| 2月19日 (火) |
とろりと、どろりと、 |
昨年末から、気になる新刊本や資料本を読む合間に夏目漱石と谷崎潤一郎の作品を再読している。それぞれに理由はあるのだが、それは別にしても、彼らの作品群は再読の価値があって楽しめる。特に谷崎は、中高生のときに読んだ印象などどこかに消え失せ、文章がいちいち沁み入ってきてどきどきする。致死量にはいたらない瑞々しい毒水が細胞を侵している感覚を自覚しつつ、ついつい先を読んでしまう。やべえ、やべえよ。調子外れの自身の声が耳の後から聞こえてきて、微苦笑をうかべてまた先を読む。 谷崎の作品を読むと、全部の皮を剥かずに中にひそむ果実を透視するような目が養われる。人間の果実。とろりと、どろりと、倒錯を孕んで。 |
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| 2月18日 (月) |
葉書を書く |
画家の早川純子さんから葉書が届く。文字もイラストも自在で、そこにある言葉が感情の表現にしっかとなっていた。狭いスペースが膨張して見えた。 日経BPの前傾記者、H薗さんから礼状が届く。麗しいほどの達筆。ありがとう。あなたはきっと大丈夫です。 編集者時代に心がけたことの一つに「筆まめ」がある。メールがまだ普及していなかったという時代背景もあるけど、鞄やシステム手帳にはいつも20枚ぐらい官製葉書や絵葉書が入っていて、何かを見たり聴いたりしてふっと顔が浮かんだ方に短い文章をしたためた。何かを依頼するわけでもない文字どおりの便りでしかなかったが、ペンを持っている小時間は頭が冴え、彼や彼女の顔が浮かんできた理由を考えながらしばしの時を過ごすのは愉しかった。 一昨年、鹿児島へ講演に行って帰る際、空港内のレストランで打ち上げのビールを飲んで一息ついたとき、同行していた集英社のT橋さんがおもむろに葉書を取り出してささっと何かを書いた。「誰に?」と訪ねると、T橋さんは担当されている作家の名前を口にし、「長薗さんも出したい人がいるでしょ」と言い添えて新品の葉書を差し出した。おれはそんなつもりはなかったので遠慮したが、T橋さんは思いがけず執拗に葉書をすすめ、「ほんとうに誰にも出さなくていいの?」と念をおした。「ええ」とおれは答え、搭乗時刻ぎりぎりまでビールを飲み、黒豚のヒレカツを食した。葉書を書き終えたT橋さんも大いに飲んで食ったが、空港の係員に葉書の投函を依頼してから搭乗した。 時おり、あのときの光景が突然よみがえるのは、なぜだろう。 何かに感じ入ったのは間違いないが、それが何なのか、今はまだわからない。 |
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| 2月17日 (日) |
常滑で言葉を生きる |
朝日新聞の「ひと」欄に伊奈輝三さんが掲載されていた。 現在70歳。もみあげから顎髭まで真っ白になったその顔をながめながら、20余年前、初めてお会いした頃のやりとりをあれこれ思い出した。 当時、彼は社長だった。伊奈製陶からINAXに社名を変えるのを機に、本格的なCIに取り組んでいた。『世の中の役に立ち、自分も成長する』が新しい理念となった。対外的な広報は博報堂が、社内に向けたコンセプトの浸透はリクルートが担当し、おれはその企画制作を任された。企画や実制作段階で数十人におよぶ社員の方々を取材したが、その一環として社長にも張りついた。公で語っていることをどこまで実践されているのか、そんな意地の悪い視点をもって休日にも取材を敢行した。分厚い眼鏡をかけ、いかにも技術者然としているにもかかわらず、彼は常滑の海でウインドサーフィンを楽しみ、その一方で便の排泄やタイルの耐性についてじっくり話した。同族経営者らしからぬ一歩引いた姿勢は好感を抱かせたが、20代の半ばのおれには、どこか物足りなさも残した。 制作が終わり、各種のパンフレットを納品した後、彼とささやかな会話をした。 「社長、日頃から採用スタッフにかけられているお言葉はありますか」 「一つ、あります」 「ぜひお教えください」 「残念ながら採用にいたらなかった学生さんこそ大切にしなさい」 おれは、このフレーズがとても気に入った。採用に関する重要なことがほとんど集約できていると思い、その後、「就職ジャーナル」の編集長として企業向けに講演をやる際、何度も紹介させていただいた。 その伊奈輝三さんが中部国際空港でボランティアをやっているという。空港に不慣れな外国人相手に英語で道順や乗り継ぎ方法を教えているらしい。3年前からはじめ、もう1500人を案内したとあった。昨年には公職をすべて返上し、現在は中国語を勉強しているとも。 言葉を生きている人は、偉い。言葉を発した責任は、実は一生消えないのだから。 |
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| 2月16日 (土) |
対象が違う |
7時半のBS2から始まり、ハイビジョン、デジタル、そしてBS2に戻って1週間分の再放送まで、ずっと「ちりとてちん」を観、その度に落涙。ついに徒然亭草若師匠が死んでしまい、5人の弟子たちが遺された。ここからどのようなエンディングに向かうのか、冴えわたる脚本の展開がただただ楽しみである。 昼下がり、ぼおっとしたままテレビをつけたら「ちりとてん」が始まり、本日分をまた観てしまった。計5回。ふっと己の狂気を自覚する。もともと極めて集中力に欠ける人間なのに、だから、ぐっとハマった時には、自分でも手がつけられない状態になる。そろそろ次作にハマらねば。 |
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| 2月15日 (金) |
間断なく |
ちょびっとだけ原稿を書き、20時、元麻布の「フロウ」へ。かの「かんだ」と同じビルの地下にあるこの店で、O野女史と会食。1年数カ月ぶりの顔合わせだったが、シャンパンで乾杯した後はかつてのとおり飲んで食べて間断なく語りあう。いつしか赤ワインが1本空き、追加でグラスワインまで飲んで話をつづけ、笑い、また笑い、会えなかった時間を埋めていく。小説の話に及びかけたときにはもう日付が変わっていて、そちらはまたあらためて打ち合わせることにし、会社に戻る彼女と別れて帰宅。 いい夜でした。 |
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| 2月14日 (木) |
前進の手つづき |
16時、白金高輪駅でT田さんと待ちあわせ、1年ぐらい前に近所にできた「Ti-s TABLE」で再校ゲラをやりとりする。表記の統一に関するものがほとんどで、来週末には戻すことを約束する。その後、お店自慢の焼酎と無農薬野菜のサラダをいただきながら装丁や発刊スケジュールについて打ち合わせをし、19時半、駅前で別れる。 いい本になるぞ。 |
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| 2月13日 (水) |
主婦之友 |
寝付かれないものとあきらめてしまって、電燈を付けて、妹から借りた先月号の「主婦之友」を、横向きに臥ながら読み出したのが、ちょうど夜中の一時であったが、………(後略)
上記は、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』(新潮文庫)からの抜粋である。首尾よく庄造から猫を譲り受けたものの、猫がなつかず困り果てた品子。しかたなく雑誌でも読んで夜をやり過ごそうとしている。文中の「主婦之友」には、次のような註が付いている。 〈大正六年に創刊された大衆的な婦人雑誌。主に中流以下の一般家庭の主婦を対象に、良妻賢母主義を基調とし、実用記事と娯楽記事を多く掲載。昭和十六年には、毎月の発行部数が百六十万部という驚異的な数に達した。昭和十年には、山本有三の『真実一路』が連載されていた〉 160万部! しかも、一時代どころか大正、昭和、平成にわたって刊行を続けたのだから、「主婦之友」は文句なしにメディア史に残る雑誌である。栄枯盛衰といった表現があるけど、9割以上の雑誌は、「栄」も「盛」も味わうことなくすっと消えていくのだから。 |
