| 3月1日 (火) |
さて今月 |
先月下旬からようやく創作モードに入ったのだが、そのわりには原稿が進まない。そう簡単にいかないことぐらい何度も経験しているから驚きはしないが、粘って唸っても言葉が浮かばず頭がぼうっとしてきたら、まずは進行中の作品とはまったく関係ない本を読む。ちなみに今は、『パンとペン』を少しずつ読んで堺利彦の人品に感心したり、「バムとケロ」シリーズをながめてキャラクターの愛くるしさに微笑んでいる。書いて、読んで、喰って、書いて、読んで、それでもだめなら寝てしまう。朝昼晩のサイクルは狂ってしまうがもう気にしない、あくまでも創作の進捗にあわせて時間を過ごすだけだ。 さて今月、原稿はどこまで進むことができるだろうか。 |
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| 2月28日 (月) |
ジルコニアの噛み合わせ |
"愛される理由"の原稿を半分書いてから歯科へ行き、上下の前歯4本の最終治療。セラミックの中でも最強のジルコニアを使った人工歯をかぶせ、高さの調整をしてもらう。色味は本物そっくりで周囲の歯との違和感も少ないのだが、人工ダイヤモンドの素材でもあるジルコニアの噛み合わせには戸惑い、帰途、北風に吹かれながらカチャカチャと歯を鳴らして歩く。コンビニに寄って帰宅後、咀嚼を試したくなり、まずは餡饅をほおばる。それからレトルトのハヤシライスと生野菜のサラダを食してみる。ビーバーよろしく前歯中心で刻んでみると、下の左側の歯茎がまだなじんでいないとわかる。 口内の不安定は生活全般に波及する。あらためてそんな実感をいだいてから机にもどり、書きかけの原稿を最初からやりなおして未明に脱稿。ひと息ついたときには3月になっていた。 |
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| 2月27日 (日) |
チケットを求めて |
新しい水差しを買いに出かけ、ついでにチューリップ二本も求めた後、予約していたチケットを発券してもらおうと麻布三の橋のセブンイレブンに行ったら、近くのサンクスへと云われた。あれれ、と訝りつつ同じ歩道の並びにあるサンクスを訪ね、店員さんの指示に従ってレジ横の発券機に購入番号と電話番号下四桁を入力したところ、ここでは発券できません、と云われてしまった。だったら先に云ってくれよ、と当然思ったが、店員さんのネームプレートに中国人名があって黙して退き、拙い日本語で案内された麻布十番店まで歩く。なんでこうなるかなと思ったまま同店に入って見回したところ、片隅に発券機があって扱ってみると、ちゃんと作動。機械から出てきたシートをもってレジへ行き、サインをしてようやくチケットを入手した。 やれやれ。イーグルスへの道のりは、なぜかいつも面倒だ。 |
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| 2月23日 (水) |
暢気で愚かで懲りない後輩は |
| 16時まで創作。それから外出し、大正大学で2011年度のシラバス会議に出席。年々、表現学部への応募者数が増えて倍率が上がり、学生のレベルも上がっているとの報告を受ける。課題原稿の内容をみても、その実感はある。なにより。終了後はいつもどおり近くの居酒屋「金星」の座敷で会食歓談。遅れてきた倉田学先輩から予後について詳しく拝聴。かつてリクルート時代、週に何度なくGINZA9隣の「醍醐」で酒を呑み、煙草をふかしながらメディア、およびコミュニケーション論や世間をニヤっとさせる企画について朝方まで語りあった倉田さんが、内臓脂肪の悪害や有酸素運動の重要性を説く姿に、時間の流れをしみじみと感じる。あれはもう20年近く前なんだな。いつもきれいな酒を飲んでいた筋肉質の人ですら病とうまく付き合っていかざるを得ないのが、50代半ば以降の処世の原則なのだろう。関さんもずいぶんと弱ったからな。それでも暢気で愚かで懲りない後輩は、宴席後ひとり銀座に流れて煙草を吸い、大酒をくらってオダをあげ、ふらふらになって3時半に帰宅したのだった。 |
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| 2月22日 (火) |
歩けば本 |
猫の日。昼過ぎ、いつもは(肥満予防のため)誕生日にしか出さない鰹の缶詰をオランとウータにふるまってゲラを片づけ、麻布十番まで散歩。ついでにメガネスーパーで注文していたコンタクトレンズを受け取り、祟文堂をついついのぞいて『パンとペン』(黒岩比佐子 講談社)、『小説のように』(アリス・マンロー 小竹由美子/訳 新潮クレスト・ブックス)、そして原節子の15歳時の映像を付録につけた「新潮45」3月号を衝動買い。それから馴染みの花屋さんを訪ね、堅そうな蕾を伸ばしたチューリップと可憐なスズランをしばしうっとりとながめ、「もう持てねえよ」と先に本を買ってしまった浅薄を後悔しつつ購入を断念。 2種類のビニール袋を手にぷらぷら散策をつづけ、帰りは地下鉄を使う。腹が減ったため、自宅マンションの隣にあるサルバトーレで渡り蟹のトマトクリームソースパスタと田舎サラダを喰らい、赤ワインを一杯飲みながら原節子について荒木さんが「新潮45」に書かれた文章を読む。言文一致のいつもの文体で彼女の顔から本質にせまる内容に感嘆、文章が書きたくなって自宅にもどると、町田康さんと藤田宣永さんの新刊が届いていた。 |
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| 2月20日 (日) |
葬送から離れ |
| 夜明け前から"遺書、拝読"の続きを書きはじめ、食事休憩をはさんで続け、14時過ぎ、脱稿。推敲して送信。横澤さんの葬送から離れ、脱力放心。夢遊病患者のようにおぼつかない足どりでゴミを捨て、本を片づけ、数種の雑誌に目を通し、夕食に鳥釜飯を喰らって『きことわ』(朝吹真理子 新潮社)を読みはじめてほどなく、瞼がとじる。とじた瞼はなかなかひらかず、オランとウータに導かれて寝床にたどりつき、卒倒。泥睡。 |
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| 2月19日 (土) |
3、88、20 |
| 横澤さんの著書を計3冊読み終え、"遺書、拝読"第88回に取りかかる。夜中、冒頭部20行を書いたところで言葉が蒸発。即、就寝。 |
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| 2月18日 (金) |
じょぼじょぼ |
| 終日、書見。永田洋子死刑囚の『十六の墓標 上巻』(彩流社)を少しだけ読み、それから横澤彪さんの『それでも「人と会おうよ」』(新講社ワイド新書)と『テレビの笑いを変えた男 横澤彪かく語りき』(聞き手/塚越孝 扶桑社)を読み続け、目がじょぼじょぼしはじめたところで昏倒睡。 |
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| 2月17日 (木) |
柱の裏側 |
終日、創作。それでも2枚しか進まなかったが、少しずつ見えていなかった部分が顔を出してきてささやかな興奮を覚える。ああそういことか、という発見。設計図の柱の裏側でうたた寝している子犬を見つけたような気分にひたり、もっと書きたいと素直に思える瞬間だ。 3月末までに初稿を。まったく目処は立っていないけどいける気がする。 |
