| 5月27日 (木) |
『最後の七月』フェア |
現在、ジュンク堂新宿店にて、『最後の七月』のフェアが行われている。ありがたい。『あたらしい図鑑』も並べて平積みにしてもらっているらしく、絵付きメッセージを添えた色紙を贈らせていただく。 こそっと見に行ってみよう、と思っている。 |
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| 5月26日 (水) |
火垂る |
午後、大学で講義。野坂昭如さんの『火垂るの墓』(新潮文庫)をテキストに、カットバックやドキュメント手法の効用、饒舌体の魅力などを語るも、それ以上にこのタイトルにこめられた作者の意図について熱弁。つくづくよくできた作品である。 終了後は質問をしてきた学生と喫茶店に流れ、18時半まで答えて帰宅。静かに夜を過ごす。 |
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| 5月25日 (火) |
チロの残り香 |
19時過ぎ、六本木ヒルズのグランドハイアットに行き、荒木さんの70歳の誕生パーティーに出席。昨年同様、こまどり姉妹も参加した祝宴は大勢の人々でにぎわっていたが、アラキネマが始まってほどなく、今年の3月2日に逝った荒木さんの愛猫チロの追悼一色に染まる。亡き妻、陽子さんが飼いはじめ、猫嫌いだった荒木さんもいつしか愛でることになったチロは、22年4ヶ月生きた。その最期にいたる写真が安田芙充夫さんの即興音楽とからみあいながらスクリーンに映り、生あるものの真実に目が澄んでいく。おれは荒木さんの自宅で見つめあったチロの精悍な美顔を思い出す一方で、『愛しのチロ』(平凡社)を編集した内田さんのことを考えた。おれがお会いしたころはもうTBSに移っていたが、まだ荒木さんの誕生パーティーを自宅の、映画『東京日和』で有名になった広いベランダであれこれ話し、その後もたびたび顔をあわせた。しかし、今から9年前、古館さんと養老さんを起用した特番を撮影しているときに倒れて亡くなった。チロより先に逝った内田さん。そして、人間ならかるく100歳を超える生涯をおくって逝ったチロ。遺る一冊。 宴はそれから、麿赤兒さんの舞踏でまた違う味わいのにぎわいの渦に巻き込まれて終わり、二次会に流れた。毎年この日だけ顔をあわせる方々に挨拶をしてタクシーで帰宅し、ウータとオランをきつく抱きしめた。 |
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| 5月24日 (月) |
いただきます |
午前中に「週刊朝日」の原稿を脱稿、推敲、送信。ゆっくり昼食をとり、口蹄疫に関するニュース番組を観てから新聞の関連記事を精読。 今回、最初に感染報告があった都農町には日向一の宮の都農神社があり、今夏、参拝する予定を組んでいるのだが、同地をはじめ、宮崎がこれほど重要な畜産地だったとは知らなかった。種牛の存在も初めて知った。種馬がいるのだから、あらためて考えれば種牛がいても何の不思議もないのだが。その種牛を含め、県下の牛豚の感染予防はまさに戦時対応そのものと化している。実際、畜産農家や関連業者にすれば戦争であろう。殺処分となった豚たちを積むトラックの映像を観たが、その眺めは空襲翌日の東京や原爆投下後の広島や長崎、そしてアウシュビッツにおける死体処理を思い出させて眼底に焼きついた。その一方で、肉を喰らう者の一人として、近い将来に自身が貪ったかもしれない牛や豚の姿を見せつけられている感慨も抱く。 この戦争の記録、映像をもとに、子どもたちに自分たちの食材について正確に知らせたらいいと思う。米や野菜や魚だけでなく牛や豚を喰らう者には、それもまた大切な食育である。ハンバーグやウインナーやカルビになるはずだった牛さんや豚さん。「喰う」という行為に至るまでにある「生育」と「殺生」と「流通」……だから、さあ手を合わせて大きな声でいただきます。
いただきます。 |
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| 5月23日 (日) |
つつ |
| 『電子書籍の衝撃』を読み続け、読後、『龍馬伝』を観ながら夕食をとって"愛される理由"を書きはじめる。フリーズを恐れつつ朝まで。 |
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| 5月22日 (土) |
呆然、がっつり、衝撃 |
| 慎重にバックアプしながら書き進め、20時、「遺書、拝読」ようやく脱稿。推敲して送信後、いつもの倍以上の時間を要してしまい、しばし呆然。その後がっつり肉を喰らって"愛される理由"に取りかかる。が、どうにも集中できず、机から離れて『電子書籍の衝撃』(佐々木俊尚 ディスカヴァー・トゥエンティワン)をもう一度読む。良書。 |
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| 5月21日 (金) |
iBookフリーズ |
| 朝から「遺書、拝読」の続きに取りかかるも、執筆用のパソコンの具合悪く、たびたびフリーズ。夕方に起こった3回目では2/3に書いた原稿が消えてしまい、一声叫んでどっと脱力。気分転換に食事をはさんで再開してみたが、崩れたリズム回復せず、さらに2度のフリーズを喰らって消沈睡。12年間使ってきたiBook、ついに限界か? |
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| 5月20日 (木) |
金星にて |
| 夕方まで「遺書、拝読」第79回をやり、半分書いたとろこで外出。18時前に大学の研究棟へ顔を出す。専任の先生らと半時間ほど事務的な話をし、それから西巣鴨駅近くの「金星」の座敷に移り、おっさん10人ほどで懇親会。おれは同じ客員の松田哲夫さんから『最後の七月』の感想を聴きながら方言や短篇についてあれこれ話し、いつしか太宰ならば「トカトントン」がもっとも面白いと二人で盛り上がる。後半は全体で新学部の方向性について議論し、21時過ぎ、散会。渡邊直樹さんや松田さんたち数人と地下鉄に乗込み、大手町までに全員を見送って帰宅。酒を飲んだら原稿は書かないので、井上ひさしさんの戯曲、『ムサシ』(集英社)を読みながら早々睡。 |
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| 5月19日 (水) |
男に求める母性が |
| 午前中にレジュメを作成し、午後、大学へ。山田詠美さんの「間食」(『風味絶佳』収録)をテキストに、その視点のユニークさと見事な構成を中心に講義し、テーマとして浮上してきた母性についても言及する。終了後は小雨の中をさっさと帰宅し、熱いシャワーを浴びてから手紙を一通書いて19時前、久しぶりに「acalli」へ。小学館のI垣さんと並んでカウンターに向かい、赤ワインを飲みながらいろいろ話す。21時過ぎにI垣さんを見送り、しばらく残りのワインを飲んで階下の「あら喜」に顔を出し、23時に帰宅。「遺書、拝読」のメモをまとめ、1時就寝。 |
