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酔狂記

3月3日 (火) 徹夜明けの『おくりびと』
 朝までかかって書評を書き上げ、編集部に送ってシャワー。そのまま10時過ぎに田町駅へ行き、「あら喜」のT夫くんと待ち合わせて有楽町のマリオンへ。10時45分からの『おくりびと』を観る。
 いい映画でした。何より脚本がいい。死という絶対的な主題を抱えながらも、その手前にある生の営みをうまく集約して描いている。山形の小さな町を舞台にした狙いもそのあたりにあるのだろう。人の密度がほどよく、市井で起きるあたりまえの生死の物語が、ユーモアをまじえつつ観客の心にすっと入ってくる。メタファーは、特に食や食材をもって効いている。人間の、他の生物を殺して喰らいながら生きているという真実の活用である。
 俳優陣では、本木さんの熱演はもとより、脇の方々がまあ見事だった。山崎さんは、台詞を発していなくてもその場の空気感をその場ならではのものとして醸し出し、声を出せば、それしかないという言葉で物語を展開していく。存在感とは、何もしない演技でもって発する演技だと思い知る。おそらく、俳優はそこを目指して自身を磨いていくのだろう。
 笹野高史さんの圧巻の演技につい涙がこぼれた。まいった。同じく、山田辰夫さんにもやられてしまった。短い出演ながら、その演技だけで亡くした妻との30年ぐらいの関係性が噴出し、それがこちらに伝わってくるのだ。山崎さんもそうなのだが、演技が解説を超えて背景まで浮き上がらせ、知らぬ間に観客を納得させてしまう。まさに名演。
 観終わってすぐに田町まで戻り、駅の近くの蕎麦屋で熱燗2合を酌み交わしながら、T夫くんと感想を語りあう。「観てよかった」としみじみ話すT夫くん。「料理人として元気が出た」と言っていた。それは、食を生業にする者の素直な賛美だと思った。
3月2日 (火) 矢、抜けず
 終日、週刊朝日の書評原稿。『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(白石一文 講談社)を取り上げる。日付が変わっても終わらず。
3月1日 (日) 屋上に巻きつく包帯
 昼間、テレビ映画で『包帯クラブ』を観る。類型的な人物設定、説明的なエピソードなど気になる点も多々あったが、現代の青春映画としてはよくできていると感じる。高崎市の一番高いビル屋上でのシーンは、上空からの撮影が効いていた。あの映像に10代の危うく、勘違を孕んだ孤高が象徴されているのだろう。屋上に巻きつく包帯は、詩になっていた。
2月28日 (土) 臥薪嘗胆、あるいは躁
 13時半、仏教伝道センタービルを会場とする三田落語会(第1回)へ出かけ、入船亭扇遊と柳亭市馬の二人会を聴く。市馬はもとより扇遊も声がよく、それだけでいい気分になる。逆にこの日の市馬は喉の調子が悪いらしく、珍しく湯のみをおいて喉をしめらせつつ噺していた。
 終演後、次回のチケット(古今亭志ん輔と柳亭喜多八)を購入してから田町の駅前へ移り、今年初の「ヤマトヤ」で生ビール。絶品レバ刺し、煮込み、豚バラ、もろきゅうなどを次々と喰らって歩いて帰宅。ついついソファ睡。すっくり目覚めた後、書評原稿のメモ作成。夜中、2月がこの日で終わると知ってしばらく落胆。が、すぐに「臥薪嘗胆」と諳んじては書けない四文字熟語を声にだして元気を取り戻し、晴れ晴れとした気分のまま寝床の人となる。
 おれは躁病かもしれない。
2月27日 (金) シロアリか。シロアリめ。
 降りつける雪に呆然としつつしばらく窓外の景色を眺め、少し創作。16時、マンション下まで来てくれた「ダ・ヴィンチ」編集部のI田さんと「Ti's Table」へ移動し、『詩人からの伝言』の文庫化の打ち合わせ。18時前に自宅に戻り早速、故・田村隆一先生のお宅に電話をかける。先生が亡くなった後も奥様との手紙のやりとりはあったものの、お話をさせてもらうのは10余年ぶりだった。
「以前、たいへんお世話になった長薗でございます」
「……………、覚えてますよ。……長薗さん」
「ご無沙汰して申し訳ございません」
「………頭が、真っ白ですよ。嬉しいです」
 奥様の声を聴くうちに鎌倉のお宅が鮮明に目の前によみがえった。『あたらしい図鑑』に登場するちょっと縦イチの木造住宅。2年間、毎月通った狭い楽園である。要件の確認が終わり、来週おじゃまさせてもらうことになって電話を切ろうとしたら、奥様は一息ついて「あのですね」と声を継いだ。
「シロアリにやられて建て替えましたから、昔とは違う家になりましたけど、場所は同じですから」
「エエエエーーーーー!!」
 シロアリか。
 シロアリめ。
 かくして、田村先生が晩年を過ごされたお宅はこの世から消え、『あたらしい図鑑』にその記憶を留めることになった。10年は、あっと言う間のようで、やっぱりいろんなものを無へと流していくんだよな。きょうを支点に過去と未来を夢想し、夜、ゆっくりと「あら喜」で呑む。
2月26日 (木) やっぱり世間は狭かった
 19時、朝日カルチャーセンター新宿校へ出かけ、講義。90分、しゃべり続けて喉がからからになり、有志の受講生の方々と食事に出かける。まずは「ねぼけ」の座敷で生ビールを呑みながら親睦を深め、二件目の「THE WINE BAR」で赤ワインをくぴくぴやりつつ創作についてあれこれ。23時半に散会し、高輪に住む受講生N野さんとともに地下鉄に乗って帰る。車中、N野さんが「acalli」の常連さんと知って驚く。世間は実に狭いのだ。だから、怖いのだ……。
 多弁と今週初の飲酒できっちり酔狂になり、帰宅後、浮かれポンチのままウータが先に眠るベッドへ倒れこむ。
2月25日 (水) 電話の日
 山崎努さんと電話で話し、受話器を置いた直後、いしいしんじ君から電話が入る。京都への引っ越しは完了したもののまだ梱包を解けない荷物が山積みとのこと。学生時代を過ごした京都に20年ぶりに舞い戻ったいしい君がどんな小説を書くのか、その方向性についてちょっと話を交わし、来月の京都行きを約束して電話を切ると、今度は「ダ・ヴィンチ」の横里編集長から連絡があり、依頼を受けた件について大事な話をする。
 その後は、翌未明まで朝日カルチャーセンターの受講生の作品を読む。3作精読し、講評メモをとったり助言メモを取り終えて昏倒睡。
2月24日 (火) 好い日を訝る
 2時間かけて一通の手紙をしたため、さあ投函しに行こうとマンションの1階まで降りたら雨が降っていた。仕方なく傘を取りに戻る前に郵便受けから通信物を出してみたら、手紙の宛先から手紙が来ていて驚く。部屋で中身を読んで感激興奮し、投函不要と判断。松本から京都に引っ越したいしい君へのプレゼントを持って郵便局へ行き、雨の中をぷらぷら歩いて帰る。
