| 7月6日 (月) |
ムーンウォーク、長崎乱楽坂、生理 |
朝からどかどかと月刊誌4冊、単行本3冊、文庫本2冊が届く。その中に、「中央公論」編集部のN西さんに探してもらった『ムーンウォーク』(CBSソニー出版)があった。 21年前に刊行されたこの本は、マイケル・ジャクソン唯一の自伝であり、そこにはチャイルドスター時代を含む彼の30年ほどの過去がつまっている。数ページ読んだだけでも、その面白さ、告白の精度の高さがうかがえる代物。翻訳はなぜか田中康夫さんが担当していた。 その後、夜まで創作。遅い夕食後にもう少し書こうと机に向かったが頭が漫然としてきて言葉が粗くなり、椅子から離れて吉田修一さんの『長崎乱楽坂』(新潮社)を読む。長崎弁の勉強のためにと手にとったのだがこれが面白く、つい半分まで読み進めてしまった。そして、吉田さんの文章は生理的におれの文章と似ている、と感じる。 就寝前に今月号の「ダ・ヴィンチ」を開き、2ヶ月遅れで掲載された山崎努さんとおれの対談を読んでからベッドに倒れた。 |
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| 7月5日 (日) |
曇り空 |
| 安息日。曇り空ににつかわしいと自己弁護。 |
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| 7月4日 (土) |
宙の中の人々 |
19時まで創作。100枚突破。動く人物たちの表情、声に集中する。 20時半、食事をとるために「acalli」へ行くと、朝日カルチャーセンターの受講生だったN村さんとオーストラリア人のご主人がいらっしゃった。カウンターに並んで座り、あれこれ話しながらコース料理を食べる。南瓜、玉葱、イタリアン・トマト、万願寺などの野菜焼きが抜群の美味さで、あっという間に白ワインを呑み干し、赤のハーフをすぐに注文。その後はゆっくり呑み、食べ、N村さんのご主人の経歴などを聴く。完璧な日本語、助かる。 帰宅後、書見。しかし、どんな本を読んでも、頭の中では創作中の作品の登場人物たちが動き回っていて、つい目が宙を泳いでしまう。しかたなく宙を眺めつづけ、目の疲れを待って昏倒睡。 |
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| 7月3日 (金) |
佳境の狂気 |
夜までずっと創作。100枚の手前でついに登場人物たちが勝手に動きだし、次々と予定外のセリフを放つ。その内容を書き写しているうちにちょっと涙ぐんでしまい、猫の目を気にしながらあわてて拭きとる。創作の佳境は、端から見れば危ない状態に違いない。 書き過ぎ防止と空腹対策のためにあえて22時で机の前を離れ、閉店間際の「あら喜」へ。生ビールを呑み、鯨の刺身とうざくを食いながら不二才のロックをちびちびやり、最後は石狩漬けをつまむ。その間にあら喜パパ71歳とあれこれ話し、麻布二の橋にあった三業地について教えてもらう。また、戦争をはさんだある友人家族の話を聴き、そこらの娯楽小説や映画もかなわないドラマに感嘆する。 24時前には帰宅し、連絡業務をこならしてから満腹睡。 |
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| 7月2日 (木) |
安息の木曜日 |
| これまた先週同様、ウコンの力を借りて体調を戻し、創作体勢を整えなおして1日が終わってしまう。土日も関係なく仕事をしている身としては、この木曜日が安息日なのかもしれない。 |
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| 7月1日 (水) |
水曜日はやっぱり |
少しだけ寝て12時まで学生の課題にコメントを書き込み、シャワーを浴びて出講。講義が終わった後も、学食前のオープンテラスで3名の学生の質問に答えながらあれこれ話す。16時半、帰宅。すぐにシャワーを浴びて新たな汗を流し、へろへろになりがら新聞、雑誌に目を通し、18時40分、再び外出。タクシーで銀座に出、8丁目の「矢部」で横里くんと会食。『詩人からの伝言』(ダ・ヴィンチ文庫)の顛末についてあれこれ話す。決して楽しい話ではないが、夏の旬をめいっぱい使った料理に救われる。特に太田川の鮎、十和田湖のジュンサイは美味かった。 その後、以前に一度だけ行った「銀座フィナーレ」で音楽家の卵の女の子たちと談笑し、「D・ハートマン」に流れて客より酔っぱらっている水田店長をからかってからタクシーに同乗して帰る。 今週もやっぱり、水曜日は激しい1日となった。 |
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| 6月30日 (火) |
初啼きの充実 |
連載コラムを書くための資料に目を通していた11時35分、いきなりベランダの先、マンションの外壁で蝉が啼きはじめた。典型的な「ミーン、ミーン」で、おれの隣で眠りかけていたウータも思わず起き出し、窓際へと急いだ。 2分ほど続いた蝉の初啼きを堪能してから机に戻り、15時、コラム脱稿。推敲して編集部へ送り、遅い昼食をとるため、残っていた豚肉でひとりしゃぶしゃぶ。7枚の肉を喰らい、レタスもしゃぶしゃぶして数枚たいらげ、玄米入りのご飯を1膳いただく。それから2時間眠り、創作。22時半、o野くんから電話があり、7月11日に入籍すると告げられる。交際4ヶ月での結婚だが、こればかりは当事者の判断がすべてだ。「おめでとう」と祝い、近いうちの会食を約束して電話を切る。その後も1時まで創作。6章に突入してほどなく執筆を止め、学生の課題原稿を読みはじめる。 5時まで読み、朱を入れ、ふらふらになって昏倒睡。 充実にはほどよい忙しさが不可欠なようだ。 |
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| 6月29日 (月) |
マイケルの産毛 |
執筆の合間に『THRILLER』を聴きながら踊っていたら腰がガクガクになった。おかげて仕事に集中でき、小説はようやく後半に突入。連載コラムはほぼできた。 夜、マイケルの頭には実は産毛ぐらいしか生えていなかったという報にふれ、東の空を仰いだ。 |
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| 6月28日 (日) |
世界を、こんなふうに見てごらん |