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| 5月18日 (火) |
流れ、ってやつは |
13時過ぎ、都ホテルへ出かけ、雑誌「嗜み」(文藝春秋発行)の取材を受ける。先に撮影をすませ、その後、担当ライターのT花さんに問われるまま旅についてあれこれ話す。終了後も雑談に花をさかせて15時半にT花さんと別れ、歩いて帰宅。シャワーを浴びてから書き置きしていた手紙や葉書や小包をもって郵便局へ行き、相応の郵送費を払って三の橋へ流れ、久しぶりに「さくら苑」でアイスコーヒーを飲みながらスポーツ新聞2紙を精読して開店したばかりの「あら喜」へ。生ビールでも飲んで加賀太きゅうりと冷奴をつまんでさくっと帰るか、と思っていたら、すでに座敷席いっぱいに客がいて何だか不穏な気配。訝りつつカウンター席でビールで喉を潤していたら、明日会食する小学館のI垣さんが来店して声をかけられ、山本周五郎賞の"待ち"をここでしていると教えられる。候補者は、おれも「週刊朝日」でとりあげた『小次郎の左腕』の和田竜さん。座敷にいるのは各社の文芸編集者だった。間もなくご本人が登場して担当のI川さん(セカチューを送り出した編集者として有名な方)から紹介され、何となく早々には帰れない状況に巻き込まれてしまう。まだ仕事があるのに。 18時半ごろ、和田さんの携帯に電話が入って落選を知るも、だからといって「じゃあ」と帰るのもなあと思って不二才のロックに移り、鰻の肝焼きまで喰らいだしてほどなく、I垣さんが「じゃあ明日」と先に腰をあげて慌て、それから10分待って帰宅する。 やれやれ、まあいい勉強にはなりました。 |
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| 5月17日 (月) |
愚の底へ誘う詞 |
| 『最後の七月』について取材を受けた「ダ・ヴィンチ」7月号用の原稿を確認、返信した他は漫然。夜、吉岡治さんの訃報にふれ、彼がサトウハチローの門下生だったと知る。それにしてもあの『天城越え』の歌詞は素晴らしい。「情念」なる日本語の世界を描写してみせた言葉のセンスにほれぼれしつつ石川さゆりの熱唱を聴き、そして阿部定を想って酒を呑めば、そこまで惚れられたらまあ殺されてもいいかと愚の底に降りていけそうだ。内容も余韻も狂気を帯びた『天城越え』は、日本歌謡の宝であります。 |
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| 5月16日 (日) |
僧侶の出店 |
| 昼過ぎ、40冊ほどの本を処分した後、近所の旧・白金志田町でやっている「グローバルフェスティバル」を覗いてみる。メインステージでは若い役者たちによる寸劇(チャンバラ?)が終わったところらしく、それぞれが挨拶をしつつ自分が出演予定の芝居を告知していた。屋台の方は、郡上八幡や里美高原や久慈など各地の名産品だけでなく、近所の各店もせっせと自慢のメニューを提供。まだ一度も入っていないハンガリー料理の店や中東料理の店も大いに繁盛していたが、中には青年海外協力隊や魚藍寺などの若い僧侶集団の店まであって面白く、ついつい野菜や味噌を買ってしまう。最後に久慈川の鮎の塩焼きで腹を充たして帰宅し、その後は静かに過ごす。 |
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| 5月15日 (土) |
エノケンの墓 |
熟睡して昼過ぎに目覚め、気分転換のため散歩に出て麻布大観音の長谷寺を訪ねる。観音さんの想像以上の大きさにあんぐりした後、墓地を散策していたら喜劇王エノケンの墓に出会う。てっきり浅草に近い谷中あたりの墓地に眠っていると思っていただけに、しかもそれが素朴で小さな墓石なだけに、なんだかいい風を浴びた気分になって自然と手を合わせた。 その後も歩いて青山に向かい、今度は梅窓院の泰平観音を拝む。ファッショナブルな高層ビル内にある本堂に苦笑しつつ寺を後にし、青山一丁目からバスで古川橋にもどる。腹がへったのでタモリ倶楽部御用達の「盛運亭」で味噌ラーメンを喰らって帰宅し、すぐに眠気に包まれる。 |
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| 5月14日 (金) |
酔狂な金曜日 |
14過ぎ、外出。久しぶりに日本ペンクラブの委員会に出席すべく、地下鉄を乗り継いで茅場駅で降り、兜町のクラブへ。吉岡忍さんに声をかけられて挨拶し、懸案の東京都青少年条例について議論。「非実在青少年」なる表現が話題になっている問題で、今後の対応について多くの時間を割いてから放送法の改正についてレクチャーを受け、そしてグーグル問題のその後について山田委員長の報告を聴く。 終了後、かつて何度も取材した兜町界隈をうろうろしてから地下鉄で帰宅し、19時前に「あら喜」へ。朝日新聞のH山さんとこれまた久しぶりに会食し、近況を聴いて盛り上がる。H山さんがあまりにいいテーマで充実の取材をされていて、つい興奮。別れがたく銀座に流れ、1年半ぶりに「茉莉花」のカウンターに座る。あいかわらずの麗しい容姿で迎えてくれたT子さんと再会を祝してほどなく、10数年ぶりに坂崎重盛さんとお会いする。嵐山光三郎さんと三人で遊んだ一夜を鮮明に思い出し、今は隠居道を歩まれている坂崎さんと抱擁。その後H山さんと別れ、一人で「まり花」に顔を出し、先輩O野さんと偶然会って驚く。それから常連の二人組とさらに「バーコレット」に流れて5時を迎え、朝日の下タクシーに乗込んで二度目の帰宅をはたす。 どうやって寝たか、いっさい記憶なし。 |
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| 5月13日 (木) |
鳥皮ポン酢 |
| 静かに昼間を過ごし、夜は久しぶりに「どんどん」2号店で食事。鳥皮ポン酢、やっぱり旨し。 |
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| 5月12日 (水) |
いい一日 |
| 7時半、起床。"愛される理由"のゲラ校正をやって戻し、それから『五千回の生死』(宮本輝 新潮文庫)を読み直して講義用のレジュメを作成後、着替えて外出。描写の基本を中心に90分間話して帰途についたところ、西巣鴨駅でA羽さんにお会いし、車中、先日亡くなったすかいらーくの前社長についていろいろお聴きする。三田駅でA羽さんと別れ、白金高輪駅で降りて強風に髪を逆立てながら帰宅して間もなく、朝日新聞のH山さんから電話があり、会食の約束。2通の契約書に署名して18時45分、予定どおり「あら喜」に向かい、本日11歳の誕生日を迎えたKarenにレシピ用ノート(仏製)を贈る。Karenは今、レシピ集めに夢中なのだ。と、カウンターに小学館のI垣さんがいて、「読みましたよ、『最後の七月』」。一昨日に電話をくれた藤原和博さん同様、少年が主人公となる作品がむいているのではとご意見をもらう。19時15分、「ダ・ヴィンチ」の横里編集長が到着し、2月以来の会食。近況、展望などあれこれ話しながら不二才を1本飲み、ある企画について意見を交わしながら互いに酔っぱらう。23時過ぎ、タクシーで帰る横里くんを見送り、ぷらぷら歩いて帰宅。「いい一日だった」と笑いながらベッドに倒れこむ。 |
