| 2月5日 (日) |
書けなかった理由 |
| 5時過ぎ、起床。6時半より8時まで諸々の事務処理。『ぼくらの学習』(http://rashinban.bz/rironsha/bokurano/index.html)用の資料を昼まで読んで昼食、薬を飲んで仮眠。15時に起き、シャワーを浴びて17時前に外出。21時半に帰宅し、サッカー五輪予選をテレビ観戦。まさかの敗北を見届け、創作。しかし、1976年の愛知県公立高校入学式の日付がわからず、確認しようと中学・高校時代の日記を読み返したり、高校時代の卒業アルバムをながめたり、ネットで検索したりするうちに5時になってしまう。やれやれ、と諦めて机に向うと、第2回の引用文献の行方がわからず、今度は一冊の文庫本を探すうちに書籍と雑誌の片づけを余儀なくされ、ようやく発見したときには6時半となっていた。結局、一文字も書けないまま困憊睡。 |
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| 2月4日 (土) |
立春安静 |
| 昨晩ようやく校正・訂正が終わった文庫版『セシルのビジネス』のゲラ束の送付手続きをとった他は、安静にして過ごす。予定では連載小説『ぼくらの学習』の第2回を書くつもりだったが、鼻づまりと咳が悪化し、とうてい集中できなかった。せめて鼻の具合がよくなれば、と願いつつ早々睡。 |
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| 12月23日 (金) |
志らくの『芝浜』をよみうりホールで聴いてきた。 |
13時、有楽町へ。よみうりホールで立川志らくの独演会。去年のこの会では、家元・立川談志がゲスト出演し、痛む喉をしぼって十八番の『芝浜』を演っている。家元とのお別れの会から2日後の今日、志らくは宣言どおり、その『芝浜』に挑むという。10年ほど前、渋谷の東邦生命ホールで定期的に「シネマ落語」を演っていた志らくは観て聴いていたが、ここ数年はまったく聴いていない。そもそも古典落語の腕前はいかほどなのか。期待と猜疑の思いを抱いて前から4列目の座席に腰をおろした。 前座なしではじまった会は、まずミッキー・カーチスをゲストに招き、ハーモニカの共演。家元が好きだった『イッツ ア ビューティフル ワールド』を演奏。そして、『富久』。先週聴いた権太楼の『富久』とは違うサゲながら、上出来の内容に感心。いい意味で年をとった志らくの姿をなぞりつつ仲入りを過ごし、いざ『芝浜』を聴く。 結論から言えば、素晴らしかった。クライマックスの女房の独白では、二つほど自分なりの伏線をはり、それを順に活かしてラストへ。夫婦の演じわけも巧みで、そしてその相性の良さがどこにあるのかもやりとりの中で感じられ、時間が経つにつれ、長年連れ添った二人の情愛がふわふわと舞台から放たれて明るくなっていく。だからこそ女房の懺悔の独白はいじましく、素直な愛情がこちらにも届いてうれしくなる。 ほぼ10年ぶりの志らくの、刮目すべき前進と深化を感じた二つの落語。聴けてよかった。志の輔、談春はもとより、これだけきっちりと自分なりの解釈を付加した古典が演れる噺家がそろった立川流は、だいじょうぶだ。組織的にどうなるなるかはともかく、個々の噺家が精進して老いていけば、家元の思いの体現となるはずだ。 勝手にやれ。家元のこの口癖を厳密に解読すれば、「勝手に精進しろ!」だとおれは思っている。 |
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| 12月21日 (水) |
言葉大放出 |
6時、起床。7時から学生40名分の課題原稿を読んで講評を書く。11時に終了してメールで業務連絡をすませ、11時半からは連載原稿の続きを書く。13時までに3枚書き、シャワーを浴びて出講。行動描写の重要性とその活用法について話し、17時半、帰宅。すぐに机に向ってさらに原稿を書き、19時過ぎ、第1回目の20枚分を脱稿する。推敲してY本さんに送信。それから予定より1時間遅れて外出し、恵比寿のウェスティンホテルの鉄板「恵比寿」でご馳走をいただく。しかし、ここ2日間で19枚書き、40名分の講評を記し、90分の講義をおこなった頭にはもう言葉を生む力がなく、「美味しい」と「すばらしい」を連発するしか感想を語れない。せっかく上質の料理とワインをいただき、料理人自らさりげなく語りかけてくださっているのに、だ。それでも質、量ともに食欲が満たされると言語脳も復活し、またいつもどおりあれこれ喋り倒して同伴者に喜んでもらった。 それにしても、こんな生活を後10日も送ったら、きっと過労で倒れてしまうだろう。もう少し「コツコツ感」のレベルを上げなければ、と猛省した一日だった。 |
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| 12月20日 (火) |
連載小説に集中! |
| 2時半より連載小説の創作。4時過ぎまでに3枚書いて眠り、11時過ぎより再開。18時半までに7枚書いて夕食をとり、その後は『宗教と現代がわかる本2012』に寄稿した原稿のゲラ校正。24時前にどうにか終え、FAXで編集部へ返送して昏倒睡。10時間以上も机にむかっていたからか、腰と肩甲骨周辺の筋肉がばりばりにこっている。 |
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| 11月23日 (水) |
談志師匠が亡くなって |
談志師匠が亡くなった。 訃報はツイッターで知った。共同通信が流すより早く、午後2時過ぎに知ったが、誤報だと判断していた。ひどいデマを流す輩がいるもんだと。これだからネットは困ったもんだと、落語ファンの知人とメールでやりとりをしていた。が、それは正しかった。 まいったな。と思った。そして、困ったなと感じた。 それほどの存在感を放ちつづけた人だった。初めてお会いしたのは12年ぐらい前だが、無論、子どもの頃からその存在は知っていた。テレビで落語も聴き、テープでも聴き、本も数冊読んでいた。喉を傷めてからは声がかすれ、往年のメリハリや啖呵の切れ味は弱まったとはいえ、「ねずみ穴」や「芝浜」の巧さは天才の名にふさわしいものだった。また、志の輔や談春といった次代の名人候補を育てた。何より古典落語の面白さを伝承するために師匠が遺した業績の大きさこそ、評価されるべきだろう。 テキストはすでにある。それをどう読み込み、自分なりにこの時代に演じてみせるか。古典落語を演る噺家は、クラシックの指揮者や歌舞伎の演出家と同じ質の創造力を求められる。実に難儀な表現領域を担う人々だ。自身が名人で、その弟子から一人でも名人が育ったらまあ奇跡だ。談志師匠は立川流を創立してそれを成した。報道にもあるとおり、人一倍厳しい反面、陰でしっかり見守っている師匠でもあった。そこもまた希有な天才たる所以だろう。
個人的なやりとりはまた別の機会に書こうと思っているのだが、それにしても、なんなんだこの2011年、平成23年という年は。阪神淡路大震災やオウム真理教によるサリン事件がおきた1995年、平成7年にもまして忌まわしい年となってしまった。もうそっとしていてほしいと心底思う。誰に願えばいいのかわからないが、東日本大震災の影響だけでなく、これからの時代への転換点となる一年であるのは間違いない。 クワバラ。 |
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| 11月19日 (土) |
シクシク |
| 胃が痛い。まいった。 |
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| 11月8 (火) |
4枚 |
