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酔狂記

9月12日 (土) カフェの平和
 5時、起床。8時半まで創作。それから外出し、土曜日の恒例となりつつあるカフェ朝食。オープンカフェで地下鉄から出てきた人々の姿をながめ、近くの席で寝そべる犬たちを見守り、不意に声をかけてくる幼児の相手をして過ごす。平和。その後は小物を買い物して帰宅し、その後は書見と惰眠をくりかえす。
9月11日 (金) トビウオのサラリーマン生活
 ローマで客死された古橋廣之進さんの自伝を読む。「力泳三十年」という副題がついたこの本は、古橋さんが49歳のときに書かれている。つまり、今のおれと同じ年齢である。それだけでも驚きの半生だが、内容として面白かったのは水泳の話よりも、彼のサラリーマン生活(特にオーストラリア留学時)の回想だった。戦後間もない時期に、しかもかつての対戦国で学ぶ困難とエピソードは、それだけでも十分に物語になっていた。
 夜、早々睡。
9月10日 (木) 無為に溺れて
 秋晴れが目にしみるばかりの無為に溺れて、夜に臥す。以上。
9月9日 (水) 酔狂な脳
 18時まで創作。どうにか6枚書いて入浴、すっきりして外出し、19時に「あら喜」へ。久しぶりに中央公論新社のK佐貫さんと顔を会わせ、奥さんのご懐妊を祝して生ビールで乾杯。その直後、「中央公論」編集部のN西さんが合流し、二度目の乾杯。その後は、いつものように大局小事の話で盛り上がり、旬の肴をつまみながら不二才のロックをぐびぐび飲む。気がつけば2本目のボトルも空になり、時刻も0時になっていて退散。タクシーに乗りこんだお二人を見送ってから帰宅。
 通常なら即身成仏となるのだが、なぜか頭が冴えてしかたなく、週刊誌2冊、月刊誌1冊、短編小説1作を熟読してようやく昏倒睡にいたった。ほとほと酔狂な脳である。
9月8日 (火) 知の醍醐味への近道
 ひょんなことから『アースダイバー』(中沢新一 講談社)を再々読する。
 やっぱり面白い。
 目に見えない、想像の内にある歴史の細部を描かせたら、やはり中沢さんは当代一かもしれない。しかも、その背後に体系を抽出しようとしているのだからドキドキしてしまう。いわば、知の錬金術師のような人である。それだけに、ちょっと踏み外せば第一級の、壮大な詐欺師にもなりかねない。そこがまた彼の魅力でもあるのだが、オウム真理教の件があるだけにご本人も自制はされていると察する。とにかく、『カイエ・ソバージュ』シリーズ(講談社選書メチエ)以降の彼の著作は、時空を超える知の醍醐味への近道となっている。
9月7日 (月) 『終の住処』を読む
 夕食をはさみながら創作。23時半にどうにかノルマ分を書き終え、読みかけだった『終の住処』(磯崎憲一郎 新潮社)を持ってソファ読。小一時間で読了。
 人が諦観にいたる時間の流れをそのまま作品化することに成功していた。20代、30代には書けない代物で、そのテーマ性をもっとも巧く表現しているのが、語りだった。この語りの妙味は、磯崎さんのデビュー作、『肝心の子供』のときにも発揮されていて、2年前にこの酔狂記にも取り上げた記憶がある。すでに完了している過去という時間を、事が起きはじめる地点から静かに語り起こしていくスタイルはよく似ている。その対象が、ブッダ親子から現代の夫婦に変わっただけで、作者が抱えているテーマは同一のものなのではないか。それが、諦観である。開祖も、サラリーマンの男も、生きて辿り着くその地点。前者はそれが宗教という形となり、後者はマイホーム(終の住処)となって表象する。後者の方が親和性が強い分、多くの読者を巻きこんでいるのだろう。
 諦観とは消えかけた蝋燭の炎のようなもので、か弱い希望を放つ。そして、こちらが最期を迎えるまでは、とりあえず「そこ」でちらちらと輝きつづける。……おやすみ。
9月6日 (日) バッド・チューニング
 ずいぶん前に注文していた『ウクレレ上達100の裏ワザ』(いちむらまさき リットーミュージック)が届き、清志郎さんデザインのウクレレを取り出す。しかし、チューニングだけで30分かかってしまい、コード進行すら練習できずに終了。ハワイは遠くになりにけり。
9月5日 (土) 基点
 7時、起床。8時過ぎ、白金高輪駅近くのカフェで朝食をとり、初秋の好天に浮つくまま散歩へ。まずは幽霊坂を上って途中にある化粧地蔵(玉鳳寺)に参り、坂上の亀塚公園を散策後、反対側の第一京浜に下り、御田八幡神社に参拝。そこから高輪方面へと足を向け、大木戸跡の石塁前でしばらく感嘆。東海道からの江戸入口だったこの高輪大木戸は、かの伊能忠敬が日本全土の測量の基点とした場所でもある。大きな石塁を見ていると、不意に、元気なうちにピラミッドを見なくてはと強く思う。
 最後はいつものように泉岳寺に寄って大石良雄の霊を慰め、伊皿子から魚藍坂を下り、形のいいデカリーなる木を買って帰宅。1時間以上歩いたその行程のほとんどが坂の上り下りに費やされ、汗がひき、昼食をとった直後にどっと疲れが出て横臥。頭も回らず、原稿、一文字も書けず。
9月4日 (金) 酒をとどめる書
 夜まで「愛される理由」vol.4を書き、推敲して送信。散歩がてら白金高輪駅2番出口近くにある居酒屋へ行き、生ビールをぐいっと飲む。それから黒丸のお湯割りを頼み、冷やしトマト、炙りしめ鯖、秋刀魚の刺身、川海老の唐揚げなどをつまんでほろ酔いになり、最後は茶漬けでしあげる。
 帰宅後、いつものように「タモリ倶楽部」を見ようとテレビをつけると、ハイサワーを製造している博文社の倉庫でタモリさん以下出演者が飲んでいた。タモリ倶楽部らしい飲んだくれ企画。ついもっと飲みたくなり、銀座へ行こうかとうずうずするも、郵便物の中に久世光彦さんの新刊、『遊びをせんとや生まれけむ』(文藝春秋)を見つけて思いとどまる。久世朋子さんからの贈っていただいたのだが、彼女が書かれたあとがきとその直前に掲載された「父の爵」の流れが美しく、読了後はしばし陶然。そのまま気持ちよく眠りにおちた。
9月3日 (木) メガネ、マリモ、シラカバ
 朝、顔を洗ってメガネのレンズを拭いていたら、フレームとフレームの間がちぎれた。ポキっと音もせず、少し固めの粘土が折れるような感触で、何が何だか呆気にとられてしまった。仕方なく、去年買ったまま一度もかけていなかった新品のメガネを探しだし、かけた。軽くて良好。
 夜、千葉望さんから送っていただいた『マリモを守る。若菜勇さんの研究』(理論社)を読む。なぜ摩周湖のマリモは丸いのか? この問いに挑む若菜さんの取り組みにふれる一方で、摩周湖周辺のシラカバが原生林ではないことを知って驚く。
