| 12月24日 (水) |
繰り返し |
飯島愛さんには傘がなかったんだな。サイズの合う長靴もなかったんだろうな。いや、自分のサイズがうまく計れなくて、フィットする靴を探せなかったんだろうな。いらいらするわなそりゃ。 キリストの誕生日は12月25日ではないのに「メリークリスマス」と声に出して笑うのはなぜか。笑うきっかけが欲しいだけなんだよな。日本人の雑種性は、良く言えば「生きる知恵」。とにかく強引でもいいから共同幻想を設定して、せちがない日常をやり過ごす。分析すればすぐに瓦解する稚拙な方法だけど、無常の凌ぎ方としては悪くないと思う。おれがやたらと(中国伝来の)二十四節気を寿ぐのも、そうやって虚無に堕するのを防いでいるのだろう。冬至がくる。きた。夏至がくる。きた。そして生きている自分に苦笑する。自分を自覚する。 その繰り返し。生きている間は繰り返し。 |
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| 12月23日 (火) |
呑んで話して |
| 夕方6時半に「acalli」へ行き、「あら喜」の忘年会に参加する。荒木家のみなさん、K原さん、o野くんらと酒を酌み交わしながら会食、談笑。のどかな時間が過ぎる。ありがたい。散会後、o野くんとタクシーに乗って「Flask」へ。カウンターでスコッチ、紹興酒のロックを呑む。途中、フリーの声業の方といろいろ話す。3時、帰宅。團十郎をまた読む。 |
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| 12月22日 (月) |
背景の整理はできている |
トヨタ自動車の赤字転落が意味するところを考えている。世界不況の象徴といった一時的な事象としてではなく、もっと長い歴史的な意味としてどうとらえればいいのか。 以前この酔狂記にも書いたように、現在の先進国と同じように中国とインドが経済成長した場合、必要な資源は地球5個分におよぶ。現在でも、実は2個分を必要としている。つまり、資源消費型の経済行動は破綻を前提に突き進んできたことになる。スタートはもちろん産業革命。その後は植民地政策に基づく帝国主義によってこのイズムが世界に蔓延したわけだが、そこに情報化が浸透し、今、このような状況に陥っている。 背景の整理はできている。 金融破綻が浮きぼりにしたのは、アメリカの市場に依存した「歪んだビジネスの国際化」の実態だった。戦争ビジネスという公共投資を不可欠とする国の市場を前提にうごめく各国間のやりとり。この実情を多くのビジネスマンは知っている。無論、政治家も知っている。その一方にある環境問題……。アメリカに依存した第二次対戦後の国際ビジネスモデルを変換できるか、要点はここにつきるのだろう。 問は簡単だ。 アメリカが戦争をしない10年を送るとした場合、さて、何をもって経済の底流を生み出すのか。 もう少し卑近な問ならば、内需は何をもって回復し得るか。 それは決してガソリン車の復活ではないだろう。ガソリン車は今回の不況の前から売り上げを落としはじめていたのだから。 とりあえずはっきり見えているのは農業の問題である。食の問題である。日本は今、この難題に踏みこむチャンスを得たと思っている。
今日はここまで。 |
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| 12月21日 (日) |
いい春にせねば |
冬至。 アメリカでは「冬がはじまる」目安として冬至をとらえているらしいが、おれは、春の予感、いや夏の予兆としていつも受けとめてしまう。心がはしゃぐ。寒暖の問題ではなく、単純にこの日を境に日照時間が延びていくという地球(北半球)の周期に影響されるのだ。その意味からも正月は「初春」であり、あらためて陰暦の正当性を体で、本能で実感する。 いい春にせねば。 なっ。 |
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| 12月20日 (土) |
落語、そして宴二席 |
17時半過ぎ、虎ノ門のニュショーホール(日本消防会館)へ。M橋師から誘ってもらったビクター落語会。橘家文左衛門の「道灌」、桃月庵白酒の「真田小僧」、柳家権太楼の「二番煎じ」、瀧川鯉昇の「千早振る」、古今亭志ん輔の「掛取万歳」……五者そろって上質の内容で、素直に感心する。終演後、赤坂に移り、M橋さん、I本、N村さん、T巻さんと会食。落語の後はやっぱりこれ、ということで日本酒をぐびぐび呑み、鳥鍋を喰らい、〆鯖をつまみ、あれこれ話してお開き。タクシーで帰宅し、ついついうたた寝。ひょっと目を覚ますと携帯電話が鳴っていて、今度は六本木の宴に呼び出される。が、行って間もなくお開きとなり、始発で帰るというK林青年とともに数年ぶりに六本木交差点のアマンドへ。そこで青年の来し方、日常をヒアリングしてラーメン店に移動。あらためて生ビールを呑み、餃子をつまみ、支那そばを喰らい、青年から運動の重要性を説かれて散会。 帰宅後、目が閉じるまで『われらが歌う時』(リチャード・パワーズ 高吉一郎/訳 新潮社)を読む。 |
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| 12月19日 (金) |
宿痾 |
「月刊現代」最終号を精読。ノンフィクションは志が長くあってやっと日の目をみる仕事なだけに、その母艦となってきた同誌の休刊は残念。取材報道はビジネス的には費用対効果が低く、日本だけでなく欧米でも、電波や紙といった媒体の違いを超えて縮小傾向がはなはだしい。これは、マスコミが本来担ってきた「権力の監視」といった役割さえ危うくさせる事態に違いない。 経済構造の問題が一番なのだろうが、「受けてがダメになってんだよ」という赤塚さんの晩年の口癖がやたらと思い出される。物の充足によって人は緩むと言われ続けてきた。同じ論法で考えれば、情報量の増加によっても人は緩むのかもしれない。もうこれ以上はいいよ、このぐらいで十分だよ。といったところか。 夜、太宰治が自死を決めてから書いたといわれる『家族の幸福』を32年ぶりに再読する。かの「曰(いわ)く、家族の幸福は諸悪の本(もと)」という一文で有名な作品である。しかし、ずいぶん久しぶりに読み直しておもしろかったのは、冒頭部。戦後間もない時期、官僚批判をする民衆に向けられた作者の分析で、〈民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、謂わばアイコとでも申すべきで〉といった件(くだり)だった。作品自体は、そんな民衆の声をネタにしたラジオ番組を聞いて浮かんできた短篇小説のアイデアを記していく構成で、決して優れているとは言いがたい。しかし、死を覚悟した太宰の眼に見える家族、つまり、最小の人間社会のユニットが構造として抱えざるをえない宿痾を端的に提示することには成功していると思う。地方の金満家に生まれ育ち、心中未遂を繰り返し、「男の本質はマザー・シップ」と語った希有な作家が最期に宣言した「家族の幸福は諸悪の本」論は、俯瞰で見た人間社会の構造論となっていた。それは逆説的に「出家」の意味付けでもあり、女犯を禁じた仏教の戒律の意義を深める。 家族的なものとの距離の取り方は、超高齢社会の浸透とあいまって、これからますます重要なテーマになっていく。 |
