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酔狂記

1月20日 (水) ついつい読んでしまう
 朝から「遺書、拝読」第75回の原稿に取りかかるも進まず、卵ご飯を喰らって午睡。3時間眠って目を醒ましたところに次の本のゲラが届き、ついつい数十ページ読んでしまう。反省して机にもどったものの構成が固まらず、今度は日高敏隆さんが翻訳された『ソロモンの指輪』を読みはじめてしまう。
 いかん。
 夜中、もう一度机に戻るももはや気力が萎え、眠気にまかせてウータと抱擁睡。
1月19日 (火) 瘡蓋を剥ぐ人
 振込や予約のための連絡といった事務作業をやり、気になる一の宮のHPをチェックし、それから『日本の路地を旅する』(上原善広 文藝春秋)を読む。
〈中上健次は、そこを「路地」と呼んだ。「路地」とは被差別部落のことである〉自身も「路地」の出身である著者が、いわば自らのルーツをたどるために訪ねた全国各地の「路地」ルポルタージュ。1973年生まれの上原さん本人は差別をうけた記憶はないようだが、それだけに、各地で出会う「路地」の人々の証言に心が乱れる。つい、いつもより酒を飲んでしまう。

 だったらこんな、傷口に塩をなすりつけてまわるような旅などしなければいいのにと、自分でも思わないこともないが、不器用な私はいつまでも、このような人の心のひだを覗き込むような旅しかできないでいた。いくら同じように自分の身を切ったとしても、路地の人にとって、それは所詮、他人の血であった。そう思うと、ますます呑まずにはいられないのだった。

 この痛々しいほど正直な構えに共感を覚えた。上原さんは自身の内にある乾ききった瘡蓋を自ら剥いでいるのだろう。そうしなければいけない理由が、彼にはある。ルーツをたどらねば近づけない「自分」なる存在を自覚し、だから、他人の記憶を求め、自身の瘡蓋を剥いでいく。あるいは新たな擦過傷を刻んでいく。元来、作家とはそのような作業を厭わぬ人のことだから、ノンフィクションとフィクションの違いはあれ、おれは上原さんを知って心が動いたのだろう。
 それにしても関八州の長吏頭となった浅草弾左衛門と家康の関係は気になるな。すでに時代小説になっていたら、ぜひ読んでみたい。
1月18日 (月) 名エッセイの効能
 日高敏隆さんのエッセイを3冊(『人間はどこまで動物か』『ネコはどうしてわがままか』『セミたちと温暖化』いずれも新潮文庫)読む。素直な問い、丁寧な事実の積み上げによる問いへの取り組み、浮かび上がる解、それらを綴る力みのない筆致。自然科学に属するテーマを扱っているにもかかわらず、どの小文を読んでもふっと気持ちがやわらぐ。気がつけば、昨日来の腹痛が消えていた。
1月17日 (日) きょうは、鎌倉
 8時、起床。目を醒ます直前、鎌倉を題材にした女性考古学者の発表(スライド付き)を聴いて感心する夢を見た。あの銭洗いの水を止めて底を掘って調べたところ、あきらかに人骨のかけらとわかる物が発見されたらしく、おそらくは、縄文期に人骨を洗い、須恵器に収めていたのではないかと彼女は語っていた。……おれは銭洗いに行ったことがない。夢に登場した、平安調のふっくら顔の髪の長いメガネをかけた女性にも会ったことがない。須恵器などという単語を日常使ったことがない。目が醒めてもリアル過ぎたその夢が頭から離れず、前日と同じように烈しい朝の陽射しを浴びているうちに鎌倉へ行ってみようと思い立つ。
 品川から横須賀線に乗って鎌倉駅に着き、まずは段葛(だんかずら)を歩いて鶴岡八幡宮へ。鎌倉にはもう50余回来ているのに一度も参ったことがなかったので、新鮮に楽しめた。中でも、白旗神社の黒塗りの社殿は、武家幕府の長(頼朝、実朝)を祀るにふさわしい美をたたえていて快かった。また、由比若宮遥拝所に立って一本の小木に手をあわせると、参拝者でごったがえす本宮前よりも神々しい気配を味わえた。
 同宮を出たおれはとりあえず銭洗いを目ざして歩いたが、途中、崖下の巌窟堂の境内にある「不動茶屋」(森繁さんの来店時の写真が飾ってあった)でお汁粉を食べたり、北条政子や実朝や高浜虚子や大佛次郎の墓に手をあわせるうちに興味をなくし、大好きな押し寿司を買って帰途についた。
 いったい、あの夢はなんだったのだろうか。
1月16日 (土) さて、次は氷川女體神社へ
 6時半、起床。晴天から降りそそぐ陽光に圧倒され、予定外の外出を決意。
 まずはタクシーで恵比寿駅まで行き、痴漢問題で有名な埼京線に乗って大宮へ。大宮駅で降りるのはほぼ20年ぶりで、周辺に林立する高層ビルに驚きつつ駅ビルを歩いていると、都心と気温差があることに気づく。ぞくっと寒いのだ。そこで今後の行程のことも考慮してマフラーを買い、首回りを完璧に防寒して東武野田線に乗り換え、北大宮駅で下車。歩いて武蔵一の宮、氷川神社へ。三の鳥居の中まで車が入ってくるので気をつけながら神橋を渡っていると、神池に氷がはっていた。参拝をして額殿に入り、算術の関派の納額や十一代團十郎の絵馬を見学後に周囲を歩くと地面がしゃくしゃくと崩れた。霜柱だった。霜柱を踏んで歩くなんて中学時代以来だからつい楽しくなり、隣の神楽殿の回りも歩いてしまった。しゃくしゃくしゃく、釈由美子。そうつぶやいた自分に嫌気がさして境内を後にし、とぼとぼと参道と一の宮通りを歩いていく途中、広島風お好み焼き屋の「おたふく」に飛込み、ぺろっと平らげる。この店、旨い。
 腹いっぱいになって大宮駅にもどり、今度はタクシーで氷川女體神社をめざす。しかし、運転手さんは知らないらしく、カーナビ用に住所を伝えると、「ああ浦和だね」と彼。さいたま市は広いのだ。
 緑区宮本にある同社に向かう車中、そこも武蔵の一の宮であることを運転手に話すと、「実はわたしも、一応そっち系の学校を出ているんですけどね」と彼。
「國學院?」
「ええ。でも、わたしは高校から野球でね」
「ひょっとして國學院栃木じゃないですか」
「ええ! なんでわかるんですか」
