| 12月19日 (水) |
「THE BEE」 |
5時半、起床。8時から改稿作業にとりかかる。途中、届いたばかりの『21世紀を憂える戯曲集』(野田秀樹 新潮社)に収められている「THE BEE」を読む。安倍公房の「棒になった男」をふと思い出すが、あれ以上に多層的に寓意を込めた作品で、現在の世界に起きている事象のすべてがここに集約されていると感じた。小説でいえば短篇のような短い舞台だが、それだけに、解釈次第でいかようにもこちらに迫ってくる傑作だった。その後、早目の昼食(またも、独りしゃぶしゃぶ)をはさんで14時半まで改稿を続け、オランをつれて動物病院へ。年に一度のワクチン注射を打ってもらう。往復ともにオラン啼き続ける。帰宅後は、贈呈用の書籍の梱包と住所録の修正・加筆をやり、それから別冊宝島の創刊号を熟読しつつメモをとる。同シリーズは1976年に発刊されているのだが、創刊1500(!?)を記念した一冊に、当時や80年代のカルチャーに関するロングエッセイを寄稿することになっている。今に至る影響、それまでの時代との相克、アメリカへの憧憬と反感などを、「私」の体験を通して書くつもりでいる。他にも初期の数冊を読んでから軽い食事をとり、23時半、ふらふらになって床につく。 過去に向き合うのは、毎度のことながら疲れます。きっと、記憶の中の幼稚な自分に手を焼くからなのでしょう。 |
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| 12月18日 (火) |
日々改稿 |
| 5時、起床。昼間に連載原稿のゲラ校正を2本やった他は、終日、改稿作業。執筆というよりも、これは作業だ。150枚まで進んだが、創作よりも目が疲れる。今週中には必ず終わらせ、早く次作に戻らねば。 |
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| 12月17日 (月) |
こういうときは美味しいものを |
早寝が過ぎ、3時に起床。買ったまま放置していた先週の「週刊文春」と「週刊新潮」を読み、新聞2紙を読み、それから『摂津幸彦選集』(邑書林)と鳥獣戯画展の図録を精読。夜が明ける頃にはまた目がしょぼしょぼに弱り、パンとコーヒーで朝食をとった後、松本清張を読みつつ二度寝へ。2時間後に再び起きだし、机に向かって改稿作業にとりかかる。そのまま17時半まで続け、シャワーを浴びて新宿へ行き、19時から紀伊國屋ホールで「劇団、本谷有希子」の新作、『偏路』を観劇。相変わらず田舎ー東京、親ー子、希望ー挫折の二項対立に基づく芝居で、台詞の内実は深まることなく、工夫を施した(と思われる)映像も音楽も説明的で痛々しい。いわば、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の世界観の内側から別バージョンが提示されただけ、といった感慨しか浮かばなかった。それだけに、近藤芳正の熱演が惜しい。 「こういうときは美味しいものをしっかり食べて、気分を変えましょう!」 いっしょに観劇したS田さんの提案で、ミシュラン東京☆の「富麗華」へ移動し、上海蟹コースをがっつりいただき、紹興酒をぐびぐび飲む。ピリ辛の味付けが食欲に火をつけ、最後の杏仁豆腐をいただいて万歳。帰宅して数分後、ウータに見守られながら膨満睡。 |
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| 12月16日 (日) |
戯画の朗らかさって |
早く寝過ぎてしまい、未明に目が覚める。テレビ東京で映画、『スイミングプール』(フランソワ・オゾン監督 04)を観てからもう一度寝る。午後、東京ミッドタウン内のサントリー美術館へ行き、ついに本日までとなった特別展、「鳥獣戯画がやってきた!」へ。美術館がある3階へ上がったらすごい人集りができていて、〈最終尾はこちらです〉のプラカードまで出ているではないか。いつもならこれだけでその場を去るのだが、子どもの頃からひと目見たいと願ってきただけに、入館まで20分、戯画の前に立つまでにさらに20分並んで観賞した。 いくつかある絵巻の中で、甲巻の画力、筆力は出色だった。兎も蛙も鹿も植物も、線の流れだけで動きの”最中”がはっきりと描かれている。どれも生きているんだよな、しかも朗らかに。その朗らかな戯作ぶりが人を惹きつけて止まないんだろうな。他には、放屁合戦を描いた絵巻のあまりの馬鹿ばかしさに感心する。リアルに描かれた男たちの尻から飛び交う屁は、あれは言葉か、金か。思いきった戯画が描いたのは、実際の屁よりも臭い人間の臭みに違いない。そんなことを感じつつ売店で絵巻(甲巻)のミニチュアと図録を購入。それからタクシーで有栖川宮公園まで移動し、寒風の中、樹木の幹回りの調査をやって帰宅。世界クラブ選手権の3位決定戦を後半からテレビで眺め、浦和の3位に拍手を送り、早目の夕飯を食べて半時間後、早々と寝室へ。猫たちもあまりの早寝にあきれたのか、独りさびしく眠りこむ。 |
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| 12月15日 (土) |
大竹伸朗さん |
| 7時起床。午前中、「中央公論」の連載原稿。12時に脱稿、推敲して送信。宅配ピザを食べ、シャワーを浴びて外出。石井孝典と歩いて慶応大学三田キャンパスまで行き、526番教室で大竹伸朗さんといしいしんじの対談を聴く。先週、いしい自身から詳しく説明を受けた別海と札幌の写真をもとに、2人のおしゃべりが展開。大竹さんの口調が井上陽水さんに似ていた。語尾を発した声が伸びる、耳に残る、あの感じ。15時半に終了後、4列前に座っていたいしい夫人(園子さん)とそのご両親に挨拶。園子さんのお母さんがこの日に73回目の誕生日を迎えたと知り、お祝いを述べる。ついでに「いしい、面白いでしょ」とおれ、「最近、やっと慣れてきました」とお母さん。爆笑。いっしょに大竹さんの展示会を観た後、東門の前で別れ、近くの喫茶店で待機していた2人に会い、いしいから大竹さんを紹介してもらう。大竹さんは離れて見ると大柄な人と映ったが、近くで会うとちょっと小さいぐらいだった。コーヒーを飲み、大学に戻る2人と別れ、孝典と歩いて麻布三の橋へ行き、「さくら苑」であらためてコーヒーを飲んでから開店直後の「あら喜」へ。テンポよく不二才を飲み、寒ブリの刺身や生牡蛎など旬の魚貝を堪能しつつあれこれ話し、21時半、散会。気持ちよく酔い、マンションの前で孝典と別れて帰宅後、速攻睡。 |
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| 12月14日 (金) |
企画の夜 |
忠臣蔵の朝とはいえ、いつもどおり「ちりとてちん」を2回観て過ごし、『遊びと日本人』の古本に傍線を引きつつ昼まで呻吟。「聖」と「俗」と「遊」についてあれこれ考える。レトルトカレーと野菜サラダで食事をとった後、14時から「中央公論」の”遺書、拝読”の原稿を書きはじめる。この連載も5年目に突入し、これで50回目となる。ありがたや。 休憩をはさみつつ21時までに4枚書いて切り上げ、白金高輪駅近くの居酒屋「秀吉」へ行き、日経BPのM橋さんと会食。落語会帰りのM橋さんと「ちりとてちん」や芸人(特にタモリさん)の深いニヒリズムについて語り、話はついに皇室に及ぶ。そして、おれが20代のころからあたためてきた企画とその意義について披瀝し、その協力を求める。M橋さんはその意図をよく理解してくれ、感嘆の言葉をもらした。公にするにはかなり危険な企画。しかし、歴史的にも社会的にも強烈な影響をもちえる試み。これに取り組めるなら、おれは1年間、他の作業をすべて放棄してもいいと覚悟しているのだが、編集者および版元の協力なくしては前に進まない代物なのだ。 その後も編集やメディアについて諸々話し、クリスマスイブに名古屋で再会することを約束して1時前、散会。コンビニに寄って帰宅後、久しぶりに見事な溶解睡。 |
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| 12月13日 (木) |
三船敏郎の顔 |
