| 5月5日 (火) |
たらたらのために越後湯沢へ |
10時半過ぎ、雨を逃れて新幹線に乗り、3年ぶり5回目の越後湯沢へ。車内がらがら。ビールを飲み、通販カタログを見るうちに偉大なる大清水トンネルをくぐって雪国の舞台に到着。すぐにコインロッカーに荷物を預け、いつものように「ぽんしゅ館」で利き酒をやり、生きゅうりを味噌で喰らい、いい気分。そのまま散歩に出かけ、「コマクサの湯」に入るつもりがついロープウェイに乗ってしまい、アルプの里に上がってしまう。そこでミニコンサートをやっていて、生まれて初めてホルンを聴く。背景に残雪を冠した山々が連なる絶好の場での鑑賞を満喫し、新潟名物の豚串を食い、微光が差す空を見上げながら山の空気を堪能して下界へ降りる。駅の西口側も東口側も、商店街も魚野川周辺のフィッシングパークも勝手知ったる町だけに、あらためて行ってみたい所もなく、ただぶらぶらする。たらたら。 ホテル(NASPAニューオータニ)へチェックイン後はすぐ温泉に入り、懐かしのテトリスに興じてさらに駄目な人に化して夕食。つい食べ過ぎ、部屋に戻ってほどなく、あっさりと眠ってしまった。 |
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| 5月4日 (月) |
残念なみどりの日 |
10時半、新国立美術館へ行き、「ルーヴル美術館展」を観る。"美の宮殿の子どもたち"と銘打たれた全体テーマに即した作品が、さらに細かい分類にしたがって陳列されていた。しかし、観るべきものは少なかったというのが正直な感想。まあ冷静に考えてみれば、絶品を数多く日本に持ってきたら本館の内容が寂しくなるのだから、これで当然なんだよな。見劣りする点を何とか企画で補おうと苦心したんだろうが、やはり厳しかったということ。 そこで2階に上がり、「アーティスト・ファイル2009」を観てみる。齋藤芽生の作品群が抜きん出ていたのだが、生と死、あちらとこちら、現場と客観といった二項の接点(正確には臨界点)をこれでもかと制作していて、観て回るうちに飽いてしまう。斬新なアイデアも同じコンセプトで数多集めれば、説明的な自己再生産物展に堕してしまうから、今回の半分ぐらいに絞って展示してくれていたら余韻を楽しめたのに。彼のブースを後にするときにはもうゲップが出てしまった。 |
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| 5月3日 (日) |
忌 |
「忌野」という芸名はつくづく凄いなぁと思う。本名は栗原清志だから、あえて「忌」の文字をあてがってデビューしたわけだ。忌まわしい野、である。単なる洒落にしてはきついネーミングだ。世に出る時点で隔世の意図があったのだろうか。 おれが最近読んだ『日本の古寺名刹を巡る』(一個人編集部編 KKベストセラーズ)では、清志郎さんは四国八十八ヶ所の一番札所から室戸岬にある二十四番札所までを自転車で巡っていた。動機は、お遍路よりもその道そのものに興味があったから。奥の細道を巡ったときと同じ理由だが、愛車ロードスターを駆って山中の坂を海辺の道を進んでいる。 あまねく距離感のいい人だったのだと思う。「忌」はその象徴で、自分が生まれた時代との距離を維持するためにまず極点に立ってみる構えだったのではないか。今週中にどかどか届く清志郎さんの著作と『完全復活祭』のDVDを堪能した上で、「遺書、拝読」で詳しく考察することにする。 合掌。 |
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| 5月2日 (土) |
清志郎さんが逝ってしまった |
深夜、忌野清志郎さんが亡くなったと知る。愕然。10代の頃から信頼してきた数少ない日本のロックの表現者だった。自分の基盤の一部が輪郭だけ残して崩落してしまったような喪失感に覆われ、数時間たった今も動揺している。 初めてRCサクセッションのコンサートに行ったのは学生時代、たしか名古屋市公会堂だった。取材は2度させてもらった。「ダ・ヴィンチ」の表紙にもご登場いただいた。彼がデザインしたウクレレは予約して買った。弾けないのに。……これまでいったい何千人の人に取材したか自分でも知らないが、緊張感が昂じてうまくインタビューできなかったのは、清志郎さんだけだった。
スタジオは完全に浮かれていた。ザ・ローリングストーンズのオフィシャルカメラマンでもある有賀氏も、ADの坂口氏も、そして編集長の私も……。最近では、東京デジタルホンのCMでお馴染みの忌野清志郎。などと呼びすてできるはずがない。「スローバラード」「雨上がりの夜空に」「ぼくの好きな先生」「トランジスタ・ラジオ」「多摩蘭坂」……きりがない名曲の数々、日本のロックもいいよな、と実感させてくれた清志郎様。彼が、そこに座っている。 (この後、インタビューを収録) 申し分けない。しどろもどろのインタビューになってしまった。撮影の合間の7分間、私は新米編集者の3倍の汗をかきながらメモをとっていた。 忌野清志郎は、終始、穏やかだった。
上記は、清志郎さんが表紙を飾った「ダ・ヴィンチ」1995年8月号の巻末に掲載された文章だ。清志郎さんは、スタインベックの『怒りの葡萄』(新潮文庫)を持参してカメラの前に立った。インタビュー記事の見出しには、「20年ぐらい前、仕事がなくて、とにかく本を読んだ。長ければ、長いほど良かった」とある。この年、清志郎さんは44歳になり、デビュー25周年を迎えていた。まだ自転車にハマる前だった。 |
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| 5月1日 (金) |
爽快な出直し |
夕方、1年半をかけて3回目の書き直しを進めてきた小説の抜本的な問題に気づき、「そうか!!」と大声をあげて机に向い、ノートをとる。抜本的な解決策が見つかった興奮のまま2時間近く要点を書き続け、「なるほどなぁ」とまるで他人事のように感心しながらペンを置く。人物が動いて絡み合うメモがつらつらと記されていた。 設定した視座に無理があったのだ。 大学やカルチャーセンターで教えていながら自分の作品のその課題に気づかずにいた。まったく疑っていなかった。でも気がついた。気がついた以上は仕方ない。ここまでの原稿はすべて捨て、また一行目から新たに創作していくだけだ。……奇妙な爽快感を覚え、閉店前の「あら喜」へ出かけて遅い夕食をとった。 |
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| 4月30日 (木) |
病死は健全 |
新型インフルエンザに関するニュースにふれ、日本における自殺者の数を思う。3月だけで3,000人以上も亡くなっているのだ。年換算すれば36,000人強。1998年から30,000人超の自殺者が続いているが、ほぼ間違いなく、今年もまたその暗澹たる記録が継続されることだろう。交通事故による年間の死者数が5,000人前後にまで減っているというのに、である。 新型のウイルスはむろん脅威である。しかし、そこには具体的で物理的な対策が施せる。世界中の感染学の英知が注がれる。そして、数ヶ月の時間はかかってもワクチンが開発され、事態は収束へと向かう。だが、自殺はそうはいかない。この10余年間の日本はその典型であり、毎年、小規模の「市」が消滅していくぐらいの人間が死んでいるのだ。 つくづく思う。病死は健全である。 |
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| 4月29日 (水) |
限定 |
| どっと疲れが出てしまい、終日安息にあてる。夕方、山崎さんと電話。その間だけ救われる。 |
