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酔狂記

12月16日 (木) 回復
 夕方、歯科へ行く準備をしながら鏡を見、やつれきった顔に驚く。ほぼ17時間だけの病状だったとはいえ、不意の嘔吐の連続はやはりこたえた。体重も1kg余り減って60kgになったが、思えば、「ダ・ヴィンチ」創刊後に肺結核を患ったときは51kgまで痩せたのだった。172?、51kg。ジャニーズじゃねぇんだから仕事にならんよな、たしかに。
 最新セラミックスの冠歯を装着してもらって歯科医院を後にし、前回と同じく長寿庵で鴨南せいろを喰らう。鴨肉もへっちゃらの歯ごたえを楽しむ。帰宅後は、書見。体調回復し、間食もはさみつつ竜馬本とマーケティング本を交互に読む。
12月15日 (水) ノロ、去ったか?
 横になると吐き気が生じるという症状に戸惑い、一瞬、休講するかとも考えたがそれもつまらんと意を決して着替えをはじめ、顔面蒼白のままレジュメを整理して外出。途中、コンビニで栄養ドリンクを買って飲み、鞄にポカリスエットをしのばせて駅へ。自分でもどうなるかと懸念しつつ授業をはじめ、いつもどおり椅子に座ったり立ち上がって板書したりしながら話をつづけ、気づけば終了10分前。そこでひと安心してゆっくりまとめ、終業チャイム直前に終えて安堵した。
 帰宅後はようやく眠気がぶり返し、しばらく横になってから「遺書、拝読」のゲラ校正をやって編集部に返送。それからレトルトの梅粥を温めて本日初の食事をとり、体が十分に暖まったところで早々睡。ノロ、去ったか?
12月13日 (月) ノロか?
 10時前、予約していたタクシー2台に分乗して東海市高横須賀にある施設へ。到着後すぐに責任者と担当ヘルパー、ケアマネジャーに挨拶をして家具などのセッティング。そして着替え類を収め、ベッドの高低などを調整して食堂へ移動。すでに入居している数名の高齢者の方々に挨拶をし、父親が昼食をとる姿を見守る。あらためて彼を包む老いの深さに感じ入りながらも、ぺろっと完食できる食欲に苦笑。主治医の診断どおり、内臓には何も問題ないらしい。
 ヘルパーさんに手をひかれて父が自室にもどったところで関係者全員で今後の方針を確認し、必要書類に母と姉がサインして散会。補聴器をつけても反応が鈍い父といくらかの会話をして別れ、母、姉、K子さん夫妻らと昼食をとって実家にもどる。母の困憊を労いつつ帰京の途につき、18時前に品川駅。深川飯を買って帰宅し、漫然と夜を過ごしていると突然、吐き気が。トイレへ駆けこんで便器の前に屈んだ途端、噴射! 自分でもあきれるほどの嘔吐物にただただ驚く。アルコールをまったく摂取してない上に胸焼けも腹痛もない状態での嘔吐なんて生まれて初めて。困惑してトイレからリビングのソファにもどり、水分を補ってから床について10数分後、不意にまた吐き気が起き、再びトイレへ。さらに嘔吐し、これはちょっとヤバいかもと自身の変調に不安を覚えたまま朝を迎えてしまった。ノロか?
12月12日 (日) 86回目の冬
 5時から「遺書、拝読」の原稿。13時半、脱稿して送信。添付ファイルの原稿データを忘れて送り直し、シャワーを浴びてから荷物をつめて外出。タクシーで品川駅まで行き、名古屋まで指定をとろうとしたら三島駅付近で接触事故が発生したためにダイヤが混乱しているとわかる。そこで一番早く回復するのぞみの空席をとって乗り込み、予定どおり夕方には名古屋に到着。18時半に実家に戻り、介護施設に入居が決まった老父と顔をあわせる。
「何しに来た」
 小さく縮んだ父は、食事中の箸をとめてそう言った。あきらかに怒りと誹りの感情がこもっているその声を聞き、おれは良かったと思った。おれを叱ることのなかった父が、納得できないまま施設に移る不満をぶつけるべくしてぶつけてきてくれたのだ。もっともな感情まで押し殺して転居させることは忍びないから、おれは安堵した。
 それから母と居酒屋「二郎」へ行き、ここ一ヶ月の父の状況を詳しく聞きながら食事をし、やつれた母をねぎらう。店の壁には今も、元気なころに父が店主に頼まれて書いたメニューの短冊が並んでいた。父らしい繊細で丁寧な文字だった。
 帰宅したときには父はもう正気にかえり、照れくさそうな表情でおれたちを迎えてくれた。諦観と怒気にからめられながら86回目の冬を送る父。真夜中の湖を見ているような気分になり、おれはただ見守るしかできなかった。
12月11日 (土) 第86回
 池部良さんの本を3冊読了。「遺書、拝読」(中央公論連載)第86回の原稿を書きはじめ、眠くなったところで早々に就寝。
12月10日 (金)  
 3時、起床。明け方まで創作。7時、玄関前より富士山遠望。その見事な姿にしばらく阿呆になる。その後は終日書見で過ごし、眠くなったところでウータと同衾睡。
12月9日 (木) 鴨肉、失敗
 左上の歯の治療が本格化し、セラミックス材で対応するために型を取って微調整。痛みはなかったが嫌な臭いがした。麻酔が効いたまま帰途についたところで空腹を覚え、ふらっと長寿庵に入って鴨南せいろを喰らう。冷静になって考えれば硬い鴨肉は避けるべきで、慎重に噛む歯を選びながらの食事となってしまった。
12月8日 (水) 合間は時間考
 大学での授業を終え、「crescendo」でひと息ついてから地下鉄に乗り、ずいぶん久しぶりに神保町へ。東京堂書店内をゆっくり巡り、客の少なさに戸惑いつつ二階で一冊の本を購入。帰りの地下鉄の車内で早速その本を開いて読みはじめるも、序文を終えたところで終点に着いてしまった。神保町は大学の最寄り駅までのほぼ中間にあることを忘れていた。
 そそくさと本を鞄にしまい、時間について考えながらようやく寒くなった外気をあびて帰宅し、食材がないとわかって「あら喜」へ向かう。H田夫妻の隣のカウンター席に座って寒ブリの刺身、焼き牡蠣串、指宿産の新空豆をつまみつつ神亀の熱燗を飲む。仕事で40以上の国々を訪ねているH田さんの珍道談はいつ聴いても面白い。最後はネギ間汁をいただいて帰宅。父の老人ホームの入居日が決まり、また時間について考えながら池部良のエッセイを少し読み、彼が92歳で逝ったことに感嘆して床につく。
12月7日 (火) 師走の舞台
 語っている内容の真偽はともかく、海老蔵の記者会見にはほとほと感心した。千両役者とはこういうものかとその表情の変化、間合いの長短、口跡の折り目などにいちいち感じ入った。公序良俗では縛れない真のスター、海老蔵。京都南座の顔見世興行に穴をあけた代わりに、この会見が彼の師走の舞台となったかのようだった。
