。それにしてもジャイアンツ、ホームランを7本打って8得点とは。さらにいえば、ああも簡単にホームランが飛び出す東京ドームってのは、いかがなものか。桧山のホームランだって右手一本で打ったもので、本来ならセンターフライだ。ほんとうに狭いんだな、東京ドーム。 22時過ぎまでかかった試合を観終え、タクシーで銀座へ移動。車中では、今年亡くなった池田晶子さんの偉才について位田さんと偲ぶ。実は、2人の会食の機会をセッティングする約束をしていただけに、つい熱心に彼女の魅力について語ってしまった。銀座では、まず「ひらい」の個室で軽い食事をとりながら芋焼酎と赤ワインを飲み、それから「まり花」へ流れ、熱燗を飲みつつY子ママと3人で男と女について話す。私はもっぱら聞き役にまわり、人生の先輩の貴重な意見を頭にきざみこむ。しかし、最後はぐちゃぐちゃの展開になり、2時半、Y子ママに見送られて帰途につく。 帰宅後、頭も体もそれほど疲れていないような気がして、よせばいいのにオシムJapanのオーストリア戦を観てしまう。アジア杯と同じような内容にうんざりし、夜明け前、創作。ふらふらになった8時過ぎ、ようやく昏倒睡。 |
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| 9月6日 (木) |
あと二つ |
| 12時過ぎ、ぐったりしたまま目が覚める。テレビのニュースで台風の直撃は避けられないと知り、Mさんに電話を入れて神楽坂で予定していた夜の会食を延期してもらう。それからふぐ茶漬けで腹をあたため、ウコンとビタミンCを補食して2時間ばかり眠り、あらためて起きだす。その後は台風が小田原に上陸するまで創作。ついにあと二つの場面を描けば終わる。予定。 |
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| 9月5日 (水) |
朝5時、仲畑さんと吉野屋へ |
18時半まで創作。それから慌てて身支度をすませ外出。タクシーで帝国ホテルへ。「料理ボランティアの会」が主催するチャリティーの会に出席する。料理評論家の山本益博さんらが音頭をとり、東京周辺の料理人、菓子職人、寿司職人らが能登半島地震の被災地を訪ねて被災者に美味い料理をふるまった活動の報告と、その際に実際に提供された料理を食べようという会である。松竹の関さんとともに料理を堪能。さすがに一等賞の料理人が腕をふるっているだけのことはあった。オークションでは、「数寄屋橋二郎」の小野二郎さんが昨日まで愛用していた包丁が最高値を得ていた。 21時に会が終わってからは関さん、リクルートの広報Sさん、H編集長と歩いて銀座へ行き、「D・ハートマン」の個室で飲みなおす。途中、会のスタッフとして精力的に働いていた松永真理さんも合流。中国問題、源氏物語、地震と原発、……とにかくいろんな話題で話しまくり、1時、解散。それから一人で「まり花」へ行ってみて、びっくり。なんと仲畑さんがいらっしゃるではないか。長友啓典さんも、黒鉄ヒロシさんも、「グレ」の綺麗なおねえチャンたちも。 いやあその後はもう仲畑さんと2人で飲みまくり、喋りまくり、笑いまくり、○○まくり、××まくり、まくりまくり……。とてもここには書けない過激でリアルで危険な話をつづけ、気がつけば5時になっていた。実はこの夜、広告やアート界の重鎮の方々が仲畑さんの還暦を祝うために宴席をもうけられたらしく、その仕上げに銀座に流れてきたとのこと。結果的に仲畑さんを独占してしまったが、そんなことはまったく気にならず、ただただ嬉しかった。 地下から階段を上って外へでたら、銀座の空は明るくなっていた。 「吉野屋に寄ってから帰ろうや」 「吉野屋、……どこにありましたっけ」 「ああいう店は歩いてたら出てくるって」 そんなやりとりをしていたら本当に店が現れた。仲畑さんは牛すじ定食をたいらげ、私は豚肉丼を半分残した。 5時半、近いうちにまた遊ぶことを約束して仲畑さんを見送り、次のタクシーで帰宅した。思い返せば、私が東京に来て初めてインタビューした相手が日本一のコピーライター、仲畑貴志だった。当時、仲畑さんは40歳。私は27歳。あれからもう20年が過ぎたのか。 過ぎたんだな。 |
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| 9月4日 (火) |
死ぬまで男子 |