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| 2月16日 (水) |
のんびり通院生活 |
16時、歯科へ。虫歯治療は咋年12月半ばに終わっているのだが、半世紀生きてきて磨りへったり歪んでしてしまった4本の歯も徹底的に治してもらっている。向かいあう人に不快感を与えない程度には美しく。これが終わったら右奥の上にブリッジ、下にインプラントが施される予定で、すべて完了するのはおそらく初夏になるだろう。毎週、または2週間に一度のペースで続く通院は、引きこもり気味の身にはそれだけでいいリズムを生むから、このままのんびりと患者生活を送りたいと思っている。 17時、歯科から帰って「ブルータス」の最新号"緊急特集 桑田佳祐"を読み、遅い夕食後、『テレビ自叙伝 さらばわが愛』(和田勉 岩波書店)を読了してしみじみ。 |
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| 2月15日 (火) |
50代の会食は |
| 早々に送られてきた"愛される理由"のゲラを校正して戻し、そのまま創作。16時半まで書いてシャワーを浴びて着替え、地下鉄に乗って浅草へ行き、18時、雷門前で関さんと会う。体調不良の話をしながら当然のように「二葉」まで歩いてカウンターに向かい、耳の難病を患っている勘三郎匠の今後を憂いつつ高峰秀子さんがいかに素晴らしい女優だったかとか、歌舞伎や映画やクラシック音楽について愉しい話をつづける。中でも歌舞伎、特に役者については昔から関さんに教示してもらってきたが、松竹を経てきた人の話はさすがに面白い。いつしか燗酒をたらふく飲み、ラストオーダーに名物の釜飯を頼んで喰らい、タクシーで千駄ヶ谷の「八犬伝」へ。ここでは好き勝手にぐだぐだ話に終始。50代の会食は、二軒目以降はこんなもの。ただの酔いどれ同士の放談の場と化し、ひたすら睡魔に抱かれて堕ちていった。 |
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| 2月14日 (月) |
快い |
| 19時、"愛される理由"脱稿。推敲して送信。弁当で遅い夕食をとり、書見。快い疲労に引っぱられるように就寝。 |
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| 2月13日 (日) |
茫漠 |
| 終日、茫漠。早々に床の人となる。 |
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| 2月12日 (土) |
25合の出産祝い |
17時まで"愛される理由"を書き、それから着替えて麻布十番へ行き、プレゼント用の玩具を買って三の橋の「あら喜」へ。18時から中央公論新社のK佐貫さんとY田さん夫妻の出産祝いを同社担当のN西さんとともに祝う。一昨年9月の出産だったからずいぶん間が空いてしまい、K佐貫さんも3ヶ月の育児休暇を経て現場に復帰している。それでも久しぶりに会って飲んで話すことが愉しく、神亀の熱燗を4人でぐいぐい飲みつつ、T夫くんが用意してくれた旬の料理に舌鼓をぱこぱこうって放談、歓談、笑談、雑談、談談……T夫くんの女房、Kちゃんから「長薗さん、もう25合飲んでますよ」と声がかかる。だがしかし、「もう一軒行こう!」Y田さんの号令にしたがって麻布十番のスタンドバーに流れ、今度は赤ワインを飲みながらあれこれ。Y田さんに叱咤されてお開きとなり、タクシーに乗って帰るみんなを見送ってから歩いて帰る。 Y田さん、母になってさらに強くなったような気がする。ただ頼もしい。 |
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| 2月11日 (金) |
5分間だけ |
| 小雪の中、カフェでコーヒーを飲んでからスーパーで鍋の買い出しをすまし、さて早く帰ろうと外に出たら雪は本降りになっていた。5分間だけの雪国風情。よかよか。 |
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| 2月10日 (木) |
南無 |
| 終日、安息。南無阿弥陀仏。 |
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| 2月9日 (水) |
雑然がいいのだ |
| 夕方まで創作。それから地下鉄と中央線に乗って新宿に出、「VAGABOND」へ。いつもの二階奥で箱根合宿組の面々に合流。突発的に耳が聴こえにくくなった山田画伯を気功に案内した「週刊文春」のS尾さんも参列し、画伯とは筆談でやりとりしながらそれぞれ酒を飲み、談笑。隣の狭いステージでは金髪ロン毛女性がピアノを演奏してでジャズを歌っているからみんな声が大きくなり、こりゃたまらんと少しずつ席を変えながら話題も変えていく。何せ40代〜70代の集まりだから喉がもたんのだ。おれは山崎さんに『南極料理人』のDVDを返して感想を語り、沖田監督の力量を讃えあう。また、今年初めての顔合わせとなった「天山郷」のオーナー義二さんともあれこれ話し、撮影監督のH田さんの沖縄話などを拝聴。とにかく雑然のまま飲んで語って22時過ぎ、散会。小田原方面、大宮方面に帰られる方々を見送り、東京組5人で思い出横丁に流れ、あらためて乾杯をしてまた雑談。そして24時、世田谷方面に帰宅する山崎さんH田さん一三さんと別れ、S尾さんと2人でタクシーに乗りこみ、銀座へ。「まり花」にS尾さんを案内して飲み直し、Y子ママと大相撲やマスコミについて放談を重ねて3時、ようやく腰をあげる。近所に住んでいることが判明したS尾さんに送ってもらって帰宅し、どうにか着替えをすませて泥酔睡。 |
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| 2月8日 (火) |
猫キック |
| 午後、散歩ついでに小川書店に寄って西村賢太さんの『苦役列車』(新潮社)を購入。彼の作品は「どうで死ぬ身の一踊り」と「暗渠の宿」しか読んだことがないが、さて、芥川賞を受賞したこの作品はどうだろう。とはいえ帰宅後に読んだのは、届いたばかりの「中央公論」と「週刊朝日」、そして佐々木中さんの著作だった。ヒヤシンスが大きくなっている。ソファでうたた寝をしていたら右手がウータの猫キックの犠牲となり、久しぶりに無惨な傷跡が残った。「猫キック」という小説はどうだろう。 |
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| 2月7日 (月) |
勇気と侠気 |
今書いている小説とはまったく何の関係もないのだが、この数日間の流れで『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(若松孝二監督)のDVDを観る。加藤倫教さんの本で知った革命左派の変容、行動はそのままだったが、赤軍派の内情変化を流れで知ったのはこれが初めてで、特に森恒男が過去に逃亡していたことに驚く。彼と永田洋子がそろってあの陰惨な"総括"リンチ事件があったわけで、映画もまた、なぜ彼らがそこになだれこんでいったかを主題に置いて製作されていた。中盤から最終盤にかけては加藤三兄弟の末弟、元久の視点が重きをなし、あさま山荘内での元久の唐突な発言に若松監督の思いがはっきりとあった。それは、1971年の年末から新年にかけて連続して起きた無惨なリンチをなぜ止められなかったという理由の提示であり、陰惨な場面を見続けさせられた者(観客=元久)から噴出した怒りの声だった。 映画の内容もさることながら、最も驚いたのは、若松監督がヨルダンにいる岡本公三や北朝鮮にいるよど号ハイジャック犯といった元赤軍派メンバーにこの作品を見せに行っていたことだ。特典として収録されていたその映像に引きこまれ、岡本の弛緩した顔に呆然とし、知的な元赤軍派の面々の「森さんの発言を否定はできなかったと思う」その理由を聞いてあらためて思想統一の底知れぬ力に唾をのんだ。そして何より、筋を通す若松孝二という人に畏怖した。若松監督は侠気に裏打ちされた勇気ある表現者だ。 |