12月6日 (月) 食欲をうながす
 13時、都ホテルにて文春新書のS谷さんとお茶を飲み、あれこれ歓談。14時半に別れて自宅にもどって軽い昼食、書見。17時半、予約していた歯科医院へ行き、抜歯した二カ所の診察を受け、今後の治療計画を話しあう。今回は保険枠を気にせずにすべてにあたってもらうことでまとまる。帰宅後、抜歯してからはっきりと落ちた食欲をうながすべく外食へとまた出かけ、白金高輪駅近くの「酒房 千年」でまずは八海山を一杯だけ飲んで蛸の唐揚げをつまみ、仕上げに肉南蛮そばを喰らって帰る。
 夜中は、佐野洋子さんが著書の中で紹介していた林語堂の本を少し読んでウータンと抱擁睡。
12月5日 (日) アンちゃん海老蔵がおれは好き
 マスメディアではまだまだ賑やかながら、個人的には、「酒乱海老蔵半殺し事件」への関心は急速に鎮まりつつある。唯一の興味は、警視庁1課が動いた理由だけ。事件捜査の長期化の背景には、彼らが狙っている「何か」との関連があるのだろう。それほどに海老蔵がつきあってきた人脈は暗部へと伸びているに違いない。海老蔵自身は無邪気にいきがっていただけだろうが、今回の件と思いがけない捜査とがつながっていることも十分にありえる。
 まあ、そんなことへの思慮などこれっぽちもなく飲んでいばって殴られているアンちゃん海老蔵が、おれは好きだ。松竹をはじめ周囲はまったくもっていい迷惑だが、こんな輩が今世紀の日本の芸能界にまだ存在できていることを、おれは苦笑しつつ嬉しく思う。彼の荒事をまた観たいと素直に思っている。
 さて、海老蔵は40歳まで舞台に立ち続けられるだろうか。
12月4日 (土) 終日
 歯茎の痛みもなく、終日、書見と惰眠で過ごす。
 よく飲んだ一週間でありました。
12月3日 (金) 必須の小道具
 15時半、都ホテルのラウンジで次作の担当者S川さんと打ち合わせ。打ち合わせというより遅れている原稿の状況報告をし、お互いの近況を語りあいながら昨今の小学校高学年の必須小道具について教えてもらう。携帯電話、ゲーム……そうなんだよな。18時近くまであれこれ話し、それから「あら喜」へ移動。再会を祝して乾杯し、旬の肴をつまみながら話を続ける。はたと気づけばずいぶん時間が過ぎ、S川さんのプライベートについてもあれこれ聞く。また、常連のお客さんでもあるデザイナーのY津さんを紹介したり、現役小学生のkarenから現場の状況をヒアリングしたりして深夜となり、ようやく散会。タクシーに乗り込むS川さんを見送ってから麻布ラーメンまで歩き、最後まであら喜にいたアラフォーたちとラーメンを喰らって帰る。
 次作の資料として買い込んでいた『竜馬がゆく』(文春文庫)を数ページめくったところで必然のソファ睡。
12月2日 (木) 抜歯後、山崎さんの74回目の誕生日を祝す
 14時半すぎ、予約していた歯科医院へ。診察台に座るやいなや施術がはじまり、右下の奥歯だけでなく右上の縦にひびが入っている歯も抜くこととなる。そして麻酔が注射され、痛みを感じなくなったところでいよいよ抜歯。男性医の腕力をうんぐうんぐと顎に受けつづけること20数分、口に何かを入れられてふらふらになった頭を起こされる。そのまま10分近くたって口内物が取り出されて見せてもらうと、血だらけのガーゼだった。助手の方から新たなガーゼを口に突っ込まれて「お大事に」と言われ、呆然としたまま待合室へ移り、支払いをすませた後、「これとうすればひひんですか」と自身の口を指差して尋ねる。受付嬢に「ちょっと見せてください」と言われるままガーゼを取り出すと、まだ真っ赤。そこで先ほどの助手さんが呼ばれ、またガーゼを突っ込まれる。
 ぼおっとした頭と半開きの口で帰宅し、ガーゼを取り出すとまだまだ濃い血がたっぷり付着していて驚き、緩慢な足取りで再び外出。近くのドラッグストアで医療用カット綿を購入して帰宅後、玄関でその綿を口に押し込む。それからは創作をあきらめてソファで漫然。天井を見つめているうちに時間の感覚が消え、はっと気づくと30分が過ぎていた。
 それでも17時45分には三度目の外出を決行し、品川駅の港南口へ初めて足を踏み入れる。無機質な高層ビル群の間をぬってグランドセントラルタワーの地下にある「ジャックポット品川」へ行き、山崎努さんの74回目の誕生日祝いに参加。すでに赤ワインを飲まれているみなさんに抜歯の報告をしてウーロン茶で許していただき、カメラマンの原田さんが語る視覚効果をあげる撮影手法話に引込まれる。黒澤、深作の両監督は、撮影(カメラワーク)という視点からもやっぱり偉大なのだ再認識し、気づけば赤ワインを口に運んでいた。その後は二次会(アダン)、3次会(GONZO)と流れたのだが、どちらもうちの近所の店だったため、1時過ぎ、最後はみなさんを見送ってから帰宅。さて、おれの歯と歯茎はいったいどうなることやら。
12月1日 (水) 酔って候
 起きて5分後に机に向かい、学生の課題原稿を読みはじめる。風景描写がテーマながらやっぱり説明文が並んでいた。ただし、間違いなく文章力は向上している。今後に期待しつつ全ての原稿にコメントを添え、シャワーを浴びて出講。16時半に大学を後にし、「crescendo」で生ビールとコーヒーを飲んでひと息つく。ここで帰途につけばいいのについバーボンのソーダ割りを頼んでしまい、マスターと二人きりで談笑。結局3杯も飲んで地下鉄で帰宅し、荷物を置いただけで再び外出。白金台にある「さくらさくら」へ。「週刊朝日」のI田さんとN村さんと忘年会。梅酒を飲むお二人を前に、こちらは吉乃川のぬる燗をクピクピのみ、"過去化"や"明るい絶望"についてべらべら喋る。
「来年もよろしくお願いします」で散会し、地下鉄に乗って一駅分もどり、己の酔狂ぶりを女々しく悔いながら二度目の帰宅をはたす。
11月30日 (火) あかん
 右下の奥歯、じくじく痛む。あかん。創作、8枚。あかん。「週刊朝日」のゲラを戻して退却睡。
11月29日 (月) 神経、残る。
 15時まで"愛される理由"の原稿。推敲してI田さんに送信し、歯科医院へ。左上の歯、神経をとらずに治療できると判明。今後は右下の奥歯の治療を優先することで話がまとまる。帰宅後は、麻酔が残る頭で書見。麻酔がきれたところで創作に移る。7枚。
11月28日 (日) 最後は弥太郎