 國學院系列で野球が強いとなれば、國學院栃木高校しかない。しかも、運転手さんにはうっすらと栃木訛があった。このやりとりをきっかけに野球談義で盛り上がったまま、住宅街にぽつんとある小山の前へ。話好きの運転手さんと別れて石段を見上げると、そこが氷川女體神社だった。こんもりとした巨木の木々が境内を覆っていて、石段を上って注連縄がついた鳥居をくぐって境内に立つと、一気に清々しい気分にひたることができた。土地の重要性がひしひしと伝わってくる狭い境内を満喫して階段を下り、磐舟祭祭祀遺跡を歩くと、また霜柱が崩れる音が足下から響いた。それから見沼氷川公園にある「案山子」の碑を見つけ、あの唱歌が見沼たんぼを描いていたことに感じ入る。
 寒さに震えつつ見沼を後にしてバスで浦和駅に行き、そこから田町まで帰り、「ヤマト」で芋焼酎のお湯割りを飲みながらモツ煮込みや豚バラ串などを喰らい、全身を暖めてバスで帰宅。夜は、氷川女體神社で購入した『見沼物語』(同社の前宮司が執筆)を読みながら昇竜睡。とてもいい神社でした。
1月15日 (金) 手紙
 終日、セルフ自宅軟禁。日高先生の本をいくつか読み、夕方、届いた手紙に感じ入って興奮し、妄想にふける。夜、いつにもまして早々睡。
1月14日 (木) ゆるやかに決める
 6時、起床。早朝からネットでホテル予約。手間取ったがどうにか確保でき、来週末のスケジュールをゆるやかに決める。寒波が去ればいいのだが。その後もあれこれ連絡調整をやり、午後、ようやく机に向かう。16時頃、外から石焼き芋を売る声が聞こえてくる。
 やきいも〜やきいも〜、いしや〜きいも〜やきいも、さあ、いらっしゃい。
 ……つい食指が動くが奥歯を噛みしめて聞き流し、夜、郵便物を投函がてら「あら喜」へ行き、新年の挨拶をしてカウンターに向かう。最初から神亀の熱燗を飲み、焼き筍、海鼠酢、河豚肝と牡蠣の生姜煮を喰らう。河豚肝、絶品。荒木家の方々と歓談している途中、2階から下りてきた「acalli」のYちゃんに頼んで同店自慢のオリーブ・オイルを買い求め、その後は仕事を終えたT夫くんと差しで焼酎を飲み、あれこれ教育談義。パパはたいへんだ。2時過ぎ、ウコンの力を手に帰宅し、「週刊文春」を2ページ読んだところで昏倒睡。
1月13日 (水) 3万坪の東禅寺
 前日の深酒もあってくったりと書見。『すぐわかる日本の神々』(鎌田東二/監修 東京美術)と『オールコックの江戸』(佐野真由子 中公新書)を読了。オールコックが滞在した幕末時、東禅寺の敷地が3万坪あったと知って素直に驚く。途中、桟敷の土産袋に入っていた弁当と焼き鳥を喰らい、苦いお茶で喉を洗う。夕食はメンチカツパン一個ですませ、千代大海の引退会見を観てから22時前に早々睡。
1月12日 (火) 力士は尻だ
 4時、起床。『逝きし世の面影』、読了。軽く昼食をとって熱い風呂に入り、パッチをはいて外出。15時前に両国駅に着き、関さん、奈良さん、千葉さんと合流して国技館へ。いつもの東の花道上の桟敷席に座り、ビールで新年の乾杯。平日とあってかあたりの席はがらがらで、奈良さんが持参された奥様の手料理をぱくつきながら熱燗を飲み、気ままに談笑しつつ観戦。一番の盛り上がりはやはり魁皇VS千代大海戦で、そのあっけない、そして無惨な千代大海の負けっぷりに館内がどよめく。魁皇の新記録達成よりも、多くの客が千代大海の終焉を認めた瞬間だった。
「これで引退したほうがいい」
 おれたちもそうつぶやき、花道を下がってくる千代大海をみつめる。尻から腿の肉に張りはなく、つくづく力士は尻だと思う。その点、朝青龍はまだ尻にも腿にも張りがある。問題は11日目からのスタミナだ、という関さんの指摘にうなずく。
 弓取り式を観て館を後にし、氷雨の降る中、関さんと千葉さんと一緒にタクシーに乗って浅草に移動。「二葉」の座敷で熱燗を飲み直し、近況、時事と雑談して散会。氷雨はほぼ止んでいた。
1月11日 (月) 土佐よりヤマト
 11時、年に1度の3種ワクチン接種のため、オランを連れてハナモ動物病院へ。オランの体重4,3kg、去年だけで400g肥った。可憐な美顔と体型が評判の牝猫も、8歳になってついに緩んだか。
 帰宅後はラーメンを喰らい、テレビで高校サッカーの決勝を観戦。終了後、予定ではジムに行くつもりだったが寒さに萎えて書見。黒鉄ヒロシさんの傑作、『坂本龍馬』(PHP研究所)を再読。豊富な資料と同じ土佐人という背景が持ち味のユーモアで絡みあい、冒頭から引きこまれる。先日の大河ドラマのタイトルにもあったように、龍馬は大器晩成の人だったらしい。まあ晩成とはいっても30余年の人生だけど。
 読後、29年前に一人で行った桂浜の風景がふわっと浮かんできたが、また訪ねてみたいとは思わなかった。眼前にはやはり三輪山の麓、JR桜井線周辺の平地がくっきと見えている。
1月10日 (日) 知の遊蕩
 前日の疲れもあってのんびりセルフ自宅軟禁。終日、日本の宗教史に関する本を読んで過ごす。神仏習合の論理、末法の世の布教。この二点にあらためて強く興味を抱き、仕事とはまったく関係ないのだが、関連本を5冊ばかり注文する。知の遊蕩は終わりがない。
1月9日 (土) 小石川の植物園へ
 6時、起床。朝食後、「週刊朝日」のゲラ校正をやってもどし、10時前に外出。地下鉄で白山まで行き、「八百屋お七」の墓がある円乗寺に参ってから予定どおり小石川植物園へ。次作のヒントを得るべく広い園内を趣くままに歩き回る。
 ほぼ2時間の散策で印象に残ったのは、晴天を突く巨大なメタセコイアとクスノキ、『赤ひげ診療譚』縁の養生所時代の井戸、静かに実を落とすクロガネモイ、宮崎アニメを髣髴とさせる柴田記念館、太郎稲荷と次郎稲荷、笹の葉の日だまりで昼寝する猫、池の上の枝に偶然とまったカワセミ、大正天皇が皇太子時代に命名したユリノキだった。
 退出後、すぐ近くにある簸川神社に参拝すると結婚式をやっていて、遠慮がちに二拍手。背中で祝福しつつ石段を下り、小石川5丁目あたりを歩いて「ティプシーズ」なるビストロ料理の店で遅い昼食。ハートランドを飲んでステーキがメインのランチを食し、赤のハウスワインを一杯。満腹になってまた歩き、石川啄木終焉の地(現在は小ぶりなマンション)を確かめて播磨坂を下り、共同印刷の前でタクシーをひろって湯島天神へ。まずは男坂下の心城院(湯島聖天)を拝してから受験生らでごったがえす天神に手をあわせ、歩いて湯島聖堂を訪ね、最後、神田明神へ。参拝後、猿回しや神楽を楽しみ、つらつら歩いて秋葉原駅から電車に乗って田町にもどる。家を出てから7時間、ほぼ歩き続けたために足が痛く、駅前のコージーコーナーでコーヒーを飲んで一息つき、バスで帰宅。鏡餅を使った雑煮を食べ、植物園で購入した資料類を読んでのんびり過ごし、いつのまにかソファ睡。快い一日だった。
