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酔狂記

12月12日 (火) 塩と酒
 終日セルフ自宅軟禁。昼すぎ、土産に買った梅のしそ巻きで白飯を食べるも、その強烈な味に衝撃をうけ、つい大盛り二杯分の飯でしょっぱさをごまかす。いいんだか悪いんだが、判断不能に陥る刺激。こんなの毎日食べたら、と思い、胃ガンになりやすい県が北東北に集中している理由に合点がいく。寒さをしのぐ、塩分と酒。そこで生活してみれば、ごもごもごもごもっともな対応なのだが、どうか皆様、お身体ご自愛を。
12月11日 (月) 北国では暮らせない
 8時前に起き、最上階で朝食をとって外出。雪が舞う中を散策し、「ラ・クラ」なる地域誌に紹介されていた珈琲店「マロン」で美味しいコーヒーを飲んでから民芸店などをのぞいてホテルに戻る。すぐにチェックアウトして荷物を預け、地下にある新鮮市場へ。鮭、ひらめ、カレイなどの鮮魚からイカや貝類まで、築地の外商すら連想させる豊富な食材を眺めて愉しみ、缶入りの「いちご煮」を買ってしまう。外に出て、今度は「古川魚菜市場」を歩き、この地の特産物を目で味わい、「亜希」というトンカツ屋で豚バラ丼を食べる。美味。満腹になり、タクシーに乗って空港へ向かう。八甲田連峰を遠望しながら徐々に山の方へ進む車中でメモをとりつづける。見たかった光景がそこにある興奮を覚え、空港についてからは風景画を描く。
 夕方には羽田に戻り、タクシーで帰宅してウータの出迎えをうける。室内外の25度ほどの寒暖差に苦しんでいた心臓も平穏を取り戻し、やれやれとソファに座って漫然と時をやりすごす。下唇の内側が、濃い塩味の連続にやられたらしく、うっすらとただれてひりひりする。厳寒の地で生きるということ。そのほんの一端にふれ、あらためて北国では暮らせないと思い知る。
12月10日 (日) あおもり犬
 ベッドから起きだして窓際から陸奥湾を眺めるも、サッシ周りが結露で水びたしとなっていることに気づき、思わず二歩下がる。雪が当然のように舞っている。全身に悪寒を感じ、白旗を上げてベッドに戻る。
 昼過ぎ、空腹にうながされて外出し、「おさない食堂」でウニ、イクラ、ホタテの3種を盛った丼を喰らう。美味い。美味いが、やはり味が濃い。塩気が残る唇を舐めながら、タクシーで青森県立美術館へ。道路脇に溜まった雪を眺めながら郊外へ向かい、県総合運動公園を抜けて雪原らしき風景に目を奪われる。この旅の一つの目標がかなう。寂しく美しい白と灰がにじみあった大気に溶け込むように、白い美術館が現れ、少し離れた場所から歩いて館内へ。浅葉克美さんの作と思われるタイポグラフィによるロゴ、マークに案内され、各展示室を観て回る。「現代と縄文」展の最終日の日曜日とあってか、多くの人がいくつにも分かれた展示室にあふれていた。荒木さんの「日本人ノ顔 青森編」も最終日に観られてよかったが、『きょうも命日』でも紹介した成田亨さんのウルトラマン用の怪獣原画を観賞できたのが収穫だった。A4サイズの小さな作品ながら、どれもが独創に満ち、作者の企みがはちきれんばかりに紙面に輝いていた。また、バレエ「アレコ」のためにシャガールが描いた背景画は、約9m×15mの大きさもあって壮観だった。
