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酔狂記

10月11日 (水) 野犬になごむ
 終日セルフ自宅軟禁。薄着で寝てしまったためにちょっと風邪ぎみで、横臥して過ごし、K田さんから入稿完了の連絡を受けてからしっかり安静。夜は、日本VSインドのサッカーの試合を観戦。でこぼこ芝で間抜けなパスミスの連発となった試合内容はともかく、停電、野犬の闖入などに笑わせてもらう。久しぶりに見た野犬がインドのそれとは、いい感じ。そんな思いを抱えて早々に就寝。
10月10日 (火) 入稿と優勝
 3時起床。4時から推敲をはじめ、朝食と「芋たこなんきん」休憩をはさんで14時半まで続け、やっと終了。削除と加筆を繰り返し、全体で10枚減らす。プリントアウトした原稿をK田さんに手配してもらったバイク便で編集部へ送り、併せてデータを送信。明日には入稿となる運び。気分を変えるために髪を切りにでかけ、そのまま東京ドームへに向かって中日VS巨人戦をいざ観戦、と予定をたてるが、急激に睡魔につつまれてしまい、へなへなとベッドに横臥する。気がつけば21時。BS1をつけると1-1で延長へ入るところで、どかっとテレビの前に座りこむ。そして延長12回表、中日の怒濤の攻撃で優勝が決まり、年に一、二度もない自宅での晩酌をはじめてしまう。ほうぼうの昆布〆、おからとひじきのコロッケ、豚ロースのガーリックマヨネーズ焼きなどを肴にビールをぐびぐび飲み、さらに落合監督のインタビューを聞いて盛り上がり、ここは野球つながりでと考えて鹿児島工業高校の校長先生からいただいた芋焼酎「六代目百合」を取り出し、お湯割りでかぱかぱ飲む。
 記念すべき日となった一日を思い返しながら、どかっとほろ酔い睡。
10月9日 (月) 核と笑い
 惰眠と推敲で一日が過ぎる。北朝鮮の予想通りの愚行報道に呆れつつも、その一方で、そもそも核を保有している国とそうではない国のバランスについて思ってしまう。本質的に矛盾を抱えた各国の防衛力格差は、いったいどうするのか。それがたとえ時代錯誤の独裁政権とはいえ、独自路線を選択した弱小国が独立を維持するには核の選択もあり得るわけだ。現代における戦争はそのまま核戦争につながる危険をはらんでいるのだから、インドとパキスタンの関係のように、仮想の敵国がもてたば「こちらも」と核に走ることになる。日本でもそんな議論が表面化するかもしれず、同時に「集団的自衛権」の有為性を声高に叫ぶ勢力が増してくるに違いない。
 冷静に考える時が来ている。つまり、私が試される時が来ているのだと思う。自分が生きている間にも「歴史は繰りかえす」のか? そればかり考え、だからこそ、強く笑いを求める。
10月8日 (日) 白昼祭
 4時から推敲。6時に中断してコンビニに出かける際、玄関前から初冠雪の富士山を遠望すると、その右手に十六夜を終えかけた丸い月が浮いていた。しばらく観とれてしまう。その後、12時半まで推敲を続けてシャワーを浴び、地下鉄で池袋へ。3日の第一夜以来の「談春七夜」。ただし、この日は昼間の追加公演なので、「白昼祭」と銘打たれていた。テーマ色は「山吹」。まずは柳家三三の「道灌」。師匠の小三治に唯一つけてもらった稽古が、この演目の冒頭部(ご隠居への挨拶)だったことをまくらで紹介し、すんなりと噺がはじまる。切れのいい仕上がり。談春は「紙入れ」を演じ、仲入り。前回と同じくロビーでビールを飲んでいると、かつての同僚、M田さんとばったり。彼女は転職後、「SPA!」編集部でもう13年働いていて、担当している福田和也さんらと来ていた。談春の落語は初めてとのこと。談春がエッセイを連載している「en-taxi」の壹岐編集長を紹介される。ブザーが鳴って座席に戻り、「木乃伊取り」を聴く。朴訥な田舎者の清蔵もさることながら、やはり談春は職人だ。せっかち早口の頭( かしら)の威勢のよさは、それだけで笑ってしまう出来なのだ。
 夜も聴きたい、と後ろ髪を引かれつつ東京芸術劇場を後にし、ロマンス通りのはずれにある「清江苑」に入り、焼肉を食べる。まずは同行者と生ビールで乾杯し、焼肉やレバー刺しや野菜焼きを食しながら久しぶりに真露をロックでいただく。落語や演劇の話をきっかけに、あっちゃこっちゃに話題を飛ばしてあれこれ話す。話していないと眠くなるから始末が悪い。そして、22時前に散会し、地下鉄で帰宅。ふらふらになって卒倒睡。
10月7日 (土) 秋の睡眠
 秋眠、時を選ばず。2時間だけ推敲をやった他はずっと寝て過ごす。やれやれ。
10月6日 (金) ズマヤ、恐るべし
 推敲の合間にヤンキースの試合を録画中継で観る。試合結果はすでにわかっているのだからスポーツ観戦としては邪道だが、敬愛する松井秀喜の復調具合を確かめるためにテレビをつける。そこで、タイガースのズマヤなるピッチャーを初めて見る。威勢のいいフォームで投げ込むその速球、なんと164km。球場表示では165kmを記録したその球は、「うなりをあげる」といった手垢のついた比喩を蘇させる代物だった。怖い。ちなみに、と思って最速記録を調べると、167kmとあった。日本では横浜のクルーンが持つ161kmが最速。一度肉眼で見てみたいと強く思う。
 夜、また推敲。時速2km。
10月5日 (木) 停滞前線、停滞
 大賀ハスの鉢に水を注いで部屋に戻り、ぼっとソファに座っていて初めて、自分が風邪気味と気づく。雨の中をコンビニに出かけ、食材やら栄養ドリンクを買込み、帰宅早々喰らう。暖かくして書見。どうも推敲に気乗りせず、メールの返信を丁寧に書き、とにかくのんびりとやり過ごす。夕方、南日本新聞社から届いた自身のインタビュー記事を読む。眺める。鹿児島はすでに遠くになりにけり。
 明日からは巻き直しだ。
10月4日 (水) 一人語り軟禁生活
 終日、セルフ自宅軟禁。昨晩、談春の独演会会場でお見かけした吉川潮さんの新刊、『芸能鑑定帖』(牧野出版)を読む。構えのいい、痛快なエッセイ。ただし鼻につく箇所は多々ある。そこで、興津要編の『古典落語』(講談社学術文庫)を開き、「船徳」を音読。一人語りの難しさを体感する。
 夜は、テレビでサッカー観戦。日本チームにオシムのサッカーが浸透しはじめたことを認める。いい練習試合となった。遅い夕食をとり、早々に就寝。
10月3日 (火) 談春の夜
 夕方まで小説の推敲。なお、タイトルは校了時にお報せします。
 19時過ぎ、ほぼ10年ぶりに池袋へ行き、東京芸術劇場の小ホールで立川談春の落語を聴く。「談春七夜」と銘打たれた独演会の第一夜。題して「東雲(しののめ)」。七日間、日々テーマとなる色が冠されているのだが、初日は、夜明け直前の東の空のあの淡い朱色。志ん朝が43歳で成した七夜連続独演会に40歳で挑戦する談春の、その初日を飾るにふさわしい色と納得する。そして談春、ついに口上で「名人になる」と宣言する。
 柳家三三が軽快に「転宅」で前をつとめ、いよいよ談春が登場。いつものように短いまくらで「粗忽の使者」を演じる。仲入り後は、師匠である談志の十八番、「芝浜」。この演目にはまさに東雲が登場するが、それ以上に、師匠越えの心意気を込めての選択だったのではないかと想像する。後半の一部はたしかにアレンジしてあり、談春の芝浜にすべく演じきる。それにしても、いつもながら談春の声の良さにはうなってしまう。その声を使っての演じ分けにもますます磨きがかかり、頑固で気の短い職人を演じさせたらそれだけで聴きほれてしまう出来だ。8日にも聴きに行くが、今からうずうずしてしまう。それまでは小説に専念しよう、と素直に思う。
 終演後は、同行のM橋さんと麻布十番に移動し、「まとや」なる宮崎料理の店で芋焼酎を飲みながら宮崎地鶏のさしみ、たたきなどを食し、最後はM橋さんお勧めの「冷汁」で麦飯をいただく。酒を飲んだ後だけに、この味は絶品。さらに気分を良くし、M橋さんとがんがん話しこむ。夕方までは沈鬱な時間を過ごしただけに、19時以降の時の流れに感謝する。