午前、改稿と書見。午後、昨日につづきBS2にて、三船敏郎主演の映画、『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督 1967)を観る。ポツダム宣言受諾を決める8月14日から、玉音放送が流される8月15日12:00までの政府の内幕を描いた作品だが、三船は本土決戦を唱える陸軍の大臣、阿南を演じていた。何度見ても立派な顔で、口数が減っていくだけで、戦争を遂行してきた陸軍の苦渋がにじみでる。そして自宅での自決シーンでは、余人替えがたしの覇気にあふれた切腹をやりとげた。そこでちょっと愕然としたのは、この役を演じたときの三船が47歳だったという事実。今のおれと同じだ。ついでに同世代の男優、たとえば中井貴一、真田広之、佐藤浩一などの顔を思い浮かべ、果たして彼らの顔が阿南を演じるに足りるかと考え、やはり難しいと認めた次第。織田裕二が『椿三十郎』の三船を演っているらしいが、どうしても顔を見比べただけで興趣が削がれてしまう。顔が育たないのは、人生が間のびしたからか。「ダ・ヴィンチ」創刊間もない時期に、インド人と日本人の顔を比べたが、文字どおりの”雲泥の差”だった。日本人の顔はとにかく幼い。それは、悪いことばかりではないけれど、三船や、その他の男優の顔を見ていると、思わずいろいろ考えてしまう。生の内実、なんてことまでちらつく。 日本は、いつからか、とっちゃん坊やの国になったのかもしれないな。 その後は、夜中まで多田道太郎さんの本を読む。難しいことをわかりやすく、リズミカルに書いた文章にあらためて感心する。本物の知と筆力がないとこうはいきません。いい気分になって床にもぐりこみ、三船の横顔を瞼の裏に見つつ眠りに沈みいる。 |
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| 12月12日 (水) |
いつ再会しても |
6時半、起床。「論座」のゲラ確認を終え、朝食をとりながら「ちりとてちん」を観て改稿作業へ移る。しかし、昼前には立川談志をドキュメントしたハイビジョン特集を観る(2度目)。午後は、三船敏郎が山本勘介を演じた映画、『風林火山』(稲垣浩監督 1969)を観つつ書見。信玄・中村錦之助、謙信・石原裕次郎、由姫・佐久間良子、信玄の弟・田村正和、勘介の下男・緒形拳……と、まあ贅沢な顔ぶれながら、映画としてはきつかった。16時には机に戻って改稿を再開し、18時に切り上げて入浴。19時前に「あら喜」へ行き、ライターのS木さんと約20年ぶりに会食。20代半ばの頃にお世話になり、プロのライターの仕事ぶりに瞠目させられたS木さんだが、一杯の生ビールをあける頃にはもう昔の感じに戻って和気あいあい。往時の話をまじえながら、昨今のディレクターの”パツパツ感の不足”について話す。パツパツ感、つまり持てる力を目一杯ぶつけあった経験を共有できた関係は、いつ再会してもすぐに打ち解けることができる。良いものを作るために全部さらしたから、互いの特性(美点や弱点)をよく理解しているのだ。 23時前、麻布十番駅に向かうS木さんを見送り、とろとろ歩いて家に戻って風邪薬を飲み、眠りに追いつくように眠りにつく。 |
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| 12月11日 (火) |
赤いポスト |
2時に目が醒めてしまい、頭が冴えてしまう。ならばと懸案の第二稿を続ける。朝食をはさんで昼前までやり、午後は『宗教と現代'08』に寄稿した「池田晶子の死」の著者校正。新たに注釈原稿を追加して封筒に入れ、ぷらぷらと近所のポストまで出かけ、返送する。赤いポストは、今では郷愁すら漂う代物になってしまったようだ。寒い寒いとあわてて家に戻ると、今度は「論座」のゲラが届いていた。毎年のことながら、12月は2ヶ月分の原稿が動くから忙しない。クリスマスまでにまだ数本の原稿を仕上げなければ。 みなさま、風邪にはくれぐれもお気をつけください。 |
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| 12月10日 (月) |
過剰交差 |
| 起きている間はずっと『X』の第二稿。つまり、これをやっていない間はずっと寝ていた。ああ嘘、浦和VSセパハン戦をテレビで観ながらトンカツ弁当を食べた。虚と実が交差しすぎて日常がちょっと変だ。 |
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| 12月9日 (日) |
ナゴヤ |
自宅に届いていた最新の「すばる」と「中央公論」を読む。 「すばる」の”ナゴヤ文学革命”特集内の清水良典さんの「平らな街のリアリズム」に感服する。何度もうなずき、そして感心した。見事な名古屋の文化論であり、現在の日本の特性の一端をそこに浮上させている。良質の評論。さすが、である。また、広小路尚祈さんの「甘辛煮」も、沸々とした怒りと忸怩たる自責の念がこもった好いエッセイだった。
名古屋は実にラクな場所ではあるけれど、出世したらきっと帰りたくないところなんです、あそこ。
諏訪哲史さんとの対談で清水義範さんが語ったこのコメント。わかるなぁ。名古屋圏は、ほんと暮らしやすいんだよな。だから、危険なんだよな。 |
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| 12月8日 (土) |
「シアタークリエ」にて |
29歳の支配人以下、若い女性スタッフが企画・運営をするという点で話題になった旧・芸術座、「シアタークリエ」ヘ出かけ、柿落としとなる『恐れを知らぬ川上音二郎一座』を観る。三谷幸喜の新作・演出とあって、開演30分前からすごい人。 幕前で堺正章が口上を語りはじめて幕が開く。20時過ぎ、前半終了。ここまでは間違いなく面白い。前日の朝日新聞の夕刊で、台詞を忘れて舞台袖へ逃げこんでしまった話を三谷に暴露されたユースケ・サンタマリアも、いい感じでやっていた。後半も、彼はよくがんばった。芝居全体としては、最後の15分間ぐらいに間延び感を覚えた。それまでのリズムがよかっただけに、尻すぼみしながら終わったような、幕が下りた途端に余韻まで霧散するようなエンディングだった。ただし、戸田恵子の芝居だけは別格で、今でもその動きや表情が目の前にちらつく。声も。彼女は脇役なのだが、舞台は残酷なまでに役者の力量を白日にさらすから、彼女の存在感は芝居が進むにつれ増していき、常磐貴子の貞奴など簡単に食ってしまう。他には、津軽出身のカメ(音二郎の愛人)を演じた堀内敬子もさすがに達者。瀬戸カトリーヌは余人替えがたしの怪演。声量に致命的な難がある堺正章を除けば、他の脇役陣も健闘していた。 でも、やっぱり長すぎる。22時に終わられては、土曜の銀座では食事をするだけで困ってしまう。女性に喜んでもらえる劇場づくりを目指しているにもかかわらず激しい長蛇の列ができていたトイレの問題も含め、件の女性スタッフの皆々様には、早々にご検討を願う次第。 |
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| 12月7日 (金) |
論座や世界 |
| 終日(仮眠をはさみつつ)、「論座」の原稿を書く。「論座」や「世界」とかって、いったいどれぐらいの人が読んでいるのだろうか。 |
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| 12月6日 (木) |
頭、軽い |
連載原稿に取りかかる前に懸案の怒髪天ヘアをなんとかしようと奮い立ち、この秋に近所(徒歩2分弱)にオープンしたヘア・サロンへ。登録用アンケートを記入して案内された椅子に座り、リクエストしたコーヒーを飲みながら「BRIO」を読んでいたら店長がやってきた。さすがに若い。カッコいい。カッコよくない男に髪を切られるのは嫌だったからそれだけで安心し、すべて彼にまかせる。途中、階上に誘導され、さらに若い女性スタッフに勧められるまま頭皮マッサージをしてもらい、半睡状態となる。あれは極楽。そして1時間後、2杯目のコーヒーを飲みかけたところでフィニッシュ。軽くなった頭を揺らして店長にサヨウナラ。怒髪天、サヨウナラ。 夜中、予定どおり原稿を仕上げてM橋さんに送信。頭、軽い。その後は課題図書を朝まで読む。頭、軽い。 |
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| 12月5日 (水) |
『トリツカレ男』の日 |
12時45分に外出し、池袋のサンシャイン劇場へ。いしいしんじ君の『トリツカレ男』を舞台化したキャラメルボックスの芝居を観に行く。劇場の入り口でいしいと園子さん、原作の装画を描かれた早川純子さん、講談社のK兼さん、A藤さん、理論社のY本さん、「文藝」編集部のO形さん、原作を編集したT田さん、そして同作の映画化に取り組んでいらっしゃる方々と合流し、いざ館内へ。いやあ(正直な話)、いい出来でした。原作の魅力をよく理解し、新しい人物を設定するなどアレンジすべきところは大胆にアレンジして作品世界を具体化してみせた脚本・演出の力、たいしたもんです。オリジナルの音楽も効を奏し、細部まで計算が行き届いた舞台でありました。 終演後は、関係者全員で「かまくら」なる店に移動し、祝宴となった。いしい夫妻を囲み、飲んで食って互いに旧交をあたためあった次第。途中、いしいが大竹伸朗さんらと行ってきた北海道・別海の写真を見ながら、北海道の人々の特性について話したり、「ぺでるの家」の素晴らしさについて話したり。それでもスタートが17時だったので、店を後にしてもまだ20時。そこで、いしい夫妻とおれと早川さんとA藤さんの5名で二次会へ流れ、23時に散会し、自宅の遠いおれはタクシーで帰途についた。 帰宅してみると、自分が風邪をひいていることに気づいた。思えば、芝居を観ている最中から悪寒に襲われ、腹痛まで感じていたのだ。それなのに酔いにまかせて宴席を盛り上げようと喋りまくり、つい忘れていた。葛根湯を飲んで毛布にくるまり、もう何も読まず、何も書かずに鼻づまりと格闘しつつ眠りに落ちる。 |