 う〜ん『龍馬伝』の最終回、不満武士の仕業として扱いましたか。なるほどね。それにしても、龍馬は最期まで爽やかでありました。あらためて設定キャラクターの貫徹こそ大河ドラマの肝要と学んだ次第。梅毒の件などふれられるはずはなく、汚濁の役割は弥太郎にすべて担ってもらったということか。しかし清廉よりも汚濁が人の印象に残るのは世の常で、コメディかと疑うような死に姿の余韻もあって、現時点では弥太郎の最期の方がすぐによみがえる。香川照之、伝者にふさわしく最後はもっていきました。
 深夜、『宇宙は何でできているのか』(村山斉 幻冬舎新書)をようやく読了。素粒子、おれには無理。
11月27日 (土) 8年半ぶり
 本を読んでいても原稿を書いていても歯がしくしく痛み、昼過ぎ、近所の歯科医院に予約の電話を入れ、15時半に通院。診察券の裏側を見て、2002年4月以来と知る。女医の指示の下、レントゲン撮影後、とりあえず今痛い歯の応急処置を施してもらう。他に2カ所の治療も必要とわかり、長期戦を覚悟。明後日の予約を入れて帰宅し、夜は歯にやさしいものをと考えて湯豆腐を喰らう。美味。
11月24日 (水) 饒舌酔睡
 午前中、学生の課題原稿を読んでコメント記入。40人弱の原稿、これまでの中でもっともレベルが安定。感心する。
 昼後、レジュメの整理をして出講。16時半に大学を出て、地下鉄と山手線を乗り継いで新宿へ。西口にある「BAKABONDO」に初めて行き、先に2階に集まっていた山崎努さんや山田画伯、U野さん一三さんらと乾杯していつもの酒宴に突入。途中、「週刊文春」のS尾デスクも加わって火に油が注がれ、とめどもなく談笑盛り上がる。その後、山崎さんら4人で思い出横丁の焼き鳥屋に流れ、赤ワインを飲みつつ島らっきょやトマトなどを喰らい、山崎さんから昔のドラマ撮影にまつわる逸話を聴く。これがまあ面白く、しかも名優が回想しつつさらりと芝居をしてくれるのだからつい引きこまれ、店を出たときにはきっちり酔っぱらっていた。声優のS藤さんに指示されるまま横丁の所々で山崎さんと一三さんと写真に収まり、みなさんと握手してタクシーに乗り込んで帰宅。山崎さんから聴いた、病床にある佐野洋子さんとの面会話を思い出しながら饒舌酔睡。
11月23日 (火) カキフライ
 夕方近く、注文していたコンタクトレンズの受け取りのために麻布十番まで散歩。若い家族づれでにぎわう網浜公園脇を通って店を訪ね、気持ちよく件の品をもらって近くの書店に寄り、雑誌2冊と新刊の小説本を2冊買って空腹を覚える。しかもカキフライを食べたいと、はっきり思う。そこで「エドヤ」に向かってみると、夜は17時からとあった。腕時計を見ると16時46分。店前で待ったり行列にくわわることが大嫌いな者としては、いつもならすぐに立ち去るところなのだが、厨房からもれてくる油の香りが芳ばしく辛抱ならず待つと決意。開店準備に勤しむ従業員の方と言葉をかわしながら時間を潰し、17時、ドアが開くと同時にカキフライと白ワインを注文。後からガーリックトーストとロールキャベツも追加し、「旨い!」と快哉のつぶやきをもらしながら食べ続け、完食後すぐに席を立つ。
 夜、創作。腹ふくれ過ぎてイメージ貧困。
11月22日 (月) ついばむ
 終日、「遺書、拝読」第85回を書く。佐野洋子さんについて『役にたたない日々』をもとに言及する。18時半に脱稿。推敲してN西さんに送信し、19時半、あら喜へ。珍しく常連さんがそろったカウンターに座って生ビールを飲み、〆鯖や鶏蒸しあたりからはじめ、神亀の熱燗をくぴくぴ飲りながら魚卵系の料理を次々とついばむ。23時前にみなさんとともに腰をあげ、ほろ酔いのいい気分で帰宅。即身成仏。
11月21日 (日) 慶喜像
 『龍馬伝』のラス前を観る。大政奉還。今回の大河における徳川慶喜は、これまでとは真逆のイメージを強調している。なんと感情的で好戦的な人物か。本木さんが演じたときの静的知的とはまったく違う設定に少々あきれるが、実際はどうだったのだろう。勝海舟の回想記にあたればわかるのだろうが、今はやめておく。
11月20日 (土) 正直であることの痛快と苦悩
 佐野洋子さんの『役にたたない日々』(朝日新聞出版)を読む。これでたしか4度目なのだが、まったく色あせない響きを腹に、脳に感じる。正直であることの痛快と苦悩が充満した日々、人生。そんな日々は余命宣告を受けてもかわらない。人は生きたように死んでいく、その証のようなドキュメントの凄みが快いのだ。
11月19日 (金) ふた昔
 最新号の『en-taxi』を気のむくまま読む。
 佐伯一麦さんの連作、佳し。岡田修一郎さんと福田和也さんの対談(金持ちのみなさん、お待たせしました)は、外野の"歯医者さん"と"エライ人"がいい味を添えている。上原善広さんの「浅草新町、荒川、墨田ー東京の路地」を読んで久しぶりに弾左衛門に関する資料にあたってしまう。小室直樹氏を追悼する橋爪大三郎さんの文章に深くうなずく。加藤陽子、佐藤優、福田和也の三氏による鼎談「ポスト安保の思想と運動」は、もう8頁あればと尻切れ感をうらむ。そして最後に坪内祐三さんの文藝綺譚「十年ひと昔」を読み、タイトルどおり10年前に引き戻された。
 10年前の2000年11月末、坪内さんは新宿で暴漢に襲われて重傷を負ったのだ。その噂はすぐに業界に流れ、まだ「ダ・ヴィンチ」の発行編集人だったおれも「瀕死の大怪我らしい」と耳にした。詳細については年明けに松田哲夫さんから聴いた。事件が起きたとき、松田さんは坪内さんと一緒にいたのだった。今回の文章には当時の実状が淡々と書かれていた。新世紀を病院で迎えた心情が鮮やかに見えた。坪内さんと福田さんの出会いと、この事件を契機にその関係が深まっていった経緯がもう一本の柱となっていて、彼らが「en-taxi」をともに立ち上げた背景もわかる。この間、10年。正直、もうふた昔前の感がある。
11月18日 (木) 停止
 終日セルフ自宅軟禁。創作、進まず。
11月17日 (水) ペットボトルときましたか
 6時45分、起床。昼過ぎ、出講。終了後、そのまま西巣鴨で過ごし、夜、ボジョレーヌーボーを飲む。バブル時より飲みやすさが売りのワインながら、瓶がペットボトルになっていてさすがに驚く。帰宅後、茶漬けを喰らって葡萄睡。
11月16日 (火) 汚泥唾をかぶった大臣よ
 柳田法務大臣は辞任しかないな。論ずるに足りない浅薄、天に唾して百倍になった汚泥唾を顔面に浴びている体(てい)だ。それ、死んでもとれないよ。たとえ死んだって、トホホな政治史として語りつがれるからね。まいったね。