日々4枚は書きたいと願いつつ創作しているのだが、これがなかなか。終日机に向って(とはいえ10時間ぐらいだが)1枚ということもざらにある。この生産性の低さに気が滅入ることもたびたびだが、だからといってスイスイ書けるのも気持ちが悪い。 どうにも難儀な話だが、4〜8枚で日々進んでくれれば御の字だ。そして、本日は3枚。残念。 |
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| 11月6日 (日) |
池上本門寺で談春独演会を聴く |
朝から16時まで創作。4枚書いてシャワーを浴びて着替え、池上本門寺へ。17時から本殿で立川談春師匠の独演会を聴く。師匠の背後には仏像がならび、そんな中で、まずは「禁酒番屋」。まくらでふれた精進潔斎の流れをくんだ禁酒ネタは伸縮自在の間で展開し、たっぷり笑わせてもらった。 仲入り後は、まくらで震災被災地への慰問にふれ、「除夜の雪」へ。『赤めだか』に詳しく書かれているが、これは昭和30年代後半に桂米朝のために書かれた新作ネタ。真の無常に通じる救いのない話だが、人が生きることのフラットな状況を再認識させられる噺だ。寺でやるにふさわしく、今年の年末を迎える際にもふさわしいと判断されたのだろう。 いいものを聴かせてもらったと感じ入りながら広大な本門寺を後にし、品川に移動して会食。精進潔斎の真逆をと酔狂にメニューを選び、牛肉のしゃぶしゃぶを喰らい、久保田の千寿をぐびぐび飲む。かくして10日ぶりの外出は見事に楽しい不埒なものとなりました。 |
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| 11月5日 (土) |
執筆中の読書 |
執筆中の小説がある程度進んでくると、詩集や歌集、あるいは詩人や歌人や俳人のエッセイを読むようになる。散文の典型である小説を書いている反動なのかもしれないが、一語一語をしなやかに書き留めているものを欲してしまうのだ。喜怒哀楽だけでなく、日常よく目にする物や出来事がさらりと、だけど鮮やかな描写で表現されていて快い。その上で自分の文章を見直すと、その粗っぽさにあきれる。先を急ぐ焦りが言葉の選択はもとより、文章のリズムを傷めているとよくわかる。 なお、現在進行中の作品を書く合間にちょっとずつ読んでいるのは、『耳のうらの星』(東 直子 幻戯書房)と『残響 中原中也の詩によせる言葉』(町田康 NHK出版)と『東京バラード、それから』(谷川俊太郎 幻戯書房)。 |
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| 11月4日 (金) |
反動と敗戦を言い訳に |
| 昨日の反動とドラゴンズの敗戦の影響か、小説は2枚しか書けなかった。情けない。 |
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| 11月3日 (木) |
珍しく7枚 |
| 終日、創作。珍しく7枚進む。いつもは4枚書ければ御の字。ようやく6章、終わる。 |
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| 11月2日 (水) |
練る寝る水曜日 |
| 大学は学祭の時期らしく、授業のない水曜日を送る。創作に没しようと考えていたが、後半の構想を練るうちに寝てしまった。 |
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| 11月1日 (火) |
映画化の効力 |
創作を中断し、未明から朝にかけて"愛される理由"の原稿。今回は、『一命』(滝口康彦 講談社文庫)を取りあげ、映画化によって脚光をあびる原作について言及した。 たとえば、おれはこの映画の原作である「異聞浪人記」をこれまで読んだことがなかった。読むどころか、作品名も作者の名前も知らずにきたが、実にすばらしい時代小説だった。他の5篇もレベルが高く、素直に感心するばかり。自分の不明を恥じつつあらためて映画化の効力を思った次第。 思えば、1970年代半ば、横溝正史を知ったのは角川映画の影響だった。とうに忘れられていた探偵作家は一連の映画化によって復活し、角川文庫で復刻された作品群はどれもベストセラーとなった。ただ、滝口の「異聞浪人記」はこれが二度目の映画化だ。1962年にカンヌ国際映画祭で賞に輝いた『切腹』(小林正樹監督)の原作でもあり、他にも「拝領妻始末」が映画化されている。 映画人が食指をのばしたくなる気持ちがよくわかるほど優れた短編集、『一命』がもっと読まれればと願う。 |
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| 10月31日 (月) |
没頭しているくせに |
| 創作に没頭している間に10月が終わっていく。それはまったく望むところなのだが、没頭しているくせに原稿はなかなか前進しないのが辛いのだ。それでも諦める気はまだ湧いてこない。最後、いったいどのように終わるのか、書いている本人が早く読みたいと思っているからこうして書けるのだろう。 |
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| 10月22日 (土) |
アイデアは次々と湧くのだった |
担当の仲居さんが部屋に入ってきて目を覚ましたら7時半だった。徹夜明けの強行軍もあって、爆睡した。昨晩の天気予報では大雨だったが、外は曇り。朝食後に露天風呂につかり、しばらく遠望していると雲の切れ間がひろがっていくではないか。 チェックアウト後、39年前は参拝しなかった朝護孫子寺へ。ホテルと川をはさんだ先にあるこの寺は、聖徳太子縁の毘沙門天を祀っていて、独自の信徒をかかえる総本社でもある。明治、大正のころは宿坊もかかえていたらしい。1時間半ほどかけてじっくりすべての寺院を参拝、最後に本堂下の戒壇めぐりをやって漆黒の闇も堪能してホテルにもどり、タクシーで王子駅へ。JRを乗り継いで京都駅に着いたときにはぱらぱらと雨が降っていたが、ほどなく豪雨となって暗澹。それでも少し弱まわったところでタクシーに乗り、清水寺へ。再び主人公の少年の気分になって参道を上り、境内へ。若いカップルや集団の間をぬって大舞台に立ち、京都の市街地、足もとの渓谷をながめる。 アイデアは次々と湧くのだった。 興奮する頭、疲労困憊の体。 京都駅にもどってイタリアンのレストランに入り、白ワインやイベリコ豚やパスタで旅の打ち上げをやってから帰京。乗車後、はっと目を覚ましたら、もう新横浜だった。 |
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| 10月21日 (金) |
すべて創作でいくのだ |
5時45分まで「遺書、拝読」vol.96を書き続け、脱稿して編集部へ送信。すぐに一泊分の荷物をバッグへつめ、タクシーで品川駅へ。執筆中の小説のロケハンのため、のぞみに乗って京都へ向い、下車後、JR奈良線に乗り換え、9時59分に奈良駅に到着。 悪天候を覚悟していたのだが、着いてみたら青空も見えていた。宿泊用のバッグをコインロッカーに預け、歩いて商店街を抜け、興福寺まで行く。まずは南円堂を参拝し、五重塔や東金堂などをながめてから国宝館を訪ねる。上野で拝見した阿修羅像に再会するも、それ以上に巨大な千手観音に圧倒され、魅了され、しばらくそこを動かずにすごす。 その後もたらたら歩いて東大寺へ移動し、角刈りされた鹿たちに囲まれながら大仏に参拝。じっくり堂内をめぐり、主人公の少年の目になって感慨を目に刻む。堂内にも境内にも小中高生の姿が多く、ああこの中にあの少年もいるのだと思う。規律と逸脱の間を揺れ動くバカで元気でまじめな男の姿、鹿、緑、雲、大気の匂い。来てよかったと納得し、さらに実感を確認するために春日大社へ流れ、原生林の合間で休む鹿たちをながめ、庭園つきの和食店でゆっくり昼食をとってから参拝。 14時すぎ、タクシーで奈良駅へもどり、JR大和路線に乗って法隆寺へ。曇ってきた空を気にしつつ39年ぶりに参拝。たっぷり時間をかけて境内を巡り、宝物館も見学して駅へ返り、王子駅へ。そこからタクシーに乗って信貴山を上り、修学旅行で実際に泊まった信貴山観光ホテルへ投宿。浴衣に着替え、館内を見てまわってから露天風呂につかり、長い長い一日をふりかえる。 たっぷり湯につかっても、39年前のホテルでの記憶はまったくよみがえらなかった。すべて創作で構成する覚悟ができ、気持ちよく部屋にもどってビールを飲んだ。 |