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| 2月6日 (日) |
つんと |
| 永田洋子死刑囚が病死した。昨日、加藤倫教さんの本を読んだ直後にだけに、つんと驚く。榛名山に散って沁み入る黒い雪。 |
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| 2月5日 (土) |
どよっとしたときめき |
あさま山荘事件が起きたとき、おれは11歳だった。あの巨大な鉄球が山荘の壁に穴を開けようと揺れ動く様をテレビの前で見続けた記憶は、今でもすぐによみがえる。犯人たちの中に"刈谷出身の加藤兄弟"がいるらしいと知ったのは、いつだったか。とにかく、高校に進んで刈谷市に通学するようになってほどなく、地元中学出身の同級生から、加藤兄弟の父親が彼らの出身中学の元校長だったと教えられてアメーバー状のどよっとしたときめきが生じた。ときめき。それは後になって思えば、自分が彼らでありえたのではという問いのようなものであり、実際にそのように行動した彼らへの屈折した憧憬でもあったのだろう。 加藤兄弟の二男、逮捕されて13年の服役を終えた倫教氏が回顧した『連合赤軍少年A』(新潮社)をふとしたことから読みはじめた。2003年12月に刊行されたこの本で、彼が東海高校の生徒だったことを初めて知った。父親との関係、兄から受け弟に与えた影響、そして何より稚拙に過ぎる"革命"のプロセスに嘆息をもらした。と同時に"時代"という背景、どどっとしたその流れの怖さに感じ入る。自分があと5歳年長だったらと想像するとちょっと考えてしまう。細かいが大切な支流への分岐点について書かれていないのが残念だが、石化しつつあったどよっとしたときめきを見つめ直すにはいい本だった。 |
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| 2月4日 (金) |
ヌケがいいのだ |
| 16時まで創作。それからシャワーを浴びて着替え、地下鉄に乗って神保町へ向かい、「カフェ ティシャーニ」で理論社のY本さんと久しぶりにお会いする。昨秋、民事再生法を申請した理論社も新年を迎えて新しい会社となり、今後の体制などについて話を聞かせてもらう。『最後の七月』の重版分の印税は予想どおりほぼふっとんでしまったが、こればっかりはどう仕様もない。再契約の内容や段取りを聞いて店を後にし、周恩来ゆかりの「漢陽亭」に移動。ビールで乾杯し、紹興酒をくぴくぴ飲りつつお勧めの料理をつまみながら今後の話や朝倉喬司さんと河内音頭の関わりなどについて語らい、御茶ノ水駅へ向かうY本さんと別れてタクシーでひとり銀座へ。「まり花」で初見の女性と猫談義をしているところにクリエイティブディレクターの大島征夫さんが来られ、赤ワインをすすめられるまま一緒に飲み、あはははは談笑。25年前から名前だけは知っていた大島さんだが、64歳の今でも根っからの都会の男の子だった。ヌケがいいのだ。たっぷり酔った大島さんを見送ってからタクシーで帰り、4時、吐き気を眠気で押さえこみつつウータにパンチを喰らって昏倒睡。 |
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| 2月3日 (木) |
ようやく蠱動 |
| 豆まきもせず南南東を向いて恵方巻きも喰わず、紫色のヒヤシンスを愛で、『切りとれ、あの祈る手を』(佐々木 中 河出書房新社)をゆっくりと読みながらあれこれ考えて夕方を迎え、学生の評価作業に移る。深夜、終了。大量の本とDVDをネットで注文し、『一冊の本』(朝日新聞出版)の橋本治さんの連載文を読んでから久しぶりの昏倒睡。 |
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| 2月2日 (水) |
小野花梨さん |
| 昼過ぎに"愛される理由"のゲラを編集部に戻してから、山崎さんに送っていただいた『南極料理人』(沖田修一監督 '09)のDVDを観る。特別なストーリーがあるわけではないが、実話にもとづく氷点下57℃の世界で1年余を過ごす日々の活写が面白い。厳寒下における越冬隊8名それぞれの人柄を丁寧に描いた佳品ながら、最も印象に残ったのは、堺雅人演じる主人公の娘だった。演じている気配がまったくないほどの演技にほれぼれし、後からネットで名前を調べてしまった。小野花梨さん。撮影時は10歳か11歳だったはずだが、ゆっくりじっくり育ってくれればと期待するばかり。きっといい女優になると思う。 |
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| 2月1日 (火) |
よかよか |
| 夕方、ようやく"愛される理由"を脱稿して外を眺めたら、まだ日があった。よかよか、と呟きながら送信し、週刊誌2誌とこしあんまんを買って帰宅。その後は色川武大さんの『小さな部屋 明日泣く』(講談社文芸文庫)を読む。よかよか。 |
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| 1月31日 (月) |
そんな1月 |
| ぼおっとしたまま夜を迎え、寝る直前、歯科の予約を失念していたことに気づく。やれやれ、そんな1月でありました。 |
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| 1月30日 (日) |
徹底される効率化への危惧 |
『フェイスブック 若き天才の野望』(デビッド・カークパトリック 滑川海彦 高橋信彦/訳 日経BP社)をようやく読了。ビジネスノンフィクションとしては、その圧倒的な取材もあって佳品にしあがり、フェイスブックの創業者にして現CEOでもあるマーク・ザッカーバーグの人なりとともにSNSの特徴がよく味わえた。その上で読後あれこれ考えたのは、マークのビジョンとグーグルのそれとの相違点、そしてそのどちらにも違和感を覚える自分の根拠についてだった。 一本の論文をここに書く気力はないので後者についてだけ簡単に記せば、「徹底される効率化への危惧」がおれの中にあって、グーグルであれフェイスブックであれそれらのビジョンに原初的な嫌悪を感じるのだ。アイデンティティは一つでいいと言ったマークは、だから、フェイスブックにある情報がその人そのものだと看做す。そんなことはそもそも無理に決まっているのだが、それでも一度そこにアップされた個人情報は、彼や彼女を記号化して世界に流通していく。そこに虚偽があれば、記号の主は後に糾弾される。人が抱える多面性、自分でも把握できない側面はそこでは許容されない仕組みが、今や世界を覆ているとしたら。怖い怖い。世界のあらゆるものを情報化しようとするグーグルもさることながら、マークのビジョンの底にあるのも「効率化」への揺るぎない信奉だ。揺るぎないだけに突進力があり、これらのサービスは今日もさらに拡大している。 ほどよい隠遁生活をいかに確立するか。 まずは情報を捨てないとな。ブームとしての「断捨離」ではない、本質としての、あるいは語源に適った「断捨離」に徹することができるか。これがなかなか難しいんだよな。情報って精神安定剤だから、あれもこれも「知っている自分」を捨てるのは不安との格闘になるわけで。……まずは、ブックマークでも減らすか。 |