9月2日 (水) 口から出る言葉
 夜、テレビのニュース番組を見ていたら、麻生首相のぶらさがり会見の様子が紹介された。大惨敗後では初めてのメディア対応とあって注目したが、あいもかわらぬ幼児的低次元のイチャモン発言に終始していて唖然。成熟とはほど遠いその言動、表情、姿勢にはほとほと呆れてしまった。そして、以下のことをあらためて認識した。
 ・彼は今回の敗因の本質を理解できていない
 ・彼は自ら吹聴してきたような「優れた」経営者ではありえない。せいぜい
  P/L、B/Sが理解できる程度なのだろう
 ・マスコミュニケーションの意義、就中(なかんずく)、その政治的重要性が
  まったくわかっていない。よって活用できない
 ・相対化が浸透した社会では、老いた「坊(ぼん)」は必然的に「裸の王様」
  となる。福田前首相もまったく同じ症状を露呈していた
 これ以上は揚げ足どりになってしまうので止めておくが、最も重要なのは、彼の中にあるコンプレックスの大きさだろう。おそらくは少年期からの学力、学歴に対する不全感に起因していると想像する。そこは同情の余地はあるものの、首相となってしまった以上は関係ない。ミスリードにつながる資質は、やはり問題なのだ。
  
 ところで、おれは福田衣里子さんのファンである。薬害肝炎訴訟の活動をやっている頃から注目していた。顔の造作というよりもその表情、特に眼の強さに惹かれ、彼女の言動に関心をもってきた。だから昨年9月、早々に彼女が出馬表明をしたときは、小沢一郎の着眼とスピード感にうなった。そして、今般、彼女の演説を聴いて不覚にも涙があふれた。「虫けらのように扱われた私が〜」の件は、聴衆の思いをつかんで離さない見事な語りだった。彼女に請われたら、おれは喜んでブレーンを務めるだろう。
9月1日 (火) 一文字
 終日、セルフ自宅軟禁。創作、144枚。書見、2冊。ベランダの朝顔、満開。『マイケル・ジャクソン ヒストリー DVD BOX』(宝島社)、保存。創作の合間にいしい君から届いたデラウエアを食す。夕方、朦朧としたままウータと格闘し、右手を負傷。一文字の傷、残る。
8月31日 (月) 憲法に対する攻撃
 寝不足のまま「歴史読本」9月号の特集、「石原莞爾と満州帝国」を読む。松本健一さんと佐野眞一さんの対談(石原と甘粕の比較)もさることながら、石原の国柱会への帰依に大いに興味を抱く。宮沢賢治も信仰した田中智学の説く法華経の魅力とはいかほどのものなのか。一度、きっちり読んでみたいと思う。
 石原が活躍した時代への関心から、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子 朝日出版社)を手にとる。栄光学園の中・高等部の生徒を相手に語られたその内容は、おそらくほとんどの大学生だって知らない、あるいは考えたこともない視点と人知を提供している。こんな授業を受けた中学生はどんな進路を考えるのか、そんなことが気になってしまうほど豊かな授業だ。
 それにしても、この本を読んでも思ったのだが、ルソーって人はほとほと凄い思想家である。事象をぎりぎりまで抽象化して事の真理を導き出すその知性には、感嘆するしかない。たとえば彼の「戦争」の定義はこうだ。

 戦争は国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の、憲法に対する攻撃、というかたちをとる

 18世紀に生きたルソーが説く戦争の真理。20世紀半ば、日本はそうして新たな憲法を発布した。それは、アメリカの勝利の象徴である。そして、そこに埋められた、真に日本を変化させる仕掛けは皇統の断絶であったのだろう。はたして民主党は皇室典範の見直しに着手し得るだろうか。いくら見て見ぬふりをしても、20年もすればまた再熱せざるをえない男子一系問題。宮家の一部復活も含め、ぜひ今から検討を深めてほしいと願う。
8月30日 (日) ここからの自民党
 自民党政権、真の崩壊のはじまり……これは4年前の9月11日の、この酔狂記のタイトルだ。あの夜、こうなることを予見した。占いや霊感なんて持ち出すまでもなく、理屈で予見した。そして、実際にそのとおりになった。プロセスまでほぼそのとおりなのだから少々不気味だが、今夜の選挙結果は、起こるべくして起きた状況なのだ。
 当時、マスコミ2社から個別取材をうけた。このブログを読んでいる記者の個人的な問題意識に答えるべく、記事にしないことを条件に、文章を補足する話を加えて解説した。某政党からも詳しく話を聞きたいと会食を請われたが、電話で話す以上は断った。ブログの内容を展開し、政権交代の必要性を力説した記憶がある。とにかく利権構造の大掃除が必要で、そのためのディスクロージャーをやるだけでも政権が交代する意義があるのだと。
 さて、とにかく政権交代が実現する。
 無論、この政変の最大理由は「国民の自民党への嫌悪」である。その結果の民主党の勝利でしかない。
 民主党はもちろん混乱するだろう。激しい批判も浴びるだろう。しかし、それ以上に注目すべきは、自民党の内紛だと予想する。捲土重来を期すにはここで一枚岩になる必要があるのだが、そうそう美しくまとまるはずがない。なんせ半世紀にわたって与党にいたのだから。本来なら、森内閣で終わっているべき政権だったのだから。きっと、ここまでの敗北を喫しても派閥や世代の壁を超えられずに衝突するに違いない。健全なる野党になることは、自民党にとってはそう簡単な変身ではないのだ。分裂だってあり得るかもしれない。
 しかし、ここで自民党に踏ん張ってもらわなければ、日本の政治は真に混迷の時代に突入してしまう。個人的には、ここで「保守」の本道に戻るべきだと思う。いわば「真の保守」を掲げて政策を打ち出し、自公政権の残務や対処策に奔走する民主党を揺さぶるのが「次期への健全な近道」であると考える。その方向で一致できない議員が出ていっても、次期を見据えればかえって助かるのではないか。……とにかく、ここできっちりと姿勢を示さなければ、自民党に明日はないわな。
8月29日 (土) 選挙前の間隙をぬって
 8時、散歩ついでに白金高輪駅近くのティーラウンジで朝食。帰路、コンビニに寄って飲料などを買い、帰宅後はセルフ自宅軟禁。選挙前の間隙をぬうように始まった日テレの24時間テレビ、ぶっこみ過ぎの企画の紹介だけで飽いてしまう。つい同情。
 早々、就寝。
8月28日 (金) 選挙予測、ほぼ一致
