| 4月21日 (日) |
懐しい文体 |
| 安息日。新しいパソコンに内臓されていたゲームをやっているうちに夜になり、解説を書く文庫本のゲラを読む。どこか懐しい、そう沢木耕太郎さんに似た文体を愉しむ。 |
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| 4月20日 (日) |
脱稿、校了、パソコン卒倒 |
昨日から引きつづき連載原稿。14時、ようやく脱稿。連休前の進行で校了まで時間がないことを配慮し、きっちり推敲を重ねてN西さんに送信。その後は一息つくことなく単行本の最終校正をやり、16時、宅急便で返送する。4校まで取り組んだ作品を手から離してテンションはピークに。去年の5月に起稿した仕事だったから無理もない。しかも寝不足。しかし30分後、そんなハイテンション状態のまま外出し、有楽町のビックカメラで新しいパソコンを求める。自宅用としては4台目だが、初めてMacではない機種を選び、移動中や移動先でも原稿を書いて送れるよう販売員の兄さんにセットを頼み、諸々の準備が済むのを待つ間、イトシアの地下にある「うまや 有楽町店」で夕食をとる。スーパー歌舞伎でお馴染みの市川猿之助がディレクションしたメニューをながめ、"楽屋コース"を選び、生ビールと富乃宝山のロックを二杯飲んでビックカメラに戻り、パソコンを受け取ってから一太郎2008やらなにやらソフト類も買って帰路につく。 21時過ぎに帰宅し、パソコンにさわることなく22時半、充実の卒倒睡。 |
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| 4月19日 (土) |
外気 |
| 2、3時間の仮眠と食事をはさみつつ終日、「遺書、拝読」の原稿。しかし、日付がかわっても終わらなかった。外気が恋しい。 |
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| 4月18日 (金) |
健全な不安 |
風邪の悪化を食い止めながらアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』(ハヤカワ文庫)を再読、精読。ノートをとりつつクラークの想像力の広大さとその基盤にある科学的知識に感嘆する。この本を読んでからキューブリックの『2001年宇宙の旅』を観ることは、ちょっとした贅沢である。驚嘆と、それと同じぐらいの不安を覚えるに違いない。 それは、いわば「健全な不安」だ。人類の行く末、宇宙の実相などに思いをめぐらすことは、それがたとえ不吉な予想図しか描けないものだったとしても、こんなでかい脳を獲得してしまったホモ・サピエンスにとっては健全な精神的活動だ。もっと卑近な例でいえば、おれたちの将来はいつだって不安だ。環境問題とか年金とか、少子高齢化とかいろいろ難題はあろうが、将来とはたえず「健全な不安」の層雲のようなものだとおれは思う。昔は、例えば高度成長期には将来に不安がなかったように語る人がいるが、そんなのは嘘だ。人は、どんな時代にあっても将来が不安だ。あたりまえだ、おれたちはまだその時を生きてないんだから。だから、不安を抱えている自分を不安に思うことにほとんど意味はない。問題は、不安を認め、「だから」と自分なりの行き方を案じ、それを実行することに尽きる。 健全な不安があるから、おれはいろいろ考える。創作だってその一環かもしれない。何かを学ぶのも、好奇心だけがモチベーションになっているわけじゃない。不安を払拭するために未知の知を求めているときだってままある。ここ数年なんてそればっかだ。困っちゃうぐらいそればっか。ばっかばっカバッカバッカ。どこからか馬が走ってくるように不安が迫ってきて、そのたびに考える日々だ。まあ、生きている限りそれも仕方がないと諦観して、うまく馬に乗れるよう願いながら今日を生きている。 |
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| 4月17日 (木) |
クラークとウータ |
起きたら風邪をひいていた。くしゃみが止まらない。少し遅れて悪寒まで背中を這いあがり、やばいやばいと声に出しつつ軽食をとり、厚手のシャツを重ね着し、薬を飲んで寝室へ逃げこむ。とはいえすぐに眠れるはずもなく、辻原登さんの『熱い読書 冷たい読書』(マガジンハウス)を読んでしまう。ほどよい小文を読み進めるうちにそこに紹介してある本をどうしても読みたくなり、むくっと起きだしてネットでどばっと注文し、またベッドにもどる。今度はアーサー・C・クラークを読む。こちらは3部構成の大長編小説とあって次第に眠くなり、気がついたら夕方だった。 夜、依頼されていた小文を書き、クラークとウータを抱いて早々に寝室へ。こちらが寝入る前におれの右腕を枕にしたウータが鼾をかきはじめ、そのリズムにあわせて呼吸をしていたらすぐに眠りに落ちた。 |
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| 4月16日 (水) |
グリーンマンが歩けば |
朝、単行本の装丁、奥付まわり、本文の藍焼きなどがどかっと届く。昼すぎ、送り主のT田さんから電話があり、意見を交わして装丁を決める。夜、きっちり食事をとった後、理由あってバストアップの写真を撮る。照明の調整難しく、グリーンマンのような肌をした男が写る。撮影後、久しぶりに「あら喜」に顔を出す。老父の件で心配をかけてしまい、事後報告させてもらいつつ生ビールを飲み、T夫くんが気をきかして出してくれたつまみを食べ、次に八海山を飲む。そこに「acalli」のYちゃんがやってきて懐妊の報せを受ける。よかった。日付がかわったところで店を後にし、南麻布界隈をふらふら歩いているうちに、ある人に無性に電話をしたくなったのだが、よく考えたら携帯電話を携帯していなかった。 春色濃くなり、アホ深まる。 |
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| 4月15日 (火) |
知的な妻 |
| 夕方、連載原稿を仕上げる。太宰治の二番目の妻であった津島美知子さんが書かれた、『回想の太宰治』(講談社文芸文庫)を題材に知的な妻の存在の怖さについて言及した。久しぶりに集中できたが、それだけに、脱稿後はしばし呆然。夜、本日より予約受付がはじまった團菊祭のチケットを注文し、それから映画『素顔のままで』を観て、デミ・ムーアの肉体とあまりに安直なストーリーに圧倒され、ゆらゆらと卒倒睡。 |
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| 4月14日 (月) |
いかねば |
| 午前中、書見。午後、「Over the book」の原稿を書くも終わらず、どっと疲れる。徐々に調子を戻し、書く人の生活になっていく。いかねば。 |
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| 4月13日 (日) |
空洞でひつまぶし |
| 空洞に浮いているような一日。夜、ひつまぶしを食べ、正気に戻る。 |
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| 4月12日 (土) |
いびつな形こそが |
築地で予定されていた落語会を欠席し、いつ連絡があってもいいように自宅で過ごす。夕、担当医と今後の話をしてきた母と電話でやりとりし、経過入院の方針を確認する。 男84歳であれば、いつ何があってもおかしくない。おかしくないが、何かあればこうして周囲はざわめきたつ。家族という関係性が前面に出てきて血縁についていろいろ考えることになり、その一方で、近くの他人を思う。家族でも非血縁者でも、実は、日常生活における近き者こそが真の隣人なのだと思い知る。生きて死ぬ間に生じる関係性、この複雑で鬱陶しくすらある縁の重なり、交わりに支えられている私の日常の奇妙な姿。中には足もとで眠る猫もいる。使い古しのペンもある。私をとりまく関係性の形こそが、私なのだろう。 いびつな形が、今日も、この体を取り巻きながら動いている。 |
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| 4月11日 (金) |
奇跡的なぐらい理想的な初期対応 |
朝9時、母と姉、K子さんとともに車で病院へ。面会時間は午後からだが、救命センターの集中治療室から一般病棟へ移ることになり、諸々準備してきた物をもって付き添う。 早期発見(発症20分未満)、早期搬送と早期治療(ここまでで約50分)の効果は絶大で、老父の病名は、脳梗塞にいたることなく一過性虚血症ですんだ。担当医は、「奇跡的なぐらい理想的な初期対応のおかげ」と母に語ったらしい。昨日の段階で意識もしっかり戻り、すでに両手も動き、万歳もできる。何より顔色がよく、我々を見てはにかむ表情は、いつものそれだった。入れ歯を取り出しているから口の周りが貧弱になっている他はまったく変化のない姿に安堵し、安堵し、安堵し、看護師さんとのやりとりを見守り、MRI検査を受ける間に様々な書類にサインをして待つ。車椅子に座って戻ってきた父、やはりいつもの通りの穏やかな顔で、(昨晩から食事をとっていないので)さりげなく空腹を訴えるが、病院食は今夕からと返される。本人も我々も、看護師も苦笑。それから他愛のない会話をいくつか往復させて「じゃあ」と別れ、12時過ぎ、病室を後にする。 帰宅後、母と姉と3人で昼食。それぞれきっちり食べ、今後のことについていろいろ話し、第一発見者であり、それだけに大いなる衝撃を受けた母をねぎらう。車で磐田に帰る姉を見送り、あらためて母と帰宅。どちらともなく「昼寝でもすっか」と声をかけあい、別々の部屋で夕方まで休息をとる。夜は、両親にとって唯一の孫である姪っ子を誘って近所の居酒屋へ行き、父のとりあえずの無事を祝って会食。母がちゃんと食べているのを認め、帰京の途につく。 |