ある人に紹介された作家占いをやってみたら、夏目漱石だった。来世は、フナだった。フナね。 午後、「週刊朝日」のH山さんからの電話で興味深い本(未刊)を紹介される。今後の自分の創作生活にもかかわる予感がする一冊で、入手次第送っていただくようお願いする。夜、「Nile's NILE」の連載原稿。梅佳代さんの2冊の写真集について言及し、「男子の本質」について書く。とはいえ、それについては、彼女自身が『男子』のあとがきで明言している。
男子は ばかで 無敵で かっこいい
まったくだ、と思う。来世はフナでもいいから、今世は、死ぬまで男子でありたいと願う。リスクもロスも大きくて、ほとほと難儀なことだけれど。 |
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| 9月3日 (月) |
男子 |
朝、松本のいしいしんじ君から山辺郷のデラウェアがどかっと届く。いしい、園子さん、いつもありがとう。昼に一房いただきました。ほのかな甘味、旬ならではの果肉の張り、おいしゅうございました。 17時半まで創作をつづけ、それから横浜へ。横浜にぎわい座で「市馬・談春二人会」で久しぶりに落語を聴く。まずは開口一番に登場した談春の弟子、こはるに驚く。噺をはじめるまで小学校5年生の男子かと思ってしまうほど小さく、しかしはっきりした声で「たらちね」を演じたから驚いた。10年後に期待する。その後は対談。「師匠(先代の小さん)から教わった噺は一つだけ」という市馬の話にうなる。そして談春の落語、「五貫裁き」。あいかわらず見事な啖呵に納得。義に厚い男やちょっとぬけた八五郎を演らせれば、その畳かける口調で観客をかならず引きずりこむ。男前。中入り後、市馬が「佃祭り」を披露。談春とは異質の、正統的なその声の良さは、確かな滑舌とあいまってそれだけで江戸の風情を漂わせる。また、角刈りの頭、力みのない着こなしと所作がさらに味わいを高め、ひと回り大きい志ん朝を見ているような気分になった。 ずいぶん昔に見たときとは違う市馬に瞠目して会場を後にし、同席したM橋さん、J部さん、そして「長薗さ〜〜〜〜〜ん」でおなじみの岩本と4人で近くの居酒屋「叶川」へ。落語の感想、意見(いつもながらM橋さんの話は参考になる)を語りながら芋焼酎をくぴくぴやり、いつしか編集者の仕事に関する話に展開したところで散会。桜木町でM橋さんと別れ、残りの3人で田町まで帰り、地下鉄に乗り換えるJ部さんを見送って岩本と2人でたらたらと歩く。そして、岩本の誘いにのって自宅裏の「アダン」ヘ。いつもながら業界風の男女がじっとりめっこり語りあう間で、私と岩本は泡盛片手に下劣な話をつづけ、閉店の声で店を後にした。 1時半、マンションの前で岩本と別れて自宅に戻り、梅佳代さんの『うめめ』と『男子』を見ながらソファ睡。彼女の視座は荒木さんにそっくりだった。 |
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| 9月2日 (日) |
笙野作品 |
早朝と夕方、創作。それでもどうにか2枚だけ。その間、佐藤亜紀さんの『小説のストラテジー』(青土社)を読み、笙野頼子さんの『水晶内制度』への深く高い評価に大いにうなずく。同時に、佐藤さんの徹底して本質的な読解に感心する。 それにしても笙野頼子という作家は屹立している。某パーティーでお会いした際、笙野さんは本が売れないことを嘆いていたが、まあ、笙野さんの猫にまつわる本はともかく、小説本は売れないだろう。パターン化した小説群の対極にあるそれらの作品はたえず散文の可能性を更新し、それだけに真に創作物として存在感をましていく。私などは新作(たとえば先月号の「すばる」に掲載された「萌神分魂譜」)を読むたびに圧倒され、ほっとけば楽な方へ傾いていく己の姿勢を嘆く始末。きっと笙野さんもシンドイに違いないが、彼女がこの時代に活躍していることが実は、昨今の日本の文学の幅をどうにか広げてくれているのだ。 未読の方には、まずは芥川賞を受賞した『タイムスリップ・コンビナート』か三島賞を受賞した『二百回忌』を、そして快作『金比羅』をお薦めします。 |
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| 9月1日 (土) |
ぎりぎりのバランス |