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| 5月11日 (火) |
○○○汁 |
| 朝から「週刊朝日」の"愛される理由"の原稿。昼過ぎに脱稿し、推敲、送信。それから冷やし中華を作って食べ、『手鎖心中』(井上ひさし 文春文庫)を読む。予定では夕方からジムに行くつもりだったが雨降り止まず、そのまま書見を続けるも、19時過ぎに腹を下したウータの○○○汁をリビングで発見して掃除に追われ、彼が回復するまでつきそう。22時ぐらいにようやく平常にもどったウータが眠りに落ちたところで入浴し、本を読みつつ早々睡。 |
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| 5月10日 (月) |
小沢一郎という人は |
サッカーW杯日本代表の選出については、前田の落選の他は順当だったかと思う。川口ではなく小野をベンチウォーマーに選ぶという選択もあったとは思うが。 そんなことより。 何だかなあ、谷亮子の参院選出馬。前回の横峯(さくら)パパの公認といい、小沢一郎という人はこういうことを毎回やってくる。政権交代論者としてもう少しは民主党を見守ろうと思ってきたが、これじゃあな……困っちゃうよまったく。国会議員になってもロンドンオリンピックで金を目指すらしいが、つまりそういうことを平気で口にできる人物を担がなければならない、あるいは担ぎたいと思うリーダーの下の政治改革ってのは、いったいどこに目標を置いているんだか理解に苦しむ。少なくとも、そのような半端な議員を一人でも減らすことすらできない状況が続くのは明らかだ。なんだかバカにされたような気分だ。と同時に、小沢一郎という政治家の終わりの始まりをはっきりと目撃した気もする。 これでまた「支持政党なし」層が増えるのは間違いないだろう。 |
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| 5月9日 (日) |
試し食い |
| 前日にひきつづき夕方まで安静。ずっと横になって過ごし、NHKハイビジョンで『龍馬伝』を観た後、体調回復を確かめるべく麻布十番まで散歩。ついでに旨いものでも食って精をつけようと「和食 むら田」に入り、ホタルイカの味噌和え、河豚皮を肴に日本酒を飲み、最後に名物の五目釜飯をいただく。ちゃんと味わい、すべて完食しただけで少しほっとして帰途につくも、帰宅後しばらくするとまた少し腹痛が出て不安になり、本を片手に早々睡。 |
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| 5月7日 (金) |
ユルユル |
| 実は、今月に入ってから体調がすぐれずにいる。にもかかわらず佐渡や居多ヶ浜を訪ねたりジムに行ったりしたからか、ついにきっちり発熱、下腹ユルユル。そこで、薬飲んでウータを抱いて終日安静につとめるも、まだユルユル。 |
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| 5月6日 (木) |
200g増 |
| 夕方、8ヶ月ぶりにジムへ行き、念入りにストレッチをやってマシーンとランニングに汗を流す。だが運動中にスポーツドリンクを飲みすぎ、終了後に体重を計ったら、開始時より200g増えていた。苦笑しながらたっぷりジャグジー風呂に浸かり、日が暮れた日吉坂をぷらぷら下って帰った。 |
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| 5月5日 (水) |
「度をこした素直さ」に困惑する |
海兵隊が沖縄にあることの意味、あるいは目的について、ここ数ヶ月で学んだという鳩山首相。これはなかなか凄い告白だ。社会科系にちょっと興味のある中学生でも知っている現実を首相が知らなかった、という驚きではない。そんな人物が首相に在る、という嘆きでもない。この人の「度をこした素直さ」に感じ入ったのだ。実母からの献金・脱税問題が発覚した際にも、この「度をこした素直さ」によって彼は自身が知り得た事実を告白した。 育ちが良い。といえばそれまでだが、おそらく、おれたちが通常認めている「育ちの良さ」の範疇に彼はいないのだろう。つまり、「度をこした育ちの良さ」によって、彼は「度をこした素直さ」を身につけたのだ。だから、おれたちならば到底口にできない内容を記者たちの前で、カメラの前で、淡々と吐露できる。おれはそこに驚嘆する。海兵隊に対する不勉強についても、公約云々についても、その一方で今後も誠心誠意で取り組むという発言も、本人にすれば正直な態度なのだろう。しかし、それがどれだけ国の在り方にひずみを及ぼすか、彼には想像できないのかもしれない。その理由もまた、「度をこした素直さ」である。 ついでに鳩山首相の対極に思いをはせれば、そこには舛添氏がいる。あの顔面に集約された彼の資質と生き様は、鳩山首相と比較したとき最も際だつからおもしろい。どちらも「度をこしている」点では似ているが、それだけに、舛添氏もまた首相には向かないのだ。 |
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| 5月4日 (火) |
北西に南無阿弥陀仏 |
朝から都築響一さんの新刊、『天国は水割りの味がする 東京スナック魅酒乱』(廣済堂出版)を読んですぐに引きこまれ、湯島の「エスペロ」にぜひ行ってみようと意を固めたところで携帯の留守電に気づく。再生してみると関さんからで、身内にご不幸があったため呑みの予定をずらしてほしいとあった。すぐに折り返してお悔やみを伝え、電話を切った直後、千葉望さんやいしいしんじ君らにメールで知らせる。不慣れな弔電や供花の手配は千葉さんがしてくださった。 午後、思い立って銀座に出かけ、新しい礼服を注文。今年の始めから作るつもりでいたのだが、関さんから届いた訃報でようやく動いたという体たらくに自嘲しつつ、ついでに夏の立山登山のために中級者用のトレッキングシューズも購入。さらにはクラシカルなデッキシューズまで衝動買いし、生ビールを呑んで帰途につく。あきれるほどの好天続きに惚けながら帰宅し、北西、小千谷の方向に手を合わせる。南無阿弥陀仏。 |
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| 5月3日 (月) |
こがね丸、満喫 |