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| 4月10日 (木) |
父、倒れる。 |
17時29分、老父が倒れて藤田保健衛生大学附属病院に運ばれたとの連絡が入り、今から名古屋へ向かうことになりました。担当編集者の皆様、ならびに関係各位の皆様、仕事関連の対応はあらためてご連絡しますが、ご迷惑をおかけするやもしれません。何卒、ご了承ください。 18時過ぎ、取り急ぎ。 |
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| 4月9日 (水) |
藤枝の、信仰の、私小説の、 |
早寝したのに遅起き。ぐっすり眠ったおかげで疲れがとれ、腹も鳴る。生姜焼きと野菜炒めを作り、玄米飯、長ねぎの味噌汁とともに喰らい、腹部が落ちついたところで書見。今秋からの仕事のために創作に関する本を3冊読み、刺激を受けるたびに自身の創作ノートにメモをとる。 夕方になって小川国夫さんが亡くなったと知り、しばらく意気が萎える。80歳だから無理もない死期だったが、つい、中学生のときに読んだ『アポロンの島』に載っていた、日本人ばなれしたその美しい顔を思い出してしまい、宙をながめてしまったのだ。藤枝の人。信仰の人。私小説の人。あの文体が放つ気配は最後まで唯一のものだった。 |
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| 4月8日 (火) |
大看板の三人 |
3時間ほど眠って起き、松井秀樹選手の活躍に目を細めてシャワーを浴び、着替えて外出。春嵐の中、タクシーで歌舞伎座へ行き、今月の昼の部を観る。 『本朝廿四孝』に続き、玉三郎が、長唄の作品を能がかりの歌舞伎舞踏に仕立てた『熊野(ゆや)』を観る。仁左衛門演じる平宗盛に見初められた遊女、熊野に扮した玉三郎の色香には絶えず哀しみが漂い、故郷で危篤となった母を憂いてそれはさらに色濃くなり、緩やかに舞うたびに悲哀が匂いたつ。一方、美しい熊野をつれていざ清水寺で花見へとうかれる宗盛は、彼女の帰郷を許さない。しかし、熊野の抑えながらも溢れる哀しみの舞いを眺めるうちに宗盛の思いに変化が生じ、ついに熊野の帰郷が許される。この間、台詞は最少限しかなく、能に準じた所作と舞だけで二人の心理が描かれるのだが、それがまあ美しいこと。己の権力に疑いを持たぬ男にも通じる女の老母への思い。その背景として舞い散る桜の花びら。……絵巻でございます。 次の『刺青奇偶(いれずみちょうはん)』は、かの長谷川伸の名作。昭和7年に雑誌「改造」に小説として発表され、後に歌舞伎となった。博打好きの半太郎に勘三郎、身投げするまでに我が身を憂う酌婦、お仲に玉三郎が扮し、絶妙の掛け合いで互いの素性を語り、いつしか夫婦となるもののお仲は病に伏し、半太郎はやめると約束した博打に。そこでヤクザの親分、鮫の政五郎(仁左衛門)と相対し、命を賭した丁半の勝負にでる。 大看板の三人が三人とも充実した芝居を見せ、笑いと涙を誘いつつ、「……綺麗」とか「……かっこいい」とか「……いやあ、ほれぼれしちゃう」といった感嘆の声を観客の口からもれさせる。勘三郎はいやらしいぐらい巧く、玉三郎は女の変化を全身と声を使って舞台の上に晒し、仁左衛門は男でも惚れぼれするほどの男っぷりで男の芝居を見せた。当然のことながら、彼らはほんとうに芝居が巧い、いい役者なのだとあらためて思った。再認識。こうなったら夜の部も観に行かねば。 終演後、タクシーで神保町へ行き、小学館の近くの喫茶店でI垣さんと打ち合わせ。美味しいコーヒーを飲みながら、仕事の他に最近の出版業界の厳しい状況について話し、地下鉄の駅で別れる。最寄りの白金高輪駅に着き、強くなった風に吹かれて帰宅し、夜まで本を読んで過ごす。遅い夕食後、22時半には寝床の人となる。 |
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| 4月7日 (月) |
静かに春嵐 |
| 午前中、電話とメールで単行本の文字修正。昼、生姜焼きを作り、サラダと玄米飯と味噌汁とともに喰らう。夕、少しだけ創作。まだだめ。夜、『すばる』と『文藝』の最新号を読む。アーサー・C・クラーク読む。春嵐とともにいろいろ動きだしている。 |
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| 4月6日 (日) |
春、風林火山 |
ここまでの春らしい陽気につつまれていると、阿呆になりそうだ。このまま桜の花びらとともに散って土に溶けだしてもいいかな、なんて、まるでノボセたようなことを思って眠くなる。 15時半、日比谷公園へ行き、陽気にひたって桜を眺めている人々にまじって歩き、「松本楼」で名物のオムライスを食し、それから日生劇場へ。市川亀治郎が武田信玄と山本勘助の二役を演じる『風林火山』を観る。美術、照明、音楽、佳し。特に音楽は、千住明さんの大河ドラマ用の作品を効果的に使い、全体の展開にメリハリを与えることに成功していた。ご本人も劇場に足をはこび、嬉しそうに舞台を見上げてをられた。役者では、ちょっと瞠目するぐらい亀治郎が巧かった。歌舞伎の芝居をまぜつつ迷い人としての信玄を表出し、公私いかなる時にでもでもリーダーであるべき人物の恍惚と不安を演じきっていた。勘助役については、出番が少なくて論じにくいが、二度の早変わりは効果があった。また、最後の宙づりもよかったと思う。 しかし、おれが最も惹かれたのは、亀治郎、嘉島典俊(大河と同じく武田信繁役)、尾上紫(三条夫人)、守田菜生(由布姫)ら四人が揃って舞う場面だった。尾上は尾上流家元の長女、守田は坂東三津五郎の長女で坂東流の名取であり、男二人も歌舞伎で鍛えられているだけに、これはもっと観ていたいと思わせる華麗さと舞踏の面白みを放っていた。 21時前に劇場を後にし、地下鉄で帰宅。芝居の余韻はすでに薄れ、次作の主人公の背景についてまたあれこれアーダコーダ考えこんで夜中を迎え、中国映画を観てから朦朧睡。なんだか今春のおれは、酔狂の度が増しているように感じている。 |
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| 4月5日 (土) |
わかる人 |
朝から起きだしたものの深酒の名残で体も頭もふわふわしたまま時間が過ぎ、ソファに横になって届いたばかりの本を読む。『書斎の達人』(宇田川悟 河出書房新社)と『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(都築響一 晶文社)。前者はなぜ買ったのかよく思い出せなかったが、後者は、畏怖する都築さんの本や書店に対する思いにふれたくて読んだ。
「読むべき本」じゃなくて、 「読みたい本」だけを全力で追いつづけること。 それが世間的にどんな恥ずかしい本であっても、 ほかの本で隠してレジに持っていったりしないこと。 満員電車の中でも、堂々と開いて読むこと。 紀伊國屋のカバーなんか、かけないこと! そういう読書人に、僕はなりたい。
序にかえて「読書と人生のリアリティ」より きっと売れないけどとても刺激的で面白い本。都築さんはそういう本たちを作り、買い、書評やエッセイでぐいぐい喧伝している。おれが編集した写真集、『ニッポンタカイネ』(吉永マサユキ メディアファクトリー)も、朝日新聞紙上で彼に紹介してもらった。吉永さんはそれだけで奮い立ち、今も地道に撮り続けている。 わかる人にはわかる、と云う場合の「わかる人」は、日本には数千人しかいない。本来、文学とか学術とか、前衛とか、実験とか冒険いったものは、そのぐらいのマーケットなのだろう。だから、テレビのようなメディアは、それらが話題になるまで取り上げない。したがって、テレビで話題になったときは、その情報はもう手垢がついて鮮度も刺激もないのだが、だからこそネットの世界においては、誰でもいいから数少ない「わかる人」がその自己評価を喧伝してほしいと願う。横に広がるメディアの特性を、単にネット上の友だち増やしや不満の捌け口に終わらせるのではなく、愛でるものの良さを、一人だけでもいいから他人に理解してもらう。そんなささやかな行為の連続性、集積だけが、ちょっとでも世の中の気分を面白く、かつ緩やかなものに変容させていくと考えている。 |
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| 4月4日 (金) |
どういうこった |
