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酔狂記

9月28日 (火) 冬の詩
 6時半、起床。午前中はずっと「冬の詩」を探して抜粋し、レポートにまとめる作業を続ける。70冊ほどの詩集にあたり、つい関係ない詩まで読んでにそにそ笑う。やっぱり詩はいいよな。
 午後は思索、創作。10月の朝顔は夕方まで咲いていた。
9月27日 (月) 梅原猛の大股歩き
 書見を終えて「週刊朝日」の"愛される理由"の原稿。梅原猛さんの(探求者としての)大股歩きの面白みにさらっとふれる。84歳でもフィールドワークに出向き自身の仮説を確かめほくそ笑む幸福を、彼は知っている。どうせ長生きするならこうあらねば、と思わせるその笑顔。まいっちゃうな。
9月26日 (日) 花薫る
 朝顔が新しい花を咲かせる。四季咲きのバラが五色の花をつける。万葉集を繙く。同集は、花薫る歌集でもある。
9月25日 (土) 朝顔が咲いて継体大王を考える
 盆前に種を撒いた朝顔がついに開花。藍色のこじんまりとした花がいっそう寒さをひきたて、愛でる間もなく室内にもどる。
 夕方、大量の本(主に'80年代の社会学系もの)を処分し、それから継体天皇に関する本を読む。古代の大王の系譜を繙くとき、どうしても避けては通れないこの方。現在の北陸である「越」から招かれて登場する奇妙な大王。現在の天皇家の祖とも云われる彼について考えることは、それ以前以後のヤマト政権の興亡にも関わっていくから、面白い。他所から大和に赴いて君臨するあたりは神武天皇の東征神話にも類似し、その視点で大王史を見直せば、八幡神の応神天皇もまた神武に通じる。さらには応神天皇を産んだ神功皇后の北九州〜新羅〜大和凱旋の流れは、邪馬台国と大和の関係をぷんぷん臭わせ興味はつきない。
 夜、朝顔の蕾をたしかめてから秋冷睡。
9月24日 (金) 急遽
 午後、ちょっと外出してもどったら携帯に留守電が入っていて、折り返しをしたらCM関連の相談を受ける。とても急ぐらしく19時過ぎに会うことになり、同刻、六本木の某制作会社へ。小一時間の打ち合わせを終えてタクシーに乗り、麻布三の橋で降りて「あら喜」で食事、兼八ロック。秋刀魚の塩焼き、絶品。帰宅後、久しぶりにタモリ倶楽部を見て早々睡。
9月23日 (木) 白眼をあびて
 昼過ぎに外出し、伝通院に参拝して東京ドームに向かおうかと思うも、雨のために予想以上に移動に時間がかかり、直接ドームへ。関、奈良、千葉の諸先輩と合流していざ観戦。そもそも巨人vs横浜というカード自体に興味はなく、中日の優勢確保のため横浜を応援する。ネット裏奥、やや3塁側なる席に奈良さんと並んで座り、ビール片手に冷静に試合を見守るが、横浜のホームラン攻勢にさりげなく歓声を発するだけで周囲からの白眼をあびる。特におれの左斜め前にいた(高校1年生とおぼしき)女子2人組の視線は厳しかった。
 横浜の勝利で試合が終わった後はタクシーで神保町に移動し、へぎそばの店で八海山を飲みながら会食。のっぺ料理を堪能してへぎそばで仕上げ、奈良さんを見送って二軒目へ。居酒屋でさらに日本酒を飲み、今度は千葉さんを見送って三軒目へ流れ、関さんと珍しく住宅について話しつつ飲み、散会。スタートが早かったため地下鉄で帰宅し、しばらく中国について考えてから尖閣睡。
9月22日 (水) 秋学期
 6時半、起床。『忍ぶ川』(三浦哲郎 新潮文庫)を読み、それから秋学期第1回用のレジュメを書く。13時半に仕上げ、シャワーを浴びて外出。あきらかに35℃ほどある気温に追いたてられながら地下鉄の駅に潜りこみ、ほぼ2ヶ月ぶりに巣鴨へ。水嶋ヒロ氏の芸能界引退報道ネタをきっかけに新たな学生たちに講義をはじめ、16時15分、予定どおり終了。いつもの喫茶店に寄って授業再開の報告をして帰途につき、中島京子さんの『小さいおうち』(文藝春秋)を読みながら最寄り駅。帰宅後、再びシャワーを浴びてしばらく放心し、軽い食事をしてから"遺書、拝読"第83回のゲラ校正。集中してやり終え、送信後、ドラゴンズのサヨナラ勝ちを確認してから天麩羅そばを喰らい、もう何も考えられなくなって早々睡。
9月21日 (火) ネット・バカ
 ぶり返した残暑に恐れをなして終日セルフ自宅軟禁。3冊の本を読み進める。中でも『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』(ニコラス・G・カー 篠儀直子/訳 青土社)は身につまされる。うすうす感じていた感覚がいかに育まれてきたかよくわかり、それだけにはっきりとした恐怖すら覚えた。携帯電話はあくまでも会話だけに使用、ツイッターはやらない……、垂れ流される情報を遮断するルールをいくつかは自らに課してきたつもりだけど、それでも脳内には、新たな情報への軽い飢餓感が絶えずある。どうしてこうなったてしまったのか、同じ感覚を抱いてしまった著者の探求に共感。ここ10余年の自身の体験を省みつつ味わっている。
9月20日 (月) ウータの下敷き
 6時半、起床。"遺書、拝読"第83回の原稿、16時、ようやく脱稿。推敲して編集部に送信。さて、軽く食事をしてシャワーを浴びて神宮球場へドラゴンズの応援に行こう。と、予定どおり行動しかけたところで軽い目眩がした。3時間ほどの睡眠で机に向かいつづけたからか、ソファに横になったとたんストンっと意識が落ち、脱力してしまった。はっと目が覚めて寝室に移動し、しっかり寝ることにした。再び目を覚ますと、右腕はウータの下敷きになっていた。
9月19日 (日) 飛龍伝フォーマット
 『飛龍伝'90 殺戮の秋』(白水社)をじっくり再読。1990年11月、銀座セゾン劇場で観た舞台がまざまざと眼前によみがえる。富田靖子の神林美智子、筧利夫の山崎一平、春田純一の桂木順一郎……、たまらん。その後2年おきに再演されるようになる飛龍伝フォーマットが見事に完成していた。胸がぴたぴたと高鳴り、読み進めるうちに目頭が熱くなる。台詞の裏側にあるつかさんの祈りのようなものを感じてしまったからか。そのことを次号の「遺書、拝読」に書こうと決める。
9月18日 (土) 筧の芝居
 終日、資料本読み。3本のつか戯曲にまみれ、頭の中で舞台が動き出す。台詞の口跡は、なぜかすべて筧利夫のそれだった。好きなんだよな、筧の芝居。
9月17日 (金) 一週間分
 『戦争で死ねなかったお父さんのために』(つかこうへい 新潮社)を再読。奥付を見たら32年前に読んだ戯曲集とわかったが、高校3年生の秋にこれを読んでいた自分の姿も感想も思い出せなかった。
 19時半に銀座へ行き、「佃喜知」でSさんと会食。カウンターで八海山をくぴくぴ飲みながら旬の魚を刺身で喰らい、閉店間際までしゃべって「D・ハートマン」に流れる。話はさらに盛りあがり、その後は六本木で惚ける。おそらく一週間分はしゃべったな。
9月16日 (木) 栗きんとん8種
 名古屋の知人から栗きんとんの詰め合わせが届く。袋を開けてみると、栗の名産地である岐阜県恵那市内の、和菓子屋8店舗の栗きんとんが1個ずつ詰め合わせになっていた。毎年取り寄せる恵那寿やの他に、菊水堂と恵那川上屋が美味かった。いや、松浦軒本舗も捨てがたい。不味いところは一つもなく、つい食べ過ぎて軽い胸焼け。
9月15日 (水) 死者たちの自治区
 唐突な涼しさにきょとんしつつ小沢信男さんの『東京骨灰紀行』(筑摩書房)を読了。小沢さんは1927年に東京に生まれ、東京で育った方。この世代の方ならではの体験と記憶をひきつれて歩く死者にまみれた東京の土地、その歴史。両国からはじまり両国におわるのだが、文章のリズムは軽快で湿ったところなく、博覧の知識もほどよく点在しながら愉しく読ませる一冊。ただし、そこにあるのは死者への鎮魂に違いなく、今ここに生きている不思議とささやかな感謝の念が品よく伝わってくる。いわば集団を対象とした「きょうも命日」のようなものか。〈ぼちぼち谷中〉に記された以下の文章にふとうなずいた。

 (前略)ともあれ、そういうわけで、ご当地界隈の地下に眠る人口をあまさずかぞえれば、政令指定都市五十万をかるくクリアするだろう。原則的には、死者たちの自治区として尊重すべきなのですねぇ。

 谷中が、死者たちの自治区、ってのが秀逸だ。
9月14日 (火) 新しい資本主義は、いずこ?