 そして、なにより素晴らしかったのは、やはり奈良美智さんの「あおもり犬」でありました。地下一階にある彼の常設コーナーを巡り、地上とつながる縦型の窓からうっすらと射しこんでくる陽射しを見上げたら、そこに巨大な犬がいるではないですか。前脚を突っ立てうなだれたその白い犬の頭部には、雪が積もっていて、全身も周囲の建造物も空もが、淡い白のグラデーションの中に配置されているのです。幻想的愛らしさ、とでも表現するしかない気の弱そうなただずまい。でも、脚はきっちりと地を突いている。青森出身の奈良さんはその「あおもり犬」の造形に、郷土の姿を描いてみせたのでしょう。一度観たら忘れない、切ないほどの静かな矜持を漂わせる作品でした。
 ここで文体を戻します。
 夜は、青森駅近くにある鮨屋で3種の地酒を飲み、つまみの刺身とにぎりを食し、雪の中を散歩し、調子にのって海まで行ってしまう。左手に青函連絡船だった八甲田丸を眺め、足もとの海を見下ろすと、かなりの恐怖を覚える。北の海。どすこい。そのまま青い海公園を歩き、雪を浴び、凍えてホテルに戻る。素直に感じるままのメモを記し、暑いほどの暖房にくるまれながらどすこい睡。
12月9日 (土) 雪の降る街でいきなり暗澹(あんたん)
 夜中に起きだし、8時まで「中央公論」の原稿を書いて編集部へ送り、「いざ!」と声を上げて着替え、コートを着て家をでる。田町からJRに乗り、9時16分東京発の新幹線で青森へ。缶ビール、缶酎ハイ、缶ビールと飲み続け、福島県内に入って降り出した雪におののくも、宮城県内になると雪がやんでいた。岩手、そして青森の玄関口、八戸駅で降りても雪は降っていない。しかし、乗り換えた特急電車で青森に向かう間に、車窓の外がどんどん白くなる。野辺地を過ぎるころには冬の山水画の世界となり、背景にむつ湾と下北半島が見える頃にはもうビビってしまって躯が硬直する。へなちょこ体質なだけに、暑いのも苦手だが、寒いのはもっと苦手なのだ。案の定、青森駅前で雪に見舞われ暗澹、15時前、駅前のアーケード下を背を丸めて通ってホテルにチェックイン。
 仮眠をとって18時、お目当ての「おさない」を訪ね、早々に夕食に突入。まずは「喜久泉」の枡酒を飲み、イカやホタテの刺身から食べはじめる。途中、”幻の酒”と紹介された「田酒(でんしゅ)」に切り替え、21時まで次から次へと海の幸をつまみ続け、あたたまった頭を落ち着けようと近くの喫茶店へ。美味しいコーヒーを飲んでホテルに戻り、最上階のバーでウイスキーで仕上げる。バーの窓の先にぼんやりと見えるベイブリッジの背後には海が見え、斜めに雪が降りしきっていた。「山崎」と「宮城峡」のロックを飲んで部屋に戻り、窓外の眺めに脅えながら酩酊睡。雪、まじ怖い。
12月8日 (金) 準備はできた。のか?