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| 12月4日 (火) |
くじらの夜 |
19時に創作を切り上げ、19時半、麻布十番の某所へ。ファックスで送ってもらった地図に従って辿りついた店の引戸には、〈準備中〉とあった。これは、体のいい「一見さんお断り」の意。そっと戸をずらして中に入り、K島さんの名前を伝えると、「こちらへ」と手招きされ、そこには初見の(美しい)女性が。K島さんは遅れてくるらしく、先に名刺交換をしてビールで乾杯。彼女は森さんというライターさんで、著書も6冊あるらしく、そのうちの近刊本(マガジンハウス刊)をいただく。間もなくK島さんも到着し、あらためて乾杯。そこからは怒濤の食事会となる。立派なタラバガニが登場するにいたるや全員が沈黙して蟹の身にむしゃぶりつき、高清水の熱燗で喉をうるおす。我々の後ろの席には、いつの間にか藤井フミヤ氏や木梨憲武氏らが来ていて、やはり賑やかしく食事をして飲んでいる。こちらは仕上げにハリハリ鍋に移り、絶妙な塩梅に驚嘆の声をあげながらくじらの肉にしびれ、「大阪でもこれだけのハリハリ鍋は食べられない」と語る大阪出身の森さんのコメントに深くうなずく。舌がどこかに持ってかれそうなほど綾のある出汁とシンプルな具材の組み合わせを堪能。さらに熱燗を飲んで店を後にしたおれたちは、二の橋のカラオケ店で2時まで唄って潮を噴き上げ、一台のタクシーに乗り込んで帰宅となった。 口の中にまだくじらがいる。 |
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| 12月3日 (月) |
誤記憶 |
| 18時まで単行本の第二稿をやって切り上げ、風呂に入って着替えをすませ、さあ新宿サザンシアターであるビクター落語会に出かけようとチケットを見たら、もう開演時間を過ぎていた。なんと、開場17時、開演18時ではないか。なぜかそれぞれ1時間遅く記憶していて呆然、仲入り後から聴けばいいとはいえ、一度地に墜ちたモチベーションを復活するのが難儀で、外出姿でソファに座りこむ。終演後、M橋さんと諸々話したかっただけに残念。漫然とテレビを眺め、遅い夕食をとり、『山口昌男の手紙』を4章ほど読み、それから机に戻って改稿。思いやられます。 |
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| 12月2日 (日) |
つい朝まで |
| 昼間、週刊誌のゲラ校正を二本やって編集部に戻す。それからちょっと仮眠をとって起きだし、久しぶりに焼肉を食べようと思い立って近所の「李朝房」へ。ビールをひかえて白飯を食いすぎ、帰宅後はソファに横臥したまま野球のオリンピック予選、韓国VS日本戦を観る。言いたいことはいくつもあるけど、まあとにかく勝ててよかった。夜中になってようやく机に戻り、単行本用の小説の第二稿にとりかかる。つい朝までやってしまい、かすむ目を押さえながら昏倒睡。 |
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| 12月1日 (土) |
その後の影響の塊 |
漫然としつつ、河出書房新社が満を持して刊行しはじめた世界文学全集(池澤夏樹個人編集)の記念すべき一冊目を手にとる。『オン・ザ・ロード』。ビート文学の旗手、ジャック・ケルアックの記念碑的作品だが、かつて『路上』として読んだ記憶がある。高校時代か。大学生だったか。もうよく憶えていない。「この本はぼくの人生を変えてしまった」とボブ・ディランが語った小説に、おれは人生を変えられることはなかった。それよりも、中学生のときに読んだ太宰治の『トカトントン』の方が、おれには深い影響を及ぼした。 夜中、1960年代にサンフランシスコから誕生したヒッピー文化の実態と変遷を描いたドキュメント映像を、メモを取りながら観る。当時の証言者としてカート・ヴォネガットの息子も登場していたが、彼らの活動が一時代の徒花でなはく、その後のアメリカに、ひいては日本やヨーロッパに形を変えて潜行していき、現在の世界の在りかたに大きく影響を及ぼしていることをあらためて知った。何よりこの文章を書いているパソコン(マッキントッシュ)の誕生の根底に、ヒッピーの本質的な思想が生きている。事例を挙げだせばきりがないが、とにかく、彼らが提示した思想は日常に融和していくことにより、体制の力を弱体化する多様性、相対性の拡大に貢献した。それによって壊れたモラルも、断絶した歴史もあり、間違っても絶賛する気などおれにはないが、それでも、「それ以前」とは違う「その後」を培養した期間として、あの狂乱の時代もまた意義があったことは認めたい。 人間なんて、いわば「その後の影響の塊」なんだよな。ヤバイヤバイ。怖い怖い。そして脆いモロイ。 |
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| 11月30日 (金) |
祝!acalli2周年 |
| 思いがけず徹夜をしてしまったが、電話や宅急便の対応のために3時間だけ眠って起き、ぼうっとしたままメモ書きと書見で過ごし、夜は「acalli」で食事。カウンターに座って即、開店2周年目のおめでたい日と知らされ、ならばと祝福の乾杯をしていつもより多目に肉を食べ、赤ワインを飲む。種子島の安納芋、抜群の甘味で印象に残る。閉店後、「あら喜」からT夫くんを呼んで一緒に飲み、2時過ぎ、とろとろと歩いて帰る。そして、寝ればいいのにCSで映画を一本を観てしまう。おそらく、頭の中では書きかけの小説について考えつづけているのだろう。考えることに疲れないうちはなかなか眠気が訪れない。ただ、眼球が疲れるのを待つばかりの夜がつづく。 |
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| 11月29日 (木) |
6年ぶりに会って即打ち合わせ |
10時から「週刊朝日」の書評を書きはじめ、16時、脱稿。推敲して編集部に送信し、担当のH山さんと電話で話す。詩人たちとの宴、愉しみに待ちましょう。その後、頭を切り替えるために入浴し、髪を乾かしているところにO寺くんから電話が入る。O寺くんは「ダ・ヴィンチ」時代の編集メンバー。今はフリーライター兼エディターをやっていて、仕事の打ち合わせのために急遽、こちらの近所で会うことになる。20時、創作を止めて白金高輪駅へ迎えに行き、O寺くんとほぼ6年ぶりに会う。その後F井くんも合流し、駅の近くの焼き鳥屋に入り、今回ひきうけた仕事関連の話をしながら飲み、つまみ、いつの間にか、F井くんの北海道への転居話で盛上がる。芋焼酎のボトルが一本空いたとろこでちょうど閉店時間となり、2人を駅まで送って帰宅。ほろ酔いのまま週刊誌4誌を読み、村上春樹さんの新刊を読了し、次に松本清張を読んでいるうちにソファ睡。 いつもながら眼球が「ジ・エンド」とつぶやいた時、一日が終わる。 |
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| 11月28日 (水) |
溜息つくのはやめておく |
| 「週刊朝日」の書評原稿を書き、書き終わってから言いたいことと7度ぐらいズレを感じて破棄する。徒労。呆然。でも仕方ない。まずは自分が納得したいから、仕方ない。溜息つくのはやめておく。 |
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| 11月27日 (火) |
あらためて |
| 夜まで創作。とはいえ、休憩するたびにコーヒーや緑茶を飲みながら村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)を一章ずつ読んでしまい、さほど前進はしなかった。それにしても、春樹さんは今も毎日10km走って原稿を書いているんだよな。彼は58歳だよ、58。その日々の根底にある思いが、結局はすべて創作へと収斂されいることを(あらためて)知り、(あらためて)感心する。いちいち(あらためて)としたのは、彼の創作姿勢についてもう10余年前には知っていたから。知っているくせに学習できないおれ。「集中力の継続」ために益ある暮らしを体現できなけば、きれぎれの作品しか書けないだろう。体制の建て直しをはかっているこの時期に同書を読んだことは、素直に良かったと思う。間違ってもマラソンなんてしないけど。 |