 民主党の代表選は菅さんが勝ったけど、少なくとも国会が動く態勢に入りやすくなっただけでもよかったのではないか。というぐらいの感慨しか浮かばない政治状況が続いている。小沢さんがもしも勝っていたら、国会は停滞どころから停止状態になりかねなかったらな。
 これまでどおり「明るい絶望」を基盤に置いて今後も生きていくつもりでいる者としては、相も変わらず叫ばれる「成長戦略」なる言葉がもうアホらしくて。福祉関連に集中投資するのはもっともだが、それは決して経済全体を牽引するようにはならず、どうにか現状維持できれば御の字といったものだ。今回の円高を見てもわかるとおり、米欧日という既存の資本主義を謳歌した国々はもうとっくに塞がっている。マイナス下での為替操作をやれば、とりあえずの円高になってしまうのは必然。つまり、もはや為替は実体を反映しない数値と化して久しいのだ。ほんとはみんなとっくに知っているくせに、とりあえず喰っていくために右往左往してみせる。そんな日々をどうにかやりすごし、我が身に及ぶ損害が最小ですむよう願うばかり。「失われた10年」は、だからいつしか「20年」になり、きっと「25年」にも「30年」にもなっていくだろう。
 新しい資本主義。このキーワードに即したビジョンと政策を語る政治家はいないのだろうか。関連図書はいくつか読んだ。実践例もちょっとだけ知っているが、さて政治にそのような動きは見えない。かくして旧態の政局優先の政治活動が続いていく。
9月13日 (月) 造本の楽しみ
 終日、"愛される理由"の原稿。岩井俊雄さんの『100かいだてのいえ』(偕成社)を取り上げ、そこにあるシンプルだけどとっても素敵な工夫について書く。電子書籍ではできない造本の楽しみ。峻別されていく本の流れについてもあれこれ考えた。
9月12日 (日) 自著批判
 夕方、4ヶ月ぶりにジムへ行く。念入りにストレッチをやり、1.5km走って真新しいマシンに弱音をはいてジャグジーへ。たっぷり湯につかって着替え、強くなった風に吹かれながら日吉坂を下る。秋、来てます。
 帰宅後、焼き秋刀魚にかぼすをしぼって大根おろしで喰らいつつ『龍馬伝』。梅毒説のある龍馬が感染した相手はおもとだったのだろうか。食後は『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(梅原猛 新潮社)を読む。この本がおもしろいのは、85歳にしてフィールドワークを忘れない梅原さんの解釈・分析もさることながら、かつて新説をぶった自著、『神々の流竄』を批判している点だ。おいおい、と既読者はあわてるかもしれないが、間違っていると認めた梅原さんはさっぱりと詳しく否定する。非を認めるに厭わず、である。呆れるよりもなんだか微笑ましい。これなどは、学者における長生きの賜物なのだろう。若輩は、とりあえず出雲へ行かねば。
9月11日 (土) イベリコ豚しゃぶの後で
 昼間は書見。日が暮れてから麻布十番まで散歩して所用をすませ、帰途、「みくろ」なる店でイベリコ豚しゃぶを喰らう。仕上げに太いラーメンまでかっこんで汗びっしょりになるも、わずかに秋めいた夜風に吹かれながらへらへらと帰る。今日と明日は近隣の神社の例大祭が行われていて、法被姿の子どもや大人をそこかしこで見かけた。都心における氏神と氏子……。少しだけむずっとする。
9月10日 (金) 酔狂の週末
 「中央公論」の最新号で松原隆一郎さんが書かれていたが、この夏に噴出した"消えた100歳老人"問題の真に〈問題とすべきは年金詐欺のみ〉、とおれも思っている。もしもこれを重大な問題とするなら国民総背番号制を導入するしかなく、これまでこの制度導入に反対してきたメディアや論客はどう反応していくのか。国家の捕捉から逃れて〈野垂れ死にする自由もある〉と主張する松原論は最後まで明晰だった。
 19時過ぎ、電車で銀座に出て泰明小学校近くの「しも田」へ行き、北海道新聞の文化部の方々と会食。『板前修業』(集英社新書)なる本を出している主人の料理は、派手さをおさえながら旬の美味を提供していてよかった。店名を冠した日本酒を四人でぐぴぐぴ飲み、閉店まで大いに語りあって散会。外堀通りまで出てみなさんと別れ、23時半、ひとり「D・ハートマン」ヘ。あいかわらず居酒屋並みに混んでいるカウンターに座り、バーボンのソーダ割りを頼む。と、顔なじみのバーテンダーから隣の女性を紹介される。彼女は彼の小学生時代からの友人(親友の彼女でもある)で、京都での1週間におよぶ研修を受けた帰りに東京に寄ったらしい。ならばと労いの言葉をかけて話をはじめ、他の客もまじえてあれこれ話題をかえて盛り上がる。気がつけば3時を回り、今夜はバーテンダーの家に泊まるという彼女と店を出、彼がアフターの仕事を終えるまでカラオケで仕上げることになる。抜群にうまい彼女の歌を堪能して5時、店の前で彼女を見送り、「はれほれ〜」と混濁した声をあげながら別のタクシーに乗りこむ。今週は一日おきに酔狂に淫したなあ、と夜明けの街を見ながら振り返るも、まったく反省することなく帰宅して即身成仏。
9月9日 (木) 受けとめられる時機
 『天皇はどこから来たか』(長部日出雄 新潮社)、読了。古代に遡りながら「日本教」なる信仰の本質を浮上させるアプローチは実に面白かった。白眉は、御神体である「鏡」が各時代によって何を反映させてきたか、という視点。14年前、買ってすぐに読んでおけばなあと少し後悔しつつも、やっぱり今だからここまで楽しめたのだろうと思う。本も映画も音楽も、そして他人の言葉も、それらを受けとめられる時機というものがあるもんだよな。こればっかりは生きて実感するしかないんだろうな。
9月8日 (水) 沢木さんの弁舌
 夜、「あら喜」で食事をして銀座に向かい、「D・ハートマン」へ。M田店長とこの夏の参拝報告をしあうつもりだったが、彼の石鎚山に登る予定は諸事情で流れたらしく、終始こちらから越中、越後巡拝を語るうちに箱根の神山について話がもりあがる。今月末に登る予定を伝えて店を後にし、久しぶりに「まり花」に顔を出すと沢木耕太郎さんがいて隣に座らされ、「ダ・ヴィンチ」時代の旧交を懐かしみつつ先客のドラマ関係者の方々と映画話で談笑。63歳になられたとはいえ、沢木さんの爽やかな声と弁舌は昔のままだった。