 法務ついでに言えば、さんざんっぱら書いてきた裁判員裁判よ。ついに死刑判決が出た次第だが、再来年の見直しを待つことなく一刻も早く議論を始めるべきだ。裁判長が控訴を促す判決を下す、という論理的に破綻した事態がすでに生じているのだから待ったなしだろ。とはいえ、その動きを促すべき法務大臣がこれだからな……暗澹を通りこして絶望の淵を覗いてしまいそうだ。日本の政治と行政の周辺は、もうどうしようもないレベルまできているのかもしれない。
 本腰を入れて考えてみよう。
11月15日 (月) 此の夜の観音は
 5時半に起きて「週刊朝日」の"愛される理由"をほぼ書き上げ、7時過ぎ、着替えて外出。地下鉄で浅草まで行き、東武浅草駅に移動して関さん、U崎、S水さんと合流。日光へ。
 駅前からバスに乗っていろは坂に揺られ中禅寺温泉で下車し、まずは華厳の滝を鑑賞。大府中学校の修学旅行以来とはいえ、さほどの感慨湧かず、やせ気味の水量ばかりが気にかかる。専用エレベーターで地上にもどり、歩いて中禅寺に移動。板東三十三カ所第十八番札所の同寺は、延暦3年(784)に建立された古寺。名前のなかった男体山の麓の湖にもその名がつけられたほど古く、日光(二荒)のご神体である男体山初登攀をはたした勝道上人の作とされる千手観音は、一本の桂の木を立ったまま彫ったものらしい。そのために「立木観音」と称される仏さんのまあ麗しいこと。陰影のきいた表情は見るほどに深みを増し、50代のおっさんおばさん、しばし呆然と仰いで手をあわせ、それから近くの食堂で暖をとる。
 鍋焼きうどんを喰らった後、みぞれが降り出す寒気の中、遊覧船に乗って対岸の菖蒲ヶ浜に渡り、竜頭の滝まで歩く。こちらは17年ぶり。霰(あられ)に打たれながらバスを待ち、乗車後は、関さんからいただいた亡母の追悼歌集『銀杏』を熟読。東武日光駅までずっと読み続けて感じ入り、短い感想を関さんに伝えて今度は電車に乗り込み、缶ビール、日本酒を飲みつつ歓談しながら帰京。そのまま4人で「二葉」に流れて燗酒と名物釜飯で仕上げ、日光の寒気がついてきたような東京の夜の下、それぞれ家路へと急いだ。

 此の夜も又独りにて過さむか愛でし銀杏は雪衣かむる    関 ミチ
11月14日 (日) ことばの哲学
 見本として届いた『真実真正日記』(町田康 講談社文庫)の解説を読む。10余枚ながら町田康論を書こうとした小文。興味のある方はご高覧、ご笑読ください。
 夜は、『ことばの哲学 関口存男のこと』(池内紀 青土社)を読む。まったく知らなかった「語学の鬼才」、関口存男の本質にすっとふれ得る内容に引きこまれる。彼がドイツ語を習得する経緯、大著『冠詞』三部作にいたる長年の文例収集と分類がとくに面白い。池内さんはヴィトゲンシュタインとの類似性についても指摘し、タイトルにも表された、関口の特異で先端的な思考をうまく顕彰していた。また法政大学草創期に同僚だった内田百間との気質の違いを素材に、教育者としての関口の魅力も紹介。未知だった人物が多面的に輪郭を帯びはじめ、ひととき、伝記を読む醍醐味を味わった。
11月13日 (土) 初赤羽
 午前中、魚藍商店街主催のスタンプラリーに参加し、近隣にある12の寺を巡る。どこも何度か足を運んだところだけに驚きはなかったが、お化粧延命地蔵("作品と猫と猫"に写真掲載)で知られる玉鳳寺で干支にちなんだ根付けをいただいて喜ぶ。90分ほどでスタート地点にもどって福引きを引くと、茨城産の米と魚藍手ぬぐいが当たる。参加賞の魚藍どら焼きや飴までもらってから隣のピザ屋で昼食をとって帰宅。ひと息ついて仕事にとりかかる。
 夜、書きかけの原稿を置いて外出し、刺身を用意して待つと呼び出された赤羽へ。生まれて初めて赤羽駅で降り、20時過ぎ、S本さんがオーナーの「とんぼ」なる居酒屋へ顔を出して会食。短時間で飲んで喰らって話して22時過ぎには帰途につき、上野駅で水戸まで帰る方を見送ってまた電車に揺られる。赤羽はストリートミュージシャンもいたりして、想像以上ににぎやかな街だった。
11月12日 (金) 引っ越しの条件
 「週刊ダイヤモンド」の今週号は、"宗教とカネ"を特集していて面白かった。経済誌らしくカネやビジネスモデルの視点から20大新宗教を分析、中でも何かと目だつ幸福の科学に多くの紙面を割いていた。白金近くに暮らす者としては、同団体の建造物が近隣に増殖していて嫌が上でも気になり、つい精読。坂本龍馬から生きている人物、さらには宇宙人まで降霊させてまとめられる霊言集なる本の印税が圧倒的な資金源になっているらしい。とほほ。年間収入は1,700億円とも……。いったい何が教義なのかは知らねど、このままでは南麻布、高輪、白金界隈は、DHCと幸福の科学の関連ビルばかりが目だつ街になってしまうのではないか。
 当地に越して来て13年目、もしそうなったら迷わず引っ越すと決めている。
11月11日 (木) 赤信号
 朝顔、一輪咲く。終日、創作。6枚。21時前にacalliへ行き、遅い夕食をとる。途中、コント赤信号の渡辺正行さんが来店するが、気にせず赤ワインを飲んでK次シェフと歓談を続け、1時に帰宅。即身成仏。
11月10日 (水) 短い髪はすぐ乾く
 夜明け前から創作。10時半までやって入浴、洗髪。短い髪はすぐ乾くから外出の準備もスムーズに終え、身支度を整えてからレジュメの整理。14時前に家を出て大学へ行き、講義を終えて「crescendo」に立ち寄り、コーヒーとビールを飲んでひと息ついて赤ワイン。小さなグラスで3杯、ぐいっと睡魔に包まれ、慌てて退散。半睡状態で地下鉄に乗って帰宅し、野菜の掻き揚げ付き蕎麦を喰らって牛になり、21時、迷うことなく早々睡。
11月9日 (火) 1枚
 朝顔、二輪。『梅棹忠夫 語る』(聞き手 小山修三 日経プレミアシリーズ)を100頁ほど読んで創作。1枚。
11月8日 (月) 歳々、だくだく
 午後、好天に乗じて伸びた髪を切る。どうしたことか年々歳々、髪が天然パーマに化けていく。
 夜、豚と牛でしゃぶしゃぶ。腹八分ながら食後ほどなく急激な睡魔に襲われ、21時過ぎ、ウータと抱きあいながら早々睡。寝汗だくだく。
11月7日 (日) 転回すべく
 弱り目に祟り目。