10月2日 (月) 藤山直美賛
 この日からはじまった朝の連続ドラマ「芋たこなんきん」を観て、藤山直美の演技にひとしきり笑う。彼女を見るたびに、子どもの頃、毎週末に観ていた藤山寛美の残像が浮上する。体躯、表情、声……性差の違いはあれ、どれもほぼだぶる。実際の舞台に立つ直美も、映画『顔』の直美も素晴らしかったが、このドラマも代表作となることを期待しつつ、毎朝の楽しみとしたい。
 9時45分、都ホテルへ。新作小説の訂正の打ち合わせ。K田さんからの指摘を受け、議論し、ポイントとなる箇所について検討。留意点がはっきりと把握でき、訂正の方向性が明確になった。2時間半余りの時間がかかったが、それだけの意味はあった。沖縄出張を控えたK田さんにタクシーで送られて帰宅し、寝不足のために呆然。ウータとともに仮眠をとる。しかし、1時間ぐらいしか眠れず、メールのチェック。10月とあって、異動や転職の案内が目立つ。みなさん、新たな場でどうか奮闘してください。一方で、テレビをつけると国会中継をやっていて、書見しながら何気なく聞いていると、「就職氷河期」という言葉が何度も発言されていて気になった。バブル崩壊後にフリーターとなった人々の雇用対策についての話らしいが、つい、自分が問われているような気分になってしまう。
 夜、スズキの焼きとポテトサラダで遅い夕食をとり、右手をウータの枕として捧げながら早々に就寝。
10月1日 (日) 深い印象
 午前中に麻布十番まで散歩し、順調に芽と根を出した大賀ハス用に大きな鉢を購入。ついでに小石とチューリップの球根も買い求め、「西琲亜」なる喫茶店でコーヒーを飲んで帰宅。漫然とゴルフの日本女子オープンを観戦し、うたた寝をした後、ハスの植え替えをやる。予想外に手がかかり、日が暮れてどうにか終了。興がのってチューリップの球根も植えてしまう。ウータとオラン、大きな鉢に満々とはられた水に興味津々で、何度も何度も鉢の中を覗き見る。
 焼き秋刀魚と牛ごぼう煮で夕食をとり、夜中、凱旋門賞を狙うディープインパクトを応援。3着に終わったが、つくづく馬の健気さに感じ入る。ディープインパクト。
9月30日 (土) 腹いっぱいで九月終了
 夜、久しぶりに「あら喜」へ。最初は座敷で食事をはじめたが、途中、T夫くんに誘われてカウンターへ移動。鹿児島の芋焼酎話が盛上がったところで、土産の焼酎を家に取りに戻る。その途中、三の橋と古川橋のほぼ中間の歩道で、K2の長友啓典さんとばったり逢う。実は、友さんからは、4日前にマイミクシィのメールをいただいたばかりで、二重に驚く。腹がへってラーメンを食べようと店を探している友さんに、「盛運亭」を紹介する。こちらは自宅から「黒伊佐錦」の一升瓶を持ってあら喜に戻る。カウンターに座ったお馴染みさんとともに一杯ずつ飲み、生湯葉と焼き冷やし茄子、いか刺し、牛ごぼう煮、北海つぶ貝の刺身、カレイの唐揚げ、さらし鯨のぬたなどを食べつづける。他にもめんたいこやいちぼのおすそわけをいただき、腹いっぱい。和食の粋を堪能してほろ酔いになり、とぼとぼと帰宅。ウータにもオランにも無視され、早々に酩酊睡。
9月29日 (金) 安息日
 終日、自宅にて安息。疲労回復。
9月28日 (木) 夏、完了
 5時間寝て12時に起きだし、コーヒーを飲んで推敲作業に戻る。そのまま16時半まで呻吟し、ついに終了。198枚と2行。すぐにK田さんに電話をかけ、バイク便を手配してもらう。プリントアウトしたばかりの熱々の原稿をまとめて渡し、入浴。19時、恒例のひとり打ち上げへ出かけ、焼き鳥屋で生ビールを飲みながらハツ、砂肝、イベリコ豚、玉ねぎ、レバー、ししとう、煮込みなどを食べ、古酒泡盛「菊の露」をロックでちびちび。しかし、いつものようには言葉がでない。無口な長薗。この1週間、推敲と連載原稿と、そして講演旅行をとおして言葉を放ちつづけたのだから無理もない、と自覚する。話すだけで疲れが倍加していく。早々に帰宅し、スポーツニュースを観ただけでベッドへ倒れこむ。やっと、夏が終わった。
9月27日 (水) 推敲、再開。
 朝食を食べ、溜まっていた新聞を読む。しかし、2日分を読み終えた頃には再び全身に疲労感がひろがり、もう一度ベッドへ。16時まで熟睡した自分に驚きながら、「中央公論」のゲラ校正をやって編集部へ送る。予定では、そのまま小説の推敲を再開するつもりだったが、どうしてもまとまった言葉に対峙する気持ちになれず、漫然とソファに座ってテレビを眺め、夜中になってやっと机に向かう。朝まで集中してやり、7時、卒倒睡。
9月26日 (火) 縁は消えないものなのか
 7時起床。朝食をとらずに13階の展望温泉浴場へ行き、ゆっくり湯につかりながら桜島を眺める。ここまで眺望がいいと言葉すら出ない。部屋に戻り、コーヒーを飲んで着替え、髭を剃って出発。本日はまず市立鹿児島女子高校。交差点の表示にも「女子高前」と記されるほど、鹿児島で「女子高」といえばここなのだ。これも100余年の歴史が生み出した事象に違いないが、その生徒さんたちの所作、立ちふるまいを見れば、伝統は今もいきづいているとわかる。気持ちよく話をさせてもらい、生徒会長さんから見事な感想と豪華な花束をいただく。また、こちらが酒好きと知った校長先生から焼酎の2本詰めを土産に手渡され、恐縮する。11時半、同校を後にして昼食会場へ向かい、「がんこ庵」というそば屋さんで食事。その後、南日本新聞社のインタビューを受け、いざ鹿児島工業高校へ。テレビの甲子園中継で何度も見かけた校長先生に出迎えていただき、体育館へ向かう。その入り口付近でウインドブレーカーを着た野球部の面々を見かける。「あいにく、これから国体に向けた結団式に出かけるんです」と校長から聞かされるも、これはこれでよかった。
 さてと講演会がはじまり、校長先生が壇上で挨拶をはじめられて驚いた。何と先生、この酔狂記に書かれた鹿児島工業高校に関する部分をすべてプリントアウトして持っていて、それらを朗読してみせるではないか。椅子から落ちそうになったが、逆にこれで話すべき方向性が定まる。戦前にこの学校で学んだ叔父と、30余年前に卒業した従兄の話からはじめ、自分の転校話に関連した言葉の問題を語り、大きな転校生としてオシム氏の言葉に言及し、最後は「生きて思っていれば大丈夫」なる私の座右の銘を贈って終わった。気がつけば、演壇には汗が何滴も落ち、前髪も後ろ髪も汗だくになっていた。
 すべて終わった安堵感にひたりながら校長室に戻り、先生から立派な焼酎と甲子園出場記念のグッズをいただく。「来年も強いですよ、ぜひまた応援してください」と話す校長先生と握手を交わしてお別れし、一路、空港へ。到着後、トイレで着替えをしてレストランへ入り、生ビールでとりあえずの慰労会。黒豚のヒレカツとさつまあげを急いで喰らい、JAL187便で東京へ。疲れ果てて眠り、羽田に着くと大雨だった。O河内さんにタクシーで自宅まで送ってもらい、母親に電話する。彼女は「兄貴がどこかで見とったはず」としんみり語ったが、私にすれば、女子高校で語った際、どこかに50余年前の母が座っているような気がしてならかった。言葉を失ったまま呆然と夜中まで過ごし、何もせずに昏倒睡。
9月25日 (月) 漱石、八雲。そして、ああ桜島
 インスタントコーヒーを飲みながら好天の空を見上げ、8時20分、ロビーに。熊本日日新聞社さんが用意してくださった車に乗り込み、熊本信愛女学院高校へ。シスターでもある校長先生に挨拶をし、お茶をいただいて体育館へ入り、今回初の講演。床に直に座った数百名の女子高生の、その行儀のよさにただならぬ緊張をおぼえるも、とにかく話す。「言葉と魅力と危険性」というテーマは去年と同じだが、できるだけ違う話をして1時間。硬軟まじえた内容だったが、反応は硬だった。同校を失礼した後、漱石の旧居跡を見学。それから熊本大学内にある旧第五高等学校の校舎を見に行く。赤レンガ造りの見事な構えと周囲の緑の組み合わせに感心しつつ、ここで教鞭をとった漱石や小泉八雲を想う。熊本になじめなかった漱石の銅像も近くにあり、つかの間、仕事を忘れそうになる。