 終日、創作。10章へ。書き過ぎのため21時半に切り上げて「あら喜」へ出かけ、生ビールを呑み、万願寺焼き、しめ鯖、茄子のニンニク焼きなどを喰らいながら不二才のロックをちびちび。そのまま仕事を終えたあら喜のお父さん(71才)と選挙予想。おれは自民110強、民主300強と予想。お父さんもほぼ同じ。さほど意見を交わす必要もなく、24時過ぎ、ゆっくりと歩いて帰る。
8月27日 (木) 英気どんどん
 創作、2枚前進。最後の頂に向かっているところで、三合目から四合目を登っていると実感する。
 夜、ひさしぶりに「どんどん別館」に出かけて生ビールを呑み、秋刀魚の刺身、牛すじ煮込み、鶏わさポン酢、もやしナムル、キャベツのざく切りなどをつまみに「克」のロックを二杯いただく。英気を取りもどして帰宅し、メモをとって早々睡。
8月26日 (水) じりじり秋
 終日セルフ自宅軟禁。じりじり前進、秋近し。
8月25日 (火) 体温が1度下がると
 創作の合間に「遺書、拝読」のゲラ校正をやって編集部に戻し、郵送されてきた『体温を上げると健康になる』(齋藤真嗣 サンマーク出版)をぱらぱらと読む。〈体温が1度下がると免疫力は30%低下する〉という帯のコピーは、うまくこの本の内容を要約している。
 夜中、創作に戻る。作品の世界観を整理・確認するためにこれまでの内容をじっくり見直し、100枚まで読んだところで昏倒睡。
8月24日 (月) うっすらとした地縁という包摂性
 仕事に一段落つけて慌ててテレビをつけたら、中京大中京が2−1で日本文理をリードしていた。その後の展開は既報のとおりとなったが、6回裏に中京が6点をとった時点で同校の優勝を確信し、実家に電話を入れて愛知県代表の優勝を老母と寿いだ。だから、日本文理の最終回2アウトからの冗談みたいな攻撃には痺れた。恐れいった。
 甲子園球場で実際に高校野球を観戦された方は実感できると思うが、あのアルプス席応援団と判官びいきの一般のファンが一体化したときの、上空から降りてくるような声援は他のどんな競技でも味わえない異様さに満ちているから、時に、嘘のようなドラマを生みだしてしまう。9回2アウト後、10-4から10-6に変わったあたりからの甲子園は、間違いなく日本文理のためにあり、攻守それぞれの選手たちもそれを感じて動いていた。「伊藤コール」はその象徴だった。今、おそらく最も何が何だかと不思議に思っているのは、あの時間、あのグランドに立っていた選手たちなのだろう。終わってみれば、それまでは凡庸な内容だった決勝戦が球史に残る試合となった。
 かくして、春には生まれて7歳まで育った長崎の清峰が優勝し、夏には27歳までを過ごした愛知の中京大中京が優勝することができた。前者は一学期だけ通った小学校のすぐ隣にあり、後者は大学の最寄り駅近くにあるグランドでいつも練習していた。そんなうっすらとした「地縁という包摂性」にしばらくひたり、夜、また仕事にもどった。
8月23日 (日) 堂林、語りの設定
 朝から書きかけの「遺書、拝読」に集中し、昼過ぎ、脱稿。推敲してすぐに送信し、脱力。高校野球準決勝、中京大中京VS花巻東戦を横目にネットであれこれ調べ、試合終了後の中京・堂林選手のコメントに感心する。
 夜、『骸骨ビルの庭』(宮本輝 講談社)の上巻を少しだけ読む。宮本輝さんらしい語りの設定法に、つい『五千回の生死』の冒頭部を思い出した。
8月22日 (土) ご想像どおり
 案の上、生きて休息するだけの一日となった。
8月21日 (金) 銀座の水
 17時まで「遺書、拝読」第70回を書き、18時、銀座へ。リクルートのN口氏と初めて顔を会わせ、そのまま会食。旨いワインとフレンチをいただく。有楽町で彼と別れた後、駅へ向かう人波に逆行して6丁目まで歩き、「D・ハートマン」でジントニックを一杯。それから久しぶりにストラスアイラのロックを頼み、M田店長をはじめとする気のいいバーテンダーたちと談笑。書きかけの原稿をちらちら気にしつつもご機嫌さんになり、数年ぶりに「早苗」に顔を出して懐旧の話題で山崎の水割りを数杯呑み、なぜか「歌広場」でカラオケに突入。気がついたら閉店までいて、タクシーで帰宅したときには5時半になっていた。
 銀座の水がやっぱり肌にあうのか、あそこに立つと、ついつい昔のように遊んでしまう。呑んでしまう。語ってしまう。そして帰宅した途端、吐いてしまう。亀谷誠に会いたくなって困ってしまう。
8月20日 (木) ここそこの言葉よりはじめよ
 『「甘え」の構造』をほぼ30年ぶりに再読し、興にのって関連図書を2冊読む。それもこれも、土居健郎先生の「国民性はその言語に反映している」という主張のためだ。言語、日常語が形象している自分たちの気質について吟味する面白さは、「まずは隗よりはじめよ」の醍醐味である。ここそこの言葉に目に見えないはずの自分の内面が浮き上がっているのだから飽きることがなく、肝心の原稿を書かずに夜を迎えてしまった。
 すまん、N西さん。
8月19日 (水) 「日本を考える夏にしてください」を考えて
 日本を考える夏にしてください。自民党。
 ……って、このCMには笑ってしまった。多くの国民が、とっくに、もうずいぶん長く考えてきたからあの低支持率なのに、まるで自らダメを押すために喧伝しているようでつい深読みしてしまう。むろん発信側は、「ムードに流されずに落ち着いて考えてもらえば、民主党のバラ撒き公約の無理無茶に気づいてもらえる」と考えているのだろうが、国民の本音は、「それでもここまで無惨な政治状況を生み出した自民党よりはマシ」である。決して積極的に民主党を支持しているのではなく、自民党への嫌悪から生じた選択なのだ。まあ、そんなことは自民党広報局もわかっているだろう(と信じたい)が、もしそうでなければ、キャンペーンを担当した広告代理店側に何らかの意図があると想像する。
 そこで浮かんでくるのは、次回の総選挙を視野に入れた戦略だ。多くの国民が政権交代後の民主党(中心)政権に不満を抱くとヨミこみ、「ほら、だからあのとき言ったじゃないですか」というアリバイを残すために、今ここであえて正論を訴求しておくというもの。いわば、今回の国民新党の立場を確保しておくための「日本を考える夏にしてください」で、そうすれば次回、絶対に政権奪回を達成しなければいけない自民党にアリバイを活用した提案ができるという戦術である。ひょとしたら来年の参院選挙にだって利用できるかもしれないのだから、今回は「正論を残して負ける」戦略こそが賢明なのだ……って、やっぱりこれも無理があるか?