6時半、起床。7時、朝食。山菜、旨し。8時50分に予約していた内藤タクシーへ行き、佐渡の鳥たち(ウグイス、つばめ、雉子、トキ)についていろいろ話をしながら小木港へ。出港時刻まで1時間ほど余裕があり、そこで運転手さんに勧められた佐渡名物、たらい舟に乗ってみる。乗り場からは佐渡おけさの歌が流れ、昨日にもまして好天の下、ゆらゆらぷかぷかの乗り心地を堪能して陸に上がり、初めてのカーフェリーへ。チケットに記された一等室イス席の部屋に行ってみるとゆったりとした空間で居心地よく、リクライニングチェアにもたれて海を眺めながらの移動を満喫。ちょっと飽いたところで船内を散策し、ゲームセンターで子どもたちにまじって必死に遊び、甲板でカモメたちの追跡に手を振り、売店で『私の日本地図 佐渡』(宮本常一 未来社)とわれせんべいを買って部屋に戻る。しばらくは書見に集中し、おにぎりで昼食をとって少し眠ったところで直江津港に入港。 こがね丸を降り、あきらかに夏日となった陽射しにうんざりしつつバスに乗って直江津駅へ移り、コインロッカーに荷物を預けてからタクシーで越後一の宮、居多神社へ。空間がやたらと目だつ境内をひとしきり歩き回り、花祭りがはじまったあたりで近くの居多ヶ浜へ向かい、ここから越後に上陸した親鸞を偲ぶ。昔は居多神社もこの浜の近くにあったらしい。その後は白山神社、愛宕神社にも参拝し、それから春日山城址を訪ねて駅に戻り、JRほくほく線で越後湯沢駅まで行き、同駅で新幹線に乗り換えて帰京。19時過ぎに帰宅してしばし呆然、どうにか入浴して昏倒睡。フェリーから見た日本海、夢に出る。 |
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| 5月2日 (日) |
良い波−1 |
6時半、起床。握り飯を鞄にかかえて家を出、東京駅。9時12分発Maxとき13号に乗りこみ、新潟駅からはタクシーに乗って新潟港。風邪をひいたのか悪寒がして胃が痛く、トイレで1枚着込んでジェットフォイルに乗船。予定通り10時49分に両津港に着き、初めて佐渡の地を踏む。まだ雪をかぶっている金北山(1172m)をながめながら路線バスで真野新町へ移動し、宿に荷物を置いて内藤タクシーで佐渡一の宮、渡津神社へ。小ぶりながら周囲の山川とうまく融合した社殿を楽しみ、参拝後は隣接された植物園を少しだけ覗いてタクシーに戻り、気のいい運転手さんから海岸に散在するゴジラ観音岩や人面岩を紹介してもらいつつ宿に帰る。あらためてチェックイン後、近くを散策。桜美しく、海麗しく、空青く広く、何より鳥たちがにぎやかに啼きつづけ、ずいぶん長い時間聞きほれてしまった。ついにはウグイスの巣をみつけて姿まで愛で、鳶たちに監視されながら近くの海岸で恍惚の人となる。それでも夕食まで余裕があり、さらに散策をつづけて新町大明神の神域に足を踏み入れ、風変わりな社殿、併設された旧い土俵に感じ入る。いい気が流れている場所で、周囲の八重桜もあって気分が華やいだ。 宿で夕食をとってから檜風呂につかり、十分に体を暖めてから布団に入る。そして、タクシーの運転手さんに教えてもらった金北山の高さの覚え方ー良い波(1173)引く1ーを思い出しながら「引く1って」と苦笑し、「ホーホケキョ」と一度だけ啼いてウグイス睡。 |
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| 5月1日 (土) |
感想文の約束 |
| 夜、白金高輪駅の先にある「鳥居亭」で焼き鳥や鶏飯を喰らい、一旦帰宅してから「あら喜」へ新刊を届ける。荒木家の方々と談笑し、話の流れから、小学5年生のKarenが『最後の七月』の感想文を書くことになった。愉しみ。 |
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| 4月30日 (金) |
数年ぶりの聖書 |
| 引き続き『ピストルズ』を読み、それから「考える人」2010春号に目を通す。「はじめて読む聖書」という特集だが、「新訳聖書」の個人全訳を成した田川健三さんのロングインタビュー秀逸。白川通さんに通じる圧倒的な持続力と探求心に唸る。誘導されるように数年ぶりに書棚の聖書に手を伸ばした。 |
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| 4月29日 (木) |
読む寝る食う読む |
5時半、起床。『ピストルズ』(阿部和重 講談社)を読みはじめる。いきなり面白い。じっくり少しずつ読むことにする。 午後、惰眠。夜、白金三光坂の「桃源郷」でがっつり中華を喰らって青島ビールを飲み、帰宅後は福永武彦訳の『日本書紀』(河出文庫)を読む。 |
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| 4月28日 (水) |
エピソード |
5時、起床。朝、書見。『1Q84』第3巻、読了。プリミティブなメッセージを告げるために用意された大いなる構成、過剰なレトリックを頻出させることで逆説的に浮上してくる身体性の危機(その対極にある青豆の肉体、牛河の容貌)、細分化されすぎた小説の方法をほぼすべて投入してみせた胆力、何より文章の力(解決に向かう第3巻の文章はサスペンスのお手本)を満喫した。そして読後まず思ったのは、第1巻以前、つまり1月〜3月を描く「エピソード1」が出るだろうということ。ひょっとしたら、村上春樹さんはすでに書いているかもしれない。 11時から講義用のレジュメ作成とテキスト再読。準備を終えて外出し、16時15分に講義を終えたとたん、なぜかリクルート時代の同期で今は関連会社の社長を務めているM井が現れて驚く。びっくりしたまま事情を聞くと、隣の教室で特別講義をしていたらしい。今月の9日に数年ぶりに再会した彼に、客員教授として週に一日だけ通っている大学の一教室で遭遇するとは……ということで、M井を囲む有志の男子学生たちとともに西巣鴨の駅ビルにある「さくら水産」なる居酒屋に移動し、臨時就職相談会を兼ねた飲み会に突入。M井を講師に招いたA羽先輩も同席され、かつてと同じくおれも敵わぬ多弁で学生を叱咤、激励。途中で辺りを見回すと、いつの間にか学生の数が倍になってさらに盛りあがり、22時まで話し込む。散会後、同じ地下鉄を使っている学生たちと談笑しながら帰途につき、一人ずつ彼らと別れて帰宅。 しっかし、今の男子学生の肌はきれいだなあ。何度も目を奪われ、オジサンは正直、困った。 |
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| 4月27日 (火) |
平年並み |
| 平年並みの最低気温、最高気温。本来この時期は、日照時間も含めて一年でもっともいい季節だと思っているが、ようやくそんな気配がベランダにまで充ちていた。書見と惰眠を繰り返して夜を迎え、寿司を喰らって早々睡。 |
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| 4月26日 (月) |
そういう歳 |
| 夜、3ヶ月ぶりにSさんと会い、麻布十番で食事。「あん梅」のカウンターで旬の魚と山菜を喰らいながら神亀の熱燗を7合飲み、病に倒れた親の介護などについて話を交わす。お互いそういう歳になったのだとしみじみ思うも、こちらは母親任せで暢気に暮らしている身。ここはSさんに日頃のストレス発散をしていただくべくカラオケへ流れ、2時間ほど歌いまくって散会。先月会った父親のしぼんだ姿を思いだしつつ二の橋からとぼとぼ歩き、1時半、帰宅。即身成仏。 |
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| 4月25日 (日) |