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| 2月12日 (火) |
勉強会 |
| 15時半で創作を切り上げ、最寄りの白金高輪駅の脇にそびえ立つプラチナタワー内の日経BPへ。Mi橋さんが所属する「日経ビジネスアソシエ」編集部で勉強会の講師をやることになっていたのだが、1時間半も早く訪ねてしまい、17時半にあらためて顔を出す。リクルート並に若い女性が半数強を占めていた。19時半に終え、近くの「秀吉」に流れて会食。H薗さん、絶好調。それにしても、BPの男性陣はやさしいな。23時半、散会。歩いて3分後、帰宅。 |
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| 2月11日 (月) |
沈黙を保つ |
テレビに映るニホンザルの姿にオランが見入っていた。オランは、サッカーのボールの動きにもよく反応する。髭の先端まで集中力がみなぎり、隙あらばいつでも飛びかかれる体勢で沈黙を保つ姿は、野性の名残なのだろう。しかし、ウータにはそんな行動は見られない。これは性格の違いなのか、なんなのか。 夜、創作。1章の推敲、3時間。谷崎を読んで耐寒睡。 |
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| 2月10日 (日) |
陰鬱 |
停滞低気圧。 陰翳は礼賛されるが、陰鬱は自家中毒をまねくばかりだ。 |
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| 2月9日 (土) |
雪に蕎麦 |
降雪の予報を尻目に半年ぶりの「蕎麦の会」へ。 16時過ぎ、浅草並木の「薮蕎麦」に着くと、関さんをはじめほとんどのメンバーが集まっていた。前日にフランスから帰国したばかりのいしい夫妻も時差に負けずに参加。降りだした雪の中を歩いて「二葉」に移り、ひとしきり盛上がったところにロス帰りの電通のS田さんもやってきて、ひさしぶりに全員が揃う。そのためかいつにも増して盛り上がり、仕上げのバーにも全員で移動。それでも、年々早まる散会時刻にそれぞれ弱体化を認めつつ、雪が止んだ街で別れた。 |
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| 2月8日 (金) |
これもまた |
| なかったことにしたい1日。でもなあ、これもまた人生の1日なんだよな。 |
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| 2月7日 (木) |
生殖者 |
昼間はK原の冥福を祈って過ごす。 19時、麻布三の橋で待ち合わせ、Ma橋さんを「あら喜」へご案内する。彼から連載を依頼された時以来、1年数カ月ぶりの再会となった。33歳、今もバンドをやっていてドラムスを叩く編集者。彼が誘ってくれたのはイングランド・パブの店だったが、初めての会食だからゆっくり食べて飲んで話そうと、こちらの提案にのってもらった次第。期待どおり、よく飲み、よくつまみ、公私にわたる話をして盛上がる。今度、K佐貫さんを紹介することを約束する。二軒目は「acalli」にしようと移動したら早仕舞いしていて入れず、元の彼女とヨリが戻ったらしいo野くん推奨の「ENGINE」へ行き、ビールとウイスキーを一杯ずつ飲んで散会する。 ところで、「酔狂記」を愛読してくれいているo野くん。状況に変化があった時は、ちゃんと報告しないと……。男子は、いい時も悪い時も、せめてスジぐらいは通さないと、単なる生殖者で終わってしまうぞ。 |
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| 2月6日 (水) |
祟りとビク |
| 深酒の祟りにひれ伏して過ごす。それでも、飲むべきときは飲むべし、という思いはビクともしないのでありました。 |
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| 2月5日 (火) |
追善 |
15時半まで創作し、東銀座の歌舞伎座へ。二月大歌舞伎は初代松本白鸚二十七回忌追善となっていて、白鸚の長男である松本幸四郎以下、高麗屋縁の役者がそろっている。口上では幸四郎の弁舌が冴え、館内に何度も笑いが起きた。また、口上にだけ登場した雀右衛門の幽玄の気配は、ただならぬ妖気すら含んでいた。この日の夜の部では、白鸚の孫である市川染五郎の「新興鏡獅子」がもっとも良かった。思えば編集者時代、染五郎の写真集を編む際、荒木先生と初めて彼を訪ねた先は、生前に白鸚が暮らしていた部屋だった。 終演後、有楽町に移動してタイスキで暖をとって間もなく、サラリーマン時代の後輩K原の訃報を受け、驚きを抱いたまま「D・ハートマン」に顔を出すと、カウンターの端に、名古屋時代からの後輩H野がいた。H野からK原の死について詳しく聞き、彼の思い出を肴にオールド・パーをストレートでぐびぐび飲む。ぐびぐび。2時半、H野と別れ、タクシーで帰宅。K原の人生は46年でありました。
眠れ。 |
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| 2月4日 (月) |
禁断 |
| 連載原稿を書くうちに夜になる。とっても腹がへり、ちゃんこ鍋をがっつり食べる。おかげでたっぷり汗をかき、風呂に入る。それから禁断のNINTENDO DSに手をつけ、シムシティに没頭。5時間後、人口が20万人に迫ったところで突然、電源が切れる。いいかげんにしとけ、との思し召しではないかと納得し、谷崎を読んで寝床の人となる。眼底が痛い。 |
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| 2月3日 (日) |
日本三大販促企画 |
こう寒い日が続くと散髪の意欲がしぼんでしまう。よってまたも伸び放題のまま南南東を向いて恵方巻きをいただく。土用の鰻、バレンタインデーのチョコ、そして節分の恵方巻きは、日本三大販促企画ではなかろうか。成功の秘訣は、どれもみな縁起(体調、恋、運気)を担ぐ大義名分を用意しているからだけでなく、なにより、美味いからだ。だから、縁起など忘れていても、時に無性に食べたくなるという共通の特長をもっていて、特別ではない日にも消費する人の数を増やしてきた。 でもあれですな、こういうのは年に3つもあれば、もう充分ですな。 |
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| 2月2日 (土) |
白い薄膜 |
谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』(新潮文庫)を読みつつ夜を迎え、早く雪が降りださないかと何度もベランダに出たりする。氷雨がようやく雪に変わった頃、テレビで『ザ・ハリケーン』(ノーマン・ジュイソン監督 1999年)を観る。警察・検察による実際に起きた冤罪事件に基づいた作品だが、後半の省略が瑕に感じるほどざっくりやられていて、実話が持つ魅惑に寄りかった構成となっていた。気の強い知的な美人を演じたデボラ・カーラ・アンガーは、やっぱりいつもの彼女の雰囲気を漂わせていた。主演のデンゼル・ワシントンは、20年の囚人生活を送った者らしくもっと老けてみせるべきだった。 まあ、とにかく。 映画が終わって外を見たら、白い薄膜が夜と地上の間をつないでいた。 |
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| 2月1日 (金) |
抱擁 |