頭も眼も疲れて創作を打ち上げ、今、呆然としたままこれを書いている。足もとにはじっとこちらを見つめるオランがいて、左斜め後ろには餌の種類を替えるようオカマ声で訴えつづけるウータが鎮座している。やれやれと思いつつも、日々この2匹に救われていることは否定できず、無言のまましばらく見つめあう。作家という古風でかなり病的な個人作業者が猫や犬や亀や昆虫などの小動物を愛でるのには、やはりそれなりの(かなり情けない幼稚で穴埋め的な)理由があると我が心中を覗いて認めるのだけど、それだけに、もしそういった寡黙な同居者がいなかったらと考えると、正直ぞっとする。彼や彼女のおかげでどうにか維持できているぎりぎりのバランスというものが、確かにあるからだ。 そこで、と言うわけでもないけれど。 この1週間、久しぶりに「作品と猫と猫」コーナーにウータの写真を3点アップしました。プライドが高い猫らしい猫であるオランは、ウータのようにはユニークな写真を撮らせてくれないので今回は見送りましたが、彼女らしい表情が撮れた際にはすぐにでもアップしたいと考えております。 では、まだ訴えを止めようとしないデブ猫の日常をどうかご高覧ください。 |
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| 8月31日 (金) |
油断すると退屈になる |
| 平成19年、西暦2007年の8月が終わった。月の半ばはばたばたと人が倒れるまで暑かったくせに、もう秋雨前線が停滞してこのありさまだ。油断すると退屈になる。 |
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| 8月30日 (木) |
よく書き、よく飲み、よく喋る。ハイ |
8時間ぐっすり眠って起きだし、ヤンキースVSレッドソックスの試合結果を見つつおにぎり2個と野菜サラダ、卵焼きを食べ、連絡業務をすませて13時から机に向かう。20時半まで連続して書き続け、12枚進む。どうにか第4コーナーを回ったようだ。 頭がぼうっとするまま机を離れた途端、腹がなり、風呂に入ってから「acalli」へ。まずは生ビールを飲んで赤ワインに移り、野菜3種、出し巻き卵、フィレ50g、自家製サラダを食べ、最後にガーリックライスで仕上げる。食事が全部終わってからも赤ワインを飲み続け、「あら喜」の営業を終えたT夫くんと「acalli」の店主K二くん兄弟と3人で話しこむ。話題は時候の定番”朝青龍問題”からはじまり、いろいろなところに飛び火していき、T夫くんが「やべえ2時半だ!」の声をあげたところで散会となった。結局、ボトル1本の赤ワインを飲んでいて、古川橋が近づいたあたりからの記憶がもう残っていない。 |
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| 8月29日 (水) |
近所の問題 |
夜までセルフ自宅軟禁。23時ぐらいに玄関の前に出てみると、路地をはさんだ先で昨年から建設中だったマンションの防護カバーが外されていた。ベランダ付きのワンルームらしき部屋が下から上へとずらっと積み重なり、上部は部屋の中まで見えてしまう。向う側からすれば、こちらは玄関のドアや共同廊下とタイル壁しか見えないだろうが……。もし、ゴミ捨てのために玄関をあけてあちらに妙齢の女性の姿が見えたら、しかも目と目があってしまったら、などと妄想が働き、気が重くなる。ゴミ捨てから17分後ぐらいに最寄りの交番から警察官がやってきて、「あなた、あちらのマンションの女性の部屋をのぞきましたね?」と尋問されるのだ。さすがにそんなことはないだろうと思うが、時にはウータやオランを抱えて東京タワーや富士山を眺める場所だけに、かなり鬱陶しい状況下におかれてしまいそうだ。 マンションは10月末には完成するらしい。 |
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| 8月28日 (火) |
10年前の日記 |