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| 4月28日 (火) |
奴隷の歓び |
15時前に鎌倉駅に着き、タクシーで田村邸へ。庭にいた奥さんに迎えてもらい、二階の応接室へ上がる。高梨豊さん、荒木さん、上田義彦さんらが撮った田村先生の写真を懐かしく眺め、お茶をいただきながら奥さんと向きあう。まずはお詫びをするところながら、挨拶の流れから奥さんと田村先生の外国行のエピソードをお聴きする。先生の先生ならではの行動、態度に笑いつつあらためて感じ入る。存在の魅力、である。また、78歳になる奥さんの来し方をじっくり聴き、表には出ない女の戦後体験と、男と女の組み合わせの妙味にふれた気分にひたる。まるで、佐藤愛子さんの『戦いすんで日が暮れて』(講談社文庫)と津村節子さんの『ふたり旅』(岩波書店)が混合したような話だった。 ケーキと紅茶をいただいて日が暮れた頃、娘の美佐子さんが帰宅され、その後は3人で話を続ける。美佐子さんについては、田村先生からいろいろ聞いていたのだが、先週水曜日に初めて電話で話し、この日初めてお会いした。長くバレエをやられていただけにスタイルのいい、きれいな女性。年はおれより一つ下。美佐子さんにもこの度の顛末や経緯について知り得る話をさせてもらい、その上で先生の思い出などを話し、お寿司までご馳走になる。しかも、日本酒まで用意していただき、ただただ痛み入る。 21時前、美佐子さんが運転する車で駅まで送ってもらい、『詩人からの伝言』が納品されたらあらためてお祝いすることを約束し、別れる。すぐにホームに入ってきた電車に乗り、人混みを避けてグリーン車に移ってシートに腰をおろし、呆然と窓外の景色を眺めながら東京まで帰った。 |
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| 4月27日 (月) |
いしいしんじ君に冠あれ |
終日、セルフ自宅軟禁。創作、牛歩で進み、21枚。まだ動く気配なし。 新聞紙上で、いしいしんじ君の『四とそれ以上の国』(文藝春秋)が三島賞の候補になったことを知る。確か、これで4度目の候補のはず。何とか受賞することを願う。 |
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| 4月26日 (日) |
戻すべく |
| 夕前、山崎努さんと電話で話す。ありがたい話、そしてお誘いに気分がほぐれる。夜、煮込みハンバーガーでたっぷり飯を喰らい、この数日間の混乱を正して朝型に戻すべく早々に就寝。 |
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| 4月25日 (土) |
春の勝ち |
| 雨で気分が萎え、チケットを購入していた三田落語会を見送る。ベランダの植物群の剪定をやってからつらつらと本を読み、その後は惰眠をむさぼる。春に負けている。 |
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| 4月24日 (金) |
うんざりのくりかえし |
案の上、発言撤回ときた。 麻生首相といいこの鳩山大臣といい、いったい何度このように前言撤回、発言訂正をくりかえすのか。うんざりのくりかえし、である。 |
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| 4月23日 (木) |
鳩山大臣のあのコメントはないわな |
酔っぱらって全裸か。 10代の頃から「善き人」としてマスメディアで活動を続けて30代半ばにもなれば、おれたちには実感できないストレスの塊を抱えていたんだろうな。年々、酒量も増えていたに違いない。 それにしても警察の対応は過剰だな。尿検査でシロなのに家宅捜索とは。スーパーアイドルのプライベートを覗きたかっただけじゃないのか。携帯であれこれ撮影してたりして。また、鳩山総務大臣のあのコメントはないわな。地デジの管轄責任者としての腹立ちはわかるが、いったい何様のつもりで「最低の人間」などと断定したのか。「友達の友達がアルカイダ」と発言した輩がいつの間にか大臣をやっていることの方が、国民にとってははるかに最低の状況なのに。かんぽの宿といい、東京中央郵便局建て直しといい、彼のパフォーマンスはいつも少しずつズレていて、かつ過剰である。だから、本人は正義の代弁者のように振る舞っていても、観ている者、聞いている者に毎度後味の悪さを残してしまうのだ。 おれにとっては、一人の苦悩する30代アイドルの不始末よりも、こちらの問題の方がより鮮明になった一日だった。 |
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| 4月22日 (水) |
ありがたい、なんてもんじゃない |
早めに朝食をとって少し仮眠をとり、11時半まで授業の準備をやって外出。山田詠美さんの短篇「間食」(『風味絶佳』に収録)を参考にしながら講義をやり、西巣鴨駅の近くの喫茶店でアイスコーヒーを飲んでから帰途につく。途中、猫の餌などを買って帰宅して間もなく、横里編集長より電話。今後の対応策を聞く。了解し、遅い昼食をとってから田村先生のご遺族に電話をする。陳謝し、感謝し、来週の訪問を約束する。夜、田村家から電話があり、またいろいろ話す。故人の作品を守る遺族の思いに胸が熱くなる。 詩人は死んでも詩は遺る。田村隆一先生が逝ってもう11年目だが、その詩を一人でも多くの若者に読んでほしいと願う者として、ご遺族はおれを理解してくれている。信頼してくれている。だから、悔しい。しかも、迷惑をかけているのがおれが創部にかかわった編集部だから、……情けない。ご遺族は、このねじれたおれの立場にまで配慮してくださっていた。 ありがたい、なんてもんじゃない。 0時半、寝不足と疲労にまかせてベッドへ倒れこむ。 |
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| 4月21日 (火) |
情けない |
19時前、「ダ・ヴィンチ」編集部のI田さんが来訪し、白金高輪駅近くのカフェで、昨晩刷り上がったばかりだという『詩人からの伝言』の文庫本を受け取る。 しかし、………。ありえないミスが発覚。怒りや腹立ちの前に意気消沈。共著者である田村隆一先生に申し訳ない思いで口が塞がる。心が沈む。先生は故人なのだから陳謝の術もない。呆れたことに「どうすればいいでしょうか」と相談されるが、それでも怒りが湧かない。とにかく田村家のご遺族、そして素晴らしい解説を書いてくださった山崎さんへご報告とお詫びに行くよう求め、雨の中、ふらふらになって帰宅。 情けない。 一睡もできないまま思案し、明け方、横里編集長に長いメールを書く。編集部がどう対処するかはともかく、おれは個人として一人で対応していく。 |
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| 4月20日 (月) |
銀座四軒、泥酔 |
| 夕方まで創作。その後、銀座へ出かけ、6丁目の割烹「嵯峨野」で今年初めて位田さん、関さんと会食。二人とも元気そうで何より。「青風倶楽部」に流れて散会し、それから一人で「まり花」。Y子ママとじっくり飲み、中村誠一さんのご子息がバーテンダーをやられている店でさらに飲み、語る。4時、帰宅。泥酔。 |
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| 4月19日 (日) |
疲れた頭に見合うよう |