 日本外交の現況は中国、ロシア、そしてアメリカからそのように扱われている。では、日本の弱り目とは何かといえば、首相交替ゲームである。リーダーが一年ごとに数年間も入れ替わる国など、相手から見ればまあ、本格的に交渉する相手にはならないわな。現在おきている難事の果てに得をするのはアメリカに違いなく、思いやり予算の増額は彼らの目算どおり増えるだろう。漁夫の利、簡単に風刺画に仕上げられる漁夫の利の構図。……まったく。

 ドラゴンズ敗戦。和田、浅尾、ネルソン、森野はよくやりました。オリックス後藤、ベイスターズ内川をFAで獲得できれば、来年は日本シリーズでも勝てると思う。
11月6日 (土) ネルソン、来年は先発だな
 横浜でやっている石井孝典くんの写真展、『にお』を観に行く予定でいたのだが、病み上がりの体調に配慮して終日セルフ自宅軟禁。18時過ぎから日本シリーズ中日vsロッテ6戦をテレビ観戦し、0時前、疲れきって閉口。5時間43分か……。それにしてもロッテのセットアッパーは、内を筆頭にレベル高し。ネルソンは、来年は先発だな。
11月4日 (木) 深夜に尖閣漬け
 朝顔、一輪咲く。
 夜、理論社の民事再生法申請にともなう東京地裁向けの書類を作成してひと息つき、池部良さんのエッセイ集を少し読んで新たな本を注文しようとネットにつないだところ、Yahoo!ニュースに「尖閣諸島衝突ビデオ流出か?」の見出しが。訝りながらチェックすると、You Tubeに6本の映像があるではないか。日付が変わり、さくっと注文をすませたら入浴して寝ようと思っていたのについ夢中になり、vol1(7:30)、vol2(8:09)、vol3(11:21)、vol4(11:24)、vol5(3:33)、vol6(2:29)すべてをじっくり鑑賞してしまう。発信者はsengoku38。
 まず、これらが本物の映像を元にしていることはすぐにわかった。
 1回目の衝突はvol4にあり、時刻は10:16。2回目はvol5にあり、時刻は10:55。どちらも、とうてい漁船とは思えない舵さばきによる故意の衝突であることは明らか。やれやれ。と息を吐いたところで無論、あれこれ考えさせられた。
 流出者は何者か。その意図は。sengoku38を「仙石左派」とか「仙石さんパー」と読んだりしつつ素直に海上保安庁の関係者による政府への鉄槌説と考えるも、それではあまりに安直な気がしてうなずけない。ならばと考え直し、逆に政府側の八方破れ打開策としてみても、あまりにリスクが高い行動でしかないとまた首をひねる。ではではと第3の説を考えてみるがパッとしない。
 流出者探しは当事者たちに任せるとして、これではっきりしたことは、公安警察のファイル流出に続き、日本国の危機(情報)管理能力への国際評価は地に落ちたということ。もう一つは、ネット社会における情報の無限展開の力で、You Tubeで削除されてもこの映像は他で増殖し続けるのは間違いない。中国国内では、これも意図的に編集されたものと批判されるだろうが、外向けにはそう語ろうが、個々の中国人の心中に政府に対する疑念がうまれることもまた容易に想像できる。とはいえ、この影響力に戦(おのの)くのは何も日中両政府ばかりではなく、マスコミもまた唖然としたことだろう。
 iPadクラスの画像の大きさと美しさがあれば、既存のテレビマスコミも情報源の一部でしかなくなる日は近いだろうな。結局そんなことをぼんやり思いながら朝を迎え、ぼうっとしたままベッドに倒れこむ。管内閣は吹っ飛ぶかもしれない。
11月3日 (水) ほぼ完治
 終日、安静。夜にはほぼ完治。ゆっくりと風呂につかって全身洗浄、爽快。
11月2日 (火) きっと先生はきょうも空を撮っている
 4時、汗びっしょりになって起床。下着を替えて机に向かい、"愛される理由"の原稿を書く。
 今回は荒木先生の『チロ愛死』(河出書房新社)を取り上げたのだが、自宅に100冊以上ある荒木写真集から陽子さんとチロに関連する数冊を取り出し、全て見直しただけで泣きそうになった。二人と一匹の生きた時間と一人残った私小説作家の弧愁を思うと、息がつまる。荒木経惟70歳は、だから日々、空を撮る。おれも、拙著『あたらしい図鑑』のラストで主人公にそうさせたが、大切な存在を亡くした直後は、空を見上げるしかないような気がする。いつだってそこにあったはずの空が今もそこにあることにすがりながら、漠たる空気や雲の流れに亡くした者との関係性を偲び、そして生きている自分を思い知るために。ここと空との間が、生と死の、いつか渡るであろうひとときの溝と感知するために。
 きっと先生はきょうも空を撮っている。
 その姿を思い浮かべながら、リポビタンDやビタミン剤の力を借りつつどうにか書き進め、13時半、ようやく脱稿。推敲して送信し、ウータとオランに嫌がられるまでそれぞれをいじりまわしてからベッドにもどった。
11月1日 (月) プロの裁判官よ
 朝顔、一輪咲く。薬を飲んで終日横臥し、発汗のたびに下着の交換。おかで夜になると喉の痛みが弱まり、と同時に高熱も治まる。
 ところで裁判員裁判制度よ。
 今回の耳かき風俗店従業員、および彼女の祖母殺害犯に関する判決が適正か否かといった議論ではなく、当該裁判にかり出された6名の裁判員の苦悩についてもっと本質的に検証すべきだ。体調が悪いので結論を急ぐと、制度スタート前からこの酔狂記でも指摘してきたとおり、裁判に一般人を巻きこむことは根本的におかしい。
 他人を法的に裁くことを生業として選択しなかった人物をほぼ強引にその立場に引っ張り出し、拘束し、時には死刑か否かを判断させるこの制度。いったい誰が喜ぶのか。答えは簡単で、「市民にも開かれたイメージ」、あるいは「死刑廃止」を目論む一部の法曹界の人々だ。死刑判決なんて実際に出そうと思ったら悩むどころじゃないなわな。たとえ4人殺した極悪人でも、その者の命を強制的に奪うことにはかわりはないわけで、テレビを観ながら「こいつは間違いなく死刑だな」と思うのとはわけが違う。「間違いなく死刑だな」と一人思うこと、裁判員として死刑判決に与することは別次元の現実なのだ。そんな陰鬱極まりない非現実に素人を巻きこんで、どうして平気でいられるのか。
 今回のような極刑もありえる裁判かどうかにかわらず、参加した裁判員の精神的ケア(ほとんどの場合PTSD)の態勢はあるらしいが、これも本末転倒である。そんな態勢を用意しなければいけない制度を国民に押しつけること自体が問題なのだ。六法全書を捨てて久しいのではっきりとは書けないが、おそらく憲法に抵触するのではないか(これ後日調べます)。