| 朝から創作に勤しむも前進なく、それどころか混乱。寝不足のせいに違いないと思い、昼寝をしてから今度は書見。夜中までに2冊読了し、深夜のテレビ映画で『抱擁』(ニール・ラビュート監督 2002年)を観る。19世紀と現代が交差する色味のいい作品の後味にぼうっとしながら、起き出してきたウータをつかまえて強引に抱擁睡。 |
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| 1月31日 (木) |
新年も一月過ぎれば無常かな |
ええ〜早いもんですな。顔突き合わせるたびに謹賀新年なんて言ってまあ、まあ、まあ一杯と酒を酌み交わしていたと思ったら、もう晦日でございます。光陰矢のごとし、時は金なり少年老いやすく学なりがたし、といくら知ったかぶりの箴言を並べてみたところで今年の1月はもう終わりとあいなりまして、この世がいくら未来永劫続いてみせようが、わたしどもの手もとに戻ることはございません。 新年も一月過ぎれば無常かな。 っとつい下手な句を詠んでみたところでレ・ミセラブル。ただただ無常を重ねるばかりが人生と、苦虫噛んで諦めるしかないのでございます。しかし、あたしをはじめとする多くの人にはあっという間の31日間で、跡形のない、いわば空疎な「へ」みたいな日々だったかもしれませんが、或る御方にとってはこの年の正月が、もう己が死ぬまで忘るることのできないひと月となったようでございます。 「おう、おうおう、そんなところで突っ立ってねえで、早くこっち入んな。……いいからいいから、どうせ屋根がついただけの汚ねえ家なんだから遠慮せずにほら、うなじまで冷てぇ雨に濡れて震えているじゃねえか」
内容はともかく、こんな感じではじまる小説を、現在書いてをります。 |
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| 1月30日 (水) |
亀に近づく |
昼、「スタジオパークでこんにちは」(NHK)で桂吉弥の「ちりとてちん」を聴く。本来よりも端折った構成とはいえ、いやあ達者でありました。桂枝雀と同じく神戸大学を卒業して米朝門下に入門し、吉朝の弟子として腕を磨いてきた吉弥。連続ドラマ「ちりとてちん」の草原役もきっちり演じているが、やはり落語家として邁進することを強く願う。 その後、夕方まで創作。シャワーを浴びて着替え、タクシーで銀座へ。「ダ・ヴィンチ」創刊前からずいぶん通った「佃喜知」で横里、K村、K山と亀谷を偲ぶ会。ここ数年は横里とK村と3人で集まっていたのだが、最近ではフリーエディターとして活躍しているK山が参加し、いつにも増して賑やかに飲んで食って語り合う。2軒目は予定どおり「D・ハートマン」へ。テーブル席につくや、明朝から山岸涼子先生とスイスへ向かう横里、すっと眠ってしまう。横里は寝かせたまま、M田店長が用意してくれた旧いストラス・アイラをちびちび飲み、また談笑。しばらくするとK山が酩酊状態になり、椅子の角に右瞼をぶつけて出血。おしぼり数本で血を止め、バンドエイドを貼ってしのぐと、今度はトイレから戻ってきた横里が脂汗をかいている。ああこりゃこりゃ。こうなったらもう飲んでもしょうがない。潰れているK山を抱えて店を出、近くのタクシー乗り場で解散し、横里とともに車上の人となる。 年々歳々、みんな年をとっていく。酒が弱くなる。亀に近づく。 |
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| 1月29日 (火) |
変わらない人 |
11時半、銀座のバー「D・ハートマン」のM田店長とマンションの前で合流し、目黒行人坂の大円寺へ。いつもどおり亀谷の墓前へ参り、手を合わせる。あれから9年たったが、あいつの命日は、毎年決まって凍えるぐらい寒い。だから今年もM田くんが供えたI.W.ハーパーを5杯、キャップで飲んでしまった。美味かった。こうしてしばらく墓前で過ごし、目黒駅近くの"目黒闇市倶楽部"にあるジンギスカン料理店に入り、焼酎のお湯割りであらためて亀谷に献杯。それからはランチを食しながら焼酎を飲み、なぜ亀はあんな飲み方をしていたのか、というテーマで互いの見解を語りあい、ぽかぽかに温まったところで店を後にし、駅前からタクシーで帰った。古川橋でM田くんと別れると、まだ家に戻る気になれず、魚籃坂まで歩き、ピーコックでお米と銀扇のどら焼きを買ってしまった。 帰宅後は寝不足と久しぶりの酒でぼおっとなり、ウータを抱いてベッドへ。創作は夜中になってしまったが、そのお蔭で丑三つ時、数年ぶりに電話をかけてきたKさんと話しこむ。5、6年の時間が過ぎれば、ほんと、いろいろあるよなとしみじみしていたら、「長薗さんは全然変わってないよね」と言われた。 |
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| 1月28日 (月) |
強面のハリボテ |
1999年に突入した「ちりとてちん」を観てすぐに二度寝をし、昼すぎに起きだす。昼食をとって書見。テレビでは国会中継。衆議院予算委員会で野党側からの質疑がつづいていたが、阿部知子議員(社民党幹事長)の後期高齢者の医療制度に関する追求が最もよかった。舛添大臣、たじたじ。今や"ほらふき大臣"、あるいは"言うだけ大臣"の異名すら持つ彼、まるで強面(こわもて)のハリボテにしか見えなかった。 夕方からは創作。22時に遅い夕食をとってまた机の前に戻り、1時半まで書いて厳寒睡。 |
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| 1月27日 (日) |
腰がすわらない日曜日 |
8時半、起床。餡パンとコーヒーで朝食をとり、完全防寒ファッションで散歩に出る。麻布二の橋までぷらぷら歩き、同じ道を帰ってくる。途中、銀行に寄って金を下ろし、同行の前から見える景色をまじまじと目に刻む。地元の眺めって忘れがちだから。 帰宅後、すぐに創作に移る。昼まで書き、蕎麦と芋の天麩羅などを食しながら大阪国際女子マラソンを観戦。福士の記録的なぶっちぎりに期待したが、真逆の展開になって唖然。これ以上ないという映像でマラソンの凄みにふれた余韻を引きずりつつ机の前に戻り、夕方まで書く。そして、朝青龍と白鵬の決戦を観戦。勝敗はともかく、中途での引きつけ合戦に痺れる。互いの上腕筋と肩と大腿部の裏側がプルプルと震えるまで力が拮抗していた。まことにいい相撲でありましたが、その一方で、「週刊現代」が指摘した八百長問題はその後どうなっているのかと思う。裁判は続いているのか? まあ今夜のところは白鵬を祝すにとどめ、創作をやり、20時に夕食。その後、夏目漱石を読み、0時、三たび机に向かって創作。1時半、どうにかノルマをこなし、『女になりたがる男たち』(エリック・ゼムール 夏目幸子/訳 新潮新書)を読んで苦笑しつつ忙しかった一日をふり返り、深く反省し、保湿液を顔にしみこませてから湯たんぽウータと抱擁睡。 |
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| 1月26日 (土) |
酒は飲まずとも酔狂記 |
| 寒い寒い。こういう朝の楽しみは富士山の遠望しかないと玄関前に出てみたら、富士山は雲の中だった。その代わりに雪を冠した丹沢山系がくっきりと見えた。珍しい景色を眺めるうちに体が冷えはじめて室内にもどり、それっきり外に出ることはなかった。ふとカレンダーを見て指折り数えれば、おれはもう2週間、一滴も酒を飲んでいないのであった。 |
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| 1月25日 (金) |
「タモリ倶楽部」だけは |
| 終日、創作。ただし、「タモリ倶楽部」だけは観る。昔から一番好きな番組。タモリさんの特質がもっとよく出ているし、スタッフもそれをよく知っていて、毎回クダラナイいい企画を練っている。タモリさんの都合ではなくこの番組が終わるようなら、日本のテレビ界は或る種の可能性を捨てることになるだろう。マジで。 |