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| 10月19日 (水) |
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| 午前中、創作。6章の冒頭部で中断し、講義用のレジュメをまとめシャワーを浴びてから出講。授業を終えた後、卒業制作のためおれを取材した学生の原稿チェックと写真撮影に応じ、今後の注意点をアドバイスしてコーヒー。今度は春学期を受講した1年生と話をしながら19時を迎え、一人、にしすがも創造舎へ。宮沢章夫さん主宰の遊園地再生事業団の『トータル・リビング 1986-2011』を観劇。22時10分に終了。その後のアフタートークも聴いてから帰宅。寝不足でふらふらながら、故・ワンガリ・マータイさんの自伝、『へこたれない』(小池百合子・訳 小学館)を第3章まで読んで昏倒睡。 |
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| 10月16日 (日) |
これからの2週間 |
進行中の小説のロケハンのため、21日に奈良へ行くことにする。行程は39年前の小学校の修学旅行に準じ、宿泊先も当時泊まったホテルを予約。法隆寺、東大寺、春日大社。翌日は、京都まで足をのばす。 ホテルで過ごす夜が小説のクライマックスの舞台となる予定だが、さてどうだろう。現時点ではまったく予想できないアイデアが浮かぶかもしれない。それはそれで期待したいが、たとえそうなっても背景としてのリアリティーは不可欠だから、やはり取材は徹底したい。 さて。 このロケハンが決まったことでこれからの2週間は怒濤のスケジュールとなる。奈良、京都の後は秩父へ行く。そして山崎努さんたちとの久しぶりの会食もひかえている。連載と大学での授業は当然ながら、なんといっても月末の小説の脱稿のためにも集中せねば。ぼおっとする時間はすべて睡眠にあてながら、とにかくやってみたいと思う。今の自分がどれほどできるのか、楽しみだ。 |
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| 10月12日 (水) |
戒めの胃痛 |
大学で授業を終えた後、神保町へ移動。次作がまだ山を超えてもいないくせに、来年から某サイトではじめる連載の打ち合わせに臨む。会社員時代からいつか必ず書きたいと願ってきた内容をついに文章化するのだが、「僕は、そして僕らはどうしてこんなに大人しくなったのか」というテーマを抱えて書くことになる。或る年の或る土地に学び、暮らす少年たちの数ヶ月。決して個人的な回想に終わらせず、今にも通底する物語を描きたいと考えている。そういったことをいろいろ話させてもらい、了解を得て散会。第一回分は12月初旬に第一稿を渡し、フォーマットともすりあわせて年初を迎える予定。 帰路、次々と湧きあがるアイデアを抑え、現在進行中の構想を詰める。事は順番に進めねばすべて絵に描いた餅になる。 夜中、激しい胃痛にもだえ苦しむ。 |
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| 10月11日 (火) |
しつつ |
| 膨満感と鈍痛に苦悶しつつ創作。まだ108枚。 |
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| 10月10日 (月) |
膨満感対策 |
8月ぐらいから食後に膨満感を覚える頻度が増え、そのために眠れない夜も2度3度味わった。そんなときはパンシロンを飲んでしのいだが、消化力の低下を補う必要があるのは明らかなため、今日、薬局で「エビオス錠」を購入。夕食後に早速試してみる。現時点、効果あり。それにしても、加齢ってのはいろいろ面倒だ。昨年の11月末からはじめた歯のメンテナンスはまだ続いているし、消化力は落ちるし、油断するとおれでもすぐに体重が増える。つまり、老化なんだよな。代謝の低下を自覚して注意していくしかないのだけど、それだけじゃな。困惑の日々はこうして続くのだろう。 夜から明け方まで創作。108枚。 |
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| 10月9日 (日) |
三解脱門の楼上へ |
昼食後、戦後初の一般公開がはじまっている増上寺の三解脱門に上ろうと出かけ、50分ほど並んでようやく門の中へ。急勾配の階段を二つあがって楼上に到着。まずは十六羅漢像を鑑賞し、そして、中央にある秘仏の釈迦三尊像の前へ立つ。蓮座は金色に輝き、手入れの良さを物語っているものの肝心の釈迦像はそれほどの存在感を放ってはいなかった。失礼ながら残念、と思いつつ振り返ると、大門から三解脱門につらなる道が一直線に向ってきていて壮観。明治ぐらいまではそう遠くない所に海も見えただろう。それほどの景観の良さをたっぷり堪能して地上へ下り、広い境内で行われている港区民祭りのイベントをのぞき、最後にこれまた特別公開中の徳川家墓所を見学。篤姫や皇女和宮の墓をじっくり見てから帰路につく。 夜中、創作。104枚。 |
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| 9月27日 (火) |
沼からちょっと目を出して |
創作が本格化すると家から出なくなる。それは仕方のないことなのだが、実際はちょっとぐらい体を動かした方が頭も動くと知っているから、できるだけ日に一度ぐらいは外出し、散歩ついでに買い物をしたり昼食をとったりする。先週末も銀座、麻布十番、高輪に3時間ぐらい出てあれこれ小事をすませ、気分を新たにして読んだり書いたりした。今日の午後は、硬いパンをかじっていてとれてしまった仮歯をはめてもらうために急遽、歯科を訪ねてから八百屋に寄って帰宅した。 こうして地味で澱みぎみの日々は続く。話し相手は猫ばかり。10月末の脱稿を夢見て蝸牛の歩みで生きているのだが、きょうはあれこれと6、7本の連絡が入り、10月11月の予定がいくつか決まった。弛緩の日々に小刻みなリズムが打たれたような一日。これはこれで面白く、一段落するといい気分転換になっていると気づく。弛緩と緊張。澱んだ沼に波紋が広がり、また静かに消えていく眺めが脳の中に浮かぶ。 近い未来に誰かと会う時刻と場所を手帳の数日分に書きこみ、また自ら沼の中へと潜っていく。 |
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| 9月16日 (金) |
かぶとは噂どおりの名店だった |
17時まで創作。どうにか4枚進めてシャワーを浴び、しゃきっと着替えて外出。目黒駅までタクシーで移動し、山手線に乗って池袋へ。年に2度ぐらいしか来ない池袋の西口に出てとぼとぼ歩き、お誘いを受けた鰻屋「かぶと」の入口をくぐると、右手前に初見の3名が。初めて会うのに「たぶんこの人たちだろう」という気配が漂っていて挨拶。5名で名店の誉高い「かぶと」を満喫する趣旨ながら、唯一の知り合いである集英社のK島さんは遅れてくるらしい。とはいえ、絶品の鰻を喰らって旨い日本酒を呑むという明確な目的があるからか、すぐに緊張もとけてワイワイがやがや。会話もはずみ、食も進む。 噂どおりの美味を満喫し、そこで散会かと思ったが、誰かの一声でカラオケへと流れ込む。今月初めての宴席であるおれとしては、こういった「いかにも」の展開すら新鮮に感じられ、同行。5名それぞれが徹底的に歌う。まるで旧知の、ちょっと同窓会的な盛り上がりで日付が変わっても歌い、呑み、1時過ぎ、ようやく散会。こうなったらバーで仕上げようとおれが言い出し、同じ方面に帰る3名でタクシーに乗って銀座へ。「D・ハートマン」でちょっと呑み、泥酔の水田取締役バーテンダーに見送られて帰宅。 3時半、即身成仏。 |