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| 11月26日 (月) |
ヤバイヤバイ |
鬱屈している故に過剰に自己の客観視につとめる人物を主役において創作しているからか、こちらの精神までちょっと引きずられそうな気配がまとわりついている。ヤバイヤバイ。と、どこからか北大路欣也の声が聞こえてくる。髪は爆発し、腰は冷たい痛みに襲われる。まじヤバイ。そんな状態の中で女の霊を登場させねばならないのだから気はさらに重くなる。どうなることやら。それでもまだ平常を保っていられるのは、食事と睡眠がしっかりとれているからだろう。生きている私、である。 夕方からは「週刊朝日」の”今年の収穫3冊”について原稿を書き、21時、担当のH山さんに送信。それからがっつり野菜カレーと野菜と卵のサラダ、白飯と味噌汁をいただく。そして膨らんだ腹をなでながらちょっと安心し、中森明夫さんと大宅壮一大先生の本を読んでからウータとともに抱擁睡。 |
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| 11月25日 (日) |
『点と線』と『恍惚の人』 |
昼過ぎ、仕立てが終わった着物を受け取りに出かける。浮世絵をデザインした長襦袢、風神雷神をあしらった羽裏、越後黄八の着物、カラス畳の雪駄、……出来あがってみると「よくもまあ凝ったもんだ」と自らあきれる。着付けを習い、帯を締め、鏡の前で立ってみる。怪しい。さて、いつこれを着ていくか。海外旅行3回分の料金を支払って帰宅し、コーヒーを飲んで今度はケーヨーD2へ。諸々重いものばかり買って帰り、夕方、また外出して「つきじ宮川本店三田店」へ行き、ビールと冷酒、宮川を飲みながら平目の刺身、風呂吹蕪、うざくなどをつまみ、元々の目的だったうな重を食べることなく腹いっぱいになってほろ酔いで帰る。風呂吹蕪は絶品だった。 夜は、昨晩にひきつづき『点と線』(テレビ朝日系)を観る。原作の面白みをいかしたいい出来でありました。ビートたけしの眼、市原悦子のどうにも巧すぎる芝居、浮かれない高橋克典、老いが首にあらわれだした柳葉敏郎、結核患者にしては色気が溢れすぎている夏川結衣、よかった。しかし、しかし。この日の後半部、死んだ娘の部屋の片づけに上京した老母(市原)を手伝う鳥飼刑事(ビートたけし)が手にした本に、ななな〜んと『恍惚の人』があるではないか。新潮書き下ろしシリーズ(函入り)で大ベストセラーとなったこの作品は、『点と線』の舞台である昭和32年の15年後に刊行されている。だから、そこに在るはずがないのだ。いやあ、……まいった。せっかく当時の東京駅を復元したり、あらゆる小物まで時代考証が行き届いていただけに、この瑕(きず)を見つけた途端、大きな声をあげてしまった。 作品世界を創る者としては、いい他山の石とせねば、と思った次第。そして一夜たった今、おれの頭の中では松本清張と有吉佐和子がにらみあっている。 |
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| 11月24日 (土) |
談春の視座 |
7時起床。今朝は松本のいしいしんじ君から長芋が届く。ありがたや。奥さんの園子さんにお礼の電話を入れ、早速とろろご飯をいただく。あっさりしていて食べやすい。ありがたや。その後、午前中はテレビで「元禄忠臣蔵 第二部」を観る。藤十郎と梅玉や佳し。午後は書見。それからおれの落語の先生であるM橋さんが書いた談春のインタビュー記事を読む。M橋さんは、談春の落語を愛でる人々の特徴を次のように表現していた。
変な例えだが、家族の写真入り年賀状を恥ずかしくて出せないような人のために談春の落語はある。正義、常識、努力、幸福といった言葉を留保なしに受け入れられない人と言ってもいい。自分のこだわりの底にある小心や見栄や逃げを知ってしまい、その欺瞞を気づかれまいとして、あるいは認めまいとして正反対の言動を取り、再び自己欺瞞に直面する人。 (「日経ビジネス アソシエ」12.04号 2007より)
ややくどいぐらいの、なんと精緻な洞察か。おそらくはM橋師匠自身が冷徹に自己分析をした結果だと思うが、おれは強く共感する。凡百の落語と談春の違いは、まさにこの種の人間に届く演技力をもっている点にある。正確にいえば、演技以前の「解釈」に談春のオモシロミがあるのだろう。古典とはいえ、否、古典だからこそ、そこに登場する人物たちをいかに読み解き、あらためていかなる人物として演じてみせるか。そこが演者の存在意義となる。師匠をはじめとする先人がすでに示した解釈にだけ頼ることなく、自分なりにその陰影を探り、想像し、そして納得のいった「解釈」に基づいて演じる。談春のその「解釈」が先述のM橋さんの分析とよく似た視座にたっているから、それが聴く者をグサリと突く。いわば、人物像の「解釈」によって、演者と聴者がつながっている。だから、家族の写真入りの年賀状を知人に送ることができる人々には談春のオモシロミは届かないかもしれない。端的に言えば、人間観、人生観が違うから。でも、ここ数年の談春の人気の高まりを見ていると、M橋さんが指摘したような人物は(彼はそれを”厄介な人”と書いているが)確実に増加しているのだろう。 欺瞞に気づかれまいとして正反対の言動をとり、再び自己欺瞞に直面する人。もしあなたにそういう自覚があるのでしたら、ぜひ一度、CDでもいいから談春を聴いてみてはどうでしょうか。 |
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| 11月23日 (金) |
死後の演出 |
8時、起床。「ちりとてちん」を観終わった直後、知人より恵那寿やの栗きんとんが届く。すぐに一個いただき、思わずニンマリ。絶品である。熱いお茶を飲んで惚けていると、今度は、yoku mokuの非売品板チョコが宅配便で大量に届く。ありがたや。一欠片を齧っただけでその濃厚な味にふらふらする。さらには天気の良さに気分が浮き足だち、墓石研究を兼ねて泉岳寺まで散歩する。晴れてはいてもビル陰に入ってしまうといきなり躯が凍えるが、香が漂う境内はほどよい暖かさ。義士祭にはまだ早いが、本堂に参拝してから浅野内匠頭、ならび四十七士の墓前に線香を供す。正方形の囲みの中に整然と四十七もの墓が収まっているせいか、すべての墓石を巡るといつも不思議とほんわかした気分になる。死後の演出。ちょっと怖いほどに完璧なあざとさ、だ。 伊皿子坂を上り、魚籃坂を下っていく帰路、久しぶりにラーメン店に入り、北海道ラーメンと焼餃子を食す。どちらも×。それでも腹は膨れ上がり、帰宅後はほとんど動けなくなってしまい、夜がはじまったころにはついに寝床の人となる。討ち入りされても気ずかないほどの熟睡。朝まで。 |
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| 11月22日 (木) |
3日前に絞めた鯛 |
| 7時半、起床。午前は小林秀雄を読み、昼からは創作。やっと6枚まで進んだところで入浴して気分を換え、16時より「中央公論」の連載原稿に本腰をいれる。稲尾和久さんについて書く。21時過ぎにようやく脱稿し、推敲して編集部へ送信。ほのかな高揚と空腹感にしたがって「あら喜」へ。予想を上回る寒さに震え、神亀の熱燗で暖をとる。お気にいりのナマコ酢をつまみ、それからT夫くんが3日前に絞めた鯛と〆鯖の盛り合わせをいただく。ゆっくりと口にひろがる甘味につい頬が緩む。その後もホタテや鮪の刺身を喰らい、二本目の神亀を飲み干すあたりでo野くんが登場。2人で店を後にし、近所にできた新しいバー、「ENGINE」へ出かける。8人も座ればいっぱいになるカウンターだけの店だが、店内の半分はポルシェが占めている。車関係の方がオーナーらしい。2時半、赤ワインとビールを飲んで仕上げ、寒風の中をとろとろ帰る。帰宅後はいつもどおりの昏倒ソファ睡。 |
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| 11月21日 (水) |
平山クンの伸びしろ |
| 7時半、起床。午前午後、ずっと創作。17時からは連載のゲラ校正をやって担当者に戻し、本を読みつつ19時を迎え、サッカーのオリンピック最終予選、日本VSサウジアラビア戦をテレビで観る。結果は周知のとおり0-0の引き分けで本戦出場が決まったが、0-1で負けていても、2-0で勝っていてもおかしくない内容だった。しかし何ですな、平山クンは今後どうなるのかな? 伸びしろはあるんですかな。ベンチにすら入れなかったにもかかわらず、終了後に痛いほど浮かれている彼の姿を見て、老婆心ながら心配してしまった。 |
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| 11月20日 (火) |
ひとりしゃぶしゃぶ |