 水前寺公園に接した「泉里」なる和食店で昼食。座敷の窓の向う側は公園で、美しい芝の山が見える。料理は、やはり馬刺。寝不足から食欲がなく、少しだけいただいて新聞社の取材を受け、出発。東海大学付属第二高校。長身の校長先生、なんと、T橋さんと同じ高校の1年先輩とわかる。武道館での講演は、『オシムの言葉』を活用して話す。終了後、JR熊本駅へ。リレーつばめ17号に乗って新八代駅まで行き、九州新幹線つばめ17号に乗り換え、鹿児島中央駅へ移動。鹿児島大学医学部で心臓病学会が開かれていて全国から医療関係者が3000名強も集まっているらしく、街はもう大賑わい。サンロイヤルホテルにチェックイン後、20分仮眠。窓先、正面には雄大な桜島が。思わず、この地で高校時代を送った母に電話を入れてからロビーへ下り、タクシーで南日本新聞社さんとの懇親会場へ。郷土料理「さつま路」の座敷で食事をとり、芋焼酎をいただく。途中からは、H田局次長と野球の話に没頭する。互いにマニアックな選手情報を披瀝し合い、昭和天皇もおかわりしたという鶏飯をいただいたところで散会。そのままホテルに戻り、文字どおりの卒倒睡。はたと目をさますと3時間余りがたっていた。そこで新たなメモを作り、あらためて就寝。
9月24日 (日) 馬肉にまみれて
 4時間だけ眠って起き、あわただしく準備を済ませて羽田へ向かう。16時、集英社のT橋さんと昭通のO河内さんと待ち合わせ、ANA674便で熊本へ向かう。25年間ぐらい飛行機に乗ってきたが、初めて1Aのシートに座る。縁起が良いのか悪いのか、とにかく書見で過ごす。途中、富士山の上空を通過。まだ冠雪のない火口に目を奪われる。到着後、タクシーで市内へ移動し、ホテル日航熊本へチェックイン。部屋に荷物をおき、近くにある馬肉料理の「菅乃屋」上通店に向かう。地ビールで乾杯後、次々と馬肉を使った料理を喰らう。中でも霜降りだらけの刺しには驚く。これはちょっとやりすぎではないか、と批評しながらも、食べてみれば「旨い!」の一言しかでない。馬のレバー刺しにいたっては、言葉もでない。酒は地元産の焼酎。ひたすら食べ、飲み、明日からの講演会が首尾よく進行することを願う。S吉店長に見送られて「菅之屋」を後にし、重厚感を漂わせたバー「しゃるまんばるーる」でご自慢のフルーツカクテルを飲んで仕上げ、ホテルに戻る。その後、携帯に入っていた留守電の対応をすませ、2時間だけ眠り、シャワーを浴びて講演用のメモを作って朝を迎える。すでに疲労が溜まっている。
9月23日 (土) 世露死苦なんだよな
 終日、「中央公論」の連載原稿。文章が行き詰まると、月曜日の講演資料として『夜露死苦現代詩』(都築響一 新潮社)を読む。「新潮」に連載されているときにも時々読んでいたが、こうしてまとまると尚更よい。快作。都築さんは優れた企画者であり、それを支える素直な視座をもった方と敬愛している。高校生にいくつか朗読して聴かせようと決める。「オシムの言葉」も、阿部謹也さんの論考も紹介したい。その後、再び原稿に戻り、夜明けとともに脱稿し、編集部に送信。一眠りしたら、いざ熊本へ。 
9月22日 (金) 精読と朗読
 終日セルフ自宅軟禁。阿部謹也さんの著作を貪るように読み続ける。3冊読了。書内に引用されていた金子光晴の詩集を引っ張り出し、これまた精読。時に朗読。大いに刺激を受ける。縄文期の名残り花、大賀ハスの芽、ぐんぐん伸びている。ちょっと末恐ろしい。
9月21日 (木) マドンナは待たせるのがお好き
 17時まで必死に推敲。細かい直しがまだ続く。6章で切り上げ、風呂に入って着替えをすませ、東京ドームへ向かう。渋滞にはまって19時過ぎに到着するも会場に緊張感はなく、まだ空席も目立つ。何だかだらだらの様相。ならばと1階ステージ寄りの席に座ってビールを飲み、蛸焼きと焼そばを喰らってだらだらと待つ。そして、予定から1時間15分が過ぎ、眠気に襲われはじめたころ、宇宙船ふうのミラーボールが降りてきて、そこからマドンナ48歳、はい登場。完璧なプロポーション、見事です。18歳の娘でも食事に気を遣い、日々、肉体の部位ごとに鍛錬しなければああはなりません。ダンスのきれも相変わらず。隣で歓声を送るふとっちょのアメリカ人の女性がオペラグラスを差出し、「ぜひこれで観て」と弾む英語で声をかけてくる。覗いてみるが、それほど大きく観えず。後は曲調にあわせて立ったり座ったりしながら観賞する。前半がんがんに飛ばしていた隣のふとっちょ姉さん、ラスト3曲は座りこんで憔悴していた。貧血? 軽い心不全? マドンナを楽しむならやっぱりもう少し痩せなきゃ。
 創作ダンスショーに政治的なメッセージと性的なナチュラリティーをまぶしたような2時間が終わり、早々にドームを抜け出し、場所をかえて焼酎を飲み、牛タンやキャベツを喰らう。腹が膨れたところで帰宅。マドンナの余韻にひたる間もなく、阿部謹也さんの本を読み出す。井原西鶴と夏目漱石と世間について考えながら朝を迎え、ウータに頭を叩かれながら昏倒睡。
9月20日 (水) 推敲、もう少し
 よっこらしょ、と昼過ぎに起きたら、いくぶん首の痛みはやわらいでいた。2種類のパンで食事をすませ、4日ぶりに外出してコンビニへ。飲料と週刊誌を買って戻り、郵便で届いていた雑誌とあわせて5誌を一気に読み、夕方から推敲。冒頭部の入れ替えに集中。夕食休憩をはさんで机に戻り、難所を乗り越えて調子に乗り、4時までやって呆然。すっと集中力が切れる瞬間を味わい、ふらふらになって風呂を追い炊き。どうにか入浴して昏倒睡。明日はマドンナだ。
9月19日 (火) 姿勢が悪い
 未明まで映画『ドッペルゲンガー』(黒沢清監督)を観て眠り、昼前に起き出す。首から背中にかけて筋肉がバリバリ。パンとコーヒーだけで食事をすませ、メールチェックの後、推敲作業に入る。どうにか最後までやり、時計を見ると19時半。急激に空腹と背中の激痛を覚えるも、今度は書見。昨日にひきつづき、阿部謹也さんの本。面白い。さすがといえばそれまでだが、「世間」とは何かを問うだけでここまで森羅万象に分け入り、木芽のようなささやかだけど稀少な史実を拾ってきてみせる知性にほれぼれする。その成果を読むことでこちらの世界までひろがり、うずうずと脳が動き出す。夢中になる。夕食をとってもすぐに本に戻り、そこに重要な資料として登場する『徒然草』まで読みあさり、深夜、凝り固まった背中にうながされて卒倒睡。姿勢が悪いんだよな、きっと。
9月18日 (月) 台風一過、発芽の秋
 一日遅れの台風一過。強い陽射しの下、ベランダに出てウータのブラッシングを終え、さあ中に戻ろうと薔薇が植わったプランター脇を一瞥して驚いた。グラスの水に入れておいた大賀ハスの種から何かが伸びているではないか。よく見てみると、ヤスリで削らなければいけないほど硬い殻にひびが走り、そこから緑色の芽がにゅくっと出ている。縄文期のハスの子孫のたくましい発芽に感激し、白い紙を下に敷いて撮影会。近いうちに〈作品と猫と猫〉内か、新たなタイトルを立てて時系列に写真を紹介したいと思いますが、こんな珍事の他は、ひたすら阿部謹也さんの著作を読んで過ごす。
9月17日 (日) 台風
 終日セルフ自宅軟禁。台風13号の影響をただ憂う。台風に軟禁された経験が、一度だけある。
9月16日 (土) 秋の夜長に芝居を観れば
 昼前から15時まで推敲をやり、シャワーを浴びて着替え、いざ観劇へと早目に外出。同行者らと軽食、コーヒーを飲んで青山劇場に行くも開場まで時間があり、ならばとABC本店へ。『詩人のノート』(田村隆一)、『ねじの回転』(ヘンリー・ジェイムズ)、『猫語の教科書』(ポール・ギャリコ)、『懐手して宇宙見物』(寺田寅彦 池内了編)をざざっと購入して劇場に戻る。