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| 9月11日 (日) |
鎮魂好日 |
3.11から半年、9.11から10年。鎮魂の日。淡々と創作。夕方までに7枚進み、順調すぎて言葉が滑っているのではと怪訝に思ってパソコンを消し、散歩。帰途、また千成瓢箪を買ってしまう。病みつき。どうしてこんなに気持ちがいいのか、徒然に考えてみようと思う。 帰宅後ベランダに出てみたら、夕方だというのに朝顔が四輪咲いていた。8月に種蒔きをしてひょっとしたらもう咲かないかもと心配していたが、数日前からぶり返した暑さとともに開花。階下では秋祭りのお囃子が響いていた。好日。 |
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| 9月10日 (土) |
瓢箪、千成の。 |
| 散歩の帰途、フォルムの美しさにひかれて千成瓢箪を購入。掌にすっぽり収まるくびれと滑らかな肌触りがもうたまらん。原稿を書くとき以外はずっと左手で握ってすごす。ちょっとした悦楽はささやなかところにあるんだよな。 |
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| 9月8日 (木) |
老いた柴犬と飼い主と |
7時前に散歩に行く三田台公園に毎朝、もうよぼよぼの老犬がやってくる。70歳ぐらいのご婦人がリードを握ってはいるのだが、彼女は老犬の歩みにしたがってうろうろするばかり。老犬は柴の牝。後脚はとうに細く、付け根から下腹にかけては床づれがひろがっている。 よた。っつ。 よた。っつ。 こんな足取りで左右にぶれながら芝の上、地面の上、アスファルトの上を彷徨う老婆犬。いったいどれだけ時間をかけて公園を横切るのか、最後まで見届けたことがないのでわからない。 ご婦人も慣れたもので、よたつく犬の傍らでゆったりとストレッチをやっている。犬の鼻先には蝉の屍骸、小石、落ちた木の実、芝草、小枝……。脚は衰えても嗅覚は大丈夫なのか、とつい見とれてしまう。不自由な脚も周囲を嗅ぐ鼻も美しい。衰えているかどうかなんてどうでもよく、いつもどおりに朝を生きている姿に感じ入るのだ。 生きているかぎり、朝、あの老犬はやってくるだろう。ご婦人もきっとそのつもりだと思う。糞尿の処理もたいへんと察するが、ともに老いて暮らす愉しみをあの方はきっと知っている。人生の先生は朝の公園もふくめ、いろんなところにいるものだと学んで帰宅し、大きな猫2匹とまた戯れる。 |
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| 9月7日 (水) |
年長の表現者の後ろ姿 |
7時半、起床。「おひさま」を観てから「週刊朝日」のゲラ校正をやって担当者にもどし、『リトル・ピープルの時代』(宇野常寛 幻冬舎)と『最終講義』(内田樹 技術評論社)を少しずつ交互に読む。昼は素麺とウインナーサラダを作って食べ、創作。16時半までに第一部84枚を書いて机を離れ、久しぶりにジムへ。 年初以来だなと考えながら行ってみると、去年の9月12日以来で驚く。どんだけ怠惰なんだと自嘲しつつストレッチ、ランをこなし、マシンでひとりSMに興じていると、見覚えのあるミュージシャンの顔が。佐野元春さん。タオルで頭を覆い、ストレッチに興じていた。前回にも見かけていたのでその偶然に驚き、つい近くへ。その後たっぷり汗をかいてジャグジーにつかり、着替えをしていたら佐野さんが。彼はトレーイングウェアから水着に着替え、颯爽とプールへ向っていった。 50歳をすぎてステージをこなすには体力作りがかかせないのだろう。年長の表現者の後ろ姿にしばらく見入ってしまった。 |
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| 9月3日 (土) |
9月は胃痛とともにはじまった |
生来、胃痛を感じたがほとんどない。50年余りの人生で2度、3度だけだ。それがここ3〜4日、ずっと内側から胃壁をつつかれているような嫌な痛みが続き、仕事に集中するどころか、床についても浅い眠りばかり。原因はなんだろうと考えてすぐ浮かんだのは、そしておそらくそれであたっていると思われたのが、創作の停滞だ。ここまで膠着している作品は今までになく、自分が感じている以上に、自律神経あたりが苦痛を味わっているのだろう。書く方向性も素材もほぼ見えているのに書けない、正確には猪突できない状況に精神のバランスが歪みだしているのか。 そんな客観を試みても痛みは引かず、ついには薬を飲んで静養。ようやく少し深く眠ることができ、痛みもやわらいだような気がする。でも、何よりの特効薬は創作がはかどること。わかってる。わかってるから、机に向うしかない。 |
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| 9月1日 (木) |
猫と犬と人がいる |
暑さが落ちついてきた頃から朝の散歩を再開しているのだが、自宅マンションの裏手の路地に居ついている猫たちに会うのが楽しい。やつらは住居の脇道にちょこんといて、毎朝顔をあわせるこちらの顔をぽかんと見つめてくる。運がよければ6匹と挨拶を交わし、幽霊坂を上って三田台地にある亀塚公園に足を踏み入れると、今度は犬たちと会う。犬種はばらばら。近所の方々が散歩につれてくる中には、トレーニング中の警察犬もいる。犬たちを遠目に見ている野良猫2匹も。そんな中でストレッチや腹筋運動をやって汗をかき、よぼよぼの老犬をしばらく見守ってから帰路につく。 昼間自宅に引きこもる身としては、この朝の光景がどこかで支えになっている。人が犬や猫たちとともに暮らしている。そんな現実が、実は創作の基盤になっているような気がするのだ。だから、福島第一原発の周辺から消えた日常の光景に思いを馳せることもできる。それがどれほど異常で、不幸で、残酷なことか、少しは体感をともなって理解できる。 |
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| 8月31日 (水) |
大反省で8月を終える |
| なんだかんだととにかく、本末転倒の8月だった。大いに反省して9月に臨む。創作だ。 |
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| 8月30日 (火) |
大震災後の読書 |
東日本大震災後に災厄を意識して読んだ(再読を含む)主な本を整理した。雑誌類は100冊をこえていたが、それらと小説を除くと以下のような書籍が並んでいた。 【原発関連】 『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(武田徹 中公新書ラクレ)、『原発事故 残留汚染の危険性』(武田邦彦 講談社)、『日本の大転換』(中沢新一 集英社新書)、『大災害の理科知識Q&A250』(左巻健男+「RikaTan」編集部 新潮社)、『原発の深い闇』(別冊宝島) 【地震・津波】 『地震と社会 上下』(外岡秀俊 みすず書房)、『三陸海岸大津波』(吉村昭 文春文庫)、『巨大地震 権威16人の警告』(「日本の論点」編集部 文春新書) 【思想関連】 『養老孟司の大言論』1〜3(養老孟司 新潮社)、『喪の途上にて』(野田正彰 岩波書店)、『中空構造日本の深層』(河合隼雄 中公文庫)、『日本の深層』(梅原猛 集英社文庫)、『かくれ佛教』(鶴見俊輔 ダイヤモンド社)、『この人から受け継ぐもの』(井上ひさし 岩波書店)、『共同体の基礎理論』(内山節 農文協)、『神秘日本』(岡本太郎 みすず書房)、『幸福論』(アラン 岩波文庫)、『幸福論』(ラッセル 岩波文庫)、『他者の苦しみへの責任』(A・クラインマンほか みすず書房)、『日本的霊性』(鈴木大拙 岩波文庫)、『リトル・ピープルの時代』(宇野常寛 幻冬舎) 【政治関連】 『日本中枢の崩壊』(古賀茂明 講談社)、『新興衰退国ニッポン』(金子勝 児玉龍彦 講談社)、『「脱原発」成長論 新しい産業革命』(金子勝 筑摩書房) |