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| 12月18日 (木) |
ハッセーは今 |
| 布施明の誕生日。そういえば、布施はかつてオリビア・ハッセーと結婚してたんだよな。『ロミオとジュリエット』のハッセーはある極点にあったと今でも思うほど、美しかった。彼女は今、何をしているんだろう? 布施に聞けばわかるのかしら……。 |
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| 12月17日 (水) |
読む読む 書く書く 考える。そして、酔いつぶれる…… |
昼、大学へ。10月から担当した「創作のための読書講座」の最終回。14時半にすべてを終了し、全回出席した学生さんにサイン入りの『あたらしい図鑑』を贈る。読む習慣を身につけてくれればと願い、「読む読む 書く書く 考える」というメッセージを書き添える。おっちゃんのお節介。それから事務局に戻って単位認定のための成績表を作成し、のんびりと帰途につくも三田駅で途中下車し、3週間ぶりに「ヤマトヤ」へ。生ビールを呑み、絶品のレバ刺し、はつ、一本きゅうり、味噌焼きホルモンで一人打ち上げを敢行し、バスに乗って帰宅。ほろ酔いでメール、郵便物のチェックをしていると「遺書、拝読」のゲラが届き、すぐに対応。19時前に校正を終えて編集部へ送り、一人打ち上げの2次会のために「あら喜」へ行き、カウンターで神亀の熱燗をいただく。出はじめたばかりの焼き筍に感嘆し、寒ブリの刺身、海老芋揚げ、もずく酢をパクパクたいらげ、あら喜パパと来年の暗い景気予測を語りあう。寝不足に酔いが回ってきたおれはさらに勢いづき、「一人3次会」と嘯いて階上の「acalli」へ移り、赤ワインを呑みつつ出し巻き卵を喰らいながらK二くんと愛娘のまどかの成長具合で盛り上がり、ガーリックライスで仕上げる。 満腹。 腹をさすりながら再び帰宅。まだ21時半とはいえフラフラになってベッドへ倒れる。が、1時間後に目が覚めてしまい、書見に突入。昨晩の3名にウディ・アレンが加わる。寝ればいいのに朝まで読んでしまう。 |
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| 12月16日 (火) |
人間、食べなければ肥らない |
| 昨夕に最寄りの白金高輪駅で起きた発煙騒ぎも知らずに原稿に苦心惨憺。朝までやって仮眠をとり、再び机に向かってようやく19時に脱稿。推敲してN西さんに送信し、空腹の叫びを聞く。人間、食べなければ肥らない。いつもなら一人打ち上げのために「あら喜」へ行くところだが、明日の授業を案じて自宅で遅い夕食をとる。その後は、加藤周一、いしいしんじ、市川團十郎の著作を順繰りに読み続ける。どれ一つとしてハズレなし。 |
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| 12月15日 (月) |
されど |
終日、「遺書、拝読」第62回。されど終わらず。されど彼と彼女の日々。 されどされどの人生だ。 |
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| 12月14日 (日) |
何が敵なのか |
今月亡くなった加藤周一さんを偲ぶETVを観る。NHKの豊富な映像資料をうまく編集した刺激的な内容だった。 たとえば。「思想」とは何か、という問いに対する加藤さんの回答は二部構成になっていた。まずは徹底した事実認識、そして「では、どうしようか」と考えること。前者はデータ収集に力点をおいた、いわば科学的な行為であるが、後者は「人間的な感覚による世界の認識」を意味する。その際に不可欠なのは、「何が敵なのか理解する」こと。 敵。そんな過激な言葉で設定された思索の対象は時代によって変わるのだが、近代化が進むにつれそれは個別的なものではなく、「システム」という非人間的な対象に変わってしまったからややこしくなった。ある人々は、その胴元としてアメリカを観るのかもしれない。さらにはその根底にあるキリスト教を悪のシステムととらえるのかもしれない。ならば、アメリカやその故郷であるヨーロッパを手本としてきた明治以降の日本はどうか。……番組が終わってもしばらく、いやずいぶん長い時間考えつづけ、メモまでとって夢中になると、いつしかやっぱり1970年代の日本に辿りつく。その時代のある一年を臨界点とした小説の構想はもう10年ぐらい前からあたためてきた。機は熟しているのかもしれない。 加藤さんの本を新たに3冊注文して夜を終える。 |
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| 12月13日 (土) |
新年をまたずに |
終日、年明け早々に締め切りが控えている仕事のために書見。新書3冊。まだ4冊読まなくてはいけないが、それより書かなくてはいけない仕事が溜まっている。新年を待たずに心機一転しなければ、このままじゃ追いつかない。 反省。 |
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| 12月12日 (金) |
腹九分 |
| 腹の具合はずいぶんよくなり、今のうちにと「OVER THE BOOK」第22回を書く。20時半、脱稿。推敲してM橋さんに送信。一仕事終えた高揚感もあってビールが呑みたくなり、「どんどん」へ。カウンターで生ビール、鳥わさ、牛すじ煮込み(絶品!)、皮ポン酢、レバーとねぎまの串を喰らい、芋焼酎「克」のお湯割りと白菜の浅漬けで一息。そして最後に、「どんどん」名物の鶏ガラスープを使ったラーメンをいただく。腹九分。背中にうっすらと汗までかき、体が暖まっているうちに自宅に戻る。深夜、「文藝春秋」をぱらぱら読み、その後『吾妹子哀し』(青山光二 新潮文庫)読了。青山の親友であった織田作之助の『夫婦善哉』を読みたくなる。織田が亡くなってほぼ60年を生きた青山。………なんだかな。 |
