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酔狂記

6月22日 (日) 30歳のおれ
 探し物があって古いバインダーをぱらぱらめくっていたら、1990年11月18日(日)の朝日新聞が出てきた。なんじゃこりゃ、と広げてビックリ。半5段の広告スペースの中、「就職ジャーナル」編集長のおれの写真と"これよりいい本が作れるひと"なるキャッチコピーが。広告主は、もちろんリクルート。写真のおれは正面を向き、担当誌だけでなく「住宅情報」と「とらばーゆ」と「じゃらん」を両手で抱え、タレントまがいの完璧な笑顔をふりまいていた。そういえば、おれは時々、リクルートの広告に出ていたのだった。
 そして。
 写真の自分があまりに爽やかすぎて、数十秒間、たっぷり笑ってしまった。失笑につぐ失笑。スキャナーがあればみなさんにもご覧いただきたいほど笑える代物です、30歳のおれ。過去の残滓って、やっぱり怖い。
6月21日 (土) 近所の地下で歌合戦
 食事やウータのブラッシングで休憩をはさみながらも、終日、「遺書、拝読」第56回の原稿を書き続け、22時脱稿。「あら喜」で一杯やりたかったが無念の閉店時間となってしまう。そこでT夫くんに電話を入れたら、常連のK原さんらと食事に行くからと誘われ、小雨の中、家の近くに二月ほど前にオープンした「バリうま」なるモツ料理の店へ。まずは生ビールで乾杯した後、モツ鍋をつまみながら芋焼酎を飲みつつ、T夫くんのおとうさんやK原さんから昔の六本木の話を聞かさせてもらう。イタリア料理の某老舗店の話はある本で読んでいた内容と重なり、「週刊実話」を読んでいる面白さだった。
 たらふく食べて飲み、2時に店の前で散会後、T夫くんと彼の友人と3人でもう少し飲むことになり、我がマンションの真向かいにあるバーへ潜入。ここは5年ぐらい前にオープンしたのだが、おれが朝ゴミ捨てにいく頃に、酔った女性客がタクシーで帰っていく姿をよく見かけてきたちょっとホストクラブぽい店。訝りつつ地下のドアを開けると、カラオケが鳴り響き、若い男女がカウンターの前にぎっしり。即、踵を返そうかとも思ったが、熱心なバーテンに押し留められ、ほどなくカウンター席へ。会話もままならない喧騒にふらふらしながらバーボンを飲み、この場の状況を堪能する。途中、流行りふうのヒゲを伸ばした丸顔のアンちゃんの誕生日祝いが始まったので、隣の熱唱兄ちゃんに「ところで彼はいくつになったの」と訊いたら、「24」との返答。
 いつしか20代前半の喧騒に巻き込まれ、互いに歌合戦のように歌いまくり、5時過ぎ、これまた若い若いO店長に送られて地上に出たら、空は明るかった。眼前に立つ我がマンションが妙にそびえたって見えた。
6月20日 (金) 森毅先生の芸
 森毅先生はお元気かなあ、と思っていたら、朝日新聞の今週の夕刊で、「人生の贈りもの」なるインタビュー記事に登場されていた。御年、80歳。あいかわらず煙草も吸われているらしい。そこで、教育問題について問われた際、「クラスの人数が少なければ目が届いて、みんなに愛情が注げるって、あれは上からの論理でやりすぎですよ」とチクリ。その論拠は先生自身の一人っ子体験にあるらしい。

 そんなに目を届かされたら、かなわんし、そんなに愛情を注がれたら、困るの。(6/16付け)

 このバランス、この感覚。それをふわっと伝える言葉の力が、森先生の魅力だ。数学者になるか、文学者になるか迷った人物ならではの「芸」だ。
6月19日 (木) 満月
 夜空がみょうに明るいと思ったら、満月だった。膨らみのある円形っていいよな。包容と抑圧の両面がむきだしになっていて、しばらく見続けるうちに、某さんの笑顔と冷静な眼を思い出した。
6月18日 (水) 藤原さんとダ・ヴィンチ
 夕方5時過ぎ、藤原和博さんから電話が入る。杉並区立和田中学校の校長職を任期満了で終えた藤原さんの近況と『あたらしい図鑑』の感想からはじまった話は、いつしか教育問題に移り、その後もいろいろ対話する。相変わらずの話上手にのってしまった。
 思えば、藤原さんとおれが上司と部下の関係になったのは1990年だった。おれが書いた社内懸賞論文に興味をもった藤原さんに誘われ、「就職ジャーナル」と兼務で新雑誌準備室に籍を置いた。最初は二人きりでいろいろ検討し、途中、専任の新人を入れたりしながら新しいビジネスを模索。その後、コンセプトにそった戦略メディアを用意するために「ダ・ヴィンチ」なる商標を入手したのだが、計画していた内容は後に創刊する「ダ・ヴィンチ」とはまったく違うものだった。そして、ここからが藤原さんらしいのだけど、新事業が首尾よくいくことを祈願するために、関係者全員でレオナルド・ダ・ヴィンチの生家を訪ねようと提案してくるではないか。この冗談のようで意味ありげな、ノリのいいモチベーションに対する工夫が彼の持ち味なのだ。こうして彼の地を訪ねた一行は、フィレンツェから車で2時間の山裾にあるオリーブ畑に囲まれたダ・ヴィンチの生家を見学。庭で記念撮影したのだった。
 結局、その事業はスタートすることなく頓挫したが、ダ・ヴィンチの生家近くにあった土産物屋で買った彼の自画像は、今も我が家のトイレの壁に飾ってある。それに何より、雑誌「ダ・ヴィンチ」はまだ出ているではないか。
 何より。
6月17日 (火) おれは生きている
 2001年2月6日、おれは早朝から東京高等裁判所前に並んだ。そして10時、吉岡忍さんとNHKのM田さんと一緒に102号法廷に入り、宮崎勤の最終弁論を待った。裁判の進行上、宮崎が法廷に姿を現すのはこの日が最後だった。弁護士団の一人(若い女性)が遅刻したため開廷時刻がずいぶん遅れたが、いざ始まると宮崎は紙に何かを書きだし、手にしていたペンを回して失敗しては床に落とし、そのたびに警備員に注意されていた。仕方なくペンを離してしばらくすると、背後で弁護士が論を語っている途中に居眠りをはじめて上半身をぐわんぐわん前後に揺らし、別の弁護士から何度も叱られる始末。傍聴席からの視線などまったく気にする気配などなく、彼はただそこに座ってとにかく時間が過ぎるのをつまらなさそうに待っていた。入退時の動きも含め、彼がまぎれもない異常の世界の住人であることは見てわかった。
 宮崎勤の裁判上の論点は、刑法39条の適用を認めるか否か。つまり、彼の責任能力の有無をどうするかに絞られていたのだが、その点に限れば、彼に責任能力があろうはずはないと直感した。一挙手一投足などという言葉では覆いきれない、ささいな動きと動きの連結部すら正常ではないのだから、2時間近く見続けても最初に感じた思いは変わらなかった。あえて言えば、彼は脳内の妄想を計画的に具現化し、きっちり実行に移したのだろう。その「計画的」な部分だけを抽出して法にあてはめれば、彼は国民の圧倒的な期待どおり、死刑になるべき犯罪者だった。

 本日、宮崎とともに死刑になった陸田貴志については、池田晶子さんとの往復書簡集『死と生きるー獄中哲学対話』(新潮社)を読んで興味をもった。彼が本来もっていた知力のレベルの高さは、この本を読んだ方ならわかるだろう。彼については池田さんから直接いろいろ伺ったことがあるが、先に逝ったのは彼女の方だった。