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| 8月29日 (月) |
呪縛を解く |
11時過ぎにはじまった民主党の代表選を見る。馬淵氏の演説に感心して思わずツイッターで称賛。昼を越えて決戦投票にもつれこんで睡魔に襲われ、海江田氏のどうにも下手な演説を聴きおえたところで野田氏の勝利を確信して仮眠。夕方にウータに起こされて目を醒ますと、その通りになっていた。 野田佳彦。本人も語っているとおり地味だ。 それでいいと思う。 これで、政治家も国民もようやく小泉純一郎の呪縛から抜け出せるのではないか。私たちはこの10年、屹立した個性をもつリーダーを求めすぎた。政治家もまたそれを知っていて演じようとし、同僚議員もそれを良しとしてきた。今必要なのは、派手な柄のリーダーではなくしっかりした政権なのだ。監視は必要だが、のっけからの批判は愚劣かと思う。
仕事にどっぷりつかる生活にもどります。 |
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| 8月23日 (火) |
浅草で還暦について考えた |
18時、地下鉄に乗って浅草へ。いつもの「二葉」の座敷でかつての上司、A野さんの還暦の宴に参加する。23年前に管理職に昇進したとき、いきなり企画課とクリエイティブコントロール課を兼務したのだが、A野さんは後者の上司だった。いろいろな制作マン向けの教育やイベントをともに企画し、そしてよく呑んで歌った。今はキャリアアドバイザーとして活躍されている。 A野さんもそうだが、かつての先輩たちがどんどん60代に突入しはじめた。役員クラスの人々は70代。それだけの時間がしっかり流れたんだよな……。 とはいえ宴の場でも話題になったのだが、この超高齢化社会では、還暦でどかんと祝うよりも古希ぐらいでしっかり慰労する方が実態にあっているのではないか。人生の平均的間尺が伸びた以上、この種の祝い事も変えていかないとね。などと語らいつつバー「バーリー」に流れてきっちり呑んでさらに談笑し、散会。店を出てちょっと行った所にある雑居ビルに「大女優」なるネオンの看板を見つけ、関さん、A野さん、園ちゃんと4人で急襲するも、訪ねたフロアに店がなく、「つくね」なる和食屋で仕上げる。 いつまで酔狂で生きて行けるか。体力だよな、やっぱり。 |
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| 8月22日 (月) |
日本沈没、翼 |
| 3時から机に向い、小松左京さんの『日本沈没』(上下 小学館文庫)で「遺書、拝読」第94回を書く。朝食休憩をはさんで呻吟、執筆を続け、11時過ぎにようやく脱稿。推敲して編集部に送信し、しばらく呆然。軽く食事をとって昼寝をし、夕方から白石一文さんの『翼』(光文社)を読む。あいかわらず滑らかで的確な文章を堪能し、作品にこめられた実に危険で魅力的なメッセージを受けとめる。夕食後には読了し、軽くストレッチをやって雑誌数冊に目をとおしてからベッドへ。疲れが溜っているのか、なんだかふらふらする。 |
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| 8月21日 (日) |
集中力の衰え |
男の厄年(40〜42)を過ぎて数年すぎたころから体感したのだが、集中力は体力が落ちてくると長続きしない。頭ではわかっていたことが体でわかるってのは、やはり骨身にしみる。以前は7、8時間ぶっつづけて机に向っていられたけど、今では2時間もすると頭がぼおっとして、もう言葉がまったく浮かばなくなる。そして休憩ばかりが増え、まずいまずいと思って本を読む。気がつくと、自分の本の原稿は遅れに遅れ、他の人の本ばかり読んでいる。 最近では、おれの集中力は1時間半ぐらいしかもたない。 |
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| 8月15日 (月) |
オラン、下痢。 |
朝から『大泥棒』(東洋経済新報社)の書評原稿を書き、昼、黙祷後に脱稿。推敲して北海道新聞社に送信。白石一文さんの『翼』(光文社)をあえて少しずつ読み進める。夜、創作。 2時過ぎ、言葉が消えて頭がパーになったところで寝ようとしたら、ベッドカバーの上に大量の粘土状の糞を発見して驚く。オランの仕業とわかるも、ぐったりしていて怒れず。オランが下痢をしたのはこれが初めてで、ただ気にかかる。しばらくは様子を看ると決め、タオルケットに包まって就寝。 |
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| 8月12日 (金) |
鬼海、打ち上げ、バーで原発 |
北海道新聞への書評原稿を脱稿できないまま15時50分、恵比寿の東京都写真美術館へ。受付でいしいしんじ君、翻訳家のボニーさん、朝吹真理子さんと合流し、明日からはじまる鬼海弘雄さんの写真展「東京ポートレイト」の内覧会へ。東京の人物と街、そのどちらの実相を静かにむきだしにしていく鬼海さんの写真に圧倒されつつ、そこから湧きあがる人間や人間が暮らす街の奔放さに、はっきりと愛しさを覚える。写真家がきっちりと被写体の内面を受けとめている。その幸福な関係が観る者にも伝染したのだろう。 パーティー後、鬼海さんにご挨拶。他にも、吉永マサユキさんや堀江敏幸さん、「文學界」の森さんらと久しぶりに会って話ができた。17時40分、ひとり先に退去し、JRで新橋へ移動。東新橋の和食店で、「中央公論」追悼企画の慰労会に臨む。K佐貫編集長、担当のN西さんと乾杯した後、発売直後にご遺体が確認された黄田川敬子さんに3人で祈りを捧げ、それからそれぞれの感想を語りあう。途中、もっとも被災地を走り回ったN西さんは何度も涙ぐみ、あらためてその奮闘を労い、しばらくしたらご遺族のもとへ挨拶へ行こうと約束する。 22時過ぎ、近くにいた「婦人公論」編集部の編集長以下3名が合流。汐留のバーで赤ワインを呑みつつ談笑。ツイッターの功罪話でもりあがる。 日付がかわってしばらくしてから散会し、ひとり銀座に流れて「D・ハートマン」でジントニックをちびちび呑みながら顔なじみのバーテンダーと原発問題についてあれこれ対話して帰途につく。 ほぼ10日ぶりのちゃんとした外出だったが、予想以上に楽しく、そして疲れ果てた。即身成仏。 |
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| 8月10日 (水) |
心を寄せることから |
早々に「中央公論」9月号の「この言葉とともに生きていく」を読んでくださった方々からご連絡をいただく。震災ではなくとも事故などで近親者を急に亡くした方には「身につまされる」との声が多く、人が喪の日々を生きるしんどさに心を寄せる一日となった。 心を寄せる。 今回の震災後に天皇が発したコメントに登場したこの言葉には、人が他者を想う基本が在る。他人の人生を生きられない以上、せめてできることは、心を寄せるしかない。そして、そこから自ずと派生してくる思いに従ってサポート活動をする。さらには、それらを継続していく。あきらかに厳しい生活環境におかれている人に対する、それは、同時代人としてのあたりまえの姿勢だとおれは考えている。 と、書いてしまった以上、おれは実践しないといけない。発した言葉は必ず自分に還ってくる。今回取り組んだ犠牲者の言葉を顕彰していく活動は、これからも続けていく。最初に動き出す時点で、そのことを「中央公論」編集部とも確認していたから、今回の最終ページで「遺った言葉」を提供してくださるようご遺族に募った。 近々、また被災地へ行ってこようと思っている。 |