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| 12月11日 (木) |
不良 |
| 前夜、珍しくフルコースを完食したためか、あるいは先週末の浅草深夜ぶらり旅で風邪に罹ったのか、終日、体調不良で過ごす。時に悪寒が走り、腹までくだる始末。へろへろ。書きかけの連載「OVER THE BOOK」に手をつけようにもずっと座ってられず、横になったり起きたりで夜を迎えてしまった。そんなおれの後をウータがついてまわる。愛おしく暖かく、何度も抱擁を重ねた末に深夜、そのままベッドに倒れこむ。 |
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| 12月10日 (水) |
創業者だけは芸術家である。 |
7時半、起床。午前は講義用のレジュメを作成し、昼、出講。批評について、「総体的視点で相対化する」ことの必要性について話す。そして、その「総体的視点」を獲得するために「量にまみれる経験」が不可欠であることも説く。とにかく学生時代にたくさん読み、読むことを習慣にしてくれればと願っている。創作はその先にあるのだ。 夜は、銀座でK田くんと会う。待ち合わせのG8ギャラリーで「傘日和」展をやっていたので全部観てまわり、松永真さんとささめやゆきさんの作品を注文する。その後、「貴舟」の個室でじっくり会談。身体性をテーマに詳しく話しながらフルコースを完食して体重を増やし、「ハートマン」へ流れる。カウンターの中ほどで仕上げの一杯のつもりでバーボンを呑んでいると、 「長薗さん!!」 と大声がかかる。最初は誰なのかまったくわからかったが、名刺を受け取りつつ相手の話を聞いているうちに、彼がJTとの仕事で営業を担当したK澤くんとわかる。14年ぶりの再会。K澤くんはすでにずいぶん酔っていてたが、それもそのはず、自分で立ち上げた会社(モバイルコンビニ)が、この日ついにサービスを開始したのだ。持参した日経産業新聞の写真入り記事まで見せられ、ならばとお祝いの乾杯。社長である彼の隣には若い女性秘書もいて、K澤くんが同じ話を何度も執拗にくり返すたびに、「秘書! おしぼりを口につっこめ」と叫んで遊ぶ。K澤くんは、最後に5回もおれと握手をして店を去っていた。 ビジネスの世界とはいえ、創業者だけは芸術家である。 もう23年前、財界を長く取材してきた方と二人きりで花見をした際、そんな話を聞いた。経営者、なかでも創業をなした人物の恍惚と不安は、その立場にある者にしかわからない。孤独の深度もかなりのもので、油断すれば甘言に逃げこみたくなってしまう。それでも独自でありつづけるのは至難の行だ。往々にして蓄財と血族の繁栄を目的にしてふんばってしまうのは、孤独と疑心の反映なのだろう。 来年の12月10日にまた会おう。K澤くんの秘書にそう指示したのだが、事業の成否はともかく、彼が生きていて前傾であればそれでいいと思っている。 |
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| 12月9日 (火) |
あかん |
| 午後3時、S口くんと急遽打ち合わせ。帰宅後、ちょっと悪寒がして頭漫然。用心するうちに外はどっぷり暗くなり、無為に時間を過ごす。あかん。 |
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| 12月8日 (月) |
予定の授業と、最後の授業 |
さっそくですが告知です。年明けから月に一度、朝日カルチャーセンター新宿校で講座を担当する予定です。現在、受講希望者の募集中です。興味のある方はどうぞ参加ください。(以下は事務局作成の案内文です)
「クリエイティブ・ライティング〜小説を書く」 http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=35302 「ダ・ヴィンチ」創刊編集長を務め、現在は作家として活躍する講師が、創り手・読み手双方の視点から提出作品を講評します。小説を読み、書き、読まれて、学ぶ実作講座です。作品提出が前提ですが、聴講のみの参加も可能です。 ■日時 1/22, 2/26, 3/26(木)19時〜20時半 ■料金 会員 9,450円 一般 11,340円(教材費 1,890円) ■会場 新宿住友ビル ■お申し込み・お問い合わせ 03−3344−1998(月―土 10時〜20時)
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夕方、ランディ・パウシュ(カーネギーメロン大学教授)の「最後の授業」のDVDを観る。余命3〜6ヶ月とは思えない覇気に満ちた素晴らしい講義であり、内容(私はいかにして夢を実現したか)を語るにふさわしい明るさにあふれていた。授業が行われたのは去年のこと、彼は今年の7月に亡くなった。同じ1960年に生まれた者としてあらためて拍手で送った。 |
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| 12月7日 (日) |
一掃 |
まるでスキー場で迎えたような朝の陽射しを浴び、つい玄関前から富士山遠望。稜線、くっきり。丹沢山系も新宿副都心のビル群の輪郭線も、くっきり。昨日の午後の強風が東京上空の穢れを一掃したのだろう。空も年一の澄んだ青で眩しく、目を細めながら室内に戻った。 終日、書見。 |
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| 12月6日 (土) |
偲ぶ夜、寒い銀座 |
夜7時、藤井康宏を偲ぶ元WD(ワークデザイン)研究所の会に参加する。Y山さんをはじめ懐かしい人々と再会を祝しつつも、みなそれぞれが藤井の思いでを語りはじめると、場は通夜と変わらぬ雰囲気に。しかし、それでは酔っぱらいの藤井にふさわしいはずはなく、率先して沈みこんでいた幹事のF江にはっぱをかけ、あらためて歓談の場としてもらう。再会は生きている証である。そして回想は生者の特権であり、哀しみなのだ。 散会後は二次会へは行かず、横里君と二人でタクシーに乗って帰る。 ところで、土曜日ながら銀座には若い男女の姿が多かった。よいことです。 |
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| 12月5日 (金) |
冬の柳川 |