毎月、出版各社のPR誌に目を通す。数年前の「一冊の本」(朝日新聞出版)は、金井美恵子さんの”目白雑録(ひびのあれこれ)”を筆頭に冴えわたっていて、毎号、どの雑誌よりも精読した。最近は「青春と読書」(集英社)が面白い。特集はPR臭が強くてどうってことはないのだが、多田富雄さんと日高敏隆さんの連載が群を抜いている。 たとえば日高さんの「世界を、こんなふうに見てごらん」(これ、連載タイトル)を読んでいると、小説では味わえない自然に接する妙味にふれることができる。と同時に動物学の態度、生態学の問題、地球温暖化問題のズレなどにも蒙を啓かれる。つまり、発見があるのだ。それらがやわらかな文章で綴られているのだから、読まずにはいられない。力みも無駄もない、まさに「文は人なり」の名エッセイだ。 今月号からは広瀬和生さんの連載、「現代落語の基礎知識」がはじまった。少々力みはあるが、すでに面白い。多田さんの連載が終わったのは残念だが、このような切れのいい新陳代謝が行われている限り雑誌の魅力は担保されていくだろう。 |
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| 6月27日 (土) |
魂の瘡蓋、あるいは芯について |
ファラ・フォーセット、つまりかつてのチャーリーズエンジェルも62歳で逝っていたのか、……彼女の髪型がなければ「聖子ちゃんカット」もなかったよな、とふと思う。 清志郎さんといいマイケルといい、そしてファラといい、青春期に同時代性を象徴して輝いたスターを失うことは、やはり私性の喪失につながる。マイケルの訃報に接したニューヨークのある中年男性が、「魂の一部を失った」と語っていたが、その一部は彼の「魂の瘡蓋(かさぶた)」だったのではないか。若い頃の彼の魂に生じた傷口をどうにか塞いでくれたのが、マイケルの歌でありダンスだったのではないかと想像した。そして、時間が経るうちにその瘡蓋は魂と同化し、彼にすれば、マイケルの存在はいつしか魂の一部となっていったのだろう。 清志郎さんはまさにおれの「魂の瘡蓋」だった。山口百恵も瘡蓋だった。一時のCharも、サザンオールスターズも、B・Bキングも、安岡章太郎も、つかこうへいも、村上春樹も、キース・リチャードも、コルトレーンも、キャプテンも、岡崎京子も、69も、開高健も、パリ、テキサスも……際限がないほどに挙がる瘡蓋の数々。こうして考えると、魂なんて代物は瘡蓋がくっつきあって形成されたものではないかとさえ思う。十人十色の正体は、この瘡蓋の差異から生じるのではないか。 しかし、野球の硬式ボールのように小さなコルクに巻かれた糸が「魂の瘡蓋」だとすれば、コルクにあたる「魂の芯」はいったい何なのか? ひょっとしたら、あらゆる問いはここから発しているのではないか、と今ひらめいた。 |
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| 6月26日 (金) |
BAD DAY |
8時、マイケル・ジャクソン意識不明の報を聞いて目をさます。すぐに古いCDボックスを漁り、『THRILLER』を抜き出してBOSEの前へ。まさか昨日届いたばかりのWave Music Systemで聴く最初の音楽が、瀕死のマイケル・ジャクソンになるとは思わなかった。今、「BEAT IT」が流れている。東京ドームで観たマイケルが脳裏で動き回っている。
9時5分、CNNが「マイケル・ジャクソン死去」の速報を流す。しょうがねえ、CDを『BAD』に替えることにする。 |
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| 6月25日 (木) |
BOSE到着 |
朝9時、注文していたBOSEの「Wave Music System」が届く。しかし、梱包を解くことなく仕事。夕方、シャワーを浴びてさくっと着替え、「あら喜」へ。先週末の御礼をして生ビールを呑み、姫サザエ煮、ポテトサラダ、揚げ出しナス、沖縄もずく酢をいただき、不二才のロックをちびちび呑りながら久しぶりに会ったインテルのA木さんとふわふわ喋り、20時過ぎに帰宅。 ウコンの力で肝臓をケアしてから、ではそろそろとカッターを使ってBOSEの梱包を解き、本体を仕事部屋の小ぶりの本棚の上に設置。時刻設定やら何やらを終えたところで睡魔に降伏、ウータを追ってベッドに倒れこむ。 |
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| 6月24日 (水) |
うまい4種 |
4時半、起床。5時から「遺書、拝読」を頭から書き直し、10時脱稿。推敲して編集部の送り、そのままレジュメを作成。村上龍さんの『インザ・ミソスープ』(読売新聞)の殺戮場面をテキストに行動描写の要点をまとめる。その後、つけ麺で昼食をとってシャワーを浴び、外出。 汗だくで授業を終え、学生2名といつもの喫茶店へ行き、ひとりで生ビールをジョッキで2杯飲みながら授業と同じ時間またしゃべる。我ながらご苦労さんである。ほとほとに疲れて地下鉄に乗り、ふらふらの体で帰宅。すぐにシャワーを浴びて着替え、今度はタクシーで南青山へ行き、「かとう清正」という馬刺の店で会食。宝山のロックで脳をキックして睡魔を遠ざけ、ときおり談笑に参加しつつ馬の刺身、しゃぶしゃぶに舌鼓を打ちまくる。 「美味い!」 「甘い!」 「馬い!」 「旨い!」 どれも声に出せば「うまい」だが、文字にすれば3〜4種の「うまい」で賛美する。「うみゃー!」と叫んだほうが良かったか? それにしても馬の霜降り、舌、恐るべし。 22時半に帰宅し、どうにか一時間だけ目をあけてニュースをチェックし、自民党の無様にうんざりしながら昏倒睡。 |
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| 6月23日 (火) |
脱線 |
| 終日、中央公論の「遺書、拝読」第68回を書く。気がつくと書(『コミュニケーション不全症候群』)にある一文から連想が沸き上がり、それらが連なり、遠くで別種の炎が閃き、懸案の謎がちょっと解けたような気がしてメモをとり、虚構の道筋に目を細め、妙な緊張に興奮したりして…………、肝心の原稿進まず。早々にベッドの人となる。 |
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| 6月22日 (月) |
鮮やかな透視 |
| 18年前に刊行された『コミュニケーション不全症候群』(筑摩書房)を再読してあれこれ考える。優れた書は次代を予見するが、これもまたその一冊。1990年代前半から今にいたる'00年代までの「現代」の病巣が鮮やかに透視されていて、しみじみ感心した。 |
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| 6月21日 (日) |
鼠顔の牛は空を見あげて |
| 雲だらけの夏至に首をひねる。鼠顔の牛、どっかと完全休養。 |
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| 6月20日 (土) |
破綻手前で完全燃焼 |