昼から「中央公論」6月号の特集用に書いた小論、「『夫婦の晩年』を読む」のゲラの著者校正。行数調整に苦労したが、内容にはあらためて手応えを感じる。15時過ぎ、休日出勤している編集部のN西さんにファックスし、電話で細かい確認をとって外出。3ヶ月ぶりにジムに行って入念にストレッチをやり、6kmのバイク、マシーン各種で体をいじめる。ふらふらになってジャグジーで放心。疲れた頭に見合うよう体を疲れさせ、快い疲労に全身が覆われる。 帰宅後、珍しく自宅でビールを飲み、刺身をあれこれつまんでご機嫌。ソファに横になって間もなく朦朧、そのまま眠りの沼に沈潜して果てた。 |
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| 4月18日 (土) |
初体験の夜には |
18時半、初めて本を上梓した知人を祝うべく、銀座へ。せっかくだから「高尾」で松坂牛のしゃぶしゃぶを喰らい、玉の光の冷酒を飲みながら出版にいたる経緯を聴く。そして、それらの話を受けてこちらも知っていることだけ話す。その一つとして、「本を出すことは恥ずかしいこと」という真実を強調しておく。
誰にも頼まれてもいないのに、あるいは一人や二人の誰かにそそのかされて、さほど形も色もよくない乳首や手入れのゆき届いていない腋毛や陰毛をちらちらと世間にさらすようなもんだから。 でも、さらすと腹を決めたら、一人でも多くの人に読んでいただけることを願うのは当然。その上でいかなる批判も甘受する構えでいてくれよ。
同じ年の知人はまるで少女のような目をしておれの話を聴いていた。 誰でも、自分をさらす初体験の夜には、少しだけ無垢になる。 |
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| 4月17日 (金) |
流れる |
11時、予約していた「vi-ta」へ出かけ、髪をカットしてもらう。ヘッドマッサージ、最高! 帰宅後、軽い食事をとり、15時、都ホテルのラウンジへ行き、偕成社のS川さんと打ち合わせ。おれの少年期を題材に、ぼんやりとある作品イメージを探るためにキーワードを出し合う。端から見れば雑談に過ぎない対話ながら、こちらは真剣である。創作にとりかかれるのは来年からもしれないが、キーワードがあればいつでもアイデアが転がりはじめるのだから。だから、いくつかの言葉をメモしながら話を続け、気がつけば17時半を過ぎていた。そこでS川さんを誘って「あら喜」へ流れる。流れられない人とは仕事がやりぬくいので、S川さんが付き合ってくれてよかった。 22時半ぐらいにS川さんを見送って帰宅し、溜っていた雑誌類を読んでから寝床の人となる。 |
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| 4月16日 (木) |
クールダウン、ダウン |
痺れた頭がなかなかクールダウンしないため、DSで「どうぶつの森」をやりながら漫然とソファで過ごし、それにも飽きてイチローが出場する試合をテレビで観る。2打席目に今シーズンの初ヒットが飛び出したところでプツっと意識まで飛び、すとんと睡魔の海に落ちる。ふらふらになってどうにかベッドへ移って倒れ込み、目を覚ましたら4時間余りが過ぎていた。 夜、「どんどん」で生ビールを2杯飲み、4月のヤマ場をクリアしたことを寿ぎながらモツ料理と焼き鳥を食す。帰宅後は、『昨日のように遠い日』(柴田元幸・編 文藝春秋)に収録されている短篇を2篇だけ読んで早々睡。 |
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| 4月15日 (水) |
授業と脱稿 |
12時過ぎに外出し、出講のため大正大学へ。しかし、表現文化学科の1年生を対象にした授業ながら、控え室で出席名簿を受け取ると、上級生を含む180余名ものリストになっていて驚く。授業をやる教室は40名ぐらいしか入れないはずなのに。そこで教務課に状況を説明して対処策を検討、W教授から「上級生の履修は不可」と宣言してもらうことになった。 驚いたのは学生も同様。仮登録期間中とはいえ改めて授業申請のやり直しを強いられるのだから無理もない。が、こちらはあえて何も語らずに椅子に座り続け、異様な雰囲気が収まるのを待って授業をはじめた。 終了後はW教授とY講師と短い話を交わしてキャンパスを後にし、西巣鴨駅近くの喫茶店でコーヒーを飲んでから地下鉄で帰宅。銀座カレーと生野菜サラダで遅い昼食をとり、「遺書、拝読」第66回のゲラ校正をやって18時から20時まで仮眠。ぼっとした頭のまま麻婆豆腐で麦飯を一杯食べ、歯を磨いて机の前へ。気合いの雄叫びをあげて執筆を再開。7時、脱稿。23枚。プリントアウトして推敲し、30分後に編集部に送った。 久しぶりに頭の芯が痺れた。 |
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| 4月14日 (火) |
前日と同じく |
| 終日、原稿を書き続けて疲れたら眠り、起きたら書くの繰り返し。その合間に粗食を喰らう。夜中にはゆっくり入浴し、15日の4時までに15枚。流れが淀んだところで切り上げ、大学での第1回目の講義の準備をする。昨秋の講座が下敷きになっているのでそれほど手間がかからずに済む。 |
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| 4月13日 (月) |
昼夜を問わず |
| 「中央公論」6月号に寄稿するロングエッセイ風の小論、ついに起稿。資料本15冊を読んだ上での執筆で、昼夜を問わず、食事やトイレの他は机に向かいつづける。頭がふらついたら迷わず横になる。 |
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| 4月12日 (日) |
浅ましい魂胆 |
| ロングエッセイの構成案を呻吟、メモ。大正大学との契約書にサインをして返送。おそらくは使わないと思われる資料本を、それでも何かピンとくるものがあるのではという浅ましい魂胆から読んでします。結局、一文字も書き出すことなく一日を終える。 |
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| 4月11日 (土) |
さあ、次。 |
| 終日、連載原稿。夜中、ようやく脱稿。推敲して編集部へ送信。そのまま特集用のロングエッセイに移り、追加の資料本に目を通して昏倒睡。 |
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| 4月10日 (金) |
想像力を打ち消す肉体の存在感 |
ゴールデンウィーク進行の影響で、いつもより10日早く「遺書、拝読」第66回目を書きはじめる。今回は早川良雄さんを取り上げるのだが、文字だけで彼のイラストレーションやデザインを表現することに苦心する。が、これが面白い。15時半までに半分ほど書き、シャワーを浴びて外出。 歌舞伎座さよなら公演、四月大歌舞伎(夜の部)は、艶やかな演目が並んでいる。「彦山権現誓助劔(ひこざんごんげんちかいのすけだち)」、「廓文章」、「曾根崎心中」。それぞれに吉右衛門と福助、仁左衛門と玉三郎、藤十郎と翫雀と贅沢なコンビが出演し、名作を熱演。中でも印象に残ったのは、やっぱり仁左衛門の伊佐衛門。 紙子(紙の着物)を着るまでに身をやつしながらも夕霧を思って現れ、お大尽遊びで身につけた所作を散りばめつつ能天気なほどに明るく恋心を披瀝していく様は、なんというか、滑稽だけでは片付かない、徹底して放蕩を体験した者でなければ滲み出ない気配を放出していて面白かった。それは和事の醍醐味でもあり、相当の力がなければ演じられないと見た。 藤十郎のおはつは見事な芝居ながら、なんせぶくぶくに肥った肉体が薄幸からほど遠く、徳兵衛役の翫雀が不憫でならなかった。しかも、この演目の前の女形が玉三郎とあっては、どうしても残像の方が美しく、たびたび舞台から視線を外しては苦笑する始末。こちらの想像力を打ち消す肉体の存在感でありました。 帰途、「あら喜」に寄って遅い夕食をとり、T夫くんと映画の話をして帰宅。頭も目も口もバランスよく疲れ、9歳の誕生日を迎えたウータとともにベッドへ転がりこむ。 |