19時前、タクシーで旭屋銀座店に行ってみると、日比谷寄りの裏側のドアに「四月二十五日で閉店する」旨の紙が貼ってあった。どういうこった、と怪訝に思いつつ表側、つまり銀座外堀通り沿いの入り口から中に入り、いしいしんじ君と合流。2ヶ月ぶりの再会だったが、互いに口に出たのは知ったばかりの閉店話で、どういうこった、と詮索しつつ「汁八」へ。 生ビールで乾杯してから(いしい君が帯文を寄稿してくれた)おれの本の話や、「芸術新潮」で彼が行ったバルザックの逸話やフジタと秋田の関係や、お互いが最近読んだ本の中で面白かった作品などについて大いに盛上がり、ホタルイカや三崎の〆鯖、春野菜の天麩羅をつまみながら冷酒をくぴくぴ飲っているところにいしい君の愛妻、園子さんが登場。日本橋で扇橋の落語を聴いてきた彼女に、2人で旭屋銀座店閉店の話を報告し、その問題点を主張する。 曰(いわ)く。 近藤書店、イエナがなくなり、自社ビルの教文館書店とタレント本サイン会場と化した福家書店しかない銀座でいいのか。欧州の各ブランドビルが押し寄せ、テナント料の上げどまりが続く銀座で書店が経営していくのはほんと厳しいに決まっているが、そのために書店がいられなくなる東京、銀座。ああ恥しい。利益率が極端に低い書店にすれば、たしかにこれ以上テナント料を上げられたらやっていけないよな。中央区、あるいは東京都がその文化性を重視して助成などの対策を打てないなら、銀座もまた経済の草刈り場と変容していくしかなく、旭屋銀座店が品揃えよく守っていた人文科学系のすぐれた書籍などは、いったいどこで買い求めればいいのか。と問えば、結局はますますアマゾンなどのネット書店が重宝になるだけか。……暗澹。世界一の翻訳国家である日本だけど、数年後、気がつけばそれらを作ることも読むことも難しい状況になるんだろうな。いったい、この国は何をもって世界と対峙するんだろうか。悔しいやら哀しいやら。たった一つの書店の問題だけど、そこに潜むのはずいぶん大きな負の予兆(オーメン)なんだよな。 ほのかな怒気を秘めながら「茉莉花」へ行き、久世朋子さんにいしい君を紹介し、カウンターにいらっしゃった西木正明さんらと盛り上がり、その後、「まり花」へ流れる。4人で赤ワインを空けて話を続け、気がついたら4時になっていた。タクシーに乗ったいしい夫妻を見送り、ぐらぐらになって後続の車中に倒れこむ。飲んだ、話した、感謝した。いい夜だった。 |
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| 4月3日 (木) |
さあ、これからの12年 |
昼過ぎ、潮目が変わった。それがはっきりと実感でき、しばらく興奮してしまった。何かがすっと落ちた。今年6月からの12年間はきっと好調に推移するという予感はもう数カ月前からあったのだけど、なるほどこういう形で現れてくるのか。 落ち着いたところで自転車に乗って銀行、郵便局を回り、一気に諸々の事務処理を終え、麻布三の橋の「さくら苑」でコーヒーを飲み、帰途、小川書店で『芸術新潮』など数冊の雑誌を購入。今月号の同誌は「ヴィーナス100選」という素晴らしい特集を組んでいるが、その次に「パリの個人美術館へ行こう」と銘打ったいしい君のレポートが掲載されている。バルザックやフジタの家を訪ねたほっこりする手記と、絵画の構図を援用したと思われる写真がいい組み合わせ。この記事を読んだ後に、『BRIO』の「銀座の夜を取り戻せ」特集をパラっとめくったら「D・ハートマン」が紹介されていて、なんとM田店長の写真まで載っていて笑ってしまい、すぐに電話をいれて談笑。昨晩会ったばかりなのでつい話しこみ、次回の話題を決めて電話を切る。 夜、21時半、就寝。 |
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| 4月2日 (水) |
旬はホタルイカ |
夕方、やっとゲラの塊を返送する。作者と校正者の二役は疲れたけど、いい勉強になりました。直後、三崎に来ているいしい君から電話が入り、近々、久しぶりに食事でも、と話がまとまる。その後は、辻原登さんの『約束よ』(新潮社)とアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』(ハヤカワ文庫)を交互に読み、心を整地してから入浴。 心身ともにさっぱりしたところで半月ぶりに「あら喜」へ行き、生ビールを飲んで生子の酢の物と新じゃがバターをつまみ、それから今が旬のホタルイカの釜揚げと漬けをいただき、料理にあわせて八海山を呑む。美味。他にも目新しい瓜の浅漬けや鮪などをつまみ、仕上げに、赤鶏の唐揚げポン酢和えを食しているところに電話が入り、銀座の「D・ハートマン」へ向かうことになる。23時過ぎに合流し、ストラスアイラのロックを飲りつつ歓談、放談、ちょっと密談。2時に散会し、Y田さんにタクシーで送ってもらい、しばらく夢遊してから昏倒睡。 |
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| 3月31日 (月) |
ジャン・ピエール・ジュネと視聴率 |
大好きな映画のひとつに『デリカテッセン』という作品がある。あえて云えば、その美術とリズムに魅了されていて、何度観ても含み笑いをしながら感心する。何より、あれこれ登場する素材がおれの好む質感に合致していてたまらないのだ。監督はマルク・キャロとジャン・ピエール・ジュネ。後者は『アメリ』でも有名だが、彼が撮った短篇映画ばかりを4本集めたDVDがあると知り、早速取り寄せて観賞した。 『FOUTAISES 僕の好きなこと、嫌いなこと』(1990)という7分の作品などは、もろ『アメリ』の冒頭部に活かされている。好き嫌いを使って登場人物の性格を描き、その際、回想シーンや旧いニュース映像などをテンポよく挿んで作品のカラーを提示していく手法。他の3作品は、『デリカテッセン』と通底していた。……ってなことを考えているうちに辛抱できず、結局、また『デリカテッセン』を観てしまった。そして、『アメリ』も。
ところで、『ちりとてちん』の視聴率が過去最低だったと報道されていたが、「やっぱり」といったところか。落語はブームとはいえ、漫才ほどの馴染みはない。浸透していない。しかも上方落語とくれば、なおさらだ。特に関東エリアの住民からすれば遠い存在でしかなく、一部の好事家を除けば、興味の対象ではない。つまり、もとよりマスにはなり得ないモチーフだったから、この結果は「やっぱり」なのだ。とはいえ、そんなことに左右されることなく、NHK大阪のドラマチームにはまた新しい試みを仕掛けてほしいと思う。 |
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| 3月30日 (日) |
フランシーヌは眼精疲労 |
フランシーヌの場合は、あまりに〜もおバカさん……3月30日の日曜日にちなんで暢気に唄っていたら眼精疲労がひどくなり、あえなく横になる。眼の酷使もほどほどにしないと、いくら眠っても視神経が回復しないからどうにもならない。22、23歳の頃、徹夜仕事が3日ぐらい続き、眼精疲労でドクターストップを受けていたにもかかわらず、左右の白目をすべて真っ赤にしながらクライアントにプレゼンしていたことを思い出す。若さとはかくも頼もしく、あまりにもおバカさん。 夜中、結局またゲラの束と向きあい、夜明けとともにすべて終える。ひと眠りしてもう一度通読してから返送しよう。……フランシーヌ、そうしよう。 |
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| 3月29日 (土) |
これでよし |
6時には起き、満を持してテレビの前に座り、7時半、BS2で『ちりとてちん』最終回を観る。ドラマとしては、実質的には昨日で終わっていたから、それほどの感慨はなかった。いわば後日譚で半年間の幕が下り、終わってみれば、この物語が2027年あたりからの回顧話だったとわかった。また、女性落語家誕生話というモチーフを使った少子化対策、大家族賛美ドラマという側面もはっきり見えた。まあ、そんなテーマ云々はともかく、藤本有紀さんの脚本は、細い縫い目の一織りまで眼を凝らしつつ大きな風呂敷をひろげてみせる、実に堂々としたものだった。お見事。 その後、ハイビジョンと地上波で繰り返し観て気持ちを納め、外出。玄関の前から富士山を遠望し、それから松坂公園で満開の桜を眺める。ウータもつれてこれば良かったと後悔するが、猫を無理強いするのは寿命を縮めることになりかねないので、これでよしとして桜から離れた。 |
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| 3月28日 (金) |
成れの果ての解説論 |
文庫本の楽しみのひとつに解説がある。評論とも感想文ともguideとも違う、あえていえばそれらをすべて混ぜ合わせたような文章によって、作者や作品の要点や美点を確認したり、発見したりしてひと時を愉しむ。小学6年生のときにアンデルセンの文庫本(『絵のない絵本』新潮文庫)を夢中で読んで以来、いったいどれほどの文庫本を読んできたかはわからないけど、今でもくっきり記憶に残っている解説は多々ある。自分でも、まだ編集者だったころ、養老孟司先生の一冊について書かせてもらった。 最近読んだ中では、『遊動亭円木』(辻原登 新潮文庫)の堀江敏幸さん、『回想の太宰治』(津島美知子 講談社文芸文庫)の伊藤比呂美さん、この両名の文章が素晴らしかった。優れた解説に出会うと、その本を手にしていることにまず感謝できる。ぼおっとした日々の時間のある時に出会って買い求め、文字を追い、意味に意識をからめらとられてそちらの世界で浮遊した経験が、誰に自慢することもなく誇らしく思われてくる。そして、作品とは別種の短い名作を堪能した気分にさえ浸って本を閉じる。 小説家は読者の成れの果て。そう語ったのは半村良さんだった。まったくそのとおりだと思う。成れの果ては、文庫本の解説文はもとより、チラシの販促コピーにすら一々感応して日々を送っている。 |
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| 3月27日 (木) |
こうふく 誰の? |