1月8日 (金) 大学の敗北
 6時半、起床。パンで朝食をとり、新聞2紙と週刊誌3誌をざっと読んで「週刊朝日」の続きを書き、10時過ぎに編集部に送信。さあ、シャワーを浴びて創作のための散策に出かけようかと思い立つもぐずぐずして昼を過ぎ、結局、そのままソファ睡。
 夜は「中央公論」2月号の特集、「大学の敗北」を読む。教育ジャーナリストの小林哲夫さんが分析、指摘しているとおり、新設大学・学部・学科の急増、安易な大学院設置といった文部科学省の失策は目をおおうばかりだ。おそらくその背後には政治家の圧力もあっただろうが、現在、日本に773もの大学がある現実は異常だ。しかも、この15年間で216校も増えているのだから、倒産する大学が増加するのは当然である。今から20年以上も前に「2007年、大学全入時代到来」を知っていたのだから(おれは当時、このテーマで就職環境について予測講演をしたことがある)、国はいわば火に油を注ぐ政策をとってきたことになる。罪深いことよ。
 かくして今後の10年は大学の淘汰が激化し、学生の募集停止(廃業)が続くのだろう。まあ、大学の本質的な問題は、(特集の巻頭で養老さんが指摘しているように)別のところにあるのだけど。
1月7日 (木) モード変換、ならず
 5時、起床。仕事モードに移ってはみたがすぐに執筆にはいたらず、「文藝」春号をざっと読む。特集されていた島本理生さんの既刊作品はどれも読了できなかったが、ここに書き下ろしで掲載されている「あられもない祈り」は、冒頭部を読んだかぎりでは面白そうだ。タイトルも秀逸。
 9時になってようやく「週刊朝日」の原稿を書き出し、昼過ぎまで呻吟して昼食をとり、そのまま惚けてしまう。夜は『逝きし世の面影』を2章分読んで早々睡。
1月6日 (水) ますます隠居で
 きょうは話題の『日本辺境論』(内田樹 新潮新書)を読み、内田さんが「週刊朝日」の新春号に寄せた「日本が初めて目指すのは『たたずまいの端正な隠居国家』」なる文章にも目を通して共感する。おれはもう10余年前から「明るい絶望」をキーワードに経済のゼロ成長下での生き方を考えてきたので、「隠居」というコンセプトはよくわかる。若い世代にまで同意を求めることはしないけど、今の40代以上は「隠居」ぐらいの気分で過ごした方がいい。ポイントは退屈のしのぎ方。つまり、時間と欲望のバランスを低予算でどうとるか。思索書見創作はもとより、歌舞伎、演劇、落語、座禅、寺社巡り……、思えばおれの40代、基本はこれで暮らしてきたんだな。
 やりたいことだけ必死でやることを肝に命じ、今後もますます「隠居」で生きていく。
1月5日 (火) いざ一の宮
 三輪山に登ってから古代へ傾いた探求心は深まる一方で、また『古事記』を読み直す。その内容は天皇の正統性強化の企みに満ちていてメタフィクションとして楽しむべき代物なのだが、おれの関心は古代の人々が暮らした舞台に集中している。だからか、律令制ができた頃に認定された一の宮が気になってしかたない。当時の人の畏れや祈りを知ることは、彼らの世界観を少しでも追体験する上で有効だと思うからだ。この思いが年を越しても高まり続け、とうとう今日、全国の一の宮専用のご朱印帖を注文してしまった。
 原則は一国一神社なのだが複数ある国もあり(越中などは四つもある)、70余りの一の宮をすべて参拝するのに何年かかるかわからない。10年かかるかもしれないが、出不精のこの身の尻を上げさせるためにも、とにかく機会をつくって訪ねていこうと思う。
1月4日 (月) 瑞々しい再読
 終日、村上春樹さんの『めくらやなぎと眠る女』(新潮社)を読む。5年前の『象の消滅』と同じくアメリカで刊行された短編集の逆輸入版だが、元々は日本で発表した作品ばかりだから、内容はすべて知っている。だけど、いざ手にとって目を落としたら自分でも不思議なほど瑞々しい気分で通読できた。なぜだろうと、その理由について考えたらほんの短い時間(2秒ぐらい)で答えが浮かんだ。
1月3日 (日) 人生の色気
 終日、書見。『人生の色気』(古井由吉 新潮社)、読了。金言満載。インタビュー形式をいかして口語でまとめてあるので、つらつらと読めるようになっている。性と生、死と性、それぞれの親和性に対する洞察もさることながら現代における作家の立場が体験的に、本質的に披瀝されていて感じ入る。古井ファンはもとより、文学好き、小説家志向の方には必読の一冊だろう。ちなみにおれは、ポストイットを11カ所も貼ってしまった。
1月2日 (土) 手強い幸福
 本日はおとなしく自宅で過ごす。テレビを観ては眠り、本を読んでは眠り、食事をしては当然のように眠り、夢現の境でぼおっとしているうちに一日が終わった。怠惰の幸福は手強いぜ。
1月1日 (金) ちょっとだけ、しかし続けて微動する
 ビールを一杯飲み、大好きな銀扇の餅をつかった雑煮とおせち料理を食べてから明治神宮へ。東京に暮らして24年目になるのだが、同宮に初詣に訪れるのは初めてで、日本一の参拝者の多さにうんざりしつつ驚く。
 60分待ちに耐えて参拝し、破魔矢とご朱印をいただいてから薄いぜんざいをすすって帰宅。遅めの午睡をとって『古事記』の国譲りを読み直し、豚しゃぶで夕食。その後はNHK教育テレビの「日本と朝鮮半島2000年シリーズ」の再放送を観る。昨年も数回観たが、全部観たわけではなかったので新鮮に楽しみ、あらためて古墳時代における百済や高句麗との深い関係に唸る。ぜひ石上神宮(天理市)の宝物を見学したいと思う。律令と仏教と鉄をもたらした渡来人の存在はそのまま「まれびと」信仰にもつらなるだけに、折口信夫の主張も気にかかる。むろん、蘇我氏と物部氏の由来も。
 そんなことを考えながら日の出を迎え、猫たちに誘われて古代睡。

 みなさま
 あらためて謹賀新春でございます。
 四月ぐらいには新しい本も出ます。願わくば、秋ごろにもう一冊、上梓できればと準備してをります。元日に気の早い話ですが、来年に向けたシリーズ企画も動いています。気ままな性格も生活も変わることはないと思いますが、せめて、日々書くことだけは続けていきます。どうか苦笑しながらおつき合いください。