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| 1月24日 (木) |
頭が痒い |
| 昼食後の書見と仮眠をはさみつつも終日、創作。一歩も外出しなかったので、街を吹き荒れた北風におののくこともなく、時おり見事な晴天をながめながら過ごした。北風と太陽。ああ、頭が痒い。 |
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| 1月23日 (水) |
雪、8kg |
雪が降っている。 正午を過ぎても雪が降っていて気を良くし、昼寝から起きたウータを抱えてベランダに出てみた。最初は興味深く空を眺めていたウータだったが、ほどなくぐずりだした。こちらも冷気とウータの重みに耐えられなくなり、室内に戻った。そして、そのままウータを抱いて洗面室へ行き、体重を計ってみた。おれ、61kg。ウータ、8kg。いかん、ウータがまた肥ってしまった。ダイエット用の餌を与えているのだが、オランが残した分まで食ってしまうからどうしても過食となり、結局はこの始末。4月の定期検診までに減量しなければ、また獣医さんから叱られる。そんなことまったく関知しないウータは、今また昼食をたらたらと食っている。 |
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| 1月22日 (火) |
一郎とイチロー |
終日、「中央公論」の連載原稿。高杉一郎さんの『極光のかげに』(岩波文庫)を取り上げ、昨日に引きつづきシベリアの俘虜生活について考え、人の知性の醍醐味について書く。 22時、脱稿。送信。「プロフェッショナル」(NHK)でハイテンションなイチローの語りを聞きながら遅い夕食をとる。ほうれん草の和え物が美味かった。 |
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| 1月21日 (月) |
シベリア抑留 |
連載原稿の補足資料としてシベリアに抑留された方の本を再読する。まずは瀬島龍三さんの回想録『幾山河』(産経新聞社)。周知のように、彼は戦前の大本営参謀本部にて作戦立案に従事し、関東軍参謀として満州に赴任した後に終戦を迎え、俘虜となった。東京裁判に出廷するために一時帰国したもののすぐにシベリアに戻され、正式に日本に帰ったのは昭和31年の夏だった。 次に手にしたのは、『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)。石原は、関東軍特殊通信情報隊に徴用されて終戦を迎え、俘虜となった。昭和28年、スターリンの死去による恩赦が出て帰国するまで8年間を彼の地で過ごした。「事実」と「葬式列車」の2篇の詩を読むだけで、かすかな戦慄を覚える。 60万人以上の日本人がシベリアで俘虜となり、6万数千名の方々がシベリアで落命された。亡くなった方々には、死ぬまで終戦は訪れなかった。 絶対的不自由の状況下で求める自由。極限にあって意味を失っていく言葉。安楽の環境下に生まれ育った者は想像するしかないのだが、想像する自由は、言葉はある。生きる環境について蕭然と考えながらこの一日を過ごした。
日常は本来脱出不可能なものである。といって、腰を据えるには到底耐えうるものではない。 石原吉郎「一九六三年以後のノートから」より |
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| 1月20日 (日) |
雪、降らず |
| 雪を楽しみにしていたが、ご存知のとおり降らなかった。予想以上に落胆し、そのまま早々睡。 |
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| 1月19日 (土) |
冬の裏取り |
五木ひろしが五木ひろし役で登場する「ちりとてちん」を観て朝食をとり、10時を過ぎたところで外出。散歩と取材を兼ね、手帳を持って麻布十番へ。勝手知ったる街だが、あらためて観察すると見落としもいくつかあり、寒気の中、つい立ち止まってメモをとる。小説の主人公になって自分が書いたとおりの順序にしたがって地下と地上を歩き、時間も計測。具体的な土地を設定して創作する場合はこういう裏取りがどうしても必要となる。ただし、それを実際に書くことは滅多にない。あくまでも背景。資料や取材で知ったことはできるだけ捨てるにかぎる。 商店街の書店で寝台列車や植物園を特集した雑誌と新書を2冊購入し、行きつけの喫茶店でカフェオレを飲み、婆さん2人で営んでいるおでん屋で持ち帰りを注文し、帰路、また時間を計りながら歩く。冬の晴天下、なかなか愉しい散歩となった。 夜、睡魔にぎゅっと抱きしめられながら、生まれて初めてビデオ録画に挑戦した。ベータ時代から25年余りビデオに親しんできたのに録画はやっとことがなかったので、1時間前から練習して機械の具合をたしかめ、それから本番を迎えた。無事録り終えたところで精根尽き果て、柳の枝のように揺れながら寝室へ移り、全身がマットに沈んでいく感覚に感じ入りつつ埋没睡。 |
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| 1月18日 (金) |
愚と嬉 |
| 寒さむさむサムサブプライムロ〜ン……ってな愚にもならないフレーズを口走りながら近所を散歩しているうちに体が冷えてしまい、何も探索できないまま自宅へ引き返す。毛布にもぐりこんで『園朝芝居噺 夫婦幽霊』を読了。こういう噺の創り方もあるのね、と感心する。それから塩豚カルビ丼で空腹を埋め、日が暮れてから夜中まで創作。ちょっと凝った仕掛けに苦労しつつほんの少しだけ動き出す。嬉。2時に入浴、洗髪。髪が乾くまで『極光のかげに』を読んで納得睡。 |
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| 1月17日 (木) |
志ん朝の口跡 |
3時、起床。テレビをつけたら東京に初雪が降ったと報せていたのでベランダに出てみたが、何も降ってはいなかった。4時からは創作。7時半までかかって1枚書き、「ちりとてちん」を観ながら朝食。納豆巻き、鰯の蒲焼きと目玉焼き。その後は、辻原登さんの『円朝芝居噺 夫婦幽霊』(講談社)を読みながら横臥し、いつしか眠ってしまう。昼過ぎに目を覚ましてからも読み続け、16時から創作に戻る。 夜は、次作の資料として志ん朝の落語をCDで聴き、マクラ部分をノートに書き起こす。行ったり戻ったりと10回ほど聴き直すうちに、志ん朝の口跡が耳の奥深くに沈みこむ。啖呵を切っても地の語りでも、角丸の江戸弁がすっと脳をくすぐり、情景を放って見せ、状況を間近に伝えてくれるからつい引きこまれてしまう。艶のある声とは、艶が生まれるリズムとは、つまり彼の口跡であります。よござんす。 |
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| 1月16日 (水) |
奇妙な爺さん2人組 |
2時、起床。溜まっていた新聞を読み、一昨年から急増している”家族殺人”事件についてあれこれ考え、2、3の仮説を立てたところで書見。読まねばならない本がどんどん増えていく中、夜が明ける頃にまた新たな本2冊とCD1枚を注文。CDは寄席の出囃子を集めたもので、これをiPodに落として聴いたらどんな時間を過ごせるのか、室内の気配が一変するような気がして今から楽しみ。 朝食後は連載原稿。昼食をはさんで15時半まで書いて脱稿し、Ma橋さんに送り、すごすご着替えて郵便局へ。年末の20日までに出すつもりだった書籍小包3箱を発送してもらい、その後は、ぷらぷらと近所を散歩する。街は冷えきっていたけど、以前にも見かけた奇妙な爺さん2人組を見かけ、彼らが帰路につくまで近くをうろうろしてしまう。歯抜けの三下と半世紀前のジャニーズといったコンビは、おれには察し難いあ・うんの呼吸でいきなり笑ったり、熱く語りはじめたりして、最後まで飽きなかった。こちらが帰宅したときには辺りはもう暗くなっていて、急激に眠気を覚えたままどうにか軽い食事をすませ、21時過ぎ、ふらつく足でベッドへと倒れこむ。 |