 沈鬱な気分のまま夜を迎えたが、郵便物の中に山崎努さんからのお手紙を見つけて文面を読み、いたく、ひどく励まされた。救われた。
 おれは生きている。
6月16日 (月) さあ発売です。
 ああ嵐が丘。
 『あたらしい図鑑』は、新宿エリアの書店さんからは大きい注文が入っているとのこと。ネットでの販売も始まったようだ。
 みなさん、よろしくお願いします。
6月15日 (日) 満腹で観た中国
 二週間に一度ぐらいはスーパーへ行く。猫のトイレ砂の他にはそんなに買うものなどないのだが、旬の魚と野菜の名前や産地をチェックして店内を巡るから、思いの外、長居してしまう。
 きょうは白金高輪駅に直結しているクイーンズ伊勢丹へ久しぶりに入ってみた。ピーコック魚濫坂店より魚が充実している、などと思っているうちになぜかしゃぶしゃぶが食べたくなり、籠いっぱいに食材を投げ入れはじめる。そして帰宅後、まだ日がたっぷり輝いている18時から牛と豚でしゃぶしゃぶ。黒豚は、ゆず胡椒をつけてぽんずで食べるとグ〜! 野菜も豆腐もしっかり食べ、満腹になって観たNHKスペシャルがきつかった。13億人の医療、とサブタイトルがついたそのドキュメントによれば、民営化が進む医療体制により、農村の人々が街の病院で治療をうけると破産してしまうらしい。何せ、診察券を手にするために徹夜しなければならず、そのために医師別の診察券のダフ屋が出回っているのだから、いったいどこが社会主義なのかと愕然とする。
 おれは昔から、中国の民主化は不可能と主張してきたのだが、その最大の理由は、あの人口にある。日本の10倍、アメリカの5倍。とてつもない格差が生じるのは必然であり、インドのようなカースト制といった格差是認の宗教的背景でもない限りは、政治の力でコントロールするのは不可能だ。人権を認めれば認めるほどに暴動は急増するだろう。だからこそ、思いきって自治権の拡大、あるいは地域別、民族別の連邦制のような展開をはからなければ、いくら沿海部が豊になろうと、全体は歪みを深めるばかりだ。
 別に民主主義が偉いとは思っていないおれとしては、中国が、アメリカとは違う意味での「実験国家」として変化(つまり、政治史には登場しない統治方法の捻出)を実践していくことに期待している。
6月14日 (土) アメリカだ……
 夕方、タクシーで品川の「プリンスシネマ」へ行き、『最高の人生の見つけ方』(ロブ・ライナー監督)を観る。ストーリーは知っていたので、もっぱら二大俳優、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの演技に注目。笑っちゃうぐらい巧いのだが、フリーマンがますます立派な人物を演じる傾向にあるのが気にかかる。裏切ってほしいな、彼には。また、いくつか作品としての瑕(特にエンディング)が判明して苦笑してしまった。それでも、世界漫遊の旅からロスに戻るところで、自家用ジェットの機内からニコルソンがつぶやく、
「アメリカだ……」
 の一言はよかった。
 鑑賞後、「オーバカナル高輪」でモルツビールと赤ワインを飲んで帰宅し、サッカーの日本VSタイ戦を観てから「あら喜」へ。加賀太胡瓜とT夫くんが漬けたらっきょうをつまみに不二才をぐびぐび。2時まで飲んで話して帰宅。即身成仏。
「……アホだ」
6月13日 (金) あたらしい
 昼、NHKハイビジョンでMLBヤンキースVSアスレチックスの試合を観ていたら、我が心の友、松井秀喜が逆転満塁ホームランを打って興奮。ウータとオランのしれっとした視線を浴びながら長い長い拍手を贈る。しかし、13時からは『あたらしい図鑑』の電話取材を受ける。問われるままできるだけ具体的に答え、電話をきって時計を見ると、13時45分だった。
 17時直前、予定どおり郵便局へ行き、手紙付きの贈呈本を3函送る。夜、アマゾンにアップされた『あたらしい図鑑』の表記が『新しい図鑑』になっていたので、初めて訂正依頼をする。この作品は、絶対に「あたらしい」でなければいけないのだ。
6月12日 (木) 体内回路
 7時起床。創作、停滞。逃げこむように猫と戯れ、ネットでいろいろとどうでもいい知識を吸収するうちに停滞気分はさらに増していく。これって目的もなくネットに向きあったときに必ず感じる気分だ。選別せずに本を手に取ってつい読んでしまったときとは、ちょっと違う独特の感覚。これはおれだけの体内回路に起因しているのだろうか。ネットに特別な偏見など持ちあわせてはいないのだけど。
 この一週間、昨夕の近所への外出を除けば、まったく外に出ていない。明日は、せめて夕食ぐらい外でとってみようか。いや、その前に郵便局へ行かねば。
6月11日 (水) 虫のいいお遍路
 7時起床。朝から「over the book」第16回の原稿を書き出すも、昼前から某所の別荘物件のリサーチをはじめてしまい、ついつい長く机の前から離れてしまう。14時に再開した原稿は17時半に脱稿。推敲して送信し、缶チューハイをビールグラスに一杯だけいただいて外出。近所の小川書店で今月号の「文學界」と日高敏隆先生の『ネコはどうしてわがままか』(新潮文庫)を買ってから、炭焼料理の「どんどん」へ。生ビールを飲んでからハツ、砂肝の串焼きを喰らい、モツ塩煮込み、手羽先の大根煮などを味わって帰宅。
 久しぶりのアルコールでほろ酔いになったまま、楽しみにしていた車谷長吉さんの「四国八十八ヶ所感情巡礼」を読む。予想どおり車谷さんの野糞巡礼は続いていて、そのたびに「情けない」とこぼしている。その一方で、歩道沿いのゴミや鋪装などの行政問題にいろいろ注文をつけていた。先月号でも徳島県のゴミの多さを指摘していた車谷さん、そのことを日経新聞のエッセーに書いたらしいが、その内容によって同県から訴訟をおこされたようだ。そんな事もちょっと気にしつつついに最後の寺までたどり着いたものの、その翌日に高野山へ満願報告に向かった際、最寄りの南海電鉄・極楽寺駅でとんでもない粗々をしでかすことに。

 この駅の便所に駆け込んだら、大便用個室は二つとも塞がっていて、待っている間に、大便が出てしまう。パンツもパッチもシャツもズボンも法被も糞で汚れてしまう。お遍路の最後が地獄駅だった。

 「文學界」に短期集中連載された巡礼記の最後がおもらしとは。期待以上のトンマぶり。来月には63歳になる車谷さんの、生真面目なまでに文学と向き合う姿勢とのギャップが鮮やかで、これはこれで見事な締めといえるだろう。
 それにしても、この連載で知ったのだが、巡礼する人々の9割は電車や車を使うらしい。それじゃ意味ないじゃん、と首をひねる。途上で死んでもかまわない覚悟があってこそ「巡礼」なのに、実態は大規模なスタンプラリーとなっているようだ。到底、修行にはほど遠く、悟りを求めるなんてのは手前勝手がすぎる。車谷さんも、そのあたりについては沸々と怒りを感じたらしい。こんな句を残していた。

 虫のいいお遍路の群れ地獄ゆく         長吉
6月10日 (火) あらためて前傾姿勢で
 6時起床。強烈な日射しを浴びて誕生日を迎える。

 お祝いのメールや電話をたくさんいただきました。ありがとうございます。なお、今回の『あたらしい図鑑』の奥付の刊行日は、2008年6月10日になっています。これからの12年間は、まだ体力もあると思われるので、とにかくあらためて前傾姿勢で歩みを進めていきたいと意を固めております。

 その『あたらしい図鑑』が新宿の某大書店でフェアをやってもらえるとの連絡が入る。担当の方が本を読んで強く推してくださっているらしい。素直にうれしい。しかし、浮かれていても仕方ないので、いつもの地味な生活に戻って書見。先月号の「文學界」に掲載されていた西村賢太さんの「焼却炉行き赤ん坊」を読む。私小説の本質はやはり露悪にあるのだろうか。どこか、ネットに書かれた文章を深夜にこそっと覗き読みしている感覚にひたる。

 日付けが変わる前に寝床の人となる。 
6月9日 (月) ロック
 川上弘美さんの『真鶴』(文藝春秋)を再読し、田中慎弥さんの「蛹」を読む。その一方で国会中継を聴く。言葉の選択、扱い、声音、……そのあたりに注意してみれば、語りに味わいがあるのは、実は首相だけだった。なんだか妙な気分になってしまう。が、己の耳が、脳がそうジャッジしているから仕方ない。
 夜、届いたばかりの「NILE'S NILE」6月号を開く。「WATCH in Style 2008」と銘打たれた特集で紹介されている時計のまァ高いこと。「これいいなあ」と思わずつぶやいたパテック フィリップのお値段、2,184,000円。しかし、こんなものはまだカワイイ方で、1000万円台がごろごろあるではないか。金は、いつの世にもあるところには、ある。つまり、金とは遍在するものなのだ。みんなが豊かになるなんてのは幻想でしかないのだけど、大事なのは、だから使い方なんだよな。限定品の高額時計も(職人の技を継続させるという意味では)いいけど、願わくば、若い人が表現できる機会を支援するパトロネーゼに投資されるといい。そのためにも、形としては残りにくい才能の可能性に私財を提供する人々には税の優遇がなされるべきだ。工業国家から知生産国家へ脱却しなければと旗を振りながら、20年たってもいまだに抜本的な税制改革をできずにいるこの国の状況はマドロコシイを超えている。だから、たとえば村上隆さんは、自分でこの国の枠を超えて海外の市場へと出ていったのだろう。