 夜は夜で嬉しい連絡が来る。
 あまりに好い日ではないか、と訝りながら気を鎮めて机に向かい創作。4枚。
2月23日 (月) 美しい人
 よかったな『おくりびと』。ついつい7年にも及んだ本木さんとの仕事を思い出してしまった。『納棺夫日記』を持って「ダ・ヴィンチ」の表紙に登場いただいたのはいつだったか? 何より創刊号の表紙の撮影のために彼と初めて対面した瞬間を何度も思い出した。
 美しい人。
 言葉より先に息をのんでしまったことをはっきりと覚えている。頑固なぐらい生真面目で、話すときは言葉を選び選び、あの目でこちらを見据えて声を出した。今回のインタビュー光景を見ていると、ずいぶん滑らかになっている。言葉が彼の中で彼の回路で構築されているのだろう。だって、彼ももう43歳だ。初めて会ったときは、たしか27歳だった。独身だった彼が結婚し、父親になっていく過程も垣間みてきた。長期間の新婚旅行から帰ってきた際には、外国製の絵本を数冊もって現れたのだが、あれは、奥さん也哉子さんの影響を受けての変化だった。ある時は、中上健次の本を持って現れ、あれこれ逆質問を受けて盛り上がった。
 真面目な人なのだ。つまり、不器用なのだ。だから徹底して為すべきことを問い、苦闘しながら我がものにして前に進んでいく。その成果として今回の栄誉があるのだろう。この映画で山崎努という真の名優との共演を果たした以上、彼のことだから、ますます自身の演技を問い、そして磨きあげていくに決まっている。
 16年前、次代を担う俳優として創刊号の表紙にと懇願し、今回話題になった彼が制作した写真集を引っさげて依頼に行った時を鮮明に思い返し、おれは、少しだけ過去に酔った。……お恥ずかしい。
2月22日 (日) おくりもの
 昼過ぎ、お祝いの品を手配するために外出。最初は近所の花屋を訪ねて配送まで依頼し、それから恵比寿ガーデンプレイスに移動して三越で品探し。あれこれ迷った末、ちょっと変わった花器を購入する。そして腹がへったので地下の食堂街を散策したもののこれといったものがなく、長崎フェアをやっていたデパ地下で食材やパンを大量に買ってもどり、早速、大村寿司を平らげ、夕方には「ベルビーチ」の佐世保バーガーを喰らって仮眠。夜はパンで済ませ、「どうぶつの森」に潜入してそのまま眠りに落ちる。
2月21日 (土) 牛乳
 起きて5分後には机に向かい、20時半、脱稿。推敲後、N西さんに送信し、遅い夕食をとるために「どんどん」へ。生ビールで自身を慰労してから「克」のお湯割りに移り、大好物の牛スジ煮込み、鶏皮ポン酢、焼き鳥3本を喰らい、小松菜などをつまむ。腹8分。夜気にうっとりしながらとことこ歩いて帰る途中、コンビニで牛乳を買う。帰宅後、牛乳をたっぷり飲み、早々に昏倒睡。
2月20日 (金) 祝!
 終日「遺書、拝読」第64回の原稿。途中、初めて「日本アカデミー賞」の授賞式番組を観る。『おくりびと』で助演男優賞にノミネートされていた山崎努さんの受賞を願ってのことだが、首尾良く受賞されて思わず拍手。喝采。猫たちが迷惑そうにどこかに消え失せる中、拙著『セシルのビジネス』のカバーを飾ってくれた木村多江さんが主演女優賞、「ダ・ヴィンチ」で創刊号以来おれが退社するまで毎年4月に表紙を飾っていただいた本木雅弘さんが主演男優賞を受賞する。拍手連発。
 番組終了後、いそいそと机に戻って日付が変わっても書き続けたが、原稿終わらず。いつものことながら「世界」なる抽象を具象化して語る難しさよ。
2月19日 (木) 世界
 ハンチントンの『文明の衝突』や『分断されるアメリカ』をきっかけに、政治軸から「世界」を考える。あっという間に一日が終わってしまった。
2月18日 (水) 5月の空
 花ものの蕾がふくらみはじめ、かたい紅がちらちらと枝のまわりをかざっている。室内に終日いて、猫たちとともに強烈な陽射しを浴びつづけた。空は5月のようだった。
2月17日 (火) あべちゃん2号店で
 18時まで創作。どうにか1枚。なんじゃこりゃ、とこぼしながらシャワーを浴びて着替え、麻布十番へ。担当編集者のMa橋さんと待ち合わせ、「あべちゃん」に行ってみるが、あいかわらず席を待つ人が店先にいて回避。ならばと2号店に移動し、5分待ってカウンター席に座る。「あべちゃん」は特別に美味いという焼き鳥屋ではないが、低価格と気さくな雰囲気で昔から人気がある。特に地下鉄大江戸線が開通してからは並ばないと入れない店になり数年前に2号店ができた次第。この夜も満員だった。おれたちはカウンターで呑んでつまんでずっと音楽やコミュニケーション不全の根深さについて話をつづけ、閉店間際に店を出て「麻布スタンド」で仕上げ、香港人らしきシャレ者爺さんが連れてきていた犬に別れを告げて散会した。
 23時半に帰宅し、中川大臣の迷走辞任に呆れかえってハンチントンを少し読み、生あくび連発後に卒倒睡。
2月16日 (月) はたから見れば
 15時まで創作。行き詰まって散歩に出かけ、飲料や雑誌を買ってもどってから阿部昭の『散文の基本』(福武書店)に収められた「猫のいる短篇」と「短篇作者の仕事」を読む。

 書くとは、はたから見れば滑稽なほど皮肉で、痛ましい、際限のない自己批評なのである。
                       (「短篇作者の仕事」より)

 夕方、村上春樹さんのエルサレム文学賞受賞のスピーチ映像を観る。ささやかながら辛みのきいた内容で、立派な態度だったと思う。「あまのじゃく」であることの効能を二重に活用しつつ、彼らしく比喩を活かして発信していたから。火中の栗を拾う。あるいは、虎穴に入らずんば虎児を得ず、の構えだった。相手の懐で放った批評の言辞がどんな波紋をひろげるのか。少なくとも、彼は文学者として最善の行動をとったとおれは思う。感心した。
2月15日 (日) 人気の理由
 ベランダのヒヤシンス、満開。ジムに行く予定だったが、結局、「どうぶつの森」をやってしまう。昨年末、義母の通夜を待つ空き時間に甥や姪から教えられたこのゲーム。その人気の理由がわかった。
 夜は週末恒例のしゃぶしゃぶ。『天地人』、おそらく来週からは観ないだろう。
2月14日 (土) 柄にもなく
