| 10月24日 (金) |
知らない湖 |
| 創作、相も変わらず遅々の歩み。ネス湖の映像、やっと登場。 |
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| 10月23日 (木) |
関門の海 |
| 夜明け前に起きてしまう。やっぱり睡眠障害か、……と大仰に考えてみたりしながら藤原新也さんの『日本浄土』(東京書籍)を読む。いい話が散在していた。作者の故郷である門司から見た海の描写は、その反対側の下関が舞台となった伊集院静さんの『海峡』を思い出させてくれた。関門海峡はとても魅力的な場所で、特に地政学的に歴史を振り返れば、朝鮮半島との関係が浮上する。邪馬台国の在り処を考える上でも、釜山あたりからの海流が人々をこの地へ導いたのではないか。文化と血が交わる海だな、あそこは。 |
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| 10月22日 (水) |
恒例「ひとり慰労会」 |
2時間余りしか寝ていないのに4時半には目が覚めてしまう。ひょとして睡眠障害か、などと考えることもなく授業の準備。『火垂るの墓』を再読、精読。饒舌体の真骨頂を堪能しつつ、この作品の肝を解析。レジュメにまとめ、学生用に仕上げてシャワーを浴び、外出。14時35分、授業を終えてゆっくり歩いて地下鉄に乗り、最寄り駅の一つ手前、三田駅で降りて「ヤマト」へ。すでに水曜日の恒例となりつつある「ひとり慰労会」のため、生ビールを飲みながら一本もろきゅう、豚バラ2本、レバ刺し、牡蠣フライを食らう。そして、この時刻に同店を訪ねるたびに顔をあわせる老爺に目配せしてバス停に向かい、老人だらけのバスに乗って帰る。 17時、はっと気づいたときには眠っていて、あらためてベッドへ移動。18時半に電話で起き、眠気を我慢して巨人VS中日をテレビで観戦し、ドラゴンズの辛勝を見届けて拍手。その後、久米宏の新番組を観て海老蔵の出演に驚きつつも、「テレビのレギュラーは止めた方がいいのに」とつい憂いをこぼしてテレビを消し、ウータとともに撃沈睡。 |
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| 10月21日 (火) |
これぞエロス |
7時半、起床。朝食後、創作。14時に切り上げ、「遺書、拝読」のゲラ校正をやって都ホテルへ。角川書店のS本さんと初めて顔をあわせ、そのまま打ち合わせ。意気投合してあれこれ話しているうちにアイデアが沸き出し、そのままS本さんにぶつけ、意見を聞く。かなり芯を食った対話ができた手応えを感じてホテルを後にし、白金高輪駅の前でS本さんを見送って帰宅。すぐに校正済みのゲラを「中央公論」編集部に送り、それからリクルートより依頼を受けていたエッセイを書く。21時、関さんより呼び出しの電話があり、エッセイを脱稿した22時過ぎ、銀座へ向かう。1ヶ月半ぶりに「茉莉花」のカウンターに向かい、空腹をなだめるために朋子さんお手製のおでんを喰らっていると、そんな俺を不憫に思われたのか、隣にいた集英社の方が「日本一うまい」クリームパンを半分くださった。お名前をお聞きするのを忘れてしまったが、ありがとうございました。 その後は、関さんの選択にしたがい、園ちゃんや工代とともに水原弘の『黄昏のビギン』とちあきなおみのそれを聴きくらべる。どちらも素晴らしく甲乙つけられずにいると、いつしか楽曲は越路吹雪に変わり、『ろくでなし』のライブに一同感動。さらには黛ジュンの『天使の誘惑』に話が移り、「おれが親父に云われて初めて買いに行ったレコードがこれだった」と告白すると、関さんは、「おれはお前の親父さんに会いたい」と言下に返し、「これぞエロス」と声を張り上げた。 2時、園ちゃんに送ってもらって帰宅。珍しく隙間のない一日だった。 |
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| 10月20日 (月) |
さよならデビル |
4時起床。朝食まで創作。その後、MLBアメリカンリーグ優勝決定戦を観る。レイズ、実力で勝利をおさめる。前年最下位からの優勝で、まるでハリウッドのB級映画のような展開だった。これでワールドチャンピオンにまで昇りつめれば、実際に映画化されるのではないか。「さよならデビル」とかいったタイトルで。 岩村選手の奮闘を祝しつつ机に戻り、夕方、今度はセ・リーグCSシリーズ阪神VS中日戦を観る。素晴らしい投手戦でありました。こんな戦いをもしも1年やったら、両軍の監督はそろって胃潰瘍か十二指腸潰瘍になるだろう。私見では、岡田監督は星野よりも優れた指揮官だった。ご苦労さん。 その後、もう少し書くつもりで机にもどったがさすがに眠気がまさり、23時過ぎ、あっさりシーツに沈下。 |
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| 10月19日 (日) |
猫療法 |
| 夕食の前後は起きてテレビを観たりしたが、後はベッドで過ごす。ちょっと痩せたようだ。左耳の違和感は治まった。 |
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| 10月18日 (土) |
停滞 |
| 体調、停滞。おとなしくセルフ自宅軟禁。「Over the Book」第20回のゲラを戻した他は頭も使わず、突発的な咳に対応して撃沈。 |
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| 10月17日 (金) |
まずは、恋慕渇仰の中に己を観る |
咳、止まず。出席予定だった谷崎賞のパーティーを欠席し静養。夜、ようやく机に向かい、「遺書、拝読」第60回を書く。緒形拳さんの「恋慕渇仰」を詳しく紹介し、彼が50代後半からをいかに生きると決めたかについて言及した。夜明け前に脱稿。推敲に時間をかけ、まぶしい朝日が差しこむ中、N西さんへ送信。 さあ、小説に戻ろう。 |
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| 10月16日 (木) |
予後不順 |
| 微熱、鼻水は治まったものの、咳が残っている。電話で打ち合わせをしていて突然咳きこみ、電話を切った後しばらく呆然としてしまい、打ち合わせの内容を失念して困惑する。回復力の減退は歴然だな。しかも、珍しくまとまって薬を飲み続けているせいか、左耳の調子がおかしくなった。プールから上がって水が残っているような違和感がある。だから頻繁に耳抜きをやりながら本を読む。集中力の持続は望むべくもなく、原稿は書けない。 |
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| 10月15日 (水) |
鍛錬 |
8時、起床。午前中は講義の準備。宮本輝さんの傑作、『五千回の生死』を題材に小説の基本についてまとめる。昼、家を出て大学へ向かい、14時35分まで授業。対象は1、2年生中心。読むことが書くことの基本である根拠を具体的に理解してもらえればと願っているのだが、……課題を読んでこない学生もいるから、なかなかスムーズにはいきません。 終了後、地下鉄ではなくJRを使って帰り、田町駅で降りてついまた「やまと」に入ってしまう。すると、昨日もいたハットをかぶったおじいさんがすでにいてときめく。思わず挨拶してしまいそうになったが、それも馴れ馴れしいような気がして黙って横に立ち、そそくさとビールを飲む。豚ばら、一本もろきゅう、レバ刺しを喰らって早々に去り、バスに乗って帰宅。夜はサッカーW杯予選、ウズベキスタン戦を観る。残念な内容に気が抜け、11年前に岡田監督を初めて起用した長沼健さんに思いを馳せる。生きていてサッカーができる喜びを自覚し、サッカー普及のために自身の生を注いだ被爆者の生涯。鍛錬された刀のように筋が通った生き様は、だから、いつでも関係者に頼りにされ、それに応えるために彼もまた動いた。岡田監督は長沼さんを尊敬している公言している。次の試合の結果によっては、彼は辞任を選ぶだろう。 |