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| 8月9日 (火) |
この言葉とともに生きていく |
3月11日におきた東日本大震災から間もなく5ヶ月がすぎようとしている。テレビをつけると、当時はまだ中学生だった男子が、甲子園球場で行われている高校野球の選手として活躍していたりする。奇妙なズレを体感する瞬間だ。時間の経過がまだ体になじんでいないのだろう。 あの天変地異の一端を体験し、テレビから流れてくる地獄絵図をながめて4月を迎えたころ、あらためて自分ができることを考えた。それまでにも避難所に本や絵本を送ったり、いくつかの復興支援ファンドに資金を提供したりはしていたが、自分のこれまでの仕事と直結するカタチで何かできないかと思案。自問自答の数日を送った。そして、震災犠牲者が遺した言葉をとりあげるべきだと考え、旧知の「中央公論」編集長にメールで企画案を送った。とはいえ、そもそもあれだけの大津波に襲われた後に、言葉が記された物が残っているのか、まったくわかってはいなかった。それでも、K佐貫編集長はすぐに返信をくれた。「素晴らしい企画です。ぜひやりましょう!」と。 こうして動き出した「追悼企画」は4月下旬から動きだし、ご遺族のご協力と編集部のN西さんの奮闘もあって先月末、ようやく仕上がった。
「この言葉とともに生きていく」
この特集が掲載された「中央公論」は明日、10日発売です。16名の犠牲者の言葉とご遺族の話をひとりでも多くの方に読んでいただき、この初盆に祈ってほしいと願っています。ぜひ、ご高覧ください。 |
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| 7月30日 (土) |
いい就職の方法 |
19時、麻布十番の「みろく」で会食。大学生のキャリア相談にのっているS口さんからいろいろ話をうかがい、こちらも感じたところをぺらぺら喋る。酒、進む。たとえば東大生の場合、自分が企業に採用されないことをまず受けとめられず、他者批判に終始する。東大生だから希望企業に入社できる時代はとっくに終わっているのに。この錯誤には、親を含め、受験体制側の古い価値観が影響している。良い大学、いわんや東大に入っておけば卒業後は心配ないと信じている受験側。企業の方は、激化する一方のグローバルな競争の下、それだけ入社させる余裕はもうないのだ。 このギャップは、まず親や受験側が現状を知るしかない。大学名だけで楽に就職できる時代はとっくに終わっているのだと。逆に云えば、自分は三流大学だからと萎縮したり、卑屈になっている学生もまた考えを変えるべきだ。昨今の流行のレトリックを使えば、それこそ「ガラパゴス」化した就職観でしかない。これほど厳しい環境下で、古いプライドとコンプレックスを基準に将来を考えるなんて、その時点でもう「使えない奴」のレッテルを貼られても文句はいえないだろう。 そこから脱するには、まず「客観」を身につけることだ。 ラベルではなく、自分というこの世で唯一無二の存在を客観視する能力を身につけてしまえば、自ずと歩んでいきたいと感じる将来が見えてくるのではと思う。客観は、自分の弱点を直視しなければいけないから辛い側面もあるが、新たな発見もある。ちゃんと客観ができれば、世界と自分の関係も少しはわかってくる。つまり、「世界における私という存在の特徴と意義」が、ぼんやりとはいえ自分なりに理解できるのだ。 客観を通過した主観は強い。このことは、実は文章を書くときにも云えるから、おれは大学の講義でこの話をする。推敲とは、つまり客観のことであり、他者の視点を獲得する作業なのだと。就職活動をする際には、だから、まずは自分を推敲すればいい。 |
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| 7月28日 (木) |
江戸一の位置 |
17時、大塚へ。田村隆一先生が愛でた「江戸一」で渡邊直樹さんらと待ち合わせだったのだが、JR大塚駅で降りて店へ向ったつもりがなかなか着かない。もう何度も訪ねている店なのに、大塚駅から行ったことがないので方向感覚がずれてしまったのか……と情けない自己弁護をしながら20分も遅れて到着し、お詫びしてカウンターに向う。常連らしき客たちがすでに日本酒を呑みつつ談笑している。こちらも初めてお会いした日経BPの渋谷コンテンツ局長と酒を酌み交わし、共通の知人を確かめつつあれこれ話す。渋谷さんはペンネームで小説も書いてる方だけに、話がはずむ。 18時、予定どおり近くの店へ移動。こちらでも日本酒を呑み、K嶋大正大学教授も合流して談笑。創作方法や学生に勧めたい書物の話で盛り上がる。21時過ぎには店を出、大塚駅で散会。最後に、駅前から見た「江戸一」の位置を確かめてから帰途についた。 |
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| 7月27日 (水) |
この街の下にはもう一つ街がある、ような気がする |
6時、起床。朝食後、「週刊朝日」のゲラ校正をやって返信し、そのまま「中央公論」来月号の巻頭特集のゲラ校正をやる。これで2度目だが、構成の責任を負った企画なだけに、気合いを入れて隅々まで目を配る。特集タイトルは、「この言葉とともに生きていく」。11時40分にすべて確認してバイク便で編集部N西さんにもどす。 コーヒを飲んでひと息つき、学生に配る推薦本リストのまとめ。いつもならそれだけを持って最終講に臨むのだが、今回は、「3.11以降に長薗が読んだ関連図書」も用意する。全部ではないが、主な書籍名と雑誌を一覧にして出講。大震災の影響で、通常であれば15回ある講義を12回で行ったため、これまでほとんど質疑応答ができながった。そこで最後にいくつかの質問にこたえ、世界と自分が向きあうために一人旅と読書を勧める。人は、不安を抱えた状況下でこそ周囲から情報を吸収しやすくなると伝え、まずは日常生活における主体性を大切にしてもらいたいと説いて終わる。 終了後はいつもどおり「クレッシェンド」に寄り、生ビール。17時過ぎに店に来た学生も一緒に飲んであれこれ話し、18時半、店を出てにしすがも創造舎体育館へ。大規模修繕劇団の旗揚げ公演となる『血の婚礼』(清水邦夫/作 蜷川幸雄/演出)を観劇。この芝居の代名詞ともなっている大量の水が降ってくる中で始まる物語は、死生の境で展開しているような内容で、主題は「この路地の下には別の路地が眠っていて、あの森の下には別の森があった」というセリフの奥にあるようだ。市井の猥雑さすら漂うセリフと詩情に満ちたセリフが交差する舞台は、蒸し蒸しした熱気の中で終わり、「こりゃ作品の下敷きになっているガルシア・ロルカの『血の婚礼』を読むしかない」と判断して会場を出、地下鉄で日比谷まで移動し、そこからは歩いて銀座。7丁目の「嵯峨野」で位田さんと関さんに合流し、会食。野球談義で盛り上がったまま「まり花」に流れ、関さんと政治談義をして帰る。 ちょっと詰め込みすぎた一日だった。 |
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| 7月24日 (日) |
明日の議論 |