いつも夏 |
| 終日、安息。『最後の七月』を所々音読し、長崎弁をたしかめる。使った記憶のない言葉がいちいち沁み入ってくる不思議な感覚にしびれ、作品にも登場する裏山を思い出す。その風景は、なぜか、いつも夏である。 |
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| 4月24日 (土) |
免疫の意味 |
| 終日、自宅にて多田富雄先生を悼む。 |
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| 4月23日 (金) |
おまえも、体の半分が、動かんくなったつもりで、生きてみんね |
16時半、地下鉄に乗って神保町へ出かけ、古書センター脇の「カフェ・ティシャーニ」で理論社のY本さんとお会いし、『最後の七月』を受け取る。型押しや特色の銀がほどこされた水戸部功さんの装幀、作品の世界観が散りばめられた間芝勇輔さんの装画、写真をメインとするこれまでのおれの本とは一線を画した仕上がりに、せせらぎのような快い違和感をおぼえた。
おまえも、体の半分が、動かんくなったつもりで、生きてみんね
帯文は作中から抜き出された。Y本さんが選んだのだが、もし自分で選んだとしても、この一節を引いただろう。 ひとしきり出来たての新刊を愛でてから小雨が降る中を移動し、周恩来ゆかりの「漢陽楼」にて祝杯をあげる。20時半まで歓談をつづけ、散会後、一人タクシーに乗って銀座へ。RB(リクルートブック)編集長時代のメンバー、S木さんとほぼ20年ぶりに会食。遅れてしまったことを詫びた上で彼女の現況について話を聞き、感想を語り、そのまま「D・ハートマン」へ流れて話をつづけ、最後は仕事を終えたホステスさんたちがやってくるカフェでコーヒーを飲みながら朝を迎え、ようやく帰途につく。 ふ〜。 会社を辞めてもいいという覚悟がない人には、あまり刺激的なアドバイスはしないようにしている。いろんなタイプの人がいて組織は成立するのだし、おれのような捨て身でサラリーマンをやっていた輩のアドバイスは、あくまでも同系の後輩にしか役にたたないものだ。いわんやリクルートのような会社で40代、50代まで長く務められるタイプには、たとえ彼や彼女がかつてのおれにいくらかの憧れを抱いていたとしても、実際には良き時代の冒険譚、成功譚としか聞こえない。つまりは自慢話だ。現実におれが過ごしたリクルート時代は、例の事件や裁判、1兆7000億円にのぼる有利子負債問題やダイエーによる買収など、これでもかといった逆風の中で仕事をしたのだけど。今も昔も、他にない成果を味わうには、多かれ少なかれ捨て身の構えが不可欠なのだけど。 ……この夜も、刺激的な、退路を絶つような助言は避けて臨んだ。彼にも彼女にも守りたい生活はあるのだから、そしてこちらはもう何の力にもなってやれないのだから、若気も衰えたかと自覚した後輩たちには、自分の体力と不確かな後半生を展望しつつ自分で判断してもらうしかない。 そう前提を置いた上で勝手に願うなら。 どうか、できるだけ言い訳の少ない日々を送ってください。 |
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| 4月22日 (木) |
6割 |
さぶ〜。 重ね着してハーフコートまで身につけ、16時半、都ホテル。久しぶりに編集者のS川さんとお会いし、互いの近況を語りあってから打ち合わせ。これで3回目。すでに冒頭部を書き出した次回作の展開についてガツンと来ない問題を正直に話し、彼女のご意見を聴く。コーヒーだけであれこれそれなにあーだこーだとアイデアを投げあい、構成上のヤマ場についていい触感を得る。これで6割は見えた、と直感。どうせ残りの4割は書きながら考え、悶々と頭掻きむしりつつ書き進めるしかないのだから、このぐらい手応えがあれば十分だ。ぐいっとモチベーションが上がり、19時、氷雨降る中、傘をさして徒歩で帰る。 |
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| 4月21日 (水) |
あら喜、8時間 |
| 昼までにゲラを2本校正して戻し、そのまま講義用のレジュメ作成。13時半にまとめ終え、シャワーを浴びて外出。最寄り駅まで歩くだけで背中が汗ばみ、ハンカチを忘れたことを悔いながら大学へ。16時15分まで喋りつづけ、プロの舞台に立っているという役者の卵、受講生のH君と連れだって狭いキャンパスを横切り、彼と別れて帰途につく。喉が乾ききっていたため、駅ビル2階の喫茶店でアイスコーヒーを飲んでみたが満足できず、生ビールを飲むと決めて地下鉄に乗り、最寄りの白金高輪駅から自宅マンション前を通過して「あら喜」へ。開店5分前にカウンターのいつもの席に座って希望どおり生ビールを呷り、新しい不二才のボトルを注文してロックで飲み、旬の肴をあれこれ喰らう。そうこうするうちに常連のN味さんと歓談、そろそろ帰ろうかと思ったところでやはり常連のK橋さんが来店され、最後は片づけを終えたT夫くんもカウンターに座ってともに飲んで話をつづけ、店を後にしたときには1時半をまわっていた。17時半の開店前からだから、……やれやれ、おれは8時間以上もあら喜にいすわって飲んで話していたのか。60名の学生たちの前で話す水曜日は、これらからもきっと飲んでしまうんだろうな。きっと。 |
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| 4月20日 (火) |
暢気 |
| 終日セルフ自宅軟禁。創作進まず猫と戯れて夕べをしり、『1Q84』の3巻をいちいち分析しながら読み進める。 |
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| 4月19日 (月) |
いい就職がこの国を変えていく |
| 終日、「愛される理由」の原稿。『新 13歳のハローワーク』(幻冬舎)を取り上げたのだが、就職関連とあってつい読みこんでしまった。そして、”いい就職がこの国を変えていく。君がつくるジャパン”と謳った「就職ジャーナル」のキャンペーンを思い出し、しばし阿呆になる。 |
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| 4月18日 (日) |
好天に腰が浮き、うき |
朝までかかってようやく「遺書、拝読」を脱稿。推敲して編集部へ送信後、リニューアルされた「en-taxi」の特集(ボブ・ディラン ライブツアー緊急レポートと皇室の近代/現代)と杉田成道さんの連載を読む。付録(笠原和夫さんの映画シナリオと唐十郎さんの新作戯曲)まで付けたこの変容は、いったいどう解釈すればいいのか。おれとしては好きな方向だが、敢えてよりマニアックな路へと舵をとったようで、同誌の行く末に不安を覚える。田中陽子編集長、ぐぁんばれ! 梅雨の切れ間のような好天に腰が浮き、昼から外出。つつじ祭りが始まっている根津神社から白山神社まで歩く間に、四寺の観音さんを巡り、最後は日比谷公園の松本楼で生ビールを飲んでオムライスを喰らって帰る。 夜、『1Q84』第3巻を少しだけ読む。 |