6時半、起床。午前中、「中央公論」の連載を少しやり、昼前からひとりしゃぶしゃぶ。本当は日曜日に食すつもりでいたのだけれど、横着をして寿司の出前をとってしまい、残ったままの肉と野菜と茸をどうするか考えての蛮行となった。当然ながら食べ過ぎてしまい、消化待ちのためにソファに横臥して書見。夕方、『悪人』を再読了。やっぱり面白い。視点がころころ変わることは特段珍しくはないが、そのことによって作品のテーマがじわじわと読者に伝わってくるところにこの作品の妙味がある。そんな感想をいだく頃にはとっくに消化も終わっていて、日がとっぷり沈んでから創作。文体をまったく替えて冒頭から書き直す。これだ、という実感にちょっとした興奮を覚えつつ3時間書き、夕食後はBSで映画『小説吉田学校』を観る。吉田茂の次女(つまりは麻生太郎の母)を演じた夏目雅子を除けばすべて男優ばかりの作品で、それ自体が、戦後間もない日本の政治の一面を象徴しているようだった。 小林秀雄を読みながらX睡。 |
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| 11月19日 (月) |
グレゴリー・ヘミングウェイの一生 |
4時半、起床。6時より創作。「ちりとてちん」を観る他はずっと机に向かい、パスタで昼食をとった後は、うつ病に関する本を2冊読む。そのうちの1冊、『うつ病 まだ語られていない真実』(岩波明 ちくま新書)の冒頭で、かのヘミングウェイのうつ病について詳しく紹介されていたが、その一族もまた、ほとんどがうつ病で死(自殺)にいたっている。彼の息子でありながら、60歳後に性転換にふみきって女として死んだグレゴリー・ヘミングウェイについては、拙著『きょうも命日』(中公新書ラクレ)でも紹介した。それ以来、おれは彼のことが気になっている。アメリカで彼の評伝が刊行されないかと長らく期待しているが、出たという情報は今のところない。 強烈な父性との格闘、結果エディプスコンプレックスを抱えたまま医者の道を歩み、中年後、おそらく家族性と疑われるうつとなってアルコールとドラッグに溺れて4度の結婚と離婚をくりかえし、ついには性転換までして女となって死んだその生涯には、多くの文学が対峙してきたテーマや場面が満載である。フィクション化する必要などないほどに、彼自身が文学を生きたような気がする。いわば、その生き方によって厳父の文学と拮抗しようとした人生では、とおれは推察している。 そんな内容の本なら読んでみたい、という人々も多いはず。アメリカ文学の若手研究者あたりが調べて書いてくれないものか。強く期待します。 |
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| 11月18日 (日) |
歯ぎしり |
洗へば大根いよいよ白し 山頭火
寒さにかまけてごろごろしているうちに短い惰眠を繰り返し、いったいこの日になにがあったのか、なにをしたのか判然としない始末。旅に出たい。と思う気持ちが、そもそも或る思慕からの逃避では、とまた胸中を複雑にする。この年の間にいろんな構えを転換したいと願っているのに行動がどれも躊躇の体のまま。自分でも自分らしくないともう半年ほどうじうじしている。そうしてまた冬を迎えるのか。冬の期間が、ほんとうはいつも大事なのに。ギリギリギリギリギリギリス。 |
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| 11月17日 (土) |
書かなくちゃ、おれ。 |
| 風邪薬も飲むことなくソファで寝入ってしまい、ふっと目を覚ましたら7時46分。すぐにテレビをつけて「ちりとてちん」を観て感涙をこぼす。熱は治まっていて、ならばと散歩がてら白金高輪駅近くの店まで行き、コーヒーとサンドウィッチを食す。帰宅後は書見。夕方、小川書店で新書3冊と週刊誌2誌と落語特集を組んだ「サライ」最新号を買って「あら喜」へ。躯が冷えていたのでいきなり神亀の熱燗を飲み、入荷間もないナマコの酢の物をつまみ、つぶ貝煮、〆鯖をいただき、o野くんを呼び出していろいろ話す。最後はひょっとこのロックで仕上げて店を後にし、家に戻って予定どおりサッカーの日本VSベトナム戦を見始めるも、試合開始間もなくソファ睡。月内にまだ締切が5本あるというのに。書かなくちゃ、おれ。 |
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| 11月16日 (金) |
パーティーの夜のきがかり |
18時、寝不足のままタクシーで帝国ホテルへ。2年ぶりに集英社の4賞受賞パーティーに出席する。何人もの旧知の編集者や文壇バーのママたちと談笑しているうちに時間が過ぎ、同ホテル内のスカイラウンジの2次会に顔を出す。廣谷鏡子さんとともに集英社の各部の編集者といろいろ話し、途中、藤沢周さんとグッと握手。最後、会の締めのスピーチをしたK田さんに「すばる」の新編集長を紹介してもらい、『シュヴァイツァーの仕事』を担当してもらったT橋さんと抱擁して会場を後にする。それから冷えきった街を歩いて銀座に移り、G8付近でS田さんと合流して「まり花」へ。パーティー会場でもずっと一緒だっただけにY子ママと3人で大いに盛上がる。蛸焼きやサンドウィッチの出前をとって焼酎のお湯割りを飲み、2時過ぎに店を後にすると、外はますます冷えていて、悪寒に襲われて額に手をあてると熱があった。S田さんとタクシーに乗りこみ、古川橋交差点で降ろしてもらって帰宅した途端、意識朦朧となって倒れこむ。 イビチャ・オシム翁よ、どうかご無事で。 |
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| 11月15日 (木) |
日本のタブー |
朝顔1輪。まだ咲くか。 午前午後、ソファに横になったままテレビから流れてくる参考人喚問と証人喚問を聴きながら書見。『悪人』を2章まで読み、『神様、仏様、稲尾様』(日経ビジネス人文庫)を読む。 守屋氏や宮崎氏に関する問題は、アメリカと日本政府に横たわる暗部を探らねば事の本質は見えてこない。だけど、そんな底なし沼を日本側があばくはずはなく、おそらくは守屋氏の逮捕で終結だろう。沖縄の土木建設利権、およびブラックマネー関連ぐらいまでは一部がマスコミを賑わすかもしれないけれど、それもじきに終息すると予測する。自国製の戦闘機すらアメリカに反対されて製造できない日本の軍事予算。その根幹は、日本を守るという名目の下アメリカの都合にずっと左右されてきたのだから、防衛省の事務次官とはいえどうにでも扱われてしまう。否、ロッキード事件が証明したように、時の首相すらどうにでもなる関係が、構造がそこにあり、そのイニシアティブは常にアメリカが握っている。 だからこんな出来レースよりも、もっと注視すべきはフィブリノゲンによるC型肝炎感染問題だ。エイズの時もそうだったが、これもまた発端にはミドリ十字社があった。かの731部隊にいた生科学者たちが多く集ったこの会社と旧厚生省との関係はいったいどこまで根深いのか。否、製薬業界全体と旧厚生省とのドス黒い関係は少しは解消されるのか。舛添氏に期待はしたいが、これもまた危険な暗部を抱えている問題だけに、彼がいくら調子いいことばかり口にしても、きっと根本の解決には至らない。そこに手をつければ、何がおこるか。怖い怖い。これもまた日米軍事関係と同じく日本のタブーなんだろうな。 |
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| 11月14日 (水) |
祝! 浦和レッズ |
未明から連載原稿。猫と暮らすことについて書き、13時過ぎにようやく脱稿してM橋さんに送信する。途中、Y田さんからありがたい演劇情報を電話でもらうが、疲れが出てベッドへ。『悪人』(吉田修一 朝日新聞社)を再読しつつ眠りにつき、17時半、起きる。19時よりACL決勝戦をテレビ観戦。稀にみる好試合に時おり喚声をあげながら夕食をすませ、2-0でレッズの優勝が決まるや拍手拍手拍手。 それにしても、である。レッズのサポーターはすごいな。知人がチーム結成時からサポーターを束ねる活動をしていただけに、ここまでになった組織の力に深い感慨を抱いてしまう。天邪鬼のおれはああいった組織だった応援は苦手だが、それでも名古屋時代、夏の夕暮れのナゴヤ球場のライトスタンドで、生ビールでしこたま酔いながら私設応援団の人々とともに歓声をあげる時間は愉しかった。あれは祭だった。それぞれが勝手に愉しむ祝祭。美園浦和は、埼玉は祭に酔いしれたんだろうな。 村井、鶴、おめでとう。 |
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| 11月13日 (火) |
インスパイア |