 明日からの北行について思いを巡らせていたら、穿いていくズボンの引き取りがまだだったことに気づく。慌てて家を飛び出し、バスに乗って天現寺脇の店へ顔を出す。青森に友人がいるO崎さんと先週末からの豪雪話を交わし、無事を祈られながら帰路につく。
 夜は「中央公論」の連載原稿のメモを作って仮眠。まるで受験生。
12月7日 (木) できるだけ喋らない
 夕方まで創作。懸案の短篇、最終部へ。その後は書見。思索。夜中、なでしこジャパンVS中国戦を応援しながらまた書見。ふらふらになって爆睡。
12月6日 (水) ズボン下
 夕方、北国の厳寒に備えるためにタイツ型の下着を買いに行く。グンゼ製のものを1点選び、ついでに厚めの靴下2足、長袖シャツも購入する。ズボン下をはくのは、たしか小学生以来だ。それだけでちょっと胸が騒ぐ。
12月5日 (火) 「寝ずの番」は傑作だった
 朝からDVDで映画『寝ずの番』を観る。津川雅彦が、日本映画界の大名跡であるマキノ姓を名乗って初監督した作品だが、これがまあ面白い。快作、あるいは傑作と称してもおかしくない出来映えだった。長門裕之、中井貴一、笹野高史、富司純子、岸部一徳、木村佳乃、木下ほうか、田中章ら俳優人の演技はもとより、中島らもさんの原作を切れ味よく構成した脚本(大森寿美男)の素晴らしさが際立っていた。死の際にも玄人の世界があり、そこに最高の芸が生まれることをこの作品は教えてくれる。春歌ですら、その一瞬であれば最高の御詠歌となるのだ。落語好きなら一層楽しめるだろう。
 監督や俳優らが座談をしながら作品を鑑賞する、という特典がついていて、それを見ながらもう一度全作を観賞してしまい、気がついたら14時だった。こうなるともっと映画が観たくなり、観ずに溜まっている30本余りのDVDから1本を選んで観賞し、夕方、少しだけ創作。その後、銀座に出かけ、「樽平」にて「中央公論」のK佐貫さんとN西さんと忘年会。のっけから熱燗を飲み、K佐貫さんの痛風体験から談笑をはじめ、がんがん飲み続ける。2軒目で「ハートマン」へ行ってみたが、店が閉まっていて諦め、有楽町へ流れてまた飲む。途中、酔っぱらったN西さんが退席した後も2人で飲んで熱く語り、1時散会。
 久しぶりの痛飲。あったまった躯のまま納得の卒倒睡。
12月4日 (月) スーちゃーん、ランちゃーん、ミキちゃーん
 夕食をとり、復党問題に関するニュースにうんざりした後、22時から「わが愛しのキャンディーズ」(NHK総合)を観る。30年ほど前の映像が間断なく流れ、デビュー前から解散コンサートまで、彼女たちの歌う姿を中心にテンポよく紹介されていた。年下の男の子、春一番、やさしい悪魔、涙のシンフォニー、…………次々と流れる曲をすべて歌っている自分に驚く。特別に熱心なファンでもなかったが、10代の半ばに聴いた曲とは消えないものらしい。映像に登場する熱狂的な男性ファンたちは、まったく同世代であり、それだけに、彼らがテレビの前で号泣して感激している姿が目に浮かぶ。全国各地で「スーちゃーん」「ランちゃーん」「ミキちゃーん」と叫ぶおっさんたち。そういえば、高校の卒業アルバムの1ページ目にキャンディーズの解散コンサートの写真が載っていた。なんで? と疑問に思ったものだが、私たちが高校3年生になったばかりの1978年4月4日、彼女たちは後楽園球場で「わたしたちは幸せでした!!!」と叫び、「普通の女の子」に戻っていったのだった。
 それにしても、スーちゃんこと田中好子のなんと可愛いことか。ころころした愛くるしい姿は、子豚ちゃんのぬいぐるみのようだった。ランちゃんは20歳前からどこかスナックのママの風情を漂わせていた。彼女も今では50代。年齢がやっと外見においついた。ミキちゃんは敬虔なクリスチャンとして活動しているらしい。彼女たちは、その外見同様、自身に見合った人生を歩んでいるのだろう。時間は、顛末はどうであれ、各人にふさわしい選択を迫ってくるものだと、はっきり思う。風邪薬を2錠飲み、しみじみと早々睡。