昼間、西加奈子さんの新刊、『こうふく あかの』(小学館)を読む。『こうふく みどりの』に連動した本とはいえ、内容はまったく別。二重構造でストーリーが進む仕掛けを楽しみつつ、中盤まで読んだところで仕掛けの全貌がわかってしまい、後はその確認となった。人の存在を「膣を通ってきたモノ」として捉え、その視座から眺めたときのこの世界の無常、退屈を匂わせながら、それでも生きていく根拠みたいなものが描かれていた。本質的にはとても深いテーマに挑戦していて好感をもったが、仕掛けをもっと大胆に本筋から離せていたら、さらに幅広くこの世界のあれこれを巻きこめたと思う。 他の時間は作業。夜、単行本の装丁に使用する写真の候補が送信されてきてじっくり眺め、迷うことなく一点を選ぶ。本は5月の中旬にはできるらしい。それまでに、4台目となる新しいパソコンを買うことにする。初めてMacとは違うメーカーのものにする予定。 |
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| 3月26日 (水) |
おれの恋愛小説? |
朝、松本のいしいしんじ君から電話。おれの次回作をゲラで読んでくれたらしく、詳しい感想をいろいろ語ってくれる。「こんなええ話を、なんかもったいないなあ」と。ありがたい。素直に感謝する。その後は、前夜に引き続きルビと格闘。遅い昼食後に仮眠をとり、起きてからは辻原登さんの連作短篇を読んでしばし感嘆し、外出。 銀座7丁目の「よし原」なる素敵な店でO野さんと会食。旬の刺身や野菜をつまみながら八海山の冷酒をぐびぐび飲み、9合ぐらい空いたところで店を出る。銀座のおねえさんたちもびっくりするぐらいファンキーでチャーミングな服装のO野さんを、ご希望どおり「まり花」へ案内し、山崎のロックをちびちび飲りつつ一周忌を迎えた鴨志田さんの思い出話をする。O野さんもY子ママも生前の彼とつきあいがあり、このタイミングで刊行された彼の『遺稿集』(講談社)には、O野さんが担当した原稿も収録されているらしい。他のお客さん(顔なじみの某アニメ関連会社の社長)がいらっしゃって間もなく退却し、O野さんがよく行くという個室の店へ行き、今度は焼酎を飲みながら小説の打ち合わせ。恋愛小説。おれが書くべき恋愛小説とは。いろいろ話をしたが、なんせもう酔いが回っていてアイデアが出る状態ではなく、互いの痴話を語りあって終わる。 それにしても、O野さんは酒豪である。3時に帰宅し、部屋着に着替えた途端、ソファで撃沈睡。 |
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| 3月25日 (火) |
ルビ |
6時半に起床して朝食をとり、最終週を迎えている『ちりとてちん』をしっかり二度観て机に向かったものの、9時過ぎにはもう眠くなってしまった。一昨日と昨日の疲れがどっと出たのだろう。単行本の原稿(ルビ)確認を一気にやるつもりでいたのだが、到底、厳密な作業をやれる状態でないと判断し、ソファで書見。予想どおり眠ってしまい、目を覚ましたら股間でウータが眠っていた。 作業は夜になって稼動。ルビルビルビルビルビ、ついでに、書面のデザインに留意して改行や加筆をやり、7章まで終わったところで机から離れる。良い疲労が残った。
追記:先週ご案内した『ダンシング・ヴァニティ』の書評は、先週号では なく今週号の「週刊朝日」に掲載されています。お問い合わせいただ いた皆様、申し訳ございませんでした。 |
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| 3月24日 (月) |
京都で玉三郎 |
早朝、「over the book」のゲラ校正をやって朝食をとり、小雨がふる品川駅へ。のぞみに乗って京都へ向かう。ゴーゴリと辻原登さんの文庫本を読むうちに車外の空に晴れ間がひろがり、昼前、京都駅に着いてみると好天となっていた。その後、タクシーで四条へ向かう際、偶然、こちらに歩いてきた某有名女性大御所作家と目があってしまったが、車の流れに任せてやりすごす。やばいやばい。 南座の前で降り、つらつら歩いて建仁寺を訪ね、「風神雷神図屏風」(俵屋宗達)と枯山水の「大雄苑」の前で呆然とし、それから法堂(はっとう)の天井に描かれた「双龍図」をしばし見上げて去る。南座脇の「松葉」で元祖にしんそばを食し、万端整えて南座へ入り、13時から坂東玉三郎と中国・昆劇の合同公演を観る。 まずは昆劇の名作、『牡丹亭』。玉三郎、見事に16歳の杜麗娘になりきっていて可憐。腕のしなりに加えて指の一本一本までが優雅に繊細に動き、結果、全体のフォルムが感情によって千変する名演だった。ただ、舞台を観つつ上下手に設置された日本語訳を読まねばならず、仕方ないこととはいえ、かなり疲れた。 中入り後の『楊貴妃』は、まあ何と言うか、玉三郎ならではの完璧の舞だった。将来、誰かがこの作品を演じることがあるのだろうか、それは可能だろうか、といらぬ不安を覚えるほどに観衆を引きこんでしまう唯一無二の踊り。この完成度はいったい何なんだろう、呆れてしまった。 終演後は拍手が鳴りやまず、結局、アンコールは7回続いた。途中、隣の女性に「まだ続きますかね」と声をかけると、「続きます」と断言された。京都まで来てよかったと満足しての帰途、サントリーpremiumビールをぐびぐび飲み、近江伝承の干肉を齧りつつ窓外を眺めたら、ほんとうに久しぶりに、右手の海越しに富士山が見えた。 |
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| 3月23日 (日) |
10時間睡眠 |
| 死者との会話に深入りしすぎたからか、どっと疲れが出てしまい、10時間ぐらい眠ってしまった。外出の予定も来週にずらすしかなく、淡々とセルフ自宅軟禁で過ごす。明日は、3年ぶりの京都だ。 |
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| 3月22日 (土) |
ろくろ首 |
終日、「遺書、拝読」の原稿。21時、ようやく脱稿。ろくろ首になった編集部のN西さんに送信し、遅い夕食をとる。 その後、先日届いた『宗教と現代がわかる本 2008』(渡邊直樹責任編集 平凡社)を手にとる。まずは寄稿した「池田晶子の死」に目を通し、次に荒木さんと小川洋子さんのインタビューを読む。荒木さんの話は昨年10月、「聞き手」として眼前で聴いていたもので、すでに懐しい。小川さんの方は、彼女の金光教とのかかわりを初めて知って面白かった。その話を引き出した千葉さんのインタビュー力に感心する。また、町田宗鳳さんの「ダライ・ラマと近代文明」は、あらためてダライ・ラマについて考えるきっかけとなった。 目が疲れきったところで昏倒睡。 |
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| 3月21日 (金) |
剥き出し |
| 昨日に引きつづき、柳原和子さんの『がん患者学』(晶文社)と『がん患者学学1〜3』(中公文庫)を再読、精読する。大著というだけでなく、3月2日に亡くなった彼女が文字どおり体を張って、命を削って書いたノンフィクション作品だけに、数行読むたびにいろいろ考えさせられ、ほどなくずんと胸に重みを感じてしまう。作者の素直で不器用な人生が厖大な言葉を通して剥き出しになっているから仕方がない、時間をかけて、どうにか受けて立つ。 |
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| 3月20日 (木) |
悪場所の必要性 |
村上隆さんが「スーパーフラット」を唱えだしたのは、もう10年ぐらい前だったか。その後の彼の大活躍は周知のとおりだ。社会のフラット化はたしかに進み、味噌も糞も、光も闇も、飢餓も飽食も同じように直列に並んでいる。その上でデジタル処理が進み、ますます社会はフラット化し、デジタル効率を追求する日々を邁進している。おかげで「隠れ家」や「殺人請負」までが情報として流通している始末。それは、見方を変えれば、「闇の消失」が加速度的に進んでいるということ。 嫌ですね。いや、好きとか嫌いといったレベルでなく、この流れはとても危険なことだと思っている。闇。時間的にも空間的にもこの闇がなければ、相対的に本当の光まで消えてしまうのは当然で、陰翳のない日々、せいぜい進学、就職、転職、結婚、出産、離婚、家族介護といった公が認めるイベントぐらいにしか盛り上がりを感じられない人生を送る、しかなくなってしまう。それは、俯瞰すれば人生の単一化、記号化の増殖だ。無論、昔(例えば高度経済成長期)にだってそういう側面はあったけど、現在には高齢化の問題が控えているから、過去とは比較できないシンドサを孕んでいる。単一的でもとにかくせっせと生きて、60歳前後で死ねれば、それはそれで天晴れなのだけど、そうはいかない現状がある。記号の末路をどうするか。年金問題にしろ医療費問題にしろ、すべては想定外の超高齢化社会の現出に起因しているのは明白で、今や、75歳以上は「後期高齢者」と呼ばれて対策をとられている。社会を統治する側から見れば、記号化は行政のデジタル化のためにも必要なことだから、きっとフラット化はますます推進されるに違いない。市民運動家と呼ばれる人たちも、実は社会のフラット化を推進していたりするから困ってしまう。 アジールとまではいかなくても、西成や山谷ともまた違う種類の闇の場所はやっぱり必要だと思う。歌舞伎町が清潔で明るい繁華街になってどうするのか。時に危険が及ぼうが、得体の知れない空間に身を置いて踏んばって、その時の全智全霊をかけてくぐり抜けてみる闇。かつての悪場所でもいい、そんな空間がない社会は、きっと脆弱で、免疫力の乏しい社会になるだろうな。 自殺の増加の背景にも逃げ場のない、フラット化した社会の特徴が透けて見える。このままじゃ減らないですよ、自殺者は。せめて鎮守の森を守ること。できれば鬱蒼と木々が茂っている状態で次世代に残すこと。たとえ、時にそこで露出狂が性器をさらそうが、時に凶悪事件が起ころうが、少年少女、特に少年たちが意を決してその場に潜入する余地を残すことが、生き続ける人間を培う手続きになると、おれは思う。老人の死体を見るために少年たちが森をめざす『スタンバイミー』は、このあたりの、つまり少年期における目一杯の勇気と不安を描いた傑作だった。いわば、通過儀礼としての悪場所巡礼の物語だった。 そんな体験だけが、体験した者の内側の奥底から生涯、光をあててくれるのだと信じている。光源を内側に持てば、生きていていろいろどす黒い情況下に置かれても、とにかく死なずにやってみるかと思えるのではないか。たかだか47年しか生きていないけど、思えば、おれはそうやって生き延びてきたような気がする。まあ、決して文部科学省や国土交通省が採用する提案ではないけど、だからこそ、個々人は自分で選択していかないとね。おれは自殺否定者ではないが、子どもが自殺するのはやっぱり社会の歪みだと思っている。フラット化した大人だらけの社会って、子どもの眼からながめれば、きっと生きづらい、気持ち悪い空間だろうな。 |