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| 10月14日 (火) |
昼下がりに立ち飲みすれば |
13時過ぎ、山手線に乗って八重洲のサウスグランドタワーへ。リクルートがここに本社機能を移したことは知っていたが、訪ねるのは初めてでちょっと戸惑う。2Fの受付、そして丸の内側の外壁に設置された透明なエレベーターに乗って皇居を見下ろしながら23Fに移動し、打ち合わせルームに招かれる。 そこでライターのM和さんから取材を受け、ぺらぺら喋る。ぺらぺら。14時半に終了し、写真を撮られ、広報室のK田さんが持っていた『あたらしい図鑑』にサインをしてビルを後にする。こんなオフィスで仕事をしていたら、それだけで勘違いをするのではないかと憂いながら田町駅に戻り、駅前の「やまと」に入る。 時計を見たら15時17分。店内にはサラリーマン二人組とハットをかぶったおじいさんがいて、すでに飲んでいた。おれは生ビールを飲み、ハツ、シロ、レバ刺し(絶品!)、一本もろきゅうをつまむ。昼食をとってなかったのでこれだけではたりず、豚ばらと伊佐錦のロックを追加。全部で1950円也。15時50分に店を出てバスに乗って自宅の近くで降り、酔いさましに喫茶店でコーヒーを飲みながら明日の授業の準備をする。なぜか小説のアイデアが噴出し、手帳の6ページが文字でぎっしり埋まってしまった。 帰宅後は静かに過ごし、ビーフシチューで夕食をとって薬を嚥み、柳家小三治をとりあげた「ザ・プロフェッショナル」を観て感じ入ったまま23時半、ウータに抱かれて眠りこむ。 |
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| 10月13日 (月) |
虫の力 |
日本映画の中で最も好きな作品のひとつである『幕末太陽伝』(1957年)を監督した川島雄三に関する本を読み、夕方6時半、彼の助監督でもあった今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』(1963年)をDVDで観る。123分。『楢山節考』(1983年)で辟易した説明的なメタファーの多用が押さえられていて、それだけでもじっくり味わうことができた。何より主人公の10代後半から40代半ばまでを完璧に演じきった左幸子の演技が素晴らしく、タイトルどおりに大正から昭和30年代半ばまでのドキュメントたらしめていた。撮影当時、彼女は32歳だったにもかかわらず、どの年齢を演じてもその年齢にふさわしい女に見えた。結果、東北の貧村に生まれた一人の女の浮沈が生々しく映像と化し、現代の日本人の内部に堆積している気質や本質を浮き上がらせることに成功している。 どんな苦しいときでも地べたに、この世にはいつくばって生きていこうとする虫のような生命力。 この映画が世に出てからすでに45年が過ぎた今、おれたちは、そんな生き抜く力をもっているだろうか。正直、自信はない。すぐに諦めそうな自分が透けて見える。特に男はだめだな、とも思う。 |
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| 10月12日 (日) |
浦田よ |
| 性質(たち)の悪い咳が止まず、ほとんど寝て過ごす。よって秋の陽を知らずに夜を迎える。子規は偉い。多田先生は偉い。脳性マヒの後遺症をかかえたかつての同級生、……浦田、おまえはほんと偉かった。 |
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| 10月11日 (土) |
お疲れさん |
油断小敵。ロシアから下りてきた寒冷前線に巻きこまれ、治りかけていた風邪がぶりかえす。嫌な咳が気管支の奥から飛び出してくる。痰まで出てきてしまい苦しく、また薬に助けを請い、食事をとって横になるていたらく。せっかく創作の日々に戻りかけていただけにもどかしく、落ち着いた状態の間に机に向かい、「遺書、拝読」第60回を2枚だけ書く。 とろこで三浦和義氏の自殺よ。事の経緯はどうであれ、「お疲れさん」という言葉がふさわしいと感じた。幼くして病を抱えた人物の、高い塀の上を歩くことでしか生きている実感を得られなかった60年の日々。嘘も真も、塀を歩く際の(前後左右の)揺れの中に吸収されてしまい、目印に引いたとりあえずのゴールラインを越すためだけに生きたような人だったと理解する。おそらく、サイパンからロスに移されたことで、すでに目測していたゴールラインが視界から消えたのではないか。塀の上を歩くとき、遠すぎるゴールラインは活力を奪う。しかも彼はもう30代ではない。還暦を迎えた、事件が起きた27年前のその日に戻るよりも死を迎える日に近い年齢になっていた。そう考えると、彼はとても合理的な選択をしたのではないかとさえ思わせる。
問題はこの風邪なのだ。 |
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| 10月10日 (金) |
秘事 |
ノーベル化学賞を受賞された下村修さんがやたらと登場する夢を見て困惑しつつ、午後3時に目覚める。顔を洗って鏡に映った爆発頭を直視し、迷わず「vi-ta」に予約の電話をいれる。1時間後、曇天の下、歩いて1分の同店へ。M店長とあれこれ話しながらカットしてもらい、アシスタントの女の子のシャンプーとヘッドマッサージを受ける。極楽。すっきりして帰宅し、届いたばかりの古本、『恋慕渇仰』(東京書籍)を読みはじめる。緒形拳さんが15年前に著わしたこの本の中にドキドキするような小文を発見し、夜中、しばし興奮。 秘事。 秘事を記す構え、態度、あるいは文章とはどうあるべきか。 いや、秘事はそのまま我が命とともに消失の時を待つべきものなのか。 表現者は生きているうちにあれこれ決着をつけたがる卑しい業を抱えているから、秘事との関わりが試される。緒形拳は、その難事を見事に終えていたのだった。 |
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| 10月9日 (木) |
なんてことを |
ぐっすり熟睡して目覚める。おかげで風邪の症状もほとんど消え、頭も活気を取り戻したよう。昨晩の「どんどん」で食欲も復活し、冷蔵庫にあった秋田産のソテー用の豚肉を二枚とも焼き、ニンニク醤油味でがっつりいただく。白飯、2杯。夕方、届いたばかりの「NILE'S NILE」10月号を開くと、日本の三大聖地(出雲、淡路島、高千穂)に残る神楽とそれぞれの舞に使われる面が特集されていて、それらの写真の巧さに感心しながらページをめくっていくと、特集直後の右側1ページ全面におれの顔があらわれた。 「なんてことを……」 思わず周囲を見回し、猫も幽霊もいないと認めてもう一度ながめ、深く長い溜息をつく。吐息とともに一瞬にして魂がぬかれたらしく、呆然と雑誌を閉じ、「中央公論」11月号を手に取って衝撃が去るのを待った。 夜、寿司を食ってから「NILE'S NILE」用の連載原稿に取りかかる。翌朝4時までかかって脱稿し、同誌が市販されていないことに感謝しつつM橋さんに送信。美しい夜明けの空を見とどけてから前後不覚になり、どうにかベッドの上に倒れこむ。 |
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| 10月8日 (水) |
出講 |
午前中、レジュメの整理、仕上げ。昼過ぎに出かけ、12時55分、予定どおり大正大学に着き、授業へ。「創作のための読書講座」というタイトルがついた10回の講義で、本日はその1回目。学生の反応を確かめつつ、内容を調整しながら進める。最後に、課題を出して終了。 10冊の本をつめこんだ旅行鞄を抱えて地下鉄に乗り、コンビニで弁当と雑誌を買って帰宅。ほどよい疲労を感じながら食事をし、コーヒーを飲み、メールと郵便物のチャックをし、雑誌を4冊読み、スクラップの整理をし、どうにか落ちつきを取り戻して夜を迎えたと思ったらどうしても酒が飲みたくなり、「どんどん」へ。生ビール2杯、「克」のロックを4杯飲みながら、鳥皮ポン酢、地鶏ポン酢、出し巻き卵、モツ煮込み、塩モツ煮込み、白菜の浅漬けを喰らう。23時半、きっちり酔っぱらって帰宅。ウコンとビタミンCを補給して卒倒睡。 |