いつもどおり7時45分からNHKハイビジョンで「ちりとてちん」を観て笑い、コーヒーを飲みながらワイドショーに目をやったら、稲尾和久さんの訃報が流れた。鉄腕稲尾。仏様や神様とともに称された伝説のピッチャーの死。現役時代は知らないものの、誕生日がいっしょということもあって勝手に身近な存在としてあった方だ。即座に関連図書を数冊注文する。 原稿は進まず、保坂和志さんの新刊『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』(草思社)を読む。おれはこの人の小説を全部読んでいるが、それよりも一連のロングエッセイが好きで、そこにある真の意味で「哲学している文章」にいつも刺激を受けている。今回も期待は裏切られず、つい傍線を引いたり、ページの右上にポストイットを貼ったりして読了した。途中、冒頭部で止まっている次の小説の展開や、それとは別の構想がいくつか閃いてほのかな興奮をおぼえた。書かれている内容とはまったく違う代物ながら、インスパイアの効能とは不思議なもので、その文章に触れなければ見えなかったはずの世界が新たに浮かんでくるのだ。その瞬間は他では味わえない喜びすら放ってくるから、実はこうして小説なんかをあくせく書いているのかもしれない。 読むことは書くことである。 |
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| 11月12日 (月) |
魂の荒み |
| 朝顔2輪。「Nile's NILE」の連載原稿を書き出すもどうもしっくりいかず、ほぼ書き終えたところで破棄。当然ながら書く以上は、それが短かろうが長かろうが納得するものを仕上げなければ、こちらの魂が荒(すさ)んでしまう。荒みたくないからね、魂。そこで気分を変えるためにいくつか本に目をとおす。しかし、その中にあった或る大御所の新作の小説が致命的な瑕(きず)を抱えていてさらに荒んでしまう。ヤダヤダ。本を投げ出し、蜂蜜入りの紅茶を飲みつつ猫と戯れ、秋の夜をやりすごす。 |
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| 11月11日 (日) |
夜中、森光子 |
本日もじっとしている。『超人 高山宏のつくりかた』を読了し、当然のように『山口昌男の手紙』(大塚信一 トランスビュー)の書見に移る。途中、気分転換にケラリーノ・サンドロヴィッチの初期代表戯曲、『ウチハソバヤジャナイ』(ペヨトル工房)を音読し、飽いたところで元の本に戻って夜を迎え、大河ドラマを観る。今川側から桶狭間の合戦が描かれていて、それだけで満足する。 夜中、森光子スクワット80回。 |
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| 11月10日 (土) |
ソファの上で |
| 家の中にいる。というよりソファの上から動かず、午前中はBS2で「ちりとてちん」を一週間分まとめて観て過ごし、午後は『超人 高山宏のつくりかた』(高山宏 NTT出版)をじっと読む。夜、体調回復。 |
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| 11月9日 (金) |
やっぱり仁左衛門 |
渡邊さんに懸案の原稿を送り、そのまま横臥。14時に起きだし、15時半に家を出てJRで新橋まで行き、リクルートG8ビルのロビーで写真を撮られてから歌舞伎座へ。楽しみにしていた顔見世大歌舞伎(夜の部)を観劇。 『土蜘(つちくも)』で、老父(中村富十郎)演じる源頼光と堂々とからむ太刀持ちを演じた鷹之資の姿に感激し、次いで、踊る仁左衛門の姿勢の美しさにほれぼれする。終演後は、途中から合流したS田さんと有楽町まで歩き、ガード下の焼き鳥屋で乾杯。閉店まで飲んで食べ、その後は「D・ハートマン」へ流れ、これまた閉店まで飲んで喋り倒す。帰宅、3時半。明け方、急に冷えを感じ、軽く吐いて昏倒睡。 |
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| 11月8日 (木) |
もう寝る |
| 終日『宗教と現代がわかる本 '08』(渡邊直樹責任編集 平凡社)用の原稿を書く。食事と昼寝をはさんでずっと呻吟、執筆を続け、明けて9日の早朝にやっと脱稿。もう寝る。 |
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| 11月7日 (水) |
みかけの相関 |
| 当然のように終日セルフ自宅軟禁生活が続く。朝顔2輪。絶対不可知の私。そこに置かれた紙に「みかけの相関」とある。脚が細くなっている。頭が痒い。 |
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| 11月6日 (火) |
哲学者の死のかたわらで |
本日も終日セルフ自宅軟禁。 ここ数日哲学者の死について書いているのだけど、これは一つの修行であります。嫌がうえでも書く前に考える時間が長く求められ、その伴走者として哲学書を繙くしかない状況が強いられるからだ。しかもそれが答のない哲学の書であるために、こちらも考えることをずっと続けている。ソクラテス以前の哲学者、以後の哲学者たちの学業……。これが、実はとても面白いからなかなか切り上げられず、つい書くより読む、読むより考える時間が増えていく。昼が夜になり、ちょっと仮眠して起きだして朝を迎え、何も書かないまま、まるで小説を書いている時の佳境下にあるような生活になってしまった。浮き世の在処を確かめるために、時おりテレビをつける。窓の外をながめる。 明日は書くぞ。 |
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| 11月5日 (月) |
一郎と信長 |
終日セルフ自宅軟禁が4日続いている。髭はもう6日剃っていない。 ところで小沢一郎氏。「ダ・ヴィンチ」創刊間もない頃、たしか新生党の本部でインタビューしたことがある。歴史に対する認識と好きな人物についていろいろ訊いた。笑っていても眼光は鈍いほど鋭かったが、彼は織田信長を評価していた。稀代の”壊し屋”である信長を補助線にして小沢一郎を眺めてみれば、少しはその行動原理も理解できるだろう。その上で彼のマネージメントについて考えれば、やはり課題はよき相棒の不在となる。毛沢東における周恩来のような逸材がそこに在れば、彼はもっと滑らかに政権につけただろうに。まあ、逸材を認めて適所に置き、その力を充分に発揮するよう促すのもまたマネージメントの肝要であるのだから、やはり彼はマネージメントに致命的な難があるのだろう。 とろくさい日々である。 |
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| 11月4日 (日) |
後は自分で考えて |
夜中、原稿を書くための資料として、6年前に録音された池田晶子さんとの対談テープを聴く。番組はNHKサンデートークで、およそ90分間の生放送。対談テーマは「哲学との遭遇」となっていた。 今年亡くなった池田さんの声を話を聴き、自身の間抜けな声を聴き、メモを忘れてぼおっと感じ入る。次第に当時のスタジオの光景を思い出し、彼女の顔も浮き上がる。笑っている顔もそこにはあるものの、発言の厳格さは終始かわらない。番組中にも間抜けなおれの声が指摘したとおり、彼女はいつも言文一致で、言葉の選択も論理の展開も逃げ出したくなるほど筋が通っていた。時おり2人の間に入るベテラン男性アナウンサーが誤解していればさっと誤りを指摘し、沈黙が流れる。アナウンサーが絶句したのだ。堪え難いような生放送中の沈黙……おれは、スタジオの緊張をはっきりと思い出す。あれは、言葉を発する厳しさに向き合う90分だった。彼女の本を一冊でも読んだことがある方ならわかっていただけると思うが、意味と言葉の関係に細心の注意をはらったその文章の通りに彼女は考え、そして生きていたから、向きあった者もいい加減ではいられないのだ。 ロゴスについて話した。絶対不可知について話した。対話の意義にもふれた。生命倫理についても尋ねた。後半は死について考える重要性について語った。おれと池田さんの対話は結論など何一つ出さないまま終わった。そのことに2人でほくそえんだ。 「後は自分で考えて」 これが、考えることが生きることと明言していた池田さんの最後の発言だった。 |
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| 11月3日 (土) |
食欲 |
| 今秋初の鍋を喰らう。豆腐と春菊、美味。仕上げは出汁を使ったつけ麺をいただく。好不調かかわらずどんな状況でも食欲だけはある。それが救いであり、鈍磨の証でもあるのだろう。朝顔3輪。 |
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| 11月2日 (金) |
状況 |