 ところで、景気に振り回されるのもそろそろ飽いたかと思います。今年は自ら何かを動かす一年にしませんか。余計なお世話ですが、そう思います。微動の連続で明けてくる闇もあるものです。ちょっとだけ、しかし続けて微動する。ほとんど他力、これだけ自力。こんな感じで、この一年、どうでしょう。
12月31日 (木) かくして大晦日
 夕方までに懸案のジクソーパズル「となりのトトロ」を完成させ、入念に浴室の掃除をすませてからビールを飲み、早々とおせち料理を喰らう。珍しく紅白歌合戦にテレビのチャンネルをあわせ、酔いにまかせてともに歌う。酒はいつしか「金襴 黒部」へ移り、お猪口でくぴくぴ。一年の穢れを落とすための入浴で終盤は観なかったが、細川たかしの歌唱は圧巻だった。次元が違った。なお、矢沢永吉の登場はサプライズに成功。スーザン・ボイルは期待外れ、タカシ・ホソカワには敵わなかった。
 年越しで髪を乾かし、着替えをすませて徒歩で春日神社へ。0時40分に到着したもののすでに長蛇の列ができていて、おとなしく並ぶ。行列嫌いながらこればかりは仕方ない。30分後に参拝し、古い神札を拝して新たな神札と虎の一刀彫を購入。生姜入りの甘酒を飲んで暖をとり、夜気に震えながら帰宅して年越し蕎麦を喰らう。それから『全国「一の宮」徹底ガイド』(恵美嘉樹 PHP文庫)を読みつつ朝を迎え、丸い月が残る西の空の一方に富士の霊峰を遠望して手をあわせる。陽射しを浴びる直前の藍色をおびた富士山の、その妖しい姿にしばらくみとれて躯を冷やし、いかんいかんとベッドにもぐりこむ。
12月30日 (水) 窓を拭いてから
 最少限の大掃除ぐらいはをやろうと思い立ち、ガラスマイペットを使ってリビングと書斎の窓を拭きまくる。終了後、室内に降りそそぐ午後の陽射しの明るさが快く、『奔馬』を読みながらうたた寝。起きると鳩尾のあたりが鈍く痛み、嫌な感覚に襲われる。夕食後、8年ぶりに胃薬を飲み、黙々とジクソーパズル。何とか目処がたち、今さらながら『この落語家を聴け!』(広瀬和生 アスペクト)を読む。広瀬さんの「青春と読書」の連載を愛読しているのだが、この本の談春師匠に関する文章にも全面的に納得。勢いにのって一気に読了して談春師匠のCDを聴き、生活は不規則の極みながらなかなかいい年の瀬、と一人悦にいりつつ破顔睡。
12月29日 (火) とろとろ三田散歩
 銀行に出かけて振込みをすませ、すっきりした気分で三田散歩。途中、ケーヨーD2で文具類をいくつか買い、またとろとろ歩いて今度は八百屋さんに寄り、みかんなんぞを求めて帰宅。その後は前々日からの流れに身をまかせ、書見とジクソーパズル。『古代から来た未来人』(中沢新一 ちくまプリマー新書)、読了。
12月28日 (月) 惰性
 前日とほぼ同じ時刻に起き、食事をし、本を読み、ジクソーパズルをし、猫の世話をし、そしてほぼ同じ時刻にベッドにもぐりこむ。惰性の快さ、の恐ろしさ。
12月27日 (日) 行きつ戻りつ
 書見に飽いたところで「となりのトトロ」のジクソーパズルを始め、行き詰まって途方にくれると書見に戻る。『聖地感覚』(鎌田東二 角川学芸出版)、読了。
12月26日 (土) 東禅寺のイギリス人
 昨年のこの日に亡くなった義母を偲ぶため、彼女の宗派であった臨済宗妙心寺派の東禅寺まで歩く。途中、承教寺で英一蝶の墓に手をあわせ、かつての朝吹邸などを愛でながら洞坂を下り、山門の前でその品の良さに息を呑む。短いながらも参道の佇まいは美しく、すぐ近くを走る国道1号線の喧噪が遮断されていて異空間を楽しむ。そして三重塔に声をあげ、しばらくその場に立ち尽くす。ここは幕末、イギリスの公邸として使われていたのだが、当時のイギリス人がどんな感慨をもったかふと気になる(初代公使オールコックの著書が岩波文庫にあるらしい)。
 住職からご朱印をいただいて寺を辞し、品川駅まで歩き、電車で有楽町のビックカメラへ。プリンター用のインクや何やらと細かい備品類を買い、最後に年末恒例のジクソーパズルを求める。今年はズタジオ・ジブリシリーズから「となりのトトロ」を選択。専用パネル(これがでかくて恥ずかしい)も併せて買って駅へ向かい、田町駅近くの「世界の山ちゃん」三田口店で夕食をとって帰宅する。
 夜中、関さんから激しく勧められた『逝きし世の面影』(渡辺京二 平凡社ライブラリー)を20ページだけ読んでから早速パズルにとりかかる。さほど難しくないと高をくくっていたが、三分の一もできないまま朝を迎え、目眩を感じながらベッドに倒れこむ。
12月25日 (金) 機嫌良く
 郵送されてきた「en-taxi」2009冬号を開いて拙稿(昼下がりに、田村さんと)を読み、そして山崎努さんからのお手紙を読んで静かに感謝し、いそいそと外出。昨年と同じく「あら喜」でクリスマスの夜を過ごす。
 いつもよりちょっと贅沢に喰らい、いつもどおり神亀の熱燗で躯を暖め、あれこれ語りあう。久しぶりにKarenとも遊び、麻布二の橋のカラオケボックスに流れ、T夫くんや常連客の女性と歌いまくる。4時、散会。バーに流れる二人組と別れ、機嫌良く歩いて帰る。
12月24日 (木) そこにあること
 終日、書見。年末年始用に16冊の本を用意している。読めるはずのない量だが、いつでも手にとれる状態にしておくことが大事なのだ。
12月23日 (水) 独鈷の輝き
 15時過ぎ、高輪にある高野山東京別院まで散歩する。がらんとした本堂に座し、壮麗な天蓋の先に鎮座する弘法大師空海像とじっくり向きあう。蝋燭の炎の向こう、大師の右手に握られた独鈷の輝きに目が奪われるうちに感情が均らされ、そして凪の状態になる。快いひと時を過ごさせてもらい、境内に新しく設置された四国八十八カ所の寺のモニュメントを見学してからまた歩き、偶然に出くわした丸山神社でも手を合わせる。
 17時、少し腹がへったところで「桃源郷」なる中国料理店に入り、担々麺。連夜の深酒もあって飲む気はなかったくせに、つい青島ビールを頼んでしまい、砂肝のネギ和えをつまみに喉を潤してしまった。四川風の辛みでうっすらと汗をかき、小一時間後に店を出、猫たちにクリスマスプレゼントを買って帰る。
 日常がもどってくる。合掌。
12月22日 (火) 冬至、老少不定
 4時に寝たものの9時には目が覚める。酒は抜けていた。