17時まで創作。ようやく新たな、そして重要な人物が登場してくる。ここが折り返しとなる予定だが、そう考えると、この作品は160〜170枚で仕上がるのだろうか? まだわからない。ほのかな手応えを感じつつシャワーを浴び、あら喜へ向かう。 17時50分、麻布三の橋で山崎努さんを迎え、手を握りあって店へ入り、2ヶ月ぶりに生ビールで乾杯。『詩人からの伝言』の顛末は手短かにすませ、いつものように文学、演劇、映画の話でじわじわと盛り上がる。途中、おれと山崎さんがともに子年生まれであること、おれの親父も子年であることなどもまじえ、破綻できない気質について談笑。2本目の赤ワインに突入した後半は、思いつくままにあれこれ互いに主張し、一方で田村隆一先生の破天荒の真髄を偲ぶ。そして梅雨明けの箱根行きを約束し、頬をくっつけあって写真に収まり、穂村弘さんの『短歌の友人』を贈って宴をしめ、タクシーに乗りこんだ山崎さんを見送る。 ふらふらになって腕時計を見たら、0時半だった。 完全燃焼。 エンジョ〜〜〜〜イ。 |
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| 6月19日 (金) |
諸事、ごろりと半回転 |
午前中に『1Q84』を読了し、そのまま創作に移る。14時まで書いてシャワーを浴び、外出。都ホテルで「週刊朝日」のI田さんと打ち合わせ。新しい連載企画の説明を聞かせてもらい、承諾。その後は一人歩いて白金高輪駅近くまで戻り、コンビニで「週刊文春」と飲料を買って「Ti's-table」へ。ドライカレーを喰らいながら文春を開くと山崎努さんの”読書日記”が載っていて熟読。帰宅後、ご本人に電話をして感想を報告し、明日飲もうと盛り上がる。 夜、創作。牛、ついに横になり、中島梓さんの本と戯れる。 |
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| 6月18日 (木) |
早川純子さんの力作 |
どかどかといろんな所から本が届く。 その中で、早川純子さんが絵を担当された『山からきたふたご スマントリとスコスロノ』(福音館書店)に引きこまれる。インドネシアのワヤン(影絵芝居)を題材にしたこの作品、噺も興味深いが、何より早川さんの版画絵が素晴らしい。ワヤンの世界をグラフィックで醸し出そうとした力作がどの頁にも並んでいる。細心にして大胆な構図、表情、展開。編集の妙味もあいまって、その挑戦は見事に成功している。絵をざっとながめるだけでワヤンの魅力にふれた気分になれるのだから、たいしたもんだ。 今月末に出る山田詠美さんの『学問』(新潮社)のバウンドプルーフは、読み続けるときっと創作ができなくなるため、冒頭数頁で泣く泣く手放し机に向かう。 創作、あいかわらずの牛歩。よだれが垂れている。 |
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| 6月17日 (水) |
闘莉王だけ |
3時、起床。6時間かけて学生の課題原稿(80点)を読んでコメントを付し、レジュメを作成して出講。夏日の昼間とあって教室も暑く、終わったときには、黒麻のジャケットは汗でよれよれになっていた。 帰途、ぼおっとした頭で地下鉄車内の乗客をあれこれながめる。それぞれに一作ずつ掌編小説が書けそうな気がしてきて、実際にアイデアもあれこれ浮かんできたが、それ故に「自分は疲れている」と実感する。帰宅後すぐにシャワーを浴びると、はっきり呆然。むりやり腰に手をあてて大量の牛乳を飲み、本を目で追ってみたが文字は頭に届かない。しかたなく縁台にすわって猫たちとともに半端な梅雨空を見あげ、夕暮れがせまってきた頃ようやく平常の感覚をとりもどす。 夕食時、サッカーW杯最終予選、日本vsオーストラリア戦をBS-1で観る。闘莉王だけが世界レベルで戦っていた。 |
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| 6月16日 (火) |
村上春樹の体力 |
村上春樹さんの『1Q84』を読んでいると、内容云々の前に、体力について考えさせられる。これだけの長編を一定の張力を維持しつつ書き続けるには、それ相応の充実した体力がなければ困難だ。30代半ばから体力強化のためにマラソンをはじめ、ついにはトライアスロンまではじめた春樹さん。その成果は確実に作品に反映されていると、おれは見ている。 書くことは考えることであり、考え続けるにはやはり体力が要求される。もとより、集中力の基盤は体力である。だから、老作家は滅多に長編をものにできない。30〜40代に優れた長編を発表した方であっても、エッセイや淡々とした短い作品が多くなる。枯淡の境地に至ったと言えば聞こえは良いが、実のところは、体力の減退が創作の障害となっているのだろう。書き続け、考え続けるには、ほんと、想像以上に体力が要るのだ。 春樹さんは今年、60歳になった。彼はその作品世界だけでなく、体力と創作の関係といった視点からも、これまでの日本人作家にはなかった道を歩んでいる。 |
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| 6月15日 (月) |
こんな感じ |
3時に起床し、コーヒーを飲みながらテレビをつけたら、いきなり松井秀喜がサントス投手からホームランを打った。これは佳き日と、単純に喜ぶ。 午前中は、学校図書館ブッククラブ会報用のエッセイ執筆。昼前に脱稿し、送信。その後、ゴブリン書房のT田さん、「ダ・ヴィンチ」編集部の横里編集長と電話で話してから仮眠。16時、予約していた「vi-ta魚濫坂店」で髪をカットしてもらい、18時半、帰宅。『1Q84』を少し読んで夕食をとり、創作。23時半、就寝。こんな感じで暮らしていければと感じる一日だった。 |
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| 6月14日 (日) |
良質の企画 |
朝の散歩から戻って宅配ボックスを調べると、傘が2本、届いていた。どちらとも昨年の12月10日、「傘日和展」(G8ギャラリー)で注文したビニル傘だった。梱包を解き、松永真さんの”腕白坊主”傘とささめやゆきさんの”猫”傘を手にして盛り上がる。 入梅直後の配送は、つくづくいいアイデアでありました。誰が企画したかは知らないけど、この素直な発想は貴重。同時に日本ユニセフへ売り上げの一部を寄付を贈る仕組みになっていて、さらに感心する。こういう形でもっとお金が回るようになれば良いのに。 |
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| 6月13日 (土) |
欠落の希望 |
朝から創作。長い昼寝をはさんで21時まで続け、欠落の美点、あるいは欠落の希望のようなことに思いを馳せる。知見と思考の末に浮上してくる具体を探す、発見するーーーこの作業は創作の愉しみのひとつであり、魅力でもある。 どうにか4章まで仕上げ、シャワーを浴びて外出。郵便物を2通投函してから麻布二の橋の「草の家」で焼肉を喰らい、赤ワインを1本空け、久しぶりにカラオケ。声、出た。調子に乗って1時半まで歌い、歩いて帰宅。即身成仏。 |