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| 4月9日 (木) |
抗せず |
| 昼過ぎ、「OVRE THE BOOK」第25回の著者校正をやって書見。夜、創作。数行で眠くなり、抗することなく眠ってしまう。 |
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| 4月8日 (水) |
山崎努さんとの対談 |
午前中は村田喜代子さんの新刊、『あなたと共に逝きましょう』(朝日新聞出版)をじっくり読む。まだ二章分しか読んでいないが、書き込む場面と省略の案配、個々の語彙の選択、内面描写の正確性に何度もうなる。巧い。 昼過ぎ、軽く昼食をとってから創作。冒頭から読み直し、1枚前進。それから着替えて髭を剃り、渋谷にあるセルリアンタワー東急ホテルへ。2階にある「金田中 草」の個室で山崎努さんとの対談に臨む。2週間前に会ったばかりなので照れくさいのだが、いきなり撮影がはじまり、お互いビールを注文して壁の前に立つ。撮影が終わってほどなく出てきたビールで乾杯し、田村隆一さんの詩やエッセイや人柄の魅力について話す。しかし、生ビールを3杯飲み干し、赤ワインに移るころには思いつくまま好き勝手にあれこれ話題にあげ、互いの考えを述べてまたグラスを空けて笑ったり、嬌声をあげていつもの宴席と同じ状態に。 23時過ぎに閉店の知らせが来ると、「次、行くでしょう」と山崎さん。「もちろん行きましょう」とおれ。 そこで、「金田中」の従業員の方にタワー最上階のバーを予約してもらい、その上で案内までしてもらってそちらに移り、ライターO田さん、担当編集者I田さんとともに打ち上げの乾杯。山崎さんに映画にまつわる、とてもここには書けない貴重で過激でリアルな話をうかがってさらに盛り上がり、またも閉店とともに店を後にした。 「長薗さんと僕は相性がいい」と今夜も山崎さんは口にした。生意気ながらおれもそう思う。無理なくすっと話がはずみ、考えを衝突しあって大笑いできるのだから間違いない。山崎さんも酔狂の人なのだ。最後に握手をして別れ、タクシーに乗って時計を見たら1時半だった。7時間の宴。山崎さんとの宴席は、会うたびに1時間ずつ長くなっている。 |
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| 4月7日 (火) |
干し柿 |
15時34分、ウータ、ついに脱糞。彼と暮らしはじめて9年近くがたつが、一度たりとも見たことのない大きさだった。 干し柿にそっくりだった。 |
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| 4月6日 (月) |
便秘 |
昨晩、ウータが嘔吐した。食いしん坊ではあるが、吐いたことはなかったので不安になり、彼が眠りにつくまで見守って今日を迎えた。嘔吐は止んでいた。が、便秘になったらしく、何度トイレで踏ん張っても脱糞できない。歩行は極端に遅くなり、喉も鳴らない。見られることを嫌がり、冷蔵庫の隣に集めてあるレジ袋のかたまりの中に身を隠して動かない。一方ではオランが元気に動き回り、食べまくる。こちらは連載の原稿を書きつつ、小一時間ごとにウータの動向を確かめ、背を腰をなでながら声をかけるしかできない。 15時過ぎ、ウータが廊下に出てきたので後をつけるとトイレに向かった。ドア陰から覗くと、放尿。きれいな尿が猫砂を濡らす。猫の場合、尿が詰まると一日で死亡することもあるので、とりあえず安心し、さて、ウンチはどうかと息を呑む。ウータも尿への砂かけを終えてまた息む。……しかし、やはりウンチは姿を現さず、ウータは朦朧とした目でトイレを出てとぼとぼと歩き出し、リビングで丸くなった。おれは洗面室から綿棒を持ってウータのもとへ行き、尻尾をめくって肛門を突き、内部を刺激した。 「ヒャア」 ウータのかぼそい声が上がって綿棒を抜くと、その綿は灰黒色に汚れていた。おれは強引な策をあきらめて仕事に戻った。 夕方、仕上がった原稿をMa橋さんに送って一息つくと、ウータは餌を食べていた。食欲はあるらしい。そのまま見ていると、今度は水を飲んだ。そして、じっくり時間をかけてソファに飛び乗り、前脚を枕にして眠りはじめた。嘔吐のショックは癒えたのだろう、とおれは少し安心し、シャワーを浴びて外出。会食を終えて夜中に帰宅してみると、廊下の先でウータが待っていた。 「ウンチは出たか!?」 酔ったいきおいで大声で尋ねても、ウータはまったく動かない。洗濯機の前に置かれたトイレを見に行くと、そこには何もなかった。昼間にウータがならした砂が、そのままの形で器の中に残っていた。 |
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| 4月5日 (日) |
映画2本とアフリカハゲコウ |
昼前からDVDで映画を2本観る。 まずは、『クライマーズ・ハイ』(原田眞人監督)145分。主人公・悠木の家庭環境の説明がほとんどないまま話が展開するので、その軸が最後までしっくりこなかった。ただし、俳優陣の演技、職場内のカメラワークはよかった。本編を観終わった後、特典映像、『あの夏が紡ぐ場所』(69分)も観てみる。映像の勉強をしている人にはいいテキストになるだろう。 つづいて『赤ひげ』(黒澤明監督)を観たのだが、なんと185分、つまり3時間以上の大作だった。20代の山崎努さんの熱演に苦笑し、二木てるみの名演、杉村春子の圧巻の演技に感嘆して最後を迎えたときには日が暮れかかっていた。時間だけでなく、内容的にも2、3本に分けることができるほど重厚だったが、おそらく、基本のストーリーとテーマが単純(赤ひげは立派な人物)なために重層を狙ったのだろう。 それにしても、アフリカハゲコウよ。 一目映像で観た瞬間、気に入った。手帳に絵を描いてしまったぐらい。 |
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| 4月4日 (土) |
暮らし再考 |
| 桜、満開。マンション裏の松坂公園へ足を運び、外国人家族、柴犬を散歩させている兄ちゃんらとともに桜の樹をしばらく見上げる。そのまま散歩をつづけ、白金高輪駅ビルにあるスターバックスでカフェモカを飲み、それからまた近所散策。ここに暮らして11年目になるのに、初めて見る古い家屋がいくつもあって驚く。暮らしってのはけっして全方位的に回っているのではなく、実に私的に偏って巡っているのだな。 |
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| 4月3日 (金) |
キーワードあれこれ |
| 昨日来、資料本を読みつづけ、3冊読了。おぼろげながら論文のキーワードが見えてくる。メモ。夜、o野くんと「あら喜」で待ち合わせ、途中、彼女も合流して会食。それから「Flask」に移動、あれこれ談笑して3人でタクシーに乗り、おれが暮らすマンション前で散会。帰宅後、即身成仏。 |
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| 4月2日 (木) |
佐々町にある公立高校 |