 『奔馬』を読みながら昼を迎えたところでS水さんから電話が入り、リクルート時代の後輩の訃報を聞く。信國乾一郎、まだ44歳。死因は食道癌で、ほぼ1年の闘病の末の死だったと知り、しばし呆然。退社してからは1度しか会わなかったが、新入社員の頃の人懐っこい猿顔の笑みがずっと中空に漂い、声まで蘇った。それから、彼と同期入社で大学も同じだったいしい君に電話をかけ、少し詳しい事情を教えてもらう。思えば、去年逝った藤井康宏も、いしい君と同じ大学を出た同期だった。
 夕方からの予定をすべて変更して20時半、前夜式が行われる用賀会館に到着。あっけないほど短い式に戸惑いつつ棺に眠る信國に別れを告げ、タクシーに乗って帰宅しかけたところで呼び出しを受け、急遽、用賀の駅前に戻り、「林檎」なる店にいた関さんらに合流。信國を偲び、次から次へと熱燗の二合瓶を空にし続けて間断なく語りあい、なぜか、皆の前で来年からの禁煙を宣言する羽目に。1時過ぎ、残っていた3人で関さんの地元、日暮里へ移動することになる。首都高速を走るタクシーの中でも関さんとの会話は続き、東京を縦断して辿り着いた二軒目の店で明け方を迎え、1人三田まで帰ったときには意識朦朧。久しぶりに軽く嘔吐してからベッドに倒れ込み、「老少不定」と一声あげて昏倒睡。
 冬至に逝った信國よ、いくら酒を飲んで声を嗄らしても、老少不定はどうにも切ないぜ。
12月21日 (月) 1歳児とスクワット
 大判のゲラをFAXするためにコンビニに出かけた以外、まったく外出せずに9日間を過ごし、今夜、ようやく「あら喜」に足を運ぶ。生ビールを飲んで神亀の熱燗にうつり、〆鯖、寒ブリの刺身、焼き筍を喰らい、鰹の漬けと烏賊の塩辛をつまみながらT夫くんを相手に古代史について語る。T夫くんもカウンターに座って熱燗を飲みだすにいたっては、話はドグロを巻いて盛り上がり、二人で3時半まで語りあう。途中、「acalli」の愛娘、まどか1歳1ヶ月がよちよち歩く姿に目を細め、一緒にスクワットをやる始末。まどかの現在の体重は、ウータとほぼ同じらしい。
 ご機嫌さんになって銀杏の葉に埋められた黄色い歩道をふらふら歩き、一句つくって「傑作だ!」と叫び、にそにそしながら帰宅。しかし、玄関に入った途端、その傑作を完璧に忘れてしまった。
12月20日 (日) 三島由紀夫の滝行
 年末恒例の本の片づけをしていて『聖地感覚』(鎌田東二 角川学芸出版)に再会する。作業を中断してぱらぱらめくると、第三章「聖なる場所の秘密」で三輪山について詳しく書かれていた。
〈さてここでいよいよ、日本の聖地中の聖地といえる神奈備の神山・三輪山を取り上げる必要があるだろう〉
 冒頭からしてこれだからもうたまらん。夢中で精読。途中、三島由紀夫が『豊穣の海』第二部の『奔馬』を執筆する際、大神神社を取材していたと知る。また、あの壮絶な自決の一ヶ月前に、少数の楯の会会員とともに十日間、三輪山中の「三光の瀧」の滝場に籠っていたと書かれていて驚く。
 おれが登ったときにも、その滝場で一人の男性が全裸で滝に打たれていた。龍の口から落下してくるのはすべて神水である。その手前には脱衣だけができる質素な小屋があったが、あそこで三島が籠っていたとは……。しかも自決の一ヶ月前、10月の下旬である。夜になれば、山中はすでに底冷えがする時期だ。三島は決意を固めるために滝に打たれ、山に籠ったのだろうか。それとも、崇神天皇よろしく、神託を夢見るために神山に抱かれつづけたのか。どちらにせよ、不安と覚悟に揺れ動く十日間を過ごしたに違いない。
 熊野と天河にも言及している三章を読み終えたところで、未読の『奔馬』と、三輪山のある桜井市で生まれ育った保田與重郎の随筆集をネットで注文。この調子では、古代のトロポロジーに惹きつけられたまま年を越しそうだ。
12月19日 (土) 混乱の世の楽しみ
 注文していた本がどかっと届き、『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫)と同じく牧野さんの『植物一日一題』(ちくま学芸文庫)をぱらぱらめくる。
 あらためて繙けば、牧野さんは江戸末期の生まれ。小学校を中退したにもかかわらずわが国の植物分類学の草分けになったというイメージも、教育体制の整っていない明治初期という時代背景を考えれば、あり得た話かと納得する。むろん、彼の驚異的な植物への愛着がなした偉業には違いないが、混乱の世にはこのような人物が出やすいのかもしれない。そう考えれば、今の混迷も少しは楽しめる。
12月18日 (金) 登山後
 三輪山に登って以後、何かが確実に変わってしまった感がある。
 いいことだと受けとめている。
12月17日 (木) ゲラの快感
 入稿すればゲラが出る。ゲラが出れば校正をする。これが大事な作業なのは云うまでもないから、赤の細字サインペンを手に推敲を繰り返す。
 広告のクリエイティブディレクター時代も、編集長時代も、そして今も、実はこの行程が好きだ。文意が意図する形に変容していく過程がはっきりと見える、そんなささやかな快感を味わう時間は、作り手の特権なのだ。だから、無理なく集中できる。
 本日は昼間に「週刊朝日」、夜に「中央公論」のゲラをやる。その他の時間はやはり『日本書紀』を読み、ついでに『古代史おさらい帖』(森浩一 筑摩書房)と『日本の謎と不思議大全 西日本編』(人文社)にも手をのばす。
12月16日 (水) 籠り
 起床するなり机に向かい、「愛される理由」第11回目の原稿を書き、10時半に脱稿して送信。これで年内の連載原稿は終了。大学のシラバスと企画書を1本残すのみとなったが、三輪山が頭から離れず『日本書紀』を読み続け、合間には「山ノ辺の道」の地図を凝視して過ごす。
 古代の光景が眼前に浮かんで消えなくなってしまい、本日もまた、家から一歩も出なかった。
12月15日 (火) 書いて読んで、読んで書いて
 朝から「遺書、拝読」第74回の原稿をずっと書き、16時半、脱稿。推敲して送信後、しばらく放心。『日本書紀』の続きをゆっくり読んで落ち着き、『アスペルガー症候群』を再読する。メモをとって間もなく、目が閉じる。
12月14日 (月) 終わりの設定
 終日、「遺書、拝読」第74回を書き進めるも終わらず、森繁の顔を浮かべたまま悶々睡。