 予報どおりの高温好天に誘われ、10時には散歩に出かける。まずは春日通りを横ぎって幽霊坂を登り、亀塚公園へ。「更級日記」にも出てくる亀塚を拝み、少し離れた場所にある貝塚へ移動し、周辺に咲く紅白の梅を眺める。縄文の時代から絶えず人が住みつづけるこの三田台地は、拙作『コラージュ日和』の大事な舞台でもある。創作時には描写につまるたびに足を運び、太古の貝の堆積と向きあった。梅を堪能した後は近くの日蓮宗の寺に寄り、「朝顔に 釣瓶とられて もらひ水」(千代尼)の句に描かれた井戸を見学してから高輪へ足を進め、とろとろ歩いて白金高輪駅付近にもどり、オープンカフェでブランチ。腹七分で帰宅して小一時間後、今度はバスに乗って出かけ、田町の駅前でゲームソフトを2本購入し、帰路、月桂樹の苗と花ももの木を求めて戻る。汗びっしょり。暖気の中、新たな植物をベランダと室内にレイアウトしてほどよく疲れる。
 柄にもない春めいた一日だった。
2月13日 (金) たまたまの
 詩集が並ぶ書棚から『吉野弘詩集』(ハルキ文庫)を取り出してぱっとページを開いたら、「十三日の金曜日」というタイトルに出くわした。不意の偶然に少し不気味な感慨を味わいつつ読んだ詩は、私小説のような詩だった。ある年のある13日の金曜日、父は娘が飼っていたインコの雛を不慮の事故で亡くし、嘆き悲しむ娘に泣くなと声をあげ、断っていたウイスキーをあおって腸を焼き、理不尽な死を憤怒して過ごしたのだった。
 それだけ。
 そんな一日。たまたまの13日の金曜日。
2月12日 (木) やっぱり落語はいい
 17時までとにかく机に向かい、シャワーを浴びて外出。恵比寿ガーデンホールへ出向き、五代目桂米團治襲名記念落語会へ。桂二乗につづき桂団朝が登場し、一昨年の東西名人会で聴いたときと変わらず威勢のいい語り口で「寄り合い酒」。上出来。それから桂南光が上がり、あの絞り出すような浪曲師ばりの声で「初天神」。二回目。蜜をなめる場面で、小三次演じる虎子を思い出す。そして祝いのゲストとして談春師匠が登場し、米團治の健康法をマクラで紹介してから端折り気味の「天災」を披露。中入り後は、襲名のご挨拶。御歳83歳の人間国宝、米朝名人も元気に口上を述べ、南光が会場を大いに笑わせてから米團治。予想通り得意の芝居噺の「七段目」を演じ、その持ち味を十分に披露して終わった。
 終演後、米朝事務所のO島さんにご挨拶してからいつもの落語会メンバーで恵比寿駅の東口に流れ、豆腐料理の「空ノ庭」で会食。落語会の感想からはじまり、中野区のイベントプランナーに転職したM山さんに新たな落語会の企画を提案しながら日本酒をぐいぐい。やっぱり落語はいい。家元が嘆くほど現況は悪くなく、才能ある30代、40代がそれぞれに腕を磨いている。23時半、散会。タクシーで送ってもらい、阿部昭の短篇「猫」を読んでから昏倒睡。
2月11日 (水) 高原は?
 年に1、2度しかないのだが、自宅で焼酎のお湯割り(しそ梅入り)を呑みながらサッカーW杯予選、日本VS豪州戦をテレビで観る。結果はご存知のとおり。引き分け狙いの豪州が狙いどおりの試合を展開した感が否めない。彼らは余力をもってポイントを押さえながら試合を運んでいた。つまり、日本より地力があると自覚しているのだ。
 高原の現況はどうなっているのだろうか。
2月10日 (火) 時間の再生
 連日の本の処分、30余冊。その後、猫の餌とトイレ用の砂を買いに出かけ、予想外の暖気に拍子抜けして戻る。帰宅後も掃除を続けていると、懐かしい人からの手紙がまとまって出てきて思わず読み込み、長々と感慨にふけってしまった。時間の再生があらためて生きることの一回性を突きつけ、ソファからなかなか腰を上げることができなかった。
2月9日 (月) 政治空白という名の人物
 5時起床。朝食まで書斎の本の整理を続ける。暗いうちに30冊ほど処分し、ようやくカーペットが顔を出す。疲れる。
 14時から国会中継を観る。枝野議員の介護、少子化対策を内需刺激策と雇用急増対策へのテコとする提案に拍手する。100年に1度、とバカの一つ覚えのように喧伝するなら国家予算もそれにふさわしく”選択と集中”ぐらいやってみればいいのに、結局は均等配分の域を超えられないのでは、100年に1度が聞いて呆れるではないか。それはつまり、「100年に1度」が単なるお題目でしかない証であり、口上にその題目を唱えればあらゆる現況に対するエクスキューズになると信じている麻生太郎氏の言葉との関係性を端的に物語っている。内実の欠如は言葉の軽視の証明であり、それを補うべく、彼はあの場違いの表情を浮かべて明るく振る舞うしか術を知らない。麻生家の太郎氏はそれでやってきたのだろう。何とかなったのだろう。
 初めて国政選挙に出た時、街頭で「下々のみなさま」と第一声を発した人物である。渋谷の豪邸、飯塚の本家を見るまでもなく、彼は本物のセレブである。ちょっとした漢字の読み間違いや失言や勘違いなどは、生来、時々の側近が何とかしてくれたに違いない。彼はやたらと自分が経営者であった経験を誇らしく口にするが、どうってことのない経営者であったことは広く知られている。ずれた経営判断もまた側近や弟さんたちが何とか修正、回復してきたと容易に想像がつく。彼は、いわば、過ちの火の粉をいつも最小限ですむ仕組みの中で育ってきたのだ。そして68歳になって首相になった。だが、首相という立場でこうも何度も続けば、周囲もお手上げだろう。あの4年前の郵政選挙で当選した連中で構成された現在の自民党の衆議院議員たちは、いったいどんな思いでこのバカバカしい状況を過ごしているのか。唖然としたその後、どうするのか。彼らは選挙に落ちればタダの人である。麻生家が面倒看てくれるわけではない。
 渡部恒三翁から好きなように突っこまられる麻生太郎氏の姿を観ながら、この人物が首相にある限り、日本の政治空白が続くのだと確信した。政治空白という抽象が固有の人の姿に化している、とても不思議で不気味な光景。うんざりである。
2月8日 (日) それにしても
 前日に購入した本棚はすぐに一杯になり、午後もう一本買って戻り、作業を続ける。一月半遅れの大掃除といった感じで、まずはリビングのソファ周りの書籍と雑誌をすべて片づけ、ソファ下も含めて床磨き。19時半に夕食をとるまでにゴミ集積所との間を4往復し、あらたに100冊ほどの本を処分する。
 それにしても『天地人』よ。期待して毎回観ているが、このふにゃふにゃ感はこのままなのだろうか。スタジオ内でライトアップで撮られた内紛のやりとりなど唖然としてしまった。また、織田家の忍・初音を演じる長澤まさみの登場、言動が不自然で唐突感が否めない。学芸会か? そもそも戦場のシーンもなおざりで、直続が殺傷にびびってしまう根拠を弱めている。経費削減か? 史実ではない場面での突っ込みどころ満載とくれば、これはもう演出の責任だよな。
 食後、書斎兼仕事場の片づけを残したまま横になり、結局は作業に戻れないまま昏倒睡。 