清峰高校の優勝が決まって絶叫し、逃げまどう猫2匹を尻目に実家に電話を入れたら話し中。もう一度。やっぱり話し中。きっと向こうからこっちに電話を入れているのだろうと判断して受話器を置いたら、即、コールが鳴った。やっぱりなとほくそ笑みながら受話器を取ると、「こちら石垣島のもろみ酢をご案内しております………」と疲れ気味のオバさんの声が聞こえてきた。不意を突かれてしばらく沈黙し、丁重にお断りしてあらためて実家に電話をすると、母が出た。先月85歳になった父も優勝の瞬間に大声をあげたらしい。 「入退院を繰り返しているくせに大丈夫かい?」 「M代も同じことを言ってたわ」 M代とは静岡に暮らす姉のこと。おれより先に電話をしたのは彼女だった。 「思わず涙が出たわ」 「ああ、おれもじわっときた」 長崎県佐々町。昭和40年あたりまでは炭坑で栄え、閉山後はひたすら寂れてしまった町。おれが生まれ、7歳まで過ごした町でもある。今では過疎地となったその町にある公立高校が全国優勝しちゃった……。おれが入学して一学期だけ通った小学校は、この高校の隣にある。創立100周年をとっくに過ぎた古い学校で、おれの次々作は、そこで一学期の終業式を終えた場面から描くと決めている。いつ仕上がるかまったく心もとないが、とにかく、脱稿前後には一度訪ねてみようと思う。 |
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| 4月1日 (水) |
ありがとう。 |
| 清峰高校の応援をしながら書見。同校の決勝進出を見届けてテレビを消し、『そうか、もう君はいないのか』(城山三郎 新潮社)を読了。娘さんのあとがきが素晴らしかった。その後も書見を続け、夕方、入浴。それから外出し、19時50分、東銀座の「台湾海鮮」でY下くん、M淵さんと合流。久しぶりに3人で会食し、大いに語る。紹興酒の瓶が空になったところで銀座8丁目に移動。Y下くんが馴染みにしている店のカウンターで焼酎を呑み、『あたらしい図鑑』にサイン。それから2時半過ぎまであれこれ喋り、慌てて帰途につく。Y下くんにタクシーで送ってもらい帰ったが、彼には最後までよくしてもらい恐縮。ありがとう。 |
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| 3月31日 (火) |
小説、停滞 |
| 朝から資料本読み。14時半、『妻と僕 寓話と化す我らの死』(西部邁 飛鳥新社)を読了。着替えて郵便局へ行き、諸々の振込。帰宅後、『詩人からの伝言』の再ゲラ校正。19時半にすべて終了し、自転車便で編集部へ戻す。その後は4月からの予定を関係各位に連絡し、新たな資料本を読みながら早々にベッドの人となる。結局、夕飯をとらぬまま眠ってしまった。小説がまた滞っている。 |
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| 3月30日 (月) |
こうなったら清峰 |
WBCの影に覆われたままはじまった春の選抜高校野球。ほとんど観ずに本日にいたったのだけど、愛知の中京大中京、そして長崎の清峰が準々決勝に出場するとあってテレビで応援。中京、惜敗。清峰、完勝。こうなったら清峰の初優勝を願うばかり。 試合を観ている間もずっと資料本を読む。なんせ20冊近くあるからちょっとした時間も読まねば片付かない。16時、訪ねてきてくれた「ダ・ヴィンチ」編集部のI田さんと打ち合わせ。17時に戻り、早々に夕食を作って食べ、眠くなるまで本を読みつづける。夜中、7年ぶりにDさんから電話があり、半時間ほど話してベッドに戻った。 |
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| 3月29日 (日) |
凍える銀座 |
6時半、起床。朝食まで書見。食後にまた眠ってしまい、昼食は避けて書見。夕方、銀座へ出かけて春モノのジャケットやらパンツやらシャツなどを購入。しかし、百貨店をいろいろ廻ってみたけど、予想以上に人出が少なくて驚きました。テナントも辛いはな、これじゃ。 18時過ぎ、パンツの丈直しを待つ間に数年ぶりに「串一」を訪ね、おまかせ串揚げを堪能。エビス黒ビールと手取川の冷酒でぱくぱく食べ、ぽっこり腹で直しを受け取り、凍える銀座を後にする。帰宅後は漫然と睡魔につつまれ、日付が変わる直前、ウータを抱いて昏倒睡。 |
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| 3月28日 (土) |
食べたら眠る |
昨年来、食欲が旺盛になっている。それでも体重は60〜61kgと変わらないから、悪いことではないだろう。しかし、食後の眠気もかつてなかったように激しくなっている。はたと気がつけばソファで眠っていて、遅い夕食後などはそのままベッドへ移って熟睡となる始末。 この日も豚しゃぶを喰らいながらサッカーW杯最終予選日本vsバーレーン戦を応援し、うどんで仕上げて勝利を喜んで半時間後、股間にウータをはさんだまま眠っていた。それでも、以前なら目が覚めた後に本を読んだりしていたのだが、そんな気分はいっさい湧いてこない。迷わず寝室へ移動して朝まで眠り続けた。サラリーマンを辞めて8年、……体質が変わったのだろうか。 |
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| 3月27日 (金) |
不穏な安息日 |
| 疲労が残ったまま目覚め、座っているだけでどんより。その上、進行中の文庫本のスケジューリングが曖昧でさらに気が重くなり、黙然と次の仕事のための資料を読む。そのうちに眠りこけてしまい、目が覚めるたびに読みなおす。そうこうするうちに日が暮れ、体調も喉もぐっと回復。とはいえ外出する気にはなれず、静かに夜を過ごす。 |
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| 3月26日 (木) |
喉、嗄れる |
受講生の作品をもう一度通読してメモをとり、16時半、白金台の都ホテルへ。「中央公論」のN西さんと打ち合わせ。ちょっと大変だが、興味深い特集に寄稿を約束する。資料本を10冊ほど読んで自説を立て、20枚強書く予定。17時半にホテルを後にし、地下鉄を乗り継いで新宿。19時より朝日カルチャーセンターの第3回目の講義。20時45分までやって終了し、ビル内52階にある店で打ち上げ。スタッフのY井さん、そして有志の受講生7名(うち編集者2名)の方々とビールを飲みながら談笑。もう二度と会うことのない方がほとんどなので2次会に流れ、結局3時過ぎまでいろいろ話す。 受講生のN村さんにタクシーで送ってもらい、帰宅後は即身成仏。連夜で6時間以上しゃべれば、さすがに喉は嗄れるのだった。 |
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| 3月25日 (水) |
またも怒濤の6時間 |