 ロック。
6月8日 (日) 芯の近くにあるもの
 長沼健さんの語りおろしの本を読み、今月号の「中央公論」にざっと目を通して長い昼寝。起き出して遅い夕食をとってテレビをながめ、秋葉原での惨事を知って驚いた。そして、一通りの報道を聞いてまず浮かんだ問いが、「加藤容疑者は、名門、青森高校を出て大学に進学しなかったのだろうか」というもの。つまり、高校卒業時の進路決定に関する内実、背景がわかってくれば、彼の屈折の源がもう少しはっきりしてくると思うのだ。テレビのコメンテーターや司会者は「わたしたちには理解できない」と一様に語っていたが(そんな空疎な言説がインターネットに侵食される理由なのだが)、おれは動機なら理解できる。できなければ小説なんか書いていないのだが、問題は、彼がこのような狂行を実行できた点である。そこにはいくつかの要素があるはずで、それらが重なってからまってどす黒い起爆塊になってはじけたのだろう。その塊の芯の近くに、先ほど指摘した進路問題があるのだと推測する。
 明るい絶望を抱いて生きるのは難しいが、それだけに、「文学の(不在の)責任」のようなものを感じてしまう事件ではある。これを経済や就業の問題、あるいは個人的な資質の問題にして語るのは簡単なことなのだけど。
6月7日 (土) 唯一
 終日セルフ自宅軟禁。万世麺店の焼豚ラーメンを作り、いろんなものをトッピングして食ったぐらいが唯一の創作となった。
6月6日 (金) 四国八十八ヶ所野糞巡礼
 買っただけで放っておいた先月号の「文學界」を開き、小川国夫さんを追悼する花村萬月さんと木崎さと子さんの文章を読む。萬月さんはカトリックの世界観を自分なりに構築する、つまり『ゲルマニウムの夜』からはじまる「王国記」シリーズの執筆をはじめるきっかとなった小川さんの作品についてふれ、その後のつきあいを回想していた。木崎さんは19歳で受礼した小川さんならではのエピソードを紹介し、日本人とキリスト教の関係性の、そのほほえましくも極めてリアルな実相について言及していた。どちらもふと思索が転がっていく刺激的な好文だった。
 しかし、「刺激的」といった点では、車谷長吉さんの短期集中連載「四国八十八ヶ所感情巡礼」にはかなわない。車谷さんが奥さんの高橋順子さんとともに彼の地を巡礼しながら綴った日記が紹介されているのだが、この日々の記録をもっとも輝かせているのは、宗教的な逸話などでは決してなく、車谷さんが遍路の傍らの田畑や草むらに放つ「野糞」話だ。この人、朝に便通がないらしく、どうしても歩いている間に用をたすことになるらしい。毎日ほぼ1、2回は野糞をし、3月31日には警察官が留守中の交番の前でやっている。4月2日にいたるや、巡礼中に5回もしているではないか。

 今日はうんこを五回した。『とうべや』で一度、峠の下で一度、山中で一度、下へ降りて来たところの田んぼで一度、第四十三番札所・明石寺の茶店で一度。一日に五回も糞をした記憶はかつてない。特に五回目はたくさん出た。どうなっているのだろう。

 途中から野糞をする己に嫌悪を感じて落ち込んだりする車谷さん、おかしい。生理現象は肉体のリズムの顕われだから、日々の歩きで内臓が活性化しているのだろう。そう考えると、これも巡礼の成果なのかもしれない。業の深さを自認している人だから、きっと最後の札所までいっても大きな糞を放つに違いない。
6月5日 (木) 読書と創作の関係
 夜明け前に起き、連載コラムの冒頭部だけ書いて冷しゃぶサラダを作り、しっかり朝食をとってからレジュメを作成。10時前に外出し、地下鉄に乗って西巣鴨にある大正大学へ。11時ぐらいから、ゲスト講師として「読書と創作の関係」について講義をする。途中、『あたらしい図鑑』の一部を朗読したり、昨日の朝日新聞に載っていた田中慎弥さんのエッセイの一部を読み上げる。表現文化学科の100名弱の学生さんたちは予想以上にくいつきがよかった。終了後も何人かの学生たちに囲まれ、いろいろ質問を受けたほど。
 講義が終わってからは同大の教授であり編集者としても活動をつづけていらっしゃる渡邊直樹さんと巣鴨まで歩き、庚申塚を覗いてから巣鴨商店街にある「ときわ食堂」に入り、ビール大瓶3本と沢の鶴の生酒を2本飲みながらいろんなメニューをつまみつつ今後の話をする。真昼のアルコールに促され話ははずみ、店を出て巣鴨駅から地下鉄に乗ってもあれこれ。神保町で降りる渡邊さんを見送って白金高輪まで戻り、ウータとオランの餌と雑誌を3誌買って帰宅。夏のスーツを脱いだところではっきりと気がぬけてしまい、夜まで昏倒睡。一旦起きてはみたものの疲れはまだ残っていて、軽く食事をして『切れた鎖』を7行読んだ直後、瞼が落ちた。
6月4日 (水) 寝不足がたたり、ノーコメント
 16時、歌舞伎座へ。六月大歌舞伎の夜の部を2階席から観る。オペラグラスを忘れてしまい、開演前に歌舞伎座のロゴ入りのものを購入する。
 まずは、『義経千本桜 すし屋』で吉右衛門の”いがみの権太”を堪能。吉右衛門の台詞まわしはいつ聴いてもよござんす。去年の3月に観た仁左衛門といい、この役は男ぶりのいい役者はよく映える。次にきたのは、その仁左衛門の『身替座禅』。この演目は何度観ても笑ってしまう秀作で、右京の軽薄なまでの素直さが舞を一層華やかにし、それだけに嫉妬に狂う妻・玉の井の鬼の形相がコミカルに映えるのだ。段四郎の玉の井は期待以上の出来。よかった。
 さて、三番目は『生きている小平次』。幸四郎が九代琴松の名で演出を手がけるとあって話題になっているが、寝不足がたたり、肝心の二幕目で眠ってしまった。だから、この作品についてはノーコメント。登場する役者が三人であること、怪談であること、ぐらいはどうにかわかった。最後の『三人形』は、若衆、傾城、奴の三人が常磐津にのって踊りを披露する演目。歌舞伎が得意とする絵から飛び出したような三人がそれぞれの個性を象徴的に舞う様子は、観ていて単純に楽しくなる。胸の内がにぎわう。そのちょっとした香味を抱いたまま帰途につき、帰宅後早々、寝床の人となる。
6月3日 (火) 新玉葱焼き効果
 少しだけ創作をやり、19時半過ぎ、「あら喜」へ。「週刊朝日」のN村デスク、フリー編集者でご自分で出版もやっているK柳さん、そして朝日本誌でbe編集部のH山さんと会食。新玉葱焼きで決定的にあら喜ファンになったH山さんがその美味さを語る横で、今が旬のメニューをどかどかと注文。みなさんよく食べる。酒呑みは当方一人とあって、不二才をちびちび飲りながらいろんな話をしたが、通してみれば、アルコール度の高い梅酒に酔ったH山さんの企画話(現在取材中のもの)が一番面白かった。長めの記事の素材ながら、小説にしても、あるいは長編のノンフィクションに仕立てても秀作となる代物。H山さん、しっかり書き上げてくださいよ。
 途中、『あたらしい図鑑』をみなさんに贈呈。N村さんとK柳さん、すっと紙面に集中して文章を読み進めてしまう。K柳さんは編集のプロだし、N村さんは講談社ノンフィクション賞を受賞している書き手でもあるから無理もない。が、新たな料理がくれば”いきなり読書”も中断、箸を手に取ってまた話がはじまる。みなさんにはじゃこ飯とみそ汁で仕上げてもらい、23時、店の前で散会。その後、「あら喜」と「acalli」にも本を贈呈し、サインをして帰った。

 麻生太郎と社長になった島耕作が表紙を飾っている今週号の「週刊朝日」に、『赤めだか』の書評が載っています。お時間がある方はご笑読ください。
6月2日 (月) 背中あわせ
 竹内まりやの新しい歌が流れていて、自由と孤独は背中あわせ、みたいな歌詞を聴いた。実も蓋もない真実を歌にしちゃってと苦笑する。

 最近では、肥った猫というよりも毛の長い小アザラシのように見えてきたウータだが、洗面室にあるトイレで用をすませると、大きな甘ったれた声をあげながらこちらに戻ってくる。ウータがまだおれの肩に乗るほど小さかった頃に、排泄をすませるたびに「お見事、お見事」と賞賛しすぎたからか、今でもかならず褒めてほしがるのだ。もしも無視していると、おれの膝に硬い頭をおしつけたり、さらに啼きわめいたり、ついには飛び乗ってくる始末。だから、ソファで本を読んでいても、机に向かって原稿に呻吟していても、ウータの突然の甘声が近づいてくるとこちらも身構え、待ってましたとばかりに頭を、喉を、耳の横を、これでもかと撫でまわしてやる。