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| 6月12日 (金) |
唾が溜る |
松井秀喜選手の35回目の誕生日を寿ぐ。 それにしても(松井とはまったく関係ないが)、麻生政権は醜い。あまりにベタな人間模様が表出していて、サスペンスの緊張すら期待できないありさま。こちらの口中には唾が溜る一方だ。 創作、停滞。 |
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| 6月11日 (木) |
時間にずるずると引きずられ |
終日、創作。合間に『1Q84』、猫たちとの密談。一日が、感覚的には4〜5時間しかない。決して充実しているわけでもないのに。 この感じだと、冬を迎える頃にまた誕生日を迎えそうだ。 |
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| 6月10日 (水) |
まったくもってうっかり |
うっかりしていたら49歳になってしまった。 まったくもってうっかりだ。
5時間もかかった学生の原稿読みに疲れ果て、3時間だけ眠ってレジュメをまとめ、出講。終了後、2人の学生と喫茶店で談笑。17時半に帰宅し、放心。机に向かうも言葉が脳の奥に隠れたきり顔を出さず、サッカーW杯予選をテレビで観戦後ほどなく、本を抱えて昏倒睡。
うっかりでもまだ生きている不思議。49回目の夏至が近づいている。 |
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| 6月9日 (火) |
眼、疲れる |
| 昼間から阿修羅Tシャツを着て創作、合間に『1Q84』を読みつつどうにか3章まで終わる。その後は、学生が書いた課題原稿を読む。人数が多いため、4時間読んでも読了できず、10余名分を残して眼精疲労睡。 |
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| 6月8日 (月) |
来年 |
| ベランダの紫陽花がピークを迎えている。入梅が近づいた証だ。雨が続けば少しは長持ちするだろうが、数日たったら剪定して花を落とすことになる。来年のため。もう来年の話である。 |
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| 6月7日 (日) |
淫すれば救われる |
ようやっと村上春樹さんの『1Q84』(新潮社)の上巻を読みはじめるも、1章だけ読んで外出。読売ホールで『談春・喬太郎二人会』を聴く。 前座の「太鼓腹」の後、喬太郎師匠は「いずみ荘201号室」を演り、幻の”東京ホテトル音頭”も歌って落研根太に凄みを添える。会場、大爆笑。中入り後、談春師匠は「厩火事」を熱演。サゲまでいってお辞儀をして拍手を受けた直後、この落語を「いずみ荘201号室」の人物が演じたものとして続きを展開、見事な一本噺にしてみせた。観客は機転の利いた談春師の編集力の妙味にうなって拍手喝采。いい場面に出くわしたという充ちたりた気分が会場にあふれかえった。 当代の人気者同士による二人会を満喫し、Mi橋さんやO島さんらと東銀座まで移動し、「正泰苑」の個室で焼肉を喰らう。米朝事務所のO島さんも遅れて合流し、今ひとつ人気が出ないでいる中堅落語家の打開策についてあれこれ意見を交わしながら、各人、舌鼓を打ちつづける。おれは真露の水割りをちびちび飲み、落語に淫した人々の話を楽しんだ。 それが何であれ、どうしても淫してしまう対象を有した者は幸福である。 散会後、仙台坂に暮らすO島さんをタクシーで送って帰宅。『1Q84』の2章を読んだところで昏倒睡。 |
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| 6月6日 (土) |
阿修羅を観れば夏目雅子を思いだす |
午前中、桐野夏生さんの『IN』(集英社)読了。自身の体験を色濃く反映した私小説的な作家論、あるいは小説論とでもいうべき内容。作者にすれば、これを書かないと立ち行かない状況があったのだろう。午後14時半、外出。バス、電車を乗り継いで上野の東京国立博物館(平成館)へ行き、報道どおり50分並んで「国宝阿修羅展」を観る。 大阪万博で行列に加わることを拒否した10歳の夏から、対象が何であろうが行列は避けて生きてきたけど、今回だけはどうしても阿修羅の側面の顔が見たくて並んだ。が、想像を上回る人混みにもまれ、どうにも対峙することはできなかった。周囲の老女たちの愚痴(「これじゃ全然観られない」とか「背が低い人を前にしてもらわなきゃ」など)にうんざりしつつ像の周りを巡り、人いきれから逃れるように展示室を後にしてみれば、十大弟子像のうちの迦旃延(かせんえん)立像の皺だらけの困惑の表情ばかりがちらついた。 仏像はやっぱり静かに向きあわなきゃ駄目ね。 脱力感すら覚えながら図録や、阿修羅Tシャツやトートバッグを購入して博物館を後にし、大好きなミュージアムショップに寄って昨夏紛失した鳥獣戯画扇と同じ物を求め、背中を汗で湿らしたまま田町駅まで戻る。そして、ヤマトで生ビールを飲み、レバ刺しや豚バラやモツ煮込みを喰らいながら阿修羅像の正面の顔を思い出し、「夏目雅子にそっくりだった」とつぶやく。 次に山崎努さんと食事をしたら、『ザ・商社』当時の彼女についていろいろお聞きしてみよう。眼前で裸になった阿修羅の姿、表情、声。ほろ酔いの頭はきれぎれに点滅し、そのまま歩いて帰った。 |
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| 6月5日 (金) |
雨 |
| 午後、強くなった雨のために予定を変更。終日、自宅で過ごす。 |
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| 6月4日 (木) |
泡盛の日 |
終日、連載コラムの執筆。泡盛にあう料理を題材にし、昼食もとらずに食文化について書く。夕方、脱稿とともにどうにも泡盛が飲みたくなり、編集部へ送信後、すごすごとあら喜へ。まずはビールを飲み、冷奴、牛蒡とハムのマヨネーズ和え。不二才のロックから泡盛の多聞川のロックへと飲み継ぎ、鯨の刺身、ラッキョウ、泥鰌の唐揚げなどを喰らう。宮古島産の多聞川のロックは飲みやすく、油断すればすぐに飲み過ぎると実感。 ほろ酔いで店を後にし、コンビニで牛乳を買って帰り、ぐびっと飲んで早々に寝床の人となる。安寧。 |
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| 6月3日 (水) |
あきらめられる人は早くあきらめた方がいい |