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| 1月29日 (土) |
長友 |
13時半、例年通り、水田前「ハートマン」店長がマンション下まで乗って来たタクシーに同乗して目黒の大圓寺へ。亀谷の墓前で手を合わせ、供物のストラスアイラを一口だけ呑み、煙草を一本吸い、水田君とぼそぼそ語らって寺を後にする。そして去年と同じ喫茶店に寄ってコーヒーを呑み、水田君がくれた神社関連の冊子を見ながら談笑。地下鉄に乗って帰宅後は軽い悪寒をなだめるようにおとなしく過ごし、寄せ鍋を少し食して書見で0時を迎え、テレビの前へ。 後半に岩政を投入して長友を前に上げたザッケローニ監督の采配もさることながら、前半の川嶋、キャリアを重ねるごとにはっきりと力をつけているとわかる長友の活躍にほれぼれする。後半の間に岡崎のヘッドが決まっていれば完璧だったが、延長戦後半になっての李のゴールは、今大会の目まぐるしい日本チームの試合の流れにぴったりはまっていて、あきれるほど美しかった。 試合終了後、3時に窓から外を見てみると、三田ハウスの多くの部屋の明かりがまだついていた。 |
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| 1月28日 (金) |
不覚にも落涙 |
18時、新橋駅前でK村と待ち合わせ、銀座の「泰明庵」まで移動して亀谷を偲んで乾杯。命日よりも一日早いのだが、諸々の都合でこうなった。その後、魚の刺身や煮物を喰らいながら燗酒をくぴくぴ呑んで「ハートマン」へ流れ、水田前店長・現役員が注いでくれたストラスアイラであらためて乾杯。亀谷用のショットグラスをカウンターに置いてその後も呑み続け、そして酔っぱらい、「1月29日ではない日に亀谷を偲ぶのは嫌だ!」とK村に訴える。「俺は自分が死ぬまで、1月29日は空けておくと決めていて、墓前に参ってから、どっぷり、亀を偲ぶと決めてい」とそこで言葉が切れ、不覚にも落涙してしまった。 「よし、わかった。来年からそうしましょう」 K村は言下にそう断言した。おれは「すまん」と詫び、また酒を呑んだ。 府中までタクシーで帰るK村を見送った後、もう一軒バーもどきの粗雑な店に寄って気を鎮め、新橋で牛丼を喰らってからタクシーを拾って帰った。 |
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| 1月27日 (木) |
M-矢野ライン |
| 16時、いつもどおりM店長に髪をカットしてもらいながらサッカー談義。そして、高校時代に強豪校でサッカーをやっていたM店長がセリエAのユースにサッカー留学していたと知って驚き、そのときの通訳が今ザッケロー二監督の通訳を務めている矢野氏と聞いてさらに驚く。矢野氏が大黒の通訳をしていたとは知っていたが……、高校時代のチームメイトが名古屋グランパスにいるM店長、腕だけじゃなくていい足も持っていたのか。帰途、あんまんを買った。 |
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| 1月26日 (水) |
不全の結晶 |
仕事がらみの必要から15時、品川に『ソーシャル・ネットワーク』を観に行く。投げ出すようなエンディングの影響もあり、D・フィンチャー監督がおそらく狙ったとおり、観終わった後にこの作品にこめた彼の思いについて考えた。そして、「コミュニケーション不全の結晶」なる言葉が浮かんできて手帳に書きこんだ。その象徴としてマーク・ザッカーバーグとフェイスブックがあると目して映画の内容を振り返れば、過剰な台詞の応酬、一つの質疑が成立するまでに要する細かい確認の手続きがよみがえる。既存のコミュニケーションでは日常すら手間取る面倒な青年、マーク。しかし彼ならではのサービス観、突進力があり、そこに英語圏の強みもあって世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を実現できたという事実。チュニジアやエジプトの政変でも証明されたその影響力はさることながら、20世紀後半に青年期を送った者としては、正直、マークの存在に荒みを感じてしまう。彼のような才能の出現は時代の必然としても、そうだからこそ荒涼感を覚えざるをえない。しかも、それらの才能とサービスの出現が次々と売買されるアメリカのマネー・ゲームの在り方を(関連図書で)細かく知ると、一度そこから離れて冷静に黙考しないとやばいことになると実感する。 巻き込まれるのか、ちょっと絡むのか。むろん、後者でありたいと思うのだが、気がつけば前者の様相を呈してもがくことになりかねない。 時代性というテーマが強く気になる。とりあえず、あの人に万年筆で手紙を書くこととする。 |
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| 1月25日 (火) |
大連立のミニマム版に思う |
昨日から通常国会がはじまったが、衆議院議員選挙東京1区の住民としては、海江田&与謝野の両代議士が内閣にあって、大連立のミニマム版を見る思いだ。無論、与謝野氏の筋は通ってはいない。いないのだが、これは管首相初めての覚悟を感じさせる決断で、結果がどうなるかはともかくちょっとした期待とともに見守りたいと考えている。そもそも今後の日本の状況は、人類史上例のない少子超高齢化社会なのだから、誰がやったってどの党が政権をとったって早々うまくいくはずはないのだ。歪に過ぎる人口構成をいまさら理想形に戻すことは不可能で、もしありえるとすれば緩やかな疫病の流行しかない。しかしそれだって幼児の免疫力の低さを考慮すれば、高齢者とともに低齢者も多く亡くなってしまうだろう。現況に対する危機感をまっとに抱けば、今から5年ぐらいは党派、および政治家と民間人の垣根を超えて国の諸制度の大変革をやるべきなのは明らか。政権交代は打開策にはならないとわかった以上、今の内閣がどこまで近未来対策を講じてみせるかは見物(みもの)である。 与謝野氏にはその一点に懸けて罵詈雑言に耐え、あの萎みかけた肉体で結果を遺してほしいと期待する。本人も腹をくくっていると思われるから、文字どおりの命を賭した大仕事を、ぜひ。 |
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| 1月24日 (月) |
今、ここに |
| 16時、歯科へ。夜、"遺書、拝読"のゲラ校正をやって戻し、『今、ここに生きる仏教』(大谷光真 上田紀行 平凡社)を読む。 |
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| 1月23日 (日) |
首長く |
| 16時、"遺書、拝読"ようやく脱稿。推敲して送信。呆然。夜、『完全なる首長竜』(乾 緑郎 宝島社)を3章まで読む。面白い。 |
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| 1月22日 (土) |
終わらず |
| 終日、"遺書、拝読"の原稿。終わらず。 |
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| 1月21日 (金) |