 そして何より、プロの裁判官よ、これでいいのか。かつては最難関といわれた司法試験に合格して自ら選択したその仕事なのだから、素人を巻きこむなよ。批判があるなら自分たちで改善の方策を探って研鑽しろよ。頼むよ。あなたたちは、死刑判決を下すこともあるかもしれないと覚悟して現在の職業を自ら選択したのだから。むろん、その難儀さを認めているから、おれたち一般人はあなたたちの俸給に税金が使われていることに文句をいわないできたのに。
 もしも今さら制度廃止が難しいなら、せめて殺人事件などの凶悪事件にはこの制度を適用しないぐらいの対応をぜひ、大至急。このまま放置しておくと、この国は国策によってPTSD大国になっちまうぞ。政治家もぼおっとしてないで、このぐらいの変更検討、すぐに取りかかってくれよ。頼むよ。
10月31日 (日) 岐阜の英雄に導かれて
 扁桃腺の腫れがひどく、唾をのみこもうとするたびに目が覚める。どれだけベッドで横になっていても頭はすっきりせず、薬と薬用ののど飴でごまかしつつ昼間をやりすごし、18時、またも厚着をしてソファに横臥。ロッテ先発マフィーの乱調に期待しながら観ていたら、案の上やってくれました。彼のおかげで中日の貧打打線も活気づき、"岐阜の英雄"と荒木らが率先して12-1などという品のない大勝にいたった次第。しかし、この大勝も風邪には効を奏さず、扁桃腺にひれ伏しながらまたベッド。
10月30日 (土) 風邪に貧打
 予感、的中。久しぶりに風邪をひく。喉の痛みに先導されて熱がぐんぐん上がり、薬を飲んでベッドで丸くなる。18時、厚着をしてリビングのソファに横臥し、高熱にうるむ目で中日vsロッテ戦を観戦。ときおり寝入りつつも応援を続けるも、"岐阜の英雄"和田一浩選手をのぞく中日の貧打どうしようもなく、完敗。大根を多めにいれたちゃんこを少しだけ食べて薬を飲み、ほうほうの体でベッドに戻る。
10月29日 (金) 冷たい大雨
 19時まで北海道新聞用の書評。『寝ても覚めても』について。脱稿後、推敲して送信し、外出。表参道で会食し、青山のバーで飲み、六本木に流れてから帰ろうとすると、台風の影響で冷たい大雨。しかもタクシーが少なく、30分ほど六本木通りをうろつき、ようやくタクシーをつかまえたころには喉に痛みを感じる。嫌な予感を抱えて昏倒睡。
10月27日 (水) やれやれ
 未明から7時半まで創作。朝食後、仮眠をとってレジュメをまとめ、外出。講義を終えた後、いつものように「Crescendo」に寄ってから大塚へ。次々作の取材をかねて街をうろつき、飛込んだ店で終電まで過ごして帰宅。車中、爆睡。記憶、損失。
10月26日 (火) 一日
 22時、父親になって2週間目を迎えたいしいしんじ君から電話。息子に名付けた「一日(ひとひ)」のネーミングをあらためて賞賛し、出産から今日までのドキュメントを聴く。笑い、笑い、笑い、そして赤子の存在と表現についてなどを話しあい、近々会えればと相談して電話をきる。『寝ても覚めても』の書評用のメモをまとめてメールをチェックしたら、いしい君から一日の写真が送られてきていた。まぶたを閉じたまま、一日の口元は嬉しいと笑っていた。
10月25日 (月) 立ちしゃぶしゃぶは止めておけ
 夜、土曜日に残ってしまった大量の豚肉を使ってしゃぶしゃぶをやろうと思いつき、椎茸、葱、白菜、鰯のつくねなども用意してキッチンのコンロの前に立つ。仕事の合間の軽食のつもりだったから土鍋じゃなくて普通の鍋ですまそうと横着したのだが、いざはじめるとなかなか肉が減らず、ずっと立ったまましゃぶしゃぶをくり返す。途中からは白飯までよそって喰らい、20分後、眠っていたはずの猫たちが足もとに集まってきたときには満腹になっていた。外気同様に冷えびえとした視線を向けつつ微塵も動かない猫の憤懣に恐縮し、久しぶりに花鰹をキッチンに舞わし、十分に機嫌をとってから賞味期限切れ間近のラーメンの玉を鍋に入れ、半分片づけたところでギブアップ。為に仕事もギブアップ。
10月24日 (日) ついついパンツ
 月曜日にしっかり鑑賞できなかったためあらためてドゥ画廊を訪ね、山田さんの作品をじっくり愉しむ。ご本人ともお話しさせてもらってから銀座まで歩き、伊東屋でカレンダー展をのぞき、それからリニューアルしたばかりの銀座三越で雨宿り。ついついパンツを買ってしまい、裾直しが終わるまで近くの喫茶店で時間をつぶして受け取り、山手線で田町にもどって「ヤマトヤ」ヘ。生ビール2杯を飲みながら豚バラ、ハツ、皮、味噌ホルモン串、モツ煮込み、きゅうり、蛸ぶつを喰らって帰宅。『寝ても覚めても』(柴崎友香 河出書房新社)を読み進める。
10月23日 (土) 初夜
 「遺書、拝読」の資料として購入していた映画『忍ぶ川』のDVDを観る。ほぼ原作に忠実な構成。主演の加藤剛も栗原小巻も原作のイメージを裏切ることなく清々しい。深川、栃木の山間の村、青森の雪など風景の映像が叙情性を高めつつテンポよく展開。若い二人の純愛の深まりはこちらにも快く、くすぐったいほどの感傷を漂わせながら終盤へ。五人いた姉兄のうち二人を自殺で、二人を出奔で亡くした主人公の「私」は、ひとりだけ実家にのこる眼病を抱えた姉の繊細な神経を気にしつつ自分の妻となる志乃を紹介。二人きりになったとき、「どうだい?」と姉の反応をたしかめる。この場面に集約された、姉弟の生きる苦しさとかすかな希望に胸をうたれた。
 暗い血の呪縛を払拭するための、覚悟の儀式でもある若い二人の結婚。そして、初夜のセックスは新たな生への船出となるから、熊井啓監督は二人のベッドシーンに長い時間を割いたのだろう。いま観ればかなりまどろっこしい描写だが、1972年当時、吉永小百合とともにアイドル的な人気を誇った栗原小巻の裸体をさらした熱演は希望を匂わせるにふさわしかったに違いない。結婚に、初夜に、このような記号が成立していた時代の記録としても、『忍ぶ川』の小説や映画は楽しめる。
 なお、この映画は同年のキネマ旬報の第1位になっている。
10月22日 (金) ひとり打ち上げ with T
 半日以上も机にむかってようやく「遺書、拝読」第84回を脱稿。晩飯をくわずに23時になっていて、終わっていると認めつつ「あら喜」のT夫くんに電話。終わっていた。しかしやさしい彼は、「もしどっかで飲むならつきあいますよ」と言ってくれた。おれはその言葉に甘えて魚藍坂下にある「GONZO」に彼を誘い、生ビールをぐぴっと2杯飲み、鳥の唐揚げや生春巻きや生野菜サラダやイカリングや豆腐などをつまみつつT夫くんとともに燗酒をちびちび飲り、チーズの盛り合わせと赤ワインのボトルを追加。二人でさんざんっぱら話し、店の閉店にうながされて時計を見たら3時半だった。