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| 10月7日 (火) |
薬がよく効く |
| 明日の授業のためにレジュメの叩き台を作りだすも、風邪薬が効いて体が熱く、汗だらけになってしょっちゅう机の前から離れる始末。当然、集中力は10分ともたず、夕食後の薬を飲んでしばらくしたら寝てしまった。普段めったに薬を飲むことがないので、ほんとよく効きます。平熱38.4℃のウータの体を快適に感じる夜がつづく。 |
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| 10月6日 (月) |
おれの免疫 |
多田富雄先生のご尊顔を拝見すべく、小林秀雄賞の受賞パーティーに出席する予定だったが、微熱、鼻づまりの上に咳がひどくなり自重する。先生の専門分野を援用して分析すれば、おそらく、藤井の急逝で意気が消沈し、それにつられて免疫力が落ちたのだろう。お気楽な生活を送っている者にとって、友人の死はやっぱり激しい衝撃なのだと今さらながら思い知る。 藤井、初七日が終わったら、おれは元気になるからな。 |
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| 10月5日 (日) |
諸事どうなることやら |
快復していると思って目を覚ましたが、まだ微熱があり、咳まで出始める体たらく。それでもウータのワクチン接種の予約を入れてあったので、キャリーケースを抱えて動物病院へ。ウータはいたって健康。体重は7.8kg。命の危険さえあると医者に叱られた8.4kgからは600g減。 帰宅後はまた横臥。ほぼ寝て過ごす。やれやれ、あれもこれも、どうなることやら。 |
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| 10月4日 (土) |
手つかず |
| 風邪、悪化。本も読まずに寝て過ごし、夜、宮川の鰻重で精力補強につとめるも、頭は呆然。講義の準備、創作、連載原稿、……すべて手つかず。 |
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| 10月3日 (金) |
風邪 |
| 涼しくなっても半ズボン半袖シャツで寝ていたからか、風邪をひいてしまった。喉が痛く、微熱もある。薬を飲んで早々に寝てしまう。 |
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| 10月2日 (木) |
自粛の日 |
| 予定では歌舞伎の昼の部を観劇することになっていたが、何を見ても藤井の顔を思い出すに決まってるから、自粛してセルフ自宅軟禁。関さん、申し訳ございません。 |
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| 10月1日 (水) |
藤井康宏、逝去 |
昼下がり、「ダ・ヴィンチ」編集部の横里君からの電話で藤井康宏の急逝を知らされる。初めて会った18年前の場面(亀谷の紹介だった)、昨年末に近所の焼き鳥屋で飲んだときの酔顔、『シュヴァイツァーの仕事』について取材してくる真顔が点滅をくりかえしながら交差し、そのまま喪に服した。藤井は今春、奥さんの実家がある札幌に移り住んだばかりだった。 夜、あらためて横里君から電話を受けた。沈痛な電話を切って間もなく、今度はいしいしんじ君から電話があり、ちょっと話をした。いしいと藤井は同じ京都大学を卒業し、同期としてリクルートに入社した。両者がまだライターをやっている頃、一度だけ三人で飲んだことがあったが、二人は独身寮時代を照れながら話していた。おれはそんな二人の姿をニソニソしながらながめていた。編集長としては、二人とも信頼できる書き手だった。いしいは明日の通夜に参列するため、「札幌へ行ってきますわ」と最後に話した。おれが行けないことを伝えると、「長薗さんの分もちゃんとぶつけてきますよ」と言い添えた。 享年43。 年下の友人の死は、こたえる。 |
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| 9月30日 (火) |
鶏皮ポン酢が頭から離れない |
17時まで創作。どうにか1章を終え、着替えて外出。地下鉄で西巣鴨まで行き、大正大学へ。ほぼ10年ぶりに花田紀凱さんにお会いし、同校のK事務局長や渡邊教授らと巣鴨に移り、和食「田村。」で会食。松茸の土瓶蒸しなど旬のコース料理をいただきながら黒霧島を飲み、あれこれ歓談。その後、風邪を引いている花田さんをお見送りし、タクシーで神保町へ流れて小宮山書店のバー、「書斎」へ。スコッチをロックで飲みつつ歓談の続き。Kさん、Iさんは初対面ながら話がしやすく、いろいろと好きに語らせてもらった。 散会後、地下鉄に乗って地元へ帰ったものの少し小腹がすき、「どんどん」で鶏皮ポン酢、冷しトマト、鶏肉ポン酢などを喰らって「克」を飲む。小一時間後、完全にできあがって帰宅。錦織圭選手のジャパンオープンの試合を録画中継で観ながらソファ睡。 |
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| 9月29日 (月) |
深夜のビリー・ワイルダー |
9.29に発せられた所信表明は与党の実情を反映した苦肉の内容だった。 夜中、BS2で映画『ニューヨーク東8番街の奇跡』、『フロント・ページ』を立て続けに観る。前者はファンタジーとしての完成度高く、荒唐無稽の展開ながら素直に楽しめた。SFでありながら、細部まで古典的な映画の温もりに満ちていた。後者は、『おかしな二人』の名コンビ、ジャック・レモンとウォルター・マッソーの応酬が演技、台詞とともに完璧で、その落ち着きに欠けたせっかちなテンポに引きずられて見入ってしまった。個人的にはマッソーの演技と表情にうなってしまったが、それ以上にあらためてビリー・ワイルダーの脚本、演出に感心。彼の作品の根底にある明るさは人々のしたたかさを認め、その生きる力を前提にそれぞれの悲哀や、怒りや、誇りや、嘘や、見栄や、希望を描いているからだろう。いわば人間の底力への信頼だ。そこをキャンパスにして描かれた絵は、だから、どこかに救いがある。笑いを誘う。観ているこちらの美点も欠点も登場人物たちのそこかしこに反映されているから。昔のシカゴを舞台にしていても人は人であり、個々の欲にしたがって醜態をさらし、どうにか生きている。 ところで、三谷幸喜監督がワイルダーの作法を手本としているのは有名だが、その影響の大きさは、こうして久しぶりにワイルダー作品を観るとよくわかる。どたばたの中での言葉の掛け合い、美術を駆使した世界観の設定、多様な伏線の活用など、よく消化吸収していると思う。勝手な期待だが、その方法論で時代劇を撮ったらよりおもしろいものが仕上がると思うのだが。 雨空がうっすらと明るくなりはじめたころ、ウータとともに抱擁睡。 |
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| 9月28日 (日) |
不発 |
| 涼しくなったらなったで文句がでる。ポール・ニューマンが逝き、明日に向かって撃つべき創作、停滞。 |
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| 9月27日 (土) |
秋始まりし夜 |
目覚めたら昼だった。酒は残っていなかった。 夜は「あら喜」で秋刀魚の刺身と〆鯖、牛の牛蒡煮、セロリの辛味噌和え、焼き鱈子、わさび漬けを喰らいながら不二才のロックをくぴくぴ。この日は荒木家のお母さんの誕生日とあって、最後にお祝いのケーキもいただき、みんなでハッピーバースデーを歌う。そこで歌唱欲に火がついたのか、二の橋の「来茶々」へ流れ、カラオケに興じる。T夫くんは声がいい。藤井フミヤにぴったりの声質だった。 2時半、帰宅。急激に秋めいた外気を浴びせいか、くしゃみを連発して卒倒睡。 |