 つかさんの『蒲田行進曲 城崎非情編』、予定の19時をちょっとまわって開演。会場にはなぜか肥満の女性が多い。左側にもお二方、どっちり。暑い。まあそれはともかく、すぐに20代からいくつかのバージョンを観てきた同作の最新版に集中する。2時間半、休憩なし。前半は銀ちゃん役の錦織一清が安定した演技で引っ張る。そこに佐藤アツヒロがいい絡み。切れのいい動きに感心するも、何せ躯が貧弱。タキシードを着ても映えが弱い。その点、同じ小柄でも、ヤス役の風間俊介は役柄にはまって違和感なし。しかも後半に進むにつれ、その演技がのびのびと噴出し、池田屋階段落ち直前の長セリフの場面は圧巻の出来映えとなった。ぐっと我慢しなければ、つい涙をこぼしてしまいそう。周囲の豊満なご夫人らはハンカチ片手にうなずきっぱなし。それも無理のない出来なのだ。あっぱれ風間。また、『熱海殺人事件』では発声に難のあった黒谷友香も、たった2ヶ月でずいぶん改善され、はっきりと巧くなっていた。彼女、まぎれもなく今が伸び盛りなのだろう。人生のいい時期にいい試練を積んでいる。
 全体としては、事前に聞いていたほどには新しさはなかった。原作の構造内でさくっといじり、つか芝居特有の「差別の重層化」を潤滑油にしながらこの世の虚構性をぱっと見せつけ、そして終わる。何度でも再演に耐え得るテーマと構成を内在させた作品の強さ。終演後、早々に帰宅する予定をすっとばし、生ビールや焼酎をぐびぐび飲みながらイチボ焼きを喰らい、レバー刺しを頬張り、キャベツを齧り、感想や演劇論を語り合う。我ながら取り憑かれたように喋り、へろへろになって帰宅。頭の中の奥深くで、風間が発した身障者の叫び声が鳴り響く。ホー。フォー。ホーー。哀しい。哀しいが、どうにも美しいその声を聴きながら就寝。秋だ。
9月15日 (金) 歓待に感謝です
 7時半、起床。しじみたっぷりの特大スープや五目ご飯など豪華な朝食をいただき、二度寝の誘惑にかられる。いしい君から「帰る前にぜひこれを観て」と勧められたDVD(新鮮にかっこいいナイジェリアのミュージック映像。タイトル失念!)を観賞し、12時過ぎ、3人揃って家を出る。12時54分発のあずさ20号に乗って新宿へ。15時37分に到着し、中央線に乗り換え、四谷駅で2人と別れる。園子さんからいただいたお土産を抱え、駅ビル内で遅い昼食(生ビールとスパゲティ)をとり、荷物が多いのでタクシーで帰宅。玄関に入ると、ふらふらになった足もとでウータがごろにゃんごろごろ。オランまで珍しく駆け寄ってくる。その後は2匹とじゃれつつずっと呆然。とにかく、いしい夫妻にはたいへんお世話になった。申し訳ないほどの歓待だった。ありがとう。
9月14日 (木) いざ、松本いしい家へ
 7時半、細切れの夢に疲れて起床。思いきって朝の露天風呂に入り、雲の切れ間にのぞく水色の空を見上げ、髭をそって出る。8時半に事務的に朝食をとり、早々にチェックアウト。タクシーを呼んでもらい、もう二度と来ることのない宿に別れを告げて駅へ。運転手さんにその宿のこの20余年の変化について訊く。安価か高級かの選択は、この界隈の宿がみんなかかえた課題だったらしい。小雨がまだぱらついていた。
 白馬駅9時53分発の列車で松本へ向かう。車内ではずっと小説の推敲をして過ごす。予想に反して集中でき、60枚まで進む。11時34分、松本駅着。改札口でいしいしんじ君が待っていてくれた。気のいいおばさんが運転するタクシーで「田舎屋」なる蕎麦屋さんへ行き、ビールで乾杯してから昼食をとる。木曽開田で育った蕎麦、旨し。また、つまみにと注文したゆばや厚揚げ焼きをぱくつき、ビールもう一本。トドメの蕎麦湯で腹一杯になり、店を後にしていしい宅に向かう。大工さんが使っていた独特の家づくりに合わせた暮らしぶりを見学し、二階の和室から葡萄畑を眺めながらまた酒盛り。いしい家の近況や当方の小説のぼんやりとしたテーマやベトナムの風景を肴に、ビールからはじめて真澄の大吟醸をぐいぐい飲む。山の裾野にひろがる葡萄畑。無音の世界にでれでれに浸り、気がつけば一本空になっていた。「じゃあ温泉に行きましょうか」といしい君からバスタオルとタオルを渡され、二台の自転車に別れて美ヶ原温泉郷まで行き、「ニューホテルことぶき」で湯につかる。いしい君と一緒に温泉にはいるのは城ケ崎以来か。自転車を必死で漕いで家に戻り、畳の上に倒れ伏す。起きると19時半になっていて、園子さんが料理を作っていた。
 隣の和室で宴会。三崎でも味わった園子さんのプロ級の腕前に驚きつつ、またまたビールを飲み、芋焼酎を飲み、黒糖焼酎を飲む。あれこれそれこれ喋り、最後はハリハリ鍋風の野菜たっぷりの鍋で仕上げる。気がつけば1時40分。3人揃って「ひゃー」と叫び、慌てて布団へ潜りこむ。静かな静かな山辺で完璧な昏倒睡。
9月13日 (水) 20余年ぶりに白馬へ
 2時間だけ寝て起き、松井秀喜の復帰を祝した後、ぱっぱと準備して出発。地下鉄で四谷まで行き、JRに乗り換えて新宿駅へ。すぐに構内を移動して、10時発のスーパーあずさ11号に乗りこむ。「週刊新潮」を読むうちに眠気が消え、隅から隅まで読んでしまう。松本駅を過ぎ、北アルプス線を北上していくにつれ、左右には黄色い稲穂が実った田圃がつらなる。穂高駅を出発すると、8号車に乗っているのは自分だけになる。不思議な気分で何度も車内を眺め、田圃にかわって増えてきた蕎麦畑を眺める。13時44分、白馬駅到着。
 20余年ぶりの白馬だがこれといった感慨もなく、冷たい小雨に打たれながら駅近くの「摩椰」なる店に入り、葱トロ定食とランチビアーを注文。一口食べた瞬間、海のない県の高原の店でトロを頼んだ己を悔いる。バカバカ。白飯とおからを中心に食べて駅に戻り、タクシーで予約した宿へ。左手には長野オリンピックの置き土産、ジャンプ台が見える。そして、23年ぶりに予約した宿に着いて驚いた。
 かつては高級ペンションとして内装、接客サービス、食事と文句のなかったその宿は、廉価を売り物にしたホテルチェーンに変貌していた。いきなり気分がなえ、ビジネスホテルと見まがうツインの部屋に荷物を置いて頭をかかえる。しかも外は雨。日頃の行いが悪いから、とは反省せずにふて寝。夕方に起きだし、指定のレストランで宿泊客一斉の夕食。なんとバイキング。トドメを刺された感に浸り、まじまじと他の客を眺める。ほとんどが老夫婦。なるほど、シフトチェンジは成功しているらしい。早々に部屋に戻り、呆然と引きこもる。やれやれ。せめてもと思い、重い腰をあげて露天風呂へ。小雨に打たれながら湯につかるが、これでちょっと気分が回復。
 それにしても、煙が目にしみる。1時半、泣きながら就寝。
9月12日 (火) つげは伝染する
 午前中から昼過ぎまで書見。知人に勧められた『つげ義春日記』(講談社)を古本で入手したのだが、さすが、というかつげの作品同様に重苦しい日々がつづられていてこちらまで滅入った。後半は不安神経症の通院記録が多くを占め、震える神経の有り様を垣間見てしまった感がある。私小説好きのつげが、私小説が得意とする極私的痛苦の開示に成功している。それだけに重い。発狂、あるいは自殺しかねない自分と向き合う日々。ただでさえ朝から雨が降っている上にこんな本を読んでしまい、とても推敲をやる気分になれずにベッドに逃げこむ。
 明朝、信州へ逃げる。
9月11日 (月) 5年
 あれから5年。早い、とも感じるが、何だかもう20年ぐらい経った気もする。夕方まで推敲をやり、たれこめた空の下、編集者A氏らと酒を飲む。店を替えながらビール、ホッピー、泡盛(古酒)、テキーラと飲み続け、カラオケボックスでソルティドッグ。そして最後は、大量の水とアイスコーヒーで締め、ふらふらになって帰宅。ふと思えば、会社を辞めて5年が経っている。