 今、これを書いているおれの隣でウータが眠っている。左目だけでなく鼻も悪いから寝息がうるさい。耳の先端を指ではじいても、髭をいじっても、起きる気配すらない。
6月1日 (日) 無精髭をさらして
 朝から仕事。ネット上だけで読める『あたらしい図鑑』の著者あとがきを書く。3枚で仕上げ、送信。その後、昼寝してから講義のための資料である『エレクトラ』を読む。実に素晴らしい評伝。日本でもこんな作品ができるのだな。作者と版元に敬意を表しつつ、次々と湧いてきたアイデアをメモに残す。
 夜、o野くんから低評価を受けた隣のピザ店へ行き、ビールを飲みながら鰹のカルパッチョとピザを喰らう。店内は満員で、店先には入店を待つ人が立っている。日曜日の夜らしく家族づれが目立つ。無精髭をさらしたこちらは小一時間で食事をすませてサッと帰宅し、グラス一杯のビールでご機嫌になった体をソファに横たえると、いつの間にか眠っていた。
5月31日 (土) 去来
 5月も終わっちまった。
 やるぞ、6月。
5月30日 (金) 客がいない店探訪記
 近所にある某飲食店Rは、おれがここに越してきた10年前にはすでに営業していた。しかし、客が入っているところをほとんど見たことがない。白金高輪駅ができて近所にマンションが増えたり、通勤してくる人の数が急増しても、その状況はかわっていない。どう考えても潰れてもおかしくない店なのだが、2、3年前には改装して店の雰囲気だけは明るくなっていたりする。資産家が暇つぶしにやっている店なのかしら、とも思ったりしてきたが、本日夕方、書店で雑誌を買った帰りについに中に入ってみた。
 八畳ほどの店内にはテーブルが六卓あった。もしも全ての席に客が座っていたら、間違いなく息苦しさを覚えるだろう。その中央の席で主人の知り合いらしい初老の男が一人、焼酎の水割りを飲んでいた。おれの登場に気をつかったのか、その男は主人に勘定を頼んだものの「もう一杯だけ」と言って酒を追加し、また席に座った。おれはもやしラーメンにするつもりだったが、メニューに「チャンポン」の文字を見つけて意外に思い、それを頼んだ。60代前半ぐらいの主人は厨房に入ったが、先客との話は続いた。2人の声は店内に響き、おれが無理やり雑誌の記事に集中しようとしても話の内容は全部はっきりと聞こえてしまう。しかも、先客はすでにかなり酔っていて、会話はしょっちゅうずれてしまい、調理中の主人が声を荒げたりすることもしばしば。さらには主人の奥さんらしい人が買い物から帰ってきて、店内には3人のどうでもいい話声が間断なく響きわたる始末。もうここで帰ろうか、とも迷ったが、とにかく料理の味を確かめるまではとふんばり、黙ってまっていると、中華丼のようなチャンポンがテーブルの上に……。
 確かめるまでもないと一目でわかったが、こうなったらと恐る恐る箸を伸ばしてみた。無論、こんなものはチャンポンではない。ラーメンでもない。細い麺に貧弱なイカや野菜がまぎれ、それらが、まるで天津飯にかけるようなあんかけに覆われているのだから。長崎チャンポンを愛する者としては地獄絵図を見ているような気分だった。
 おれは水を飲みつつ数回箸を運び、そして650円払って席を立った。丼にはまだ3分の2ほどの”チャンポン”が残っていた。
 客が入らない飲食店は潰れるべきなのだ、と強く思った。その店は、資産運用の一環としてやっているのだろう。いわゆる節税だ。店が赤字でもマンション経営がうまく回ればどうってことはないのだ。まあそれでも、いい勉強にはなった。
5月29日 (木) 石井孝典写真展『EDIRNE』(~6/16)をご高覧ください
 19時過ぎ、地下鉄に乗って浅草まで行き、A5出口から出て右手すぐの場所にある「Gallery ef」へ。石井孝典写真展『EDIRNE』のオープニング・レセプションに顔をだし、蔵を改造したギャラリーでまずは写真を見る。トルコの西端にある街エディルネで、”真の勇者”を決めるために行われるトルコ・オイルレスリング。そこに集った彼の地の男たちはみな、全身にオリーブオイルを浴びて光沢を放ち、激闘のなごりを体にとどめながら写真におさまっていた。
 孝典はこの写真を撮るために4年間エディルネに通った。おれが最初にその写真を見せてもらったのは、2度目の訪問を前にしたときだったが、孝典の写真家としての美点がよく出ていて感心し、兄の慎二(いしいしんじ)ともども写真展ができないものかと思案した。アイデアはいくつもあり、それはちゃんと動けば実現可能なものと思われた。だけど、すでに編集者を辞めていた身としては簡単にはいかず、彼が仕事をしている編集者にいくつか提案してみてはとアイデアを預ける形にとどまった。その後は時間ばかりが流れ、孝典の彼の地訪問も終わりを迎えたが、思いは実を結び、この展覧会となった。
 ギャラリー内にいた孝典とひしと握手を交わし、慎二兄(孝典のために動くいしいしんじには”慎二兄”という呼び方がやっぱりふさわしい)から『ペルソナ』(草思社)で各賞を受賞した鬼海弘雄さんを紹介してもらい、セイちゃんと一緒に歌舞伎や落語の話で盛り上がる。セイちゃんは13年間も歌舞伎界に身をおいていた本物の女形だけにいろいろ教えてもらい、鬼海さんとは志ん朝の口跡の見事さと小川国夫さんの文体について話しこむ。あっというまに0時を迎えてみなさんが帰路についてからは、石井兄弟と3人で、写真集をどうすべきかについて少し議論し、ホテルに戻る慎二兄を見送ってタクシーに乗り込む。そして、「盛運亭」に寄ってあらためてビールで乾杯し、ラーメンを食って孝典を見送る。
 とにかく、よかった。
5月28日 (水) 一部停止
 酒の影響もなく朝から動いていたのだけど、練り歯磨き粉と洗顔クリームを間違って歯ブラシに出してしまったり、浴室でボディソープとリンスを間違ってタオルに出してしまったり、日常生活面でいちいちつまずいた。脳のどこかが起きてなかったんだろうな。そのまま夜までいってしまった。
5月27日 (火) かしこまれば、こっぱずかしい
 おとなしく机に向かって17時半まで過ごし、シャワーを浴びて外出。新宿の末広亭の前でゴブリン書房のT田さんと落ち合い、近くの居酒屋「鼎」へ。そこでいしいしんじ君と合流し、『あたらしい図鑑』の打ち上げ。
 いしい君には今回の本の帯文を依頼し、作品の特長を的確に、しかも少年たちにもわかるような素敵な小文を寄せてもらった。もう10年以上前、いしい君の『とーきょーいしいあるき』(現在は新潮文庫で『東京夜話』と改題)の帯文と解説はおれが書いた。あらためて数えてみれば、もう20年のつきあいだ。だから二人は、どこかこっぱずかしい。
「まさか、俺が長薗さんの帯文を書くとは」
「でも、第一稿があがった時点で、絶対にいしいに読んで書いてもらおうと決めてたんだ。な、T田さん」
「…………、はい」
 お礼に本に一言書き、サインを記す。それからは、最近までニューヨークへ行っていたいしい君の現地での話や、サル学の近況や、 詩や、なぜか関さんの話や、いろんな土地の話や、『シーラカンス』誕生秘話や、仏領インドシナを描いた本や、石井孝典が写真家になるまでの顛末などについて美味しい日本酒を飲みながら話す。じゃあもう一軒、ということで流れた先は、なんと、9年前の冬、亀谷のお通夜の後に行った店だった。その時と同じテーブル席に座って今度は小説の話。正確には昨今の出版状況について批評する。その一方で、大阪の話も真面目にする。いしい君、いつもより厳しく具体的な指摘をくり出す。面白い。しかし、三鷹まで帰らなければいけないT田さんをこれ以上付き合わせるのは気が引けるので1時半に散会し、いしい君を山の上ホテルまで送って帰る。
 明後日、またいしいしんじ君と会う。きっとまた飲む。絶対にまた話しこむだろう。
5月26日 (月) できるだけ先っちょまで
 ぐんぐん気温があがっていくのが、窓越しに外を眺めているだけでわかる。品川の高層ビル群の先に降下していくジェット旅客機を四機数えて窓辺を離れ、パソコンをひらいてニュースの見出しを見たら、川田亜子アナウンサーの自死を伝えていた。29歳。港区海岸の路上に車を止め、後部座席に練炭を置いていたとのこと。そんな記事の下にはられたリンクにしたがって彼女のブログを読んでみると、5月14日の内容がすでに遺書だった。もうここに書くことをやめます、と告げてフルネームを記してあった。しかし、その数時間後には、やっぱり、とことわってまた書いている。自分では制御できなくなった彼女の精神状態が、割れたガラスの欠片のように点在していた。
 面識もなく、本格的な美人だな、ぐらいしか関心をもたなかった人物なのに、彼女の死のニュースをきっかけにとめどもないあれこれを、結局、終日考えてしまった。いや、今もまだ引きずっている。こればっかりはどうしようもないから、連鎖していく思いのできるだけ先っちょまで行ってみることにする。
5月25日 (日) 崩落の千秋楽
 14時半、両国駅で関さん、千葉さん、奈良さんと待ち合わせ、千秋楽の国技館へ向かう。枡席に座るやいなやまずはビールで乾杯し、奈良さんの奥さんが作ってくださった巻寿司をいただき、焼き鳥を食い、熱燗を飲む。序二段の優勝決定戦に登場してきた巨体の若い力士の、雪崩をうったような乳房や腹の肉に目を奪われ、いったいどんな相撲をとるのかと期待しつつ注目していたら、ちょっとバランスを崩した直後、自分から土俵に崩れ落ちっていった。
「肉の崩落だ!」