古賀茂明氏の『日本中枢の崩壊』(講談社)を読み、わかっていたこととはいえ、この国の官僚支配の根深さに呆れ果てる。官産学が連結した仕組みの上で右往左往する日本政治は、すでに暗澹たる状況にある。民主、自民といった問題ではもはやないのだ。原発の問題も、その根底にはこの構造問題が横たわっている。 渡辺喜美が涙を流しながら動いた公務員制度改革法案の重要性をあらためて痛感。こうなったら経済産業省で閑職においやられている古賀氏にはスパっと職を辞してもらい、次の総選挙、みんなの党から東京1区に立候補してほしいと願う。官僚に結局はコントロールされている海江田大臣と古賀氏の対決は、それだけでも、今後の日本に対する意義深い論議を見せてくれるだろう。 明日の議論は、既成構造から脱したところでやるべきだ。 |
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| 7月18日 (月) |
澤、神〜〜!!!!!!! |
2時に目が覚めてしまい、未読の新聞・雑誌に目をとおしながら1時間余りをすごしてNHK-BS1の女子サッカーW杯中継へ。澤キャプテンの顔を見ただけで感極まっている自分にあきれながらもツイッターに感じるままに書き込み、試合を見守る。 前半は0-3でもおかしくない内容だったが、それが0-0で終えられたところに運気を感じる。「いける、いけるど〜!」と夜が明けかけた三田のマンション街に向って叫び、後半戦はソファからつい立ち上がったり腰を下ろしたりを何度もくりかえす。時間が経過するにつけ日本ペースに変わっていく様相にさらに興奮は高まり、宮間の同点弾では歓声絶叫! 延長戦に入ったときにはもう疲れすら感じていたが、やはり澤キャプテンの顔を見て盛り上がり、1点リードされてもテンションを維持したまま澤キャプテンの奇跡の同点弾を目撃して、喉がかすれるまで歓声を上げつづける。 「澤神〜!澤、神〜!! どうやって入ったかわかんねえけど澤、神〜!!!」 その後のPK戦は、海掘が一人目を止めたところで勝利を確信。 それからは中継放送が終わるまで拍手を送りつづけ、へとへとになってベッドへ倒れこむ。第一級のスポーツドラマをライブで観られた余韻にひたる間もなく万歳睡。 |
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| 7月17日 (日) |
へぎそば忘れ |
昼まで創作。それからシャワーを浴びて着替え、13:50分に東京ドームへ。関さんと二人、バックネット裏でビールを呑みながら野球観戦。巨人が阿部の逆転ホームランでヤクルトを敗り、ドラゴンズファンとしては納得の結果となる。終了後はタクシーで「おんごう庵」神保町店に移動し、八海山をかぷかぷ呑りながらあれこれ談笑。自民党の原発推進史についていろいろ教えてもらう。気がつけば升酒六杯飲み干し、メインのへぎそばを食べ忘れるぐらいしっかり酔ったところで、関さんとなでしこジャパンの勝利を祈願しつつ別れる。 タクシーで帰宅後またシャワーを浴び、23時には卒倒睡。 |
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| 7月16日 (土) |
砥鹿神社、そして豊川稲荷へ |
早朝、6時半過ぎのひかりに乗って豊橋へ。飯田線に乗り換えて三河一宮で降り、セミが啼きじゃくる炎天下、砥鹿神社に参拝。まだ9時前とあって人も少なく、文字どおり砥ぎたての空気を堪能して汗だくで駅にもどり、今度は豊川駅で降りて豊川稲荷へ。昔ながらの表参道を囲む老舗の数々をのぞきながら山門を通って参拝。ひとつひとつの建造物がとにかく大きく、その偉容に圧倒される。奥の院の霊狐塚にもお参りし、夥しい数の狐たちに別れを告げて帰途につく。 乗り継ぎがスムーズにいったおかげで12時半過ぎには帰宅し、水風呂に入って長い昼寝。起床後、創作。狐がちらついて忙しい夜となる。 |
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| 7月15日 (金) |
スカルボール |
19時、赤坂へ出かけ、久しぶりに集英社のK島さんと会食。彼女が担当し、骨盤体操で有名な寺門琢巳さんが監修した「スカルボール」をいただく。宝島社が先陣をきった出版流通に物品をのせるビジネス。今後ますます盛んになるだろうが、すぐに淘汰がはじまるだろう。 気持ちよく酒を呑んで品のいい和食をつまみ、ほろ酔いで帰宅。寝不足もあって即身成仏。 |
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| 7月14日 (木) |
つきまとい |
| ここ3日間ほどの無理がたたったか、睡魔と疲労がつきまとい、書けず読めずで夜となる。それでも食事だけはどうにかとり、少しでも小説を進めようとするもやはり頭動かず、集中もできず、23時前には昏倒睡。 |
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| 7月13日 (水) |
最後の最後まで |
朝まで「中央公論」の特集原稿を書いて脱稿し、推敲、送信。アドレナリンが出すぎた頭をしずめるために三田台に散歩にでかけ、暑さにやられて帰宅。水風呂に入って朝食をとり、1時間だけ仮眠をとってから学生の課題原稿を読む。読む。読む。13時過ぎにすべて読みおえてシャワーを浴びて出講。扇子片手の授業で行動描写、時制の重要性について話し、「クレッシェンド」で生ビールを呷って地下鉄で大手町に移動。そこからタクシーに乗って中央公論新社へ。「中央公論」編集部で最終打ち合わせ。期待を上回る仕上がりになる予感にときめきつつ、編集者にもどったようにあれこれ細かい指示を出させてもらう。最後の最後まで油断しないことは、どんな仕事でも鉄則。かすかに残っていた集中力をそこで使い果たし、完全にアホになって同社を去り、ふらふらへろへろの体で有楽町まで歩いてから帰途につく。 それでも夕食だけはがっつりとり、また水風呂につかって21時過ぎ、なでしこジャパンの勝利を願いつつ文字どおりの昏倒睡。 |
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| 7月12日 (火) |
特集原稿、脱稿。 |
昨日と今日の二日間、ずっと問題の特集原稿を書いていた。たった7枚ほどなのに、20時間以上は机にむかっていた。そして、ようやく脱稿できた。頭も体もへとへとになった。 事の経緯はこうだ。 東日本大震災で亡くなった方々を悼む特集の企画を提案し、それが即了承され、自分で主要な原稿を書くことになったのだ。重い重い、しかしとても大事なテーマを掲げた追悼企画。4月から打ち合わせをはじめ、編集部のスタッフには先月まで、何度も現地へ行ってもらった。おれも5月に被災地へ出かけて行ったが、それは取材というよりも、とにかく惨状を目にやきつけるための訪問だった。明日は、おれの原稿も含めて大量の素材を整理し、編集部で最終打ち合わせ。この企画に関しては、どこか編集者にもどった気分になっている。 まだ特集タイトルや詳細をお知らせするわけにはいかないけど、掲載されるのは「中央公論」9月号(8月10発売)です。 |
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| 7月10日 (日) |
机の近くにいます |
「週刊朝日」の"愛される理由"の原稿を書き終えて送信し、久しぶりに田町駅前にある「ヤマトヤ」へ。20時半の閉店までの30分間であれこれ喰らって生ビールを2杯飲み、ほろ酔いになってバスに乗って帰る。思えば先月から、水曜日の大学出講の帰りにちょっとビールを呑むぐらいしかアルコールをとっていない。外出すらしていない。小説と某誌の特集原稿の件がいつも頭から離れず、書く書かないは別にして、どうしても机の近くから離れられないのだ。 でも、そんな日々が嫌いではない自分がいる。ここに。 |
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| 7月4日 (月) |
手応えと予感を頼りに |
| 本日も終日、創作。68枚。ああああああ悶々粛々の日々はいつまで続くのだろうか。……とはいえ、手応えは強まってくるから書き続けることができる。もうすぐ登場人物たちが動き出す予感もある。止められない。 |