| 昼、「ダ・ヴィンチ」の原稿を仕上げ、不調のパソコンに苦労しつつ送信。どっと疲れて漫然としながら資料本を読んでいると眠ってしまい、目をさまして入浴、即着替えて浅草へ。車中、青山光二読む。久しぶりに雷門を訪ね、それから「二葉」で会食。痛飲。柳川が美味く、日本酒とあいまって体がほかほかになった。その後、いつも「蕎麦の会」の最後に行くバーに寄り、スコッチのソーダ割りを呑んで仕上げる。しかし、外に出た途端に体が冷えてしまい、歩道の端に少し吐く。 |
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| 12月4日 (木) |
すまん |
| セルフ自宅軟禁で終日「ダ・ヴィンチ」2月号の原稿。21時まで机に向かったが、終わらず。すまんS口くん。眼の疲れ激しく、横になって瞼を閉じて数秒後、昏睡。 |
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| 12月3日 (水) |
未来とは、修正されるであろう過去である。 |
7時半、起床。「週刊朝日」の再ゲラ校正をやってN村さんに送り、それから講義用のレジュメ作成。昼過ぎ、出講。帰りの地下鉄内で、きょう学生たちに紹介した「考える」ための本のうちの一冊、『ものぐさ精神分析』(岸田秀 青土社)を読む。ほぼ10年ぶりの再読。たまたま開いた「時間と空間の起源」のたたみかけるような文章に刮目。なんせ書き出しからこれだもの。
時間は悔恨に発し、空間は屈辱に発する。
ここから精神分析の視座に立った「時間」の発明にいたる経緯が説いてあり、その内容に深く同意してしまう。〈未来とは、修正されるであろう過去である〉なんて、そこまで明言されると困ってしまう。……はっと顔を上げると、もう白金高輪駅だった。 帰途、自宅近くのカフェに寄り、生ビール、和風ナポリタンで遅い昼食をとりながら修正されるであろう過去を思う。ロクなもんじゃなかった。 |
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| 12月2日 (火) |
初日とはいえ、段四郎 |
5時、起床。午前、資料読み。ハヤシライスで昼食をとり、古本で買い求めた『小説とは何か』(三島由紀夫 新潮社)を数ページ読む。久しぶりにほれぼれとしてしまうほどの明晰さにふれる。感心しつつ机の前に戻り、15時半まで再び資料読みをつづけ、16時半、歌舞伎座へ。 まずは、『名鷹誉石切(なもたかしほまれのいしきり)』。一般的には「石切梶原」として知られるこの演目、78歳の富十郎が演じる梶原平三をにんまりと観ていたら、後半、六郎太夫役の段四郎が黒子の声にたよって台詞を口にしはじめた。しかも、それが何度も繰り返されるから、舞台近くの客席から失笑がもれてくる始末。見せ場の石切の場面よりも段四郎がちゃんと台詞を言えるかどうかに客の関心がむかい、富十郎のせっかくの熱演がぼやけてしまった。 中入り後は、染五郎の『高杯(たかつき)』。下駄(高足)を履いてタップダンスを踊る染五郎。素直に楽しめた。そして最後は、幸四郎が主役を演じる『籠鶴瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』なのだが、いきなりこの序幕で、今度は彦三郎が黒子の助けを借りて台詞を口にした。さらには、あろうことかまた段四郎が………。特に三幕目の第三場では、主人(幸四郎)の恨みを代弁する台詞をほとんど覚えていないと客にわからせてしまい、ついには失笑すら消え、異様な緊張が漂う状況とあいなった。腹がたつより先に痛々しさすら覚えてしまい、後味の悪さを引きずったまま帰路についた。 今日が初日とはいえ、段四郎も彦三郎も還暦をすぎたベテランだ。80代に手がかかった富十郎が立派に演じている脇で、この失態はどうしたことか。日が過ぎるごとに台詞もものにしていくのだろうが……、ひょっとして体調が悪かったのだろうか。 |
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| 12月1日 (月) |
中指大 |
午前、「週刊朝日」のゲラ校正。行数調整と細かい訂正に手間取るも、11時に編集部に送信。再ゲラをお願いする。そのまま『盬壺の匙(しおつぼのさじ)』(車谷長吉 新潮社)を再読してから銀座カリー、山菜とアサリのあわせで昼食をとり、近所を散歩。帰宅後、創作。悶々としつつメモを取る。書かなくてはいけない作品が4点も溜まってしまっている。徳俵にかかった踵から火が延びてきている実感に唾をのむ。 日没後はソファに寝転び、今度は『月のアペ二ン山』(深沢七郎)を再読。読み終わって上体を起こすとおれの足首に下顎をのせて眠っていたウータも目をあけ、寝ぼけ眼のままソファからのそっと降りた。平熱38.8℃のウータが去った後は暖かく、ふとその窪みに手を伸ばしかけると、そこに中指大のウンコが1個残っていた。 「ウータ!!!!」 そう叫んではみてもウータは長いあくびをして床に寝転ぶばかり。仕方なくティッシュペーパーでつまんで始末し、浴室で足を洗って机に向かい、「ダ・ヴィンチ」の原稿用の資料チェック。夕食をはさんで22時までやり、目がかすんできたところで昏倒睡。 |
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| 11月18日 (火) |
では、2週間後 |
| この「酔狂記」をはじめて3年3ヶ月余りたちますが、今回初めて、明日からの2週間を休筆とします。12月2日より再開しますので、どうかご容赦、ご理解ください。 |
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| 11月17日 (月) |
38.8℃ |
飲んで喋りつづけた週末の影響か、起きてからずっと喉の表面がかさついている感覚が離れない。嫌な感じ。酔狂のつけはいつも喉からはじまる。 「文學界」連載中にここで紹介した車谷長吉さんの『四国八十八ヶ所感情巡礼』が9月末に単行本になり、それを今頃、冒頭から読み返す。やっぱり面白い。作家であることの過剰なまでの自覚に裏打ちされた視線で、お遍路に興じる人々を、それぞれの土地を、何より自分自身を、じっと見つめている。そして、タイトルどおり感情にしたがって人の営みに見え隠れする業を突く。そんな文章ほど冴えわたり、読者をも斬りつける。つまり、文学となっている。 夜、不意の電話に対応して疲れ、困惑し、浜田真理子さんの歌に救いを求めてしまった。
時には思い出すでしょう 冷たい人だけど あんなに愛した想い出を 忘れはしないでしょう
詞/吉屋 潤
「離別(イビヨル)」を7回聴いて書見にもどり、夜中ふと、覚えてしまった歌詞を口ずさむ。少しだけ大きく口を開いたら、傍らで眠っていたウータがあきれるほど長いあくびをし、前脚の肉球をこちらの太腿に押しあててまた眠った。床暖房よりも高い彼の体温。38.8℃。 |