 みなさんが帰った直後にY子ママに報告をすませてこちらも席を立ち、ひとり新橋の悪場所を彷徨ってからタクシーで帰る。3時半、テレビモニターに映るBGMとテロップしかない電車の映像を半睡状態でながめてほどなく、カックンと卒倒睡。
9月7日 (火) 楢崎
 楢崎正剛の代表引退声明、気持ちよかった。きれいでした。
9月6日 (月) 山好きの人
 ようやく疲れがとれ、夜、恵比寿東口に出かけてS平くんと会食。7月にも訪れた「卯め」のご夫婦が登山好きとわかり、閉店まで立山をがんがん飲みつつ山話で盛り上がる。山好きの人の山話は当然のように愉しそうだった。その後は西口に抜け、よくわからない場所にある店で赤ワインを一本空けてS平くんと別れ、ひとり山手線で五反田に出てもう少し飲んで仕上げ、タクシーで帰宅。即身成仏。
9月5日 (日) 筧の口跡
 昼間、外出しようかと準備をするも、この暑さにうんざりしてやっぱり止める。14年前に買ったままになっていた『天皇はどこから来たか』(長部日出雄 新潮社)を書棚から取り出して読みはじめる。巨木文化の遺構から出雲と諏訪の連関を探るあたり、納得。神話と実際の相関の検証として面白く、しばらく疲労を忘れて読みふける。夕方、ドラゴンズのジャイアンツ戦完勝を見とどけて手をたたき、夜、『龍馬伝』の少々過剰な福山龍馬の演技に困惑しつつも筧三好の口跡につか芝居を髣髴とされてぐっとくる。今後は筧芝居を観ることにする。
9月4日 (土) 困憊つづく
 3時半、起床。疲れ、抜けず。腕のほてり、まだ続く。
9月3日 (金) パッキング
 8時、起床。筋肉痛はさほど感じないが、両腕の日焼けが痛い。夜、パックで顔の火照りと乾燥を補う。
9月2日 (木) 命がけの登山参拝
 4時15分、起床。洗顔をすませてザックの荷造り。5時20分にチェックアウトして地下道を通って南口にある富山地方鉄道の始発駅へ。すでに大型のアタックザックを背負った人々が集まってきていて、彼らの行動をまねて改札脇のコンビニでおにぎりを二個とお茶を買って電車に乗込む。ちょうど昇ってきた濃い茜色の朝日を浴びながら早速握り飯を喰らい、茶を飲んで窓外を眺める。6時32分、立山駅に到着。駅前の小さな食堂できつねうどんを食い、持ち帰り用のパック入りおにぎりを買ってケーブルカーに乗り、美女平からは高原バスに乗って50分後、立山登山口の室堂ターミナルに降り立つ。
 快晴。空気は澄みわたっているが陽射しは強く、さほど涼しさを感じない気候に戸惑いつつ、重いザックを背負いステッキを持って歩き出す。整備された散策道伝いに一人で黙々と進むうちに汗が噴き出し、無理せずにこまめに短い休みをとってポカリスエットを飲み、また歩く。疲労とともに重みを増すザックにうんざりしつつ先を目指し、予定よりずいぶん遅れて一の越山荘に着く。空はさらに澄み、東南の方向に目をやると、槍ヶ岳から左にむかって名峰がずらっとくっきり見えた。目をこらすと何と富士山までが見えて感激し、いつのまにか60才前後のおばさんたち数人に囲まれたまま握り飯を喰らって漫然。そのうちに京都から来たという中学生たちの集団にも囲まれ、場所を譲って腰を上げ、ステッキをしまい軍手をしてついに岩や礫だらけの山登りに挑む。
 よくぞ落下しないでいるもんだと思ってしまう岩の間に足を伸ばして少しずつ慎重に斜面を上がり、上がり、休み、上がり、ふと振り返って自分が立っている場所の高度と傾斜にめまいを覚える。二の越を過ぎたところで前にいた二人組の40代らしきスニーカー履きの女性の一人は、「これじゃよう下りんわ」と宣言して下山を選択。その気持ちに深く納得し、「お気をつけて」と声をかける。もう一方の女性はひたすら上っていく。こちらはひきつった薄ら笑いを浮かべつつすでにパンパンに張った太ももを上げ、時おり浮き石に足を滑らせながらとにかく次の岩を探し、ザックの重みで後ろに倒れないことだけを念じて登り続け、11時15分、ついに頂に立つ。休憩を何度も長めにとったため、予定よりも35分遅い登頂ながらとにかくほっとしてザックを下ろしてしばらく放心。眺望は360度完璧。しかし陽射しはさらに強くなり、空気も薄くなっている。それでも身の危険を感じずにただ座っていられることに安寧を覚え、どこまでも滑落していけそうな斜面を見下ろしたままつい笑顔になってしまう。ようやく顔を上げ、頂に鎮座する越中一の宮、雄山神社・峰本社の拝殿を眺めれば、そこにはオレンジ色の衣装をまとった神官が屹立していた(「作品と猫と猫」に写真掲載)。見たことのない光景に思わずカメラを向け、500円の初穂料を払ってその社殿へ進む。標高3003mに鎮座する社殿の前に座り、ご祈祷を受け、若い神官とちょっと話をして社務所前にもどり、すぐそこに見える剣岳の偉容に心をうばわれる。三分割した蟹の甲羅を何層にも重ねあわせたような山肌は、他の山とは違う次元の厳しさを放っている。途中の休憩場で知り合った登山のベテランから剣岳まで縦走しないかと誘われたのが、首を横にふって「と、とんでもない」と笑うしかなかった。
 登頂から1時間がすぎたところで下山を決意。今度はステッキを使わずに足場に注意しつつジグサグに下り、雲海を眼下に見つつ登りの三分の一の時間で一の越山荘に到着。三ツ矢サイダーで喉をうるおしていると、兵庫から来たという50代後半らしき夫婦に声をかけられ、いかにこの山が素人にきついかという話で盛り上がり、半時間後ともに下山を再開。14時10分、ようやく室堂に着き、14時半発の高原バスで下界へ。
 15時40分に立山駅までもどり、朝きつねうどんを食べた店で牛丼をかっこんで呼び出したタクシーに乗り、雄山神社の中宮祈願殿と前立社殿の二社を巡り、運転手さんとの相性の良さに乗じてそのまま富山駅まで行ってしまう。車中で運転手さんと盛りあがった富山湾の魚話でどうしても刺身が食べたくなり、駅に着いてすぐザックをコインロッカーに預けて昨晩の店へ。生ビールを飲んで立山に移り、ふくらぎの刺身、白海老の唐揚げ、ホタルイカの沖漬けを喰らって駅に戻り、はくたか25号に乗りこむや即爆睡。目を醒ました直後に越後湯沢に着き、新幹線に乗り換えてまた爆睡。東京駅で山手線に乗り換えて白々とした車内灯の下で両腕をみたら、照り焼きになったぐらい日に焼けていた。日焼け止めは塗ったのだけど、高山の陽射しはやはり甘くなかった。23時過ぎに帰宅後は、シャワーを浴びて肌の手当をし、下山途中に振り返って見上げた岩肌を思い出しては恐怖を覚えながら即身成仏。さて、白山はどうする?