 ひとり打ち上げにつきあわせてしまったT夫くんは電動自転車に乗って帰っていった。少し寝たら築地市場に仕入れに行かなきゃいけないのに。手を振りながら頭を垂れた。
10月21日 (木) 『無菌室ふたりぽっち』を読む
 午前中から「遺書、拝読」第84回の原稿を書き続け、ひと息ついたところで一冊の本を手に取る。「週刊朝日」でおれの担当をしてくれている今田俊さんが上梓された『無菌室ふたりぽっち』(朝日新聞出版)を読みはじめ、すぐに刮目。彼が白血病を患い、再発も経験していたことを初めて知る。その間に同じ病に冒された「アエラ」の専属カメラマンを亡くし、音信のなかった弟さんから骨髄を移植され、二人目のお子さんが誕生している。そして、再び職場に復帰されてほどなく、彼はおれの前に現れたのだった。
 よくぞ生きておれの前に現れてくれた、と思う。
 人が重い病、死に直結するかもしれない病を抱えたとき、その人は嫌でも自分と周囲の人々の関係性を思う。その内実は、決して一対多ではなく、一対一である。考える時間はうんざりするほどあるから、思い浮かぶその人と自分についての関係性を発生した過去から検討し、あるかないかわからない未来を思う。今田さんの場合でいけば、自分と同病年下のカメラマン、自分と妻、自分と弟、自分と長子、自分と次子、自分と母……、つくづく多くの「もう一人」とともに生きてきたことを今田さんは痛感し、感謝し、だからこそ永訣を怖れたのではないか。
 翻って考えれば、関係性を実感できるうちは自分は生きている。関係性が積み重なり、絡み合って今の自分がいることを思い知る。いわば、「ふたりぽっち」の集積として、この時代にこの世界に自分がいるのだ。だから、これらの関係性をいっさい感じられなくなったとき、人は孤立に怯え、絶望にのみこまれてしまう。孤立が、人の宿命としての孤独を刺激し自暴自棄にどっぷり浸れば、その人は敵にしか見えない他人を殺したり自死を選択することもあるだろう。
 闘病記だから良いのではなく、この『無菌室ふたりぽっち』は生きて暮らしていることの真理への手がかりを与えてくれるから胸をうつ。
10月20日 (水) 若者の志
 大学での講義を終え、いつもどおり一人で西巣鴨の駅ビルにある「オールデイズ」に立ち寄り、ビールを飲んでコーヒーを飲みながらマスターと談笑していると、学生風の若い男が同じカウンターに現れて話がはじまる。おれがバーボンのソーダ割りを頼むと彼も飲み、いつしか話題は漫画家に。よく聞けば、彼は大学院で哲学を勉強しつつ漫画家をめざしているとのこと。おれがアドバイスできることは何もないのだが、若者の志を聞くのは愉しく、仕事が残っているのに腰をすえて耳を傾ける。その後は彼のピアノの先生も加わって話を続け、22時過ぎ、慌てて帰宅。連載の仕事にとりかかるも先に酒を飲んでしまっては集中できず、結局、構成メモだけを記して拝聴睡。
10月18日 (月) 山田道弘さんの個展、初日の夜
 "愛される理由"(週刊朝日)の原稿を書いて外出、地下鉄浅草線に乗って宝町駅で降り、迷いに迷ってdoux画廊へ。本日から始まった山田道弘さんの個展に顔をだすつもりが、いきなり地下の居酒屋でやっているパーティーの場へ案内され、山崎努さんをはじめとる箱根合宿組のみなさんと会食、歓談、痛飲。初めてお会いする方々も多かったのだが、二軒目としてみなさんをご案内した「ひょっとこ」ではめっこり語りあう。赤ワインは次々と空き、小田原に帰られる山田さんご夫婦と義二さんを見送ってからさらにもう一軒と銀座へ流れ、山崎さん、一三さん、山田さんの姪御さんとともに「D・ハートマン」の個室でゆっくりと飲み直す。語りあう。山崎さんからデビュー当時などの貴重な体験談を聴き、M田マネジャーに「長薗さんそろそろ」と云われて時計を見たら3時半になっていた。一三さんと別れて3人でタクシーに乗り、先に降りて帰宅。12月で74歳になる山崎さんの元気と明晰ぶりにあらためて感心しつつ、軽い吐き気を覚えながら即身成仏。

 なお、山田道弘さんの個展は今月24日(日)まで、ドゥ画廊(中央区京橋2-6-8仲通りビル1F)でやっています。自意識がふっと欠落した瞬間を切りとったような、佇む人々の絵。どうしても日本人が描いたようには見えない、ヨーロッパのその街に長年暮らした者の眼がとらえたような、日常の吐息。
 ぜひご高覧ください。
10月16日 (土) 空疎なナレーション、定型の言葉たち
 NHK『プロフェッショナル』の再開第一回、松本人志篇を観る。新たに知ったことはなく、これまでにいくつもの雑誌インタビューや本やちょっとしたテレビ企画で開陳済みの内容ばかり。松本の首すじにできた吹き出ものの多さがやけに気になるほど低調で、要はNHKでやるコント番組の体のいい宣伝だった。それでも初めて松本の裏面にふれる視聴者もいるのだから素材には目をつぶるとしても、あの大仰なナレーション原稿はないだろう。コピーワークとしても、普通の文章作法としても失格のレベル。覚悟をもって、孤高の、天才……、いわゆる大げさな言葉の連発と組み合わせで送り手が勝手に酔いしれている。番宣している方が先にたっぷり陶酔しているのだから、観る方は鼻白む。いわゆる客観の欠如だ。ビートたけしやタモリを取り上げてもきっと同じような言葉を使用して顕彰すると思われる、定型の文章たち。番組の途中からは松本が気の毒でしかたなかった。彼自身はあのような空疎な言葉がもっとも嫌いな人だけに、同情した。番宣ですから、という理由で会社側から依頼されて出演を承諾した背景まで透けて見えた。
 おそらく、『プロフェッショナル』はもう役割を終えているだろう。とっくに第一級のプロとして認められた人々を題材にして過剰な言葉たちでマツリアゲナケレバならない企画なんて、何を今さらである。ひょっとしたらそれを承知で再開しなければいけない事情があるのかもしれないが、内実がどうであれ、おれはもう酔っぱらって帰宅したときぐらいしか観ないだろう。
10月15日 (金) 苦笑する
 昨晩から新しい書棚を組み立てて文庫本の整理をしたり、処分用の古本と古雑誌をゴミ集積所に何度も運んだり、棚と棚の隙間から出てきた、1988年にセ・リーグ優勝を果たした中日ドラゴンズの主要選手全員によるサインが記された巨大色紙をながめたりしていると朝5時になってしまい、あわてて就寝。