創作に勤しむも蝸牛(かたつむり)の歩みから抜け出せず、夜は漫然。いかんいかんと机の前に戻ると、資料棚の奥から10年前の日記が出てきて思わず読みこんでしまう。10年前はまだ20世紀だったのか、とあたりまえのことに嘆息をもらしつつ、1997年の激しい日々を思い出す。ちなみに10年前のこの日の日記はこうだった。 〈仲畑さん葛西さんと装丁腰巻き大賞の選考を終え、19時より柳美里さんと会食。次作『タイル』を脱稿されたからか、少しだけ元気が戻っていた。それにしても「ロッシ」の料理は相変わらず美味い。二軒目は「ぽっけ」に流れ、来年1月からの連載企画を決める。柳美里さんが描く男。タイトルはそのものずばり『男』でいく。〉 とにかく毎晩、あっちこっちで美食を喰らって飲んでいる。そうやって打ち合わせをし、企画を練っている。帰宅は2時、3時。しかも驚くのは、そんな時間から数行でも小説を書いていることだ。あきれる。無謀に過ぎる。だが、そうやってちまちま書いた小説が2年余り後に『ウェルウィッチアの島』となって「文學界」に掲載され、今に至る契機になったことを思うと、なんとも言えない感慨に襲われる。現在は、やっぱり過去の選択の結果として在るのだ。言い訳なんてしても仕方ないよな。 さあさあもう過去はいいからと自分に言いきかせ、その後は朝まで書き続けた。 |
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| 8月27日 (月) |
舞踏が好きな理由 |
11時、歌舞伎座へ。舞台近くの1階2列目に座り、八月納涼大歌舞伎の第一部を観劇。 まずは『磯異人館』。幕末の薩摩藩を舞台にし、生麦事件にかかわった岡野新助の息子という設定の岡野精之介を中心に物語が展開していく。この精之介は薩摩藩の近代化の核となった集成館にて新しい薩摩切子を制作している人物で、無垢なまでに仕事に取り組む好青年。20年前に中村勘九郎(現・勘三郎)が初演したこの役を息子の勘太郎が見事に演じ、距離が近いからか、その充実ぶりがひしひしと伝わってきた。また、精之介の親友、五代才助役の市川猿弥も、小さい西郷隆盛かと見まちがえそうな外見で違和感なく演じきっていて感心。物語はきっちりした構成で終わりを迎え、作者が意図したであろう「幕末の英雄伝の陰にあった無名の人々の哀しい奮闘」ぶりがいい余韻を残した。 昼食休憩後は、水上勉さんが書きおろした舞踏劇、『越前一乗谷』。織田信長軍に攻め込まれて滅亡が近づく朝倉(義景)氏を描いたこの芝居は、舞のバリエーションと竹本連中を楽しむうちに引きこまれていくようにできていて、昼下がりの眠気などまったく感じなかった。義景を演じる中村橋之助をセンターにその周りを家来が囲んで激しく踊る姿は、ジャニーズもびっくりのリズミカルな切れ味と可憐さに溢れ、一方、義景に先立たれた小少将役の福助の舞は幽玄に揺れている。生きて死んでいる。死を生きている。また、勘三郎と三津五郎がコミカルに絡む舞もまた、そこに織田と朝倉の戦の激しさを象徴していてただただ感心するばかり。 奥行きと細かい変化に富んだ美術の効果もあり、舞踏の力をうっとりするほど堪能できた。と同時に、つくづく自分は舞踏劇が好きなのだと思い知る。激闘も別離も悲哀も裏切りも諦観も、つまりあらゆる感情も人生の経緯も、ぎりぎりまで言葉と時間を省いてすべてを舞に象徴してしまう創意に、どきどきする。それは、詩の魅力と同質で、こちらの胸の内にある感情や経験の芯を射ってくる。ぐさっと。ちくり、と。わからない人にはわからない。感じない人にはただよくわからない古くさい動きにしかすぎないだろうが、説明的な表現がはびこる現在、こうして豊穣な詩と唐突に出会えただけで私はありがたかった。 劇場を後にしてから銀座を歩いていると、和光ビル内のホールで薩摩切子展をやっていた。何だか誰かの意図どおりに動かされているように感じながらもこの偶然に感謝して見学。その製作過程を知った上で作品をじっくり観賞し、黒切子のタンブラーやロックグラスの前で足を止めてしまう。美しい。落ち着いた色気が静かに輝いていて、思わず衝動買いしそうになったがどうにか己を抑制してその場を逃げ去った。 その後は、行きつけの靴屋さんでシルヴァーノ・サセッティの最後の(今年で製造を中止する)カジュアルシューズを買って山手線で帰る。田町駅から歩いて家にたどり着いたときには尻の陰部まで汗だくで、シャワーを浴びてもしばし呆然とすごし、日が暮れてからどうにか人間にもどった。 |
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| 8月26日 (日) |
ジュース |