9月1日 (水) 家持、気多神社、風の盆
 4時半、起床。シャワーを浴び、おにぎりと卵焼きと味噌汁と野菜サラダを摂って着替え、ザッグを背負って外出。東京駅7時発のMaxとき303号に乗って越後湯沢駅ではくたか2号に乗り換え、ヒスイ海岸の先に浮かぶ肉厚の入道雲に恐れを感じつつ10時19分、富山駅に到着。暑い。駅構内を歩くだけで汗が噴き出す。うんざりしながらザックを北口のコインロッカーに預け、北越2号で高岡駅へ。
 11時過ぎに同駅中央口で降り、かつて越中国の国守をつとめた万葉歌人・編者、大伴家持の銅像を見ながら歩き出して古城公園を訪ねる。誰も歩いていない道をとぼとぼ15分、加賀藩二代目藩主、前田利長が高山右近に依頼して築城した高岡城。橋の石垣の一部が残るだけの広大な敷地を進み、越中一の宮、射水神社に参拝。コンパクトにまとまった神明造の社殿はさっぱりしているものの、境内の玉砂利が熱射を反射して逃げ場がなく、早々に引き返す。駅に向かう途中、日本三大仏に名をつらねる高岡大仏を拝む。ハンサムな御顔に目を細めていると、短パンTシャツ姿の汗だらだらメタボ男に写真を撮ってくれと頼まれ、こちらも汗だらだらの体で逆光に苦労しながらシャッターを押す。首尾よくカメラを返し、再び歩き出して駅前に戻り、逃げこむようにホテル内の居酒屋に突入。刺身定食を喰らい、サービスの冷たい麦茶を4杯飲んで13時1分、城端線の電車にボタンを押して乗車しひと息つく。30余分後に福野駅で降り、高瀬神社へ。砺波平野を黄色く染める稲田に囲まれた古社の本殿脇、いい気配。しかし、そんな霊気もこの暑さの前ではすぐに蒸発し、木影ばかりを通って失礼する。ローカル線の貴重な一本に乗って高岡駅に戻り、今度は氷見線に乗って伏木へ。二上山の麓に鎮座する一宮気多神社に参拝。木立の中に静かにあるこの神社は、どこか土からせりあがってきたような気配をたたえていて、野性と質実がまじりあった神気すら放っていた。おれ好みの古代信仰を感じさせてくれ、汗にまみれながらも感嘆微笑。近くの大伴家持を祀る大伴神社(これまた良質の寂びに充ちている)にも参拝して駅に戻り、高岡に帰るやすぐに富山まで引き返す。
 と。富山駅の構内、出口にひとだかりができていて、「これは?」と訝っているところに〈おわら風の盆〉のポスターが目についた。なんと本日より風の盆なのだった。高山線の専用列車に乗るために整理券が配られ、駅員も踊り子の衣装を身にまとっていた。とはいえ、こちらとしては一刻も早いシャワーだ。ロッカーからザックを取り出して予約してあるホテルまで歩き、チェエクイン後、部屋に入るなりすぐに湿った服を脱ぎ捨てシャワーを浴びる。しばし放心。冷房が体になじむのを待って着替え、駅の反対側、南口に出て飲食街をしばらく散策。駅前でやっていた風の盆関連のイベントを見学し、実際の踊りと歌を少しだけ味わってシネマ街にある「味処 越中屋」なる店に入り、カウンターで生ビール。そして、ふくらぎやイカの刺身などをつまみつつ立山を二合飲み、気のいい女将さんや千葉から来たという60代後半のご夫婦と談笑しながら「風の盆」という生酒をくぴくぴ飲り、〆に墨作りを喰らって席を立つ。唇、まっ黒。その後、誘われるままバーで二杯飲み、ホテルに戻る。疲労と寝不足と酒でふらふらになり、文字どおりの昏倒睡。
8月31日 (火) 熱くなりたい人に、ぜひ読んでほしい一冊
 夕方、事故処理をしている古川橋交差点近くからタクシーに乗り、ほぼ一年ぶりに青山ブックセンター本店へ。入口右手の「ABCブックフェス2010」コーナーを巡り、写真家の今森光彦さんがセレクトしてくれた我が本、『最後の七月』と対面する。

 夏の暑い日の思い出が、ぼくのジャンプの原動力。熱くなりたい人に、ぜひ読んでほしい一冊。

 名刺大のカードに印字された今森さんの推薦コメントに頭を垂れ、それから30分ほど店内を巡って近所まで戻り、ドラッグストアでバンドエイドや軍手や高齢猫用の餌などを買って帰宅。暑さはあいかわらずでも少し風を感じて気分よく、もう一度外出して「どんどん」本店に初めて足を踏み入れ、生ビールを飲んでから鳥皮ポン酢、牛スジ煮込み、ハツやレバーの焼鳥をつまみつつ「克」のロックをちびちび飲り、最後は冷し飯をかっくらって仕上げる。そして、二度目の帰宅後はザックに荷物を詰め込み、"愛してる理由"のゲラ校正をやって床につく。
8月30日 (月) 立山夢想
 14時、予約していた「vi-ta」で髪をばっさり短くしてもらうも、頭の中にはまだ見ぬ立山(雄山)がちらついてしかたない。その後もずっと立山、雄山神社を夢見つつ過ごし、夜はさらに綿密な行程表を作成。さて、現実はいかに。
8月29日 (日) 準備
 夕方、地下鉄三田線に乗って神保町へ。立山登山のため、「石井スポーツ」で中型ザック(30L)やT型ステッキや専用靴下やレインウェアなどを購入。それからJR御茶ノ水駅へ行き、往復のチケットをまとめ買いして地下鉄千代田線に乗る。そして、久しぶりに表参道に出ると迷わず「yokumoku」本店に向かい、贈答用の詰め合わせを求めてその場で発送の手続きをすませる。これで本日のthings to doを終えて腹がへり、これまた久しぶりに「高良」に入って夕食。まずは生ビールをジョッキで空け、名物の手羽先(「世界の山ちゃん」より確実に旨い)や野菜サラダや鳥皮ポン酢や焼鳥数本などを喰らいつつ黒龜のロックを二杯飲んでほろ酔いになり、タクシーで帰宅。帰宅後は書見。『小さいおうち』少しずつ読む。
8月28日 (土) 行程表作りは愉しいのだ
 午前、来週の富山行の行程表をつくる。一泊二日で越中一の宮を四社(実質的には六社)巡るだけに、書き出してみるとずいぶん子細なメモとなる。富山-高岡-福野-氷見-富山で初日、そして二日目は立山(雄山3003m)山頂へ。どうなることやら不安をかかえたまま遅い昼食をとり、それから「週刊朝日」の"愛される理由"の原稿書き。21時前に脱稿し、推敲送信を終えて「あら喜」へ。椎間板ヘルニアで長く患っていたK原さんと会い、快気祝いを兼ねて乾杯。不漁の秋刀魚をあきらめ、代わりにもどり鰹の引き締まった刺身をつまみながら兼八のロックを飲る。0時半に帰宅し、アイスクリームをぺろりと平らげてから書見。そのままソファ睡になだれこむ。