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| 9月26日 (金) |
宴の夜へ |
朝7時半に寝て10時半に起床。カレーを食べてたっぷり水を飲み、創作。やっと20枚、まだ1章を終えられないまま17時に切り上げ、入浴。洗髪、着替えをすませて元麻布にあるオーストリア大使館へ。荒木先生のオーストリア科学・芸術勲章の受勲式に参加する。ピンクのスーツを身にまとった女性大使は荒木さんの功績をたたえ、作品から受けたインスピレーションを即興詩にして詠んだ。それからウイーン芸術大学の元学長が荒木さんを選出した過程や、他の受勲者の紹介をはじめる。これがひどく長く、しかも通訳をはさんでのスピーチとあって参加者も当の荒木さんも少々うんざり。その後、ウイーンの街中で撮影をする荒木さんのビデオが流される。それは11年前の映像で、荒木さんの傍らでコモドドラゴンの剥製をもって同行するおれの背中も映っていた。かくして40分ほどが過ぎ、やっと荒木さんの首に勲章がまかれ、一斉に拍手の音が鳴り響く。そして、荒木さんの上野高校時代の同級生である立花隆さんが壇上にあがり、荒木評やこの勲章の価値について簡潔なスピーチをして乾杯。 おれは町田康さんとひとしきり話をし、作曲家の安田芙充央さん、日本に一時帰国している女優の中島唱子さん、朝日新聞のさんらと旧交をあたため、各社の荒木さん担当の編集者と近況を語りあいながらワインを飲む。この祝宴には、鈴木清順監督、吉増剛造さん、北野オフィスの森社長といった方々も参加していて大いに盛り上がっていた。 21時には二次会の会場である六本木の店に移動。100人が入れるバニーガールの店でようやく座席に腰をおろし、町田さんと日本の詩について話しながら吉四六のロックをぐびぐび。二人の間に入れ替わり立ち代わり現れるバニーちゃんたちとも談笑し、24時、お店の閉店とともに散会。おれはミッドタウンの前からとぼとぼ歩き、黒人だらけの歓楽街を抜けて鳥居坂を下り、麻布十番を横切り、「あら喜」のT夫くんに電話をして勧められた「麻布ラーメン」の屋台ラーメンを喰らい、くたくたになって帰宅し、服を脱ぎ捨てるなり「お〜いお茶」を海老蔵ばりにどくどく飲んで昏倒睡。寝不足で迎えた宴の夜は、やはり厳しかった。 |
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| 9月25日 (木) |
血と利権 |
終日セルフ自宅軟禁。本当は夕方からジムに行く予定だったのだが、ぼんやりしていて気がついたら夜になっていて、あえなく断念した。まあ、つまりそんな一日でありました。 しかし小泉前首相、やるよな。あいかわらず機を見るセンスは抜群だ。でも、これで次男が地盤と看板と算盤を継ぐのであればやっぱり鼻白む。当事者たちにしかわからない利権が、きっとあるんだろうな。 |
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| 9月24日 (水) |
王、稲尾、工藤 |
福岡ドームで行われた王さんの引退スピーチを聴いて涙がにじみ出た。 王さんに対する個人的な意見は以前、胃ガン会見の際に書いたからもう止めておく。とにかく、彼を見ているだけで野球に没頭していた頃の自分のユニフォーム姿が浮かんできて、おそらく、過ぎ去った時間にほのかな無常を感じるのだろう。今度実家に帰ったら、小学生の時の「王貞治スクラップ帳」を探してみよう。あの体験があったから『あたらしい図鑑』にスクラップの逸話を書けたのかもしれない、と今さらながら思った。 夜は、NHK「その時歴史は動いた」で"稲尾和久物語"を視た。「遺書、拝読」で取り上げた本(『神様、仏様、稲尾様』日経ビジネス人文庫)に基づいて制作されていたから、内容は知っているものばかりだったが、それでもやっぱり、無謀なまでに投げつづけたその野球人生には胸が熱くなった。
えりすぐられた者の代表として、持てる力を惜しみなく出し続けるより以上のファンサービスはない。だから私だけでなく、ONもオープン戦からずっと試合に出続けていたのだ。 (同書あとがきより抜粋)
おれは、工藤公康的なる処世術が苦手だ。 |
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| 9月23日 (火) |
逃走する彼岸 |
| 酒の名残をまったく感じることなく7時半に目覚め、しばらく書見。その後、DSでシムシティをやって混乱の東京を救えずに敗走し、銀座へ逃げてアディダスの靴と手軽な鞄を買ってハンバーガーを喰らい、一旦帰宅してジムへ。スポーツ飲料をがぶがぶ飲みながら汗びっしょりになって体をいじめ、ジャグジーで呆然。帰宅後、そばをすすってさらに惚け、オーストリア大使館にFAXを送ってから幻のネッシーを追いつつ昏倒睡。 |
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| 9月22日 (月) |
日本語がすわっと輝くためなら |
朝から午後6時半まで「遺書、拝読」第59回を書く。今回は大野晋さんの『日本語の起源 新版』(岩波新書)を取り上げた。タミル語に起源を求める長年の研究の成果が綴られていたが、おれが注目したのは「なぜ彼がこの命題に60年余りの月日を費やしたのか」という点だった。旧版から37年を経て出版されたこの本には、その回答が堂々と記されていた。 いい研究にはいい問いが必要である。さらにいえば、人の知性を意味あるのもにするためにはいい問いが不可欠で、単に豊富な知識を抱えていても損得勘定ができても、長く生きる泉を得ることはできない。生きている間に解くことができないかもしれないが、それでも考え、自分なりに解明したいと対峙しつづけてしまう問いがあれば、だらだらと続くようなこの日々も無駄ではない。言い換えれば、そんな問いをもっていられれば、人生はずいぶん面白くなる。 脱稿して推敲し、N西さんに送って着替え、三の橋へ。西日本新聞のT崎さんと待ち合わせ、あら喜で会食。東京生まれ久留米育ちのT崎さんと、長崎生まれで東京に暮らすおれは、初めて飲食をともにしたにもかかわらず大いに飲んで喰らい、不二才を2本空けながら詩についていろいろ話しあった。「今こそ詩なのだ」「そうだ!」「詩集にはない詩にも光をあてるのだ!」「あてるのだ!」「言葉が、つまり飛びかう日本語の幅が狭くなれば、それだけ息苦しくなるに決まっているじゃないか」「子どもたちもつらい、実は大人だってつらい」「だから、……」アイデアがどんどんと溢れてきてしかたなく、おれはそのいくつかをT崎さんに語った。T崎さんは箸をおいてメモをとった。言葉が、日本語がすわっと輝くためならおれは力を出すと決めているから、アイデアはより具体的に展開し、2次3次の仕掛けもはっきりと見えた。 「これ、やるぞ!」 「やりましょう」 見るからに九州男子のT崎さん。どこの馬の骨からわからぬおれ。互いに痛飲しつつ一つの企画を仕上げ、旬の食材も満喫して帰路についた。T崎さん、おれたちは、放った自分の言葉ぐらいには責任をもって生きていこうな。 |
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| 9月21日 (日) |
口紅をつけても豚は豚 |
| 7時過ぎ、地震で目を覚ます。テレビで震度と震源地をたしかめ、ひとまず安堵。そのまま朝食をとり、それからは終日、連載「遺書、拝読」の資料読み、執筆。途中、猫たちの体重を計る。ウータは食事対策の効果が出たらしく、ピーク時より700g減の7,7kg。オランはいつもどおり3,6kg。こちらは昨日の筋トレの影響もほとんどなく、胸筋の付け根(鎖骨の下)が少し突っ張るぐらいでふだんどおりに動く。60kgの体重も変動なし。秋です。 |
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| 9月20日 (土) |