12月3日 (日) 園山へ
 7時半、起床。うっすらと悪寒を感じたまま、久しぶりにテレビでホリエモンを観る。体型も顔つきも言動も、ちゃんと以前のそれに戻っていた。逮捕時にもこの日記に書いたが、彼はどういう情況下でもきっと大丈夫に違いない。クラムチャウダーと胡桃パンで昼食をとり、風邪気味とあって薬を飲んでベッドへ逃げこむ。ウータとともにそのまま眠り、夕方起きだす。防寒姿に着替え、迎えにきてくれたタクシーに乗り、小学館I垣さんとあらきのT夫くんと3人で恵比寿へ。一部で話題の「園山」なる(説明できないほどわかりにくい場所にある)民家を活用した店へ行き、I垣さんが手配してくれたコース料理をいただく。厨房もホールもすべて女性だけで仕切られ、食材にこだわった小ぶりな料理が次から次へと出てくる。創作懐石の趣ながら、私服姿の厨房を眺めながら気さくに食べられる雰囲気があって会食にはもってこいだった。
 21時に散会し、I垣さんを見送り、T夫くんとタクシーに乗って帰宅。何とかこのまま風邪を治してしまいたい。
12月2日 (土) 黄葉
 7時半、起床。来週の北国取材のために防寒服を買おうと、バスに乗って二つ目の停留所で降り、お目当てのセレクトショップへ行ってみるとシャッターが下りていた。仕方なく広尾から坂を歩き、ナショナルマーケットで飲料などを買って有栖川宮恩賜公園へ。期待どおりの紅葉を見上げ、しばし感嘆。それからゆっくりと枯葉の絨毯歩道を上り、今度は都立中央図書館前にある巨大イチョウの黄葉に息をのむ。左右20mほどもある枝振りとまるで藤棚のような枝垂れがすべて黄色く色づいた葉で覆われている。背後にひろがる冬の晴天とのコントラストもあって、黄葉が目にしみこんでくる。しばらく呆然と、そしてにんまりと仰ぎつづけ、奇跡のような天蓋と別れて坂をくだり、当初の目的の店を訪ねる。限定品のコート、パンツ、ベルトを買って裾直しの手続きをしている時に棚の上にあったバッグが目に入り、ふとそれを持ってうろつく自分の姿を幻視してしまう。しょうがねぇ、と腹をくくって値札も見ずにそのバッグも購入。Ally Capellino、気にいった! これで少しは出かけるようになれば、と自身の活性化を願う。
 散財して自宅に戻り、浦和レッズのJ1初優勝を見届け、やっと創作。夜は魚介類の寄せ鍋を食し、風邪薬を飲んで早々睡。
12月1日 (金) 映画は映画館で、はい。
 どうにか朝から起きだしたものの疲れが残っていたらしく、西脇順三郎の「脳髄の日記」を読んでいるうちに眠ってしまう。はっと目を覚ましたら13時半。股間ではウータが鼾をかいていた。遅い昼食をとって創作。19時過ぎに切り上げ、BS2「中山道完全踏破」の達成スペシャルを観る。勅使河原郁恵さん、よくがんばりました。鉄板焼で肉や野菜をたっぷり食べ、今度は映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(日本テレビ)を観て堤真一の演技にうなる。いい役者である。とはいえ、やはりテレビで映画を観ると、CMの度に興をそがれて白けてしまう。映画は映画館で、上映が終わったらDVDで。そんな基本的な鑑賞法を再確認して早々睡。
11月30日 (木) 沈黙のない会話、残る言葉