8月27日 (金) 猫にアイスノンは無用らしい
 またまた本日もセルフ自宅軟禁。『母』、読了。ようやく『小さいおうち』(中島京子 文藝春秋)を手にとる。山崎さん、山田画伯が絶賛していたこの直木賞受賞作、たしかにのっけから面白い。
 夜、終わりを知らない熱帯夜に配慮し、ウータの寝床にアイスノンを置いてみるも、ただ嫌われて終わる。
8月26日 (木) 悪夢の整理
 本日もセルフ自宅軟禁。『教科書が教えてくれない「奈良」歴史の謎』(武光誠 ベスト新書)、読了。悪夢の整理をしてから就寝。
8月25日 (水) 狂暑にすねて
 残暑とは名ばかりの狂暑にうんざり、すねるようにセルフ自宅軟禁。仕事がらみで届いた本、『母-オモニ-』(姜尚中 集英社)と『真実真正日記』(町田康 講談社)を交互に読みながら過ごす。
8月24日 (火) サマリアの魅力
 3時20分、前日につづき"遺書、拝読"の原稿。朝食と仮眠をはさんで机に向かい、14時45分、脱稿。推敲して送信。ひと息ついて16時からDVDで映画、キム・ギドク監督の『サマリア』を観る。
 バスミルダ、サマリア、ソナタの三章構成だが、娘の淫行を知ってしまった父の憤怒の兇行がはじまるサマリア章のリアリティは出色。日本でも援助交際をモチーフにした作品はいくつかあったが、当事者の娘をもった親の態度をしっかり描いたものはなかったはず。ここを描くことで、この作品は単に時代性を汲んだ現代劇の域を出、普遍的な魅力を獲得している。ベルリン国際映画祭で銀熊(監督)賞を受賞したのもその証かと思う。他には、幽玄的な妖しい映像美に胸が震えた。自然の色彩に混じる原色のインパクトはどこか哀しみをたたえ、それだけで多くの感情を観る者に伝える。いわば「色による心理描写」だ。北野武監督のブルーもそのひとつだが、ギドク監督はもっと多彩な色で表現してくる。ストーリに沿って画面に没頭している時に不意にこれをやられるから、観終わった後にも鮮やかな色が点々と浮かんできて余韻がさざ波をたててしまうのだ。そして、その波間に少女たちの顔や父の苦悶の表情がからんでくるから、もうたまらん。切なくて、せつなくて……。
 夜、立山登山を決行すべくとりあえずホテルだけ予約する。
 今年の9月は富山からはじまる。 
8月23日 (月) 第82回
 終日、"遺書、拝読"第82回。が、終わらず。
8月22日 (日) 祭りから離れて
 金曜日から麻布十番祭りをやっているらしいが、大江戸線麻布十番駅が開通した翌年からは行かなくなった。行ったことがある人はおわかりのとおり、あのごった返した人の群れにまぎれてはとても楽しめないからだ。もともと狭い道路の商店街だけに、遠方から多数の人々が来るとすぐにぎゅう詰め状態になってしまうようだ。地元の商店の方々にはそれでも良いのだろうが、以前のほどよい往来を知っている者はうんざりするばかり。半歩ずつ進むしかできない状況では風情もへったくれもない。よって今年も、終日家から出ずに書見に没頭。森毅先生の『数学的思考』を読了し、本棚の奥に隠れていた先生のエッセイ集3冊に目を通す。先生の顔を、声を、偲ぶ。思いは「中央公論」の連載、"遺書、拝読"第82回に書く。
8月21日 (土) 弥彦神社へ
 6時半、起床。7時過ぎに家を出てタクシーで田町駅に向かい、山手線で東京駅。上越新幹線に乗り換え、9時37分に燕三条駅で下車してさらに弥彦線に乗り換え、終点の弥彦駅へ。
 東京と変わらない強い陽射しを浴びながら歩き、15分ほどで越後一の宮、弥彦神社の一の鳥居をくぐる。杉に囲まれた道を進んで境内に足を踏み入れ、毅然とした拝殿を前に参拝。本殿の斜め左前方、空を仰いだところに神体山である弥彦山(638m)が見えた。衝動的に登りたいと思い、拝殿脇から専用マイクロバスに乗ってロープウェイ山麓駅へ移動し、5分乗って山頂駅で降りる。他のほとんどの客が展望レストランに入って行くのを横目にそのまま山頂を目指し、10数分後ぜえぜえ息を乱してようやく到着。弥彦神社の奥宮である御神廟の前に立つと、眼下の日本海から吹き上げてくる涼風が快く、参拝後ついに踊りだす。数種の蝶も舞う中、軽い陶酔感を十分に味わって正気にもどり、海が流れてくる霧に覆われつつ御神廟を撮影。その写真を携帯電話の待ち受け画面にし、日本海と越後平野をもう一度ぐるりと見回して展望レストランまで下り、ソフトクリームと味噌こんにゃくを喰らって下山。駅で弥彦産のすかし百合の球根を買ってからふたたび下界の狂暑にさらされ、とろとろ歩いて駅に向かう途中、「四季の宿みのや」の敷地にある足湯で弥彦温泉の素晴らしさを少し味わう。
 弥彦線の電車に乗り、越後平野に毅然と突き出している弥彦山を遠望しながらいつしか燕三条駅に到着。乗り換えの間に駅舎内の物産店で純銅製のペーパーナイフを購入。新幹線に乗ってしばらくすると爆睡し、あっという間に東京駅で降りて深川丼を買って帰る。弥彦神社は品格のあるいい神社でありました。
8月20日 (金) 遺言書とまろやか干し梅(種なし)
 諸々の事務処理を終えて20時過ぎ、盆明け初めて「あら喜」へ行く。茶豆、冷奴、鰯の刺身をつまみながら兼八のロックを飲み、「あら喜」パパから遺言書にまつわる話をじっくり聴く。愛憎劇はどこにでもあるのだなア、と学んで0時半、帰宅。土産にもらった「種なしまろやか干し梅」(販売元/ダイゴコーギョー)を二個喰らって早々睡。
8月19日 (木) 次元の違う野球
 終日、自宅で高校野球観戦。その後知人と電話で話し、興南高校の優勝を予想。次元の違う野球の凄み、落ち着きが終始漂っているのだから恐れ入る。決勝戦の相手はきっと東海大相模だろう。