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| 11月16日 (日) |
二度と会うことのない人々に |
16時、タクシーに乗って三軒茶屋にある世田谷パブリックシアターへ行き、浜田真理子ライブ「久世光彦マイ・ラスト・ソングを歌う」を聴く。舞台の上には浜田さんと小泉今日子さんがいて、久世さんの『マイ・ラスト・ソング』の文章を小泉さんが朗読し、浜田さんがピアノを弾きながら歌うという企画。浜田さんの歌は初めて聴いたのだが、普通に話しかけるように歌い出しながらその声がすーとぶれることなく伸びていって耳を奪われた。「離別(イビヨル)」と「ぷかぷか」は絶品だった。小泉さんの朗読も声質を活かして心地よく、久世さんの文意が滑らかに伝わってきた。第一部が終わって休憩に入ると、「離別」が収録されている浜田さんのCDを買い求めた。 第二部は浜田さん一人でのライブ。ジャズ風のアレンジに乗って懐かしい名曲が歌われ、最後、久世さんの写真が舞台の最上部に掲げられたところで聴いたことがない曲がはじまると、すっと涙が浮かんでしまった。久世さんに、そして二度と会うことのない人々にあらためて感謝する。 素晴らしいライブの余韻を引きずったまま、集英社新書のK屋編集長や朝日新聞のH山さんらと打ち上げ会場の下北沢へ移動し、主役が来る前に久世朋子さんを囲んで乾杯。朋子さんも大いに満足した様子で、浜田さん小泉さんが到着した際にはぐいっと抱擁しあっていた。何人かの知り合いと再会を祝しつつ酒を飲み、軽い食事をとりながら話をつづけ、今回のライブのプロデューサーの佐藤さんからもいろいろ企画意図を聞き、二次会へと流れる。そこに川上弘美さんや松山巌さんらも合流。小泉さん、浜田さんとともにあれこれ話し込む。浜田さんは今も松江在住で、出雲大社よりも古い神社の話は面白かった。また、読売新聞で書評を担当している小泉さんの執筆話もなかなかだった。 2時過ぎに散会したものの、自宅が遠い小学館のM井さんの始発時刻まで飲もうと違う店へ移って赤ワイン。しかし、さすがに全員眠くなり、結局みな別々のタクシーに乗って帰る。 帰宅して玄関に入ってからの記憶がまったくない。 |
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| 11月15日 (土) |
まどか |
日がまだあるうちにバスに乗って麻布十番へ行き、検眼を受け、新しい眼鏡レンズの調整を受ける。途中、その店が眼精疲労対策として取り扱っている黒ニンニクをいただく。プルーンのような味にやられ、冷たい緑茶までいただいてしまった。 その後、通りを挟んだ場所にある書店で新刊本3冊と雑誌「東京人」を購入。今月号の「東京人」は手塚治虫を特集しているのだが、レギュラー頁で「学生街三田の隠れ家。」として「acaLLi」を紹介している。批評家で慶応大教授の巽孝之さんが案内役で、萩野アンナさんと坂手洋二さんとともに酒を飲みながら「acaLLi」の名物料理をつまんで鼎談している。この酔狂記にも何度となく登場してきたK二君もオーナーシェフとして紹介されている。めでたい。しかも今月5日、そのK二君に第一子が産まれたのだからお祝いをしなくてはと思い立ち、麻布二の橋にある花屋で大きな長い名前の百合を包んでもらい、開店直後の「acaLLi」へ。鼎談にも使われていたカウンターでビールで乾杯し、あれこれ近況話で盛り上がっているところに、なんと生後10日目の赤子を抱えた百合薫ちゃんが登場。おれと同じ逆子で産まれてきた「まどか」の顔をしばらくまじまじと見つめてしまう。めでたい。これで勢いがついてしまい、その後は赤ワインをぐいぐい飲み、野菜、フィレ肉、生ハム、だしまき卵、特製お好み焼きと食べつづけ、そのまま階下の「あら喜」へ流れて不二才のロック。久しぶりに常連のみなさんと話をして、閉店後はT夫君一家といろいろ話す。Karenにも従姉妹ができたのだなあ、とまたしみじみ。 しっかり酔ってのんびり歩いて帰った。 |
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| 11月14日 (金) |
転寝 |
| 午前中、長電話。午後、転寝。書見。夜、電話。食事。 |
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| 11月13日 (木) |
千鳥足散歩 |
| 夜、Aさんから電話があり、麻布十番で待ち合わせて蟹料理の「涼」へ。菊正宗の熱燗を飲みつつ蟹しゃぶをいただく。最後は雑炊で仕上げ、腹いっぱい。それから「flask」へ移動し、山崎のロックを飲みながら話のつづき。途中、タイのマンゴーを使った焼酎を味見する。珍妙な味。その後も延々と話しこみ、4時半、タクシーに乗り込んだAさんを広尾で見送った後、千鳥足で歩いて帰る。寒かった。 |
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| 11月12日 (水) |
偶然に潜む必然 |
午前、講義の準備。昼過ぎ、出講。往復の地下鉄内で、資料として持参した村上春樹さんの『蛍』、『納屋を焼く』を読了。帰途、いつものように三田駅で途中下車して駅前の「ヤマト」ヘ。今週もいつものお爺さんの隣でまずは生ビールを飲み、絶品のレバ刺し、ハツ、豚バラ、1本もろきゅうを喰らって渋谷行きの都バスに乗り込み、大学へ行く間に10年ぶりに遇った3名の方々の顔を思い出す。みんなそれぞれに元気そうでよかったが、小一時間に集中した再会の連続は奇妙な余韻を残した。昨日の近眼にまつわる出来事といい、こういうことが重なると、つい占いとか運命といったものを信じたくなる。 が、おれはちょっと違う。もうちょっと違う角度からこれらの偶然に潜む必然を探り、あれこれ想像して仮説を立て、そして悪そうな薄笑いを浮かべて悦にいる。「おもろいな、生きてることは」と、ふとうなずく瞬間だ。 夜は、股間で眠るウータで暖をとりながら『堀田善衛 上海日記』(集英社)を読む。敗戦間近の上海で暮らした27歳の堀田。33歳の武田泰淳との関わり、中山れいとの出会い、……後のテーマとなる「乱世」を実際に生きた期間の日記が面白い。しかし今、堀田や武田の小説、あるいは草野心平の詩を読む若い人はいるのだろうか。『広場の孤独』ぐらいは、どうか読み継がれればと願う。 |
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| 11月11日 (火) |
近眼にまつわる一日 |