2月7日 (土) 本、処分1
 8時、起床。11時、本棚や什器類を買いに出かけ、帰路、ふらっと三田四丁目を散策。34軒もの寺が集まっている同地だけに、住宅の脇をのぞけばそこには必ず寺がある。真宗、臨済宗、浄土真宗などの各寺で足をとめ、庭を歩き、仏像や額画を鑑賞する。最後は、化粧地蔵に参って乾燥肌の回復を祈願。それから大丸ピーコック魚藍坂店に寄って食材を買い込み、帰宅後、2種類の餃子と春雨サラダ、鯵フライで昼食をとってから書籍の整理をはじめる。
 夕方までに50余冊の本と100冊あまりの雑誌を処分したのだが、中腰の体勢を続けたために腰が痛くなり、作業を中断してメダイの刺身で夕食をとってソファに倒れこむ。処分すべき本はまだまだ溜まっている。
2月6日 (金) 〜ので
 『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』の下巻315ページを一気に読んでしまう。白石さんは一度、きっちりと思想書を書けばいいのではないかと思う。
その後は芥川賞を受賞した『ポストライムの舟』(津村記久子 講談社)を少し読む。〜ので、〜ので、でつながっていく文章が内容よりも印象に残る。彼女の他の作品を読んでいないので判然とはしないが、この文体が漂わせる雰囲気はこの作品にはあっている。
 目が疲れ、夜は早々に寝床の人となる。
2月5日 (木) 休養効果
 目を覚ますと前夜の酒は抜けていたものの、風邪の兆候がはっきりと出て困り、夜の会食を欠席する旨連絡を入れて休養をとる。おかげで夜を迎えるころにはくしゃみ、鼻水ともぐっと治まった。
 書かねば。
2月4日 (水) 義務
 19時、銀座で亀谷を偲ぶ会。去年と同じメンバーで大いに呑んで話す。ビール、焼酎、シングルモルト、シェリー、またビール。4軒巡り、2時、横里とタクシーに乗って帰る。即身成仏。複数で亀谷を偲ぶと、まるでそれが義務であるかのように必ず深酒となる。
2月3日 (火) 詐欺の人
 記号学の古典中の古典、『昔話の形態学』(ウラジミール・プロップ 北岡誠司・福田美智代 水声社)にざっくりと目を通す。到底ざっくりで吸収できるような代物ではないのだが、だからこそざっくりであってもその精緻な物語分析に圧倒される。初版は1928年らしい。
 それにしてもL&Gの詐欺事件よ。過去も現在も未来も関係なく、人あるところに必ず欲望くすぐる甘言が飛び交い、一部はその幻を手に入れようとする。その繰り返し。詐欺を働く人と乗る人の姿を見ていると、どこか呉越同舟の感がぬぐえない。今回の件でも、あの円天市場の活況を紹介した映像に出てくるオバさんたちの喜々とした態度、声、発言内容を聴く限り、ほとんどの人は同情の念すら感じないだろう。同じ根から生えだした葉形が違うだけの植物が互いにツタを絡み合わせているようにも見える。
 儲け話とは異なるけど、おれは、かつて(もう20年以上前に)ある知人から騙されたことがある。50万円を2回だったか。某大学の応援団を立て直すためにという名目に協力したのだが、彼はすべて遊興費に使っていた。被害者はおれだけではなく20名近い人が彼に金を貸していて、それがわかった時、おれは彼を追求した。彼は泣き、わめいた。最後は彼の親が返済して警察沙汰にはならなかったが、東京への異動が控えていたおれは、金を返してもらいそこねた。その際に知ったのは、彼がかつても似たようなことを起こして大学を中退したという事実だった。一時であれ詐欺で成功した経験を持つものは、ほとぼりが冷めるとまたやってしまうらしいが、件の彼はその後、進学塾の経営に乗り出した。順調らしいと噂を聞いて間もなく、彼は某テレビ番組でやり手の経営者として出演していた。しかもレギュラーだという。いい加減な番組だと苦笑した。制作体制の荒っぽさが透けて見える一方で、怖いよなと思った。こちらからの音信は絶った相手とはいえ、彼が犯罪に手を染めないことをマジに願ったことを覚えている。彼の会社は、その後もちゃんとまわっているのだろうか。今さらながら心配になった。
2月2日 (月) スタイル
 5時、起床。10時まで通信業務。その後、ちょっとだけ散歩して寒さに震えて戻り、白石一文さんの新刊『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』(講談社)の上巻を読む。開き直ったような白石さんらしい作品。小説という体裁を極力薄めに纏い、作者自身の人と世界へのテーゼを次々と吐露している。破綻していると批評する人もいるだろうが、これが彼のスタイルであり持ち味なのだ。小説は読者を混乱と不安の渦に引きずりこみ、そこでしか目撃できない地点へと導く。読者はその行程を楽しむ。おれはニヤニヤしながら読み、下巻はしばらくたってから読むことにする。
2月1日 (日) 独り問答
 7時半、起床。『ヤバイ社会学』(スディール・ヴェンカテッシュ 望月衛・訳 東洋経済新報社)を読みつつパンとコーヒーで朝食。前日の強風で穢れが飛び散ったらしく、冠雪の富士山が濃く近くに見える。壮快。14時過ぎ、昼寝。夜はアンコウ鍋を食しながら「天地人」を観るも、アンコウの臭みにやられ、ちょっとだけ食べて箸をおく。その後は辺見庸さんが登場するETVを最後まで観ながらメモをとる。こちらが長年考えてきた問いに響く発言があり、途中からはそちらに集中してノートをとる。手応えのある独り問答ができた。
1月31日 (土) 探って呑んで
 昼夜逆転。昼前に寝て夕に起きだし、21時、「あら喜」で食事。仕事が終わったT夫くんとカウンターで話しながら不二才のロックを呑みつづけるうちに1月は過ぎ去った。無意識を探る日々である。
1月30日 (金) いい雨
 迎春を楽しむために、今年は紅白二種類のツヅジを育てている。
 いい雨でした。
1月29日 (木) 命日は巡る
 12時、マンション前で「ハートマン」のM田店長と合流し、タクシーで目黒行人坂の大圓寺を訪ね、亀谷の墓に参る。亀谷が逝って10年がたった。
「早かったか?」とM田くんに問うと、彼はう〜んと唸った。
 同感だ。
 1年1年は早くとも、亀谷が逝ったあの日を思うと、もっと長い時間が過ぎ去ったように感じる。実感にしたがえば、20年ぐらいの変化がこの身を巻きこんでいったのではないか。
 墓前で手をあわせ、しばらく亀谷と語りあい、M田くんが持参したウイスキーを呑みあって一服し、手桶をかたずけて寺を出たところで小雨が降り出した。氷雨。二人で目黒駅の先まで歩き、コーヒーを呑んでからタクシーで帰った。