早朝から講義の準備。今回は『楢山節考』を取り上げるので、深沢七郎のエッセイや他の短篇を読み返しているうちに2時間がたってしまう。いかんいかんとレジュメ作成に移り、『楢山節考』よりも畏怖する『笛吹川』の再読はひかえる。 いつもどおり13時5分から講義。これで6回目なのだが、そろそろ学生の姿勢にばらつきが出はじめている。関心が弱い者に強いる気はさらさらないから、周囲に迷惑をかけなないうちは放っておく。創作や表現などという世界は、本質的には、どこまでいっても本人次第だ。勘違いした憧れだけでは到底長続きはしない。だから、あきらめられる人は早くあきらめた方がいい。 終了後は、いつも立ち寄る店でサンドウィッチとサラダを食べ、アイスコーヒーを飲んで帰る。最寄り駅からの帰り道、課題の添削専用に新しい赤ペンを2本購入。さて、昨今の学生の文章力やいかに。 |
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| 6月2日 (火) |
D効果は2時間半 |
ちょっと風邪ぎみながら、リポビタンDをぐいっと飲んでやり過ごす。 創作、連載コラム、ともに1枚ずつ書いて呆然。ややこしい気候である。 |
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| 6月1日 (月) |
20世紀が終わった6月1日 |
月が変わっても生活は変わらず、とにかく創作。疲れたら書見、植物の手入れ、メールの返信、スクワット、そして猫たちと談話。ウータは体が冷えたのか、早朝、僅かながら嘔吐する。が、午後には快復。 GMが予定どおり破産法第11条を申請したが、ジョン・アップダイクが生きていたら、ここを始点にどんな物語を描くだろうか。おそらく希望の話だろうと、想像する。20世紀がようやく終わろうとしているのだから。 さて、日本はどうやって20世紀に決着をつけるのか。まあ、象徴的には政権交代しかないわな。 |
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| 5月31日 (日) |
日々 |
5時半、起床。昼過ぎまで創作。その後、昼食をとり、散歩がてらデーツーまで出かけて備品や日々草を買い、帰途、七観世音菩薩がある願海寺に寄って俄雨にあう。帰宅後はすぐに植え付けをやり、それから創作にもどる。18時半まで書く。45枚。まだ中盤にも来ていない。まだ半月ぐらいは10歳の夏を生きる。 夜はテレビでサッカー観戦。チリ戦に続く快勝に拍手し、本田の進歩についてしばらく考える。北京オリンピック時の彼の言動を思い出すと、その変化は明確で、この数ヶ月をうまく過ごしたのだと感心する。たとえ2部であってもオランダリーグへ進んだのは正解だったのだろう。ドイツリーグ1部で優勝した長谷部もまた、攻守ともにたくましくなってほれぼれ。などとほざいているうちにゆったりと睡魔に抱かれ、いっさい抵抗することなく昏倒睡。 |
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| 5月30日 (土) |
ぼうぼう |
| 机に向かっていないときはベッド。そうやって終日過ごし、早々にまたベッド。もう丸3日、外に出ていない。髭、髪、ともにぼうぼう。 |
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| 5月29日 (金) |
残照 |
終日書見。その一方で、朝日新聞夕刊に短期連載されている「大逆事件残照」を連日愛読し、15歳から抱いてきた某人物への興味を喚起され、取材欲求が高まる。ならば動けばいいのだが、あれこれ言い訳を用意して動けずにいる。つまらない自答はフットワークが悪くなっている証拠でしかない。 夜、「肥後っ子」の水割り1杯で撃沈。 |
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| 5月28日 (木) |
統べられて |
終日セルフ自宅軟禁。
平面の耐える力に統(す)べられて天井あれば仰向き眠る 松平盟子 |
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| 5月27日 (水) |
貧しい贅沢 |
朝寝て、朝起きる。講義用のレジュメの修正、加筆をやって外出。車中、テキストに使う『火垂るの墓』(野坂昭如 新潮文庫)を再読。もう何度読んだだろうか、それでもこの文体と内容の絡み合いはやっぱり見事だ。この交合が究極にまで高まったのが、『骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)』だとおれは思っている。真の傑作。湿度が80%を超える日に外気にふれながら読めば、ふらっと昇天しそうなほど凄い小説である。 講義を終えて大学を後にし、西巣鴨駅近くの喫茶店に入って一息ついたところでメニューにナポリンタンを発見。迷わず注文し、この、日本ならではの料理をぱくぱくと味わう。豊穣からほど遠く、色見だけでイタリアを錯視するような眺め。そして、そのままの味を堪能してみても決して腹はいっぱいにならなかったけれど、なぜか救われた気分につつまれた。 貧しい贅沢、とでも言うしかない遅い昼食をとって帰宅し、改訂版の『詩人からの伝言』の最終校正をやって疲れきる。創作にもどる気力が回復せず、漫然と縁台にすわってやたらと動く夜空を見上げ、体が冷えきったとろこで寝室へ逃げこむ。 |
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| 5月26日 (火) |
一日なら本が支える |
終日自宅。「遺書、拝読」のゲラ戻しをやった後、資料として取り寄せた『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』(佐野真一 集英社インターナショナル)をぱらっと捲ってはまってしまい、つい200頁ほど読んでしまう。まだ400頁余り残っていることを幸福と感じるほどの面白さ。夕、夜、暗澹とさせられる電話を受け、しばらく呆然。『うちのまる』(有限会社養老研究所 ソニーマガジンズ)をながめて精神の均衡を保とうと務めるも、愛らしい「まる」の写真から目を離すたびに、暗澹がまた襲ってくる。夜中、それらを振り払うように創作に戻る。明け方、机を離れて『泡盛「痛」飲読本』(仲村清司+酔いどれ泡盛調査隊 双葉社)を読む。これも資料として手にとったのだが、構成、情報量、写真、文章など、全面的によく出来ていて感心する。いわば、(泡盛への)愛情の編集に成功した本である。 かくして良書に支えられて長い一日を終え、ウータになぐさめられながら眠りについた。 |
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| 5月25日 (月) |
こまどりな夜 |