豊満なマンゴーと梨を細かく切り、そこに少々の氷を加えてミキサーにかけてできあがったジュースは、美味い。補食の必要もないほどに腹に滋味がひろがり、ほのかな満腹感すら覚える。 日没がすごい勢いで早くなっているように感じる。まだまだ暑いけど、夏はきっちりと終わりを迎えようとしている。とにかく、来年の夏もちゃんと生きて迎えたいと願う。 |
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| 8月25日 (土) |
千駄木から湯島へ |
「中央公論」のゲラ校正をやって編集部に送り、シャワーを浴びて外出。地下鉄南北線に乗って本駒込まで行き、S田さんと待ちあわせて千駄木にあるファーブル昆虫館へ。13時半より、同館館長の奥本大三郎さんの南仏取材報告会に参加する。『ファーブル昆虫記』の個人完訳を果たした奥本さんがNHKの仕事で彼の地に赴き、仕事の合間に撮影した数多くの写真を題材にファーブルの足跡と縁の土地の現状を語るという内容。聴講者は限定35名、子ども連れから老人まで。虫の話よりもデニムの語源(deニーム)と、奥本さんのたゆとうような語りが印象に残る。15時過ぎに会が終了した後、同館の1階と地下1階を見学。地下にはファーブルの生家が再現されていて、あらためて奥本さんのファーブルへの情熱に圧倒される。もしも子どもの頃にこんな館を訪れていたら、もっと真剣に博物学に勤しんだかもしれないと思う。その一方で、子どもの頃何度も訪ねた名古屋市科学館のプラネタリウムを思い出し、あれはあれで充分に幸福に近づける施設だったと確認する。 ファーブル館を出てからはしばらく千駄木の住宅街を歩き、須藤公園でアブラゼミをつかまえて逃がし、地下鉄で湯島へ移動。湯島天神男坂下にある「酒席 太郎」へ。ここは四谷怪談の講談で有名な一龍斎貞水さんのご自宅の1階にあるのだが、17時の開店と同時に顔なじみ4人で突入し、いざ怪談抜きの暑気払い。芋焼酎のロックを飲みつつ、各種のアテをつまみながら歌舞伎やぎっくり腰や痛風の話で盛上がる。2時間ほどしてはたと隣の席に目をやると、一龍斎さんも座って飲んでいた。怪談ではなく芸界の話を低いガラガラ声で熱く語っていた。気さくな人間国宝である。21時半頃に店を出、今度は地下にあるバーへ。ジンライムをのんでしばらく話をして散会。私だけ自宅の方向が違うので一人でタクシーに乗りこみ、美しい幽霊に会いに行った。 |
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| 8月24日 (金) |
焼酎二口 |
午前中から日が暮れるまで創作。最終場面がかなりはっきりと見えてくるが、そこの手前に工夫が要ることも明確になる。机から離れても頭の中で登場人物たちがこちらを向いていて、彼らとの対話を続けているうちにジムに行きそびれる。 夜中、珍しく家で酒を飲んでみたら、焼酎二口で酔ってしまった。学生時代から自宅で酒を飲むとすぐに気分が悪くなってしまう癖があり、サラリーマン時代も今も、年に1、2度しか家では飲まない。外での暴飲暴食ぶりを振り返ると、そのおかげでどうにか生き延びてこられた気がする。きっと本質的には、私は酒飲みではないのだろう。 |
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| 8月23日 (木) |
処暑のセミ |
私が暮らしているのはマンションの13階だというのに午後3時、鳥影が浮上してきてふと目をやると、ふらっと何かが舞い落ちてきた。ベランダに出てみるとアブラゼミが仰向けになっていた。死んではいないが前肢をうごうごさせるだけで裏返る気配はない。よりによってこんな楼上で最期を迎えなくても、と困惑しつつ私はそのままにして部屋に戻った。 それから2時間が過ぎた午後5時、突然、癇癪を爆発させた子どものように啼きわめくセミの声が窓外から響いてきた。再びベランダに出てみると、セミは仰向けのまま啼いていた。私が近寄っても腰をかがめても、啼き声はまったくおさまらない。こりゃ最期の絶叫だ、と見守っているところに毛むくじゃらの丸い手が。 ウリャ! ソレ! ドウダ! ホレ! ド〜ダ! コイツコイツ コリャ! 「こらこら」 前のめりになって攻撃を続けるウータを叱れば、今度はオランがパンチを放つ。左、左、んで右。 「これこれ」 2匹の猫の頭を左右の手で押さえてどうにかセミから遠ざけ、その隙にセミを拾って部屋の中へと逃がす。