 森繁久彌は戦時に自分で根性をたたき直し、初主演映画のギャラで自分の墓を建てて大スターとなった。つまり、「終わり」を設定して功を成した人物だった。
12月13日 (日) 沈滞
 体調、全身の筋肉痛のため沈滞。原稿を少し書いて痛みに負け、『アスペルガー症候群』(岡田尊司 幻冬舎新書)を読みつつ横臥して夜を迎える。そこから「en-taxi」の著者校正をやり、紙が大判のためコンビニからFAXして帰宅。南無阿弥陀仏。
12月12日 (土) 湿布の夜
 熟睡して8時に起床。父の通院に付き添って行った母が戻ると、一緒にぶらりと買い物へ。着替えが足りなくなったので、タートルネックのシャツと靴下2足を購入する。帰宅後すぐに着替え、昼食をとって帰途につく。
 3泊の外出は久しぶりとあってウータもオランもきょとんとした顔でしばらくこちらを見つめ、あわてて甘えだす。全身の筋肉痛に苦しみながら『森繁自伝』(中公文庫)を読了し、湿布に覆われて悶絶睡。
12月11日 (金) 三輪山に登る
 7時半、起床。温泉風呂ですっきりと目覚め、たっぷり朝食をとってホテルを後にし、駅のロッカーに荷物を預けて橿原神宮へ。38年ぶりの参拝だったが、広い参道に人の姿はなく、小雨に煙る畝傍山を背景にした神宮の眺めにしらばく立ち尽くす。この日は月次祭とあって、拝殿前で神官の列と遭遇。恭しい気分がさらに高まった。その後は、痛む足でとぼとぼ歩いて久米寺へ廻り、久米仙人像や多宝塔を愛でてから近鉄電車に乗り、桜井駅へ。そこでJR奈良線に乗り換え、三輪駅で降りて大神神社へ。
 二の鳥居をくぐったところで雨がやみ、玉砂利を敷きつめた爪先上がりの参道は幽玄の気配につつまれる。傘をとじて霊気を全身に浴びながらゆっくりと歩き、石段を上がって拝殿の前へ進む。ご神体は三輪山。参拝後、摂社の狭井神社へ移動し、300円を払って〈三輪山参拝証〉と記された白襷を首からかけてもらい、13時45分、いざ三輪山へ。今回の奈良行は、実はこの三輪山登山が元々の目的だった。それだけに勇んで登りはじめたのだが、樹の根が這う道の険しさにすぐに後悔し、「(制限時刻の午後)4時までに登っておりてこれるだろうか」という不安を抱えながら口を半開きにして進む。
 撮影禁止の神体山とあって見るものすべてが初めてのものばかりで、大きな岩石がいたるところに飛び出している不思議を感じつつ、雨の名残で滑りやすくなった獣道のような山道を竹杖を頼りにひたすら、ひたすら黙々と登っていく。腰も腿も脹脛も足首も足裏も痛みで痺れ、後悔を引きずる余裕もなくなる中、二組の人々を抜き、ついに頭が朦朧としてきたところで高宮神社に到着。そこまで来ると森がひらけ、雲が近くに見えた。それから20mほど進んで13時半ようやく山頂に着き、そこにある奥津磐座(おきついわくら)を拝む。注連縄で囲まれた高さ1〜2mの黒い岩々は、古代、神が降りてくる岩(磐座)として崇められたもの。大神神社が日本最古の神社と称される所以で、三輪山は『日本書記』にもたびたび登場してくる(崇神天皇の巻は伊勢神宮の由来と重なって特に興味深い)。
 束の間、清々しい気分にひたって下山をはじめ、三度ほど足を滑らせながら狭井神社に着くと、15時半になっていた。そこで薬井戸の神水をぐびぐび飲み、精魂尽き果てた体で神社を後にし、大神神社の休憩所でリポビタンDを2本飲んで駅へ。泥だらけになった靴のまま電車に乗りこみ、卑弥呼の墓とも云われる箸墓古墳と話題の纏向遺跡を車内からながめる。しかし、特別な感慨が湧く体力もなく、奈良駅についたころには普通に歩くことすら辛くなる。どうにか京都へ戻ってのぞみに乗り、名古屋駅で降りて実家にたどりつく頃には全身の裏側がきしきしと痛みだす。それでも待っていてくれた老母と「二郎」にでかけて生ビール2杯を飲んであれこれ話し、帰宅後、ゆっくり風呂に沈んで成仏する。

 [追記] 三輪山は467mの標高しかありませんが、上り下りの行程は4kmあります。また、ご紹介したとおり険しい道も多いので、体力に不安がある方、心臓などに持病をお持ちの方には登拝はお勧めしかねます。
12月10日 (木) 伯母との再会ならず
 7時、起床。8時過ぎに園子さんが用意してくれたお粥(美味!)と千枚漬けで朝食をとり、重いバッグを持ってくれるいしい君とともに最寄り駅へ向かい、入口前で握手をして別れる。東福寺駅で京阪からJRに乗り換え、一旦京都駅に出てから奈良へ。12時に近鉄大輪田駅に着き、伯母さんの家へ約束どおり電話を入れるも、誰もでない。しかたなくタクシーで伯母宅へ云ってみるも、やはり誰も出ない。37年ぶりの再会を楽しみにしていただけに、荷物を玄関前に置き、近くをぷらぷらして時間を潰す。しかし、1時間たっても、1時間半たっても誰も来ない。もう1時間待ってだめだったら置き手紙をして去ろうと腹を決めたところに、初老の美人が。今年87歳になる伯母にしては若すぎるが、ついその顔に見入っていると、「どちらさまでしょう?」。「東京の、昔、伯母さんにたいへんお世話に」「ひょとして、やっちゃん!?」
 再会したのは年の離れた従姉だった。お互いに驚きつつ再会を祝し、こちらが事情を話すと、伯母は午前中に入院したとのこと。2日前に家の中で転倒して脚を傷め、当初は拒否していたのだがとうとう痛みに耐えかねて観念したらしい。そのために天理に住む彼女が下着類などを取りに来たという。
「よりによって……」
 従姉のつぶやきに返す言葉もなく、どうかおれのことは気にせずに安静にしてくれるよう伝言を託し、土産をわたしてその場を後にした。興奮と不安がおさまらず、大輪田駅までついつい歩いて戻り、呆然としたまま電車に揺られて橿原神宮前へ。そして予約していた橿原ロイヤルホテルにチェックインし、すぐに飛鳥寺を訪ね、飛鳥大仏に伯母の無事を祈願した。
 その後は蘇我入鹿の首塚に手をあわせ、明日香の地をぷらぷら歩きながらホテルまで帰った。途中、水落部落や伝飛鳥浄御原宮跡を巡り、大和三山に感嘆し、雷丘に登って孝元天皇陵を仰いだが、この間ずっと誰にもすれちがったりすることはなかった。
 ホテルの部屋に入って一息つくと昼食をとっていなかったことに気づき、最上階のレストランでフルコースの料理を食べ、赤ワインを2杯呑んで地下の温泉風呂で惚け、マッサージを40分間やってもらって即身成仏。