滂沱 |
"遺書、拝読"第87回を半分まで書いたところで、やはり『二十四の瞳』(木下惠介監督)も観るべきだよなと何度も思い、執筆を中断してDVD(デジタルマスタ−2007)をセット。最新の修正技術で蘇った画像に感心しながら観はじめてほどなく、気がつくと涙がこぼれていた。高峰秀子演じる大石先生と一年生の生徒たちが汽車遊びをしているだけなのに。ここで涙の堰が崩れだし、ストーリーが進むほどにあふれる涙が増え続け、戦後、46歳になった大石先生の再就職を祝うかつての教え子たちとの再会(とくに修学旅行直前に奉公に出された松ちゃんの登場)と、宴席の奥に置かれた大胆なプレゼントがアップになる場面で、ついに滂沱の涙にまみれてしまった。 白黒フィルムなのに花の、空の、海の、山の、人肌の、それぞれの色が浮かんできて美しかった。高峰秀子の演技の凄みは、戦争で(天本英世演じる)夫を亡くした後に幼い娘を不慮の事故で喪ってぐっと老いてからの後姿にあった。歩き方も含めとても28歳が演じているとは思えない寂寥がにじみ、それだけで、新任教師として壇上に立ってからの歳月の流れを思い知らせてくれるのだ。反戦の念に裏打ちされた先生と生徒のうるわしき愛情物語であると同時に、『二十四の瞳』は、女の一生の映画としても十分に堪能できる作品だった。 書きかけの原稿、冒頭からやり直すこととする。 |
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| 1月20日 (木) |
戦後の時間 |
| 高峰秀子さんの業績をたしかめるためあらためてDVDにあたり、成瀬巳喜男監督の『浮雲』、『乱れる』を続けて観る。3回目の『浮雲』、やっぱりたまらん。戦後とはどんなことが生じる時間なのか、政治的な言説やシーンはなくとも、一組の男女を描くことでぐっさりと描いてみせた成瀬の手腕にまたも痺れる。"遺書、拝読"を書かねばならないのに、映像の前で呆然。森雅之と高峰秀子の残像を追って言葉を忘れる。 |
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| 1月19日 (水) |
渡世のための覚悟 |
| 「週刊朝日」のゲラ校正をやって返送後、遅れて提出された学生の課題原稿を読む。年々レベルが向上していると実感し、推薦図書103冊をまとめたレジュメをもって大学へ。秋学期全15回の講義を終えて気分上々のまま、残っていた学生3名と「crescendo」で談笑。18時過ぎに散会、高峰さんの本を読みながら帰宅し、夕食後も書見。高峰さんの厳しいほどの距離感に、そうならざるをえなかった幼児期から少女期の日々に感じ入る。それは、渡世のための覚悟に裏打ちされた視座の強さと、哀しみが育んだもの。高峰秀子の眼は鍛錬された鋼のような黒玉だったに違いない。 |
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| 1月18日 (火) |
一日<ウータ |
16時過ぎ、地下鉄に乗って浅草へ。「二葉」の二階へ行くと、予定どおりN良さん、千葉さん、S田さんらにまじり、いしいしんじ君が園子さんと一日(ひとひ)とともにそこにいた。生後三ヶ月余りの一日は順調に大きくなっていて、体重は6,6kgとのこと。思わず「うちの猫の方が重いな」とつぶやくとみんな怪訝な表情を浮かべていた。ウータはやっぱり巨猫らしい。 一時間強、一日を見守りながら談笑を続け、園子さんと一日が先に帰ってから飲みなおして名物の釜飯を喰らった後、「神谷バー」に流れる。ほぼ10年ぶりに足を踏みいれた神谷バーは、混んでいた。前夜の疲れかどうにも気分がすぐれず、後半はコーヒーでやり過ごして22時前、地下鉄に乗って帰宅。高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』を読みながら昏倒睡。 |
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| 1月17日 (月) |
74歳の中学同級生コンビ |
13時、"愛される理由"を脱稿、推敲して送信。軽い食事をとって資料を読み、16時、歯科。帰途、あんまんを買って喰らい、17時半、「あら喜」へ。17時50分、山崎努さん、U野さん、一三さんがタクシーで到着。3人は山崎邸ですでに飲んできたらしく笑みをたたえながら座敷に腰をおろし、それぞれ赤ワイン、神亀の燗酒、ビールを持って乾杯する。U野さん、ばくらいを絶賛し気持ちのいい飲みっぷり。先週号の「週刊文春」に掲載されている山崎さんの読書日記にまつわる話、鶴見俊輔さんの新刊について妙味、そして横澤さんと山崎さんとの関係について話をかわすも、途中、風邪のために熱がある一三さんが退席。それでも酒宴はつづき、「あら喜」閉店後は、タクシーで恵比寿のウエスティンホテルに移動してU野さんが泊まる部屋でまた赤ワイン。このあたりになるともう何を話したかよく覚えていないが、日付がかわってもしばらく談笑し、「ようやく調子が出てきたのに」と引きとめてくださる74歳の中学同級生コンビと別れてタクシーで帰宅。 刈谷で過ごした高校時代の悪友たちと飲みてぇ! 恵比寿から白金へと下る坂の車中、焦がれるようにそう願った。泰樹、今年は必ず連絡するからな。 |
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| 1月16日 (日) |
世外の徒 |
しかし寒い。 本年最初の"愛される理由"を途中まで書いて豚しゃぶを喰らい、溜っていた新聞、雑誌を読みふける。朝日の夕刊にあった、海老蔵騒動を素材にした高橋睦郎さんの小文に共感し、切りとって再読。 半世紀近く歌舞伎を観てきた高橋さんは、歌舞伎をまず、観客にとっての「悪の解放装置」と説く。人間の中にある溜った悪を舞台で発散するのが歌舞伎で、観客はそれを観て自身の悪を発散。よって翌日から善を表に出して生活していけるのだと見立て、だから、〈旧時代の世間は、歌舞伎役者を世外の徒と見做すことで、彼の私生活での偏向をかなりの程度大目に見た。(中略)しかし戦後ことに二十一世紀になると、役者は名実共に市民社会に組み入れられ、社会は彼に市民道徳を要求するようになる。〉 かくして海老蔵は糾弾され、今も世間の監視下にあるような生活を送っている。高橋さんはこう続ける。 〈この時、歌舞伎の役者、現代風に言い換えて表現者は、私生活でどう対処すべきか。表面上はあくまでも市民社会の一員として市民道徳に従いつつ、内面的に世外の徒として生きるほかはない。〉 この自覚は何も歌舞伎役者には限らず、〈人間の表現者〉たる者にはすべて求められるものと高橋さんはまとめている。世外の徒。おれもそうあろうと思って生きているつもりだが、世間の通念というのは実にねっとりとまとわりついてくる。とりあえず、と思ってそれに合わせていれば、まあ波風は立たないが、いつしか表現の泉が枯れはじめるから怖い怖い。せいぜいできる対処は、微苦笑をうかべて「ではこのあたりで」などと頭を下げてその場、その状況から逃げるのみ。本当はみんな、心のどこかで海老蔵を転がして楽しんでいるくせに、「海老もこれに懲りて精進しろよな」などと声にだす。やれやれ。 海老蔵よ。あなたは選ばれし第一級の世外の徒として生きてくれ。今その五臓六腑に充満している憤懣と困惑を板の上で爆発させ、くそったれの世間を絶句させてくれ。 |
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| 1月15日 (土) |