8月18日 (水) 狂暑はともかく
 8時、起床。午前中は"愛される理由"の原稿を書き、昼、送信。昼食後、すぐに送られてきた同原稿のゲラ校正をやって戻し、溜っていた新聞と雑誌を読む。気がつくと日が暮れていた。狂暑はともかく、日は確実に短くなっている。少し哀しい。
8月17日 (火) 永字八法三十回
 夕方、久しぶりに外出して銀座へ。偏愛する伊東屋へ行き、新しい万年筆を購入。ついでにモンブラン用のインクと文庫型のノートを3冊買う。葉書と便箋もと手を伸ばすが、自宅にまだ大量の在庫があるため我慢する。
 帰途、イソシア内にあるバーでビールを飲んで蛸のマリネをつまむ。鼻のぐずつきを気にしながら帰宅し、万年筆の試し書き(永字八法三十回)をして早々睡。
8月16日 (月) 本日も
 本日もおとなしく静養。まあ風邪をひいてなくてもこの狂暑では外出する気にならない。森毅先生を偲んで『数学的思考』(講談社学術文庫)を読む。
8月15日 (日) 湯治郷の瓦版
 朝、ひとり黙祷。終日、安静ついでの書見。『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』(菅伸子 幻冬舎新書)読了後、天山文化研究会発行の「湯治郷の瓦版」48号〜52号を熟読。温泉と箱根を知る良き資料、あらためて感心する。
8月14日 (土) 阿呆
 本日も薬を飲んで過ごすも、昼夜と自炊を楽しむ。皿洗いと掃除にも精を出し、夜、また熱がぶり返す。阿呆。
8月13日 (金) 予想通り
 昨夜の無茶がたたって終日横臥。ご先祖様、どうかご容赦を。
8月12日 (木) 久しぶりに仲畑さんと
 鼻風邪治らず、熱もまだあるため朝から薬を飲んで書見。しかし頭冴えず、高校野球中継をながめるうちにうたた寝。それでも食事だけはとり、ストレッチで汗を流す。
 15時半、仲畑制作所のM前さんから電話があり、仲畑さんからの伝言を聴く。了承して外出し、栄養ドリンクとボルヴィックをまとめ買いして帰り、それぞれ一本ずつ飲んで入浴。汗を流してさっぱりし、19時半過ぎ、六本木の「リストランテ・アモーレ」へ。ほぼ2年ぶりに仲畑さんとテーブル席に着き、シャンパンで乾杯。昨年新しい広告制作会社をつくられた仲畑さんの近況をお聴きしてからゆっくりと本題へ移り、おれも意見を述べ、いつしか以前のように活発に語りあう。かつては毎週のように会食して飲み歩き、何でもかんでも話をしていたからか、赤ワインを2杯飲み干したころには調子が戻り、体調も気にせず食べて飲んでまたしゃべる。カウンターで食事をとっていたフジテレビの某女子アナが席を立ったところでこちらも腰を上げ、挨拶を交わして見送り、同店の澤口シェフも連れだって近くのバーへ移動。三人でカウンターに座ってあらためて酒を飲みはじめたあたりから記憶が判然としないのだが、しばらく談笑後、仲畑さんに誘われるまま3軒目に向かう。しかし、その店はお盆休みをとっていた。仲畑さんも少し疲れ気味でこちらもあきらかに熱がぶり返しフラフラとあって、「今日は帰りますか」と声をかける。「そうだな」と話がまとまり、その場で別れる。
 帰途、なぜかどうしてもマッサージを受けたくなり、K2の事務所の近くにある店で30分間、背中と腰を揉んでもらい、完全に脱力した体でタクシーに乗込む。その後の記憶、霧の中。
8月11日 (水) 悪寒あり
 昨日、帰京する際の車のエアコンを浴びながらすでに感じていたのだが、今日はっきりと悪寒を覚える。鼻風邪で熱もあり、毎食後に薬を飲んで横臥。夜も迷わず早々睡。
8月10日 (火) 上質の酔狂
 7時40分、起床。隣室のU野さんと談笑してから土間の移動。薪ストーブを炊くも、気温があがってきたため薪を足すことをやめて炊事場へ。朝食の準備をする山田画伯と一三さんの手際の良さに感心しながらネギを刻む。土間では、山崎さんが美味しい納豆のかき混ぜ方を実演。成果は全員でいただいた。
 自炊による最後の食事を満喫してから温泉につかり、着替えと荷物の整理をすませて土間にもどり、たゆとう長閑な時間を惜しむ。13時過ぎ、箱根の山から下り、湯本の「天山」に寄ってテラスで休憩。地ビールとギネスビールを合わせて飲み、蝉と鳥の声に漫然呆然。ここでY二さんと別れ、鈴廣鈴なり市場で蒲鉾と干物を買って帰京。尾山台駅前で散会し、U野さんと二人で東急大井町線に乗りこみ、大岡山でU野さんとも別れて地下鉄で帰る。帰宅後はウータとオランにあちこち舐められながら長い時間を過ごした土間の光景を思い出し、そこにしかない時間の流れを復習。酔狂に上質があるとすれば、メディアも商売もないあの時間に身を委ねきって安寧を味わうことかもしれない。感謝する。
8月9日 (月) 参拝、キャッチボール、お絵描き
 7時半、起床。やわらかい日が天井から降ってくる朝風呂に入って着替え、霧雨を横目に土間の薪ストーブを炊く。気温21度。ようやく薪が燃えはじめたところでデッキチェアに深く腰を沈め、お茶を飲みつつ書見。10時頃、みなさんがどかどか集まってきてブランチ。ビールを飲みながら談笑。着地点のない言葉のやりとりが霧雨によくあっている。山中にいるのに南の島で昼寝をしているような感覚がいくどとなく体をよぎる。午後、晴れ間が出たところで車で出かけ、箱根神社に参拝。境内には中国語が飛びかっていた。
 宿泊所にもどって草野球話で盛り上がり、ならばと山田画伯がさっと作ってくれた紙のボールで山崎さんとキャッチボール。山崎さんがとても73歳とは思えないホームでいい球を投げ、一同驚く。その後、一三さんが炭火で焼き鳥や手羽先や玉蜀黍を焼きはじめ、その傍らで他のメンバーは扇子に絵を描きはじめる。山田画伯が用意してくださった水溶性のアクリル絵の具がたいへん使いやすく、焼きたての手羽先や焼き鳥に舌鼓をうちつつ全員でせっせと描き続け、日が暮れたころ完成。それからU野さんが満を持して調理された鮪の漬け丼(大盛)を喰らい、赤味噌の味噌汁をすすり、そして赤ワインをくぴくぴ飲みながらできたての団扇で顔をあおぐ。ゆる〜い土間話は夜中まで続き、最後はおれとY二さんとI井さんで磐座(イワクラ)話で締めて1時半、散会。今夜もゆっくり湯につかり、夜気と湯気にゆられてから直角睡。