 昼過ぎに起き、保険やら何やらの振込のために郵便局まで行ってもどり、軽い食事をとってから帰途に買った「週刊文春」を読む。まっ先に読んだ山崎努さんの書評エッセイ、「敗北力、悪人、魚」の出来映えが素晴らしく、思わず山崎さんの携帯に電話を入れて絶賛の弁を語り、「書評の書評」をやってしまう。続きは来週お会いしたときに、と電話を切り、あらためて同誌に目を通していて「アサヒカメラ」奥田編集長の訃報にふれ、ただ驚く。この酔狂記にも書いたが、昨年の荒木先生の誕生日パーティーの二次会で初めて会い、散会直後に二人きりで飲んだ相手だった。今年も同じく荒木先生のパーティーで会い、互いに苦笑しつつ再会の握手をした。苦笑する理由が二人にはあったから、その瞬間の彼の表情は今でもすぐによみがえる。
 夜は麻布十番で会食。旬の肴と八海山を満喫して六本木へ流れ、帰りのタクシーの中で携帯の留守電に残されていたいしいしんじ君の声を聴く。一昨日に無事男子が生まれたとの報せだった。すでに知っていたおれは緊張したいしいの声を確かめるようにもう一度聴きなおし、また奥田さんの苦笑顔を思い出した。
10月14日 (木) 美しく、嘘そのものであった。
 6時前に起床し、コーヒーを飲んで『真実真正日記』の解説原稿の仕上げをはじめる。最終部を直し、プリントアウトして全体の推敲に移り、10時前にようやく脱稿。嬌声をあげながら猫どもを追いかけ回して息を荒げ、待ってくれている講談社文庫編集部のM山さんに慎重に送信し、シャワーを浴びて放心。さきほどまで座っていた椅子に腰をおろしたまま、机の上に無造作に置かれた他の町田作品をあらためてながめる。
 『供花 町田町蔵詩集』『壊色』『告白』『くっすん大黒』『パンク侍、斬られて候』『つるつるの壷』『きれぎれ』『実録・外道の条件』『浄土』『権現の踊り子』……。一冊の文庫本解説を書くためにこれだけの本を再読していては、自分の創作が滞るのは必然なのだが、それでも「やって良かった」という思いは消えない。それどころこか、町田町蔵時代から長らく愛読してきた一人の表現者を自分なりにはっきりと理解、整理できたことに仄かな興奮すら覚え、創作の意欲さえ珍しく感じつつ裸のまま昼過ぎまで過ごした。

 空は美しく嘘くさかった。美しく、嘘そのものであった。

 これは『パンク侍、斬られて候』の最終行。絶品。
10月13日 (水) まだ手許に残し
 3時間だけ寝て9時に起き、昼までに町田康さんの『真実真正日記』の文庫本用解説原稿(11枚)を脱稿。この5日間ぐらい没頭してほぼ納得のいくものに仕上がったが、最後の1枚分ぐらいに改善の余地ありと見てまだ手許に残し、講義の準備に移る。
 14時前にレジュメを仕上げて大学に向かい、講義を終えていつもの「おーるでいず」のカウンターでビールとコーヒーを飲んで帰途につき、『街場のメディア論』(内田樹 光文社新書)を読みながら自宅の最寄り駅へ。寝不足と一杯のビールでふらふらになって帰宅し、しばし呆然。原稿の直しに手をつけられないまま猫たちと戯れてどうにか夕食だけはとり、22時半に早々睡。
10月2日 (土) 朝顔、てっぱん
 朝顔、七輪咲く。しばらく愛でてから『てっぱん』を観る。最初の3回でぐいっと惹きつけられ、主人公のべたな演技を見守っている。脇に支えられて一人の女優が育っていく過程を目撃しているのだと、すでに感じる。これまでのところは、王道(古典)的な脚本の運びが功を奏している。
10月1日 (金) 山の朝はやっぱり快い
 6時に目が覚め、敷地内にある祠に参拝してから二度寝。8時過ぎにあらためて起き、薪ストーブを焚いて暖をとる。雨はやみ、空明るい。昨晩のPAの方々と田舎暮らしなどについて談笑しながらコーヒーを飲み、それから朝の温泉につかって着替えをすませ、一三さんが作ってくれた朝食をいただく。納豆係は今回も山崎さんが担当。具たっぷりの味噌汁と鯖の塩焼きで腹がふくれ、食後はほうけほけ。うたた寝する山崎さんの傍らで白いBOSSを飲み、昼過ぎまでのんびり過ごして帰京の準備。金太郎に挨拶をすませて温度計を見ると17,5℃、快い。
 御殿場方面から下界に戻り、1時間ちょっと東名高速を走って尾山台。駅前で散会し、U野さんと東急電車に乗って大岡山駅で別れ、地下鉄で16時前に帰宅。気温25℃。うっすらと汗ばむも、疲れもなくすぐに書見に移る。
9月30日 (木) 芸能とは奉納であったのだ
 6時半、起床。少しだけ本を読んでシャワーを浴び、立山登山に使ったザックに荷物を収めて外出。地下鉄と東急電鉄に乗って尾山台駅へ。12時に山崎努さんの出迎えを受け、一三さんが運転する車で箱根に向かう。小田原あたりで雨が止み、姥子近くでは晴れ間も見え、箱根のご神体山である神山のその独特の偉容を仰ぎつつ生ビールを飲み、鴨南蛮を喰らう。
 しかし、8月にも泊まった合宿所についてほどなく再び雨が降り出す。気温は15,5℃。今回の目的は、山崎さんの次女で女優の直子さんがプロデュースする「神山奉納ライブ」を鑑賞するためとあっていったいどうなるかと気をもむも、建物の構造を巧く使って廊下をステージに。照明もPAもきっちりと仕上がり、17時半には篝火が焚かれた中庭の先、ぐっと仰いだ先に聳える神山に向かって歌と演奏が始まる。ネイティブアメリカン(インディアン)・フルート奏者のマーク・アキクサさんが、西洋のフルートとも日本の尺八とも違う音色を雨脚の中に放出。中庭脇の廊下に陣取ったおれたちはそれだけでぐいっと引きこまれ、その後のチェロ、バイオリン、そして直子さんの歌も堪能。いつしかあたりは夜の帳(とばり)に覆われ、細くなった篝火の炎も妖しく、気持ちのいい神々しさが中庭を埋め尽くしていた。洟垂れ小僧のころに初めて盆踊りの夜を迎えたときの感覚に包まれ、あらためて、芸能とは奉納であったことを思い知る。
 終演後はスタッフやキャストの方々とそろって中華で夕食をとり、合宿所に戻って1時半まで話しこんでから温泉に入り、十分に体を暖めてから昏倒睡。
9月29日 (水) 夜を迎え
 朝、"愛される理由"のゲラ校正をやって編集部に戻し、それから講義の準備。レジュメをまとめて大学へ行き、90分話していつもの喫茶店でアイスコーヒーを飲んで帰宅。しばらく放心して夜を迎え、『真実真正日記』(町田康 講談社)を数日分読んで早々睡。