8月18日 (火) 気になる立候補者、またも
 衆議院議員選挙の公示日とあって夕刊紙上には立候補者の顔がずらっと並んでいたが、その中に又吉光雄氏(65 諸派新)を見つけて苦笑する。世界経済共同体党代表のこの方は、いったい何度立候補してこられたのか。ある時期にその存在に気づいて以来、選挙の度に新聞とポスターで拝顔してきた。何せ我が東京1区の立候補者だからどうしても気にかかる。前回の総選挙の際には、郵便受けに彼の主張をつづった紙が入っていてつい熟読し、「理想と妄想」の境界についてしばらく考えさせられた。機会があれば一度話してみたい人物である。
 夕方、『創価学会』(島田裕巳 新潮新書)読了。創価学会の趨勢が日本の戦後(特に高度成長期)の縮図という指摘は面白い。その後の低成長期に現れたのがオウム真理教をはじめとする新・新興宗教だったことを思うと、経済成長と宗教の関係性に興味が湧いてくる。しかし今はやめておこうと判断し、土居健郎先生の名著、『「甘え」の構造』(弘文堂)をほぼ30年ぶりに読みはじめる。
8月17日 (月) ボルト、ニャフラック!
 午前中から「週刊朝日」の原稿。14時半に脱稿、推敲して送信。カレーライスとツナサラダで遅い昼食をとり、高校野球を横目に書見。夕方、ボルトの世界新記録を知って驚く。彼より10センチ背が高く(つまり206センチで)、同じピッチ(41歩)で走れる男が現れたら、いったいどのぐらいの記録が出るのだろうか? そんな遠くない時期に出てくるような予感がする、その男。
 ニャフラック!
8月16日 (日) 後日のすき焼き
 前夜の番組が尾をひき、すき焼きを食べる。夏の春菊、よし。葱、さらによし。久しぶりの牛も、むろんよし。谷崎を思ってついつい過食となり、箸を置いたとたんに文学を失念。汗浮かべて横になり、ほどなくうたた寝。
8月15日 (土) カツ丼の裏側
 NHKのBS放送開始20周年記念番組で、『食は文学にあり』の再放送を観る。
 永井荷風と谷崎潤一郎の食へのこだわりを描いた内容で、耽美派の両巨頭が、終戦前夜にすきやきを食しながら過ごしたエピソードを中心に、彼らが食にこめた思いを紹介していた。案内役は嵐山光三郎さん。戦後の両者の生活態度の違いと作家としての活動の優劣の関係性についての分析、そのとおりだと思う。旺盛な谷崎、諦観した荷風そのまま食のあり様が紹介されていたのだが、もとより荷風は、近代化していく日本の様にとっくに絶望していたから額面どおりには甘受できないものの、荷風が戦後その絶望の度合いを深めていったのは間違いない。晩年のカツ丼一辺倒の食生活の裏には、荷風の荒涼たる心理が透けて見えるようだ。「淡々と死ぬまで生きる」ことの愚直なまでの実践である。
 まあ、二人とも裕福な家庭に生まれた息子だったからこそ幼年期より舌を鍛えることができ、それ故に美食にこだわざるをえなかったという背景があるのだけど。ともに79歳で逝った二人は、明治生まれの男としては充分に長寿でありました。
8月14日 (金) 盛暑になればなったで
 終日セルフ自宅軟禁。漫然、呆然、痴呆、無為、惰眠。『ひばり伝』(齋藤愼爾 講談社)を少し読む。盛暑になればなったで気が滅入る。
8月13日 (木) 下腹凍るまで
 終日、書見。夜、そろそろ大丈夫かと思って外出したら、やっぱり高温多湿にやられてしまった。大量のアイスクリームを買って早々に自宅に戻り、下腹が凍るまでそれらを喰らって早々睡。
8月12日 (水) 風をあつめろ
 注文していたはっぴいえんどの3枚のアルバムー『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』ーが各所から届く。
 中学生の頃に聴いたレコードも手元にあるのだが、ターンテーブルを処分してしまったからもう30年近く聴いていなかったはっぴいえんど。早速、「風をあつめて」を聴いてみる。冷房のきいた部屋からぼんやり夏の空を見上げるにはうってつけの曲。タイトルにもなっている〜風を あつめて〜という詞が何より素晴らしく、脱力しきった歌唱がそのささやかな決意をじわっと伝えてくる。日常の朝に昼にふっと目撃した眺めからコロっと転換していく心理が、大仰に陥ることなく音楽になっていく不思議が快い。
 夜、ひさしぶりに酒が飲みたくなって外出。三の橋の「acalli」へ向かう途中、何度も風を集めてみたが、湿った熱気ばかりが体にまとわりついて終わった。海も近いというのに、微風ぐらい吹けよな、東京港区。
8月11日 (火) いずれ来る東海地震を思う
 愛知県大府市長根山の葡萄が三種、実家より届く。そのお礼に電話を入れ、地震時の様子を聞く。母によれば、老父は寝たまま気づかなかったらしい。長生きする人物とはそういうものかもしれない。磐田市に暮らす姉の家ではいろいろな物が落下したとのこと。東海地震の震源想定地内に生活しているだけに、肝を冷やしたことだろう。
 思えば、おれがまだ大府市で暮らしていた子どもの頃から「そう遠くないうちに東海地震が来る」と言われていた。駿河湾だけでなく、伊勢湾沖の東海南地震もあり得ると説く高齢者も多くいた。ぼんやりとした幻の暗雲のような東海地震。30年たってもまだ起きていないが、「確実に起きる」と専門家は言い続けている。プレートの交差点に乗っかかっている日本列島に暮らすかぎり、こればかりは甘受すべき自然の摂理である。だから、いずれは起きる。問題はそれがいつか、いつか、いつか、いつか、……そう思っているうちに病や事故で死んでいった人も多かろう。
 おれは生きているうちに東海地震を経験するのだろうか。台風一過の青空を見上げてそんなことを思った。
8月10日 (月) 緊急地震速報体験
 夕方にうたた寝をしたせいか、夜中になってもまったく眠くならずに朝を迎えてしまった。そして、本を読みながらテレビをつけてほどなく、緊急地震速報を知らせる効果音が鳴った。びっくりして立ち上がり、リビングダイニングの梁に手を伸ばし、ちょっとした揺れがきてもふらつかないように身構えた直後、ガグっと体がしなった。