縁台で昼飯を食ったり、廊下に転がっていたウータのうんこを片づけたりしつつ16時半まで創作。小学4年生になりきった頭を切り替えるために熱いシャワーを浴びて着替え、グランドハイアット東京へ。荒木先生の69歳の誕生日パーティーに出席する。 恒例のアラキネマが上映された後、「スペシャルゲストの登場です」と案内があり、いったい誰かと待っていたらなんと、こまどり姉妹が現れた。 こまどり姉妹、である。 まずは三ノ輪生まれの荒木さんに贈る「浅草育ち」、次に名曲「三味線姉妹」、そして最後は、荒木さんのリクエストで「みれん心」ときた。会場全体が一気に盛り上がり、おれなどは思わず涙ぐんでしまった。町田康さんも感激したらしく、デジカメのシャッターを押していた。こちらが生まれる前から歌っていた双子は、「きょうは2センチほど厚塗りしています」と語った。 町田さんと連れ添って2次会の店まで歩き、そこでも彼と話をつづける。いい話。ついでにアカペラの河内音頭まで拝聴し、初見の編集者や16年ぶりに会ったNHKのディレクターらとともにまた盛り上がる。その後、「アサヒカメラ」の編集長と二人で飲みなおし、2時、ふらふらになって帰宅。即身成仏の直前、こまどり姉妹が眼前を横ぎっていった。 |
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| 5月24日 (日) |
夕涼みで酔っぱらう |
昼前、ウータのブラッシング。冬毛をこれでもかと浮かせて取り除くと、ソフトボール大の毛玉になった。 午後、ドライアイ対応の目薬を買って帰り、創作へ。夕方、7月21日の朝を描いていて、どうしてもカブトムシが直接見たくなり、毎夏カブトムシを売るケーヨーデイツーへ行ってみる。しかし、まだ早かったらしく、カブトムシはいなかった。そこで目についた縁台を買って帰り、早速組み立てる。これがなかなか良く、ぴったりとベランダとリビングの境に収まり、ついビールを飲んでしまう。中華風サラダ、ベーコンと茄子の炒めものまで用意してさらにビールを飲み、初夏の夕涼みを満喫。今年の東京大花火大会は、ここに座って見上げよう。 その後は当然のように眠くなり、素直に仮眠をとってから創作に戻る。34枚。 |
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| 5月23日 (土) |
後始末の土曜日 |
午後に来訪者があるため、あわてて午前中から大掃除。リビングダイニングの床を徹底的に磨く。ベランダと室内を行ったり来たりする猫たちがいるため、彼らの獣道は特に汚れてしまう。いわば愛猫の後始末をしながら、ついでにあれこれゴミを片づける。汗だくになってゴミ集積所と自室を4往復してさっぱりし、昼食をとっているとことろで来客を迎える。 夜、疲れが出たらしく、最後まで創作に集中できずに一日を終えてしまった。あきらかに本末転倒。 |
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| 5月22日 (金) |
酔ってもロック、いざ西表島へ |
朝から「遺書、拝読」第67回の原稿を書く。途中、卵ご飯片手に『完全復活祭』のDVDを1枚だけ観て声をあげてしまう。その後、20時過ぎに脱稿して編集部に送信し、20時半、宮古島帰りのMa橋さんと三の橋で合流して「あら喜」へ。いつものカウンター席で生ビールを飲み仕事の打ち合わせ。それからは、鰹と鯵の刺身、加賀太きゅうり、島らっきょ、谷中しょうが、ほやをつまみに不二才をロックで飲みながら日本のロックの話を続ける。仕上げに勧められたアサリご飯が絶品で、二人とも会話を忘れてむさぼり食い、2時に別れる。お土産にもらった宮古島特産の泡盛をT夫くんにあずけ、ふらふらになって帰宅。オランに先導されてベッドに倒れこむ。 Ma橋さん、西表島へ行こう。 |
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| 5月21日 (木) |
ブルース |
| 終日セルフ自宅軟禁。清志郎さんの歌声が響く中、荒木先生の誕生日パーティー事務局に出席の連絡だけはする。ブルース。 |
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| 5月20日 (水) |
かっこいい理由 |
朝まで小説を書き、2時間ほど寝てシャワーを浴び、講義の準備。宮本輝さんの『五千回の生死』(新潮文庫)をテキストに、主題のしのばせ方、描写の強調と抑制などを中心にレジュメを作成し、家を出る。しかし、東急のトラブルの影響から地下鉄三田線が遅れていて、始業5分前に大学に着く。マイク片手に90分喋って授業を終え、方言の活用について尋ねてきた学生とあれこれ話しながら控え室にもどる。帰路、宮本さんの『眉墨』を再読。 帰宅後は、連載のために清志郎さんの『瀕死の双六問屋』を読み、DVD『完全復活祭』に収められている歌詞をすべて読みなおす。かっこいい。そのかっこよさの理由について考え、メモをとり、トンカツで夕食。そこですべてのエンジンが止まり、目も開けられなくなる。ウータに先導されながらどうにか寝室にたどりつき、オランに指示されるまま昏倒睡。 |
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| 5月19日 (火) |
赤紫 |
| 終日セルフ自宅軟禁。書見、創作。楽しみにしていた柳家三三の独演会も見送って机に向かう。とはいえ原稿は遅々として進まず、夜が明けてやっと30枚。やれやれ。紫陽花の赤紫が目にしみる。 |
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| 5月18日 (月) |
世界はこのありさま |
体が重く、体重計に乗ってみる。62.1kg。ほぼ人生最大値。身長172cmの場合、標準体重はたしか63kgだったから問題はないのだが、軽い負担感がつきまとうからたまらない。動きも鈍い。巨漢猫ウータを抱きながらスクワットをして少し汗をかき、シャワーを浴びて創作。 夜中、清志郎さんの『夢助』制作ドキュメントをフジテレビで観る。ナッシュビルでのレコーディングを終え、B・Bキング縁のバーでサプライズライブを演じる清志郎さんの姿に圧倒される。ひたすらかっこいい。彼が日本のブルースとロックの牽引者であった意義を思う。彼の声は、ブルースの本場でも「ソウルフル」と喜ばれていた。
築きあげた文明が 音を立てて崩れてる お前を忘れられず 世界はこのありさま 「激しい雨」より |
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| 5月17日 (日) |
後遺症の一日 |
| 9時、起床。酒は残っていないものの、執筆とは違う疲れが全身をおおっていて机に向かう気になれず、ただただ漫然と過ごしてしまう。10日ほど前からせっかく突入した久しぶりの創作モードを乱してしまったことを悔い、自業自得とわりきって深夜、ようやく机の前へ戻る。3時間後、どうにか作品世界へたどりついた。 |
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| 5月16日 (土) |
断れないおれ |