カシャカシャ |
| 13時、年に一度の3種ワクチン接種のため、オランを動物病院に連れていく。その往復中、癇性の強いオランはキャリーケース内を掻きむしるように前脚を動かし続け、周辺には絶えずカシャカシャと音が漏れる始末。まるで電車内で聴こえてくるイヤホン越しの音楽のよう。よくもまあ体力が続くものだと感心しながら帰宅し、玄関でケースのふたを開けてほどなく外に出たオランの足取りは、はっきりとよたっていた。オラン、9歳。命がけで強き自尊心を堅守する淑女なり。 |
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| 1月14日 (金) |
小説の中に |
| 昼間、母に電話をかけ、父の状況を聞く。ここ2回の訪問はいたって穏やかな態度と表情だったらしく、母の声があきらかにはずんでいた。安堵の声を聞き、こちらも落ち着く。本人もときに制御できない苛立ちを抱え、父は今どうしているのか。自分が書いてきた小説の中に入りこんだような感覚に、昼下がりしばらく、どっぷりひたってしまった。 |
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| 1月13日 (木) |
交友 |
| 夜、ぼおっとしていたら一三さんから電話があり、新年会の打診を受けてすぐに承諾。その際に、山崎さんが明日の横澤さんの告別式で弔辞を読まれると知る。バラエティ番組の名プロデューサーと名優の、意外な交友。その事を想いつつ高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』(文春文庫)を読む。 |
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| 1月12日 (水) |
水曜日だけは |
| 6時半、起床。恩人からの依頼事を9時半までやってFAXで送り、それから学生たちの課題原稿を集中して読み、14時前に家を出る。講義終了後、「crescendo」に顔を出してビールで喉を湿らせ、マスターと談笑しつつコーヒーを飲んで帰宅。ふらふらの体で遅い夕食をとり、その後は少し本を読んで眠ってしまう。いつものことながら、水曜日だけはビジネスマンに戻ったような一日になる。 |
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| 1月11日 (火) |
『最後の七月』が読み物部門第1位! |
| ゴブリン書房のT田さんからメールをいただき、四日市にある有名な児童図書書店「メーリーゴーランド」が選ぶ2010年度読み物部門で、『最後の七月』(理論社)が第1位になったと知る。2位にまどみちおさん、3位に谷川俊太郎さん……、素直に嬉しい。一昨年は、『あたらしい図鑑』(ゴブリン書房)がやはり第1位だった。ありがたい。機会をつくって一度ご挨拶に伺いたいと思うが、その際には伊勢国一の宮、椿大神社(つばきおおやしろ)に参拝しよう。同社が祀る猿田彦神が、おれは好きなのだ。 |
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| 1月10日 (月) |
横澤彪さんの思い出 |
横澤彪さんが亡くなった。数年前から悪性リンパ腫を患っていたことは知っていたが、ついに逝かれた。 周知のように横澤さんは、テレビの笑いに革命をおこした「オレたちひょうきん族」をはじめとする名プロデュサーで、初めてお会いしたとき、彼はまだフジテレビに在籍されていた。「週刊SPA!」誌上で対談し、カメラマンや編集者の要望にこたえてあれこれ珍妙なポーズを2人でとった記憶がある。「就職ジャーナル」の編集長だったおれは当時、フジテレビに一芸採用を提案していたのだが、横澤さんは賛同、支援してくだった。次にじっくりお会いしたのは、横澤さんが関連会社(ヴァージンレコード・ジャパンだったか?)の社長になられた直後だった。アイデアを求められ、生意気にあれこれ企画を語った。そして1998年7月、朝日ニュースターでおれがホスト役を務めていた対談番組「異人探訪」にご出演いただき、吉本興業の東京支社長になられていた横澤さんにふさわしく、今はもうない銀座7丁目劇場の舞台に立って対談したのだった。スタンドマイクを置いて漫才師よろしく無人の客席に向かって話す。何とも無理のある設定ながら、横澤さんはさり気ないボケをはさみつつおれをリードしてくださりどうにか終えることができた。その後は葉書のやりとりをしながら21世紀を迎え、罹患された後には「今後は時候のあいさつをひかえさせていただきます」という案内をいただいた。最後に横澤さんのお顔を見たのは昨年、フジテレビの番組批評の中だった。少し痩せてはおられたが精気ははっきりとあり、まだまだ大丈夫だと感じたのだった。 昼下がりぷらっと外に出て、ヒヤシンスの球根を3個買って帰った。 |
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| 1月9日 (日) |
護国寺、帝京、ザックJapan |
| 連続する好天につられてオープンカフェで朝食をとり、帰宅後、もっとしっかり外出したくなって護国寺へ出かける。20代の頃、著名な方の葬儀に参列するために訪れて以来の参拝とあって、大隈重信や大山倍逹らが眠る墓地公園エリアもふくめてじっくり散策し、日だまりの猫の写真も撮り、ラグビー全国大学選手権の決勝戦に間に合うように自宅にもどる。試合は帝京大のスクラムの圧力が勝敗を分け、点差以上に同校の凄みを感じる内容だった。そして、夜はサッカーのアジア杯の日本vsヨルダンを観戦。勝たなければならない相手に引き分けで終わったものの、内容は悪くなかった。少なくともこれまでのどのAチームよりもスピードがあるだけに、あとは引いて守る相手を飛び出しとドリブルで崩し、併せてセットプレイの精度を上げていけばさらに強くなるだろう。まあこれからだよな、ザックJapanは。 |
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| 1月8日 (土) |
富士山拝礼 |
| 冷えたとはいえ、あきれるほどの好天。思わず玄関先から富士山に拝礼してしまう。箱根合宿組で計画していた高尾山登山付き新年会が流れたので、近所を散歩した他は部屋にこもって書見、メモ整理、ゲームで過ごす。 |
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| 1月7日 (金) |
だらだら二ノ国 |
| 8時起床。だらだらと「二ノ国」をやってしまい、目が疲れたところで昏倒睡。 |
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| 1月6日 (木) |
何でもありは、何にもなしへの近道 |