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| 3月19日 (水) |
文字どおりの酔狂 |
16時過ぎ、「Ti-s TABLE」でT田さんと単行本の打ち合わせ。ルビの量が多すぎる三稿ゲラを手に対処策を検討。併せてスケジュール対応の詰め。遅れ気味な状況に注文をつける。その後、前回同様、同店自慢の焼酎をロックでいただき、T田さんに2人目のお子さんができたことを祝す。お祝いと景気づけに「あら喜」へ流れ、ナマコ酢と初鰹の刺身と今春の目玉、新玉葱焼きを肴に不二才をぐびぐび。いろいろ話し、店先でT田さんを見送ってからo野くんと「acalli」へ上がり、赤ワインを飲む。ボトル1本を空け、帰途、久しぶりに「アダン」のカウンター席に向かい、泡盛を飲んでしめる。 見事に酔った。 |
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| 3月18日 (火) |
ショーガール |
ひょんなことから映画『ショーガール』(ポール・バーホーベン監督 1995)を観てしまう。同作は、裏アカデミー賞と云われるラズベリー賞で'90年代最悪作品賞に輝いた映画である。1950年に上映され、同年度のアカデミー賞6部門を受賞した『イブの総て』(ジョセフ・L・マンキウィッシ監督)の剽窃と批判されたのだが、そんな映画史を知らずにみれば、これはこれで楽しめる。まあ、ストーリーは単純明快な「成り上がり譚」で、展開は冒頭から読めてしまうから、そこをセックスと暴力、そしてストリッパーたちの舞台裏噺がどうにか盛り上げようと奮闘する構成。極端にわかりやすい伏線とオチの連続で、深みなどまったくない。想定した観客へのマーケティングが透けて見えそうだ。徹底している。『氷の微笑』も撮ったバーホーベンは、自ら「最低の映画」と認めているらしい。 他にはあんまり記憶がない。 |
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| 3月17日 (月) |
青春、そして読書 |
20年ほど前だと記憶しているが、「サーロインステーキ症候群」なる言葉がはやった。簡単に云えば、運動後に筋肉が痛むまでの時間が、加齢とともに長くなるというもの。つまり、若いほど早く痛くなり、年を重ねるほど遅くなってから筋肉が痛んでくるらしい。 おれの場合。まず臍下の腹筋が痛みだした。そして、確定申告の書類をまとめている間に両肩の裏側の筋肉がうずきだし、続いて腰の筋肉がばりばりになり、芝税務署に向かうころには腹筋、背筋が硬直してしまい、妙に姿勢のいい人になっていた。前述の説によれば、おれの筋肉はまだ若さを保っているのかもしれないが、半端なロボットにでもなったような動きが止められず、申告後はツカツカ歩いて帰途を進み、自宅マンションが近づいたところで突然、朝から何も食べていなかったことを思い出した。珍しく膨張した筋肉の痛みにばかり脳が反応していたのかもしれない。 ならば、と蕎麦屋ののれんをくぐり、ビールを飲んで鴨南そばをいただき、頭も体も弛緩させて帰宅を果たした。それからは待ちかまえていたウータとオランとともにソファに横臥し、悲惨だった昨年の収支決算を憂いつつ惰眠に落ちた。目を覚まして夜中、買い残していたゴールデンポークのロースを料理して喰らい、2冊の小説と数冊の雑誌を読む。雑誌では今月号の「青春と読書」が面白かった。青春、そして読書。どちらもとってもベタだけど、この組み合わせは、真理だよな。 |
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| 3月16日 (日) |
34ヶ月ぶり |
父、84回目の誕生日。実家に電話を入れたが誰も出なかった。おそらく母が外出していて、父は遠くなった耳を憂慮してやりすごしたのだろう。その気持ちはわかるような気がする。長く生きるのもいろいろたいへんだ。 夕方、意を決してジムへ行く。自転車をこいで日吉坂を登り、ジムに着いた時点でくたくた。じっとり汗もかいていた。トレーニングウェアに着替え、血圧と脈拍を計るとすでに高かった。トレーナーに専用ファイルを探してもらったら、なんと2005年5月以来の訪問とわかる。つまり34ヶ月間も無駄な会費を払っていたと知り、しばし愕然。気持ちが落ちついたところで徹底的にストレッチをやる。もともと体は柔らかいのだが、全身の筋肉が縮まっていてなかなか伸びず、指導ビデオ4本と向き合ってやっと体がほぐれた。 その後の1時間半はマシンで各部位をいじめ、最後に15分間だけランニングをやって風呂へ。広いジャグジー風呂にごぼごぼとつかり、じっくり体を洗って疲れ果て、帰宅後、確定申告の書類に手をつけることなく惚けて過ごす。さて明日、おれは起きあがることができるだろうか。 |
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| 3月15日 (土) |
思索もまた |
どかどかと本が8冊届く。その中からゴーゴリーを選んで読む。語りの参考として。その後、ブルトンの『狂気の愛』(光文社古典新訳文庫)を読む。V章に感じいる。サド侯爵を読まねば。 思索もまた人間の業だよな。シンプルな欲望だけじゃ到底、生きてはいけない。 |
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| 3月14日 (金) |
私はほとんどあなたです |
谷川俊太郎さんの新しいい詩集、『私』(思潮社)を読み、その圧倒的な言葉の深度に感銘を受ける。覚醒がおこる。詩の力。気がつくと半時間も朗読していた。 16時、降りだした雨の中、皇居近くの和田倉噴水公園レストランへ。旧知の小西克博さんが発行・編集人を務める「カイラス」の創刊イベントに出席する。レストランの窓際に用意された臨時のステージで、安藤忠雄さん、松岡正剛さん、茂木健一郎さんの鼎談がはじまり、1時間強、じっくり聴く。テーマは「10年後の日本(東京だったかな?)」。ローカルの重要性を再確認し、やはり一度、直島に行ってみなければと思う。いしいに相談しよう。 イベント後のパーティーは遠慮し、豪雨の中タクシーで三の橋に戻って「あら喜」へ逃げこむ。インテルのA木さんと久しぶりにお会いし、ほぼ同じメニュー(冷奴、新玉葱焼き、初鰹のたたき、ロースハムの焙り)を食しながら不二才を飲み、牡蛎の串焼きを食べて切り上げ、今度は「acalli」で赤ワインを飲んでフィレ50gを喰らう。K二くんと少年期の芽生え話で盛り上がり、今年出す本の内容を少し紹介して帰る。
私は少々草です 多分多少は魚かもしれず 名前は分かりませんが 鈍く輝く鉱石でもあります そしてもちろん私はほとんどあなたです
谷川俊太郎「私は私」より抜粋 |
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| 3月13日 (木) |
再び会う |
19時半までかかって連載原稿をどうにか書きあげ、推敲、送信。その後、入浴。何も食べないままタクシーで銀座へ向かい、ソウルから来日しているルミちゃんと集英社のE口さんが待つ「78」なる店へ行ってみる。と、そこは、かつてルミちゃんがママを張っていたクラブ、「月のしずく」で働いていたたえ嬢が3年前にはじめた店だった。初めて会ったときはまだ10代だったたえ嬢が、銀座の一等地でクラブのママをやっているとは。背が高くてハンサムなバーテンと若い女の子数名を擁する立派な店の名前は、彼女が生まれた1978年にちなんでいるらしい。何だかもう、全員が5年ぶりの再会とあって懐しさよりも驚きがまさってしまい、特注してもらったカツサンドを頬張りながら一気に旧交をあたためあう。たえママの所作や客の対応ぶりは、かつてのルミママのそれとそっくりで、女同士の師弟関係、伝承を垣間みた気がした。その眺めはいいものでありました。 ひとしきり飲んで談笑した後、「まり花」へ移動。芳子ママとルミちゃん、しっかと抱擁。こちらは、銀座で長年もまれてきた女同士のいわば戦友愛のようなものか。あらためて乾杯し、しばらくしてから、ソウルにいるルミちゃんのご主人に電話をかける。おれはほぼ10年前、今は亡き鷺沢萠の紹介で彼に会っていて、彼もおれを覚えているという。日本語と韓国語がいりまじった会話で盛り上がり、ソウルで再会しようと約束する。 連夜の酒でルミちゃんが眠くなったと察して切り上げ、仲畑さんに倣い、新橋の駅前の吉野屋で牛丼を喰らってE口さんと別れ、ルミちゃんとタクシーに乗る。車中、この数年間で死んでしまった共通の知人、友人を偲ぶ。そもそも、今夜2人きりで会ったら思わず泣いてしまうのうではと懸念していたぐらいだから、ちょっと辛くなる。直後、六本木のかつてのプリンスホテルが近づいてきたところで、ルミちゃんが小指をさしだした。 「長ちゃん、長ちゃんだけは死なないでよ」 「おう!」 おれはルミちゃんの小指に左手の小指をからめて、約束した。 「ルミちゃんも、死ぬなよ」 「あたしは大丈夫だよ!」 「そういうこった」 「そういうこったね」 ホテルに通じる交差点の手前でルミちゃんは降り、車が動きだしてもずっと手を振っていた。 再び会う。それが、生きている証なのだ。 |