 思わず大きな声をだしてしまったが、全員が納得し、彼のしこ名は「崩落」となってその後もしばらく話題を独占した。一見の価値がある異様なまでの肉体。いいものを見せてもらったとまた酒を飲み、淡々と進む取り組みを楽しむ。二年ぶりの観戦だったが、高見盛の人気は相変わらず。安馬の人気は高まる一方。しかし、この日はなんといっても初優勝を決めている琴欧州と、昨日来日して喝采を浴びた彼の父親が主役で、おれたちの席の近くにいた父親のもとにはひっきりなしに人が訪れて握手をしていた。おれもトイレの帰りに握手を交わしたが、指の骨がおれの倍は太かった。
 さて、千秋楽の最後を飾る横綱同士の一戦は、すでに報道されているとおり、一瞬にして険悪な気配につつまれてしまった。残念、という論調が多いようだが、何の、あれはあれでよかったのではないかとおれは思う。あのぐらい、少々前のめりのプライドがぶつかっていかないと、この日もたびたびあった無気力相撲は撲滅できるわけがない。
 ほろ酔い気分で国技館を後にしたおれたちは近くのちゃんこ屋の座敷に上がり、あらためてビールで乾杯。そして最初の中ジョッキを空にしたとたん、おれは、参加する予定だった荒木先生の68回目の誕生日パーティーをあきらめた。珍しくちゃんとスーツを着て、革靴まで履いてきたのだけど、こうなるともうどう仕様もなく、ただ「流れ」に従う。そうなると増々勢いづき、最後は関さんと根津まで流れて飲み直し、北京の玉三郎や映画の話をして泥酔。久世さんの話題になったときには、関さん、得意の歌まで披露してもうゴキゲンサン。おれはおれで小説の話をまだまだとつづける始末。まるで、二人で相撲をとっているような夜更けとなった。
 流れ流れてタクシーで帰宅してほどなく、見えない誰かにあびせ倒され、「崩落します!」と叫びながらベッドに体をうちつけた。
5月24日 (土) 不整脈に思う
 最近では滅多になかった3日連続の深酒をやってしまい、体を休めようとじっとする。かつて激務にさらされていた頃に体感した不整脈すら生じていて、小一時間、左胸の圧迫におどおどしながら過ごす。こうなると何をやっても、見ても、聴いても息苦しく、とにかく目を閉じて眠りがくるのを待つ。
 これがもうちょっと強まれば死ぬんだな、と脳が理解していて、それを同時に理解している脳の働きに感じ入る。複雑な意識の処理を、よくもまあこの脳は休みなくやってるもんだなと、今さらながら感心する。感心して苦しんでいる自分が滑稽になり、やっと少しだけ眠ることができた。
5月23日 (金) 真夏日ってだけで
 夕方、とはいってもまだ日が高い4時過ぎに歌舞伎座へ行き、チケットセンターで6月28日の「談志、談春親子会」の券を購入後、そのままぷらぷら歩いて伊東屋。久しぶりに万年筆で手紙を書くために、モンブランの瓶インクを求めて有楽町へ移り、真夏日となった西銀座の街を歩く人々をながめながらアイスコーヒーを飲んで三田に戻り、またぷらぷら歩いて開店間もない「あら喜」へ。
 おれにとって盛夏の到来の証である”加賀太きゅうり”を肴に生ビールを飲み、鰹の刺身、新牛蒡とハムのマヨネーゼをつまみながら不二才をロックでいただく。それから懐妊のお祝いを伝えに「acalli」へ上がり、赤ワインを飲みながらK二くんとYちゃん夫妻といろいろ話す。途中、仕事を終えたあら喜のT夫くんがグラス片手に横に座り、談笑。ならばとo野くんを呼び出し、片づいたあら喜で飲み直す。いろいろ話しこんで散開し、o野くんを誘って「盛運亭」でチャーハンを喰らって帰る。
 今年初の30℃越えについ浮かれ、飲んで食って喋りまくって夜をやりすごした。芯から疲れた。
5月22日 (木) 是々非々
 本日は麻布十番の「あん梅」で富乃宝山のロックを飲みつつ鰹の刺身などをいただく。是々非々の筋を通す。しかし、喋り疲れた。
 O野さんの携帯がちゃんと見つかってよかった。
5月21日 (水) 生き霊
 昼前から机に向かい、18時半、「遺書、拝読」第55回を脱稿。推敲してN西さんに送り、シャワーを浴びて恵比寿へ向かう。20時前、「の坂」という和食店で小学館のO野さんと合流。早速エビスビールの生で乾杯し、早々に冷酒に替えて旬の刺し身をいただく。のどくろ、いい甘みがでていた。また、同店自慢の軍鶏(シャモ)ロックはとびきり美味く、ついつい酒を飲み過ぎる。肝心の小説の構想について話しているうちに話題は横へ、あさってへと移り、O野さんの生いたち話に聞きいってしまう。
「すげえ話だな」
「いやあ、も、ほんとですよ」
「守護霊がどうだとか幽霊がどうしたこうしたとか言ったって、生き霊に比べたらどうってことないよな」
「そうそう」
「どっちかが死なない限り続くんだから」
「殺すか、殺されるか」
「いやあ怖えぇぇぇぇえぇぇえっぇえええ」
 ってな感じでまた酒を飲む。途中、O野さんの携帯に入った電話の相手が「ダ・ヴィンチ」時代にお世話になった某有名編集者とわかり、久しぶりにお話をする。今度は会って話しましょうね、T野さん。
 さてさて、その後は珍しくO野さんが酔ってしまい、最後はご主人が待つマンションまで送って帰った。それでも実に意義深い、後々きっと発酵してきそうな知的に刺激の多い夜だった。O野さん、ありがとう。
5月20日 (火) 太宰をふった女
 午後3時、書評原稿を脱稿。『赤めだか』は、久しぶりに書いていて充足を覚える本だった。じっくり推敲して編集部に送信し、そのまま「over the book」第15回のゲラ校正に移る。茂木健一郎さんの話題の勉強法について言及した原稿をいじる。
 その後はパソコンの勉強と『ノンちゃん 雲に乗る』(福音館)の再読。創作だけでなく、『クマのプーさん』をはじめとする海外の児童文学を日本に紹介してきた石井桃子さんは真に立派な人だと感心する。筋が通っている者は、男であれ女であれ、畏怖する存在だ。そんな彼女は若い頃、太宰治から交際を求められて断ったらしい。お互いのためにもいい選択だったと、両者の読者であるおれは、今、思う。まあ、後づけの意見ほどつまらないものはないんだけど。1637。
5月19日 (月) 思えば、
 終日セルフ自宅軟禁。
 午後から満を持して「週刊朝日」の書評原稿を書く。対象は立川談春の「赤めだか」。「en-taxi」連載時の原稿を再構成しつつ訂正、加筆されたその内容は、一言で云えば、傑作です。見事な筆力、記憶力。
 思えば、落語と日本の近代文学の関係は深く、二葉亭四迷が言文一致の魁となった『浮雲』を書く際、名人圓朝の口跡を参考にしたのは周知のとおり。談春の場合は、まるで高座でのまくら語りからすっと人情噺に移ってみせるような展開と、回想に埋没せずに過去を眺めている冷静な目と思惟が効を奏し、落語ファンでなくとも、師弟とか修業の内実について考えさせられるはず。
 しかし、書きたいことが多すぎて脱稿できぬまま、目眩にひきづられて卒倒睡。1792。
5月18日 (日) そんな一日
 寝る前、万歩計を見たら793。つまり、そんな一日だった。
5月17日 (土) 舞いあがったことは続かない
 霞がかったまったり空にむずむずし、麻布十番まで散歩に出かける。行きつけの花屋で青の紫陽花とすでに名前を忘れてしまった小さな花を買い、書店をのぞいてから帰途につき、三の橋の「さくら苑」でコーヒーを飲んで帰宅。しかしすぐにまた出かけ、ドラッグストアーで電動歯ブラシやシャンプーなどを買って帰る。
 こんな近所巡りの間、ことあるごとに万歩計を見てしまう。万歩計ごときに舞いあがっているんだろうな、おれ。でも、何でもそうだけど、舞いあがったことは続かないと一方で覚めている。
 夜、『トップセールス』を観てから植物の植え替え。就寝前、万歩計は6866を記録していた。
5月16日 (金) 『あたらしい図鑑』ついに完成
 書見と創作で15時まで過ごし、シャワーを浴びて外出。地下鉄南北線で四谷まで出て中央線に乗り換え、吉祥寺で降りてパルコにある「近江屋」なる喫茶店でゴブリン書房のT田さん、T佐さんと合流し、来月中旬に発売となる『あたらしい図鑑』の見本を受け取る。
 帯を大胆に使ったデザイン、発色のいいヒマワリの写真、いしいしんじ君が寄せてくれた推薦コメント……、それらが相まって素敵なカバーになっていた。ありがとう、T田さん、T佐さん。一人でも多くの人に読んでもらえるよういろいろ動こうね。
 ということで、八丈島料理の「浜やん」に移動してT田さんと二人で打ち上げ。身重のT佐さんは残念ながら不参加。それでもおれたちは生ビールで祝杯をあげ、旬の刺身、ぬた、豆腐コロッケ、海ぶどう、豚ガッツ、豆腐ようをつまみながら島焼酎をぐびぐび飲み、あれやこれやそれや、あっちやこっちについて間断なく話をつづけ、22時、駅前で別れた。ほろ酔い気分で電車に乗り込んだおれは、もう少し飲みたくなり、四谷からタクシーに乗って南麻布へ行き、2週間ぶりに「flask」へ。途中でo野くんを呼び出してカウンターで飲み、1時半、二人でたらたら歩いて帰る。
 本日の万歩計は8359歩を記録。とりあえず新記録。
5月15日 (木) この生活では万歩はムリ
 万歩計をつけながら夕方まで創作。何の意味があるのか本人もわかっていないのだが、気分転換に古雑誌を捨てにいったり、飲料を買いにいったりするたびに歩数を見る。ならば、2ヶ月ぶりにジムでもいくかと準備をはじめるが、着替えつつテレビニュースで四川省大地震の最新映像を観て動きがとまり、上半身裸のまましばらく過ごす。
 夜、ウータを抱いて寝る前に万歩計を見たら、2083歩だった。
5月14日 (水) 26歩
 「ダ・ヴィンチ」の創刊準備に入った1993年の秋からつけはじめた「読書録」。ここ4ヶ月書いていなかったので順不同で記入しているうちに本の整理をはじめてしまい、いつものように収納場所がなくなって呆然。悄然。