12月9日 (水) いしい夫妻と京都の夜
 7時前に品川駅へ向かい、のぞみ7号で京都へ。駅の地下ロッカーに大きなバッグを預け、リュックを担いでまずは東本願寺。小学生5人組に写真撮影を頼まれる。続いて西本願寺へ移動し、本堂でしばらく過ごす。それから京都駅に戻り、近鉄電車に乗って東寺を参拝。6年ぶりに訪れた東寺は訪れる人もまばらで、講堂の立体曼荼羅の前で大日如来を仰いでふと周囲を見たら、おれ一人になっていた。神妙な気配につつまれて21体の仏像との対峙を堪能。東寺を後にすると羅城門址まで歩いて駅に返し、京都駅の和食屋で昼食。そしてJRに乗って東福寺へ行き、麓に下りてきた紅葉で目を休ませ、いしいしんじ君に電話。京阪電車で最寄り駅へ向かい、迎えに来てくれた彼とともに新居へ。
 予想の倍はある立派な町家に驚きながら中へ入り、各部屋を案内してもらい、この家を借りるにいたった経緯と後日談を聞く。それから、届いて間もないという蓄音機で古いSP盤のレコード鑑賞会。元々音楽に詳しいいしい君らしい趣味で、レコードはすべてネットでアメリカから買っているとのこと。AB両面を聴くたびに、つまり1枚のレコードをかけるたびに針を替えなければいけないという難はあるものの、蓄音機の暴力的なまでに生々しい音は刺激的で、日がとっぷり暮れるまで初期のプレスリーやポール・アンカの歌声、ブルース、R&Bに聴き入ってしまう。
 貴重な音を満喫した後にいしい夫妻と外出し、まずはガケ書房。そして、「週刊新潮」でいしい君が紹介していた立呑み屋さんで生ビールを呑み、先斗町まで歩いて「余志屋」なる和食屋さんで夕食。鴨まんじゅう、絶品。腹いっぱいになっていしい宅に戻り、ネットで森繁節に感嘆爆笑してから風呂に入っていしい君と園子夫人の歓待に感謝し、2階で就寝。
12月8日 (火) 準備できず
 明日からの京都・奈良行に備えるため麻布十番でもろもろ買い備え、帰途、「あら喜」で夕食。隣になったN味さんから赤ワインを勧められるまま呑み、二人でボトル2本空けてしまう。ご機嫌さんになって帰宅し、何の準備もせずに即身成仏。
12月7日 (月) タイトルの推進力
 3時間だけ眠って早朝よりエッセイの続き。昼過ぎ、10枚脱稿。タイトルを「昼下がりに、田村さんと」と決めてからは迷わずに書けた。散文をものにする際には、やはりタイトルが重要です。興味がある方は、酒と作家の関係を特集した12/25発売の「en-taxi」をご高覧ください。
12月6日 (日) 目処
 終日、エッセイ原稿。20時、豚しゃぶを喰らいながらドラマ「坂の上の雲」を観る。初回よりも佳かった。その後、原稿の目処がたったところで仮眠。
12月5日 (土) やり直し
 土曜日とあって、いつものカフェで朝食。寒い。大丸ピーコックに寄って帰宅後、エッセイ(田村隆一と酒)に取りかかる。夜までに5枚ぐらい書くもしっくり感に欠け、「つまらん」と破棄。冒頭からやり直し、2枚書いたところで昏倒睡。
12月4日 (金) 無為
 疲労で漫然。「en-taxi」に寄稿するエッセイのメモを書いた他は無為に過ごす。
12月3日 (木) 回想は疲れる
 酒は残っていないものの脳の疲れがはなはだしく、早起きしたにもかかわらず漫然とすごして午後を迎え、15時、都ホテルへ。リクルートの創業50年に関連した取材を受ける。ビデオまで回すと知って驚く。が、結局はいつものようにしゃべくり倒す。3年前に中途入社したという聞き手のT口くん、取材開始直後から混乱。ちょっと可哀想かとは思ったが、嘘を話しても仕方がないので最後まで冷静に事実の分析に徹し、リクルートの生命線は情報誌の制作・編集ではなく、あくまでも大量の広告を集めてくる営業力にあることを説く。しかし、このビジネスモデルが通用しない時代を迎えた今、さてリクルートはどうするのか、と問いまで投げ、「次につながらない半世紀の回想なんて意味がない」と偉そうに語って終了。他のスタッフが返った後、T口くんだけラウンジに残し、違う角度から面白い仕事を生み出すヒントをいくつか披瀝し、握手して別れる。
 氷雨が降るなか麻布三の橋へ一人で移り、「あら喜」で夕食をとる。今月から始まった絶品、焼き筍にうなりつつ神亀の熱燗を呑み、最後は牛スジとモツの煮込みを喰らって不二才を呑み、コートに身を隠して帰った。もう当分、長くしゃべるのは避けようと思う。
12月2日 (水) 脱稿の影響
 早朝より次作の推敲。18時に第三稿を仕上げ、Y本さんに送信して外出。日生劇場の地下1階にある「春秋ツギハギ」の個室でスターツ出版のI井くん、リクルートのH野くんと会う。久しぶりの再会を祝して乾杯後は、まるで先週会ったばかりのように間断なく談笑を続け、がんがん食べて呑む。当然のように二次会にも流れ、「D・ハートマン」でバーボンやら黒ビールを呑んでまた話す。脱稿の影響か、我ながら不安になるほどテンションが高かったが、I井くんがうとうとしてきたところで散会し、H野くんとタクシーに乗りこむ。2時半に帰宅し、着替えて間もなく昏倒睡。
12月1日 (火) 他者との会話
 4時半、起床。数年ぶりにヨーヨー・マのベストアルバムを聴きながら「週刊朝日」の原稿を書き、9時過ぎ、脱稿。推敲して送信。その後、入浴して雑誌を読み、12時、都ホテルへ。角川書店のS本さんと昼食をとりながらシリーズ企画のブレスト。いいアイデアが浮かんできて全体の構成が見える。単発や短いものはともかく、長いもの、シリーズ性が強いものはやはり他者との会話が刺激になる。
 14時半に帰宅し、その後は推敲。夜は眠気にまかせて早々睡。
11月30日 (月) 東京詩
 終日、推敲しながら第三稿を書いていく。合間にシリーズ企画のメモ。夕方、どかどかと届いた本の中から『東京詩』(清岡智比古 左右社)を手にとる。東京をモチーフとした詩を過去から現在までとりあげたこの本には、島崎藤村と宇多田ヒカルが同居している。浮きあがる東京という土地の膜。その一方で土地は記憶し、膜は層となっていく。
11月29日 (日) 期待して残ったもの