なんと1時に目が覚めてしまう。それでも頭がすっきりしているのでちょっと本を読み、4時から『詩人からの伝言』のゲラの著者校正に移る。この文庫本は田村隆一先生との共著なのだが、先生が亡くなっているので全責任を負うつもりで細かく読みこむ。朝食をはさんで10時にすべて終え、それからカルチャーセンターの受講生の作品を読む。14時まで読んで仮眠をとり、17時から「遺書、拝読」の著者校正をやって外出。 18時前、恵比寿のウェスティンホテルで山崎努さんと待ち合わせ、バーでビールを飲みながら演劇や小説における"解説の壁"について談笑。また、良い脚本についてもあれこれ話をして19時、2階にある「龍天門」に場所をかえて話を続ける。詩、親子、CM、演出、……。山崎さんは赤ワイン、こちらは同店オリジナルの紹興酒。山崎さんにご馳走してもらい、22時、このまま終わるのが惜しくて「あら喜」へお誘いする。山崎さん、快諾。では、とタクシー乗り場へ移動していると、車止めにむかってきた白いバンから「山崎さん」と声がかかった。 「山崎さん」 佐藤浩市さんが勢いよく降りてきて、いきなり山崎さんに抱きついた。つづいて木村佳乃さん、伊藤英明さん。二人が緊張した表情で山崎さんに挨拶をした後、おれは初見の監督が現れ、山崎さんときつく抱きあった。二人は旧知の間柄らしく、抱きあったまま会話をはじめ、おれは佐藤さんと言葉を交わしてしばらく待った。彼は、山崎さんの「読書日記」(週刊文春)をきっちり読んでいた。 「あら喜」の座敷に移動して2時間近くまた話した。黒光りするような逸話の連続だった。0時過ぎ、6時間におよんだ怒濤のおしゃべりを終え、タクシーに乗り込んだ山崎さんを見送った。おれは幸福な男である。 |
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| 3月24日 (火) |
内川はいい選手 |
| 6時起床。満を持してWBC決勝戦を応援する。疲れました。内川はいい選手です。夕方、『詩人からの伝言』の文庫本用のまえがきを執筆。19時過ぎに書き上げ、それをもって担当編集者のI田さんとの打ち合わせに臨む。本体のゲラを受け取り、掲載する詩を候補も伝えた後、彼女からカバーデザイン案を見せてもらって大いに気に入る。20時半に自宅に戻って遅い夕食をとったところでヘロヘロになり、ウータに先導されながら寝床の人となる。 |
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| 3月23日 (月) |
濃厚に暮らせば |
4時から机にむかって「遺書、拝読」。10時半、脱稿。推敲して編集部のN西さんに送信。ほっとして即、WBC日本VSアメリカ戦をテレビ観戦。日本が2-2に追いついた場面でいきなり盛り上がり、その後のタイムリー連発に雄叫びをあげて拍手を送る。ウータ、オラン、ともに冷え冷えとした視線をこちらに送ってどこかへ去っていく。彼らの姿に手を振っていると、ゴブリン書房のT田さんから重要な電話があり、それから山崎さんに電話を入れる。 日本の快勝を見届けてから田村隆一先生の詩集を3冊取り出し、『詩人からの伝言』の文庫本に入れる詩のセレクション。しかし、いつの間にか対象外の作品まで読みふけってしまい、ついには朗読をはじめてしまう。隣にもどってきていた猫たち、また遠ざかる。朗読に疲れたところでふぐおじやを食べ、仮眠。17時過ぎに起き、洗髪入浴。着替えをすませて新宿へ。 紀伊國屋ホールで三人集の第3回公演を聴く。前半は、立川談春、柳家三三、柳亭市馬による「ちきり伊勢屋」。文字どおりの三者三様の語りを味わい、あらためて市馬の声の良さに感じ入る。中入り後は、市馬の「二人旅」、三三の「万金丹」と旅モノでつなげ、最後は談春の「桑名舟」でまとまる。その後に三人による軽い鼎談があって終演となり、Mi橋さん、Leeさんらと渋谷へ移動。Leeさんが予約していた店で新鮮な魚と野菜を満喫して日本酒を飲み、ご機嫌さんになったところで家路につく。 体感としてはまったく無駄のない一日だった。 |
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| 3月22日 (日) |
貪眠 |
| 終日「遺書、拝読」第65回の構成、執筆。一方で朝日カルチャーセンターセンターの受講生作品を読む。その他はとにかく睡眠を貪ってすごす。 |
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| 3月21日 (土) |
花の種 |
朝、バスに乗って慶応大学近くのカフェへ行き、パンとコーヒーをとりながら本を読む。食事を終えて帰りは歩き、途中、近所の慈眼禅寺の境内で休憩。ここは花や木の手入れが行き届いていて、しかも手製の長椅子まであるから、春の陽射しを浴びて惚けるにはもってこいなのだ。煙草を一本吸って歩道にもどろうとしたところで檀家の方に甘茶をすすめられ、遠慮せずにご馳走になる。彼女が言うには、4月8日の釈迦の誕生日にはまだ早いのだが、休日にしかこれない方々も多いのでこうして今から甘茶をふるまい、仏様にもかけていただいているとのこと。そこでお言葉に甘え、檀家でもないのに、小さな仏像に甘茶をかけて手を合わせた。 最後に、全日本仏教婦人連盟が「花の種運動」として提供している種までいただいて寺を後にし、いい気分のままぷらぷら歩いていたらケメに逢った。「就職ジャーナル」時代の編集スタッフだった彼女は南麻布に住んでいるのだが、こうしてばったり逢うのは初めてのこと。互いに驚きつつ道路を渡り、おれが暮らすマンションの前で別れる際、近々飲むことを約束する。 こうして朝の外出を満喫して帰宅し、再び『走れウサギ』の下巻を手にとって間もなく、山崎努さんから電話が入る。ありがたい朗報でつい興奮し、いつもより長く話す。山崎さんもちょっと興奮していた。 何だか不思議な気分につつまれて昼を迎え、結局、その気分に引きずられたまま一日を送ってしまった。合掌。 |
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| 3月19日 (木) |
ありがとう。サンキュー。ありがとね。 |
午前中、創作。夜、いや夜中、NHKでジュリーの還暦コンサートを観る。一部、二部にわたって80曲以上を歌い、東京ドームの特設ステージを走り回るその姿にぐらぐらと感動してしまった。最後まで声が良く出ていていて、流れる歌詞がいちいち胸に響いた。 ありがとう。 サンキュー。 ありがとね。 曲の合間、ジュリーは必ずそう語って頭を下げた。 膨らんだ腹、たぶつく下あごの肉。それでも、日本の偉大なポップスターは現役の色気を放っていた。 |
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| 3月18日 (水) |
崖っぷちが好きなのだ |
夜明け前に起き出し、朝食まで創作。その後は「走れウサギ」。翻訳が悪いのか原文がそうなのかは知らないが、とにかく読みずらい日本語に苦戦している。早めに昼食をとってWBC日本VS韓国戦を応援するも、初回の韓国チームの果敢な戦闘体勢を観て敗北を予感してしまう。そしてそのとおりになった結果を見届けて外出し、神保町の古瀬戸で理論社のY下さんと打ち合わせ。2時間余り話し、ついに第一稿のアップ日が決まる。自分の首を絞めてしまったかもしれないが、追い込まれないと集中できない己を鼓舞するためにもこれでよかったと思う。崖っぷちが好きなのだ。疲れる性分である。 19時に過ぎに白金高輪駅に戻り、「どんどん」で食事をして帰宅。22時にはウータより先に朦朧睡。 |
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| 3月17日 (火) |
ひょっとして |
| 東京にも黄砂が舞い降りてきたらしい。そんなことは知らずに散歩から戻ると、目が痒く、くしゃみが続く。眼球の乾きはあいかわらずで、まばたきを繰り返しては鼻をかむ始末。……ひょっとしたら、ついに花粉症を発症したのかもしれない。この年齢で。目に違和感をおぼえつつジョン・アップダイクの『走れウサギ』(白水ブックス)を読み進める。しかし、目が痒くてうまく走れない。 |
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| 3月16日 (月) |
昨年度、確定 |