内転筋、痛い |
| 8時、起床。午前、書見。午後、創作。日が沈むと同時に切り上げ、半年ぶりにジムへ。ストレッチとマシンをじっくりやり、ジャグジー風呂で脱力。外転筋を鍛えるうちになぜか痛くなった内転筋を揉みほぐす。帰路、「どんどん」2号店に寄って生ビールと芋焼酎「克」(かの「魔王」を超えたと評される濃厚な味)を飲み、枝豆、鳥皮のポン酢和え、モツ煮込み、冷しトマト、ねぎま、砂肝、シビレを次々に喰らってほろ酔い。帰宅して連絡業務をすませ、夕刊を読んだとろこで沈澱睡。 |
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| 9月19日 (金) |
準さん |
6時、起床。午前、創作。午後、市川準さんの訃報にふれ、愕然。 「準さん」は、「ダ・ヴィンチ」創刊時から長くアートディレクターを務めていただいた市川敏明さんの実弟なのだ。禁煙パイポのCMをはじめ、若い頃は二人で事務所をやり、その後、それぞれ演出家とデザイナーの道に専念されたのだが、その仲のよさはかわらなかった。そんな間柄に甘え、準さんには創刊3号目、「あの人がすすめる10冊」特集に登場いただいた。選定テーマは「映画にしたい10冊」だった。
『六白金星』(織田作之助)、『五千回の生死』(宮本輝),『質屋の女房』(安岡章太郎)、『東京のプリンスたち』(深沢七郎)、『お伽草紙』(太宰治)、『愛のごとく』(山川方夫)、『中国行きのスロウ・ボート』(村上春樹)、『血と水』(吉本ばなな)、『男たちのかいた絵』(筒井康隆)、『父の詫び状』(向田邦子)
準さんが挙げた10冊。このリストだけで、おれはこの人の一端を理解したつもりになった。どれもこれもがおれの好きな作品だった。抑えた叙情と漂う哀しみ。それは、準さんの映画に通底する気配でもあった。取材させてもらった年(1994)に封切りされた『東京兄妹』の試写会場でもお会いし、豆腐へのこだわりについて短い会話をした。豆腐屋で買う毎日の豆腐。ここに象徴される過去から続く日常と、それが許されなくなっていく時代性、家族(兄妹)の関係。渋谷で生まれ育った戦後の男子である準さんは、その年、まだ46歳だった。ずいぶん渋い、そして諦観に裏打ちされた視線をもって日本の時代状況を見ていたのだろう。 「ダ・ヴィンチ」現編集長の横里くんに連絡をとり、気を鎮めるために雨中散歩をして戻ってから再び創作。20時まで。17枚。そして、不謹慎とは認めつつ久しぶりに「李朝房」で焼き肉を喰らう。還暦の手前で逝った準さんは、次作の編集作業後に一人で食事をとっていて倒れたらしい。そのあまりに映画的な最期を想いながら肉を齧り、若い頃からすでに老成して見えた準さんの横顔を宙に眺めた。 |
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| 9月18日 (木) |
業務日誌 |
| 6時、起床。午前、『魂にメスはいらない-ユング心理学講義』(河合隼雄 谷川俊太郎 講談社+α文庫)読む。午後、夜まで創作。11枚。夜半、『日本語の起源 新版』(大野晋 岩波新書)読む。1時、昏倒睡。淫夢に魘される。 |
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| 9月17日 (水) |
自転車、大家族 |
16時半まで創作。それから、タイアの空気が抜けた自転車をえっちら漕いで郵便局へ行き、小包の送付。絵葉書を一通投函。帰路、近所のサイクルショップに寄ってタイアに空気をいれてもらう。この店では若い兄ちゃんたちが数人働いているのだが、みんな気がよく、自転車が好きでしょうがないといった気配を帯びている。だからだろう、老若男女が気軽に立ち寄ってはいろいろ相談したり、世間話をして時間をつぶす。おれとしてはいつも無料で空気をいれてもらってばかりで申し訳なく、今度寄った際には、装着用のライトでも購入しようと思う。それにしても、住宅街のいい自転車屋の目印は、昔も今も、子どもがそこで遊んでいるかだよな。機械いじりの入門編として自転車はうってつけで、しかも自分で乗って成果を確かめられるのだから。ここからはじまって、将来は自動車のメカニックになったり、科学者になったり。いわば、子どもにとって自転車屋さんは、近所にある未来への窓だな。 とか、ふわふわ考えながら帰宅し、連載のゲラと取材原稿のチェックをして担当者に戻す。そこで脳が休止し、夜はテレビで、5男5女を抱えた夫婦のドキュメントを観た。この種の番組は、なんだか高みから足掻く人の姿を見下ろしているようで嫌いなのだが、登場している父親がおれと同じ年齢と知って最後まで観てしまった。牛の輸入自由化によって畜産業に頓挫し、5000万円もの借金を負った父親とその窮状を支える妻、母、そして子どもたち。どこにも悪い人がいない、感心するほど働く人ばかりの映像が続いたが、だからこそ、どうして10人も子どもをこさえたのかという根本的な疑問が残った。この種の番組はその点はとっぱらったまま(大家族万歳の前提で)レポートしているから、時代性とのずれを抱えたまま終わってしまう。自業自得の奮闘レポートでなく、この時代に子だくさんという「業」の追求をしてくれなければ、この種の番組は再放送で十分である。 |
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| 9月16日 (火) |
望むところ |
夜明け前から創作。8時、鰺のひらきと納豆とサラダでがっつりご飯。昼間の書見と仮眠をはさんで夕方まで創作。5枚。懸案のおさぼり脳もちょっとだけ創作脳に戻ったようだ。これが本格的に回復すると間違いなく生活は単調になり、脳内活劇に淫する日々がつづくことになる。 望むところだ。 |
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| 9月15日 (月) |
血糖値が高いから |
終日、自宅にて漫然。送られてきた『血糖値が高いから』(ペーソス バジリコ)を笑読。 ペーソスを率いる島本慶さんは、現在40代の男性にはなじみ深い「なめダルマ親方」として風俗ルポで活躍された方。「週刊プレイボーイ」誌上での四コマ漫画は毎回楽しかった。一時期は「トゥナイト」にも出演していたと記憶するが、おれが仲良くしてもらったのは荒木先生と仕事をはじめてから。先生との飲み会、国内外での展覧会でいつも会い、彼がアラーキーグッズ"ニャラーキー"を製作した際には、拡販の相談も受けた(うまくいかなかったけど)。そんな島本さんが数年前にペーソスを結成し、歌手デヴューを果たしたことは知っていた。なんせ、荒木先生のパーティーでは必ずペーソスの歌謡タイムが用意されるようになり、徹底した哀愁歌で決まって会場を湧かせるのだから。 「おやぢいらんかえ〜」「独り」「モツ焼き小唄」「女の一夜干し」「イッテコイ節」……タイトルからして懐古的な独自路線をご理解いただけると思う。ちなみに本のタイトルは、傑作「霧雨の北沢緑道」の詞から抜粋されたもの。この歌を聴けば、誰にだって哀しみと笑いが同時に湧きおこる。だから傑作。 これらの歌を収めたライブDVD付きで1890円。忘年会の演芸対策にはもってこいの本である。 |
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| 9月14日 (日) |
買い出し |