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| 1月15日 (火) |
猫たちよりも |
| 体調戻らず。猫たちよりも惰眠をむさぼり、起きている間は、後藤明生の『挟み撃ち』(講談社文芸文庫)と清水邦夫の『ぼくらが非情の大河をくだる時』(レクラム社)を交互に読みながらやり過ごす。 |
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| 1月14日 (月) |
暴飲叫歌の翌日は、 |
寝不足のまま「ちりとてちん」だけは観て朝食をとり、また眠る。目を覚ましたら夕方になっていた。夜、iPod nanoで志ん朝の「居残り佐平次」を聴く。野田秀樹の旧い戯曲を読む。そして、また眠る。 暴飲叫歌の翌日は、詩心が決まってどこかに家出する。部屋は空っぽ、冷たく乾いている。体力まで削げていく。 |
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| 1月13日 (日) |
厳冬の落語会 in 東五反田 |
1時間強しか眠らずに7時半に起き、小一時間メモ。その後、高杉一郎『極北のかげに』(岩波文庫)を読む。15時半、タクシーで東五反田へ。駅前で車から降り、すしやの「馬太郎」。この店の2階の座敷をつかった落語会に出席する。仕掛人はおれの落語の師匠、M橋さんと、クリスマスイヴに名古屋で痛飲したRiさん。30余名の男女が集まり、いよいよ三遊亭好二郎さんが登場。店のテーブルを重ねた特製の高座は見るからに不安定で、しかも狭く、よくぞそこで噺がやれるもんだと感心しつつ初見の好二郎の落語に引きこまれる。基礎ががっちりしていて、所作、発声、表情、どれも不安なく楽しめた。「笑点」でお馴染みの好楽の弟子である彼が、この9月に真打に昇進するのも当然とうなずく。終演後は演者も一緒に宴会となり、おれも旧知の女性や初めて会った方々らと飲んで喰らう。料理は厳しかったが熱燗に救われ、茶碗蒸で腹をごまかす。 好二郎さんが帰り、残った客が10数名になったところで宴会はお開きとなるも、その後、仕掛人の両名と、やはり名古屋で痛飲したO島さん、映像プロデューサーのM川さんとともにカラオケボックスへ流れる。曲間を除けばまったく沈黙がないほど延々と歌が続き、終わったときには2時を過ぎていた。O島さんを除く4人は40代だというのに……。一気に酔いを醒ますような冷風に体を縮め、五反田の駅前からタクシーに乗って帰り、おじやとおでんを食べてからかなり危険な昏倒睡。 |
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| 1月12日 (土) |
2週間かかって届いた年賀状 |
昨年11月までに20枚弱書いていた次作の冒頭部を破棄し、「さあ」とあらためて書きはじめたものの、書いては呻吟書き直しを続けて1行も確定できずに終わる。そのうちに机の周りにあった幾冊かの本を手にとり、開高健の短篇「貝塚をつくる」(『ロマネ・コンティ・1935年』収録 文藝春秋)を再読、熟読。ベトナムが舞台になっていて、開高ならではの濃厚的確な比喩によってニョク・マムの腐臭が漂ってくる中、釣狂の男同士の話にいろいろ思う。開高にとってベトナム戦争時のベトナムは、彼が男に不可欠と説いた「危機と遊び」が両方そろった土地だったのだろう。 ところで、本日届いたスターツ出版(ケータイ小説の仕掛人)A井くんからの年賀状の消印を見たら、08・12・29となっていた。つまり、この賀状は、2週間もかかって都内中央区から港区に運ばれてきたことになる。隣接した区なのに、これはどういうことなのか? 昨年も一部でこんな事態が起きていたが、それよりも間延びした配達状況ではないか。民営化の影響か? みなさんの賀状はどうだったのでしょうか。 |
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| 1月11日 (金) |
貧困の可能性 |
安息の一日。その間に、チャップリンに関する特番をハイビジョンで観る。秀作。数百回にのぼる撮り直しの連続、『独裁者』の脚本の執拗なまでの練りなおし、そして同作のラストの6分間に及ぶ演説シーンが生まれた顛末など、初公開の資料を活かしつつ紹介していた。素材がいい割にちょっと情緒的に過ぎる感もあるが、表現者としてのチャップリンの本質に迫る佳いドキュメントだった。観終わって思うのは、幼い頃から崖っぷちに立つような境遇に生きてきた者の覚悟の凄み、だ。他にない、映画の他に何もない、アメリカで成功するしか生き延びる術がない、という恐怖から生まれた覚悟。 バランスは、表現の起爆には邪魔なのだろう。下流化は、格差は、確かに問題だが、表現の世界には可能性の種子となる。30年後、上からも下からもきっと新しい才能が現れる。 |
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| 1月10日 (木) |
野田秀樹がいる幸福 |
4時半、起床。7時まで「別冊宝島1500号記念」本のゲラ。同シリーズが創刊された1976年頃の時代の気分と、当時高校1年生だったおれの気分を9枚に書いた。自分の原稿を読みながら「そうだよな、そうだったよな」と繰り返しうなずく。今に通じるあの時代。朝食後、松本清張を読んで仮眠。午後、次作についてあれこれ考え、メモを残し、書き出しに呻吟するまま夕方を迎え、入浴。着替えをすませて外出し、タクシーで渋谷へ。Bunkamuraシアターコクーンで野田秀樹作・演出の『キル』を観る。 94年の初演で傑作と称され、97年の再演でも喝采を浴びた『キル』。これまで主演(テムジン)を務めた堤真一にかわり、妻夫木聡が奮闘。キヌの広末涼子も。だが、最も輝いて見えたのは、結髪役の勝村政信だった。全体に余裕があり、硬軟の芝居を自在に演じていた。また、ひびのこづえの衣装、堀尾幸男の美術は圧巻で、そこにある舞台がモンゴルの平原に変わり、陽炎が浮かび、風が吹く。そして、そこから野田ならではの美しい台詞が、言葉が、客席へと放たれ、ラストでは劇場全体が言葉の意味と音の連なりに震えた。 この時代に野田秀樹がいる幸福に胸を熱くしながら劇場を後にし、それから道玄坂、下北沢と3軒の店を飲み歩く。S田さん、貴重な夜をありがとう。 |
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| 1月9日 (水) |
仮眠の淵 |
2時半に目が醒めてしまい、そのまま『リチャード・ブローディガン』(藤本和子 新潮社)を読む。4時半からは創作。メモをもとに構成。7時には切り上げて朝刊を読み、7時半からは「ちりとてちん」を観ながら朝食。……と、ここでもう眠くなる。古井由吉さんの連作短篇集、『白暗淵(しろわだ)』(講談社)を持ってベッドに横になり、「朝の男」を読了して仮眠の淵へ落ちる。再び目が醒めた時には、日が傾きはじめていた。 充実の朝、スカスカの夕べ。そして戯れの夜。 |
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| 1月8日 (火) |
改稿終了 |
20時、やっと改稿を終え、安堵感と空腹感を同時に覚えながら送信。 そこで、予定どおり仕事始めの「あら喜」へ。座敷とテーブル席には新年会らしきサラリーマンの姿ばかりがあったが、カウンターには常連のK原さんとN味さんがいて、早速ご挨拶。まずは生ビールを飲んで喉を潤し、空豆、焼き筍を喰らい、次に不二才のロックをやりながら北寄貝の刺身をいただく。これがまあ品のいい甘味でつい酒がすすんでしまう。食欲も増し、手羽先を追加していい気分。1時間半でほろ酔いになり、盛運亭の大将へのプレゼント(古田引退記念プラカード)をT夫くんに託して帰宅。どがどがと着替えをすませて5分後にはウータを抱いて即身成仏。 |