 帰宅後、4名の死刑執行を知り、読みかけだった『人を殺すとはどういうことか』を読み進め、更正の困難さに暗澹としながら読了。続いて『死刑』(森達也 朝日出版社)を手にとる。中途まで読み、あれこれ考える。
 書けない日はせめて1冊の本を読み終える。このぐらいは己に課して生きている。
1月28日 (水) 圧巻の『出星前夜』
 昼間は「OVER THE BOOK」第23回の原稿を書き続ける。予定では18時半から朝日新聞のH山さんと会食することになっていたが、H山さんが体調を崩されたので20時まで書いて編集部に送り、一人で「あら喜」へ。ロースハムの炙り、牡蠣の焼き串、焼き筍、板わさ、新玉葱焼きを食しながら「あら喜」パパの商人としての人生譚を拝聴し、23時半、帰宅。ほろ酔いのまま『出星前夜』に没頭。眼の疲れも何のその、明け方、541ページの大作を読了。圧巻の出来。島原南目の人々の姿がはっきりと見え、しばらく余韻にひたった後、寂光の朝陽をあびて昏倒睡。
1月27日 (火) 『あたらしい図鑑』、読み物部門1位
 ゴブリン書房のT田さんが送ってくれたパブリシティ資料を見てみると、児童書専門店メリーゴーランドさんが選んだ「2008年度BEST10」で、『あたらしい図鑑』が読み物部門で1位になっていた。選評は以下のとおり。

 病院で出会った老詩人は、ぼくの"師"になった……。言葉を感じ、こだわることが、その人の生き方をも変えてゆく。淡々としたラストが、美しい。

 ありがたい。
 ちなみに絵本部門1位は、『だるまさん』(かがくいひろし ブロンズ新社)だった。
1月26日 (月) 開高さんの複製生原稿
 朝、開高健記念会が限定発行した『夏の闇』の複製生原稿が届く。原稿用紙405枚のこの傑作が、開高さんのあの丸みのある大きな字で読める。特典として「出版人マグナカルタ」の複製原稿がついていた。いい字、いい構成。広告に係った人らしい一枚の原稿の魅力に顔が緩んだ。
 連載原稿を書かなくてはいけないのに『出星前夜』がどうしても読みたくなり、担当のM橋さんの顔を思いつつ本に埋没。夜までにようやく一部を読み終え、原稿のメモを記したところで力尽きる。
1月25日 (日) とうてい幻視とは思えない
 前夜の深酒の影響もなく、『出星前夜』(飯嶋和一 小学館)を少しずつ読み進める。虫瞰をベースに鳥瞰をまじえ、島原の乱にいたる彼の地の実相が生々しく描かれている。実相とは人の暮らしぶりである。日々確実に積もっていく労苦と憤懣の一片、一片、一片。作者の視座にぶれはなく、とうてい幻視とは思えない写実の力に圧倒される。面白い。めったに歴史小説を読まないおれも、なかなか本を手放せずに夕を迎え、魚藍坂まで歩いて帰ってしゃぶしゃぶを喰らい、『天地人』を観てまた読む。それでも150ページぐらいで目が疲れ、今度はコラムの資料として『世界を変えた100日』(日経ナショナル ジオグラフィック)をながめ、リンカーン大統領暗殺グループの絞首刑写真に瞠目。結局また目に負担をかけてしょぼしょぼ睡。
1月24日 (土) 14日目
 14時45分、両国駅に到着。千葉望さん、園ちゃん、Sさんと待ち合わせて国技館へ。東の花道の上にある5人用の枡席に座り、早々に乾杯し、焼き鳥をほおばりながら談笑。すぐに熱燗に移り、十両の取り組みなどそっちのけで朝昇龍談義。幕内が近づくにつれ館内は満員になり、品格云々を問う前に興行的に朝昇龍の存在感を思い知る。
 山本山の巨漢はたしかに群をぬいているが、それ故に全員で彼の若死にを心配する。双眼鏡で尻を視たら、月面の比ではない凹凸が飛びこんできてびっくりした。鶴竜は眺めのいい関取で、博多人形にすればいいと素直に思う。白鵬は千代大海の自滅で白星を受け取り、朝昇龍は完璧な相撲で魁皇を退け、千秋楽への気運はさらに高まる。
 朝昇龍の手製フィギュアやあれこれを土産に買って国技館を後にし、タクシーで浅草へ移動して「二葉」の座敷に上がり、「薮そば」から流れてきた一行と合流。N良さん、いしいしんじと園子さん夫妻、S田さん夫妻、といったいつものメンバーが加わって園ちゃんの送別会に突入し、後はいつものどんちゃん騒ぎ。最後は「バーリー」で仕上げ、0時半、散会。横浜まで帰る園ちゃんとともにタクシーに乗って帰宅。即身成仏。
1月23日 (金) 懐かしい金曜日
 昼過ぎに自転車で郵便局へ行き、各種の振込を片づけて帰宅。今度は6名の方々に電話、メールで連絡、スケジュール調整をする。ふとサラリーマン時代を思い出す。
 23時、「どんどん」別館で遅い夕食をとる。途中、仕事が終わった「あら喜」のT夫くんを呼び出し、牛すじ煮込、鶏わさ、ガッツ刺し、出し巻き卵などの品々をつまみながら1時半まで呑む。「克」はいい焼酎である。
1月22日 (木) 半覚半痴
 3時間だけ寝て12時に起き、講義の準備のために提出作品を再読。それぞれの講評メモとともに、全体として話したいポイントをまとめ、入浴。すっきりして家を出、麻布十番から地下鉄大江戸線に乗って都庁前へ。それにしても久しぶりに乗車した大江戸線の車両の狭さよ。ただでさえ圧迫感がある上に帰宅時の満員となると、息苦しさすら覚える。
 うなじまで汗をかいて電車を降り、どうにか迷わずに朝日カルチャーセンターにたどりつき、19時から第1回目の講義をはじめる。男女半々、30代〜60代の方がしっかとこちらを向いていた。やる気十分と感じ、無駄話はいっさいせずにいきなり本題へ。なんせ90分で3作品を講評し、かつ創作の基本についても話すのだから、もとより時間は足りないにきまっている。20時35分、終了。以前からメールでの交流はあるものの顔をあわせたことはなかったN島さんが挨拶に来てくれる。彼が持参した『祝福』にサインし、控え室で担当のY井さんと今後についてしばらく話して退出。
 来る時とは違ってがらがらの大江戸線に乗って麻布十番で降り、小雨の下、歩いて三の橋の「あら喜」へ。夜明けから何も食べてなかったがまずは生ビールで喉をうるおし、焼き筍、ほうれん草の白ごま和え、小やりいか煮(ニンニクと梅も入った絶品)、ロースハムの炙りをぱくぱく喰らい、不二才のロックをぐびぐび呑む。最後は筍ご飯で仕上げ、腹一杯になって帰宅。
 半痴状態でソファに寝転んでテレビを観ると、「宇宙でイチバン会いたい人」なる番組に談春師匠が出ていいた。あああれか、と思わずつぶやき、去年の晩秋に伊東の「いづみ荘」で撮影していたことを思い出すと、なんと自分が映っていてびっくり。失笑。なお、師匠に会いにきたのは千原ジュニアだった。
1月21日 (水) 完徹
 終日、「遺書、拝読」。翌朝までかかって脱稿。推敲後、編集部へ送信し、即身成仏。
1月20日 (火) アメリカは21世紀を踏み出したか?