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| 6月29日 (水) |
ふがいない僕は |
| 未明に起きだし、学生の課題原稿を黙々と読み、一部添削しつつ講評を書き続ける。とはいえ昨年と同じくレベルが高く、たいした苦労もなく昼前に終了(それでも6時間はこれにかかりきり)。素麺をさくっと食べ、狂暑の中、出講。大学近くの薬局で栄養ドリンクをぐいっと飲んで授業をやり、終了後はいつもの「crescendo」で生ビールを飲んで喉を湿らせ、ナポリタンを喰らい、ふえ〜と脱力してアイスコーヒー。17時半を過ぎるともう眠くなり、地下鉄に乗って帰宅。遅い夕食後『ふがいない僕は空を見た』(窪 美澄 新潮社)を読んでむらむらと創作欲を覚えるも、原稿に向って2行進んだところで昏倒睡。 |
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| 6月28日 (火) |
夏が終わらないうちに |
| あんまり暑くてジムへ泳ぎに行こうかとも考えたけど、結局は終日セルフ自宅軟禁で創作。呻吟、蛇行、逡巡、三歩前進二歩後退……をくりかえすうちに直感でつけていたタイトルの意味にたどりつく。「そうか、そういうことか」と作者自身がつぶやく不思議。これは一つ峠を越えた証か。まだまだ眼前には山々がつらなっているが、うっすらと山道が見えてきた感はある。とはいえ、まだ56枚。冒頭から半日しか時間は過ぎていない! ツイッターで、柳美里さんから「お互い夏が終わらないうちに脱稿し、生ビールで乾杯しましょう」と励まされたが、マジで夏の間に脱稿したいと強く思う。 |
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| 6月27日 (月) |
気は焦れど |
| 午前、創作。昼食と短い昼寝をはさんで「週刊朝日」の"愛される理由"を少し書き、歯科へ行って帰って書き続け、20時半に脱稿。遅い夕食後、サッカー女子W杯、日本vsニュージーランド戦を観た後からまた創作。気は焦れど、まだ54枚。 |
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| 6月26日 (日) |
小学校の修学旅行 |
小学校、中学校が同じ、高校は学校群制度の振り分けで別になったけど、大学でまた一緒になった幼なじみがいる。祖父の代から教師の家庭に育った人らしく、本人も教師をやっている。そんな彼女に今夜、電話をかけ、小学校の修学旅行時の「旅のしおり」のコピーと送付を依頼した。11日に帰省して翌日帰京する際、彼女から電話をもらって39年前の「しおり」があると聞いていたのだ。どんだけ物持ちがいいんだと感心するも、よく考えてみれば、小学校時代の「しおり」が残っているのは、彼女がいかに引っ越しを経験していないかの証ではないか。まあ、おれが育った大府をはじめ愛知県は地元志向が強いから、彼女が特別ではないのかもしれないが。 真の理由がどうであれ、貴重な「しおり」は現在書いている小説の資料として使わさせてもらう。そして脱稿する前に、そのしおりどおりに一人で修学旅行を再現してみようと思っている。 |
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| 6月14日 (火) |
酔狂の花 |
早朝散歩をすませて取材メモを整理し、短い仮眠をとってから正午過ぎ、外出。京橋の中央公論新社を訪ね、本誌編集部で打ち合わせ。15時前に終了して徒歩で銀座へ。伊東屋でオリジナルノートを作り、絵はがきを8枚買った後、真夏用のジャケットを物色してから遅い昼食をとっているところに山崎努さんから長いメールが届き、食後に電話をかける。メールでやりとりするのも何なので会うことになり、映画を観る予定をすっとばして麻布にもどり、17時半、三の橋で合流。開店したばかりの「あら喜」でまずは生ビールで乾杯し、それから5時間余り、映画やドラマ、脚本の変更点、某監督の撮影作法、熊谷守一、夜明け前、小島信夫、演劇ノートなどについて談笑をつづけ、最後、おれが赤ワインを白のチノパンにこぼしたところでおひらきとなる。 「今夜のおれたちは冴えてたな」 「冴えましたね、怖いぐらい」 店を出た後、山崎さんと肩を抱き合いながらしばらく歩いた。理想的なまでに酔狂の花が咲いた夜だった。 |
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| 6月13日 (月) |
不審者として母校取材 |
5時45分、起床。母がいれたコーヒーを飲んで前日の中日新聞を読んだり、テレビをみたりしつつ母との談笑をつづけ、8時前に外出。デジカメを持って卒業した北山小学校をめざす。ぐんぐん上がっていく気温に汗だくになりながら、通学路周辺の建造物、風景を撮影。追分保育園の周辺では、あきらかに不審者を見る視線にさらされる。当然か。しかし、学校が近づくにつれほぼ40年前の記憶がどんどん鮮明になってきて興奮し、あれもこれも写真に収めてしまう。学校に到着するとさらに細かく撮影し、注意されてもいいやとひらきなおってあっちゃこっちゃ足を踏み入れ、小説の背景をかためていく。重要な舞台となるグランドは予想以上に広く、裏門近くの坂からながめているうちに、走り回る自分の姿を幻視。しばらく陶然としてしまう。周囲にも足を運んでメモを残したところで帰途につき、実家にもどったときはもうふらふら。すぐにシャワーを浴びて着替え、父が買い置きしていたシャツや靴下を身につけて家を出、今度は共和駅周辺をさりげなく取材して名古屋駅へ向かう。 品川駅につき、弁当を買って帰宅したらまだ13時過ぎだった。 緊急取材の目的はほぼ果たしたものの疲労激しく、その後は、団鬼六さんの本と東日本大震災で亡くなった方々の文章を読みながら過ごした。 |
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| 6月12日 (日) |
急遽、大府市へ取材に |
| 4時半、起床。5時過ぎから「週刊朝日」の"愛される理由"の原稿を書き、8時前に脱稿。推敲、送信して散歩に出かけ、いつものカフェで朝食をとって帰宅。入浴して着替え、小説の取材のために実家のある愛知県大府市へ行くことを決め、一泊分の荷物をもって品川駅へ。13時半に名古屋駅に着き、東海道線に乗り換えて大府駅。途中で連絡をとった大府中学時代の友だちが車で出迎えてくれ、そのまま市立中央図書館に移動。取材を開始し、1時間じっくり内覧。スケッチやメモをとるうちにアイデアがぐんぐんと湧いてきて少々、興奮する。隣接する大倉公園も散策し、友人とコーヒーを飲んでから実家に。母とあれこれ話し、19時、炉端焼き「二郎」へ行き、かつての同級生4人と会食。急遽ふらっと帰省した者のために、しかも日曜日の夜によくもまあと感謝しつつみんなの話をじっくり聞き、ついでに小学生時代の逸話を教えてもらう。23時に店の前で散会し、小雨の中、ひとり歩いて帰宅。母が敷いてくれた布団で即身成仏。 |
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| 6月10日 (金) |
右頬をたたく |
51回目の誕生日。多くの方々からメール、お電話、お葉書といろんなかたちでお祝いをいただき、感謝申し上げます。 夕方、78歳の母から電話があり、「お祝いしていいのかね」と苦笑まじりにささやいてくるから「いいんじゃねえか」と返す。「そうだね、じゃあおめでとさん」。おれが就職したとき、彼女は50歳だった。あのときの母親よりも年上なんだな、おれ。と、つい、やっと腫れがひいた右頬をたたいた。 |
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