 石井孝典くんから届いた写真展のカードを壁に貼る。トルコ相撲の勇者の油に濡れた胸筋がまぶしい。

 仮想をいだきつつ谷崎の『痴人の愛』(新潮文庫)を3章分だけ再読。いつ読んでもスムーズな語り。これが実はとても難しいのだ。ほれぼれ。

 夜、生まれてはじめて万歩計をつけてみる。ならばと溜まった雑誌を捨てにゴミ集積所まで行って帰って数字をみたら、26歩だった。ひょっとしたら、リハビリ中の父よりも歩かない日々を送っているのかもしれない。おれ。
5月13日 (火) クイ、クイ、クイ
 5時半、起床。寒さのために何度か目を覚ましてしまい、頭は漫然。前日にO野さんからいただいた白石一文さんの新刊、『この世の全部を敵に回して』(小学館)を読むうちにうたた寝し、気分を変えようとつけ麺やらゆで卵を作って食べ、「Over the book」のvol15を書く。夜、脱稿。推敲して編集部へ送り、直後に届いた岡潔さんの『情緒と創造』(講談社)を読む。
 20世紀の日本が世界に誇った数学者の随想は、やわらかい日本語をつらねながら「こころ」や「いのち」などの本質に、クイ、クイ、クイと等間隔の三段跳びのように迫っていく。その内容はどれもが彼の哲学の開陳となっていて、やわらかい言葉で難解の道筋を歩んでいる様が浮かび、他にはない味わいがすうっと広がっていった。「私の数学は、情緒を数学という形に表現したもの」と語った人物ならではの、香ばしい煙に包まれたような余韻が残った。
5月12日 (月) ゆるりと光明
 5時半、起床。午前中は文庫本の解説のゲラ校正をやり、大幅な改稿に集中して昼過ぎに終える。それから服を着替え、タクシーで白金台の都ホテルへ行き、O野さんと打ち合わせに臨む。元々は先月の11日に予定していたのだが、父が倒れたため延期してもらっていたブレスト。軽く昼食をとり、コーヒーを飲んでいろいろ話しあう。お互いノートを用意しての模索。男と女、世間と自意識、肉体と記号、外面と劣情、谷崎潤一郎の下半身、……ゆるりと書きたいことが見えてくる。いつしかコーヒーを4回お代わりしていたが、おかげで冒頭部、長編で云えば1章分ぐらいがおれの頭に浮かび、思わず「書けるかも」と声に出る。その先は書きながら考えていけばいい。
 夕方まで意見を交わして次の打ち合わせ日時を決め、ホテル前の日吉坂を白金高輪駅まで歩いてO野さんを見送る。天の攪乱のような寒さに震えながら帰宅し、もう何も考えられなくなって夜まで過ごし、ウータで暖をとりつつ納得睡。
5月11日 (日) ぎみ
 へなちょこ体質のためか、いきなり風邪ぎみ。ぎみ、で終わらせるために、明日締切の仕事を憂いつつもほとんどベッドで過ごす。きっと大丈夫。
5月10日 (土) 寒い5月の土曜日
 未明、不意に思い立ってビデオとDVDの棚をあさり、『隠し砦の三悪人』(黒澤明 1958年)を観ることにする。これも10年以上前に買って、そのままになっていた一品。昔、今はなき名古屋の小さな名画座で観た記憶はあるものの、冒頭から初めてみるのと変わらない鮮度で眺める。しかし、千秋実と藤原釜足(『スター・ウォーズ』に登場する二種のロボットの原形となった名コンビ)の城下からの逃亡と三船敏郎との邂逅場面を観ているうちに寝入ってしまい、目を覚ましたらすでに1時間がたっていた。
 仕方なくビデオを止め、あらためて昏倒睡をとり、昼過ぎに起きだして溜まった新聞を読んで片づけ、シャワーを浴びて外出。予約していた「vi-ta」でカットとカラーリングをしてもらい、帰宅後、連絡業務をこなして久しぶりに「あら喜」へ。自宅からワンブロックの距離を歩くうちに体が冷えきってしまい、最初から不二才を飲み、鰹の刺身、アサリの酒蒸し、牛蒡とハムのマヨネーゼ、牛肉と新じゃがのあわせ煮、冷奴を喰らう。店内に漂うほのかな暖房とあいまって体があたたまり、急激に眠気を覚え、早々に帰宅。『トップセールス』(NHK)をどうにか最後まで観たところで目が閉じはじめ、尻尾の長い小熊のようになってしまったウータに先導されてベッドの人となる。
5月9日 (金) 台風2号
 池内紀さんの『出ふるさと記』(新潮社)を少し読む。金子光晴、やっぱり素敵。高見順、不可抗力の哀しみ。次の本の見本が16日にあがってくると連絡ある。直後、台風2号が発生したと知る。1号はいつ生まれ、いつ消えてなくなったのか。知らないうちに2号だ。
5月8日 (木) 分量のある長い作品
 季刊誌「考える人」(新潮社)の春号は〈海外の長編小説ベスト100〉特集を組んでいる。翻訳家や作家や文芸評論家らにアンケートをとり、各人に10作品を選んでもらった総計でランキングを決めているのだが、これはいい資料になるとその一覧を見て、ちょっと感じ入った。
 1位の『百年の孤独』から100位の『悪徳の栄え』まで、おれはそこにランクインした作品のほとんどを持っている。海外の長編小説に本格的に手を伸ばしはじめた中学生のころから今に至る30余年の間に身辺に溜まったらしい。新しいところでは、昨年、亀山郁夫訳で初めて完読できた『カラマーゾフの兄弟』。原卓也訳、米川正夫訳も、本棚の奥にある。このようにとにかく「必読の名作」と聞き知った作品は少年時代から買い集め、誰に課されたわけでもないのに読むように努めてきた。
 しかし。
 正直に告白すると、ちゃんと最後まで読み通せた作品は、指折り数えるほどしかない。100位以内では次のようになる。
 『ユリシーズ』『異邦人』『ガープの世界』『変身』『ホテル・ニューハンプシャー』『予告された殺人の記録』『ガリバー旅行記』『罪と罰』『悪童日記』『ライ麦畑でつかまえて』『悪霊』『ハックルベリイ・フィンの冒険』『パルムの僧院』『千夜一夜物語』『路上』『日々の泡』『ハワーズ・エンド』『若い芸術家の肖像』『冗談』『ムーン・パレス』『存在の耐えられない軽さ』『ブリキの太鼓』……………。
 たとえば、4位になっているセルバンテスの『ドン・キホーテ』は、今度こそ完読するぞ!! と息巻いて箱入り全6冊セット(牛島信明訳 岩波文庫)を購入したまではよかったが、いまだに一度も箱を開けていない。箱の上に掃除用のハンディ・モップが置かれてかれこれ1年半になる。プルーストの『失われた時を求めて』にいたるや、本棚と天井の狭間に鎮座して、もう10年近く動いた気配すらない。
 ……こんなふうに、海外の名作長編小説は近くにあって遠い存在だ。10点手にとって完読できる確率は、おそらく3割にも達していないだろう。それでもいつか読破することを信じて、思い出したように何度でも挑むのだ。

 分量のある長い作品を読んだ人は、その作品をわるくいうことはない。かけた時間と、自分自身がむなしくなるからだ。読み切ったから、傑作だと思うのか。読んでみて、とてもよかったからいいものだとするのか。区別が見えにくくなる。