 「遺書、拝読」に取りかかるも再読、三読と時間を費やして夜を迎え、2時過ぎ、オバマ第44代アメリカ合衆国大統領の就任スピーチを聴く。
 あいかわらずの良い声で語られたその内容は、一言でいえば、「原点回帰」だった。建国時の苦役を乗り越えた精神を範として眼前に山積している難事を突破していこうと訴えていた。よくもまあと唸るほどに練られた原稿で、どこにも無駄はなかった。そして、何よりこのスピーチを出色のものと視聴衆に思わせたのは、オバマ自身の姿だった。
 アメリカ人でなくとも、「そこにアフリカ系アメリカ人が立っている」という現実にまざまざと感動をおぼえてしまう。キング牧師をはじめとする公民権運動に殉じた人々の姿を彼の背後に透視した視聴者も、きっと多かっただろう。しかもリンカーン像の前となれば、黒人奴隷の歴史がそこに重なるのだから何をかいわんやだ。あの時間、あの場所に立ったオバマは、まさにアメリカの暗部打開の象徴として輝きにつつまれていた。そんなことは彼と彼のスタッフは折り込みずみで、だから、人種問題についてはさらりとふれるにとどめ、長くも深くもないアメリカの歴史の端緒を引用して国民に覚悟を求めた。
 完璧だった。
 圧巻だった。
 アメリカの苦難はまだまだ当分つづく。当然だ。それだけの過失を犯したのだから。しかし、オバマはすでに布石を打った。弱音を吐くな、と。痛みはある、と。どこか小泉純一郎の手法を髣髴とさせる。議事堂の上空は抜けるように青かったが、あの時、アメリカの地平線には暗雲も垂れこめていたのではないか。暗雲に覆われて戦争をはじめないことを、おれは、切に願っている。20世紀、アメリカが大不況を脱してきたのは、実はいつも戦争による軍需景気に引っ張られてのことだったから。
 ひとまず今は、アメリカが21世紀に踏み出したのだと信じたい。
1月19日 (月) 大寒前日
 『雑種文化』を読了し、4世紀あたりからの日本文化の特徴についてあれこれ考えながらテレビをつけたら国会中継をやっていてつい観てしまう。参議院の予算委員会。毎度のことながら、与党議員による質疑応答というのは下手な台本の読みあいをやっているようにしか感じない。ただ、麻生内閣は底を打ったような気がする。このままなら支持率18〜20%ぐらいで推移しつつ春を迎えるのではないか。こうして考えると、森内閣の支持率8%というのはすごかったな。竹下内閣の7%は、消費税導入やリクルート事件の影響があっていたしかたなかった感もあるが、森首相はほぼ個人的な失言、失態をもって国民にそっぽを向かれてしまったのだから。

 明日は大寒。
1月18日 (日) テクノロジーに倫理はない
 夕方、書見を切り上げ、今年初めてジムへ行く。ストレッチだけで喘ぎ、バイクを7km、マシーンを小一時間やってふらふらになってジャグジー風呂で放心。帰途、クイーンズISETANに寄って食材を買いこみ、鰤しゃぶを堪能しながら『天地人』を観る。3回目を観終わってもまだ芯を感じないまま鍋にうどんを入れて食事を終え、今度はNHKスペシャル「女と男」の最終回を観る。
 Y染色体と精子の劣化、それを補う生殖技術の発達、……人類はすでに自ら絶滅予防策を講じながら生き延びているわけだ。人類の一部は、いわば佐渡のトキのような存在になっているのだろう。個人的にはバチカンの判断に共感している。滅亡するしかないなら滅亡するしかないかという考えだが、それにしても毎度のことながら思うのは、「テクノロジーに倫理はない」という真理である。その意味から考察すれば、テクノロジーは「欲望」と同義である。さらにいえば、「人間」の代替語でもある。正確に言えば、「人間の欲望はいつも倫理を超えていく」となる。
1月17日 (土) 法曹界の堕落
 刊行されたばかりの『人を殺すとはどういうことか』(美達大和 新潮社)を読む。これは、実際に二人を殺害した人物による著作である。著者名はペンネームで、彼は現在、無期懲役刑に服している。読みながらいろいろ思ったが、違う角度からも考えるために、未読だった『死刑』(森達也 朝日出版社)を注文する。著者による殺人犯の素性レポートを被害者遺族はどう読むだろうかと仮想したとき、まず浮かんできたのが「矯正の限界」だったからだ。
 法的には、服役は罪の「償い」となるのだが、無論、それはあくまでもシステム上のそれでしかない。しかし日本は法治国家だから、刑期を終えれば彼らは贖罪を果たしたこととなり、娑婆に出る。……どんなシステムでもそうだが、そこには立ち上がった当初から限界域が内包されている。矯正システムも然りだが、事が殺人となったときも、やはり限界を前提とすべきなのだろうか。もし前提とするのなら、再犯によって奪われた人命とは何なのか。
 ほとほと人を裁くことは難儀なことである。専門的な知識や研究も不可欠である。また、圧倒的多数の一般人は、その人生において人を殺さない。窃盗すらしない。そうして、ほとんどの人は法的に他人を裁くことも、裁かれることもなく生きている。それは、いわば、法治国家における穏当な人生の権利である。とはいえ犯罪をなす人物は必ずいるから、税金を投じて裁きの専門家である裁判官に法的判断を委任してきたのではなかったか。それを一般人にも半強制的にやらせようと裁判員制度をはじめるとは、法曹界の堕落でしかないとおれは思う。
 社会全般に司法への関心を高めてもらうことと、一般人を裁判に参加させてしまうこととは、まったく位相の違う議論だ。一般社会と司法の判断に著しいズレがあって、それが国家の大命題というならば、まずは司法試験の内容に大鉈をふるってみるべきではないのか。あるいは、裁判官のキャリアの見直しとか。さらにいえば、国民に対する苦役を禁じている憲法にも違反しているのではないか。
 おれたちは専門性がどんどん劣化していく時代に生きている。
1月16日 (金) アイデアフルな金曜日