| あれもこれも、またあれも書くしかない状況に突入している。いるのに長閑な秋を愛でているのだから窮状はさらに深まる。に決まっている。終日、文体やら修辞について考えて、そうするうちに大切な幽霊を見失ったようだ。 |
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| 11月1日 (木) |
じっくり前進 |
16時半、三鷹からT田さんが最寄り駅(白金高輪)まで来てくれる。一緒に歩いて三の橋まで行き、「さくら苑」でコーヒーを飲みながら来年出す本の第一稿に対する疑問や要望を聞く。実に丁寧な仕事ぶりに感謝しつつ、「続きは場所を代えて」と開店間もないあら喜へ移り、T夫くんが腕をふるってくれた旬の料理を喰らいながらあれこれそれこれなにそれと止めどなく話し合う。不二才のボトル、空になる。仕上げは「acalli」で赤ワインを一杯と出し巻き卵。そんなに酒が強くないT田さんはかなり酔ったようで、白金高輪駅まで同行して見送る。 22時半に帰宅すると、ドラゴンズが優勝していた。全局のスポーツ番組をチェックしているうちに眠気はふっ飛び、加瀬亮とオダギリジョーの組み合わせに惹かれるまま、映画『スクラップ・ヘブン』を観る。終わったら5時だった。朝顔が5輪咲いていた。 |
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| 10月31日 (水) |
サヨナラの月末 |
サヨナラだけが人生です。 このベタで手垢のついた箴言は、それだけ逃れようがないほどに的を射ているのだけど、創作するのもサヨナラのための活動だと思う。それは過去の自分であり、かつて自分が抱いた願望や妬みや嫉みや失意や恨みや希望や妄想や理想や夢想を仕込みつつ一つの世界を創りだす作業だ。たとえ描かれた舞台が未来であっても戦国時代でも、主人公がロボットでも侍でも犬でも豚でも河童でも、そこにある基盤は作者の今にいたる過去との対峙から生まれているはずで、書くことによって諸々の感情や事と惜別している。また、作者にそんな自覚がなくても、きっちり表現ができた時には、結果、サヨナラを達成していることになる。 ……てなことを偉そうに整理している時間があったら早よ原稿を書かなくては、と己を叱咤して机に向かう月末のおれである。 |
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| 10月30日 (火) |
落語話の夜に酔う |
資料にあたっているうちに日が暮れはじめ、シャワーを浴びて外出。17時過ぎに銀座はG8まで行き、「かもめ」の取材を受ける。緊張している新人、Tさん相手にいつもどおり予定の倍近くしゃべり倒し、終了後、ほぼ10年ぶりにY田さんと食事へ行く。Y田さんが某落語家に紹介されたという有楽町の串揚げ屋さんのカウンターで乾杯し、落語について、たとえば談春の啖呵、市馬の相撲甚句、古典噺の完成度などをネタに話を続ける。途中、某局のプロデューサーと某若手人気女優が静かに入ってきて不倫の臭気を漂わせてもお構いなく、こっちは落語落語落語。冷酒をきっちり飲み、腹もふくれたところで銀座に戻って「D・ハートマン」へ移り、今度はゆっくりジンをやる。その後は六本木に流れ、帰路、古川橋の交差点でタクシーから降りた途端、強烈な吐き気をもよおす。飲み過ぎた。 それにしても、『ちりとてちん』は面白い。 |
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| 10月29日 (月) |
砂の雪崩を待つ |
好天ながら昨日のようには富士山が見えなかった。 創作は主語の扱いに一工夫することにし、そうなると必然的に主人公の属性に変更が迫られる。背景にこそリアルが必要なのだ。そのために資料の手配をし、じっくりその者になったつもりで周囲を眺めてみる。動いてみる。声を出してみる。これ、実は危険な行為で、ぴっちりハマってしまうと数日間危ない人になってしまうのだが、今回は小一時間でこちらに戻ってこられた。こんなことを繰り返しながら、全身がぐぐっとこれから書くべき世界に沈んでいく感覚を味わっている。蟻地獄の底に自ら降りていき、屹立して砂の雪崩を待つ気分だ。南無三。 |
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| 10月28日 (日) |
犯さん哉 |
8時、起床。11時45分にパルコ劇場へ行って麗しの編集者Aさんと合流し、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出、古田新太座長の『犯さん哉』を観る。前売り即日完売の芝居の千秋楽を舞台から二列目中央部で味わえる喜びにずんと浸りながら、これでもかこれでもかと止めどなく続く”でたらめ”な言葉のかけあい、それを語る欠落を抱えた人物たちの動きに終始笑う。爆笑、微笑、苦笑、嘲笑、冷笑、微苦笑……辞書にのっている笑いは全部そこにあった。途中、ふっと左右の席を見たらAさんも初見のXさんもうとうとしていて、ひょっとしたら笑いすぎて酸欠にでもなったのかと訝る。休憩なしの2時間半、古田の圧倒的な存在感に引きずられ、最後は古田の尻に貼られた「終」の文字を見上げてまた笑った。きゅっと締めあがった尻の向うには、古田のイチモツがぼんやりと垂れていた。 徹底した"でたらめ"の芝居。この面白みを批評するのは難しい。筋らしきものはあっても、そんなことに作り手たちは重きをおいているはずもなく、とにかくすべての場面で”でたらめ”を仕掛けることに2時間半を費消し、”でたらめ”の贅を放出している。ただそれだけ。そのために、主人公の「アラタ」を除けば演者は休みなく役柄を変えていき、男役も女役も頻繁に交差する忙しさ。過剰の7乗ぐらい過剰な芝居で、おそらく、それ自体がこの作品の目的ではないかとすら感じてしまう。だから、観た者たちでさえ劇場を出て5分もすれば、その作品はいきなり遠い記憶に変化していく。劇場の椅子に座り、彼らの”でたらめ”を浴びている時間そのものがこの作品の本質なのだ、きっと。つまり、”でたらめの時間”をおれは堪能したことになるのだが、それは、演劇が根本的に持っている一過性と共時性を強烈に味わった証でもある。 でも、芝居に一貫して流れていた「暗い怒り」は、今もはっきりとこちらの胸のうちに残っている。ケラと古田はこの時代、つくづく貴重だ。 |
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| 10月27日 (土) |
起稿、そして白談春 |
ゆっくり起きだし、ゆっくり新聞を読み、昼過ぎ、机に向かう。ついに次作の起稿となる。サンドウィッチと紅茶で遅い昼食をとって15時まで創作を続け、入浴。それから台風20号が近づいてくる中、着物屋さんを訪ねて手付け金を払い、染めあがった反物を確認したり小物類の注文をする。すべての仕上がりは来月の24日となった。 雨にズボンの裾を濡らして帰宅後、熱いお茶を飲み、餡パンを一個食べてまた外出。さらに強まる雨と風に見舞われながら新宿まで行き、日経BPのM橋さんと合流して紀伊國屋サザンシアターで立川談春独演会「第三回 白談春」を聴く。前座噺について講釈後、実際に「狸の鯉」を演じてみせ、次に二つ目の噺「禁酒番屋」を披露。仲入り後は、「景浦」。実際に涙をこぼしながら上野の観音様に毒つく様は息をのませる出来で、終演した時には22時近くになっていた。 その後、M橋さんから米朝事務所のO島さん、アディタムのRさん、グランドハイアット東京のO嶋さんを紹介され、みんなで「鳥どり」へ移って会食。米朝事務所のO島さんは当然ながら、みなさんが落語通とあってそのやりとりを聞いているだけで楽しめた。聴きたい落語家がまた増えた。24時に散会後、タクシーで帰宅。寝不足の上に中身の濃い時間を過ごしたからか、服を脱いで3分後にはウータを抱いて昏倒睡。 |
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| 10月26日 (金) |
浮遊する視座 |
朝顔、16輪咲いている。何だかな。 本日も机の前で過ごす。タイトルは決まっている。しかし、内容とはまったく関係ないものにしたから中身は影響を受けない。進まない。一文字も書かずにまた夢想に逃げこむ。どうも幽霊女は40歳ではないようだ。彼女をじっと見つめ、表情を確かめ、曖昧な唇の動きを読む。舞台は玄関からいきなり筑豊に飛び、ボタ山のふもとを覆うセイタカアワダチソウの群生を眺める。ついで新宿のセンチュリーハイアットホテルの一室が現れる。浴衣を着た女が窓際に横たわっている。さらには伊豆の川べりの道、近くには川端康成が「伊豆の踊り子」を書いた旅館がある。晩秋ながら木漏れ日が斜面をまだらに白くし、そこを歩く女は潤んだ瞳でこちらを見上げる。……やれやれ、この一連の変化に何を見るからがきっと大事なんだとはわかるが、作者の視座まで変化してしまっているから何もつかめない。ただ浮遊している。 夕食は餃子と海老チリと生野菜。原稿は動かなくとも腹は減る。夜、『ノルゲ』を読む。 |