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| 4月17日 (土) |
されど、すまん |
| 終日、「遺書、拝読」第78回の原稿。されど終わらず。すまん、N西さん。 |
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| 4月16日 (金) |
自分が生きてきた時代を知るために |
| 終日、角田房子さんに関する資料と彼女の著作を読む。「自分が生きてきた時代を知る」ために陸軍を調べつくしたノンフィクション作家の矜持、その気概の厳しさに強い好感をおぼえる。彼女の場合、生きてきた多感な歳月が15年戦争と重なっていたから、取材対象は自ずと陸軍となった。 |
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| 4月15日 (木) |
つくづく |
| 夜、時間をかけて大切な人に手紙をしたためてから外出。「就職ジャーナル」時代のスタッフが今夏の参議院選挙に立候補するため、有楽町でやっているその壮行会のようなものにちょっとだけ顔を出す。そこで聴いた彼のスピーチは間が抜けていて、最後は巻きを入れて終わられせる。その上で短い会話をしたのだが、つくづく人は変わらないと苦笑する。選挙の予測や政治の現況分析等については一切言及せず、体調にだけは気をつけるよう告げて、やはり「就職ジャーナル」時代のメンバーだったY下とY尋と銀座に流れ、旧交をあたためながら遅い夕食をとる。途中、同期のT田が偶然来店して一緒に飲み、散会後、Y尋を連れて「まり花」へ。そこで西木正明さんと久しぶりにお会いし、上原さんの大宅壮一賞受賞を祝す。その後は酔狂噺に花を咲かせ、4時半、Y尋をホテルに送って帰る。 |
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| 4月14日 (水) |
白山神社で黒猫八匹に包囲される |
6時半、起床。朝食後、すぐに机に向かい、きょうから始まる授業の準備。全15回の構成を念のため見直し、昼過ぎにアンケートとレジュメを作り、レトルトカレーで腹ごしらえをしてから家を出、地下鉄に乗って西巣鴨。昨年と同じ大教室でマイク片手に講義をして終了後、新設された学部の研究室に顔をだして帰途につくも、途中、白山駅で降りて白山神社に参拝。東京十社にしてはずいぶん狭い境内をさっと巡り、さあ駅に戻ろうとしたところで黒猫に遭遇。なかなか艶やかな容姿に見とれているともう一匹黒猫があらわれ、「おお」と頬がゆるむ。と、社務所脇のお宅からもう一匹、さらに、さらに、あれあれまた一匹とどんどん黒猫が出てくるではないか。 「おいおい」 足を止めてその数を確かめると、…6、7。「七匹か」とつぶやいた途端、低い塀の先からもう一匹がよっこらしょと上体を見せ、小さい授益稲荷の祠の前に飛び降りた。あっけにとられているおれを、ばらばらに散った八匹の黒猫たちがじっと見ている状況がしばらく続き、我に返ったおれは慌ててお稲荷さんの前へ進んで手をあわせた。白山神社で黒猫八匹に囲まれたら、誰だって奇妙な気分になるだろう。しかも、それらは狐が守るお稲荷さんの前に湧いて出るようにあらわれたのだから、ふだんは滅多に手をあわせない稲荷社とはいえ参拝するしかない。 目を閉じ短い祈りを捧げて振り返ると、猫たちはもういなかった。一匹も、いなかった。「おいおい……」おれは早足になって駅へと急いだ。 |
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| 4月13日 (火) |
島地さんに会って酔う |
18時半すぎ、外出。恵比寿橋の近くで日経BPのM橋さんと合流し、近くのマンションの一室へ。緊張しておじゃますると、廊下の先から島地勝彦さんがあらわれた。雑誌編集者はもとより、開高ファンで彼の名を知らなかったらあきらかなモグリと断言できる名編集者、島地勝彦。いつかきっとお会いするとは思っていたのだが、……そんな感慨にひたる間もなくシングルモルトのロックをいただいて乾杯。島地さんはおれの名刺の字(おれの名前は荒木経惟さんが書いてくださったもの)を見て、荒木さんとの30余年前の連載時の話を語られ、こちらはその内容(世界の娼館めぐり)を知って「さすが!」と唸る。 その後、近くのレストランに移り、東京スポーツのF川さんが釣ってきたスズキをメインに”シマジスペシャル”のコースをいただく。講談社のH田さん、S尾さんも同席した男6人の宴は楽しく、島地さんの徹底した「好きなこと、モノ」を楽しむ姿勢に快く巻き込まれていく。食後は再び島地さんの仕事場に戻り、四種をブレンドした本格的な紅茶とシングルモルトを呑みながら談笑。24時過ぎに散会し、ふわふわしたまま帰宅。もう何を読む気も書く気もせず、すぐにベッドに横になって微笑睡。 |
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| 4月12日 (月) |
井上ひさしさんを偲ぶ |
氷雨に濡れる桜木をときおり眺めつつ井上ひさしさんを偲び、本棚の奥から学生時代に読んで圧倒された『吉里吉里人』を取り出してぱらぱらとページをめくってみる。思えば一昨年、 『道元の冒険』の舞台休憩のとき、喫煙所で偶然お会いしたのだった。広島の原爆をモチーフにした『父と暮らせば』に連なる長崎の原爆をあつかった舞台を観たかった、と素直に思う。今度は宮沢りえさんが亡母になって藤原竜也さんの息子、あるいは石原さとみさんの娘と向きあう話だったら面白いな、などと勝手に空想し、ひょっとしたら井上さんもそんな構想をもっていたのではと調子にのってみた。 春は冬と初夏の間で揺れている。 |
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| 4月11日 (日) |
諏訪大社 上社前宮で御柱について考えた |
この日が下社木落しとは知らず6時過ぎに家を出、満員のあずさに乗って下諏訪へ向かう。10時前に電車を降りると駅前にはすでに観光協会や弁当売りの人々が待ち受けていて、町はハレの気配で覆われていた。その中を黙々と歩いて春宮に参拝し、それから旧中山道をぷらぷら進んでかつての本陣、岩波家の庭を見学。老婆の解説にしばらく耳を傾けてから秋宮に参拝も、本殿修復中とあってか特別な感慨も浮かばないないまま駅に戻り、ますます訪れる人々と逆行して茅野駅へ。駅前からはタクシーに乗って上社本宮へ行き、下社とは違う、なぜか北を向いた本殿に参拝。背後に迫る原始林の涼気を満喫し、雪を冠した山々を遠望しながら歩いて前宮へ。よく整った下社二宮はもとより、本宮ともまったく趣きの異なるこの宮の、山の斜面に布置された社殿に初めて諏訪明神の野性味を感じる。特に坂道を上った先にある本殿の裏、柵内の巨木が放つ気配には圧倒されてしまった。そこで周囲を見ると、じきに役割を終える四本の御柱が立っていた。もちろん他の宮にもそれぞれ四本ずつの御柱がたっていたのだが、御柱がそこに在らねばならない、別の言い方をすれば、そこに在る理由が感覚的に理解できる御柱はここだけだった。