昼、隣のピザ屋で生ビールを軽く飲み、牛肉入りのパスタ、シーザーサラダ、少々のピザを喰らってからバスで田町駅へ行き、JRで有楽町へ。銀座の馴じみの店で秋用の服を買ったり、新しい靴のデザインをチェックして松屋脇のドトールでアイスコーヒーを飲み、伊東屋で舶来のクリアファイルと同店特製の封筒&便箋セットを購入。用を済ませて歩行者天国でごった返す銀座通りを横切り、交通会館にある三省堂書店を覗いてみる。考古学の入門書を物色する予定だったが、平積みになった『あたらしい図鑑』を見つけてびっくり。ISBNコードでは児童書扱いになっている本にもかかわらず、吉田修一さんらの本といっしょにおかれていた。ちょっと離れた場所から観察してみたい気分を抱えたまま2階に上がり、当初の目的に適った本3冊を買って駅へ。 田町駅で降り、駅ビルに入っているキムラヤでコピー用紙を大量に買い、両手が塞がった状態で立ち飲み屋の「ヤマト」に突入。生ビールを皮切りにモツ煮込み、味噌キャベツ、豚バラ、シロ、一本きゅうり、焼酎お湯割り、レバ刺しを喰らい、ニンニク臭をふりまきながらバスで帰る。バス停からの帰路、ニンニク対策に牛乳を買い、帰宅後それをぐいっと飲んで三内丸山遺跡に関する文章を読み、無性に行ってみたくなる。一昨年の12月に青森を訪れた際は、隣にある県立美術館まで足を伸ばしたにもかかわらず、時間がたりなくて見学できなかった。雪が降る前に行ってみようかな、とつぶやきつつ20時前に眠りに落ちた。どうか通風がぶりかえしませんように。 |
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| 9月13日 (土) |
終日 |
| 終日、惰眠。暁を知らず。 |
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| 9月12日 (金) |
原宿の不変 |
滞っていた次作を冒頭から書き直す。一稿を起稿したのは昨年末で、今回が3回目だ。もしもこれで頓挫するようなら、この構想はいったん寝かせることにしよう。 14時半に創作を切り上げ、ゴルチエのスーツを着て外出。原宿にあるスタジオで某外資系企業のタイアップ広告用に写真を撮られる。ざっくばらんな取材を受けながら。18時、終了。数年ぶりに竹下通りを歩き、いまだに若い人たちがウロウロしている光景にぼんやりしてしまう。彼ら彼女たちの雰囲気が20年前とも、10年前とも、4年前ともあんまり変わっていなかったからか。とはいえ数分で正気に戻り、タクシーで「あら喜」へ。今年初めてN見さんとカウンターに並んで飲み、マンション業界の状況や『あたらしい図鑑』の反響などをネタに談笑し、そしてがっつり食べる。20時半に帰宅して22時半、早々にベッドに倒れこむ。 |
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| 9月11日 (木) |
HANABI |
前日の疲れが残ったのか、頭、終日漫然。 夜、『コードブルー』の最終回を観る。大河ドラマ『新撰組』、朝の連ドラ『ちりとてちん』ぐらいしか連続してテレビドラマを観たことがないのだが、これを見逃したのは1回だけだった。誰がいいというわけではなく、群像劇としてよくできていた。まあ、一番良かったのは、ミスチルが歌う主題歌、「HANABI」なのかもしれない。 |
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| 9月10日 (水) |
テレサ・イジェフスカと石牟礼道子 |
朝から「週刊朝日」の書評原稿。昼過ぎ、休憩がてらテレビをつけたらBS2で映画、『地下水道』が始まり、その徹底した暗さに引きこまれて最後まで観てしまう。かのアンジェイ・ワイダ監督が31歳の時(1956年)に撮った作品で、第二次世界大戦下にドイツ軍に対して蜂起を起こしたポーランドの人々の顛末を描いているのだが、「これぞ絶望」と唸ってしまった。そこにあるのは、反戦のメッセージよりもポーランド人が置かれてきた歴史的状況の過酷さだった。いつでも強国の間に在る国、ポーランド。 登場人物はみな汚水まみれという映画ながら、テレサ・イジェフスカ、という女優は最後まで美しかった。「母性」よりも「姉性」といった包容の力で男を励まし、決して絶望することなく光射す出口を求める彼女の姿は、どこか石牟礼道子さんに通じるような気がした。石牟礼さんに「姉性」を発見したのは、多田富雄さんだった。その二人がそれぞれ5通ずつの手紙を交わした書簡集、『言魂』。テレビを消して机に戻ったおれは、迷うことなくそれまでに書いた『言魂』の書評を消去し、絶望と希望についてさらに考えながら新たな原稿を書いた。 脱稿したのは夜中の3時。頭の芯に痺れを感じながら、しばらくは眠ることができなかった。 |
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| 9月9日 (火) |
犯人の声 |
罪と罰。二日酔いではないのだけど、終日、頭まったり。原稿ぱったり。 昼下がり、まったり眼で新藤兼人監督が出演している「スタジオパークからこんにちわ」(NHK)を観ていたら、山崎努さんからお電話があった。あれこれお話をするうちに『天国と地獄』の犯人の脅迫電話を思い出し、頭朦朧。軽い幻覚に襲われ、最後は、激励されるまま電話機の前で何度もお辞儀をしつつ受話器を置いた。 山崎さんの「少年と老詩人」が世に出た後、版元への客注が増えているらしい。ただただありがたい。 |
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| 9月8日 (月) |
たまに飲むとますます酔狂 |
書評用のメモを書いて『言魂』を再読し、19時45分、「あら喜」へ。中央公論新社のK佐貫さん、Y田さん、N西さんと秋の会食。メインは秋刀魚とはいえ5月に飲んで以来なので、それぞれガンガン話しまくる。しかし、いつもなら誰よりも早く酔って飛ばすN西さんが体調不良とあって大人しく、その分を残りの3人で埋め尽くす。 編集部に戻るN西さんと別れ、3人はそのまま「acalli」に上がって赤ワインを1本空け、もっと飲むぞ!と気勢をあげつつ銀座へ。前回、Y田さんに紹介された「茉莉花」に行き、朋子さんと盛り上がった勢いで4人揃ってカラオケ店に移動。阿久悠さんを偲ぶ会があった夜なので、「阿久悠楽曲縛り」と決めてはみたが、いやあもう何だか、ただ勝手に歌って飲んで騒ぎ、帰宅したら4時だった。
N西さん、とにかくお大事に。体潰してまで仕事すんなよ。 |
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| 9月7日 (日) |
天国と地獄 |
朝になって眠ってしまったので予定していた映画館行きを中止し、夜、DVDで『天国と地獄』を観る。1963年の黒澤映画。犯人がわかっていても緩むことのない緊張感が続くのは脚本、演出の力。また、まるで日本の男優大全のような俳優陣の演技、国鉄、横浜市街地を自在に使った大胆な撮影もあって、むんむんとしたリアリティが143分間、終始漂う。最後のシーンはテーマに即しすぎて説明的な気もするが、身代金奪取のトリックは今観ても素晴らしい。グリコ森永事件の犯人もこの作品を観たに違いないと今さらながら想像した。 この映画で犯人役を演じた山崎努さんから、手紙が届く。頭が下がる。現在71歳の山崎さんの言葉に対処できないほど興奮し、次作への責任をひしひしと感じてしまった。筋だけは通したいとあらためて思う。筋を通せないときは滅するときと腹はくくっているが、その点、おれは手本となる人物との交友に恵まれている。それが死者であれ生者であれ。 |
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| 9月6日 (土) |
父の詫び状を優先 |
わざわざ仮眠をとってサッカーW杯最終予選の日本VSバーレン戦を待っていたにもかかわらず、深夜2時5分からNHKドラマ『父の詫び状』の再放送に魅入ってしまう。云わずと知れた向田邦子さんの原作だが、このドラマは彼女の突然の死から5年が過ぎた1986年に放映された。杉浦直樹、吉村実子、沢村貞子の演技に何度もうなり、少年期の市川染五郎に苦笑しつつ堪能した。ジェームス三木の脚本、深町監督の演出、ともにお見事。 3時45分に試合中継に移り、傍らで眠るウータの肥えた腹をなでながら応援。試合内容、結果は報道されているとおりで、最後の4分間は悪夢のようにうなされっぱなしだった。終了後は百花繚乱のベランダの植物に水をやり、それからカフカの『城』を読みつつ再び悪夢の中へ落ちていった。 |