「来た来た!!!!」
 思わず歓声をあげてしまった。5時7分だった。
 たかだか数秒前の予報だったが、突然の揺れに出くわす恐怖はかなり軽減されていた。テーブルや机の下にもぐりこむ余裕も、たしかにあった。とはいえ、この予報に出くわしたのもたまたまだから、その効果がどこまで波及するかはあやしいが、それでもこの体験には説得力がある。たいしたもんだと素直に思う。
 日本の地震学に対してしばらく感心し、テレビで被害状況を一時間ウォッチしてからベッドに倒れこんだ。
8月9日 (日) 10人の海老蔵がぐるぐるまわる
 11時、新橋演舞場へ。市川海老蔵主演の新作歌舞伎『石川五右衛門』を観る。
 まずもって海老蔵の顔姿が五右衛門のイメージにあっている。舞台からこちらを向いただけでその世界に引きこみ、見得の連発で心をつかみ、五右衛門ネタおなじみの「山門」では、充分に間をもって「絶景かな、絶景かな」の名台詞。舞台美術はさらに冴えをみせ、大坂城の金鯱を盗む場面は見事な臨場感を放出していた。しかも、天守閣上で五右衛門が分身の術を使い、10人の海老蔵顔の五右衛門がぐるぐるとまわってみせるのだからたまらない。生まれて初めて見る生身の分身たちに拍手を送り、最後、宙吊りになって三条河原から堂々と逃げる五右衛門には思わず「成田屋!」と叫んでしまった。
 つまり、この作品は歌舞伎の「かぶき」の要素がてんこもりなのだ。荒事だけでなく、七之助のぐっと麗しくなった舞や、琴までつかった音楽など、細部まで企てが充満していて飽きることがない。このあたりに、自ら「新しい石川五右衛門をやってみたい」と言い出した海老蔵の思いがあらわている。歌舞伎を初めて観る人でも楽しめ、虚実ごちゃまぜのフィクションの面白みにもふれることができる作品で、終わってみれば、これを一日に二回演じる海老蔵の体力が心配になるほど激しい内容だった。川での金鯱との格闘などは絶品。
 
 海老蔵は、すでに当代一の歌舞伎役者なのかもしれない。
8月8日 (土) 猫でいいのよ、猫で
 午後2時過ぎ、麻布十番まで散歩。注文していたコンタクトレンズを受け取り、行きつけの花屋でマングローブを購入。帰途、久しぶりに「エドヤ」に寄って生ビールを飲み、特製オムライスと中華風サラダを食す。店を出るとすぐに汗が噴き出し、へろへろになって三の橋まで歩いて喫茶「さくら苑」に逃げこみ、アイスコーヒーで凉をとる。さて、そろそろ帰宅せねばと思ったところに、以前この店で知り合った、台湾出身の名前も知らないどこぞのママさんが愛犬をつれて現れる。
「世の中お金よ」と揺るぎない価値観を持つママさんが名付けたパグの”マニー(money)”は、自らタオルが敷かれた指定席に跳びのると、ママさんが持参したトマトのスライスを次々と喰らいはじめた。一切れ食べるごとに陥没した鼻をなめ、潤んだ目でこちらを見るマニーをしばらく見守るうちに犬が欲しくなる。しかし、帰宅してウータとオランに迎えられた途端、そんな欲求は霧散。
 猫でいいのよ、猫で。
8月7日 (金) 兵士の証言
 昼前、テレビをつけてすぐに「酒井法子容疑者に逮捕状」のニュース速報が流れ、やっぱりなと思うと同時に、警察はこの夫婦の背後にいるグループを狙っていると感じた。おそらく内偵も進んでいるに違いない。
 そんなことより。
 今週の夜中は、原稿も書かず本も読まずDVDも眺めず、NHKの「戦争証言」プロジェクトの再放送を毎晩観ている。戦時下に下級兵士だった人々の証言を集めて構成されているこのシリーズは、何度も息を呑まずにはいられないほどに言葉が届く。
 下は82歳、上は90代半ばの方まで登場し、自身の戦地での体験を絞り出すように語っているのだが、全員に共通してるのは「生き残った後ろめたさ」である。無謀でしかない作戦の犠牲者であるにもかかわらず、彼らの瞼の裏に残るのは、いつだって無惨に死んでいった戦友の姿なのだ。だからこそ、自身の死期を間近に感じる年齢になって初めて口を開いたのだろう。いわば半世紀以上の絶句を経て、ようやく彼らは言葉を発している。一言一句に彼らの激烈な体験が裏打ちされていて、まるで遺言のような言葉が訥々と続くのだから、おれがたやすく受けとめられるはずがない。せめて息を呑んで言葉を留め、衝撃を引きずりながら、考えるべき「問い」の正体について考える。
 戦争についても酒井法子容疑者についても、考えるべき「問い」を自ら立てることができなければ、結局はマスコミのQ&Aゲームに参加して終わりだからね。それじゃ、日本の8月がもったいない。
8月6日 (木) のりぴーが失踪した理由
 酒井法子さん、依然、行方不明。最初から息子を預けていたとわかってみれば、これは逃避行と考えるのが筋だ。つまり、逃げなければいけない理由が彼女にあるのだ。警察が夫の供述を漏らさずにいるのもそのためだろう。残念だが、そう考えるのが理である。
 だからこそ、彼女の安否が気にかかる。
8月3日 (月) 事件報道にまみれて
 自宅マンションの玄関前に立つと、六本木ヒルズのマンション棟はすぐそこに見える。神宮で花火があがるときはその2棟がかなり邪魔になったりするが、そこで女性の変死体が見つかったことは夜まで知らなかった。しかも、その部屋に押尾学がいてエクスタシーを服用していたとは。
 やるなぁ、押尾学。
 一方、渋谷道玄坂では酒井法子さんの旦那が覚醒剤所持で逮捕されたらしい。酒井さんこと"のりぴー"には『すすめ! はっくしょんベイビー』を歌ってもらったこともあり、大いに気になる。
 西新橋ではストーカーによる殺人が発生。耳かき店の常連客が犯人らしい。酒井さんの旦那もこの犯人も41歳の本厄と知って苦笑する。厄とは、生きることに飽いる年頃なのかもしれない。