9月10日 (日) 美智子ハス
 午後、懸案の秋物の服を買いにバスに乗って出かける。2区間だけバスに揺られ、多聞山天現寺の手前にあるセレクトショップに突入。懐しいブランドに昔を思い出したりしつつブルゾンと風変わりなシャツを購入。摂氏34度の日射しにやられ、隣の「ペーパームーン」に逃げ込み、アイスコーヒーとパンプキンケーキで休憩。オープンカフェから眺める明治通りや天現寺交差点にやたらと警官が立っている。不審に思いながら店を出てすぐに寺に入り、趣味の墓地巡りでもと歩いていると、黒々とした種子を発見。「何だこれは?」と拾って辺りを見回すと、〈大賀ハス〉の案内盤があった。昭和26年、千葉検見川の縄文遺跡で見つかり、ハス博士の異名をもつ大賀博士が2000年ぶりの発芽に成功したという解説文を読み、手にした黒い種子を握りしめて寺を後にする。それから広尾側に歩き、ますます増える警官の数に身の危険を感じながら家具屋をひやかしたり、以前に飲んで喰らった店を確認したりして歩き、そこにやってきたバスに乗って帰宅。すぐにTVをつけて間もなく、天皇皇后が愛育病院にいまだ名もなき赤子を見に行っていたと知る。思わず「残念!」と叫ぶ。美智子さんに会いたかった。私は彼女のファンなのだ。婚約時から第二子(つまり、今の秋篠宮)誕生時ぐらいまでの美智子さんは、私が知り得る日本女性の中でもっとも美しい。今だに時めく美が、そこに在る。
 しばし呆然とした後、ネットで大賀ハスについて調べ、その育て方を学び、早速必要な道具や土を買いにまた出かける。異様な湿気にふらふらになって戻り、指示どおりヤスリで種子の外皮を削る。ほぼ20分、ひたすらヤスリをかけ、やっと内部が見えたところで止め、水をはったコップに落とす。さて、ちゃんと芽は出るか。根は伸びるのか。開花まで3年かかるらしいが、天現寺との縁に感謝しつつ見守ろうと思う。うまくいけば、美智子さんのような美しい花が咲くにちがいない。
9月9日 (土) よっ! やまとや
 午前中からお囃子の音が聞こえてくる。三田界隈も秋祭りの時期を迎えたようです。そこで、散歩がてらバスに乗って田町駅まで行き、来週の信州行きの切符を購入。そのままキムラヤへ流れ、あーだこーだの末に新しいデジカメを買ってしまう。予定では新しい服を買いにいくつもりだったが、何だかもう買い物は充分という気分になり、駅前にある立ち飲み屋「やまとや」に突入。前から気にはなっていた店だったが、実際に入るのは初めて。まずは生ビールをぐぴっと飲み、肝、ハツ、シロ、モツ煮を注文。串はほとんどが150円。やや細長い樽を立ててテーブル代わりにし、その上で食べる。飲む。17時半を過ぎると、作業服姿の男性陣がどかどかやってくる。ここは新橋か、といった雰囲気だが、店内が広く、妙に爽やかなぐらい明るい。店員も堂に入った仕切りぶりで好感がもてる。ならば、と店が勧める「味噌ホルモン焼き」を追加注文。これも150円。ついでにビールも追加して食べてみると、これが旨いのなんの! うっすらと塗られた味噌がほのかに焼き目をつくり、ホルモンの甘味が口中にひろがっていく。すぐに食べてしまい、もう一本。やっぱり旨い。いやあ、これで全部で1600円とは。日が暮れかかる頃、JR田町駅前か地下鉄三田駅前にお越しの際には、一度どうでしょうか? 「やまとや」、心より推奨します。
9月8日 (金) 軟体睡
 推敲すらやる気にならず、昼過ぎに短い散歩に出かけた他は、のんびりと自宅で過ごす。自分が思っている以上に躯は疲れているらしい。少しだけストレッチをやって軟体睡。
9月7日 (木) A氏のご帰還
 昼間、16時まで書見。福田和也さんの新刊を読了後、推敲。20時までやって腹がへり、自宅に食材なく慌て、いざ「あら喜」へ。珍しく空いていて、カウンターでオーナーといろいろ話しながら生ビールを2杯飲みつつ大量の牛とごぼう煮、さらし鯨のぬた和えと黒龍、北寄貝の刺身をいただきながら不二才。美味。鮪の漬け丼をキャンセルして店を後にし、テキーラが飲みたくなってタクシーに乗り、盛り場を流浮。酒は食にしたがうべし。田村隆一先生の至言を頼りに飲んでいるから、もろもろ食べれば酒の種類も変わっていき、そして酔狂の態(てい)となって帰路につく。
 秋の気配に呼ばれるように、浮浪者A氏が古川橋に戻っていた。入梅以来のご帰還だ。靴下をはいた足を投げ出し欄干にもたれて未明の哲学にふけるA氏に、good nightの挨拶をして帰宅。
9月6日 (水) 浩宮を想う
 朝から汐留、品川の超高層ビル群のすぐ上に暗雲垂れこめる。雨はスタンバイOK。そして、秋篠宮家に第三子誕生の速報がTVに流れる。しばらく皇太子浩宮の心中に思いをはせるも、どうしようもなく朝顔に水やり。それから近所に来ているという編集者Aさんと待ち合わせ、魚籃坂下の「JP」でランチを食べながら諸々話す。店の並びにあるBIGIのOLさんたちがどっと押し寄せ、まるで社員食堂の様相をていしていた。やっぱサラリーマンは男も女もたいへんだ、などと感じ入りながらAさんと別れ、中古書店に寄って車谷長吉さん選定の短篇集『文士の意地』(上下 作品社)を買って帰る。雨、本格的に降りだす。夕方まで数冊の本をだらだら読み、やっと推敲作業に移る。オランに見守られながら21時半までつづけ、オシムJapanの試合を観戦。あのグラウンドはいかん。とても国際Aマッチをやれるピッチではなく、ボールの弾み具合をはらはら眺めるうちに試合は終わってしまった。その後、遅い夕食。ぼんやりとまた浩宮を想いながら愛育睡。
9月5日 (火) 太陽神
 ぱっと眼を覚ましたら11時半だった。9時間以上も眠っていたことに驚き、自身が感じていたよりも疲労が溜まっていたのだと認める。熟睡したので頭はすっきりしたのだが、体内からいくつかの内臓が逃げ出したような感覚に包まれ、これは腹がへったからだと判断して下駄をはき、自宅裏の「三田長寿庵」へ。いつもの鴨南せいろ(ごはん付き)を食し、店を出てふらふらと散歩。目的もなく強い陽射しの下、南麻布から元麻布方面へ坂道を上り、有栖川宮公園の手前を広尾側へ下っていくと、報道陣が陣取っている愛育病院の前に出て足をとめる。「ああ、明日ここで、男の赤子が生まれるんだよな」としばらく建物を眺め、また歩き出して自宅を目指し、途中、大好きな縄文時代の貝塚を見学。天皇も医学も貨幣もなかった時代に思いをはせ、9月の太陽を見上げてほくそえむ。「太陽はやっぱ神だな」とつぶやいた途端くしゃみ一発。「いや、太陽が神か」とあわてて言い直す。エジプトの太陽信仰じゃないけれど、自分がスカラベにでもなった気分で汗をふき、下駄を鳴らして帰路にもどった。
9月4日 (月) 疲れた
 朝から創作。昼過ぎ、しゃぶしゃぶ用の肉やピーマンやキャベツを使って焼そばを作り、それに目玉焼きとハムサラダをあわせて喰らい、すぐに机に戻る。そして、18時過ぎ、ついに脱稿。197枚。実際には300枚以上書いたのだが、途中で軌道修正のため冒頭部から練り直した。気がつけば起稿から半年もたってしまった。やれやれ、何というのんびりしたペースか。無論、これから推敲をはじめるが、とりあえず恒例の「ひとり打ち上げ」のため、シャワーを浴びて着替え、タクシーで盛り場へ。初めて入る立ち飲み風の焼き鳥屋でハツや肝や皮、旬のししとうやしいたけ、自家製煮込みなどを食す。酒はビールから泡盛へ移り、古酒の濃厚な味に文字どおり舌をまく。もっと飲みたい思いは強かったが、疲労が全身をめぐりはじめ、喋りも低調のまま睡魔に誘われ、最後は寂しい店の味噌ラーメンでしあげる。帰宅後、即身成仏。
9月3日 (日) 川崎功は漁師になった