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| 9月5日 (金) |
西日本新聞 |
産經新聞、週刊文春に続き、本日は西日本新聞の学芸・文化欄に大きなインタビュー記事が載った。題して「ある夏、少年は老詩人に出会った」。作品の意図をずずっと汲み取ってくれた文章に頭がさがる。写真の顔は相変らず自分でない感じ。T崎さん、ありがとう。 この5日間に集中した『あたらしい図鑑』関連の記事に戸惑いながらも、連載「OVER THE BOOK」の原稿を夜中まで書く。テーマは秋の夜長に向けた長編小説の勧め。その事例として『百年の孤独』をとりあげ、「孤独」との付き合い方に言及する。魔術的でジャーナリスティックな文体にあらためて感嘆。 |
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| 9月4日 (木) |
少年と老詩人 |
お時間のある方は、本日発売の「週刊文春」124〜125ページをご覧下さい。
2ページにわたる山崎努さんの読書日記、「少年と老詩人」。おれと田村隆一先生との関係がこれ以上はないと思われる文章によって描かれていた。『あたらしい図鑑』だけでなく、おれが聞き書きを担当し、すでに絶版になっている『詩人からの伝言』まで引用して詩人の魅力、小説家と言葉の関係、感情と俳優の関係、そして何より、老人と少年の関係について言及している。しかも必ず自分の経験をまじえて綴ってあるから、読み物として変に構えることも飽きることもない。つまり、名文なのだ。
(前略)小説家は、視点を他者にシフトして独自の世界を作る。われわれ俳優も同じような作業をする。ただし演技中の俳優には、もやもやした感情が言葉になるまで待つ時間はない。もやもやが生じた瞬間にもやもやをそのままその場で表現する。それを言葉に定着するのは観客。
拝読して半日が過ぎても興奮がさめず、深夜、山崎さんの唯一の著作、『俳優のノート』を再々読してしまう。それから、あえて葉書を選んで礼文を書いた。三回書き直して切手を貼り終えたときには、もう夜が明けていた。 |
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| 9月3日 (水) |
落ち着いたヌメリを帯びている文章 |
どかどかと届いた本の山から『切羽へ』(井上荒野 新潮社)を手にとり、カウパー液のような落ち着いた滑りを帯びている文章に惹かれてずっと読んでしまう。作者の父上、井上光晴さんの小説は読んだことがあったが、娘さん(とはいってもおれと同世代)の作品を読んだのは初めてで、素直に感心した。これが直木賞に選ばれたのは良かったと思う。宮部みゆきさんの『火車』が候補になって落選して以来まったく興味をなくしてしまった同賞だが、この選考は評価されていいだろう。 その後は、『ゴドーを待ちながら』の改訳本を読みながら眠りに落ちた。 |
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| 9月2日 (火) |
女たちにくるまれて |
昼、ゴブリン書房のT田さんから連絡があり、昨日の産經新聞に『あたらしい図鑑』の書評が出ているとのこと。テーブルの隅で畳まれたままになっていた同紙を開いてみると、たしかに、中村航さんによる書評が載っていた。題して「ギプスをつけて過ごした夏」。力みのない文章を読んでシャワーを浴び、夏のスーツに着替えて外出。 久しぶりにMFを訪ね、「ダ・ヴィンチ」編集部の横里編集長とさくっと打ち合わせをすませてフジオ・プロダクションへ向かう。タクシーでの道中、同誌をとりまく近況などを聞き、こちらは赤塚さんに関連した話をして過ごし、下落合で降りる。更地になった空間を見た途端、かつてそこに何があったのか思い出せずに戸惑うも、炎天下、川沿いの道を歩いてプロダクションに到着。同事務所のT中さんに再会して横里を紹介し、『これでいいのだ。』の文庫化の許可をいただく。ありがたい。事務的な話を終え、赤塚先生の思い出をT中さんと語り、「母性に包まれた私生活」という点で盛り上がる。先生は女たちにくるまれて暮らし、男たちとスクラムを組んで仕事に没頭したのだった。 その後、新宿で横里と別れ、地下鉄で四谷に出てからタクシーで麻布三の橋。開店直後の「あら喜」でビールを飲み、ポテトサラダ、牛ごぼう、煮なすびで炊きたての白飯をいただく。幸福。18時半に帰宅し、仮眠をとってからちょっとだけ原稿を書き、ウータに足をかじられながら枕に沈んでいった。 暑い一日だった。 |
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| 9月1日 (月) |
戦(いくさ)もせずに |
以前にも2度ほど指摘したと思うが、2005年9月11日の衆議院総選挙(いわゆる郵政選挙)で自民党が大勝した際、おれはこの酔狂記に「自民党、真の崩壊のはじまり」とタイトルをつけて長々と自説を書いた(酔狂記2に掲載)。そこで予想したとおりに参議院選挙で大敗、安倍首相辞任となり、そして今回の福田首相の辞任だ。泥にまみれる気のない人が公明党の要求に屈する自分に堪え難かったのだろう。しかし、それも自民党が公明党、正確にいえば創価学会との連立を選択した時点で覚悟した妥協域だったはず。が、彼はそれが堪え難く、これを機にと決断した。その際の比較対象が安倍前首相の姿だったというのが滑稽でならない。過去の愛人問題で辞めた故・宇野首相と競うほど憲政史上最低レベルに情けなかった安倍氏と比較しなければ、自分の決断を良しといえない彼。記者会見の最後にみせた逆ギレの瞬間に彼の本質がよく見えたが、真にプライドを大事にするなら総選挙で堂々と正論を説いて負けてみせるか、せめて会見の最後まで飄々として見せるべきだった。 でも、なんだか虚しいな。戦もせずに逃げ出すリーダーを冠するこの国の現状。きっと国の何かを象徴しているに違いなく、それは社会全般、なにより若い人たちの気分にじわっと浸透しているのだろう。いわば国家的鬱状態にあるような気がする。
こんな政治家たちに浸食されてはたまらないから、いつも以上に淡々と自分の仕事をしよう。ちょっとずつでもいいから前に進もう。9月朔日にながめた彼の顔を他山の石として。 |
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| 8月31日 (日) |
福音の気配 |
空疎な日々を送っていると自覚しつつ生き、あらためてざっと数えてみればほぼ300日が過ぎ去った。精神をゴム紐に擬してながめてみると、爆発寸前まで弛みきった感がする。ゴム紐は決して伸びきったときばかりが苦しいのではないと知っているから、いったいどこまで弛みに耐えれるものかと自虐的な観察をつづけてみたが、もうここらで充分だ。 長薗安浩にもどろう。 終日、『言魂』(多田富雄 石牟礼道子 藤原書店)を読む。幽玄の境から響いてくる肉声が印字されている感すら覚えるほどに、知の人の絶唱のようなものがこちらに届く。それは幸福な出来事であり、たとえ厳しい内容が詰まっていても、そこには福音の気配がただよう。 8月が終われば9月になる。ここにひそむ知の差配に感謝する。 |
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| 8月30日 (土) |
春の朝 |
予定では信州に遊びに行く予定だったが、生憎の天候にうんざりして取り止める。しかしベランダでは、ハイビスカスが薄桃色の花を咲かせ、朝顔が最初の花を開き、バラが紅色の小ぶりの花々をつけ、名前を忘れてしまった植物が三種類の色の花を風にふるわせていた。まるで春の朝のようだった。 午後、松田哲夫さんから退職を知らせる葉書が届く。生涯編集者を歩む人のまた新たな選択を寿ぐ。 |
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| 8月29日 (金) |
いい店 |