 18時に六本木へ出かけ、「デル・グラッパ」で落語仲間のRさんと会食。ちょっとしたイベントの相談を受け、素晴らしいイタリア料理を満喫しつつ、思いつくままアイデアを提供する。Rさんは企画力、実行力ともに抜群の女性だけに、こちらが口にしたアイデアへの検証も早く、話はすぐに具体性を高める。その流れの中で他の企画事例も口上に乗り、話はますます面白くなっていく。おまかせのコース料理をすべて平らげても話は尽きず、テーブル席からカウンターに移って談笑をつづけ、最後は教育問題やおれの恩師の態度、Rさんの祖母、ノンフィクション映画の実状などについて語りあって終わる。
 22時前にミッドタウンの前でRさんと別れてタクシーで三の橋まで行き、今年初めて「あら喜」に顔を出す。思えば、クリスマスの夜にここで身内忘年会をやった翌日に義母が亡くなったのだった。そのことをT夫くんに報告した上で不二才のお湯割りを飲み、ナマコ酢をかじりながら23時まで話をして帰宅。愛する「タモリ倶楽部」を観て至福のさざなみ睡。
1月15日 (木) 摩耗、あるいは麻痺
 15時過ぎ、近所にある日経BP社へ出かけ、「日経ビジネス アソシエ」の取材を受ける。相談特集の回答者として登場するらしく、担当のJ部さんが用意した質問に答える。途中から撮影をはじめたカメラマンS木さんは手際よくシャッターを押し、その後は近くでじっくり話を聴いている。時間がたつにつれ調子が乗ってきたのか、我ながらよく喋り、気がつけば3人であーだこーだの盛り上がり。
「読解の力がないから、情報を普遍化した上で自分用に個別化することができないんだよ」
「そーだ!」
「それなのに本を読まないとくれば、いったい状況を読む力をどう鍛える気なのか」
「まったくだ!」
「効率だけ、つまり点と点だけを最短の単線で結ぶことばかり求めていると、こういう環境が悪化したときに折れやすい。ポキっと折れて自殺してしまう人が続出する。もっと層として対象と向きあわないと」
「なるほど!!」

 もう止まらない。

 最後に目線をレンズに向けて写真を撮られる。こればっかりは何百回経験しても恥ずかしい。自意識を最大まで肥大化した姿を晒しているのだから……。電車の中で化粧をする姿のブザマはここに起因していて、それを見ている者は、自分が隠している秘部を撹乱されてほのかに憤る。歌も芝居も笑芸もできずにタレントと名乗ってテレビに出ている人たちは、この姿を晒すかわりに金をもらっている職業人だ。摩耗、あるいは麻痺がいつも側にひかえている仕事であり、たとえば飯島愛さんは、その実相を知って悩んだのだろう。
 凍えるような風に吹かれながら、来るときよりも2分余分に歩いて帰宅。外食の誘惑があったが、寒さに抗する気力がまったく湧かず、粗食で腹を満たして三島と加藤。
1月14日 (水) 苦楽
 中央公論新社のN西さんが苦労して入手してくれた『雑種文化』(加藤周一 講談社文庫)の古本を受け取る。以前から読みたかった本だけにありがたい。少しだけ嘗めるように読んで15時に外出し、都ホテルのラウンジで朝日カルチャーセンターのY井さんと打ち合わせ。カフェオレを飲みながら忌憚なくいろいろ話す。創作について、出版について、……Y井さんはもっと話をしたい人である。16時半に彼女と別れ、根菜カレーで遅すぎる昼食をとって帰宅。『雑種文化』の続きを読み、19時半、麻布十番の「諒」へ。遅れてくるS田さんが来るまで持参した同本を読み進め、その後は会食。沈滞気味の談笑を終えて22時半に帰宅し、ほろ酔いが醒めてから卒倒睡。
1月13日 (火) 寒気の中
 懸案のシラバスを仕上げ、寒気の中、自転車に乗って郵便局へ駆けつけ速達で送る。その後は銀行などに寄って帰り、しばらく放心。電話で我に返り、あれこれスケジュールが決まっていく。夜は、カルチャーセンターの受講生の方が書いた作品を読む。嘆息と混乱をくりかえしながらどうにか一編を読了し、気分転換にシムシティをいじって昏倒睡。
1月12日 (月) シラバスの夜
 大学に提出する講義概要とシラバスに苦心しながら夕方を迎え、目処がたったところで大量の本を処分するために「白金ブックセンター」へ。代わりに歌舞伎本を買って「秀吉」へ行き、店員お勧めの焼酎のお湯割りを飲みつつ、黒ごま豆腐、牛タン塩焼き、たこの酢の物、若鶏の一枚焼き、海老まんじゅうなどを次々と喰らい、だめな人になってコンビニに寄って、びっくり。「BRUTUS」の最新号が"ブルータス大学開講"なる特集を組んでいるではないか。ちょっとしたシンクロに興奮しながらぱらぱらと立ち読みすると、実際に大学で教えているいとうせいこう氏や宮沢章夫氏ら10名の授業内容とともにシラバスまで紹介されていた。猫砂やカテキン緑茶といっしょに買って帰り、即精読。どれも面白い内容だったが、今の気分としては、宮沢さんと柴田元幸さんと伊藤ガビンさんの授業を受けたくなった。
1月11日 (日) 『在日一世の記憶』
 昼過ぎ、オランをキャリーケースに入れて病院へ行き、年に一度の検診と三種ワクチン注射を受ける。体重、3.95kg。昨年とまったく同じとのこと。オランはウータと違ってまったく病気に罹ることもなく、怪我もしない。手のかからない猫である。
 帰宅後、隣のサルバトーレでパスタ、ピザ、シーザーサラダを食べ、赤ワインを一杯だけ飲んで近所を散歩し、大丸ピーコックであれこれ買い込んで16時に戻る。夜は『天地人』を観つつ寄せ鍋を喰らい、その後は歯痛に悩まされながら『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中 編 集英社新書)を幾人分か読む。日系日本人にとっても貴重な内容であり、子どもの頃から交わってきた多くの在日コリアンの方々の顔を次々と思い出し、いろいろ考える。それは、大切な個人史というだけでなく、近代における日本史としての普遍性を帯びている。日系日本人の10代20代の若い人もさることながら、まずは戦後生まれのその親の世代が知っておかなければいけない、痛切で具体的な史実である。過去に無知な者は必然的に現在に対しても無知になってしまうから、実は、ここに集まった証言は必読の価値をもっている。「格差」とか「差別」とか、あるいは「逆境」とか「不合理」といった言葉を使う時、おれたちは彼らの体験をふまえて声に出しているだろうか。誰であれ、状況の相対化のためにも歴史は知るべきなのだ。