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| 3月12日 (水) |
原油高 |
調子が狂っている。脳の停滞、混濁はなはなだしい。 とにかく食事だけはとろうと昼過ぎ、数カ月ぶりに「三田長寿庵」へ行って鴨南せいろを頼んだら、ご飯の量と蕎麦湯の器が半分ほどの大きさになっていた。値段は1400円で変わらないから原油高の影響だろうか、と訝りつつ食べる。昨日ほどではない春の陽気にしばし触れてぷらぷら帰り、また狂う。 |
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| 3月11日 (火) |
夜空も春 |
寝不足のまま起きてしまい、ふらふらになってソファ睡。そのため「ちりとてちん」の再放送を見逃してしょげ、しっかり仮眠をとり、起きて「週刊朝日」のゲラ校正。来週号に『ダンシング・ヴァニティ』(筒井康隆 新潮社)の書評を寄稿しています。よかったらご高覧を。 その後、連載原稿の準備をしてから着替え、19時過ぎ、麻布三の橋でH山さんと合流し、「あら喜」にご案内する。予約していた座敷席に腰をおろし、まずは生ビールで異動されるH山さんに御礼の乾杯。それから著者校正を終えたゲラを直接手渡し、旬の料理にうなりながら気のおけない話をつづける。空豆、ウド、初鰹のたたき、ロースハムの焙り、焼き筍、牡蛎の串焼き、新玉葱焼き、……どれもこれも美味かったが、中でも新玉葱が絶品で、気がつけば2人とも無言になってパクつき、ぺろりとたいらげていた。H山さんもしばし言葉を失い、「ここ数年で食べたあらゆる料理の中で最も美味い」と絶賛。これ、決して大袈裟な感想ではありません。いい素材を繊細に丁寧に調理したその味は、この季節の美点を固めて口に落ち、そして突然じゅわっと広がるのです。ああ、思い出して書いているだけでまた唾があふれてきた。 最後は、H山さんが梅じゃこ飯、おれがざる蕎麦で仕上げ、あっという間の3時間余りの晩餐を惜しみつつ店先で別れる。麻布十番駅に向かうH山さんの背中を見送り、独りで「acalli」のカウンターに座って赤ワインを飲ませてもらう。昨年末に友人を亡くしたK次くんと友人の死についてもろもろ話し、エスプレッソで仕上げて帰途につく。 春の夜空が人恋しさをせきたて、ぐっと奥歯を噛んだままマンションに着いて部屋に戻り、上がり口で待っていたウータを抱きしめた。ウータの毛は、まだ冬の匂いを放っていた。バカ。 |
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| 3月10日 (月) |
お祝いの方法 |
午前中、もろもろ連絡業務をやり、午後は、書見。『久世光彦の世界 昭和の幻影』(川本三郎、斎藤愼爾 柏書房)と『檀流クッキング』(檀一雄 中公文庫)の順に、ティッシュペーパーに染みいる水のように読みすすめる。雑然としたままあれこれ感じ入る。 夜、何気にテレビをつけたら松田聖子が出ていた。そこに「ハッピーバースデー46歳」の文字が現れた。おおうそうか、とうなずき実家に電話をする。松田聖子が誕生日なら我が母親も誕生日。75歳となった彼女に祝辞を贈ると、「もういいわ」といつもどおりの声でこたえる。明るい声で「しんどい」とも。姉が来ていると知らされ、電話を替わってもらう。次に大学に合格したばかりの姪にも替わってもらってちょっとだけ話し、お祝いの方法を伝える。 その後は漫然。書くべき原稿に手をつけられぬまま混濁した脳内の光景をじっと眺める。 |
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| 3月9日 (日) |
談志10時間 |
NHKハイビジョンで立川談志の特集を10時間やっていた。二部構成で、前半の6時間は昨年2月に放映したドキュメンタリーを再度使ったり、他に各界の方々からのコメント、松岡正剛さんとの対談などを盛りこんであった。ドキュメンタリーをすでに2度観ていたおれとしては、松岡さんとのやりとりがちょっと面白かった。18年前、編集工学研究所で松岡さんと初めてお会いしたころをふと思い出した。前半最後にノーカットで流れた、2006年12月に三鷹公会堂で収録された『芝浜』は素晴らしい出来だった。 一部が終わったところで、散歩をかねてまた魚籃坂をのぼり、坂の上にあるピーコックに寄ってしゃぶしゃぶの食材などを買って帰り、二部を観る。珍しく家でビールなど飲みながら。前半は爆笑問題が司会だったが、後半は志の輔が登場。家元の厚い信頼を得ている彼ならではの逸話をまじえながらその落語の特長を紹介するために、『粗忽長屋』をこれまたノーカットで流す。「粗忽」の意味を本質まで掘り下げてアレンジされた談志版のそれは、いやあそこらの不条理劇など足もとにも及ばないほどに面白く、自我の主題を見事に演じてみせていた。しかし、10時間の最後を飾る『居残り佐平次』はつらかった。スタジオ収録の影響(客がいない、カメラの切り替え、大仰な背景、凝った照明など)も多々ある。間違いなくあるが、声音がさらに劣化していて辛く、人の本質を見切ったような佐平次からたえず漂う狂気手前の艶気がちっとも舞ってこない。10分余り観続けるうちに耐えられなくなり、途中は違う番組を観て終盤戻ってみたが、状況は同じだった。絶え間ない古典解釈と骨身に染みこんだ技をもってしても手に入らない声音の影響、滑舌の精度がはっきりとさらけだされていた。 番組の最後、家元は「おれの落語はバカにはわからない」と言って頭をさげた。落語は独り芝居でもあるから、客は、内容を云々する前にその姿、表情、所作、声にまずふれる。それは、バカ云々以前の手続きだ。おれは立川談志という落語家を畏怖している。これまでに数十回生で聴き、本も一緒に作らせてもらったが、だからこそ尚更、手続きの不調が残酷でならなかった。 全身全霊を賭けて古典を掘り、ふらふらになって引きあげてくるその「解 釈」を味わう以前の問題が、10時間の後に明確に残ったわけだが、それでも老いる天才のドキュメントを同時代人として観られる幸福は充分に味わった。 |
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| 3月8日 (土) |
推定正常 |
14時半、ウータ8kgをキャリーケースに入れてふらふらと動物病院へ。慶応女子高校の正門前にある病院の受付につくと、品のいい20代後半の美女がつれていたフレンチブル推定5kgが甘えてくる。待ち時間があったので相手をし、手、指、頬、そして唇も鼻頭もたっぷり舐められてから診察を受け、抗生物質入りの目薬をさしてもらうと、見る見るうちにウータの眼の腫れがひいていって驚く。原因は不明だが対策がわかり、このまま点眼対応でしばらく様子をみることに納得して病院を後にし、階下にあるペットショップに顔を出すと、さきほどのフレンチブルもやってくる。ケースから出たウータにどうにか近づこうと伸びきったリードの先で左右の前脚をぐるぐる回し、結局、またおれを舐めまくる。逃げるようにウータを抱いて小鳥コーナーの前に行ってみたら、鳥にびびったウータがスカンク級の屁を放つ。やれやれ。この猫はどこまで愚かな主人に似ているのか。 「もう帰ろう」と自宅に戻り、ウータにあらためて点眼してから今度は自分の検眼のために表参道へ。どこにも異常なく、視力も現状維持でクリニックを後にし、北青山にある「紫藤尚世」でLLサイズの足袋を買い求め、それから南青山のyokumokuの店でコーヒーを飲んでケーキを食べ、帰りに”シガー”を土産に買って麻布へ移動。「あら喜」でゆっくり旬の食事を、と思っていたら、o野くん28歳推定62kgがいて話しこむ。テーマは、復活した彼女との今後について。当然、その中身は割愛しますが、牡蛎の串焼き、関アジの刺身、花ワサビのおひたし、ロースハムの焙り、たらの芽とふきのとうの天麩羅、焼き筍などを食しながら23時過ぎまでケンケンガクガク検討し、一定の方向性は確認して散会。 帰宅後、本日開幕したJリーグの結果をチェックしたところで卒倒睡。o野くんテニスコートの予約、くれぐれも頼むぞ。 |
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| 3月7日 (金) |
明日、病院へ行こう |
寝室で昼寝をしていたウータが近くにやってきて、珍しく黙ってこちらを見上げているので「どうした?」と声をかけたら、右目をとじて大きな涙の玉をあふれさせた。人で云うところの逆まつげのために元々左目に障害をかかえるウータだから、右目まで患ってしまってはと不安になるが、顔にさわろうとすると薄目のまま逃げていく。ウータは来月で8歳になる。もう立派な初老期の猫である。そんなこともあって切なさが胸にせまる。こちらが30代の最後に手に入れた猫が、いつの間にか当方よりはるかに老いてしまったのだ。音をたてずに時間をかけて背後から近づき、そっと下顎に手を添え、できるだけ皮膚にふれぬよう気をつけながら涙を拭きとって離れる。 ウータ、明日、病院へ行こうな。 |