つまり、何か別の力で抑えていなければとんでもないことをしでかしかねない強烈な神さんを、この本殿に祀っているのではないか。それはおそらくイズモから逃げてきた建御名方神(タケミナカタノカミ)でも、ヤマトから派遣された八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)でもなく、もっと古い時代から諏訪の地に大いなる力を与えてきた存在なのだろう。 それはひょっとしたら山の神なる強烈な蛇神で、だからこそそそり立つ陽根を連想させる御柱で四方を囲ったのかも、……そんな夢想を抱きつつとぼとぼと歩いて駅に着き、甲府駅で乗り継いで山梨市駅でまた降り、今度は甲州一の宮の浅間神社に参拝。富士山が見えないのに富士を祀っていることを怪訝に思いつつすぐに駅に戻って特急かいじに乗り、帰京。目黒で豚と牛のしゃぶしゃぶを喰らって疲れきった体をなぐさめてから帰宅し、フジテレビ開局記念のドラマの最終話を観てから沈殿睡。 |
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| 4月10日 (土) |
桜花にまみれ |
| 東京の桜もこの週末までか、ということで、夕方近くになって浜松町あたりから歩いて芝大神宮、増上寺を抜け、東京タワー下から飯倉へと流れ、神谷町、愛宕神社界隈まで足をのばして桜花にまみれ、慈恵医大付属病院前からバスに乗って帰る。今年の桜はよくがんばりました。 |
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| 4月9日 (金) |
3日連続、……あかん。 |
| 21時過ぎ、久しぶりにI田さんと関さんと会食するため銀座へ。割烹「嵯峨野」へ到着するとリクルート時代の同期であるM井が先に来てをり、生ビールを呑みながら談笑。東京ドームから駆けつけた二人が合流した後は、いつものように過去と現在が渦になったような濃厚な会話が続く。その勢いのまま「まり花」へ流れ、他のお客さんも一緒になって話がつづく。そして最後に残ったおれは、なぜかその他のお客さんとバーへ行くことになり、6時近くまで痛飲。3日連続の即身成仏となる。猛省。 |
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| 4月8日 (木) |
虎視眈々 |
| 15時、芝居鑑賞の他にはなるべく近づかないようにしている渋谷に出かけ、ゴブリン書房のT田さんとともに映画のプロデューサーの方と会う。その後、1年数ヶ月ぶりに顔をあわしたT田さんとお茶を飲み、それから宇田川町にある「虎視眈々」なる地鶏炭火焼の店に飛込んで旧交を激しくあたためあう。上州の地鶏をつかった料理美味く、またも痛飲、腹膨張。気のいいお店の方に手を振って外に出、隣にひっそりと鎮座していた宇田川地蔵に参拝して渋谷駅。電車で帰るT田さんと別れて一人歩き、並木橋の交差点の先でタクシーに乗って帰宅。連夜の即身成仏。 |
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| 4月7日 (水) |
女神の抱擁 |
3時、起床。明け方、上野一の宮行きを思い立って入浴し、6時前に家を出る。東京駅から長野新幹線で高崎まで行き、7時33分に上信電鉄に乗り換えると、周囲は通学の高校生や通勤客しかいなかった(平日の朝だから、当然だが)。高校生たちは富岡高校の生徒だったらしく、みんなそろって上州七日市駅で降りて行った。こちらはその名もずばり上州一宮駅で降り、ゆっくり駅前の道を西進して旧一宮市街地をしばらく歩く。途中出会う人々は、制服姿の女性も男性も全員ゴミ拾いをしていて、たしかに歩道にはゴミや空缶一つ落ちていない。感心しながら進んでいくと突然、右手に石段の参道が現れ、両脇に植えられた桜が見事な花のドームとなっていて感激。淡い艶気にぽわっとしながら坂を上って鳥居をくぐって振り返れば、富岡市街地がぐるっと見渡せた。そして先に進むと、そこに社はなく神門だけがあり、石段が下っているではないか。なるほど、ひとつの丘を登って朱塗りの大鳥居をくぐり、わずかな平地に立つ神門を過ぎたら丘を下って社に参る布置になっているのだ。 下り宮。 土地の形状を活かした珍しい社の布置にときめきながら石段を下りて参拝。辺りには竹箒で木の葉を払う若い神職の方々だけがいて、聞こえてくるのは地面をこする箒の音と鳥たちの啼き声ばかり。静謐で仄かに明るい下り宮に抱かれている感覚に包まれ、しばらく神楽殿の前で立ち尽くす。諏訪の神さんも心動かしたと伝わる女神(姫大神)の抱擁を満喫して「たまらん」とつぶやき、その後は摂社前の空き地や神木のシダジイの前で気を砥いで帰途につき、12時半には自宅に戻る。 夜は某誌の編集長に昇進した落語の師匠、M橋さんを祝宴でもてなし、不二才を2本飲み干して泥酔。女神の手を肩甲骨あたりに感じたまま即身成仏。 |
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| 4月6日 (火) |
16周年を労う |
| 朝からゲラの最終確認・訂正を続け、17時半、バイク便で版元に戻す。それから「愛される理由」のゲラ校正も終え、「ダ・ヴィンチ」の横里編集長に電話を入れて創刊16周年を労う。本音でいえば、雑誌の寿命より彼の体調のほうが心配なのだ。編集企画はもとより広告営業、販売まですべてをみる同誌の編集長業務はとにかく激務で、そのスタイルを作った者としては、40代の半ばを過ぎた彼がとにかく元気でいてくれることを願うばかり。創刊時おれは33歳、彼はまだ20代だった。近いうちの会食を約束して電話をきり、書見。『うわさの神仏 其ノ三 江戸TOKYO陰陽百景』(集英社文庫)と『心のすみか奈良』(伊藤みろ ランダムハウス講談社)を読み、勢いにのって『逆説の日本史1 古代黎明編』(井沢元彦 小学館文庫)を半分ほど読んだところで意識朦朧。素直に早々睡。 |
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| 4月5日 (月) |
ゲラゲラゲラゲラ |
| 朝まで本を読み、朝食後90分仮眠をとって「愛される理由」の原稿。15時半、脱稿。推敲して送信し、それからメールや電話の対応に追われるまま夕方を迎える。夜は、『最後の七月』(理論社)のこれが本当に最後のゲラ校正をやってふらふらになり、中途でウータに引きずられ卒倒睡。 |
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| 4月4日 (日) |
よっ、飛鳥山! |
| 15時過ぎ、外出。地下鉄南北線で王子へ行き、駅前の音無親水公園の桜を愛でる。ブルーシート上の花見客の朗らか酔顔にうなずきながら階段を上り、王子神社に参拝。江戸十社巡り専用のご朱印帳を購入して飛鳥山公園に流れ、丘陵を彩る桜の下をゆっくり歩く。江戸名所図絵どおりのにぎわいを堪能して本郷通り沿いを進んで一里塚、その奥に鎮座する七社神社にも詣でて西ヶ原駅。東大前で降りて東大構内を移動し、関係者にまぎれて外に出て根津神社に参拝。すでに18時を過ぎていて、暗くなった小雨の中、乙女稲荷神社のただずまいにしびれる。その後は久しぶりの根津をとろとろ歩いてから帰宅。仮眠をとってから朝まで書見。 |