父が85回目の誕生日を迎える朝4時50分、ウータに頭をかじられて起床。5時からはWBC、日本VSキューバ戦を観ながら確定申告の書類作成。松坂の快投にうなりつつ電卓を叩き、零封勝利を見届けた後もしこしこ事務処理を進め、昼、すべての記入を終えて脱力。出かける準備をしても全身が睡魔に包まれ、部屋の中でうだうだしていたところに山崎努さんから電話があり、一気に目が覚める。 芝税務署に書類提出後はぷらぷら歩いて帰り、弁当を食べて仮眠。夜、創作。14枚。それから資料本を少し読んで昏倒睡。 |
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| 3月15日 (日) |
枠ずれ |
| 早朝より創作。12枚。散歩ついでに白金でコーヒーを飲み、パン2種を喰らう。午後、長い昼寝。眼球はあいかわらず乾燥している。夜、「探偵ナイトスクープ」のゴールデン版を観る。開始時から大好きな番組ながら、ゴールデン枠にはむいていないと知る。 |
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| 3月14日 (土) |
からっから |
| 終日、資料本読み。眼球からっから。 |
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| 3月13日 (金) |
バカなんだな |
| 初春の嵐を窓外にながめながら上半期の仕事の予定を整理し、冷静にスケジュールを組んでみる。そして、実はとても忙しい状況にあることを認め、慌てて資料本を読みはじめる。創作メモをとる。ノートに小文を書きつける。しかし夜中に気づけば、仕事とは関係ない本を2冊読了していた。どうしてこうなっちまうのか、……バカなんだと思う。 |
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| 3月12日 (木) |
落語と講談と勝どきと |
夕方まで自宅で仕事をして外出し、麻布十番駅から地下鉄大江戸線に乗って清澄白河駅まで行き、深川江戸資料館(小劇場)へ。落語仲間のLeeさんが企画した、宝井琴柳と柳家三三の「読継講談(よみつぎこうだん)の夕べ」を聴く。 若手真打ちの中でまちがいなく次代を担う逸材である三三が、琴柳に講談を習っている関係で実現したコラボレーション。まずは三三が「長屋の花見」をやり、次に琴柳が忠臣蔵のサイドストーリー「三村の薪割り」をやって二人の対談となり、落語と講談の関わりについてあれこれ。落語には講談を元ネタにしている噺も多く、談志師匠などは門下の昇進試験で必ず講談をやらせている。三三の話によれば、元ネタを習得するだけでなく、リズミカルな講談の地語りを身につけることで、客を引きつけたまま噺を展開できるようになるらしい。 仲入り後はいよいよ「読継」。講談では噺すことを「読む」と呼ぶことからこのタイトルになり、まずは三三が「国定忠次 二人忠治」を読み、それを継いで琴柳が「忠治と山形屋」を読んだ。三三を聴いている時点では巧いもんだと感心したが、いざ琴柳を聴くと、次元が違っていた。喉のつくりからして違っているのではと感じるほど、声質、発声、声音の転がりが異質のものだった。 終演後はすぐに地下鉄に乗って麻布十番にもどり、新しい恋がはじまったo野くんと携帯電話で話しながら「あら喜」を訪ね、遅い夕食をとってからあら喜パパと盛り上がり、T夫くんと3人で勝どきへ向かう。パパの亡友の娘がはじめたというバーへ顔を出し、美人ママに挨拶。11年前まで10年暮らしていた町だけに、こんな店がこの西仲商店街にできるとは、と素直な感想を伝える。カウンターの隅に落語家もいて、大いに盛り上がっていた。 不思議な夜を過ごして2時半、満腹の腹をなでながら自宅に帰った。 |
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| 3月11日 (水) |
「就職ジャーナル」休刊の報にふれて |
「就職ジャーナル」休刊の報道があったからか、この酔狂記のゲストブックをはじめ、多くの方々から電話やメールをいただく。40年余の歴史に幕が降りたわけだが、創刊20年目に編集長になったおれは当時、あまりの会社のやる気のなさに呆れ、休刊の提案をしたことがあった。相手は当時の発行人で、後に3代目の社長になる河野栄子さんだった。場所は某社のトップインタビューを終えて社に戻る、彼女の専用車の中だったと記憶する。彼女は突然の、しかも大胆な提案に驚き、自動車電話でおれの上司に連絡して帰社後の打ち合わせを準備した。28歳だったおれは、この任がなくなれば4つの兼務がひとつ減って助かるぐらいに思っていた。結局はなだめすかされて継続し、5年3ヶ月も担当したのだが。 雑誌は役割を終えたら休刊(廃刊)するほうがいい、と昔から考えている。だから、今回の休刊の報にふれても特別な感情は浮かんではこなかった。ただ、リクルート事件報道の中での編集長就任だったので、1日に60〜70件アポ取りしても2、3件しか受けてもらえなかった経験は骨身にしみた。言い訳なんて何の役にも救済にもならない日々。取材をうけてもらえない雑誌で自分なりの就業観を訴求していく企画、編集、営業、販売作業は、ほっといてもおれ自身を鍛えてくれたと思う。どんな状況下でも何とかしてみせる。そんな覚悟と自信が身につき、そのポテンシャルをもって「ダ・ヴィンチ」の創刊に向かうことができた。つまり、「就職ジャーナル」時代の社会と社内から排他される経験があったからこそあんな雑誌を(現在の同誌はもう創刊の頃とは別物になってしまったが)世に問えたのだ。 また、荒木さんと出会ったのも、「就職ジャーナル」で表紙撮影をお願いしたのがきっかけだった。「たくさんのいい就職がこの国をかえていく。君がつくるジャパン」キャンペーンをやり、ポスター撮影を電通さんが依頼。その流れでお願いにあがったのだった。つかこうへいさんも、呉智英さんも、然り。 そして、「就職氷河期」だ。次年度以降の就職環境を考えぬいて造りだしたこの言葉は、1992年11月号で初めて同誌に登場。翌年の年初から新聞をはじめとするマスコミが使いはじめて定着した。おそらく、これから先、「就職ジャーナル」の記憶が世間から、リクルート関係者からさえ消え去ったとしても、「就職氷河期」なる日本語は、現在のように就職環境が悪化するたびに世間で流通するのだろう。 かくして、一誌が消えて一語が遺った。 それで充分じゃないか、なっ、山下。 |
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| 3月10日 (火) |
小さい島から |
| 「週刊朝日」のゲラ校正に手こずり、創作は少々。その一方で、これまた山崎さんから紹介してもらった田村先生の『小さな島からの手紙』(集英社文庫)を入手し、開いた箇所をぱらぱら読む。心、鎮まる。予定では、18時半からH山さんと「あら喜」で会食だったが、H山さんの腰痛が悪化し、20時に一人で店を訪ねる。キャンセルの詫びとともに、昨週末のお礼をしてゆっくり食事をとり、76回目の誕生日を迎えた母の声を思い出しながら自宅に戻った。 |
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| 3月9日 (月) |
新書大賞2009 |
年初に寄稿した「新書大賞2009」(中央公論新社)の見本誌が届く。おれは、編集部の依頼で”著名人”が上梓した新書から3冊を選んで評を書いた。興味のある方は手にとってもらいたいが、それにしても、選考と執筆のための資料として編集部から受け取った2008年度の新書刊行一覧には驚いた。これほどまで大量の新書が世に出ているのか。これほど多くの出版社が新書を刊行しているのか、とビックリした次第。ちなみに、全新書からおれが選んだ昨年のベスト5は以下の通り。 『在日一世の記憶』(小熊英二/姜尚中 集英社新書)、『白川静』(松岡正剛 平凡社新書)、『できそこないの男たち』(福岡伸一 光文社新書)、『アダム・スミス』(堂目卓生 中公新書)、『落語の国からのぞいてみれば』(堀井憲一郎 講談社新書) 見本誌を通読後、興味をもった未読本を4冊注文。本まみれの日々である。 |