8時、起床。朝食後、13時半まで創作。それからシャワーを浴びて着替え、外出。電車を乗り継いで両国へ行き、関さん千葉さん、そして8年ぶりに会うSさんと合流して国技館へ。一月場所に続き、東京場所を観戦する。しかし、十両の取り組みがどうにもつまらなく、持参した双眼鏡を駆使して或る一人の美人を観察していると、関さんも同じ女性に注目していたとわかり、そちらで盛り上がる。中入り後しばらくして審判交替の際にトイレへ行き、土産物売り場近くへ足を運んだところで件の美女に遭遇。まじまじと観察し、一気に興味を失って席へ戻る。 その後は冷静に相撲を注視して観戦を終え、両国駅前から全員でタクシーに乗りこむ。浅草で食事をしようと雷門付近へ向かおうとしたのだが、運転手さんから「今日は三社祭をやっているんで」と言われて急遽、上野へ向かってもらう。広小路通り沿いの3階建ての居酒屋、「樽平」なる店の3階であらためて乾杯し、刺身や煮込みや冷奴をつまみながら22時半の閉店まで飲みつづける。他の3人は家がこちら方面なので、「おれはこれで」と帰りかけたところ、関さんから「もう少し凄いピッチャーの話のつづきをしよう」と誘われる。二度断っても許されず、根負けして一緒にタクシーに乗ってしまい、さらに自宅から遠くなる西日暮里方面へ移動。そのあたりでは知られているらしい居酒屋のチェーン店で梅干しサワーなる飲み物をちびちびやりながら、Sさんとともに絶好調の関さんにつき合い、結局2時前まで過ごす。 強くなりだした雨の中、タクシーに一人乗ったおれは、若いくせに妙に道に詳しい運転手の無駄のない運転に感心しながら都心を南下し、30分後、へとへとになって帰宅したのだった。 |
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| 5月15日 (金) |
2/1000手 |
今月早々、いつも仕事机の上に置いてある十一面千手観音像が窓から吹きこんできた突風で倒れ、二本の腕に傷を負ってしまった。そこで今朝、アロンファルファを用意して修復作業にとりかかる。矢を持った腕などは根っこからもげていて、原形を確かめるために仏像本を参考にしたのだが、これがとても面白く、つい小一時間読みふけってしまった。それでも昼前には修復を終え、穏やかな顔に見守られながら創作へ。 夕方届いたY本さんの素晴らしい葉書にも激励されて21時まで書き、22枚。ようやく1章が終わる。もう少し書ける気配はあったのだが、今週前半から無性に赤ワインが飲みたくてしかたなく、21時半、思い切って「acalli」へ向かう。カウンターに座るなり早々に赤ワインを飲み、特製サラダ、フィレ肉、チーズをつまむ。1時間半、「acalli」の宝娘まどかの写真を見て談笑し、長居はせずに帰宅。メールのチェック、返信などをやって早々にウータと抱擁睡。 |
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| 5月14日 (木) |
方言を選択 |
10時間眠って目を醒ます。寝過ぎでかえって頭がふらふらし、昼近くになってやっと仕事をはじめる体たらく。まずは『詩人からの伝言』の通算三回目の著者校正。また新たな不信の種にふれて気が重くなり、昼食をとるのも忘れて作業を続ける。14時半にすべて終えて編集部に手配してもらったバイク便で戻し、おやつ代わりの食事をとり、しばらく漫然。夕方からやっと創作にとりりかり、遅い夕食をはさんで書き続ける。でも、まだ19枚。プロットがほぼすべて見えているのに歩みが遅い理由は、登場人物たちが長崎北部の方言を話すからだ。 プロフィールに長崎県出身と記してはいても、小学校1年の1学期までしかいなかったので、おれは、同地の方言が話せない。聞いたり読んだりすることには問題ないが、いざ話し言葉を書こうとすると、いろいろ資料にあたらないと覚束ない。だから、どうしても時間がかかってしまう。でも、この作品はどうしても同地の方言が必要と判断した(夢の中に登場人物たちが現れ、彼らが方言で会話していた)ので、難渋しながらもそれで書いている。 さて、担当編集者のY本さんはどう思うだろうか? 打ち合わせした際にはこんなこと話題にもしなかったからな。彼女の反応を確かめるためにも、今月末までに是が非でも第一稿を書き上げ、できれば佐世保のバー「ZiN」のM崎さんにも原稿(方言)チェックをお願いしたいと勝手に考えている。 |
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| 5月13日 (水) |
なごませてはいけない |
寝不足のまま8時半、起床。朝風呂に入って体を起こし、講義の準備。3週間ぶりとあって念入りにやり、外出。カミュの『ペスト』(新潮文庫)を再読しながら地下鉄の電車に乗り、帰りも読みつづける。 パンデミック! 最寄りの白金高輪駅からの帰途、「Ti's-table」で生ビールを飲んでドライカレーを食し、帰宅後は疲れきった体をただただなごませる。ケアが行き過ぎたらしく体が鈍りきり、夕食後、猫たちよりも早く床についてしまった。 |
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| 5月12日 (火) |
追い込みの5月 |
| 8時45分、起床。終日、創作。まだ1章で模索、14枚。それでも机に向かい、湿気に曇る高層ビル群を眺めつつ呻吟するうちにラストまでの構成がはっきりと見える。すかさずノートに長いメモ。どこに向かえばいいのか、つまりゴールの在処の見当がついて気持ちが張る。この作品は長い休憩をとらずに済みそうだ。さて、月末までにどこまで仕上がるか、我ながら、楽しみな追い込みの5月となりそうだ。 |
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| 5月11日 (月) |
助走 |
5時半、起床。屋外の気温、湿気におじけづき、終日、自宅で創作。でもまだ8枚。夜中、NHK『SONGS』で清志郎さんのスタジオライブを観る。聴く。昨年の1月下旬に収録された内容で、2月の武道館ライブに先行した、いわば完全復活のための助走といったもの。でもその完成度は高く、大量の汗は気になるものの見事なパフォーマンスだった。この映像収録から15ヶ月後に亡くなってしまったのだから、衝撃が大きいのも無理はない。 死への助走についてしばらく考え、連載原稿の冒頭3行だけ書いて昏倒睡。 |
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| 5月10日 (日) |
ベイビー!!! |
清志郎さんに合掌して麻布十番へベイビー! 麻布山善福寺は熱中症でどうにもならんよベイビー! 十番商店街でコンタクトレンズを買って、盛りの紫陽花を求めて、赤い靴の少女像前を通り過ぎたところでもうふらふらベイビー! せめてもの補給とアイスバーを大量に購入して一本食ったらベイビー! もう体は限界ベイビー! おれまで善福寺になっちまった。 ベイビー! 愛し合うにもやっぱ体力だぜベイビー!