 これは、アンケートに回答していた荒川洋治さんのコメントだが、とても巧く本質を射ているとおれは思う。少なくとも、最後まで読ませた長い作品は記憶に残る。自分のかなりの時間を費やした作品だけに、評価云々以前に好敵手として人生に刻まれる。
 ところで今、おれは、なぜか『高慢と偏見』(ジェーン・オースティン)に再挑戦したくなっている。
5月7日 (水) 勝鬨橋
 たまにしか観ないから細かい展開はわからないが、朝の連ドラ『瞳』は舞台が月島とあって、気にはなる。
 1988年1月から1998年8月までの10年半、おれは勝どきに住んでいたから、ドラマに頻繁に登場する西仲島商店街が懐かしい。勝鬨(かちどき)橋にいたるや、毎日そこを渡って銀座のオフィスへ通っていた。銀座で飲み過ぎ、ふらふら歩いて帰途をたどり、すでに新しい朝の市場があいた築地に立ち寄ってトラックの運転手たちとマグロ定食を喰らい、止せばいいのにまたビールをかっくらい、へろへろになって自宅があるマンションを目指して再び歩きだし、勝鬨橋の上から何度も嘔吐した。死んだ亀谷が背中をさすってくれた記憶も二度三度あるが、一人でたたずんでいることが多かった。夏でも冬でも、隅田川から上ってくる川風は気持ちよかった。
 27歳から38歳までを過ごした月島。その間は、思い出すだけで吐き気を催すほどに忙しい日々だった。だからなのか、ふと浮かんでくるあの町の光景は、結核になって自宅療養しているときの真夏のものばかり。「ダ・ヴィンチ」を創刊して4ヶ月しかたっていなかったが、朝、日比谷病院へ行って注射を打たれて帰宅し、編集部との連絡業務を終えるとやるこはなにもなく、近所の運河の堤防でよく昼寝をした。手には安部公房の文庫本。『砂の女』や『箱男』を読み返しつつハゼ釣りに興じる年老いた男たちや子供たちをながめていた。子規の日記も読んだかもしれない。
 残暑も薄れるころ、結核は完治した。おれは、日焼けした顔で職場に戻り、また毎晩飲む生活に突入していって、その冬、勝鬨橋に初めて雪がつもった夜、久しぶりに橋の上で吐いた。
5月6日 (火) 知らざあ言って聞かせやしょう
 7時起床。少しだけ原稿を書き、『ちりとてちん』総集編の後半を観る。あらためてながめて観ると、和久井映見の演技の巧さがやたらと目立った。彼女はいつからこんなにいい役者だったのか? 認識をあらためる。
 その後は『赤めだか』を読んで感心しながら15時を迎え、シャワーを浴びて歌舞伎座の團菊祭へ。明治の頃、歌舞伎人気を二分した九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎を偲ぶため、昼の部は義経千本桜、夜の部は白波五人男といった大物が用意されている。義経千本桜を三度観ているおれとしては、やはり珍しい方をという思いから後者を選んだ次第。
 今般は、弁天小僧菊之助・菊五郎、日本駄右衛門・團十郎、忠信利平・三津五郎、赤星十三郎・時蔵、南郷力丸・左團次といった組み合わせでおなじみの話が展開。河竹黙阿弥が錦絵から着想を得て書いた作品だけあって、各幕の節目には、舞台の上に巨大な絵ができあがる。その美しく華やかなこと。初演から100年余りにわたって練られてきた美術が役者たちを引き立てる。その上で、歌舞伎を観たことがない人も聞き知っている名セリフが菊五郎の口から発せられ、こちらはニンマリしながら聴き惚ける。

 知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白波の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの児ヶ淵、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭を、当てに小皿の一文字、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講を札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局(つつもたせ)、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた祖父さんの、似ぬ声色で小ゆすりたかり、名さえ由縁の弁天小僧菊之助とは俺がこった。

 よろしいなあ。
 いい語りには必ずいいリズムがある。そのリズムが連なるうちに聴く者はほのかな陶酔にふれ、快感をうながすメロディーすら聴いてしまう。いい落語を聴いたときと同じ気分にひたり、さらには役者の美姿と彩られた背景に目までくすぐられて心が解放されていく。弛緩する。こればっかりは日常生活ではなかなか得られない体験で、だからこそ高い金を払ってあの箱(歌舞伎座)へ足を運ぶ。だからこそ、下手な役者やつまらない芝居は心から疎ましく思ってしまうのだ。
5月5日 (月) 立夏の一日'08
 未明から朝方にかけ、久しぶりにMLBの中継(ヤンキースvsマリナーズ)を観る。松井は14試合連続のヒットを放っていたが、バッティングの始動が遅れ気味で、云われているほど好調には見えなかった。イチローははっきりと今ひとつ。佐世保の星、城島はまだまだ地を這うような状態だった。
 試合終了後、立夏の朝らしく素麺で食事をすませ、どかどかと宅配便で届いた7冊の本をソファ脇に積んで8時35分、満を持して『ちりとてちん』の総集篇にチャンネルをあわせる。テーマ曲が流れただけでもう気持ちが高揚し、そのまま前編終了までじっくり鑑賞して3度涙を流す。枝雀の『崇徳院』が聴きたくなったがさすがに我慢し、代わりに談春の『赤めだか』(扶桑社)を読む。落語同様リズム感のある文章を目で追い、つい笑ってしまう。特に談春に数日遅れて入門した談秋の失敗譚の件(くだり)は何度も笑ってしまい、それ故に彼が落語家の道をあきらめる箇所でぐっときてしまった。
 この本を読みつつ昼寝をとり、夜、新しいパソコンを使って恐るおそる原稿を書いてみる。いつ予想外の事態になるかと怯えながら書いてみたが、とりあえず何も起こらなかった。どうかこのまま馴染んでくれればいいのだが……、きっとわけのわからない対応不能な画面が現れるんだろうな。
 ところで、ウータの小っちゃい睾丸の周りの毛が伸び放題になっている。ふさふさの真白い毛の束。むしってやらねば。
5月4日 (日) ミントまじり
 パソコンをあれこれいじるも目的を達することができず、ほとほと疲れてしまい、雨上がりの高輪散歩。黄金週間後半の日曜日の夜。都心を動く人と車の数はほどよく、ミントまじりの香気を吸いこんだような気分で自宅に戻る。果たして気力の蓄電は進んでいるのか、不安と期待をかかえつつ口をつぐむ。
5月3日 (土) 五月の雪
 朝、実家に電話をいれ、母から父の様態について聞く。2泊3日の外泊の結果、担当医から明日にでも退院してよいと言われたらしいが、迎え入れの対応もあって7日に決まったとのこと。あらためて、いろいろご心配いただいた皆様に御礼申し上げます。
 母に疲れが出なければと懸念しつつ猫を抱き、しばらく西の雨空を仰いだ後、和田芳恵の「雪女」を読む。青森県立美術館をぐるっと囲んでいた雪原を思い出す。雪が降る。言葉が白い隙間に沈んでいき、黙したまま凍っていく。
5月2日 (金) Flask、鐵、muse
 21時過ぎにo野くんから電話があり、懸案のバーへ誘われる。「よっしゃわかった」と諸々片づけ、雨の中、タクシーに乗って愛育病院近くの坂を少し下ったところまで行き、出迎えてくれたo野くんに導びかれながら看板のない半地下の店に入っていくと、長年「ケセラ」で世話になったE本さんが待っていた。ひしっと手を握られ、カウンターの左隅へと案内される。「ケセラ」でもその場所がおれの定位置だったことを覚えていてくれたのだろう。ビールで乾杯し、一昨年12月にオープンした事実を知り、これまで来られなかったことを嘆く。
 店の名前は「Flask」。品のいい内装、独りでもゆっくり楽しめる雰囲気をしみじみ味わって間もなく、「酔っぱらう前に」と前置きした後で、o野くんからこの酔狂記の4月29日に書いたピッツァにダメ出しをくらう。「あんなの全然ダメですよ」戸惑いつつ話を聴き、麻布十番、六本木、そして代々木上原のピッツァの名店に連れて行ってもらうことで落着。o野くんはまだ28歳ながら食にはうるさいのだ。それから程なくして、o野くんの知り合いの占い師でダンサーでもある女性が加わり、ひとしきりモルトウイスキーを飲んだ後、西麻布へ流れる。
 降り続く雨の中を歩いて移動し、まずは交差店近くの「鐵」でラーメンを喰らい、隣にあるクラブ「muse」へ。芸能人のご乱行でも有名なこのクラブのスタッフと占いダンサーは顔なじみらしく、ベテランのDJは挨拶代わりにおれを羽交締めにした上でぎゅうと抱擁。あっけにとられる。
 軽くステップを踏みながらほぼ10年ぶりに訪れたクラブの光景をじっくりながめ、白人だろうが日本人だろうがちょっと痛いよなと感じる。しかし、その理由を考えているうちにそんなことを考えている47歳の自身まで滑稽に思われ、店を出る。マンションの前でo野くんとともにタクシーを降りると、雨が止み、夜は明けかけていた。
 それにしても、おれの酔狂はいったいいつまで続くのだろうか。玄関前から東京を覆う暗雲を見上げ、首の骨を鳴らしながらしばし自嘲。
5月1日 (木) 北風か、太陽か
 早いなあ、もう5月か。つくづく空疎な日々を送っていると反省する。そんな思いに曳きづられるまま『イソップ寓話集』(中務哲郎・訳 岩波文庫)を注文する。本棚の奥を探したら、同じ本が3冊あるかもしれない。敵は北風か、太陽か。……どうも太陽じゃないかと思う。
4月30日 (水) 初見、歌武蔵
 15時半に有楽町のマリオンへ行き、朝日新聞社の談話室でS木さんにいろいろ話す。本気で硬軟いろいろを。18時前に別れ、タクシーで国立劇場小劇場まで移動。カツサンドで軽く腹ごしらえしてから40年続く落語研究会(TBS主催)を聴く。
 まずは鈴々舎わか馬の「六尺棒」。声がいい。とりあえず現時点ではそこまで。次は三遊亭歌武蔵。元力士らしい巨漢とつまり気味の喉から発せられる声が印象的ながら、したたる汗も何のその、その噺(「風呂敷」)は立派なものだった。特に内儀さんの芝居は抜群。かくして歌武蔵は、すぐにでもまた聴きたい、見てみたい噺家となった。仲入前は、桂小米朝の「胴乱の幸助」。小米朝は作中作品(芝居噺)を演じるのが巧いのだが、このお馴染みの演目でも浄瑠璃を駆使して賑やかな世界を生み出していた。これが出来るから少々噛んでも流れが滞ることなく、聴く側は華やいだ気配を愉しめる。
 仲入後は、林家正蔵の「芋俵」。きっちり演っているのだけど、何だか、練習発表会といった類のものを見せられている感じがぬぐえない。だから、ほとんど愉しめない。客は保護者でも親戚でもないのだから、いつまでもこの感じでは困ってしまう。……と気持ちがささくれかけたところにトリの柳家さん喬が登場。館内がすっと静かになり、滑舌のいい柔らかい口調でマクラを語るさん喬。そして、流れるように噺に入り、「干しガキ」(黒田絵美子作)のファンタジックな世界へ。江戸時代を舞台にした星新一のSFのような噺ながら、じっくりと間をとった展開はしっかりした芝居の力がなければ到底もたない内容で、それだけにさん喬の実力に感じ入った次第。巧いね、さん喬。
 終演後は有楽町へ戻り、「まつ惣」できっちり食べて飲み、それからお世話になった方の甥っ子さんがやっているバー「noggi」で仕上げ、さらに六本木へ流れて帰る。タクシーから降りたらもう夜が明けていた。
4月29日 (火) 近所にできたピッツァの店
 山崎ナオコーラさんの『論理と感性は相反しない』(講談社)を読んで弾むような心意気に微苦笑しつつ、昔に読んだ岡崎京子さんの一連の短編漫画を思い出す。その後、伸びて暴れる髪を洗って着替え、自宅があるマンションから路地をひとつはさんだ先にオープンしたPIZZA SALVATORE CUOMO白金店へ入ってみる。
 歩道に面した店先には渡辺謙や藤原紀香らから贈られた花束が並び、テーブル席はすべて埋めつくされているという、絵に描いたような開店のにぎわいの中、カウンター席に座る。厨房にある同店自慢の窯を観察しながらまずはビールを飲み、タコのマリネ。それから、ツナやサラミをトッピングしたマルゲリータと豚バラとジャガイモのローズマリー風味を食しつつ赤ワイン。ほとんど期待しないまま口に運んでみたのだが、どれもこれもすとんと美味かった。特にピッツァは、これまで宅配で食べてきたものがいかにくどい味付けだったかよくわかるほどあっさりしていながら、各食材の旨味がきっちりからみあい、口の中にひろがっていく。ナポリピッツァ恐るべし、などとほざきながらぺっろっと平らげてしまい、調子にのってチーズケーキまで注文。ダブルのエスプレッソとともにこちらもぱくぱくと一気に平らげ、入店一時間後には腹九分の身となっていた。
 店を出て50秒後、自宅の冷蔵庫の前でニンニク対策のために大量の牛乳を飲み、2分後には膨満睡。昭和ははらはらと遠くなりにけり。
4月28日 (月) カサブタをはがしてしまう
 終日、セルフ自宅軟禁。夜、和田芳恵の「接木の台」を読み、心動かされる。ずきずきの渦。