8月8日 (日) 飲んで喰らって話して湯浴び、爆睡。
 7時40分、波の音に重なる子どもたちの歓声で目を醒ます。顔を洗って一階に下り、蝉が啼きじゃくる庭で書見。読み残していた川上弘美さんの『真鶴』(文藝春秋)、10時には読了し、男七人で素麺、うどん、フランクフルトを喰らう。その後は各々のんびりと過ごし、12時、懐風荘を出発。ここで帰京する丈樹さんを小田原駅で見送り、箱根へ上る。途中、三国峠(1,070m)で休憩がてら富士山を仰ぎ、自衛隊の御殿場演習場の広大さにあきれる。
 森の中の宿泊所に到着後は、土間に集まってビールを飲みながらだらだら歓談。日が暮れたところで自炊に移り、U野さん特製のまぐろのカルパッチョ、蛸の酢の物、山田画伯のトンカツが完成。白飯、味噌汁とともに今夜も男七人の晩餐がはじまり、ビール、焼酎、赤ワインもどんどん飲み干してしまう。いつしか辺りは闇に覆われ、時おり雷鳴が響いてきたが、それでも酒盛りと談笑はつづき、Y二さんから箱根の縄文期からの歴史をじっくり拝聴して1時過ぎ、散会。ひとりで温泉につかって部屋にもどり、雨音に気をとられた直後、昏倒睡。
8月7日 (土) 真鶴岩海岸にて
 予想以上に荷物が多くなり、タクシーに乗って尾山台駅前に向かう。渋滞もなく、9時45分に到着。10時前、山崎努さんが迎えに来てくださり、近くに停車している車に移動し、山崎さんの娘さん、お孫さん、山崎さんの中学時代の同級生U野さん、俳優の一三さんらと挨拶をかわして車に乗込む。川崎から東名高速に入り、予定より1時間遅れて真鶴に到着。岩海岸にある「懐風荘」に荷物を降ろし、Y二さん、ナレーターの丈樹さん、小田原から参加の山田画伯と対面。みなさん初対面とは思えぬ気さくさでこちらの緊張も解け、広い庭でビールを呑みあい、そのまま岩海岸唯一の海の家「しおさい」になだれこんで昼食。ここでもビールを呑み、枝豆とラーメンを食して懐風荘に戻った後は、それぞれ気ままに過ごす。庭に置かれたリクライニングチェアでビールを呑んで昼寝をする山崎さん、U野さん、Y二さん、お孫さんたちの後を追って海辺をぶらつく画伯、一三さん、丈樹さん、そしておれ。おれはたまたま捕まえた蟹を下のお孫さん、Tくんに渡して懐風荘に帰り、冷たいシャワーを浴びて庭でビールを呑み、べたつく潮風を満喫しながらうたた寝。
 18時、近くの料理民宿「岩忠」まで全員で歩き、採れたての魚を駆使した料理に感嘆。近辺の散策を終えて合流した山崎さんの次女で女優の直子さんらも加わるも、とても食べきれない刺身のてんこ盛りをずいぶん残したまま「岩忠」を後にし、すでに始まっている岩海岸の夏祭りを見学。懐風荘前の道に置いた椅子に寝そべり、お囃子の音を聴きながら海に浮かんだ数十個の灯籠をぼおっと眺めていると花火が上がる。絵に描いたような花火を見上げているうち急激に眠くなり、はっと目を醒ますともう終盤。花火が終わったところで山崎さんの娘さん、お孫さんらは帰京の途につき、おれはそのまま道ばたの椅子で眠りこけてしまい、再びを目を醒ますと、みなさんは懐風荘の庭に面した部屋で酒を呑みながら歓談していた。おれも遅れて席に座るや焼酎、赤ワインを勧められるまま呑み、山崎さんに求められて田村隆一先生との逸話を披露。みなさん大爆笑。40代〜70代の男7人がそろってだらだら呑み、語らい、笑いあいながら夜はどんどんふけ、2時半、ようやく散会。海岸に打ち寄せる波の音を聴きながら、二階の和室で即身成仏。
8月6日 (金) 新宮譚を肴に
 夜、「あら喜」に顔を出し、常連のH田さんと映画や小説の舞台になった土地の話、特に中上健次縁の新宮譚で盛り上がる。ビール、兼八、八海山を呑んで酔っぱらい、それから「acalli」に上がって頼んでおいた赤ワインを一本受け取って帰宅。トイレのドアに頭をぶつけて昏倒睡。
8月5日 (木) 元准勅祭東京十社、猛暑下に満願
 5時半、起床。すでに強烈な陽射しを浴びているベランダに出て水を撒き、そのまま浴室に移動して入浴。さっぱりしたところで創作。前進するどころか大幅に後退して8時半を迎え、帽子をかぶりデイパックを肩に引っ掛けて外出する。まずは御茶ノ水に向かい、聖橋を渡って湯島聖堂。以前は大成殿しか拝したことがなく、今回は孔子像の前でしばらく過ごす。二重の大きな眼と向きあううちに汗だくになり、小さいタオルで汗を拭いながら昌平坂を上がって神田明神へ。数名しかいない境内を進んで参拝し、男坂を下って秋葉原の電気街を抜けJR。亀戸で下車し、さらに激しさを増した陽射しの下、亀戸天神社まで歩いて参拝。神気も蒸発しそうな怒濤の陽光を避けて社務所で御朱印をいただく。これで元准勅祭東京十社をすべて巡拝を果たすも、あまりの暑さに呆然。いつもの半分の歩幅で東京暮らし23年目で初めて訪ねた亀戸の住宅街を進み、夏祭りを2日後にひかえた香取神社にも参拝して駅にもどり、両国へ。芥川龍之介生育地の碑を横目に回向院を訪ね、鼠小僧次郎吉と山東京伝の墓に参って顔を洗ってから馬頭観世音菩薩を拝む。最後に、かつて大相撲の興行地であった寺にふさわしい巨大な力像に感じ入って駅にもどると、地方巡業に向かう若い力士たちと遭遇。また、武蔵川理事長の会見があるからか、国技館付近には各テレビ局の報道中継車が集結していた。
 両国から秋葉原、そして山手線に乗り換えて田町に帰り、くらくらの体(てい)でタクシーに乗込んで三の橋に向かい、「acalli」に顔を出す。2月から始めたというランチメニューからフィレステーキランチとランチビアを注文。ビールはすぐになくなり赤ワインを呑みながらがっつり喰らい、最後はよく冷えた白ワインを呑みつつK二くんとおしゃべり。15時過ぎに店を後にし、帰宅後すぐに水風呂に浸かる。浴室を出ても何も考えられないままソファで全裸漫然。半時間深い眠りに落ちてようやく少し体力を回復し、あれこれ雑務を片づけて蕎麦と天麩羅で夕食をとり、早々に昏倒睡。