セミは水平に奥へと飛んでいったが、すぐに急降下して床に墜ちた。そこへ猫が駆けこむ。身軽なオランはともかく、体重7.6kgの肥満猫であるウータまで軽快なフットワークをみせ、またちょっかい合戦がはじまった。(「作品と猫と猫」参照) 「ジィジィ!!」猫に触れられるたびにセミがわめく。「ジジジィッジィ!」 私は昔噺のおじいさんのように仲裁役に徹し、ローテーブルの下やソファの下へとセミを避難させるも、オランがかならず潜りこみ、口にセミをくわえて部屋の中央に戻ってくる。そしてまたちょっかい。ジィジィ。パンチパンチ。ジジ!ジィッジィ!。 かくして処暑の夜を迎え、あきれた私がベランダへとセミを逃がして窓を閉めると、2匹の猫は窓ガラスに鼻がくっつくほど顔を近づけ、それから半時間、じっとセミを見つめて過ごした。夜中、寝る前にベランダを見てみると、手負いのセミの姿は、もうどこにもなかった。 |
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| 8月22日 (水) |
悪夢はいつだってそこにある |
先週からの疲れが出たのか、ここ2日は、早寝しているにもかかわらず9時過ぎまて眠ってしまった。夢は、あいかわらず見てないが。 たくさん寝ても爽快感はない。とにかくサンドウィッチを3切れ食べてコーヒーを飲み、机に向かって「中央公論」の連載原稿にとりかかる。昨日も紹介した『明恵 夢を生きる』をテキストに河合隼雄さんを偲ぶという難題だけに、予想どおり苦戦する。途中、メールチェックを兼ねて休憩をとり、ついでにTVをつけたら高校野球の決勝戦をやっていた。7回終わって4-0。しかも佐賀北は1安打と知り、同校を応援していただけにあっさり興味を失う。しばらくパソコンの前で連絡業務をやっていると、TVモニターから尋常ならざるアナウンサーの声と歓声が聞こえてきた。なにごと? モニターに目を細めると、なんと逆転満塁ホームランが飛び出しているではないか。しかも、これでホームラン3本目となる副島くんがダイヤモンドを回っている。何たることか、……業務を停止して佐賀北が優勝するまで見守り、やっと机に戻った。 22時にようやく脱稿。すぐに編集部に送信してシャワーを浴び、腹を鳴らして「あら喜」へ。久しぶりに生ビールを飲み、板わさ、うざくを出してもらって食べ、最後に鮪の漬け丼と貝汁で仕上げる。その後は不二才をちびちび飲りながら、夏休みに伊勢志摩に行ってきたT夫くんから悪夢のような某旅館の話を聞く。さらには主客入れ替わり、伊勢神宮ができるまでの経緯と日本の官僚支配の実態についてT夫くんにレクチャーし、喉がかすれてきたところで帰途につく。 夢は見なくても、悪夢はいつだってそこにある。 |
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| 8月21日 (火) |
たとえば「女犯」から |
ほんとうは小説を書きたいのだけど、「中央公論」の連載原稿のために朝から河合先生の本を読み続け、そして明恵と親鸞の「女犯」に対する考え方の違いについて考える。仏陀が定めた(女性と交わることを禁じる)戒を、この偉大な2人がどう捉えて乗り越えていったかについて知り、我が身に置きかえて検証したり、論理の是非について一人ディベートをしたりする。誰にも頼まれたわけでもないのに。原稿に書く予定もないのに……。 真に面白い本はこうしてこちらを試す。なぜなら、テーマや素材の良さだけでなく、作者自身が誰よりもよくその命題について考え、「さあ、あなたならどう考える」と思索を誘ってくれるからだ。 こういう時間が、実は愉しい。 勝ち負けとか、損得とか。そんなものから離れたところにある時間。自分が「自分が生きていること」に納得する(厳密に腑におちる)ためには、そんな時間が不可欠なのではないか。 損得だけなら畜生(animal)でもやっている。economic animal(損得畜生)生活から時には離れてみないと、人間は、人間だから辛くなる。はっきり言えば鬱になる。鬱になることは、この時代、何も珍しいことではない。素直に生きていれば、鬱になって当然なのかもしれない。だから、鬱になっても生きていけるようそれぞれが構えていないとすぐに虚無感に呑みこまれる。 もっともっといろいろ考えた。ペンを持たず、パソコンにも向かわず。気がつくとまた食事を忘れていた。 |