野田聖子代議士の出産に関するニュースを見聞きするたびに、ふつふつと嫌な気分になる。一言で云えば、狂っている。見知らぬ女性の卵子と事実婚の相手の精子からなる受精卵を自身の胎内に着床させて出産する行為は、どう考えても狂気を帯びた人体実験でしかない。不妊に悩んだり、高齢出産を願う女性の希望になればと語る彼女の発言には虫酸すら走り、その趣旨に共感するようなコメントを発するテレビのコメンテーターには怒りすら覚えた。 技術がある、卵子を提供する人がいる、料金を払えばそれらを許可する国がある。だから実践する。この状況を思うとき、おれはいつも原子爆弾が作られる経緯を想像する。当時の天才物理学者たちがたどりついた理論を応用して未曾有の、あっという間に数十万人を殺傷できる武器を作ってしまった人類。その後、技術応用は水素爆弾まで進み、いつしか「核抑止力」なる奇妙な言葉まで生んでしまった人類。まったくもって「くそったれの世界」なのだが、これと同じことが生命誕生に関連しても進行している。お題目は「不妊に悩む女性のために」となっているが、これは「ナチスの暴走を打破するために」という建前を用意した当時のアメリカ政府首脳部と何ら変わらない。何とだって云える。技術を試したいのだ。科学技術の世界は、それが倫理的にどうかといった是非はひとまず考えずに進むから、そこに金儲けや権力獲得を目論む者がからむととんでもないことになる。気がつけば核爆弾のようなことになる。そして生命誕生に関しても、もうとんでもないところまで来てしまったのだろう。
人類は滅びるね。
代理母のニュースにふれた際、昨年亡くなった佐野洋子さんはそう書いた。欲望は権利ではないのに、欲望を権利ととらえて疑わない者たちが跋扈すれば、人類は滅びる。佐野さんはそう直感したのだ。「何でもありは、何にもなしの近道」、これはおれが考えたフレーズだが、おれは若い頃から「あきらめる」ことを重要な心得だと自分に言い聞かせてきた。倫理なんてものは、あきらめる行為と表裏一体だと思っている。つまり、欲望を権利と勘違いしない行為として「あきらめる」ことに一理が生じ、それとは別のところで自分を生きる日々を模索するのだ。しかし一部の人類は、野田代議士は、人工的な出産を権利ととらえた。彼女は保守王国の岐阜を選挙区とする政治家だが、今回の出産は保守の概念と反目しないのか、「人間的」あるいは「人間らしい」という言葉をどうい意味で口にするのか訊いてみたい。さらに問いただすなら、そこまで事実婚にこだわるのは、祖父の代から政治一家として続く野田姓を継続させるための手段ではないのか、と。 今後は、このような新たな出産に対応する法整備にも取り組みたいとも野田代議士は語っていたが、冗談じゃない。何でもかんでもアメリカの法律が進んでいるようにとらえているようだが、日本の関連法はどうにか倫理の崖でふんばっている。何でもありに対応するための法改正を進めることは、原子爆弾投下の許可を求めることと同意ではないかと、せめて代議士ならそのぐらいの想像力をもって臨むべきなのに。……ああ、でもきっと、こうして人類は滅びる方向に向かうんだろうな。技術に精神が追い立てられて破綻していく状況は、もう変わらないわな。 |
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| 1月5日 (水) |
天王寺屋! |
中村富十郎の訃報にふれて思わず声をもらした。昨秋から体調を崩しているとは聞いていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは。ここ数年、精力的に演じる姿を何十回と観てきただけに驚いてしまったが、現実には80代の老体に鞭打っての取り組みだった。おそらくそこには、愛息の鷹之資の目に師匠の芝居を焼き付けてやりたいという思いもあったのだろう。鷹之資の披露興行の際に感じ入っていた富十郎の顔を思い出す。そしてこの日、11歳になった鷹之資は父の死を知った上でしっかりと舞台をつとめたらしく、その心中を察してつい、「天王寺屋!」と叫んでしまった。まだまだ学ばせたい演目や役はあったに違いないが、それでも最期まで舞台に生きた老父の姿は息子の指針となるはず。30年後ぐらいには六代目中村富十郎が誕生するものと期待したい。 ちなみに、五代目富十郎の初舞台は坂東鶴之助の名で昭和18年、14歳だった。 |
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| 1月4日 (火) |
悪魔の人名辞典 |
| 年末年始にあれこれ読んだ週刊誌の中で出色だったのが、「週刊新潮」の2011年版「悪魔の人名辞典」だった。青木愛からアイウエオ順に渡辺喜美までどれをとっても無駄なく見事に揶揄してみせ、苦い笑いを提供してくれた。これはいわば"客観の文芸"の標本箱のようなもので、レリーフよろしく対象者の本質が浮き上がる。だから、中途半端な客観ではカスやウンコで終わってしまってしまうのだが、今回の企画はすべてそこを軽くクリアしていた。市川海老蔵、大川龍法、矢田亜希子などはつい「巧い!」と声をもらしてしまったほど。これ、毎週3名ぐらいとりあげて連載にすればのいいのに。 |
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| 1月3日 (月) |
東麻布へ合掌 |
| 雑煮を喰らってテレビの前に陣取り、箱根駅伝の復路スタートを観戦。残雪の箱根路、文字どおりの鍔競り合い、転倒、表情と走力の関係性、……6区は実に面白く、抜きん出た早稲田と東洋の戦いを満喫したのだが、7区で着実に差がひらくにしたがって眠くなり、ついうたた寝。ふと目を醒ましても眠気は深まるばかりで、ソファからベッドへ移動してしっかり寝入ってしまい、よく寝たと起き出したときにはもう大会は終わっていた。毎年のことながら終わってみればすっと関心が失せ、高峰秀子さんの訃報に呆然とする。『二十四の瞳』のマスター版DVDを注文し、お宅がある東麻布の方へ掌を合わせる。 |
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| 1月2日 (日) |
おおさこ〜 |
7時20分、起床。雑煮、黒豆、田作りで朝食をとり、箱根駅伝がスタートしたことをテレビで確認して田町の駅前へ。ちょっと早く着いてしまったが、関係者から専用の小旗をもらい、選手たちがやってくるのを待つ。往路の5km地点とあってまだ人はまばらながら、青山学院や國學院の小旗をもった女性もちらほらいて華やぐ中、早稲田のユニフォームが見えてきたところでぐっと前に乗り出し、「おおさこ〜」とつい叫んでしまった。以前、同じように沿道応援に来たときは20人が集団で走り去って興をそがれてしまったが、今回は早稲田の大迫選手が抜け出していて興奮したのだ。 後から集団でやってきた選手たちを見送ったところで沿道から外れ、おそらくはJRで鶴見をめざす追っかけの人々を横目に近くをぷらぷら歩いて喫茶店に入り一服。まったりして店を後にし、昨日と同じルートで歩いて帰る。 |
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| 1月1日 (土) |
こつこつほけほけ |
少し遅めに起き出し、猫たちに珍しくモンプチの缶詰を用意してから雑煮を喰らう。例年どおり銀扇さんの餅美味く、気分上々となって外出。三田の氏神、春日神社に初詣にでかけ、新しい神宮大麻とお札を買ってお神籤を引く。去年は100社以上の神社に参ったが一度もお神籤を引がずにいたので、少々緊張。ゆっくり捲って見ると、小吉だった。「小吉、か」つい声がもれた。多くを望まずこつこつほけほけ行け、ということらしい。その後は近くの喫茶店でコーヒーを飲み、眩しい陽光の下、神託どおりこつこつほけほけ歩いて帰った。
みなさま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 賀春 |
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| 12月31日 (金) |
年々歳々メリハリ喪失 |