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| 3月6日 (木) |
茉莉花、まり花、どちらもジャスミン |
落ち着かない頭の動きに苦労しつつ朝から机に向かい、昼過ぎ、「週刊朝日」の書評原稿を書きあげ、推敲してH山さんに送信。それから魚籃坂界隈をぷらぷら歩いて頭を鎮め、帰宅後、遅い昼食。まだ脳内の変調は続いていて、それを自覚しながら書見に挑む。雑誌でも書籍でも普段の3、4倍の時間がかかる。おそらく分裂気味なのだろう。 夕方、入浴。出かける準備をしていると、立て続けに4件の電話が入って面食らう。電話をくださったみなさま、ばたばたしていてすみませんでした。ひとしきり恐縮してからタクシーで銀座へ。久世光彦さんの未亡人で元・女優の朋子さんがオープンされたバー「茉莉花」を訪ね、中央公論新社のK佐貫さん、Y田さん、N西さんとカウンターに向かう。店全体はかつての銀座にあった瀟酒で落ち着いたバーを偲ばせ、所々にさりげなく置かれた久世さんの本や遺品がさらにこちらの気持ちを和ませる。つまり、善き店です。 しばらくして登場した朋子さんと堅い挨拶をかわしたものの、すでに文書のやりとりがあり、また、彼女の方も久世さんからこちらの話をお聞きになっていたので、互いに初めて会ったような感じがせず、すぐにワイワイと談笑がはじまる。滅多にない高級の紹興酒や、中国の政治家が晩餐会でふるまう、その名も「政界特供」なる酒を飲ませていただき、なかなかのピッチでご機嫌さんになってしまう。肴もどれも美味く、酒はますます進み、小林亜星さんが登場された頃にはもうただの酔っぱらいだった。亜星さんからは「上海リル」と名付けられたトライアルカクテルをいただき、調子にのって『寺内貫太郎一家』にまつわる逸話を披露してしまう始末。お恥ずかしい。 1時半、朋子さんとハグして別れ、「まり花」へ移動。引きつづきわいわい談笑し、4時過ぎ、散会。おれ、大丈夫か? |
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| 3月5日 (水) |
Deep blue |
いやあとんでもない一日だった。何をやっても、読んでも書いても、言葉が宙にぶらぶらしていて、それを眺めているうちに自分が海底にいるような視界がひろがってきた。まいったな。海面はるか上空に輪郭が崩れた太陽まで見えてしまい、水の中で揺れる光線のように言葉が漂っているのだから。文字どおりの「Deep blue」で、数時間、ただ呆然としていた。 酒も飲んでいないのに、どうやって眠りについたのか記憶がない。いや、よく眠れたよな。 発狂しなくてよかったと、素直に思う。去年の秋、仲畑さんが耳元で囁いた、「とにかく狂うなよ」という言葉が耳に何度も蘇る。……………ゥ〜ん、すでに狂っていたりして。 |
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| 3月4日 (火) |
プラス1 |
三寒四温がはじまったようですな。 朝から東浩紀さんの『動物化するポストモダン』と『ゲーム的リアリズムの誕生』(ともに講談社現代新書)をじっくり読みなおしているうちに眠ってしまい、目が醒めたら日が暮れていた。その後、M渕さんから電話があり、いろいろ話しこむ。無理なく楽しく話がつづくので、「限(きり)がないから」と会うことにする。白金高輪まで来てもらい、「秀吉」のカウンターで久しぶりの再会に乾杯を捧げ、それからは怒濤のしゃべくりタイムへ。先月急逝したK原の話をきっかけに死について、生について語り、幕末の筋を通した志士たちの死生観、勝海舟の智、歴史の意義、日本史、長寿の不幸などなどを、宝山のロックを何杯もお代わりしながら語り合い、日付がかわったところで腰をあげ、鎌倉まで帰る彼女を見送って帰宅。 三寒四温、寒い寒い。 七転八起、きついきつい。 4-3=1 8-7=1 つまり、プラス1のために生きているのだなあ、などと酔頭で考えつつウータが待つベッドにもぐりこむ。 |
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| 3月3日 (月) |
弥生 |
3時で原稿を切り上げ、歌舞伎座へ。三月大歌舞伎の目玉は、坂田藤十郎喜寿記念、『京鹿子娘道成寺』。藤十郎が初めて歌舞伎座で「娘道成寺」を勤め、押戻しで團十郎が花をそえ、”Spring has come”を飾るにふわしい演目でありました。 ところで、三月の別称「弥生」が、ものみな弥々生(いよいよお)い育つ、から来ていることを、今月の筋書き(歌舞伎のパンレットのようなもの)で知った次第。弥々生い育つ。いいですな。 皆様の弥々が、特にいろいろお世話になったS田さんの恋が、きっちり育ちますように。 |
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| 3月2日 (日) |
言葉に、声に出してしまったら |
ほぼ3ヶ月ぶりに髪を切った。 ほぼ3ヶ月ぶりなのにM店長はおれと顔をあわせるなり、「書いてますか?」と声をかけてきた。たった一度しか会っていないのに客商売の基本が身についている。20代半ばの彼がぐぐっとこちらに近づく瞬間だった。 知人のひとりにこちらが話したことはもとより、自分が過去に話した内容をいつも忘れてまた話す人物がいる。酔ってもいないのに、である。おれはそういう人物を前にすると、言葉の虚無を見ているような気分になり、腹が立つ前にげんなりしてくる。悲しくなる。いったい、前回話したことは何だったのか。取り返せない時間と空間が強制的に消去されていく様を見ているようで、質の悪い無常を味わう。 こういう人物にかぎって他人の言動に厳しかったりするから呆れてしまう。でも、よく考えてみれば、それは必然なのだろう。他者とのやりとりに対する関心、意識の低さが言葉のやりとりすら忘却させてしまうのだから、あらためて他者を直視したとき、その表面だけを捉えて立腹する次第なのだ。その根本に過度な自己愛の強さがあるのは容易に想像がつく。自己愛は尊厳にもつならなる重要なものだが、それも強すぎれば孤立感を強めるだけだ。孤独ではなく、孤立。孤独は一生つきあうtoughな友人だが、孤立はどうにでも処理できる。本人がそれを求めるなら問題はないが、会話だけは必要としているから困ってしまう。はじめから会話を捨てる覚悟がないのなら、他者の話も自分の話もちゃんと認識しつつ臨まなくては、単なる無礼千万な輩として周囲に知られていくだけだ。 言葉に、声に出してしまった約束は、何をさておいても、きっちり守りましょう。説教くさくて我ながらうんざりですが、自戒もこめて書いておきました。みなさま、くどいようですが、"Spring has come"でございます。 |
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| 3月1日 (土) |
春です |
Spring has come ! 窓を開けた途端、2匹の猫がもぞもぞとベランダに出ていった。彼らはすべて体で判断するから、その態度はいつも正直だ。つい先日までは、いくら呼んでも窓際から動こうとしなかったのに。 町田さんから届いた新刊『フォトグラフール』(講談社)を読んで笑い、『ダンシング・ヴァニティ』を再読して書評の準備に入る。もの凄い傑作でありました。 |
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| 2月29日 (金) |
お粗末くん |
今年こそは起きてすぐに口を漱ぎうがいをし、6kgのダンベル2個を左右50回持ち上げ、スクワット100回をやり、一汁一菜の朝食をとり、宇治の緑茶を一杯飲んで仕事をはじめ、昼食休憩には寺町を散策して数本の坂道を登り下り、日が暮れるまでまた書き続けて切り上げれば着替えを済ませてジムへ行く……などと胸中にいだいた誓いも数日で霧散し、それでも新年の気配に襟を正して世間を生きて一月をやり過ごしてはみたけれど、二月に入ってみると通常に戻った全体の営みにまみれてこちらも難ない作業ばかり選択して日々を過ごすようになる。 だから、2月は足が速い。閏年であってもそれはかわらず、かくしてちぎって放るように2008年の2月も過去に葬り去られた。まったくもってお粗末くん。 |
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| 2月28日 (木) |
落語入門 「ちりとてちん」編 |
今週の「週刊文春」がお手もとにある方は、ぜひ74ページをご覧ください。堀井憲一郎さんの連載「ホリイのずんずん調査」vol631、題して、『ちりとてちん』見てこれを聴け。 ドラマ「ちりとてちん」の作中に登場する落語をさらに詳しく味わうために、堀井さんが、自身が所有する100枚のCDから演目別に「聴くならこの一枚」をガイドしています。たとえば『愛宕山』なら桂米朝「桂米朝上方落語大全集第一期第一集」(東芝EMI)、『饅頭こわい』なら桂枝雀「桂枝雀落語大全第十一集」(東芝EMI)、『天災』なら立川談志「ひとり会落語CD全集第六集」(コロムビア)など、上方を優先しつつよく厳選されています。堀井さんは、おれがいろんな落語会に行けばほぼ9割(つまり、10回に9回)の確率でお見かけするほどの落語通だけに、これは信用できます。なお、次点のCDも紹介されていて、聴き比べも可能。 ちなみに「ちりとてちん」は桂南光(次点、瀧川鯉昇)で、これはおれもまったく同感であります。ドラマで落語に興味を抱かれた方は、気になる一作だけでも聴いてみてはいかがでしょう……って、まるで落語協会か山野楽器の回し者のようになってしまい、文体まで慇懃な感じに染まった次第。 ついでに言えば、都会に暮らす方はCDを一枚聴いて寄席に足を運ばれれば、なおさら楽しめるかと思います。 |