 ……テレビを消し、ラジオも聴かず、ネットもチェックせず、夕刊も開かずに原稿を書いていると、夜になって初めてこういう事件の報道に出くわすことが多い。もちろん、本日最大のニュースは"裁判員裁判"スタートだった。既述のとおりこの制度に反対しているおれは、あらためて「裁判官の職責」について考えながら報道に耳を傾けたけど、根本的な疑問は何らほぐれなかった。
8月2日 (日) 8月も梅雨
 すでに指摘したように、8月にもかかわらず見事な梅雨空が下界をおおっていて閉口。外出の予定もとりやめ、終日、自宅で過ごす。夜は、宮里藍さんの全英オープン3位(タイ)を見届けてからベッドに移り、『日本の難点』(宮台真司 幻冬舎新書)を数ページだけ読み進めて昏倒睡。
8月1日 (土) 亀塚、野良猫、観音堂
 午前中、少し晴れ間がひろがったところで散歩に出る。蛇坂を登って普連土学園のわきを抜けて汐見坂を下り、聖坂の途中にある亀塚稲荷神社を参拝してから亀塚公園を散策。公園内にある亀塚は、いわばパワースポット的な涼気が感じられる場所だから、近寄ってくる蚊も気にせずにしばらく立ち尽くす。
 その後はいつものとおり三田台公園で縄文時代の住居遺跡と貝塚を見学し、井戸の蓋の上にいた二匹の子猫を見守る。野良にしてはきれいな二匹で、もしも近づいてきたら連れて帰ろうと思ったが、来てはくれなかった。死にかけのカナブンを桜の枝につかまらせて公園を後にし、魚藍坂を下って桜田通りにもどり、松原泰道さんを偲びつつ龍源寺を訪ねる。観音堂の右わきにある井戸で手を洗い、合掌。
 ほぼ2時間の散歩をおえて帰宅し、短い昼寝をとってから創作。9章に進む。7月26日の夕方、台風上陸の出来事が目の前で動き出す。
7月31日 (金) 障害の可能性
 7月も終わりか。まだ脱稿にいたらない次作の文面にじっと見入ってしまう。このままずっと抱えていたい気分も、実はある。書くことは読むことであり、読むことは考えることだから、この小説からすうっと浮き上がってくる情景やテーマらしきものに、いつしか思索の根がはってしまったのだろう。

 障害。
 障害の可能性。

 そんな言葉が頭から離れなくなったまま8月を迎える。
7月30日 (木) 夏の穴場で「天晴れ」と叫ぶ
 3時、起床。5時から「週刊朝日」の連載、「愛される理由」第2回を書く。今回は『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬隆 集英社新書)を取り上げ、朝食をはさんで9時半、脱稿。推敲して送信。それからDVDで映画を一本観てシャワーを浴び、短パンと「風」のシャツで郵便局へ。往復500mほどの距離ながら、昼下がりの直射日光を浴びて呆然。下駄ばきでちょこちょこ帰路につき、前日101歳で亡くなった松原泰道さんがかつて住職を務められた龍源寺に寄って頭を垂れた。
 自宅マンションから徒歩1分の角地にある臨済宗龍源寺には巨木が何本もある。夏になるとそれぞれが大量の蝉をかかえ、濃い緑の葉を静かに揺らしてみせる。日影の色も濃く、おれは時おりそこを訪れては天然の凉をたのしむ。そして、すぐそばにある井戸を使って地下水を汲みあげ、「ひゃぁひゃぁ」と老けた童声を発しながら戯れ、顔だけでなく腕や脚まで濡らして夏のひと時を満喫する。そこは都心の古い町のオアシスに違いないのだが、滅多に人は来ない。夏の穴場なのだ。
 36年前にベストセラーとなった『般若心経入門』を著し、「南無の会」を結成して街中でも仏教を説きつづけた泰道さん。男にして101歳とは、ただただ天晴れであります。
7月29日 (水) せめての救い
 ちょっと外に出るだけで肌が汗で滑り、戻った直後にシャワーを浴びてぐったり。その繰り返し。せめての救いは、夜明け前起床を続けているので、夜ぐっすり眠れること。食欲も堅調。しっかり食って眠れるうちは、人は死にません。
7月28日 (火) きれいな惜敗
 忌野清志郎さんの母校、都立日野高校が高校野球西東京予選の準決勝に進出していると知り、午前中はテレビ(MX)を観ながら応援する。相手は優勝候補筆頭の日大三高。先取点を含め、終盤まで日野高がリードする流れだったが、最後は地力の差が出てしまった。6-7。きれいな惜敗だった。
 それにしても、つくづく、死後の世界は空の上でも土中の奥深くにでもなく、生き残っている人々の胸中にあるのだと思う。清志郎さんが後輩たちを後押ししたのではない。後押しされていると思った後輩たちがいつもより力を発揮した結果が、この好成績となったのだ。敬愛した人の死後を豊かにしたいと思ったら、残った生者がその思いを違う形に変えて発現していくしかない。DNAの継承は何も生物学的なものだけではなく、血縁を離れたところで、いわば意識のレベルでも伝達されていく方が多いとおれは思う。黒人のソウルを日本に、日本人になじむように歌ってみせた清志郎さんのように。
 死者を思う。
 その死者が自分に遺してくれた美点を思う。
 思う。ついほくそ笑む。そして、動く。
 そこから彼の人の死後がはじまる。

 惜敗だってかまわない。
7月27日 (月) 夏の金融727
 ボーイング727の日。ジャンボジェット機こと同747が登場するまでは、ジェット機といえば727だった。ちなみにおれが初めて乗った飛行機はYS-11機。名古屋ー高知間に搭乗し、到着間際、土佐湾を斜めに見た記憶が今もはっきりと残っている。『海辺の光景』(安岡章太郎)の冒頭に重なる海の眺め。
 夜明け前に起床し、九州北部の水害を憂いつつ『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬隆 集英社新書)を読みはじめ、11時半、散歩がてら銀行(通帳記入)、ペットショップ(猫用のシャンプー購入)、ケーヨーD2(ケイトウとサギ草と肥料購入)を巡って帰宅。半ズボンでの外出だったけどそれでも汗ぐっしょりになり、植物の植えつけ終了後すぐに浴室へ。頭から足指までがっつりごしごし洗い、さっぱりしたところで冷やし中華と鶏肉のサラダを喰らい、届いたばかりの「中央公論」のゲラ校正をやる。その一方で、マイケル・ジャクソン著『MOON WALK』をバイク便で編集部に送り、半時間で校正を終えて返信。あらためて『資本主義崩壊の首謀者たち』を読み継ぎ、夕方読了。アメリカに仕える従属国家としての日本……知っていたこととはいえ具体的な数字やチャート図にふれ、暗澹たる気分になる。