 2時間ほど寝ただけで目が醒め、TVで映画『殺意の森』(原題:IN DREAM ニール・ヤング監督)を観る。原題どおり、他人の夢の中に入りこんで行動を誘導するという着想は面白いが、それが真犯人のトラウマに根ざした異常な精神性だけで実行可能としている点に不満が残る。ただし、ラストまでのサスペンスの描き方はさすが。恐怖は粘着質である。また、主演のアネット・ベニング(夫はウォーレン・ビーティ)の演技力は評価できる。その後、NHKの『日本の話芸』に移り、入船亭扇橋の「藁人形」を聴く。扇橋の頭の揺れが気にかかるも、それだけに老いて体調を崩した坊主の演技はお見事。
 7時になってあらためて就寝。10時に起きだし、昼前から創作。夕方4時に机を離れてネットで調べものをし、何気なくTVをつけて目がとまった。そこに、見覚えのなる男が映っていて気になったのだ。ナレーターは何度も「いさおさん」と彼を呼んでいる。それもまた耳に記憶がある名前だ。ひょっとして、と思ってソファに座り、TVをしばらく注視するうちに、モニターの中でスルメイカ漁をやっているぬぼっとした男が、かつてリクルート時代にともにリクルートブックを作っていた川崎功だと確信する。「川崎……」声が洩れた。
 リクルートを辞めて漁師になったという噂は耳にしていた。義父について北海道で修行しているらしい、と聞いてはいた。だが、こうして映像を直視すると、ともにスーツに身を包み、締切や原価調整に追われて本社内で議論していた日々とのギャップに呆然としてしまう。彼は編集者ではなかったが、優秀な信頼のおける制作管理者だった。リクルートの、あの豚みたいに厚い本(今月号のゼクシィ首都圏版の醜さよ!)がきっちり製本されていたのは、彼をはじめとする寡黙な制作管理者たちの奮闘に支えられていたのだ。リクルートを辞めて農業従事者になった者は何人か知っているが、漁師となると彼だけ。しかも、一度母港を出ると、数カ月間は戻れないスルメイカ漁をやっているとは。2人の娘さんを岩内町の自宅に残し、奥さんの智葉瑠さんと2人きりで船(第三十五 美笠丸)で暮らしながら、九州沖からイカの動きにあわせて北海道沖まで日本海を北進している。不漁の日が多く、たまに大漁になっても、イカの値崩れでわずかな利益しか出ない有り様。やれやれとうなだれる川崎は昔と同じ仕草で煙草を吸い、月に一度だけ寄港先に届く娘たちからの便りを読んで涙ぐむ。日々、苦悩。激務。ときに、同じ船団の仲間と船の中でささやかな宴をひらき、ビールや酎ハイを飲んで乾きものをかじる。
 銀座8丁目と夜の日本海海上。文字どおり「対極の場所」に川崎はいた。現実としてそこにいた。感動した。ますます厳しい環境に追いこまれるだろうが、あいつなら何とかやっていくような気がする。「苦労かけるな〜〜〜」と愛妻に笑いかける川崎の地味な笑顔で番組は終わり、その後しばらく、私はその場から動けなかった。
『漁り火2000キロ』(NHK札幌/制作)というこの番組。おそらく再放送されると思いますが、関係各位はぜひご覧ください。きっと、きつい酒を呷ったように全身がしびれることでしょう。
9月2日 (土) 野球がしたい
 午前中から18時半まで、デラウエア2房休憩をはさんで創作を続ける。でも3枚。くったりして19時過ぎ、あら喜へ。久しぶりにo野君もいていろいろ話す。N身さん父娘も。学生の娘と髪たっぷりの実業家の父。いいもんです。生ビールを飲み、姫サザエの壷焼、生ガキ、焼きアスパラのおひたし、茄子と豚の田楽、若鶏の唐揚げのおそろしポン酢和えを食す。途中から不二才をぐんぐん飲み、常連さんたちとスポーツサークルや著作権やキャラクター権について話しこむ。「俺は野球がしたい!!」といつしか主張。ぜひ麻布三の橋に草野球チームを作り、有栖川宮公園グラウンドでナイターがやりたい。右肩が動くうちに、頼むT夫くん。仕上げは名物、鮪の漬け丼。腹満タン。
 創作と酒と旬の料理、そして与太話にまみれてふらふらになり、帰宅後速攻成仏。
9月1日 (金) 秋なぎ
 終日セルフ自宅軟禁。室内にも秋が入りこむ。ちょっと下痢気味で半日過ごし、トイレ内でウータと長らく会話。奴、最近、食欲が増していると自慢し、いつしか当方の短パンの中にもぐりこんで丸くなっていた。小説、微動だにせず。オラン、じっとこちらを見ている。
8月31日 (木) 剣が峰
 朝から創作。昼食は冷や麦と卵焼き。16時、頭が痒くなって入浴、洗髪。17時からまた創作を再開して間もなく、縦揺れの地震がきてびっくり。本棚の一つが激しく揺れ、思わず立って支える。その姿を2匹の猫がじっと見上げ、揺れが治まった途端、それぞれの縄張りに戻って就寝。こちらもあらためて創作。剣が峰にさしかかり、落石注意につとめるうちに混迷模索のダッチロール状態に陥る。ひたすら原稿を睨んで考える。書く、直す、書く、考える、削るの繰り返し。21時半、机を離れて着替え、下駄を鳴らして今週初のあら喜詣で。生ビールをくぴくぴ飲み、冷奴、つぶ貝の刺身を食し、久しぶりに冷酒を飲んで舞い上がり、T夫くんに勧められるまま「吟醸焼酎」なるものをいただく。それを2杯飲んでいつもの不二才になだれ込み、K原さんと話しこむ。ふらふらになって帰宅し、甘えるウータの下敷きになって昏倒睡。
8月30日 (水) 夏の創作
 きれぎれではあれ、眠気を覚えたら横になるようにしている。家内制単独手作業者の数少ない特権だけに、こうやって暑気を乗り切り、大きな病を遠ざけて暮らしている。しかも、小説が最終盤にさしかかり、流れにそって書きなぐりがちなだけに、努めて冷静に自身の文章と向き合わなければならないから、眠気は敵となる。すっきりした思考が、今こそ不可欠なのだ。主人公らの眼になり、脳の動きに従い、ベトナムの市場と水田を眺める。そこに立ち現れる自然な言葉はいったいどんなものか? 都心の三田のはずれのマンションの13階の片隅で、悶々と考える。時には、ベトナム人になりきり、畦道に横たわる水牛にすらなってみせる。気がつけば、どんどん短くなりだした昼間が終わり、夜がはじまっていた。嫌がるオランにキスをして机を離れ、いしいしんじ君が送ってくれた信州のデラウェアに塩をふって食べ、また眠りにつく。もうすぐ、今年の夏の創作が終わる。
8月29日 (火) カー氏のアメリカン・ドリーム
 4時半起床。5時から「中央公論」のゲラ校正。吉村昭さんが自ら点滴とカテーテルの管を抜いて亡くなった件を加筆し。ファックスで編集部に送って朝のTVニュースを観る。ジョンベネちゃん殺害事件のカー容疑者、予想通りシロとの報道に大笑い。リンドバークの子息誘拐事件の時と同じで、アメリカでは大事件の犯人と名乗りでる輩が後を絶たない。これは、いわばアメリカン・ドリームの裏返し。負の分野でもとにかく著名になることで、ある「達成」を味わいたいのだろう。自己主張の国の風土に根ざした妄想病である。カー「元」容疑者の経歴をながめると、表であれ裏であれ、とにかく名を売りたい一心の半生だ。だからか、彼から漂ってくる気配はどこか痛々しい。
 その後朝食をとり、昼まで創作。12章の冒頭部まで書く。昼下がりは漫然、オランとウータと語り遊び。夕方から仮眠をとり、夜中、入浴後にまた創作。明け方まで書き、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)を20頁ほど読んで転倒睡。
8月28日 (月) 詩の手前
 終日セルフ自宅軟禁。朝顔の藍色美しい。少しだけ書見、創作メモ。漫然呆然、虚無無為。だけど健康睡。
8月27日 (日) 最後の直線へ
 8時半、起床。吉村昭さんの尊厳死報道にふれ、この一貫性、筋の通し方に感銘する。あらためて凄みのある方だったと敬服。そのあたりは明日、連載原稿のゲラに加筆したいと思う。午後から夜まで創作。6枚。最終コーナーを曲がりきったか。後はゴールまで150mといった状況になってきた。転ばないよう、歩いたりスキップを踏んだりしないよう留意して前進したい。