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| 8月20日 (月) |
創作ってのはやっぱり |
冷房が効きすぎて体が冷えてしまい、くしゃみをしながら3時に起床。すぐに冷房を切って書見。7時半からは創作。昼はレトルトカレーとらっきょですませ、ソファで昼寝をし、起きてまた書見。河合隼雄氏の文章の特長が体にしみいるとともに、そこに書かれている内容がぞくぞくするほど脳を刺激する。私の過去や現在や、性質までもが紙面に晒されていて、思わず大声をあげてしまった。 「おっしゃるとおり!」 分析心理学おそるべし。いや、河合隼雄おそるべし。人は自己の客体化ができたとき、ほとんどの場合はまず笑い、そして原状を思い出して再び動きはじめる。しかし、客体化された自己に耐えられない(耐性が根本的に欠如していたり、病的に強い自己愛に支えられている)場合、その人は立ちなおれないほどに動揺してしまう。私は笑ってしまったが、このプロセスは、小説を書いている時にもよく起きる。つまり、私は私の分身たちを客観して書いているから、その愚かさや幼さや必死さを描くことができるのだ。できるだけ冷静に、時には思いっきり突き放して。自己愛からもっとも遠いこの作業は、いわば「ひとりSM」のようなものかもしれない。そんな作業をくりかえして、自己が勝手に求める(自己愛に満ちた)作品世界をしこしこ作りだす。創作ってのはやっぱり、実に因果で、精神的にはとても危険な行為だよな。 夕方からはまた「ひとりSM」に戻り、眠くなるまで書き、どうにか晩飯を喰らって卒倒睡。 |
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| 8月19日 (日) |
夢を見たような気もするが |
眠らずに朝を迎え、日の出とともに創作。9時半からは『明恵 夢を生きる』(河合隼雄 講談社+α文庫)を読み、腹が減ったところでつけ麺、卵焼き、生ハムで昼食。テーブルの上にのってきたウータにじっと見守られながらテレビをつけると、高校野球、佐賀北VS帝京戦をやっていた。帝京が大差で勝つと予想していたのだが、なんと3-3で延長戦へなだれこんでいくではないか。食事が終わってもテレビをつけたまま巨峰(大府長根山産)を食べつつ観戦。投手力、守備力がしっかりしたチーム同士とあってゲームの質が高く、文句なしの好試合だった。 そして、佐賀北のサヨナラ勝ちを見届けた直後、眠りに落ちてしまった。おっと、と目を醒ますと15時。すぐに机の前にもどって17時半まで書き、そこで切り上げてシャワーを浴び、散髪へ。最後にマッサージをしてもらい、すっきりした頭をなでながら外へ出ると、街はもう暗くなっていた。寝不足の頭を風がかすめ、それだけで苦笑。ベランダの朝顔はまだ咲いていないけど、熱帯夜はとうぶん続くだろうけど、小説はまだ脱稿できないけど、夏は確実に終局を迎えている。 22時、薄れる意識とともに寝室へ逃げこみ、枕に頭をのせた2秒後、沈澱睡。夢をみたような気もするが、もう何も覚えてはいない。 |
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| 8月18日 (土) |
6年前、6年後 |
3時、起床。明け方、涼しさに誘われ、下駄をはいて近所を散歩する。半ズボンにTシャツ姿でぶらぶらしたのだが、なんだか肌寒いぐらいだった。マンションの駐輪場口まで戻ってきた際、アブラゼミが一匹、腹を上にして死んでいた。 6年前の晩夏に生まれ、今年地上に登場して啼きわめいたオスのアブラゼミ。この21世紀生まれのセミの亡骸に見入ってしまい、散歩中の犬が顔の近くをぜえぜえと通りかかって我にかえった。 6年後、私はいったいどうなっているだろうか。生きているのだろうか。東京で、日本で暮らしているのだろうか。書いているのだろうか。結局はなにもわからない。あたりまえだ。なにもわからないから、なんとか踏んばってみようという気も湧いてきて、きょうもどうにかやっている。やるべきと自覚していることをやって、今年の夏もやり過ごす。
つまらぬ考え、休むに似たし。先人は、ほとほとよく処世を知っている。処世とは諦観の言い換えではないか、とふと思う。 |
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