 それにしてもアメリカ合衆国よ。金融を国家の主軸に置いた政策、国益誘導のために動くその方針は、オバマ政権でもおそらく変わらないのだろう。リーマン・ブラザーズ破綻後に消えた膨大な金が再び動きはじめた昨今、そろそろ次の投機先もはっきりしてくると思われるが、彼の国がそれを制御することはないだろう。それもこれも、借金に借金を重ねても消費を続ける彼の国の市場があればこその強気で、土台からしてすでに狂っている。まるで具現化されたフィクションだ。その下支えをする日本。……まいっちゃうな。
 金融がますます嫌いになっていく。
7月26日 (日) 夢と現
 終日、静養。歯痛、ぶり返す。
7月25日 (土) 止め
 終日、書見。『古事記』はやっぱり面白い。
 面白いの語源は、天照大御神……これ、前にも書いたな。止め。
7月24日 (金) 浅草の宴席
 急用ができ、久しぶりの「蕎麦の会」には2次会から参加。浅草「二葉」で盛り上がっている他のメンバーに追いつけぬうちに三次会の「Barley」に流れ、それでもいつもより早くおひらきなったので、もう一軒、「トライバルビレッジ浅草」へ。そこで『これでいいのだ』の親本を見つけて感激。四種のビールを飲みながらS田夫妻といろいろ話す。美術大学時代の同級生カップルの二人、専攻が舞台美術だったとは。面白いなあ、いいもんだなあと素朴に思う。
 降り出した雨の中、タクシーで帰宅したときは2時半だった。宴席への緊張感はまだ残っていた。
7月23日 (木) おいおい、気象庁
 4時、起床。体調、ほぼ快復。おにぎり2個、トースト一枚、コーヒーで朝食をすませて机に向かい、19時半、脱稿。体はへろへろ、頭はパッキンパッキンになってそのまま連絡業務をすませ、夕食をとって落ちつく。いつもならひとり打ち上げに出かけるのだが、明日の宴席を思い出して自制。土居健郎先生の名著、『甘えの構造』(弘文堂)を20余年ぶりに再読しながら早々睡。
 それにしても気象庁よ。先週の梅雨明け宣言は何だったのか。ここ数日の天候は絵に描いたような梅雨ではないか。西日本より先に関東だけ梅雨明けなんてテクニカルな解析をしてみせたけど、そろそろ「あれは間違いでした」と訂正発表すべきではないか。明日も明後日もぐずついた空模様らしいから、一刻も早い行動を、潔く。
7月22日 (水) 空を見上げることもなく
 体調、快復せず。起きては寝ての繰り返しで、日食の空を見上げることもできなかった。夜、東京はずっと曇りだったと知り、思わず「何だかな〜」と呟き、連載の構成メモをどうにかまとめて昏倒睡。
7月21日 (火) 7行書いて呆然
 マイケル・ジャクソン著(田中康夫/訳)の『MOOM WALK』を題材に「遺書、拝読」第69回を書き始めるも、微熱、頭痛、首のこりがあって集中できず。7行書いて呆然、横臥。いつの間にか眠ってしまい、目を醒ましたら携帯の留守電にいしいしんじ君からのメッセージが入っていた。夕方、こちらから電話をして近況などを話す。京都の湿気は大変らしい。
 夜、せめてもの救いときっちり夕食はとったものの、風邪の症状治まらず。原稿、停滞。
7月20日 (月) 海の日の歯痛はひどかった
 朝5時過ぎ、執筆中の小説の参考に夏の森の雰囲気を味わおうと有栖川宮公園まで散歩する。
 公園にはなぜか老爺が多かった。何度か彼らに会釈をしながら巨木の間を巡り、目あてのコナラの樹をようやく見つけて写真を撮る。その頃には気温がぐっと上がり、蝉たちが狂ったように鳴きはじめて早々に帰路につき、広尾側から坂道を下っていくうちに歯が痛みだす。昨年末にも痛んだ右下の奥歯だ。しっかり治療しておけばよかったと後悔しながら帰宅し、仮眠をとって目を醒ますとますます歯は痛み、熱まで出て頭ガンガン。首の右側ズキズキ。原稿どころではなくなり、マイケル本片手にまた横臥。
 天井の西隅に二重の虹が見える。
7月19日 (日) みんな虹を見ていた
 少しだけ小説を書き進め、麻布十番まで散歩に出て三の橋を過ぎたあたりで空を見上げたら、うっすらと虹が出ていた。そして数十メートル進んでまた空を見ると、虹は二重になっていた。生まれて初めて見る二重の虹にしばらく見入っていると、あたりにいた歩行者がみな携帯電話で写真を撮りはじめた。十番に着くまでに遭遇した人々は、とにかく全員空を見上げて写真を撮っていた。
 眼科検診をすませ、真新しい喫茶店でかき氷を喰らい、福島屋のおでんをたっぷり買いこんで空を見上げたら、虹はもう消えていた。
7月18日 (土) 晒しあう歓び
 マイケル・ジャクソンの自伝を読みつつ、チバテレビで高校野球千葉県予選三回戦をちらちら観る。どちらも校名すら知らない高校で、決して甲子園に出場することはないと認めながら楽しんだ。今できる精一杯を晒しあう歓びのようなものが伝わってくるんだな、きっと。
 夕方、気分転換にクイーンズ伊勢丹に買い出しに出かけ、野菜カレー用の食材とチリ産の赤ワインを買って帰る。そして早速カレーを食し、マイケルの自伝を腹にのせてうたた寝。頭から言葉が消えてしまった。
7月17日 (金) 体力維持のため
 大学での春学期(補講を含めて12回)を終え、「週刊朝日」の新連載(「愛される理由」)の第1回目を脱稿し、「あら喜」で打ち上げ。そこで隣の席に座ったデザイナーのYくんとグラフィックデザインの魅力と将来性についていろいろ話す。Yくんは「あら喜」の料理人であるT夫くんの友だちで、職場は渋谷、自宅は用賀なのにわざわざ麻布でよく食事をしている。厚情の人物なのだろう。