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| 1月7日 (月) |
初酔い |
21時半、『三四郎』を読みおえたところ、空腹で腹が鳴る。そこで、YOKU MOKUの非売品(特大)板チョコを土産に「acalli」へ向かう。道路に面した階段を上がる際、「あら喜」からT夫くんが現れる。明日からの仕事はじめに備えて仕込みをやっていたらしい。新年の挨拶を交わし、明晩の訪店を約束して別れ、いざacalliのカウンター。まずは生ビールを飲んで喉を潤すと、アルコールが妙に美味い。冷静に思い出してみれば、初詣の際にいただいた御神酒と甘酒以来の酒だった。自宅では酒を飲まないおれ、新年早々、二度歌舞伎を観に行ってもすぐに帰宅していたから、こうなった。全身の細胞がアルコールを歓迎していた。 野菜サラダからアイスクリームまでコース料理をぺろりと食べ、他のお客さんがいなくなってからは赤ワインを飲みつつ店主のK二くん夫妻といろいろ話し、本年も打ち合わせ等に使わせてもらうよう頼んで別れる。帰宅後は、ふにゃふにゃになったまま『プロフェッショナル』の再放送を観る。対象はフリー漫画編集者・原作者の長崎尚志さんだった。おれが長崎さんに会ったのは、「ダ・ヴィンチ」編集長の頃。彼は「ビッグコミックオリジナル」の副編集長で、すでに名うての編集者だった。場所は……銀座の「pen」、そんなことを思い出したところで力尽き、猫より遅い歩みで寝床の人となる。 |
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| 1月6日 (日) |
海老蔵、眼福 |
海老蔵が一人五役に挑む通し狂言、『雷神不動北山櫻』。 勘三郎、玉三郎とともに多くの熱烈なファンをもつ海老蔵だけに、今さらチケットはとれないと諦めていた。そこで、松竹のHPで演目の詳細でも読もうかと覗いてみたら、ほんのわずかだけ一等の空席があると知り、急遽、チケット予約をして新橋演舞場へ。 いやあ……、良かった。愉しかった。 素材の格が、他の若手とは数段違う。別種、別物。存在感が(玉三郎に感じるような)破格の輝きを持っている。鳴神上人、草雲王子、安倍清行、粂寺弾正、そして不動明王を演じ分け、荒事も見事にこなし、華を館内中に撒きちらし、誰もが思わず手をたたきたくなる見栄の迫力を放っていた。 海老蔵の先祖である二世市川團十郎が寛保2(1742)年に初めて演じた同作を、三十代の劈頭(へきとう)にもってきた企ても頼もしく、このまま精進すれば、先行する人気すら軽く上回る実力を身につけてしまうに違いない。その顔つき同様、海老蔵は不敵な役者である。 「眼福、眼福」 ついつい頬をゆるめながら小春日和の東銀座を歩いた。 |
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| 1月5日 (土) |
包丁少年 |
早朝届いたアマゾンの箱を使って、母に歌舞伎座グッズと歌舞伎カレンダーと勘三郎の襲名記念千社札シールを送る。グッズやカレンダーはともかく、千社札はいい迷惑だよな、きっと。
自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。それにもかかわらず、円満の発達を冀(こいねが)うべきはずのこの世界がかえって自らを束縛して、自分が自由に出入すべき通路を塞いでいる。三四郎にはこれが不思議であった。
夏目漱石が造形した三四郎に限らず、10代半ばから自分で金を稼いで生活しはじめるまでの若者には、こんな閉塞感がつきまとう。ややもすると社会憎悪へとつながる。あるいは、被害妄想を育む。そして、それが本人の許容域を超えた時、精神病を発症したり、自分にとっての社会悪を象徴する他者へと怒りが向けられる。香川や品川で起きた包丁をもった少年たちの事件は、この意味において典型的な事例といえるのだが、これを未然に防ぐには、早目に全能感を捨てさせるしかない。自分ができること、得意とする分野に限界があると知らしめることで、自ずと自身を相対化していく日常が必要なのだ。過保護な親の支配下で育ってしまうと、いつまでも中途半端な全能感ばかりつきまとってしまい、肉体が成人化した際、その感覚が暴発をうながす。昨年末に佐世保で起きた猟銃による殺人事件も、実は、今般の二件と同根の病巣をもっている。 幼い時期から始まるスポーツや学業の競争は、いわば自我の相対化の訓練だ。時には残酷なぐらいに自身の能力が客観化され、視覚では把握できない社会の中でのポジションがつきつけられる。それでも、世界のどこかの主人公になれるかはともかく、自我がある以上、人はどうやったって自分の人生の主人公であらねば狂ってしまうから、何かをあきらめつつ新たな自分の可能性を探すことになる。果たして、ある人は金を稼ぐことに走る。組織内における出世に邁進する。ある人は、恋の成就に懸ける。博打に燃える。つまり、アイデンティティーを求める旅に出る。ある人は、あの世にそれを求める。 全能感が砕かれたら、好きなことをやればいいとおれは思っている。もしくはあきらめきれない対象を大事に扱っていけばいいと思っている。甲子園に出場した選ばれし高校球児の1割もプロ野球選手にはなれないけど、野球が好きなら、野球にかかわる仕事にはつける。対象が音楽でも、美術でも、海でも山でも宇宙でもタンザニアでもオランウータンでも、同じ。おれも、社会に在る以上は相対性から逃れるわけにはいかないけど、それをも呑みこんで好きなことを追求していければと生きている。そもそも興味のあること、好きなことしか続かないし、好きなことなら、努力も努力でなくなっていくから悲愴感とも無縁でいられる。逆に観れば、続いていることはおそらく、自分にむいている。自分の人生にむいている。 ところで、悲愴感とか誠意とか正義とかを売り物にする奴が近くにいたら、すぐに離れろ! ロクでもないことに巻きこれまれるから。 |
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| 1月4日 (金) |
ジャパニーズ・ジャンクも |
三ヶ日が終わり、「ちりとてちん」が再開した。ドラマの設定は1996年の正月で、元旦に結婚を決め、諸般の事情で3日に式と披露宴を挙げるという急展開。このあたりの話の端折り方が巧く、またまた脚本に感心する。この構成の妙味が続く限り、おれは間違いなく最終回まで観つづける。そして放送終了後、DVDをボックス買いする。必ず。 夜、味噌おでんを食べる。八丁味噌がよく染みこんでどの具も美味かったが、どうせなら土手鍋で食べたかったと欲がでる。今でもあるのかどうかは知らないが、名古屋駅裏口から太閤通り方向へ数分行ったガード下の狭く汚い店の土手鍋が頭の中を駆け巡る。20代前半の頃、居酒屋で飲んで喋りまくった後、深夜まで残業した後、よくその店に寄って腹を満たした。八丁味噌でできた泥沼のような鍋につかれば、具が何であろうと同じ味しかしなかったけど、その味噌が疲れた舌に美味かったから元気が出た。しかも、とんでもなく安かった。名古屋では、牛島の焼肉屋も安かった。あれより安かったのは、大阪の天王寺動物園近くの串揚げ屋(1本50円)だけだ。 ジャパニーズ・ジャンクもたまには良いよな。圧倒的に良いよな。 |
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| 1月3日 (木) |
寿初春大歌舞伎 |