8月4日 (水) 外出が怖くて
 5時過ぎには起き出し、植物群への水やりを終えてから紫陽花の剪定。それから溜っていた事務処理をこなし、拙著『あたらしい図鑑』と『最後の七月』をテスト問題に使いたいという会社に許諾の連絡をする。朝食後は、大学の春学期分の最終評価作業に集中。10時前にすべて終え、「週刊朝日」のゲラ校正をやって編集部に戻し、『江戸東京《奇想》徘徊記』(種村季弘 朝日文庫)を読む。気さくな文章に博識を織りまぜつつ綴られる東京各地の歴史的エピソードに引きこまれ、ムショーに亀戸天神へ行ってみたくなるも狂暑におそれをなしてアイスノン睡。日が陰ったところで目を醒まし、まとまった学生の評価点をパソコンで入力する。19時半に完了し、海鮮丼をかっこんでソファ睡。外出が怖く、もう一週間、一滴も酒を呑んでいない。
8月3日 (火) 「オタク」と「就職氷河期」
 遅れていた「愛される理由」を19時までかかって書き、推敲、送信。45分後にゲラが届いて驚く。一方で、嬉しい便りが2通届く。旧知の編集者が編集長に昇進したのだが、厳しい状況下だけにその力量を惜しみなく発揮してほしいと願う。夜は登山関連の本と週刊誌を読み、「週刊朝日」の中森明夫さんの今週のエッセイ、"唯「我慢」論のススメ"に瞠目する。「大人になるとは我慢すること」という指摘はまったくそのとおりで、この視座から現在の日本に起きている事象を解読するアプローチは芯をくっている。自ら披瀝されているが、ぜひ新書あたりで一冊にまとめてほしいと期待する。
 ところで、中森さんはおれと同じ1960年生まれなのだが、彼とはいつか一度じっくり話をしてみたいと思っている。"オタク"と"就職氷河期"を造語した二人による対談。きっと面白くなると思うのだけど、編集者のみなさん、この企画どうでしょう?
8月2日 (月) 熱中症もどき
 「愛される理由」を書き出してほどなく頭がぼーとしてしまい、ひょっとして熱中症? と不安になって中断。熱中症で亡くなっている方々の多くは室内で発症しているという報道を思い出し、かっちかちに凍ったアイスノンにタオルを巻いてベッドに倒れこむ。再び机の前にもどることなく横臥をつづけ、夜も早々に床につく。I田さん、すまん。
8月1日 (日) 遺体を彼女に見せろ
 111歳のミイラ遺体事件、まいっちゃうな。真に奇妙な事は小説家の頭の中ではなくいつだって巷の端々で起きているのだが、このような事態を(アイデアとして)思いついたとしても小説にするのは難しい。空々しさがリアリティを超えてしまうからだ。これからあの家族への取り調べが本格化するはずだが、一方で有象無象のジャーナリストとノンフィクション・ライターが取材を進め、記事や書籍として発表することになる。そして、このような事例は今後の小説の一部を形成する素材となっていく。メインでは後追いでしかないから、あくまでも作品を構成する或る出来事に止まるのだ。
 ところで、大阪のネグレクトの事件はすでに是枝監督が表現した世界の変形として映る。しかし、今回棄てられた子どもたちは3歳と1歳だ。3歳の子はインターホン越しに絶叫しただろうが、1歳の子は泣くしなかったと察する。おそらくは1歳の長男が先に逝き、幼い姉はその亡骸の隣で最期まで声を発し続けたに違いない。母親に殺意があったのはあきらかなだけに、是枝作品のような崩壊にいたる過程すらそこにはない。数十時間をかけた放置殺人、それだけだ。想像するたびに息苦しくなる。
 この母親が極刑になるからどうかは別の問題だが、どうであれ、姉弟の白骨化しはじめた遺体を彼女に見せるべきだとおれは思う。「私は二人の我が子を殺した」などという抽象的な総括を彼女に与えるのではなく、自分がしでかした実際をその目に焼き付かせること。ひょとしたら彼女は発狂するかもしれない。しても不思議がないことをしたのだから、まずはそこからだ。秋葉原無差別殺傷事件のケースを見てもわかるように、一定の思考力と時間的経過があれば反省なんて誰だってできる。自分の行動の結果をできるだけ生々しく目撃させることから内省をはじめさせなければ、被害者は浮かばれないだろう。
 ネグレクトに陥る親は自分もそれに近い体験をしていることは、昔、「ダ・ヴィンチ」で特集した際に詳しく学んだ。彼女にもそのような苦難があったらしいが、だからといって彼女に情状酌量する必要はない。そのような連鎖については別のテーマとして議論すればよく、問題はあくまでも二人の子どもの命が絶たれたという事実だ。一人一回の命である。それを自分が絶った。その絶対的事実とまずは対峙するところから始めなければ……、しかし、ここまで書いてみても子どもたちの絶叫が耳から離れない。南無阿弥陀仏と囁いても、閉じかけた腫れぼったい目が虚空に浮かんでいる。
7月31日 (土) 猫背の理由
 せめて朝のうちにと外出し、いきつけのカフェでカフェラテを飲みながら往来観察。みなさん暑さにうなだれ気味で、若い女性ですら猫背になって歩いていた。北風ばかりが人の背を丸くするわけじゃない。ちょっとした教訓を得て隣のクイーンズIsetanに逃げこみ、鳥肌がたつような冷気を10分間味わって帰宅。学生の出席簿をプリントアウトして採点の準備を整え、その後は書見と惰眠で夜を迎える。
7月30日 (金) 食欲だけは
 本日も暑さに恐れをなし、外出をさけて書見。『縄文聖地巡礼』読了。『虐殺器官』(伊藤計劃 ハヤカワ文庫)の冒頭部だけ読んで夕食。食欲だけは元気だ。
7月29日 (木) なしくずし
 外出を避け、『ised 情報社会の倫理と設計』(東浩紀 濱野智史/編 河出書房新社)にざっと目を通し、それから『死体について』(野間宏 藤原書店)をぱらぱら読む。精読する気力なく、なしくずしの夜を過ごす。