 そんな思いに応えるべく、意を決して六本木のベトナム料理店へ出かける。333(バーバーバー)ビールを3本飲み、エビと野菜の生春巻き、ささみのサラダ、塩豚の唐揚げ、ベトナム焼売、牛のフォー、五目チェを食す。満腹になって店を後にし、久しぶりに青山ブックセンター六本木店に入る。レジの場所等、レイアウトが変わっていて驚く。よりアートや建築関連にシフトしていたが、ひと回りした後、奥本大三郎、今森光彦共著の『ファーブル昆虫記の旅』(新潮社)を購入。帯文にある養老孟司さんの言葉ではないが、虫好きにはただただうらやましい、嫉妬したくなる一冊である。
 帰宅後、早々に就寝。
8月26日 (土) ぐっすり晩夏
 終日静養。ぐっすり寝て体調を戻す。夏が終わりかけている。
8月25日 (金) すいきんちかもくどってんかいめい……ナルホドね
 すいきんちかもくどってんかいめい……水金地火木土天海冥……すいきんちかもくどってんかいめい……。冥王星が惑星から外されるニュースとともに、テレビから流れてくるこの暗記法。実は私、知りませんでした。今回の騒動で初めて耳にしたと思うのですが、老若男女がみな口にしていて驚きました。とはいえ、昔から惑星の配置は諳(そら)んじていました。これは、いったいどういうことなのか? かつては私も「すいきんちかもくどってんかいめい」と覚え、それをすっぽり忘れてしまったのでしょうか? まったく記憶にないのです。奇妙な気分です。
 夜、やっと「中央公論」の原稿を書き上げる。吉村昭さんについて書いたのだが、2日半もかかってしまっただけに解放感が沸き上がり、雨の盛り場にくり出して痛飲。明日からはまた創作に戻らねば。
8月24日 (木) 難渋
 終日、「中央公論」の連載原稿。セルフ自宅軟禁で呻吟するも、終わらず。
8月23日 (水) 処世から遠く離れて
 終日、吉村昭さんの著作群にまみれる。素晴らしい作家である。
 ところで話はかわるが、数学者ペレルマン氏のかっこよさよ。1904年来の難問、「ポアンカレ予想」を解決に導いた業績を評価されながらフィールズ賞を辞退するとは。数学のノーベル賞と称される同賞を断った理由は、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」(朝日新聞より)。これ、学問の本質である。だから、数学界に衝撃がはしった。しかも、彼は現在無職で、わずかな貯金と元数学教師の母親の年金だけが生活の糧、と知っては、感動すら覚えてしまう。変人奇人と評するのは簡単だが、事は違う気がする。本質を実践し、かつ貫く者は、もうずいぶん前(19世紀後半あたり?)から奇人に映ってしまうようになり、生きていく上で苦労してきたのではないか。貰える賞は授かり、賞金副賞は笑顔で受け取り、それに付随する講演や取材ぐらいは対応してみせればいいのであって、さして本業に悪影響はなかろうもん……といった処世が定着しているのだから、孤独と美の追求者である数学者とはいえ、それも当然かもしれない。しかし、不意をつくように彼のような人物が現れると、人々は、ちょっと真面目になって原点をみつめてしまう。本来のあるべき姿、を振り返ってしまう。
 私は思う。こうして日記すらネットにさらしてしまう私は、今、ペレルマン氏の対極にいるのだろう。そもそも、本を書いて世に出すこと自体が、恥ずかしい行為である。傲慢な行為である。せめて、その自覚だけは忘れずに持っていたいと思うも、同時に、人生なんて暇潰し、という10代の頃から抱えてきた諦観にうなずいてしまう。おもろい暇潰しのためなら苦労もいとわない。この一点においては、ひょっとしたら、私とペレルマン氏の意見が一致するかもしれない。まあ、とはいえ、それを証明する方法はないのだけれど。
8月22日 (火) 眼がちょっとね
 小、中、大と同じ学校へ通った幼なじみが上京中ということで、あら喜で歓待。彼女、この酔狂記を読んでいるらしく、戸惑い気味にカウンターに座る。昨今の小学校の状況、母校の近況などを聞きながら生ビール、不二才。茶豆、岩ガキ、う巻き、鰻の肝の串焼きなどを食べる。
 20時過ぎ、品川駅から名古屋へ帰る彼女を三の橋で見送り、あら喜に戻って茄子と牛肉の田楽を堪能。不二才をぐびぐびやりながら看板娘Karen(7歳)の「なつやすみのしゅくだい」につき合いつつ、彼女の落書き帳に「ボールと遊び疲れて眠ってしまった猫」の絵を本気で描く。Karenの採点、99点。マイナス1点の理由を訊ねると、「眼がちょっとね」とのこと。厳しい。
8月21日 (月) 笑う不動明王
 前夜の予感どおり早実が優勝したが、試合後の田中将大選手の顔が良かった。怒りの不動明王が笑うとあんなにも清々しいものか。彼は太い人間である。
 さて、と声を上げて創作に戻る。18時半まで一気に3枚書き、シャワーを浴びて外出。遊び仲間の編集者と集い、とりあえず生ビールで早実に乾杯し、空腹を満たすためにがんがん食べる。冷奴、冷やしトマト、サザエの壷焼、鰺のたたき、鯛の刺身、酢の物……、酒は冷酒から麦焼酎へ。ふと考えると、これが本日最初の食事だった。そのためか、満腹を感じる前に酔いが全身に回り、コーヒーを飲んでバランスを整え、ずっとずっと話しこむ。途中、偶然入った本屋でまったく知らない漫画家の、まったく知らない短篇集を買ってしまう。何がなにやら。これもそれも、不動明王が笑ったからだ。
8月20日 (日) 2人の顔
 高校野球の決勝戦が終わったら創作、と決めてテレビの前に座ったが、ご存知のとおり、いつまでたっても終わらない。対称的な人相のピッチャーが投げあう様を、ただ感心しながら見守る。駒大苫小牧の田中君は、不動明王にそっくりだ。怒気に満ちた神は、炎の後輪をたずさえてマウンドにあがっていた。一方、早実の斉藤君は、明らかに女顔。観音様を彷佛とさせる表情をくずさず、最後までマウンドに立っていた。
 実はこの2人、どちらとも他県からの越境入学者。野球をやるためにそれぞれの高校を選び、練習し、今、あのマウンドに立っている。その是非論を打ち消して余りある内容だった。
 引き分け再試合が決まった後、なんだかもう疲れちゃって仕方なく、何にもする気がなくなって漫然呆然。中京商業高校が3連覇を果たしたころに書かれた梶井基次郎の短篇を読み、それに飽きると、『人類が知っていることのすべての短い歴史』(ビル・ブライソン NHK出版)をちらちら読み、短い歴史を垣間見てさらに疲れ、明日は早実が勝つ予感とアイスノンを抱きつつ早々睡。 
8月19日 (土) 夜毎の呻吟悶絶
 鹿児島工業高校、快敗。立派でありました。
 夜中、創作。引き続きの呻吟悶絶に頭がかすむ。眼が揺れる。救命具を求めるように、また書見に逃げる。今夜のお相手は、吉村昭、古川日出男。まったくタイプが違う文章をつまみ、さくっと食って創作に戻り、どうにか2枚。やれやれ、いったいいつ脱稿できるのか? 混迷のアイスノン睡。
8月18日 (金) ナメクジ作家
 台風停滞、創作は沈滞。半日机の前で呻吟悶絶、阿鼻叫喚、疲れ果てて進捗具合をたしかめれば、たかだか20字×21行しか進んでいない。蝸牛にも劣るナメクジ並の歩みで泣きながら書見に逃げる。吉村昭さんの随筆、梶井基次郎の短篇小説。端正な日本語、観察と詩眼が融合して織りなす日本語の世界にひたり、夜中、水を吸い上げる朝顔の気分を味わう。滋味。感謝。
 それにしても鹿児島工業高校よ。とりわけ中迫監督の素晴らしさよ。さっきまで農作業をしていたような日焼け顔が、勝利者インタビューを受けて感極まりぐっと崩れる瞬間に、こちらの胸までぐっとくる。来月、訪問時にご挨拶したいと思う。気がつけば、同校の校歌を覚えてしまっていて驚く。
8月17日 (木) A夜
 夕方5時、六本木スタジオへ。荒木さんにお願いの件があり、2年数カ月ぶりに「ダ・ヴィンチ」の”裸の顔”の撮影に立ち会う。終了後、スタッフ全員揃って「たんや又兵衛」で会食。ビールで乾杯後、芋焼酎「芋娘」を飲みながらたんのフルコースをいただく。先生、とりあえず元気そうで何より。