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| 4月3日 (土) |
遠くの桜、近くの桜 |
| 終日、書見。マンションの13階に暮らすわずかな特権として、書に厭きるたびに遠くの桜、近くの桜を窓外に眺める。ただし日が暮れてからはどうしようもなく、つい目黒川沿いまで出かけようかと思ったものの猫たちに止められ断念。右肩と股間を押さえられて仰花睡。 |
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| 4月2日 (金) |
名巡礼本 |
| どかどかと届いた本から白洲正子さんの『西国巡礼』(講談社文芸文庫)を手にとり、内容よりもその文章をじっくり味わう。『明恵上人』よりも力みがなく、彼女の審美観が滑らかに伝わる一文一文が快い。川村二郎さんの『日本廻国紀 一宮巡歴』(講談社文芸文庫)と双璧をなす名巡礼本。 |
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| 4月1日 (木) |
春のご利益 |
| 机にむかっていても、すこし左に視線をずらすだけで桜が視野に入ってくる。かつては月の岬と呼ばれた三田台の斜面、密集する小寺の境内や墓地に桜色がひろがっているーーなんともいい眺めで、強風が吹きはじめる前にもっと近くで愛でたいと思い立ち、16時過ぎに外出、品川駅まで出てから京急電車に乗って青物横町へ。初めて降りた駅ながら旧東海道にしたがって歩き、まずは江戸三十三観音第三十一番、品川寺(ほんせんじ)に参拝。品川観音に手をあわせてから境内の桜の前で深呼吸、なんだか楽しくなってきて足も軽く、南品川を寄り道しながら歩きつづけて目黒川。川沿いに咲く桜花の香りを嗅いで鎮守橋を渡り、創建1301年の荏原神社に参拝。川縁という立地が滋味を放っている古寺から桜をしばらく拝し、龍神がうたた寝している間に街道にもどる。いつの間にか日が翳りはじめ、あわてて北品川の第一京浜を横ぎり、品川神社の石段を上がる。無人の境内を進んで本殿に参拝後、この神社の名物である富士塚に登ることにする。これを登れば本物の富士山に登ったのと同じご利益があるらしいが、そんな都合のいい目的はともかく、鳥居をくぐってすぐの一合目と二合目の間に猿田彦が祀られていているなど、あっという間の短い山道にこれでもかと富士山信仰のアイテムが凝縮されていて苦笑。だが山頂について一人辺りを見回すと、境内の桜花と夕空を独占したような錯覚につつまれる。春のご利益。ここで志ん朝の「居残り佐平次」なんて聴いたら、もう……無性に酒が飲みたくなりすぐに帰途につき、一旦帰宅してから「杜氏の神様」農口尚彦さんが造った「蓬龍」を手土産に「あら喜」へ行き、旬の食材を満喫。24時、ほろ酔いで古川の桜に手を振りつつ二度目の帰宅。即、春眠。 |
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| 3月31日 (水) |
種蒔き、水やり |
冬が終わりました。 今年は珍妙な冬を過ごすことができ、いろいろ種を蒔くことができた。どんな芽が出て葉がつき、はたしてどんな花が咲くやら。とりあえずは水を欠かさずやること、それだけは日々守っていこう。 |
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| 3月30日 (火) |
極限を、 |
| 『責任 ラバウルの将軍今村均』(角田房子 ちくま文庫)を少しずつ読み進める。全体で530余ページあるうちのまだ170ページ足らずだが、この作品が傑作であることはとうにわかった。読んでいると目が据わるのだ。気がつくと生唾をこくりと呑んでいる。よれよれの長袖Tシャツをまとっての書見ながら、襟を正して読んでいる。極限を、読んでいる。 |
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| 3月29日 (月) |
仮姿 |
| 押し寄せた寒波の仮姿をベランダに見つけ、ずいぶん長い時間、猫2匹とともに窓際でボ〜然。床暖房から離れられないまま仲よく過ごす。 |
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| 3月28日 (日) |
歴史は小説の奴隷ではない |
起きてすぐに「遺書、拝読」第77回のゲラ校正。13時半、返信。予定では諏訪大社を訪ねるつもりだったが、この寒さに怖じ気づいて即断念。夜になってようやく外出、大丸ピーコックで豚しゃぶの材料を買って返り、鍋で暖をとりながら『龍馬伝』を観る。それにしても福山龍馬は爽やかですな。司馬さんによってスターとなった龍馬は、これでさらに箔がつき、21世紀もスーパースターで在りつづけるのだろう。 ところで来週からの第二部、たとえば大政奉還にいたる場面で、後藤象二郎の功績はちゃんと史実どおりに描かれるのだろうか。また、薩長同盟をいち早くとなえて尽力した中岡慎太郎の先見とネゴシエーションの力はどう扱われるだろうか。この勢いだと、それらもやっぱり龍馬のみの手柄になるような気がする。面白いドラマ作りはけっこうだが、とはいえ歴史の内実を歪めることだけは勘弁してほしい。船戸与一さんが産経新聞のインタビューに答えて口にしていた、「歴史は小説の奴隷ではない」の一言は、そのままドラマ制作にもあてはまるはず。その上でこの面白さを展開してくれれば、今年の大河は名作となるのだろう。 |
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| 3月27日 (土) |
思案の蕎麦 |
| 朝、速達郵便で起こされる。文面を一読し朦朧頭であれこれ思案するも、もう少し寝てから検討すべきと判断して二度寝。しかし、さほど眠れぬまま起き出して早めの昼食をとり、着替えて外出。初めて山手線の鴬谷駅で降り、ほころびはじめた桜花を愛でながら寛永寺の根本中堂に参拝後、タクシーに乗って浅草に移動。裏口から浅草神社に詣り、三社ごとの立派な山車を見学して隣の浅草寺にも参拝。それから外国人観光客でごったがえす仲見世を避け、一本隣の道を抜けて並木の薮へ行き、「蕎麦の会」のみなさんに合流。ビールを少し飲んで熱燗に移り、蕎麦味噌や板わさなどをつまみ、ざるで仕上げて「二葉」の座敷に流れる。そこで歌舞伎を観てきたいしいしんじ君も加わり、歓談はさらに盛り上がる。三軒目はいつものとおり「Barley」で飲み、さらにS田夫妻、いしい、S水さんと「トライバルビレッジ浅草」に流れ、なぜか電気ブランまで飲んで気持ちよく酔っぱらう。思案の対象はそれでも薄れず、帰宅後もしばらく黙考。答がでないままソファ睡。 |
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