夕方、タクシーで表参道へ行き、コンタクトレンズを購入しようと交差点近くのビルの4Fを訪ねたら、閉店していた。おいおい。検眼を受けている階下の眼科で事の経緯を尋ねたら、「8月中旬にいきなり倒産して、うちも困っている」とのこと。さてどうしたもんか、と予想外の展開に思案しつつ骨董通りをぼそぼそ歩き、高樹町の富士フィルム本社前でタクシーをひろって一旦帰宅。しかし、どうしてもレンズが必要とあってすぐに麻布十番のメガネスーパーへ行き、どうにか二箱購入。店員さんの対応良く、調子に乗って新しい眼鏡を予約。今週末に検眼をすることにしてバスに乗って帰る。 21時半、昨晩電話をくれたo野くんに電話をすると、予想どおり「あら喜」にいるとのこと。ならばと本日三度目の外出で合流し、彼の恋の終わりの慰労会。乾杯。彼はまだ29歳だから、惚れた腫れたはこれからますます盛んになるに決まっているのだ。大丈夫。 1か月半ぶりに顔を出した「あら喜」だったが、閉店時間が近いとあって早々に勘定をすませ、先週の土曜日に初めて入った魚濫坂下の「GONZO」に流れる。不二才のロックを二つ注文し、あらためてo野くんと乾杯。そして、先月レーシック手術で近眼を治したo野くんの体験談をじっくり聞かせてもらう。いろいろ勉強になった。 やってみたいと思います、レーシック。 |
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| 11月10日 (月) |
悶々 |
| あきれるほどの無為。外出予定も延ばして家の中で悶々。19歳か。書きかけの小説すら人称を代えて書き直したい衝動にかられる。明日は外を歩いて頭を揺らそうと思う。 |
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| 11月9日 (日) |
結果を見定めて |
小説を書かなければいけないのにまったく手をつけずに夕方を迎え、日本シリーズをテレビ観戦。いいシリーズではありましたが、8回表、同点とされた直後に西武の4番中村を敬遠した策がすべてだったように思う。自らを土俵際に退けるような巨人の弱気な作戦が、そのままずるっと負けを呼びこんだといった流れだった。まあ、これも結果を見定めての意見だから何の価値もないけどね。 結局何も書かずに本2冊読了してぬくぬく睡。 |
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| 11月8日 (土) |
床暖房、はじまる。 |
| 立冬後の冷えこみの本格化にしたがい、今季初めて床暖房をいれる。すると、待ってましたとばかりに猫が集まってきて、ぺたりと背を床につけて寝入った。たいしたもんだ。特にウータは、終日リビングから離れず眠り続けた。たいしたもんだ。 |
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| 11月7日 (金) |
筑紫さんとの交差 |
筑紫哲也さんの訃報にふれてあれこれ思い出しつつ考えた。3年前の早春、実は、「ニュース23」の次期キャスターの候補としてどうかと電話を受けたことがあった。雑誌編集・発行人時代にはTBSのいくつかの番組やラジオに出演していたから縁はあったが、びっくりしたまま断った。ニュースキャスターをやるには知識も経験も足りないことぐらい、いくら目出度いおれでも自覚できていたから何の未練も拘泥もなかったが、筑紫さんと仕事をしてみたいとは思った次第。「余人代え難し」と誰もが認める人物の魅力は、近くにいなければ深くは学べないからだ。インタビューを1度やったぐらいでは話にならない。盗めない。 もう少しじっくり考えて、自分なりの筑紫論を「遺書、拝読」に書こうと思う。 |
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| 11月6日 (木) |
取材癖 |
昼前、連載コラムを脱稿。推敲して編集部に送信し、昼食。午後、ゲラ校正をやってこちらはファックスで戻し、化石発掘に関する本をぱらぱら読んでから外出。地下鉄に乗って東銀座まで行き、16時半、歌舞伎座へ。恒例の顔見世大歌舞伎(夜の部)。『寺子屋』の仁左衛門、藤十郎はさすがに安定した芝居を見せていたが、富十郎ファンのおれとしては『船弁慶』が楽しめた。静御前と平知盛の亡霊の二役を演じた菊五郎、富十郎の義経、左團次の弁慶、そして昭和18年にこの芝居の舞台に立ったという芝翫の舟長、……今月の歌舞伎座を象徴するような重鎮たちがずらりとそろった舞台をじっくり味わい、菊五郎の見事な引っ込みに拍手を送った。 建て替えが決まった歌舞伎座を出た後は、途中で合流したAさんと「平城苑」で焼き肉。その後、タクシーで帰宅するAさんを見送り、一人で「茉莉花」へ流れ、某通信会社役員のS木さん、文筆家のK藤さんらと談笑。久世さんに関する著作があるK藤さんと朋子さんと久世さんの思い出を語りあって店を出、今度は「まり花」でY子ママとビールを飲みながら年末の会食の約束をして帰る。 油断すると、おれはすぐ取材モードに入ってしまう癖がある。 |
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| 11月5日 (水) |
創立記念日 |
7時半、起床。パンで朝食をとり、ABCのアメリカ大統領選挙の開票速報を少しだけ観て講義の準備に移る。課題の原稿を読んで講評を書いているうちにちょっと疲れてしまったが、相手は平成生まれなのだからと未来への期待でどうにか終え、「風景の描写を読む、書く」というテーマでレジュメを作成。12時、いつものように家を出て地下鉄に乗って大学へ。が、キャンパスは閑散と静まりかえっていた。文化祭が終わった後の静寂か、と訝りつつ事務局へ行くと、T坂さん、H川さん、おれの顔を見てびっくり。「先生、本日は、創立記念日で大学はお休みなんですけど……」 「えっ、そうなの」 そんなことはまったく知らなかった。2か月前に添付ファイルで送ってもらった学業カレンダーに明記されていたらしい。誰もいない教室でひとり話しまくるわけにもいかないから昼食をとることにし、二人に紹介してもらった中華料理店「華興」でAランチを食べた。ラーメン、炒飯、自慢の餃子2個、そしてお新香。それぞれ及第点の味で、800円也。最後に中国茶をいただきながらスポーツ新聞を熟読し、詐欺罪の容疑者に堕した小室哲哉にあらためて感じ入る。同世代に彼のような人物がいることを喜ぶ。あれはあれで大したもんだとおれは思っている。彼はやっぱり天才なのだ。天才は、近くにいれば迷惑な存在に決まっているじゃないですか。 腹いっぱいになって店を後にし、地下鉄に揺られながら村上春樹さんの『三つのドイツ幻想』を24年ぶりに再読して帰宅した後の記憶があまりない。……あっ、夜は豚しゃぶをがっつり食いました。 |