 色っぽく死にたいものだと、私は、そのくせ、心の隅で思いあせっていた。

 たおやかな尻の稜線が眼前にちらつく。そこに笑顔がかぶる。情痴のスライドショー。時間が静かにうねりだし、ここからまったく動けなくなる。佳い小説は、いつもあっさりとカサブタをはがしてしまう。
4月27日 (日) 文書スタイル
 新しいパソコンに「ウイルスバスター2008」をインストールする。使用準備はこれでほぼ全部終わったが、「一太郎2008」の文書スタイルがどうしてもうまく設定できない。縦書き、縦20字×横40行で全面が埋まる字送り、行送り。これができないのだ。いままでは、同じ一太郎(for Mac)でその仕様でやってきた。だから、今後もこれでないと執筆に支障がでてしまう。
 結局、原稿は元のMacで書いている。なんだかな。
4月26日 (土) 国旗を振れば振るほどに
 早朝からテレビをつけ、長野での聖火リレーの状況を観る。その子細は報道されているとおりだが、つくづく中国という国には初歩的なメディア論しかないと思った。つまり、異なるイデオロギーや文化で暮らす人々に自分たちがどう映るか、という視点が育まれていないのだ。今回のケースでいえば、中国の国旗だらけの沿道を観て日本人がどんな感慨を抱くかという視点、考慮、広報的戦術が欠落している。それがいかに異様で不気味で不快なものか、彼らにはわからないのだろう。自国の国旗を振って「中国は一つ!!」と叫べばオリンピックが盛上がると考えたのだろうが、それは、どこまでいっても独りよがりでしかない。せめて五輪旗を振るとか、そのぐらいのことさえ思いつかなかったのか。
 こうなってしまう、何か起きればすぐ先鋭的なナショナリズムが噴き出してしまう原因は、簡単に説明できる。中国の国内に言論の自由がないからだ。現在は世界中の(言論の自由が保障されている)国々に留学している中国の若者たちでさえ、自分の中にその権利を行使して様々なテーマで議論した経験がないから、何か祖国に関わる議論が起きると、盲目的に中国擁護に走ってしまう。各国の政府や大使館の前で自国の国旗を振りまくり、祖国の偉大さを訴えるしかできない。そんな活動を繰り返すことは、自国の狂信性を訴求するばかりなのに、反感を醸成するばかりなのに、北京オリンピックをさらに忌わしいものにするばかりなのに、政府首脳も打つ手を知らない。なぜなら、彼らもまたそんな若者と同じ、いやそれ以上に締めつけが厳しかった時代のメディア的風土で育っているからだ。どう対応させればオリンピックを主催する国にふさわしい国際的な共感を得られるのか、実はあの国は知らない。日本のジャーナリズムが立派なものだとはまったく思ってないけど、それでも、意見の多様性はどうにか担保されている。これがいかに大切か、今回の一連の聖火リレー問題や、最近のロシアで頻発しているメディア弾圧を見ているいるとよくわかる。
 だから、中国と同じく言論の自由がない北朝鮮では、麗しいまでに見事な聖火リレーが行なわれるだろう。義務として集まった人々が振る中国の旗の波をながめ、さて、中国の人々はどう感じるのだろうか。おそらく違和感なんてちっとも覚えないんだろうな。素晴らしい!これこそ聖火リレー!いい国だな北朝鮮は、米、もう少し送ってやれ……怖いよな。
4月25日 (金) 巡りあわせ……
 本日もずっと解説原稿。23時過ぎ、ようやく脱稿。推敲して編集部へ送信し、I垣さんの携帯に電話して一日遅れてしまったことをお詫びする。その後、o野くんに連絡し、ちょうど1週間前のこの時刻に誘われたバー(おれと旧知のバーテンダーが経営している店)に今から行けるか訊いてみると、彼はまだ会社で仕事をしていた。「1時までには終りますから行きましょう」とo野くんは言ってくれたが、そこまで素面で起きていられる自信がなく、「じゃあ次回だ」と告げて電話を切り、珍しく自宅でビールを飲む。
 美味かった。
4月24日 (木) 終わらず
 終日、解説原稿。終わらず。
4月23日 (水) 厄介なウィルス
 二日酔いもせずに無駄に元気な一日を過ごす。ゲラの束を読みおえ、作者である駒沢敏器さんとの同時代性についていろいろ考える。一度もお会いしたことも話をしたこともないけれど、書かれたものを読むと、近似的なものを感じてしまう。時代性というものはつくづく厄介なウィルスである。
4月22日 (火) 酔狂のお手本
 ゲラの束を読んでいるところに関さんから電話があり、19時に新橋で待ち合わせ、沖縄料理の店へ。生ビール、泡盛を飲みながら歌舞伎の話で盛上がる。関さんは役者と裏方さん(制作)の双方と関わっているだけに、芝居好きとしては実に勉強になる。そんな流れで『浅草パラダイス』が話題にのぼり、久世さんの演出の素晴らしさについて云々したところで、(未亡人の)久世朋子さんの店へ行ってみませんかと誘ってみると、関さん、すぐに同意。ならば、とすぐに銀座6丁目へ移動し、「茉莉花」へ。
 関さんはカウンターに向かうなり、店内に流れていた旧い音楽に興味をしめし、それが久世さんが愛でていた楽曲と知ってすんなり朋子さんと話をはじめ、お互いが同じ新潟県人と判明してさらにうちとける。その後、リクルート時代の同期で、現在は関連会社の社長を務めているM井が合流。数年ぶりの再会で、会った瞬間、ひしっと互いの手を握りあう。その一方で、関さんは朋子さんと音楽談義でさらに盛り上がり、朋子さんが出してきた歌謡曲の廃盤ばかりを集めたCD集を満喫。こちらは後から来た集英社の新書編集部のみなさんと挨拶を交わし、隣にいたO井さんといろいろ話す。
 2時過ぎに店を後にし、酩酊したM井と歯の手術を明日に控えている関さんが乗り込んだタクシーを見送ってから帰る。主人が眠るべき場所で眠っていたウータをはがいじめにした直後、卒倒睡。
 酔狂のお手本のような夜でした。