日があるうちに窓掃除をすませ、早々にすき焼き。「酒造りの神様」と称される杜氏の農口尚彦さんが作った「蓬龍」をくぴくぴ飲りながらちんたらと食し、ほろ酔いで紅白歌合戦を観る。 ちょうど後半戦に入ったところだったが、桑田佳祐の登場は素直に嬉しかった。ちょっとやつれてはいたが、パフォーマンスはライブ同様のベタな座敷芸で微笑ましく、尖った歌詞との対称を楽しませてくれた。彼にまで死なれては困るのだ。「トイレの神様」はこれであらためてヒットするのだろうと下衆な感想をいだき、美川憲一は今何をしているのだろうとふと思う。恩師の作品を歌った石川さゆり、北島三郎、ともにお見事。ドリカムもよかった。ライブ会場の盛り上げ方を熟知しているだけに、いきなりのトップギアもお手のもの。さすが。その点、SMAPは弱かった。歌唱力の弱さが露呈し、それまでの歌の盛り上がりをあきらかに削いでいた。視聴率獲得には貢献するのだろうが、全体の編成としては後味の悪さを残す結果となった。 ……そんなこんなどうでもいいことを考えつつ「ゆく年くる年」を迎え、「二ノ国」をやりながら年を越す。昨年は「となりのトトロ」の巨大ジクソーパズルに悪戦しながら新年を迎えたのだが、年々歳々、自分でもあきれるほどメリハリを失っていく大晦日であります。 |
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| 12月28日 (火) |
痛飲納め |
| 夜、「あら喜」へ。焼き筍、焼き牡蠣串など旬ものを喰らいつつ八海山を飲み、デザイナーのY津くんと初見のT村さんと歓談。気のいいY津くんと真面目なT村さんの組み合わせよく、遅くまで盛り上がる。特にT村さんの故郷である福井の話題で花が咲き、暖かくなったら敦賀の気比神社と小浜の若狭彦神社へ行こうと思う。本年最後の痛飲と自覚しながら帰宅し、ゲーム「二ノ国」をやりながら眠野へ落下する。 |
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| 12月27日 (月) |
函館 |
夕方、予約していた歯科へ行き、年明けからの治療に備えて歯石を取り除いてもらう。帰途、いつものように「長寿庵」に寄って珍しくざる蕎麦の大盛りを喰らい、帰宅後シャワー。着替えをすませてタクシーで銀座へ。 久世朋子さんの店「茉莉花」の忘年会に顔を出し、朝日新聞のH山さんと久しぶりに並んでカウンターに向かいつつ西木正明さんと談笑。その後、小学館のM井さんが隣に来られ、『海炭市叙景』(佐藤泰志 小学館文庫)をいただく。同作は元々は集英社で刊行された作品だが、函館出身のM井さんにとっては同じく函館で育った佐藤さんの代表作だけに思い入れも深いのだろう、映画化と連動して小学館で文庫化されたと知る。思えば、初めての長編小説『祝福』の初稿を担当のI垣さんに送付した足で向かったのが函館だった。そこで市立文学館を訪ね、41歳で自殺した佐藤泰志さんの生原稿を目にした。たしか展示されていた原稿用紙には、ブルーブラックの万年筆で「海炭市叙景」と書かれていたように記憶している。それから数ヶ月後、今は亡き当時の「すばる」の片柳編集長と打ち合わせをした時にふとその話になり、佐藤さんについていろいろ教えてもらったのだった。「芥川賞の候補に5回もなったんだけどね……」。 41歳から創作に専念したおれと、41歳で創作を絶った佐藤さん。ただそれだけの事実ながら彼の名前はその後も気になっていた。だから、M井さんから文庫本を手渡された時、これは読まねばと強く思った。いいタイミングだとも感じた。 M井さんと赤ワインを2本空けたところで、M井さんの高校の後輩にあたる月刊「文藝春秋」のK地副編集長が来店。うたた寝がはじまったM井さんをそのままにK地さんとあれこれ話を続け、店内がいっぱいになったところで2人で朋子さんにご挨拶をして別れ、タクシーで西麻布へ。K地さん行きつけの店で飲み、そこが閉店すると女性陣とともに別店で軽く食事をして帰る。6時だった。 |
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| 12月23日 (木) |
冬至の次の日 |
14時前にリクルートG8ビルへ行き、信國の一周忌イベントに参加する。開会後、彼と近い関係者のスピーチをいくつか聞いたが、彼のガン発症から死にいたる経緯とその内実を時系列に紹介する企画が圧巻だった。そこで読み上げられた、折々に書かれた信國のメールは澄みきった川水のように豊かで、言葉に化した彼の思いがすうっと染みこんできた。だから、辛かった。中でも奥さんにあらためて恋情を伝える文章は、一等の恋愛小説のクライマックスかのような光沢をたたえていて美しく、哀しかった。 最後は関さんが(おそらく彼のスピーチ史上最高の)話をして閉会し、それから発起人のメンバーや奥さんとともに近くの「日本海 庄屋」に流れる。信國とはそれほど深い付き合いのなかったおれは聞き手にまわり、発起人のひとりで今夏、倉本聰さんの娘さんと再婚したT條の、ドラマばりの結婚にいたる過程にうなったりしながら過ごす。そして3時間ほど過ぎたところで席を立ち、奥さんに挨拶をして先に帰途についた。冬至の次の日にふさわしい一日だった。 |
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| 12月22日 (水) |
こういう夜はこうなる |
大学での講義を終えて「crescendo」でコーヒーを飲んで新宿に向かい、ゴブリン書房のT田さんと合流後、「VAGABOND」へ。4月に映画プロデューサーのW杉さんと顔合わせをして以来とあって、まずは再会を祝して乾杯。軽い食事をとりながら近況を語りあい、途中で店のマネジャーでもある俳優の一三さんをT田さんに紹介する。しばらくは3人で談笑しつつ杯を空け続け、店が混雑したところで2人にもどって来年の話。希望的計画なども口にして22時過ぎ、散会。新宿駅でT田さんと別れ、四谷駅まで電車移動してからタクシーに乗ってひとり銀座へ行き、年末の挨拶をするために「まり花」に顔を出す。そこで久しぶりにI田さんと会い、お連れの方々にも挨拶をして小一時間飲んだあたりでカラオケのできるバーへ同行するよう求められ、素直にしたがって一緒に数曲歌ってからタクシー乗り場へ。しかし、バブル期を髣髴とさせる長き行列に尻尾をまき、あらためて「まり花」を覗いてみると仲畑さんが、「よっ!」。 こういう夜はこうなる。 I田さんにも仲畑さんにも年内に会っておきたいと思っていたのだ。 3時半まで仲畑さんとたっぷり話をし、ともに人波が消えたタクシー乗り場へ移動して握手で別れる。 激しくもいい夜でありました。 |
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| 12月20日 (月) |
合宿組忘年会2010 |
| 年内最後の"愛される理由"を書いて「週刊朝日」編集部に送信後、19時、電車に乗って自由が丘へ。「葱や平吉」の座敷でひらかれている箱根合宿組の忘年会に遅れて参加。山崎努さんをはじめとるする男6人で飲んで語って喰らって盛り上がる。閉店後は駅近くの地下にあるバーに流れてそのまま話を続け、1時過ぎ、とうとう泊まっていくことになったU野さんと山田画伯をホテルまで送ってから散会。22日から海外へ行かれる山崎さんと握手をしてタクシーに乗り、山形の温泉地に詳しい運転手の話を聞きながら帰る。 |
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