 夕方、NHKハイビジョンで『坂の上の雲』第一回を観る。原作に忠実な展開ながら拙速の憾みが残った。どこを厚くしてどこを端折るかはこのドラマの製作目的と直結しているから、まだ結論づけるのは早すぎるが、それでもナレーションだけで明治という時代の特徴を語ってすますのは、やはり惜しい。期待が大きかっただけに気まずい思いを引きずり、出前のうな重を喰らいながら内藤VS亀田戦を観る。いい試合ではあったが、終わってみれば、内藤のパンチ力の弱さと判定勝ちを前提にした亀田の冷静な戦術ばかりが目に残った。
 どちらとも勝手に期待を膨らませたおれが悪いんだよな、きっと。
 期待ってのは、毎度のことながら実に危険な感情だ。
11月28日 (土) すぐに浮き世を離れられる本
 次作の第三稿をやり、疲れて机を離れるたびに『坂の上の雲 二』を読む。それも辛くなると、『詳説 日本史図録』(山川出版社)をめくって浮き世を離れる。この本が実にいい編集で、一度入りこむとなかなか抜け出せずに困った。どうにかこちらに戻って外をながめれば、もう日が沈んでいた。
11月27日 (金) 伸行のピアノ
 ここのところ、仕事部屋ではずっと辻井伸行さんのCDを流している。例のヴァン・クライバーン・コンクールでの演奏を収録したもので、素人ながら、徐々に高まっていく音の推進力にいつも聴きほれる。だから、原稿を書くときにはむかないが、書見であれば問題ない。
 きょうは、CDを3回半聴く間に、『小太郎の左腕』(和田竜 小学館)を読み終えた。
11月26日 (木) 富士山、事業仕分け、ハッチ
 7時20分、起床。頭すっきりで陽光を浴び、期待して西の方角をながめたが、富士山は拝めなかった。
 ところで、昨今の報道は「事業仕分け」をメインに張っている。税配分の作業過程を透明化した点は画期的に違いなく、低コストで政権交代を実感させるイベントとしてもよく工夫されている。この一連の報道によって伝達されているのは、表面的には官のコスト意識の希薄さと仕分け人の力みかもしれないが、実は、かつての政権の無策ぶりである。いったいこれまで何をやってたんだ。そんな感慨が国民にじわっとひろがる。したがって、この「事業仕分け」はそのまま来年の参議院議員選挙の運動になっている。選挙民側にすれば、民主党は予想以上に危なっかしいが、それでもかつての自民党(中心)政権に戻るよりはましという思いに傾いていく。……でも、おれが今一番知りたいのは、歳入と歳出の関係だ。端的にいえば、借入金をゼロにした場合、現行の予算はいったいどうなるのか、である。借金をしないという大前提で歳入額にあわせて圧縮した場合、日本の予算はどうなるのか知りたいのだ。そして、そうなったら社会はどうなるのか。いたるところでパニックが起きるのだろうか。起きるとすれば、それはどのような惨状を露呈するのか。その仮定を想像することでこの国の現状を直視することは、政治家や官僚だけでなく、国民全体にとっても良薬となるのではないか。おそらく、そうとうに悲惨なんだろうな。
 日没後、須坂動物園の名物カンガルー、ハッチが9歳で逝ったと知り、同い年のウータを抱きしめた。
11月25日 (水) 本は読めないものだから心配するな
 書見とノートを続け、19時、「あら喜」へ。週刊朝日のI田さん、N村さん、左右社のK柳さんと会食。いろんな話をしつつも、基本的には紙メディアの可能性について語る。アプローチのコンセプトを180度変更する覚悟があれば新たなビジネスモデルがつくれる、とおれの考えを偉そうにべらべら喋り、不二才のロックをくぴくぴ呑んでしまう。まさに酔狂の輩の体である。
 23時半まで間断なく楽しく話し、麻布三の橋の交差点で3人と別れて帰宅。K柳さんにいただいた『本は読めないものだから心配するな』(菅啓次郎 左右社)を手にベッドへ倒れ、そのタイトルに痺れながら即身成仏。
11月24日 (火) アイデアという興奮
 来年から取りかかる長編のため資料を読み、その作業の過程で好き勝手に浮かんできたアイデアを書き留める。重要な場面の舞台、光景まで見えるときもあり、しばらく興奮する。会話も聞こえる。あんまり興奮すると、そのまま短篇を書きたい衝動にすらかられて困る。
 とにかく、体力に余裕のあるうちに。
11月23日 (月) (今さらながら)『20世紀少年』一気読み
 朝、『坂の上の雲』の第一巻を読了し、近くのカフェで朝食。それから白金ブックセンターに寄り、浦沢直樹さんの『20世紀少年』22巻と『21世紀少年』2巻、併せて24巻をセットで購入する。帰宅後、早速1巻を手にとり、遅い昼食をはさんで夕方まで読み続け、少し眠ってまた読む。そして、翌朝4時前に全24巻を読破。ガルシア・G・マルケスの『百年の孤独』を読み終えた時によく似た感覚に包まれる。圧倒的な構成力に幻惑されつつ、作品世界があまりに自分の成長過程とだぶっている(主人公たちはおれの一学年上)ために、主題とは違う感慨も抱いてしまった。準備している作品と重なる部分もあり、あらためて創作の芯を問われて良かった。
 ぼおっとした頭をならそうと『ゴーダ哲学堂 空気人形』(業田良家 小学館)と『浦沢直樹読本』(マガジンハウス)を読み、6時前、即身成仏。
11月22日 (日) ホトトギス
 終日、惰眠。横臥したまま『坂の上の雲』(司馬遼太郎 文春文庫)第一巻を読み、子規に親和性を感じて目を閉じる。新は外にある。
11月21日 (土) 冬の蚊
 10時半、「遺書、拝読」脱稿。推敲して送信。昼前、隣のビルにあるピザ屋でボジョレー・ヌーボーを飲み、パスタとピザを喰らい、散歩ついでにガーデン・シクラメン三種を買って「さくら苑」でコーヒーを一杯。ふとボブ・ディランの「Desire」を思い出す。夜、「あら喜」へ行き、熱燗をくぴっと呑み、珍味の鹿肉を二切れをつまむ。臭みを楽しむも、二切れが限界。その後はからすみで呑み、閉店後、T夫くんと二の橋のバーへ流れる。若手の業界人らしき男女がぐだぐたやっている店で、それだけにこちらも気がねなく話す。バーボンを3杯空けて時計を見ると4時になっていて、吉野弘さんの詩の一節を思い出しながら帰途につく。

 私も あるとき
 誰かのための蚊だったろう

 あなたも あるとき
 私のための風だったかもしれない
                      「生命」より
11月20日 (金) 五代目
 終日、「遺書、拝読」第73回。五代目三遊亭圓楽さんについて書く。まともな構成で書いていたものを途中で破棄し、夕方から噺家らしい展開にすべく書き直す。結局、終わらぬまま日付が変わる。