昼、今年で誕生120年を迎えた歌舞伎座へ出かけ、寿初春大歌舞伎を観る。 雀右衛門と吉右衛門が登場する一幕物、「けいせい浜真砂 南禅寺山門の場」を楽しみにしていたが、途中でぐいっと門がせりあがる仕掛けなど美術の出来は完璧だったものの、雀右衛門の声がどうにも届かない。昨年には米寿を迎えている身だけに無理はいえないが、初見の客はどうすればいいいのか。とはいえ、舞台を一枚の巨大な絵として眺めれば、正月にふさわしい艶やかな日本画だった。 昼の部最後の演目「お祭り」は、團十郎の小気味いい踊りを堪能しているうちにこちらの心中まで寿ぐ。これもまた朗らかな正月の絵であった。 ところで、中入り。着物にあう合財袋(ポンピン堂)や『かぶき手帖 2008年度版』を買ったついでに、初めて福袋(3000円)も買ってみた。帰宅して「どれ」と開けてみると、……値段が安いから仕方がないが、いったいメインが何なのかよくわからなかった。歌舞伎愛好者にはちとつらい。ただし、東京観光のひとつに歌舞伎座を訪れた方にはいい記念になる品々が揃っている。 そうだ。 ひとまとめにして母に送ってやろう。
深夜、映画『鬼龍院花子の生涯』を観る。封切りの際に観て以来、計4度目の観賞だったが、歌舞伎のような映画だとしみじみ思った。 |
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| 1月2日 (水) |
正月三ヶ日の東京の空 |
それにしても天気がいい。昼間は富士山がくっきりと見え、夜になれば、これが東京かと訝るほどに星が輝いている。星座までわかって驚き、しばらく見蕩れてしまう。毎年のことながら、正月三ヶ日の東京の空は非日常なのだ。 夜中、NHKで桂南光の「ちりとてちん」を聴く。すでに自家籠中のものとしていてお見事。その後、改稿。なんだか際限がなくなってきた。 |
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| 1月1日 (火) |
今年の初日 |
明けましておめでとうございます。
1時過ぎに初詣へ行き御神酒をいただき、新しいお札を買って生姜入りの甘酒を受けとり、ちびちび口に含みつつ火にあたる。体があたたまったところで神社の急な階段を降りていくと、女政治家が誰彼へとなく頭を下げていた。「大変だよな」とつぶやきつつどっと冷えてきた気温に首をすくめる。帰宅してから、御神籤を引くのを忘れたことに気づく。 初日の出を見てからぐっすり眠って起きだし、せっせと年賀状を書く。サラリーマンを辞めて以降、年が明けてから賀状を書くようになった。坂本龍一さんを起用したCMによれば「年明け年賀」というらしい。途中、空腹で腹がなり、雑煮を作って食べる。例年どおり三田銀扇のつきたての餅をつかい、その美味さに顔をほぐして軽く二杯平らげる。賀状をすべて書き終えたときには夜中になっていたが、勢いのあるうちにとすぐに外出して投函。帰宅後は、頭が呆然とするまで夏目漱石の『三四郎』(岩波文庫)を読み、ますます甘えが激しくなってきたウータと熱い抱擁睡。
本年は久しぶりに新刊を上梓します。発売日が近づいた頃あらためてご案内させていただきますが、その際には激烈にご支援いただくよう元旦よりお願い申し上げます。 |
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| 12月31日 (月) |
賛・吉田美和 |
夕方から改稿。19時にとりあえず最後までやり終える。津田さん、戸佐さん、ご安心ください。正月三ヶ日があける頃にはさらに磨きをかけた原稿をお届けします。 夜は牡蛎鍋で豚しゃぶも食べ、腹八分になったところで紅白歌合戦を観てみると、ドリカムの吉田美和が唄っていた。立派で、かっこよかった。不幸すら喰らって「あなた」に「想い」を唄うしかない、そうやって生きていかざるを得ない人に彼女はなったんだな。「凛」とは絶対的喪失と向き合う者にだけ漂うものだが、今夜の彼女は凛の気配に包まれて唄っていた。彼女が好きになった。 これから風呂に入って垢を落とし、年越し蕎麦を食べてから春日神社へ初詣に行ってきます。 |
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| 12月30日 (日) |
怠惰にも飽きた |
| 昼間、本40冊、処分。その後、霙が降る中、諸々の買い出しをすませ、夜中、鏡餅を飾ってから改稿。怠惰にも飽きてきた。 |
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| 12月29日 (土) |
年内最終日 |
夜、年内最終日の「あら喜」へ。ビールを飲んで空豆、焼き筍。酒を不二才のロックにしてから生牡蛎、豚煮、トマトとジャコのサラダ、ホタテ焼きなどを食べつつ常連さんたちと話し、年末のご挨拶。途中、小学2年生になったKarenの宿題をチェックし、子ども変化の早さに感じ入る。その後、紙袋一杯のお土産をもらって店を後にすると、今度は2階の「acalli」へ。赤ワインを飲みながら「盛運亭」の店主とプロ野球やタモリ倶楽部の話題で談笑。盛運亭は、今年も何度か”空耳アワー”のVに登場していたのだが、その理由を店主から教えてもらう。特製お好み焼きを食べ、店の事務所に泊まるという店主を見送ってからはゆっくりK君と話をし、年末のご挨拶をして帰途へ。 「あら喜」と「acalli」には今年もお世話になりました。ありがとう。 |
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| 12月28日 (金) |
朝顔の種 |
| 終日、静養。やるべきことはあるのに、勝手に長閑な年末にしている。この1年を締めくくるにふさわしい、つまらない時間の経過。朝顔の種を集める。 |
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| 12月27日 (木) |
作者の熱 |
| 喉が痛く、薬を飲んで寝たり起きたり。改稿に手をつけられぬまま梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書)を読む。彼が提案し、自らの実践例を紹介している「ロールモデル思考法」は、ぜひ学生に読んでほしい志向整理法。いかにして自身の志向を探り、それに合った仕事を手に入れるか、とても貴重なアドバイスとなっている。ウェブ時代をゆかないおれにも刺激をくれる、新書にしては珍しく、作者の熱を感じられる好著である。是非はともかく、作者は勉強家であり戦略性に富んだ努力家であった。 |
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| 12月26日 (水) |
微分係数まで |
母が用意してくれた朝食をとりながら「ちりとてちん」を観て炬燵にもぐりこみ、前日にAPITAのいけだ書店で買っておいた『面白いほどよくわかる微分積分』(大上丈彦監修 日本文芸社)を読む。数学と縁が切れるきっかけとなった微分。とはいえ、今でも数学に対する憧れは消えていない。世界はすべて数学で語られる、と語ったガリレオの影響か、人の知性の象徴的成果として数学を認めている。言葉と数式。真逆のアプローチによって、結局はこの世の謎、自分の感じるあらゆる謎の解を求めているのだが、言葉の客観として数式があるように感じてきた。だから、時に、数式におきかえて現在の状況や感情を表わしたらどうなるものかと夢想したりするのだが、なんせ、数学に対する知識が脆弱で歯がたたない。そこで微分、そして積分の復習からとなったものの、微分係数まで読んだところで眠ってしまい、目を覚ましたら昼だった。 17時10分名古屋発ののぞみで帰京。指定の席に座る際、ちょっとした奇跡を体験し、気をよくしたまま品川に着き、デパ地下でまい泉のトンカツ弁当を買って帰宅。しっかり食事はとったが、どうも風邪気味。めったに外出しない体はどんどん免疫力を失っているようだ。 |
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| 12月25日 (火) |
思い出が形をなくし |