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| 2月27日 (水) |
崖っぷち |
前夜の自堕落がたたり、ぐったりしたままテレビをつけると、三浦和義氏の続報が流れていた。公選弁護士をつける要求が却下されたらしいが、法廷に入出するその姿や表情を見たり、テープに録音された声、言葉遣いを聴いていると、彼がこの状況を面白がっているように感じてしまう。偏ったポテンシャルが成せるものと察するが、彼の、おれたちには理解し難い闘争心に火がついてしまったのではいか。いわば、彼にとっては、やっかいながらちょっとしたエクスタシーすら感じる状況を与えられたようなものなのでは。だから、おそらく今後の彼の表情は生気を取りもどし、今月よりも来月、たとえばロス市警に引き渡されてからのほうが輝いて見えてくるに違いないと想像する。 彼は若返りますよ、きっと。 流行りのアンチエイジングのようにあれこれ外から施すよりも、内面から活気づいた方が外見も生き生きしてくるのは至極当然で、その究極のパターンのひとつが、崖っぷちに立って敵を反撃する時なのだ。彼はそんな時間を20年ほど送っていたのだが、その端緒は子ども時代の経験にあると察する。かつての書籍や雑誌を読むだけでも、それがいかに歪んだものだったかは想像できた。反撃のためなら嘘は嘘でなくなり、いつしか虚実は混在しはじめ、それらを冷静に合法的にセンテンスに落としてみせるのだ。警察や法廷で不自然なほど彼が冷静なのは、あれはあれで必然なのだろう。 いかんいかん、こんなことばっかり考えていてもしかたない。 とっくに崖っぷちに立っているのは三浦氏ではない、自分ではないか。 |
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| 2月26日 (火) |
11日ぶりの外出、および飲酒 |
19時半まで創作をやり、入浴。きっちり伸びた髭も剃ってさっぱりし、さくっと着替えて外出。なんと冷静になって数えてみれば、11日ぶりにマンションの敷地外へ出たことになる。三の橋にあるポストに葉書を一枚投函してから「あら喜」へ行き、後から来たY田さんとカウンターに向かって生ビールを飲み、すぐに不二才のロックにかえてなまこ酢、空豆、関アジの刺身などをいただいていると、「牛の塩モツ」なる新メニューを勧められ、ならばと注文してそれを食べてみる。と、いやあまあ、抜群の塩加減でニラと牛とスープがからみあいながら口に溶け、どっと幸福感に浸ってしまう。これでさらに酒がすすみ、生牡蛎、沖縄もずく酢、追加のなまこ酢や、鮪の漬けなどをぱくぱくやってしまう。 Y田さんとの落語話も間断なく続き、気持ちよくほろ酔いにいたることができました。やっぱり、週に一、二度は外に出ないといけないかと反省する。舌も脚も弱り、頭がきしきしと固まっていくからな。 |
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| 2月25日 (月) |
漢字が書けない |
5時半、起床。「えいご漬け」で目覚ましトレーニングをやってから懸案の単行本、第三稿。夜までかかって呻吟し、訂正削除加筆、つまり推敲をおえる。今回は10代の人にも読んで欲しいと考え、ルビを多く付けるための作業も加わって苦労した。それにしても、いかに漢字が書けなくなっていることか。読めるけど書けない漢字が加速度的に増えている。ちょっとした喪失感にひたってしまった。 その後は「遺書、拝読」のゲラ戻し。20時半に送ってN西さんと電話で確認をしたところで急激に眠気に襲われ、テレビで世界卓球の日本VSオランダ戦を観た直後、夕食をとらないままベッドへと潜りこむ。 |
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| 2月24日 (日) |
分度器 |
8時、起床。 昨日、三浦和義氏がサイパンで逮捕されたと知って驚く。殺人事件の時効がないアメリカならではと考慮しつつも、あらためて「法と文化」について考えてしまう。殺人を当事者同士の関係性に重きをおいて裁こうとする日本、あくまでも非道の罪として天の立場から裁こうとするアメリカ。その違いを探求すれば、自ずと国の成り立ちに関する歴史性や宗教観にまで及んでいく。 また、三浦氏の数奇な人生についても思いを馳せる。彼のいわゆるバランス感覚が根底のところで壊れているのは、かつて細かく報じられたその半生を見てもわかるが、おれは、「ダ・ヴィンチ」編集長時代に彼と数回の手紙をやりとりしてその狂気にふれ、なるほどと思った次第。彼は当時の「ダ・ヴィンチ」を愛読していて、所内でずいぶん多くの本を読みながらおれを指名して手紙を送ってきたのだ。刑務所の藍色の検印つきとはいえ、その手紙にこめられた何ものかに対する対決姿勢や溢れる感情は、読み返すたびにこちらを不安にさせた。関心と感情の偏在。それが見事に文面に反映していて、歪(いびつ)な彫像を見ているような気分になったことを今でも覚えている。 彼が出所する際には、支援団体から会合への参加を求められた。「三浦さんがぜひお会いしといとおっしゃっています」と言われたが、おれは言下に断った。支援する気もまったくなかった。ただ、困難とは察しつつも、彼の残りの人生ができるだけ平穏であればいいなあとは思った。 夜、テレビで桜庭一樹さんの顔をちらっと見た。「情熱大陸」のエンディング手前の映像だった。彼女は、創刊からそれほど時間がたっていない頃、「ダ・ヴィンチ」編集部を訪ね、おれに面会した。彼女が差し出した名刺には「山田桜丸」とあった。肩書きは「ライター」。たしか、ピンクの角丸の名刺だった。小さい仕事をお願いしたような記憶があるが、正確にはわからない。 思えば、両者とかかわったのはもう10数年前だ。 どうだ。やっぱり、人生は分度器ではないか。仰角の違いは時間がたてばたつほど差異を広げ、生きる景色を変えてしまう。 さて、自分はどうだ?
仰角を点検せねば。 |
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| 2月23日 (土) |
言語漬け |
5時半から単行本の第三稿に専念。12時半までぐわっとやり、ふらふらになって昼食。それからNINTENDO DSの『えいご漬け』で気分を転換するも、初めてやってみるとこれが面白く、ついついムキになって問題を解きつづける。かくして文字通りの”英語漬け”の数時間を送り、さらにふらふらになって机に戻る。と、こちらは日本語の塊。英語と日本語、どちらにせよ厳密な解を探す作業だけに次第に頭がずきずきしてくる。なんでまたあんなゲームで気分を換えようと思ったのか。 2時間ほどゲラとにらみ合い、サッカーの日韓戦を応援してから早々に寝床の人となる。 |
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| 2月22日 (金) |
悪夢に入りこめ! |
結局眠らずに朝食をとり、「Over the book」のゲラ校正をやり、単行本の三校の準備をして書見。それでも眠気は来ず、昼になる。そこでテレビをつけ、BS2でドキュメンタリー『グレゴリー・ペック わが人生を語る』(1999年)を観て『アラバマ物語』と『ローマの休日』を懐しんでいるうちに、映画『戦場のキックオフ』が始まってしまい、こうなりゃどうでもいいやと最後まで観てしまう。期待以上の出来に感心し、戦争の狂気と無常の描き方はほんと国によって違うよな、と感じ入って頭は冴えつづけ、どうしても眠くならない自分がちょっと怖くなる。 17時、18時となっても状態に変化はなかったが、とりあえずベッドに横になり、筒井ワールドの悪夢に意識を託してみた。どのぐらい悪夢に入りこめたかは確かではないけれど、次に目を覚ました時は日付が変わっていた。 最初から最後まで、どうにも奇妙な「猫の日」だった。 |
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| 2月21日 (木) |
チェコ人がくれた凪 |
4時半、起床。6時から「遺書、拝読」vol.52に取りかかる。20世紀前半のバイオリニストについて調べるうちにどうでもいいチェコ人の奏者のことが気になりだし、その時代背景まで読みこんでしまう。したがって原稿は凪のように停滞し、つい筒井ワールドへ逃げ込んでしまう始末。 夜中、再び机に向かい、朝までかかって脱稿。最後の集中力で推敲をやり、編集部へ送信。テンションが下がらず、ぱっちり目を開けたまま悪夢を今、ばっちり見ている。 |
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| 2月20日 (水) |
底なしの悪夢 |
| 4時、起床。5時から創作。「ちりとてちん」を観ながら朝食をとり、その後は筒井さんの『ダンシング・バヴァニティ』(新潮社)を読む。いやはや底なしの悪夢に入りこんでしまったような不気味さを味わう。じっくり読んで狂気に触れてゆこうと明るく誓い、夕眠。21時に起きだして遅い夕食をとり、創作に戻る。27枚まで書いてまた筒井ワールドへ戻る。 |
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