 締めの雑炊も食べられないほど満腹になって店を後にし、荒木さんに誘われ新宿へ流れる。行き先は歌舞伎町にある「花車」。ここには荒木さんの写真集が揃い、ママも娘さんも写真集に何度も登場している。編集者時代は、月に2、3度は先生と訪ね、飲んで歌って喉が嗄れるまで喋りまくった。そんな往時を再現するように大いに飲んで喋り、途中、店内のモニターでDVD観賞。内容は、荒木さんの近況を紹介するドキュメンタリー。上々の出来に全員で拍手。その後もしばらく飲んで話し、写真を撮られる。
 先生を見送った後、ふらふらになって帰宅。朦朧睡。
8月16日 (水) 膨満睡の幸福
 15時まで創作。その後シャワーを浴びて着替え、タクシーに乗って神保町へ。三省堂書店の前で編集者のT田さんと会う。去年の10月以来で、T田さん、髭を伸ばしていた。連れ立って地下の店に入り、コーヒーを飲みながら雑談後、書下しの依頼を受ける。彼の志を買う者として喜んで承諾する。また、これまでとは違う分野への試みとなるだけに、余計に意欲も湧いてくる。1年かけてじっくり考え、きっちり書きたいと思う。そんなやりとりの後は、がんがん生ビールのジョッキーを空けながら互いの転校体験や出版業界の近況などについて話す。
 彼と別れた後、遊び仲間の編集者Aさんと会い、スポーツバーでオシムJapanを応援。周囲はジェフ千葉とサンフレッチェ広島のサポーターで占められ、「古い井戸」の三都主がフリーキックを蹴るたびにブーイングが起きる。あからさまな反応に驚くも、新たな日本代表への期待を肌で感じた。試合終了とともに店を出て居酒屋で食事。麦焼酎のお湯割りを飲みつつ、アサリの酒蒸しや川エビの唐揚げなどをつまんで諸々の話題で話す。それにしても体調が良く、何を飲んでも食べても旨い。ささやかだけどありがたい幸福。帰宅後さらに白飯を喰らって膨満睡。
8月15日 (火) 慮る
 敗戦記念日にいつも思いおこすのは、朝鮮半島が日本の植民地であったという歴史の事実。1910〜1945までの35年間、彼の地の人々は日本人として扱われた。それは、朝鮮人でありながら日本人として生まれて死んだ人々が多数いたことを意味する。とにかく有史以来、どうにか独立国として今にいたる日本で暮らしてきた者は、その間に蓄積された彼の国の屈辱と怨念の思いを慮(おもんぱか)るしかできない。小泉首相は「未来志向」を強調してきたが、本来、その言葉を口にする資格は日本にはない。彼の国の人々が「未来志向」を声にだしたとき、私たちは喜んで同調すればいいのだ。頑固、とか、一徹とか、そんな言葉を使って首相の美点とする人がいるが、まったくくだらない。終始、彼は内弁慶でしかなく、その証のようにずたぼろの外交成果しか残せず、実態としては日本の孤立化を促進してしまった。
 中国との関係も同様だ。太平洋戦争はともかく、支那事変以降の日本の行動が「侵略」なのは自明である。したがって私たちができるのは、まずは事実を知って慮ることしかない。現在の中国に対する批判はいくらでもできるが、先の戦争に限っては、まず慮ることだ。
 私は、その上で、日本の国内問題として靖国神社を考える。
 このどうにもねじれてしまった難題を歴史的に振り返ると、そのきっかけは、戦後、同神社が一宗教法人になってしまったことに起因している。明治2年に国が作った施設をそのまま宗教法人としたが故に、やっかいなのだ。一宗教法人が誰を、何を神として祀るかは自由なのだから、実は、分祀を求める議論は意味がない。A級戦犯を祀っても何ら問題はない。靖国は靖国の見識と覚悟で判断するだけだ。問題は、だから、政教分離の不徹底にある。一般国民はどこで英霊を悼んでもいいが、やはり国家権力を司る政治家は、憲法に明記されているように各宗派と距離を置いて哀悼の念を捧げるべきである。政治家が私人としての「心」に従って一宗教法人を重視する権利はない。政治家の、いわんや首相の行動はすべて「メッセージを帯びる」という前提をわきまえてくれなければ、国情が混乱するのは当然ではないか。小泉首相はその点には一切ふれずに自身の考えを語っていたが、前提が憲法違反なのだから何をかいわんや、である。
 今となっては、靖国神社の解散は不可能だから、なおさら、政治側の徹底した態度が求められる。したがって、現状では新たな追悼施設を建設するしかない。法的にまっとうに考えればそうなるが、残るは感情の問題だ。61年前のこの日まで、国のために死ねば神となって靖国に眠るという国策に従ってきた国民の感情は、靖国が一宗教法人となっても関係なく生きているから、遺族間にも混乱が生じる。これが、国内における靖国問題の本質のような気がする。この本質に手をつけ得るのは、おそらく遺族団体の支援を受けている政治家たちではないだろうか。遺族代表の古賀氏らが音頭をとって新たな施設建設を推進するしか、感情面を慮りつつ法的にもすっきりできる方法はないと思う。
 以上のようなことを考えながら、安倍次政権はきっと短命だなと思う。小泉首相の尻拭いもままならぬまま、彼は権力の立場から去っていき、ついでに躯を壊す予感がしてならない。
8月14日 (月) 停電の朝
 港区は大停電の影響もなく、好天の下のんびりと時間がすぎる。
 昼、注文していた未読の吉村昭作品がどっと届く。短篇、長編、随筆、講演録、おもむくままに手にとって読む読む読む。『わが心の小説家たち』(平凡社新書)、『東京の戦争』(ちくま文庫)をほぼ読了。図らずも、創作中の作品にも刺激を受ける書見となった。しかも絶妙のタイミングで。
 粗食に徹して一日を終える。オラン、連日の吐瀉。
8月13日 (日) 夏、静かな律動
 清峰敗れる。吉村昭さんの短篇集『死のある風景』を読む。
 呻吟の末に選択された言葉のつらなりから、作者の静かな律動が伝わってくる。細かい配慮の行き届いた文章とはこういうものだ。そんな技巧も含め、作者の正面を向いて淡々、堂々と書く構えを感じる。生前には一度もお目にかかることはなかったが、いつからか畏怖すべき作家として眺めていた。吉村さんが亡くなって初めての盆を迎え、その思いがまた深まった。オラン、吐瀉。
8月12日 (土) 因縁
 9時半に就寝して13時に起きだし、高校野球2回戦、鹿児島工業VS高知商業戦を観戦。寝不足とあってメモをとりながら鹿児島工業を応援する。途中、実家の母に電話をかけ、来月、鹿児島工業で講演することを伝える。鹿児島で生まれ育った母は予想どおり驚き、昔話をはじめる。そして、同校と我が親戚との関わりについて、この時までまったく私が知らなかった事実を語って聞かせ、結局こちらの方が何倍も驚く始末。奇妙な縁が重なってちょっと無気味な感すらする。好ゲームを制して同校が勝利をおさめたこともあり、ますます来月の薩摩行きが楽しみになった。
 夕方に仮眠をとり、夜中になって創作。3枚。苦しい。
8月11日 (金) 朝、六合目
 昼過ぎに起床。ぐっすり眠って頭すっきり。遅い昼食後、少し書見。そして、創作。呻吟、辛苦。いつしか日が暮れるも、呻吟、辛苦。たった数行の原稿を睨んで何十回と読み直し、2、3の言葉をちょこちょこいじるだけであっという間に1時間が過ぎていく。4時間で1枚しか進まぬまま空腹を覚え、「acalli」へ。
 生ビールを飲んで出し巻き卵、牛肉とチコリーのサラダ、車海老せんべい。酒を赤ワインに替え、acalli名物マルゲリータ、野菜(玉ねぎ、あアスパラガス、エリンギ)焼き、サーロイン50g、そしてガーリックライスで仕上げて満腹になり、まっすぐ帰宅。ヴォルビックとカルピスウォーターとウコンを飲んで酔いを覚まし、「タモリ倶楽部」を観てから創作に戻る。呻吟、辛苦にも慣れ、とにかく机の前から離れず、朝方まで4枚書く。やっと山場の六合目まで到達。ここまで来たらもうじたばたせず、焦らず、腹をすえて登頂を目指すのみ。落石注意。