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| 11月4日 (火) |
小三治独演会 |
朝から机に向かい、解説文の残りを書上げて推敲。メディアファクトリーのS口さんに送信。銀座カリーと野菜サラダで昼食をとり、14時から「Over The Book」第21回を書く。17時半まで書いて切り上げ、着替えて外出。京浜東北線に乗って桜木町まで行き、横浜にぎわい座で「小三治独演会」を聴く。柳家一琴の「片棒」の後、いつものちょっと反り返りぎみの姿勢で師匠が現れ、座布団に座って正面を向いて間もなく、「NHK観たよ!」の声が客席よりかかった。「プロフェッショナル」の100回記念スペシャルのことを云っているのだろう。師匠ははにかんで聞きながし、まったりとした気配をひきずりながらマクラを語りはじめた。 日本刀にまつまわる秘話を軸に、ほぼ45分。大物噺とほぼ同じ時間をつかって道具屋のいかがわしさを客席と共有したとろこで「猫の皿」ときた。こちらの日常にはない間の使い分けと唸るほどの芝居の巧さ、語りによる描写の確かさにしびれる。にそにそ笑い、時に声を噴き出して笑い、サゲの鮮やかさに破顔。思わず「うまいな〜」とつぶやいて仲入り。売店でビール。同伴のM橋さんはワンカップ。かまぼこをかじりつつ待っていると、今度はマクラなしでいきなり「猫の災難」がはじまる。猫つながり。この噺は酒好きの熊さんのマヌケ具合をどう演じるかがすべてといってもよく、一人芝居の基本力がはっきりとわかる。誰でもできるが、誰でも客を笑わせられるわけじゃない。 ……っで、今夜の小三治師匠。完璧! 眼福、耳福、ありがたや。 「まいったな」とおれ。「すごい」とM橋さん。頬を緩めたまま会場を後にし、近くの鉄板焼店「ばんちゃん」に入り、熊さんよろしく冷や酒で乾杯。ぐぐっと互いに2合ずつ飲み、若い店主お勧めのつまみを食しながら小三治落語の素晴らしさと噺家の年の取り方について話す。談春師匠の20年後を夢想する。ついでに芋焼酎をロックで一杯いただき、最終電車で帰京。田町からは千鳥足で歩いて帰り、服を脱ぎ捨てて昏倒睡。 |
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| 11月3日 (月) |
リアルな老婆 |
青山光二さんの訃報にふれ、『吾妹子哀し(わぎもこかなし)』(新潮文庫)を読む。内容と文体が一体化していて眼前にリアルな老婆が浮かんでくる。 終日、漫然。それでも食事だけはきっちりとって早々睡。 |
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| 11月2日 (日) |
幸せ最高ありがとうマジで! |
17時半まで解説文を書き、入浴してからパルコ劇場へ。チケットを手配してくれたS田さんと本谷有希子さんの新作、『幸せ最高ありがとうマジで!』を観る。タイトルはどうかと思うが、内容は彼女らしく、絶望を前提に生きる道を探る作品。以前にくらべて澱みなく内省的なテーマが処理されていたのは、作者の力量があがった証であろう。経験が過剰を削いだのか、とにかく佳い作品に仕上がっていた。そんな作品を演じた主役の永作博美をはじめとする6名の役者もよかった。個人的には吉本菜穂子に強く惹かれた。キャラの立ち方に無理がなく、独特の声をいかした芝居は笑いを誘いながらテーマを掘っていく役割を完璧にこなしていた。いい女優です、彼女。 終演後はビルの最上階にあるイタリアレストランへ移動し、屋外で食事。結婚が決まったS田さんを祝して乾杯し、いろいろ食して話す。男にしろ女にしろ30代は、各人にとってその人にふさわしい善悪ないまぜの10年間になるから、自分の判断に覚悟をもって進んでもらえればと願う。40代の後半を過ごしている先輩は、過去を振り返って素直にそう思うのだった。 |
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| 11月1日 (土) |
すべて合間に動く |
| 人は眠る合間に起きているのだな、とあたりまえのことに改めて感じ入った一日。おかげで体調回復。 |
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| 10月31日 (金) |
「佃喜知」移転のお知らせ |
| 午前中から『これでいいのだ。』の文庫解説を書く。途中、何度かの休憩や書見をはさみながら21時まで、5枚。まだ半分残っていたが、そこで切り上げて銀座に行き、立ち退きのために移転した「佃喜知」でK田さんと夕食。その後、「まり花」で放談。トイレに立って時計を見たら、4時前でびっくり。すぐにタクシーをひろって帰り、卒倒睡。 |
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| 10月30日 (木) |
彼女の笑顔 |
がっつり熟睡して8時半、起床。S本さんが送ってくれた廃墟に関する資料を読了。その後、『ぼくらの七日間戦争』(宗田理 角川文庫)をぱらぱらめくる。奥付を見ると88刷。ロングセラーは、ベストセラー以上に作家の夢である。カバー写真は映画化されたときのもので、頬がふっくらとしてあどけなさが残る宮沢りえが写っている。原石の輝きとはこういう状態のものをいうのだろう。当時、おれはこの映画を観なかった。が、こっそりと初ビデオを買って10代半ばの彼女を堪能した。彼女といつか仕事をしたいと思った。そして数年後、彼女に「ダ・ヴィンチ」創刊2号目の表紙を飾ってもらった。可憐さと伸びしろたっぷりの美の膨らみに目をほそめながら、かのりえママといろいろ話した。「編集長、これからもいろいろあの子に刺激を与えてよね」とママは煙草を吸いながら声をかけてきた。おれは何の裏付けも展望もないまま「はい、おまかせください」と応えた。 その後、おれが宮沢りえ親子と会うのはいつも銀座の文壇バーだった。トラブルもいくどとなく目撃した。ロスからお忍びで帰国したガリガリの彼女の姿を見たときは、挨拶を忘れて深く息を呑んだ。七日間では終わらない戦争の渦中にある彼女の姿は痛々しさだけを放っていた。 今、宮沢りえは日本を代表する女優として活躍している。彼女は壊れることなく生き残り、あの出口のないような長い日々を我がものにして新たな舞台に立っている。そこらの女優じゃおっつかない経験と思惟の堆積があの細い体の奥にあるんだよな、なんてしんみり思いつつ、しばらく文庫カバーにある彼女の笑顔に見入った。 |