夕方、地下鉄で東銀座へ行き、新橋演舞場の前でY田さんと合流して「木挽」へ。2階のテーブル席でビールで乾杯し、そこからは旬の魚を刺身でたらふくいただき、女将ご推奨の日本酒をくぴくぴいただく。料理はたしかな腕の証である押さえ気味の味付けで飽きがこない。だからつい食べ過ぎでしまうも、そこは和食の良さで腹に持たれず、後半は酒の味を堪能する。噺家や役者が贔屓にするのも無理がない。 しかし。店を出たら街は豪雨にさらされ、上空では雷鳴が鳴り響いていた。お店が貸してくれた傘で身を防ぎつつ歌舞伎座の前まで歩き、そこでタクシーをつかまえて六本木へ移動。嵐が去るまで呆けて外に出てみたら、雷は去ったものの雨はまだ降っていた。暑い秋の予感、なお深まる。 |
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| 8月28日 (木) |
ブエンディア家の隠し子の末裔 |
停滞した前線のために降り続ける雨。愛知県での未曾有の豪雨のニュースを憂いつつも、つい先日再読した『百年の孤独』の舞台、マコンドの天変地異に思いを馳せてしまった。 マコンドの雨は、4年11ヶ月と2日も降りつづいた。そしてある金曜日の午後2時、太陽はあっけらかんと照りはじめ、今度は10年にもおよぶ旱魃がはじまった。生き延びるだけでも困難な環境となった町から人々は逃げ出し、バナナ会社は去り、家も店も朽ち果て、開拓前の密林へと戻っていった。100年にわたってこの町を拓き、活性化させる使命を担ってきたブエンディア家の末裔も、孤独の深淵に身をおいたまま滅亡へと突き進む。 この20世紀を代表する大傑作は、凝縮された100年を生きた一族を描くことによって、人類史を俯瞰してみせたのだろう。拡大と縮小の原理にしたがえばそれは可能な試みであり、読者は始まりと終わりの間にいながらその終焉だってながめることができる。この作品がいちいち過剰なのは、人類の希望も絶望も100年に凝縮して描いているからだと想像する。そうすることで一人の登場人物に19世紀を生きた男たちがすべて集約されたり、19世紀から20世紀初頭を生きた女たちが象徴されているのだろう。希望と絶望を混合すれば、きっと孤独だけが輝くに違いない。 ゲリラ豪雨なんてネーミングで呼んでいると、この環境の変動を誤解するような懸念を覚える。 おれたちは、21世紀を迎えてしまったブエンディア家の隠し子の末裔かもしれない。 |
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| 8月27日 (水) |
歌舞伎の化身 |
午後、三田駅から地下鉄浅草線の車両に乗りこむと、山川静男さんが優先席に座ってうたた寝をしていた。直感的に同じ東銀座駅で降りるだろうと予想する。大門、新橋、そして東銀座、果たして彼は立ち上がった。おれもその後に続き、歌舞伎座へ。八月納涼大歌舞伎の千秋楽、第二部を観る。 野田秀樹作・演出の『愛陀姫』が話題の今月だが、各部ともに充実した作品が並んでいる。第二部は、『つばくろは帰る』と『大江山酒呑童子』。 前者は、川口松太郎(余談だが、彼は第1回直木賞受賞者)作の新派の名作を初めて歌舞伎化したもの。主演の三津五郎、君香を演じた福助、きっちりと身に染みこんだような芝居をみせ、客の一部を泣かせていた。 後者は先代の勘三郎のために書き下ろされた作品で、中村屋の大切な演目。今回はコクーン歌舞伎でおなじみの串田和美さんが美術を担当、仕掛けの妙味も堪能できる舞踏劇となっていた。勘三郎は、観るたびに歌舞伎の化身になっていくようだ。巧いとか熟すとか、そんな表現では的を射ることができないほどに彼が歌舞伎そのものになっている。歌舞く美しさ、面白さ、破壊力がどんどん伝わってくるから、芝居が終わってからもほどよい高揚がつづき、同席したO野さんとついビールで乾杯し、そのまま深酒の夜へと突入していった次第。 やっぱり歌舞伎はいい。 |
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| 8月26日 (火) |
天使のヨイン |
きょうは田村隆一先生の命日。もう10年がたったのか、としみじみするうちにほくそ笑んでしまった。田村先生も赤塚先生と同じく湿っぽいのが嫌いだった。おれも嫌いだから、先生を思えばつい笑ってしまうのだ。 仕事部屋の机の前には今も、田村先生がトレンチコートを羽織ってこちらを向いている写真が貼ってある。亡くなる年の元旦に宝島社の新聞全面広告を飾ったもので、ヘッドコピーは「おじいちゃんにも、セックスを。」。先生の美顔はたくましく、枯葉色に変色した新聞紙の中で時を拒んでいるように色褪せない。おれはこの10年、そこにいる田村先生といったいどれほどの時間向きあってきただろうか。あれやこれやと話しかけることなど日常で、杯を捧げたり、手を合わせて長く黙したこともある。でも、ただじっと見つめているだけで気分が落ちつくから、沈黙の時間ばかり増えていく。 巨きな詩人はほんとうに鎌倉の地で眠っているのだろうか。おれが墓地を訪ねた時など、困ったことに先生は不在だった。
ひとつの沈黙がうまれるのは われわれの頭上で 天使が「時」をさえぎるからだ
田村隆一「天使」より抜粋 |
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| 8月25日 (月) |
上野由岐子の413球、そして江夏の21球 |
22時、書見も猫たちとの会話も中断してNHKスペシャル「熱投413球」を観る。五輪における準決勝、3位決定戦、決勝を一人で投げ抜いた上野投手のピッチングをもとに、その背後にあった経験、工夫、思考を浮き上がらせる内容で、短時間に制作されたわりには広く深く取材できていた。上出来だったと思うが、後半、おれの頭の中にあったのは「江夏の21球」だった。 山際淳司さんが遺したスポーツ・ノンフィクションの傑作は、投手の一球一球に戦況の変化が反映されていて、そこを汲んだ臨機応変の投球の成否によって勝負の行方が動く面白さを教えてくれた。この作品で広島VS近鉄の日本シリーズ最終戦最終回は伝説となった。江夏豊もまた、その生涯成績とは別に歴史上の人物入りを果たした。実際に読んだ方はご存じのとおり、この作品はノンフィクションにしては短く、同作をもとに制作されたNHKスペシャルの放映時間内に読了できるほどだ。しかし、スポーツを描く視点の新しさ、録画映像を駆使した分析、解析の鋭さによって、江夏と近鉄攻撃陣の心理を読み解くサスペンス感覚すら味わい、江夏の最終球の成功を知った瞬間にはちょっとしたカタルシスさえ覚えた。同作は、いわば上質のミステリー作品でもあったのだ。NHKは久しぶりにこの手法を使って上野選手の快投を描いたのだが、これを後追いするノンフィクション本もきっと出てくることだろう。同じ方法では単なる二番煎じになってしまうから、その際にはぜひ、独自の視座に立つか、思いがけない補助線を用意してもらいたい。 ところで、実は、山際さんは亡くなる直前まで「就職ジャーナル」の連載陣のお一人だった。担当は石井慎二(いしいしんじ)君だった。石井がいしいとして『アムステルダムの犬』を上梓した際には、出版パーティーの発起人になってもらった。それから数カ月後、山際さんは46歳で亡くなり、おれといしいは二人で告別式に参列したのだった。もう13年前の初夏の話だ。 |
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| 8月24日 (日) |
暑い秋の予感 |
終日、「遺書、拝読」第58回の原稿。夜、数年ぶりに横川駅の釜飯を喰らって机に戻り、北京五輪の閉会式が終わった頃に脱稿。推敲してN西さんに送信し、夜中、バンドボール男子の決勝戦(録画)をBSで観る。金メダルを獲ったフランスはともかく、アイスランドの銀メダルに虚をつかれた。ハンガリーが水球王国と知ったときの動揺に似ている、ちょっと嬉しくなる事実だった。 それにしても、処暑を過ぎてからのこの冷えこみは何だか不気味だ。暦どおりとはいえこの時期だけ妙に正しく変動されてもな、……暑い秋が来そうな気がする。 |
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