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| 3月8日 (日) |
作家の眼 |
一昨日、山崎さんが面白いよと薦めてくださった新刊、『タデ食う虫と作家の眼』(武田泰淳 清流出版)を入手して読む。武田泰淳がここまで映画に入れこんでいたとは知らなかったので何の先入観もなく楽しめた。何より、風通しのいい文章が著者の意図を明快に伝えていて好感がもてた。読点の使い方が巧いのだ。
あらかじめ決めてしまった、肉体の美、地形の美にもたれかかると、一枚一枚の版画の美しさは盛れるけれども、突きあげてくる地球と人類の、表情のすざまじさを取りにがしてしまう。
これは小津安二郎の『浮雲』について書かれた文章。その出来ばえを褒めつつも、男女の肉体、地球の肉体という視座から観た場合の難点を指摘している。この批評だけで、小津映画の芯のようなものが浮上してくるから感心する。泰淳ファンはもとより、映画ファンや創作に関心がある方にはいい刺激になる一冊である。 |
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| 3月7日 (土) |
井戸を掘り当てろ |
まるで編集者時代を髣髴とさせる激しい一週間だった。 創作が井戸を掘る作業だとすれば、編集者は新たな井戸を掘り当てていく任を負っているのだろう。あそこ、ここ、そこ、あっち、………フッ。疲れるよな。だけど、それぞれの井戸が地下水脈でつながっていれば、そんな作業が望外に大きなオアシスを誕生させる場合もある。そして、そこの水を飲んだ人々(特に若い世代)の中から新たな状況を切りひらく者が、たま〜に現れたりするから、つい夢中になってしまう。これが、プロデューサーの愉楽である。 ……ってなことをツラツラ考えながら安静の一日を送り、豚しゃぶと豆腐で栄養を補った。 |
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| 3月6日 (金) |
二人きり |
強風が冷たい雨を吹きつける中、17時半、おんぼろのビニール傘をさして「あら喜」へ。T夫くんと諸事確認し、すぐに三の橋の交差点に戻ってほどなく、横断歩道の先から山崎努さんが一人で歩いて来られた。18時の約束よりも15分早い到着で、ほぼ9年ぶりの再会を果たす。 「嬉しいな」と山崎さん。 「こちらこそ、ありがとうございます」とおれ。 もはや雨も風も気にならない。 傘を閉じて店の中へ入り、座敷で向きあってまた「嬉しいな」と山崎さん。困ってしまうほどの満面の笑みにただ恐縮し、「いやあこちらこそ」と照れるばかりのおれ。生ビールで乾杯する際には互いに深々と頭を下げあい、一口呑んでから、まずは9年前に宴席をともにした写真家、高橋さんを偲ぶ。それから『あたらしい図鑑』、『詩人からの伝言』にまつわる話に移り、田村隆一さんに関する山崎さんからの質問に答える一方で、こちらからは演劇に関する意見を生意気と承知しつつさせてもらう。話は途切れることなく続き、不二才、赤ワインをちびちび呑みながら二人きりで意見を交わす。 途中、『おくりびと』に倣って河豚の白子焼きが登場。山崎さん、映画のとおり、手で直接口に運び、はくはくとたいらげる。一瞬、見とれてしまう。 緊張を抱えているのは確かなのに、次々と話したいことが飛び出してくる不思議。そんな感覚に包まれてはたと時計を見ると、23時になっていた。 あっという間の5時間。実はまだまだ呑んで話したかったが、山崎さんも絶好調ではあったが、とはいえ屈強に見える山崎さんも72歳だ。9年前は朝4時まで呑み、山崎さんにタクシーで送ってもらったのだが、これ以上は負担ばかり強いてしまうと判断してお開きにさせてもらった。 店を出たら雨が止んでいた。 呑んだ後の恒例で、そこらをぷらぷらしてから帰るという山崎さんをお見送りして「あら喜」に戻り、T夫くんに礼を言って一杯呑んだ。生を実感した夜だった。 |
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| 3月5日 (木) |
10余年ぶりの田村邸 |
7時半、起床。昨晩の酒が残って食欲なく、熱いお茶と梅干しで回復を待つも立ち直らないまま10時、予約していた「vi-ta」へ行き髪をカットしてもらう。その際にも水をもらって吐き気をおさえ、ふらふらになって帰宅してシャワーを浴び、ぐらぐらの体で品川駅へ行き、「ダ・ヴィンチ」編集部のI田さんと待ち合わせて鎌倉へ。横須賀線の車中で打ち合わせをするうちに体調が戻り、鎌倉駅に早めについたこともあって駅前で温かいきつねうどんを喰らってから田村邸に向かう。 10余年ぶりに訪ねた田村(隆一)先生のお宅は、奥さんから聞いていたとおり改築されていた。内装は外観以上に真新しく、かつての面影を残すのは庭だけだったが、久しぶりにお会いした奥さんは昔のとおり麗しく、元気で明るく、あれこれと楽しそうに話をしてくださった。また、『詩人からの伝言』の文庫化も快諾くださり、3時間がたって退出する際には、「長薗さん、以前みたいにもっとこの家に遊びにきて私とお話ししてよ」と声をかけてこられた。荒木さんをはじめ、高梨豊さん、上田義彦さんらが撮影した田村先生の写真に囲まれながら、先生の死後を守る奥さんと語らうことはありがたい事である。だから、すなおに了解してお別れした。 鎌倉在住のライターさんと打ち合わせを控えているI田さんと駅前で別れ、上りのホームへ出たところにあるキオスクで最新の「ブルータス」を衝動買いする。不細工猫として人気を博している「まこ」が表紙を飾っていてつい手が伸びてしまったのだ。昨今では最高の表紙。写真もデザインも抜群の出来映えだった。同じホームで鎌倉名物の鯵の押寿しも買って電車に乗り込み、「ブルータス」の特集に興じながら東京へ戻った。 |
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| 3月4日 (水) |
歌舞伎にシガー |
連載「OVER THE BOOK」第24回の原稿を途中まで書き、16時、東銀座の歌舞伎座へ。 三月大歌舞伎は真山青果の名作、「元禄忠臣蔵」の通し上演。日経BPのMi橋さんとともに館内に入り、團十郎、仁左衛門、幸四郎の三人がそれぞれに演じる大石内蔵助を堪能する。中でも、「仙石屋敷」の内蔵助を担当した仁左衛門の物語性に充ちた語りには知らずのうちに引き込まれ、感涙の危機寸前までいってしまう。仁左衛門はほんとうに素晴らしい役者である。また、「大石最後の一日」でおみのを演じた福助は名演だった。動きも所作も佇まいも非の打ちどころがなく、覚悟をもって磯貝十郎左衛門に恋情をたしかめるべく細川邸に上がった女の情念を演じきっていた。 終演後、いつものように「まつ惣」へ行き熱燗を呑みながら芝居談義。続いて落語を話題に盛り上がり、「D-ハートマン」に流れる。そこでMi橋さんがシガーの話をすると、なんと同店のバーテンダーT中くんが昨年度の日本のシガー・サービス・コンクールの優勝者とわかり、彼に勧められるままキューバ産のシガーを味わう。ついでにモルトウイスキーを呑み、充分に酔いが回ったところで帰路につく。 呑みすぎた。 |
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