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| 10月25日 (木) |
土着 |
朝からリチャード・ブローティガンの詩集『東京日記』(福間健二訳 思潮社)を読む。原題は『June 30th, June30th』。強烈な刺激を受け、小説のアイデアが湧きあがるとともに、彼への興味が一層強くなる。迷わず、まだ手もとにない彼の著作をすべてアマゾンに注文する。妄想を創作に結びつける手続きは、今、何をするよりも愉しい。 その後の時間は机に向かって過ごす。予報に反して雨が落ちてこない空を見上げ、カフェラテを飲み、頬杖をついて机上の千手観音を見つめ、40歳の女の幽霊を幻視ししながら一文字も書けないまま夜を迎える。ふと映画が観たくなり、『祭りの準備』(黒木和雄監督 1975)をDVDで観る。もう5回目になるが、傑作は何度観ても飽きない。新人とは思えない江藤潤をはじめ、原田芳雄、馬淵晴子、ハナ肇らの演技は出色で、中島丈博の自伝的脚本の世界を噎せるように生きている。無論、黒木の演出は細部までいき届いていて、土着的な作品ながら情感に流されることなく計算ずくの構成で最後まで突っ走る。竹下景子の裸身もまた、必要不可欠の道具立てとして意味をもっていた。 さて、この時代の土着とは何か? ますます興味が湧く問いである。 |
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| 10月24日 (水) |
かぼちゃ |
| 日が暮れる少し前に大丸ピーコック魚籃坂店へ猫砂やシャンプーなどを買いに出かける。ついでに野菜売り場をうろうろし、品名と値段、それに産地などを学習したのだが、この時期、売り場の一角にはハロウィン用のかぼちゃが数種用意されていた。だけど、おれが見ている7,8分の間、購入する客は1人もいなかった。外国人の奥様たちもまったく目もくれずにレタスや茄子などをカゴに入れていた。帰途、地元の商店街にある小山園で新しい急須とお茶葉を買い求めた。 |
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| 10月23日 (火) |
次作へ |
6時半、起床。トーストとコーヒーで朝食をすませ、贈っていただいた藤沢周さんの新刊『心中抄』(河出書房新社)とドストエフスキーを少しずつ読む。藤沢さんは故郷の新潟を舞台にし、原風景に在る自身の過去と向きあっている。10時からは、スケッチブックを使って次作のノートとアイデア整理。冒頭部のイメージを絵にしたり、創作上の制限ポイントを書き出すうちにさらに構想がふくらみ、猫2匹を相手にアイデアを披瀝したりして昼飯を忘れる。かような狂気の時間を経た結果、最終場面がぱっと見えた。 「これで書けるどー!」 展開がどうなるかはまったく予想がつかないが、すでにくっきりと浮かんでいる冒頭部から、とにかく最終部への道を探していけば何とかなるだろう。 と気をよくして入浴。さっぱりして着替え、夕方のニュース番組をひとしきり観てから「あら喜」へ。牛ごぼう煮、〆鯖を喰らいつつ不二才を飲んでいると、古田の引退試合のチケットを手配してくれたA木さんが来店。あらためて自己紹介がてらいろいろ話し、21時に帰宅。これも贈っていただいた町田康 さんの『猫のあしあと』(講談社)を読み、死んでしまったゲンゾーを偲びつつウータを抱いて溺愛睡。 |
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| 10月22日 (月) |
戯曲、そして劇場の機知 |
5時半、起床。7時半から連載原稿。13時半に脱稿し、推敲して編集部へ送信。塩カルビ丼で遅い昼食をとり、それからは書見で過ごす。まずは池田晶子さんの本を一冊読了し、次に井上ひさしさんの戯曲『父と暮せば』(新潮文庫)を読みつつ夜を迎え、作品の出来に感激する。構成を考えつくした二人芝居により、原爆の被爆者に内在する二つの自己を切なく、美しく具現化していた。相手を慮る広島弁のやりとりが淡い幻夢を支え、舞台がゆっくりと暗くなっていくとともにえも言われぬ静寂を観客に届ける。それは死者のぬくもりのようなものだと想像する。一度も観たことのない舞台ながら、役者が抑制した演技さえすれば必ず傑作となるべき戯曲、とわかる。 あとがきに代えて書かれた「劇場の機知」は、演劇ファンなら必読。小説でもなく詩でもなく、演劇(舞台)でしか創り出せない時空間について、とてもわかりやすく具体例をあげながら説かれている。ああ、いつか遠くないうちに、一本、戯曲を書いてみたい。 |
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| 10月21日 (日) |
恋と愛の間で |
折にふれ会いたいと思う人がいることは、幸せな事である。対象が人ではなく景色や仏像や絵画であっても、それは同じかもしれない。もう飽きてもおかしくないほど会っているのに、数日数週間時間が過ぎると、ふと会いたいと願う気持ちが蝋燭の炎のように揺らめきはじめる。これはなぜだろうか、と考えてみると、考えているだけで心が少し熱くなる。憧憬と焦燥がいりまじる。そして、その人が自分にとっての絶景なのだと気づく。世界遺産でもなく、風光明媚でもないけれど、自分の視界にその人がいるだけで日常に絶景があらわれる。絶景はこちらの人生を、つまりは死生観を揺らすから、眺めているだけで隠していた覚悟のようなものが浮上してきて心が充実する。生きる方向に意識が集中して、贅沢にも、いかに生きるかなんてことを考えるまで気持ちが高揚するのだ。この瞬間、人は幸福を生きている。それはあっという間に過ぎ去ってしまうから、また会いたいと思うたびに一時の至福を追慕し、次の再会を思って蝋燭の火を抱きつづける。 繰り返し。循環。できれば、人との間でこの繰り返しを継続できれば、と願う。解脱からは遠い日常だけど、恋と愛の間で生きていくうちに死んでしまえば、それもまた愉しい処世かと。おれは思っている。 |
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| 10月20日 (土) |
シカゴ・ヒッピー |
| 昨晩の早寝が過ぎ、3時前に起きてしまう。どうにか書見で朝を迎え、玄関前に出てみると、冠雪した富士山がはっきりと遠望できた。これで気分が高揚したのか、「ちりとてちん」を観た後、散歩へ。明治通り沿いの歩道から薬園坂を上って行き、有栖川宮公園までゆっくり歩く。公園内の巨木をぬって広場に出、唯一葉を赤くしているハナミズキの赤い実ををしばらく眺める。南天とはまた違う赤い粒が秋の深まりに色を添えていた。その後、一度公園を出て「NATIONAL AZABU」で"シカゴ・ヒッピー"なるサンドウィッチとコーヒーを買い求め、ついでに赤ワインやらパスタ用のトマトソースまで購入し、公園のベンチに戻って朝食。"シカゴ・ヒッピー"の予想外の美味さにさらに気分をよくし、澄んだ陽射しに目を細めながら公園内を歩く青い目の子どもたちを観察する。あいつらの天然パーマ比率は圧倒的である。また、完成された目鼻にふっくらとした頬があれば、どんな顔でも可愛く見える。フィリピン人の育児メイドが増えている……そんな発見にいちいち納得し、今度は公園内の渓谷を上って元麻布に出てから明治通りまで下る。もう帰ればいいのに調子に乗って四之橋商店街をぷらぷら歩き、初めて100円ショップに入って三菱鉛筆3本セットを求める。それから商店街を抜けると、氏子でもないくせに正面にある白金氷川神社にお参りし、ようやく自宅に向かう。帰宅したときには11時半になっていた。 |
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| 10月19日 (金) |
早起き早寝 |
6時起床。涼しいですな。寒いぐらい。でも、朝顔7輪咲いてをりました。 書見と創作用のメモ書きで夕方になり、NHKハイビジョンで「100年インタビュー」を観る。今回は井上ひさしさん。ほとんど知っている話だったが、創作に関する箇所はいくつかメモをとった。ついでに傑作戯曲『父と暮せば』の文庫本と映画のDVDを注文する。夜は巨人VS中日第2戦をテレビで観戦。途中、M藤さんから電話があり、日曜日の巨人VS中日第4戦の御招待を受けるも、それが一塁側の席と知って丁重に辞退する。ソファに戻って横になっているうちに眠くなり、8回の中日の攻撃が終わったところで勝利を確信して寝室へ。不規則生活30余年のおれでも、早起きすれば早寝する。それだけで少し嬉しい。 さて、第4戦はあるのだろうか? |
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