夜、清志郎さんの『完全復活祭』のDVDを入手し、『瀕死の双六問屋』(小学館文庫)を読みながらベイビー睡。ヒトカケラの見返りも期待せずに想いを注ぐ、注ぎ続ける。ただそれだけ、それだけを愛と呼ぶんだ、……それだけだぜベイビー!!! |
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| 5月9日 (土) |
長い散歩 |
5時、起床。9時半まで創作し、朱印帳を持って散歩に出る。魚濫坂をとろとろ上り、伊皿子を過ぎて明人坂を下り、泉岳寺へ。五、六人の外国人が本堂を写真に収めている他は人がおらず、境内の空気を満喫してご朱印をいただいた後、「主税の梅(大石主税ら九名の赤穂浪士がその前で切腹したという梅の木)」をしげしげと見上げる。小ぶりの梅の実がいくつもなっていた。四十七士の墓はもう何度も拝しているので見送り、来た道を歩いて伊皿子まで戻って高輪3丁目へ進み、今度は高野山東京別院に参拝する。本堂奥の空海像を見つめながらしばらく過ごし、本尊の裏にある高僧の絵や巨大な三鈷杵を観てから外に出る。 いつの間にか昼近くになっていて腹もへり、ふらっと初見の「鮓八」なる店に入って生ビールを飲み、ランチを食べる。しゃりが多めで満腹になり、膨らんだ腹をなでながら帰途につく。途中、住宅街にある公園で野良猫2匹と戯れたり、商店街で時計の電池とバンドを交換する。帰宅したときは13時、3時間の散歩になってしまった。そこで90分だけ昼寝をし、夕方まで再び創作。6枚。それからシャワーを浴びて外出し、西麻布にある「博多亀吉」で某社会長夫人らと会食。彼女お勧めの焼酎「三笠」をロックでぐびぐび飲みながら水炊き、もつ鍋などをいただく。中でも真っ白のセンマイが絶品で、それだけで酒が進んだ。 帰宅後ほどなく即身成仏。 |
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| 5月8日 (金) |
円空に誘われ |
終日セルフ自宅軟禁。『歓喜する円空』(梅原猛 新潮社)をぱらぱら読み、今夏、岐阜県関市と名古屋市中川区荒子にある寺々を訪ねて円空の仏像を拝観したいと思う。ただし、おれがもっとも心動かされたのは志摩市少林寺にある護法神像。円空が独自に思い描いたこの神の姿は、木と同化したまま偉容を垣間見せている。その臨場感が恐ろしいほどにこちらに迫ってきて、つい思惟をめぐらせてしまう。京都西往寺にある宝誌和尚立像を前にしたときの衝撃に似ている。 仏像は弛緩と緊張の幅を往来させてくれるから長く見ていても飽きない。 夕方からは創作。21時半まで机に向かい、2枚。やれやれ……合掌。 |
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| 5月6日 (水) |
田中政之なる人物とは? |
4時、起床。日の出を待って大浴場へ行き、露天風呂で体を暖める。その後、創作ノートを数ページ記して朝食をとり、専用バスで駅へ。ロッカーに荷物を預け、東口にある商店街をぶらぶらしてから上越線で六日町へ移動。駅を出ると、『天地人』の主役、直江兼続が生まれ育った坂戸山が眼前にあった。観光パンフレットによれば標高は634m。城址がある山頂までは歩いて80分かかるらしく、タクシーで雲洞庵へ。 雲洞庵は藤原鎌足の孫、藤原房前公が母の菩提を弔うために建立した曹洞宗の寺。兼続も上杉景勝も幼い頃に修行した雲洞庵。「越後一の寺、日本一の庵寺」と自ら謳うだけあって建物も宝物も楽しめたが、一石一文字ずつ法華経が刻まれている経石を敷き詰めた石畳と、円空作の姥子様(山姥)が素晴らしかった。寺を出た後、田んぼの中にある田舎料理の店で昼食をとり、タクシーを呼んで駅に戻るも、電車が来るまで時間があるので駅舎の中にある「棟方志功アートステーション」に入る。 で、驚いた。 棟方志功の作品群もさることながら、ビュッフェ、ピカソ、シャガール、ヴラマンク、ユトリロ、藤田嗣治らの絵が淡々と飾ってあるではないか。監視員もいない在来線の駅舎の1階で、これらの名作を間近にできるとは。思わず図録を購入して所蔵作品リストを調べると、棟方志功144点、その他に既述の大家や北斎、伊藤深水、加山又造、梅原龍三郎らの作品が236点、合わせて380点もの傑作がそろっていた。しかもこれらの作品がすべて一人の、17年前に43歳で亡くなった田中政之なる人物の寄贈だというから、さらに驚く。そこらの公立美術館なんて足もとにも及ばないコレクションである。いったいこの人はどんな財力をもっていたのか。 強い衝撃と生臭い謎を抱いたままほくほく線の電車に乗って越後湯沢に戻り、駅舎内にある酒風呂(天然温泉)に入ってから東京に帰った。 |
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