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| 10月29日 (水) |
ヤマトの前を通って |
2時、起床。8時まで創作。コーヒーを飲んで授業の準備。課題の原稿を読んで講評を書きこみ、シャワーを浴びて出講。15時半、いつものように最寄り駅のひとつ手前、三田駅で地下鉄から降り、「ヤマト」で生ビールを飲みながら豚バラ2本、一本もろきゅう、レバ刺し、モツの味噌串を喰らう。毎度のことながら、傍らにはキャップをかぶった無口な老爺がいた。はたしていつぐらいにおれは彼と言葉をかわすのだろうか。それにしてもこの時間にさばいてもらうレバ刺しの美味いこと。鮮度がいいからと女将も自慢。ビールを飲み干したところで店を後にし、老人だらけのバスに乗って帰宅。 大量の郵便物が届いていて、その中にあった、角川書店のS本さんが手配してくれた資料本を読みはじめる。ほんとうは仮眠をとる予定だったのだが、結局19時までに1冊読了し、着替えて再び外出。夜の田町駅までタクシーで行くと、「ヤマト」はサラリーマンでごった返していた。NEC、三菱自動車と三菱関連の会社が集まっている田町は、いわば「三菱ご用達の新橋」のような街だと実感する。 JRで有楽町まで行き、銀座1丁目で行われるS江ちゃんの送別会に参加。とあるビルの10Fを貸し切っていて、懐かしい数十名の人々と再会。何も食べずに酒をのみつつ旧交をあたためたが、一番驚いたのは、今春にぴあの役員を退いた坂本健さんが、あの「花畑牧場」の特別顧問になっていた事実。経緯を聞いてみれば「らしくていいや」であった。後半はスピーチをこなし、三本締めと万歳三唱の音頭もとって二次会へ。2時過ぎに散開し、主役のS江ちゃんに送ってもらって帰宅。即睡成仏。 |
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| 10月28日 (火) |
秋は自憮 |
| セルフ自宅軟禁。創作、1枚。書見、1冊。レジュメ、1枚。まあ0よりはいいか、と自憮。 |
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| 10月27日 (月) |
エボダイのごとく |
| 週末の疲れは残っていても、朝食のエボダイは美味かった。昼間はあれこれ連絡業務や書見で過ごし、夜中、創作。やっと30枚。とにかく毎日書く。 |
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| 10月26日 (日) |
8時間の対話 |
6時20分、M橋さんがセットしていた目覚ましで一緒に目を覚ます。談春師匠らとゴルフに出かけるための早起きで、今回は参加しないおれはM橋さんを見送って露天風呂につかり、朝の空を見上げて悠然。全身がかっちり暖まったところで風呂を出て全裸で庭を横切って室内にもどり、脱衣籠をのぞいてビックリ。M橋さんの下着がそこにあるではないか。とはいえ、ゴルフ場に向かっている彼の携帯に電話するのも何だかなと判断し、見なかったことにする。 それから7時45分に館内の和食店に行き、S田さんと朝食。薄味の粥と立派な鰺、鶏肉が効いた茶わん蒸し、サラダで腹一杯になり、ラウンジに移ってコーヒーを飲む。学生時代から知っているS田さんも今年で30歳となり、最近の仕事ぶりを聞いていると、ずいぶん自信がついてきたようで何より。ゆっくり話すのが久しぶりだったこともあり、世情や出版界やコンセプトワークや不妊治療や佐野さんや細野さんや不動産開発や金融事情や一時の雨や本谷有希子の新作や優雅なハリネズミや大正大学やキャリアパスや東工大や世界に通用するデザインや美醜や………等々について対話をつづける。対話はやっぱりいいなあ、とお互いに飽くことなく自分の考えを語り、聞き、少しずつ話題をずらしていく。気が付けばチェックアウト間近になっていて、慌てて部屋に戻って荷物を整理し、M橋さんの下着を残したままフロントへ。 清算をすませて宿を後にし、S田さんと駅前まで歩いてエボダイやマアジの干物を買って「とんかつ みその」なる店で昼ビール。イカバター、冷奴をつまみ、対話の続き。話は尽きることなく、ならばと白ワインをボトルで頼み、あれこれつまみも追加して話す。血族や根拠のない自信や幼年期からの評価や教育や……次第に酔いが回り、軽い眠気を感じてきて店を出、伊東駅。電車に乗って海を眺めながら熱海、そしてこだまに移るころには頭が呆然としてしまう。品川駅でS田さんと別れ、タクシーで帰宅後、ほどなくベッドへ。夜中に起き出し、天麩羅うどんを食ってウータと戯れつつまた眠りに落ちる。 |
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| 10月25日 (土) |
紺屋高尾 |
早朝、創作。3時間睡眠をとって16時過ぎ、品川駅へ。構内の三省堂書店で『酒と肴と旅の空』(池波正太郎・編 光文社知恵の森文庫)を買い、スタバのエスプレッソを飲みつつこだまに乗り、買ったばかりの本に収められた随筆2篇と『優雅なハリネズミ』(ミュリエル・バルベリ 河村真紀子訳 早川書房)を読みながら熱海、それから伊東線に乗り換えて伊東駅で降りる。20年ぶりの伊東訪問で懐かしく、温泉街をぷらぷら歩いて「いづみ荘」へ。 7月に続く立川談春師匠の温泉落語会は18時スタートで、ロビーにはすでに特設の高座が用意されていた。そこで幹事のM橋さんとRiさんと談笑し、露天風呂付きの豪華な部屋に荷物を置いてロビーに戻り、師匠の十八番、「紺屋高尾」を堪能する。ところで今回は、日本テレビの「宇宙で一番会いたい人」(とかいう番組)のカメラが急遽入ることになり、師匠に会うために千原ジュニアも落語を聴いていた。終演後、部屋に戻る際にエレベーターに同乗したのだが、千原ジュニアはとても背が高かった。 19時からの宴会は前回同様に盛り上がる。千原ジュニアとの対談を終えた師匠が現れるとさらに活況となり、一段落したところで師匠とあれこれ談笑。そこで内緒の約束をして席に戻り、打ち上げ後、カラオケ部屋へ移る。数名の女性経営者、各社の編集者がいりまじった場所からちょっと離れて焼酎を飲み、旧知のS田さんとS田さんの後輩でいしいしんじの大ファンであるT口さんとあれこれ話す。1時半に散開となって部屋に戻り、約束を果たしに来てくれたパジャマ姿の談春師匠にお礼と挨拶をして部屋付きの露天風呂で汗を流す。星のない夜空をしばらく見上げて室内に戻り、即睡成仏。 |
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