7時、起床。いつもどおり「ちりとてちん」を観ていると、徒然亭草原役の桂吉弥が蛸芝居を演っていた(M橋さん情報によれば、この夜にあった東京の二人会で、吉弥は実際にこの噺をやったらしい)。前日の小米朝の熱演を思い出す。昼前、母とともにタクシーに乗ってAPITAへ買い物へ出かける。その際、現在改稿中の作品で重要な舞台のモデルとした病院がなくなっていて驚く。そこは小学生時代の友人のお父さんが経営していたのだが、母の話によれば、3年前にそのお父さんが亡くなったのを機に廃業、土地も売ってしまったらしい。小学1年生の夏に長崎から転校してきた身としては、こうしてまた少年期の思い出が形をなくし、どこが地元なのかますますわからなくなっていく。故郷がないのです、おれには。まあ、だからどうだという思いも薄いのだけど。 店についてからは、まず母が勧めるラーメン店で昼食をとり、その後、本や食材を買いこんで帰宅。それからもう一度外出し、近所の古書店で1970年代後半の古雑誌を6冊購入して戻り、仮眠をとってからシャワーを浴び、18時半、大府駅前の「蔵」へ。この店のオーナーで俳優の鈴木林蔵さんと奥様と中学時代の同級生と再会を祝して乾杯。林蔵さんの故郷、日間賀島の特産物をつかった料理をいただきながら焼酎を飲み、あれこれ止めどなく話をする。途中からは、初見のお客さんも一緒になって盛り上がり、ついには2階にあがり、奥様のピアノに合わせて歌を唄うはめに。たまたま居合わせた豊田自動織機の方々も参加し、不思議な宴会と化して23時過ぎ、散会。同級生の息子が運転する車で送ってもらい、名古屋や大阪で制作されている深夜番組を観てから布団に潜りこむ。林蔵さんと舞台をやってみたいと夢想しつつ沈澱睡。 |
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| 12月24日 (月) |
東西落語名人会にて |
朝、1時間強だけ改稿をやり、午前中ののぞみで名古屋へ。14時より、中日劇場にて「年忘れ東西落語名人会」。 桂団朝につづき、談春登場。肝の座った浮気妻を演じる「紙入れ」、会場の大きさとちょっとずれを感じるも、度胸のある人物はやはり巧い。次は桂小米朝の「蛸芝居」で会場が華やぎ、それだけに、続く桂春團治の「代書屋」の渋く、緩やかで繊細な所作に観客の視線が集中し、その果てに感嘆の笑いと拍手が湧きあがる。絶品。中入り後、上方だけでなく落語界全体の宝である米朝の登壇となったが、やはり落語はできないらしく、息子である小米朝との対談。来年、小米朝が名跡を継ぐ、米團治にまつわる話をしていたものの、観客の眼は、時おりふらつく米朝の動きに集まっていた。おれも、座っているだけで精一杯といった米朝の姿をじっとこの眼に留める。哀しく残念ながら、もう長くないはだろう。だからこそ、自分の師匠であった米團治を継ぐ息子の晴れ姿を見てから、安心して逝っていただければと願う。さて、トリは小三治。米朝や小沢昭一らと続けている句会ネタでまくらをやり、それから「千早振る」へ。いつものことながら、小三治ぐらいになると、もう何をやっても自分の文体というものがあって、彼ならではの気配に包まれて楽しめる。お見事。ただし、この日の白眉は、やっぱり春團治でありました。 終演後は、東京から駆けつけた妙齢のお二方とともに松坂屋本店へ行き、元祖ひつまぶし「あつた蓬莱軒」の座敷で、遠征の打ち上げ。17時半から21時過ぎまで飲んで食って話しまくり、ビールや日本酒の他に焼酎のボトルを2本空けてしまう。その後は東京に帰るお二人と栄で別れ、タクシーで実家へ向かう。老いた両親とちょっとだけ話し、ほろ酔いのまま久しぶりに布団で昏倒睡。 |
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| 12月23日 (日) |
今年のM-1 |
18時45分まで改稿をやり、「いざ」テレビの前へ。M-1であります。 結論から言えば、今年のM-1は例年になく低調でした。敗者復活戦から勝ち上がったサンドウィッチマンの活躍がなければ、他のどの組が選ばれても、大きな痼(しこり)が残ったことでしょう。最終決戦に臨んだトータルテンボス、キングコングの両組はもちろん平均レベルを超え、それぞれのパターンも体得しているのですが、前者は展開が読めてしまう点、後者は観ている方が笑うより先に疲れてしまい、4分間のうち最後の1分は「もう充分」と感じさせてしまう難点を抱えていました。そして、その間隙をぬうようにサンドウィッチマンが登場し、そのパターンに慣れない視聴者、審査員に斬新な印象を放ち、唯一、ボケに間のあるかけあいで最後まで演じきりました。つまり、既視感の強い2組に対し、無名だったからこそ彼らは栄冠を手にできたのだと思われます。一発勝負のコンテストではこういう事がまま起こります。また、それを期待する思いが視聴者にも審査員にもあります。参加資格がコンビ結成10年以内なのですから、いわば、「発見」の興奮を味わうためにもこのコンテストがあるのです。だからこそ、既視感の強いコンビは損をします。そのあたりを打破するために、たとえば笑い飯は苦労を続け、今回のような空回りを犯してしまうことになります。彼らのこの数年の奮闘と比較すればわかりやすいのですが、サンドウィッチマンの勝利は敗者復活戦を勝ち上がった実力以上に、組み合わせの運に恵まれていたともいえるのです(ただし、あの結果は正しいと私も主張します)。 てなことを徒然に考えた次第ですが、このコンテストに価値があるのは、何といっても審査基準に対する信頼です。お笑い(漫才)好きの思いがはっきりと反映される結果があればこそ、勝者への拍手もおきるのです。ここは生命線であり、この先、「該当者なし」という結果が出てもいいのではないかとすら思います。もう一点評価すれば、やはり全体のシステムの構成です。1次予選からの厳しい振り落とし、その一方での敗者復活戦枠など、演者だけじゃなく、ファンの期待を高めていく仕掛け、工夫が見事です。 M-1は、今後も続いてほしいと思う数少ないテレビの企画ですが、今年のレベルが3年続いたらちょっと苦しいかもしれません。まあ、それでも、関西の若い芸人さんたちの切磋琢磨の日常があるうちは、それも杞憂かと思いますが。 なお、なぜかこんな奇妙な文体になってしまったことを、最後にお詫びしておきます。 |
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| 12月22日 (土) |
冬至だから |
冬至。 夏至と冬至が好きだ。この両日の意味を知り、興味を抱いた頃から、ほのかなエクスタシーすら覚えつつ一日を過ごすようになった。ただ時間の流れにたゆとうだけで気持ちが安らぐのだ。よって、本日は安息日。空になる。全身で空庭。短い昼を眺め、長い長い夜に自ら沈んでいった。柚子を浮かべた風呂に入り忘れた。芳香は湯気に溶けいり冬至夜。 さあ、折り返し。 |
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| 12月21日 (金) |
集中と弛緩 |
| 7時起床。8時半より原稿。13時までやって銀行へ行き、諸々の振込み。5台のATMの前に行列ができていた。年の瀬だからか。さっさと戻って原稿書きを再開し、気づけば依頼枚数を超えていた。そこで担当のO寺君に電話をかけ、相談。1枚追加の許可をもらい、では、とまた机に向かって20時、脱稿。ふらふら。風呂に入って着替え、「あら喜」で軽く飲んで空豆やナマコ酢、焼き筍をつまんでから麻布二の橋へ移り、今度は焼肉。赤ワインを飲み、熟成タン塩なる新メニューに舌鼓をうち、1時間強話をして眠くなり、早々に散会。帰宅して7分後には卒倒睡。あっという間の一日だった。 |
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| 12月20日 (木) |
用心の日 |
| 体調すぐれず、3時間だけ原稿を書いた他はほとんど寝て過ごす。風邪をひくわけにはいかないのだ。用心用心火の用心。 |
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