 新書でこの内容をものにした編者、インタビュアー&ライターを務めた高秀美さんと高賛侑さん、そして編集者(落合勝人さん)に敬意を表したい。
1月10日 (土) 初荷
 午前中に「別冊中央公論」の原稿を仕上げて編集部に送信。今年の初荷となる。その後、メールのチェックをし、いつの間にか来ていた取材依頼や企画の相談に返事を送る。
1月9日 (金) 新書サイズ
 セルフ自宅軟禁で「別冊中央公論」の原稿。このために年末年始に10数冊の新書を読んだのだが、編集部が提供してくれたデータを見て驚いたのは、各社から出されている点数の多さだった。年間に刊行される数百点の新書を棚に並べるだけでもたいへんだろうに、と書店さんの苦労を想像するも、同時に、出版がハードカバーから新書、文庫へとシフトしている状況について考える。白水社が展開している新書サイズの海外小説などは何の違和感もなく楽しめるから、この方向はさらにひろがっていくのだろう。
 夜になっても仕上がらす、三島を読みながら眠りに墜ちる。
1月8日 (木) 続編をそろそろ
 森高千里はいくつになったのだろう? さくっと調べてみたら、今年で40歳になるらしい。 
『私がオバさんになっても』の続編をそろそろ聴きたいのだが……。
1月7日 (水)  
 昭和天皇の崩御から丸20年がたった。
 その日は寒い日だった。日が沈んでもRB(リクルートブック)の下版作業をつづけ、深夜、亀谷と二人で夜食を食いに出かけたらどこも店が開いてなくて困った。「まいったな」と互いにこぼしながら土橋の交差点に戻ると、複数の警官が近づいてきたので、機先を制するために「ご苦労様です」とこちらから声をかけ、「こんな日に朝まで仕事ですわ」と言ってG8ビルを指差した。若い警官たちはあきらかに困惑していた。彼らと同じぐらい若かったおれたちはコートに両手をつっこんだまま横断歩道をわたり、振り返ることなくビルの裏口へと歩いていった。
1月6日 (火) 蠕動
 5時、起床。ゴブリン書房のT田さん、朝日カルチャーセンターのY井さんから電話。世間が動き出したと実感する。こちらは資料用の本を読み続け、何か文字を追っていないと落ち着かない状態に。その一方で、気になるフレーズをいくつもメモする。頭の中ではネッシーが佇んでいる。小説の蠕動。冬晴れの空、体調の良さが気分を高めているのかもしれない。
1月5日 (月) 事務の夕べ
 4時、起床。仕事用の新書を黙々読み、11時半、昼寝に突入。15時半に再び起きだして軽食をとり、4月から客員教授を務める大学の提出書類に向きあう。この種の事務作業はひさしぶりとあって慎重に記入、時間ばかりが過ぎていく。とりあえず人事関連の必須書類を仕上げ、夕食をとった後はまた書見。12代目市川團十郎の復帰をあらためて寿ぐ。
1月4日 (日) マニーの正月
 3時起床。溜まっていた新聞、雑誌を読みふける。気になる言葉が2、3目にとまる。11時、麻布十番までぷらぷら歩き、コンタクトレンズを購入後、「永坂更科」で蕎麦焼酎のお湯割りを呑みつつ板わさを喰らい、かけそばで仕上げる。ほんわり暖まったところで散歩に戻り、パン屋、ナニワに寄ってあれこれ買い、三の橋の「さくら苑」でコーヒーを飲む。店主のS井さんと今年の景気予測をしているところに妙齢の女性が現れたのだが、その足下にパグがいて会話終了。11歳のマニー(money)は一度も啼かずにおとなしくシートに座り、中国人の飼い主が食事を与える時をじっと待っている。肥り気味とあってか、どこかウータを髣髴とさせるたたずまい。読点の多い女性の日本語を小一時間ぐらい聞く間に、マニーは大好物のトマトやゆで卵、パンを喰らって眠ってしまった。
 マニーと別れた後、今度は三田4丁目の「ケーヨーD2」であれこれ買い物をすませ、両手にいっぱいのビニール袋を持って帰宅。また新聞、雑誌を熟読し、そのまま書見。新たな本を7冊注文してからすき焼きを喰らい、『天地人』を観る。大河ドラマ恒例の子役によるつかみに感心して間もなく、ふらふらになって昏倒睡。
1月3日 (土) 稜線
 雲ひとつない午前の青空を猫たちと眺める。ウータ9回目、オラン8回目の正月か。ふと、小動物が生きつづけていることに心が動き、棺に眠る義母の顔が空をよぎった。納棺師がほどこす化粧によって往時の彼女の美しさが蘇る瞬間、あれは何だったのか。通夜を迎える前の死化粧。
 玄関前から遠望する富士山の稜線は、きょうも濃かった。
1月2日 (金) 体言止めの多い一日
 忌中にもかかわらず例年通り春日神社へ初詣。御神籤を引く。大吉。新しい神札と昨年同様、一刀彫の干支の置物を求めてから近辺を散歩。晴天ながら日陰はさすがに寒く、首すくむ。暖をとろうと喫茶店でコーヒーを飲み、バスに乗って魚濫坂下で降りて大丸ピーコックに寄り、食材を買って帰宅。すぐにやりかけのジクソーパズル(1500ピースの妻篭宿)に向かい、眠くなるまで一心不乱。何も考えずにただ目を凝らしたまま深夜。3時、朦朧。
 ……体言止めの多い一日だった。
1月1日 (木) 寒中見舞い
  
 寒中お見舞い申し上げます

 昨年12月26日に義母が亡くなりましたので、新年のご挨拶を控えさせていただきますが、みなさまにとってこの一年が善き日々となることを祈念してをります。
 なお、今年は真に21世紀がはじまる年だと思います。気を肝に据えて牛歩。まずはこれで隣町まで進んでみたいと考えてをります。


                     2009年1月1日   長薗安浩