 体力回復に効果がある料理をたくさんいただき、ご機嫌さんになって帰宅。全英オープン予選に挑んだ石川遼くんのプレイをテレビ観戦し、残念な結果を見届けてから昏倒睡。
7月16日 (木) 夏の公約
 YAHOO! JAPAN(ジオシティーズ)の大トラブルでこの画面すら開けない状態が4日間も続きました。一時はすべてのデータが消失したのではと心配しましたが、こうしてどうにか復旧したようです。
 この間に都議会議員選挙があり、梅雨があけ、大学の春学期が終わり、麻生首相はようやっと解散の決断をしたようです。しかし問題は、佳境に入ってきた次作の展開であります。Y本さん、総選挙の前に脱稿することを私のこの夏の公約としますので、もうしばらくお待ちください。
7月11日 (土) 湿気に負けて
 なめくじの天下が続いている。
 雨は嫌いじゃないが、雨が降らずに湿気が充満する外気には滅法弱い。そんな中、「週刊朝日」で始まる新連載書評、「愛される理由」のために『ゴーマニズム宣言 天皇論』(小林よしのり 小学館)を手に取る。面白い。なぜこれが多くの人に読まれるか分析しながら1/3ほど読み、21時半、夕食をとるために「あら喜」へ。生ビールを飲み、白肝煮、焼き秋刀魚、らっきょうをいただき、不二才のロックを飲んで、穴子丼で仕上げる。1時半までT夫くんとあれこれ話し、帰宅。ほろ酔いのまま朝まで書見。ベランダの植物群に水をやってからウータに導かれるまま寝室へ。
 いかんいかん。
7月10日 (金) 梅雨の鎌倉へ
 正午過ぎに外出し、田村先生の奥様が待つ鎌倉へ。14時、到着。すぐに2階の応接間にお招きいただき、亡き先生の写真に囲まれながら談笑。制作中にうんざりするほどいろんな事が起きた文庫版『詩人からの伝言』(田村隆一/語り 長薗安浩/文 山崎努/解説 MFダ・ヴィンチ文庫)について振りかえり、ドイツケーキと紅茶をいただきながら、とにかくいい本になって発売されたことを祝う。ほどなくビールを勧められ、下戸の奥様を前に一人でぐぴぐぴ飲み、枝豆をほおばり、ハムをぱくつき、また先生の過去や今後の出版計画などについてお話を聴かせてもらい、古い写真も拝見する。夕方になり、そろそろお暇(いとま)しようかと思っていると、「お寿司をとったらから食べていってください」と告げられ、腹を決める。
 仕事から帰宅した美佐子さんもいっしょに寿司を食べ、一人高級ウイスキーのロックをちびちび飲り、昨今の日本人政治家の惨状を肴に盛りあがる。「どちらがマシか」という消極的な理由で選挙に臨まなければならない選挙民の不幸に苦笑する。
 21時半、美佐子さんが運転する車で鎌倉駅まで送ってもらい、睡魔に抱かれながら東京に戻る。今度は泊まりがけで行こうと思う、鎌倉。
7月9日 (木) 「その後」の戦争小説 長崎編
 終日、創作。鳥男、右肩を痛める。カズちゃん、機転をきかして大活躍。僕、笑って見上げて……作品世界に没入して夜中になり、猫たちに誘導されながらリビングに戻って今月号の「すばる」を読み、陣野俊史さんの『「その後」の戦争小説論 第7回』に感心する。
 青来有一さんの『爆心』(文藝春秋)を中心にポスト原爆小説について言及したこの論は、被爆を体験せずに被爆を引き継ぐ意味と方法について小気味よく論じている。作家であり、長崎市役所の平和行政も担当する青来さんへの取材も功を奏し、拡大して考えれば、ポスト大東亜戦争小説、ポスト太平洋戦争小説にまで射程を持ち得る問いを投げていた。だから、この小論には今を生きる作家ならば誰でも考えざるをえない「その後」があり、無視できない主題が横たわっている。
 さて、おれたちは未体験の戦争をどう引き継いでいくのか。
7月8日 (水) いろんなことが回っている
 早朝、起床。テレビをつけると昨夜は熱帯夜だったと伝えていた。
 カフェオレを飲んですぐに学生の課題を読み、レジュメの修正をやって出講。まだ微熱があるせいか、地下鉄の電車の中でやたらと汗を拭いているのはおれ一人だった。
 大学に着いてレジュメのコピーをとっていたら、職員の方から「先生、授業も今日で終了ですね」と声をかけられ驚く。「いえ、今日は11回目ですから、来週が最後になります」と答えると、「だったら、補講の手続きを教務課でとってください。とにかく、授業は今週で終わりですから」「ええ……」
 事の状況を学生たちに正直に伝え、単位認定のための出席は今週で終わり、みんながもしも予定していた講義を聴きたいなら、来週補講をやることにするけど」と話すと、男子学生を中心に「やってほしい」と声があがる。
 今年の黄金週間が水曜日から始まり、水曜日で終わったための珍事だが、かくして来週も授業をやることにして、終了後、教務課と調整。承認されて帰路につき、いつもの喫茶店に寄ってハイネケンで喉をうるおす。
「そのシャツ、懐かしい柄ですね」とマスター。
「最近、またこの柄が流行ってるんですよ」とおれ。
「いろんなことが回っていますね」
「……たしかに」
 店にはABBAの曲が流れていた。
7月7日 (火) 発熱
 朝、起きてコーヒを飲んだ直後からくしゃみを連発。4回、5回、6回……、あきらかに風邪を引いていて、すっと立ち上がってみるとくらっとする始末。前日の湯冷めが原因とすぐにわかったが、そんなことはこの際どうでもよく、そんなに腹は減ってなくても鯵のひらきで白米をかっこみ、滅多に飲まない薬を飲み、サプリを数種口に入れてリポビタンDで流しこむ。せっかく折り返した創作を休むのも、大学の授業を休むのも絶対に避けたかったから、そこで少しだけ横になって体を休める。しかし起きたばかりで眠れるはずもなく、とにかく机に向かって創作をはじめ、1枚書いたところで休憩。ベッドでおとなしく『長崎乱楽坂』を読了し、ついで「中央公論」8月号の内田樹さんの時評を読んで共感してようやく仮眠。2時間眠って汗びっしょりになり、下着を替え、あらためて机に向かう。しかし、頭だけがぬるま湯につかっているような感覚から逃れられず、言葉探しを断念。
 どうなる、おれ。