 5時半、起床。ちょっと早く起きすぎたか、と不安になるも、そのまま簡単な朝食をとり、いつもどおり「中山道完全踏破」(いよいよ本日、日本橋に到着!)と「芋たこなんきん」を観てから創作。12時半まで書いて昼食。その後、取材旅行の下調べをしこしこやってまた創作。17時半に切り上げ、地下鉄に乗って新橋へ。松竹の関さんと合流し、以前にも2人で行った沖縄料理の店で会食。まずは生ビールをぐいっと飲み、それから諸々の料理をつまみながら泡盛を飲み、歌舞伎、映画、シュールリアリズム、落語、小説をネタに話しこむ。沈黙のない会話。数カ月ぶりだからではなく、関さんと会えばいつもこうなる。「他人の時間」の感想も聞く。その上で、ずばっと核心を突くアドバイスを授けられる。寝不足で最後はふらふらだったが、この助言はしっくりきた。良いタイミングで良い言葉にぶつかることは、実は、けっこうな幸福である。いや、正確に云えば、その言葉と出会うべき時に出会うことは、ひとつの奇跡であり、そういう言葉だけが骨身に沈み、我がものになるのだ。たぶん。
 感謝しつつ握手をして別れ、タクシーにて帰宅。完璧な酩酊朦朧昏倒睡。
11月29日 (水) 数珠つなぎの愉しみ
 8時過ぎに起きだし、すぐに「芋たこなんきん」を観る。その後、DVDで映画『ヴィトゲンシュタイン』(デレク・ジャーマン監督)を観賞。つくづく哲学を生涯の命題とする危険を感じる。ニーチェもまた同じだが、そこには切っ先鋭い狂気が内包されていて、本人も周囲もまあきつい日々を送ることになる。来春までに書き上げたいと構想を練っている小説のために調べものをしていて、その流れで再読しはじめたウィトゲンシュタイン。この流れはまだまだ続かざるをえず、すでに数冊の本を読み、多種の資料にあたっているのだが、年内には某地を訪ねてみたいとも思っている。別に舞台にするのではなく、あくまでも「感じる」ためにイメージに近いと勝手に期待している未踏の地に立ってみるだけだ。この数珠つなぎのような準備期間が、実はもっとも愉しい。いざ書き出せば、文章表現の技術者としてうじうじきりきりの日々がはじまる。ひきこもりの毎日が待っている。それも嫌いではないからやってられる。
 その一方で短篇を書き,夜はゴメス・チェンバレンと一緒に万歳をして就寝。
11月28日 (火) ミス慶応
 6時半、起床。朝刊をみていて週刊誌の広告で気になる記事をみつけ、そのままコンビニへ。気になったのは、〈本年度ミス慶応エントリー学生にAV出演疑惑!〉というタイトル。この日記にも書いたように23日に三田祭に顔を出したばかりなので、つい野次馬心が動いてしまったのだ。3誌の記事を読んでの感想は、疑惑の真偽はともかく(おそらくこれは事実だろうが)、たとえAVに出演歴があってもいいではないか、という一点だ。まあ、慶応のブランドイメージとしては難しいのもわかるが、件の彼女の、今後の学園生活が破壊されないことを祈るばかりだ。
 その後は午後2時まで創作。助六といなり寿司で昼食をとりながらウィトゲンシュタインの『論考』を読み、3時過ぎ、入浴。着替えをすませて恵比寿へ向かい、16時半より学生向けの講演にのぞむ。終了後、昔の後輩と小一時間談笑し、あらきで食事。不漁の中、どうにかT夫くんが仕入れた〆鯖が、とっても美味しかった。
11月27日 (月) 静かな刺激、ウィトゲンシュタイン
 終日セルフ自宅軟禁。昼前に夕べの残りの豚汁を食べ、昼下がりには一人前の鍋を用意して賞味期限寸前の肉でしゃぶしゃぶに興じる。完全に食べ過ぎ。そんな自身に少々あきれつつ、アマゾン奥地から4冊の本と2冊のコミックと2本のDVDが届き、それらにざっと目を通すだけで夜になる。メインはウィトゲンシュタイン。鮮度のいい静かな刺激を浴びてぐっすり就寝。
11月26日 (日) 早寝早起き
 6時起床。サンドウィッチで朝食をすませ、ゆるりと書見。午後、ディープインパクトの勝利を見届けてから外出。編集者Aさんと食事をし、雨が降り出した頃合いで帰宅する。疲れが溜まっているのか、早々に昏倒睡。
11月25日 (土) 外出は疲れる
 6時50分、空腹を感じながら起床。顔を洗って2階まで下り、「チェッカーズ」なるレストランでバイキング方式の朝食をとる。新聞を読みつつがっつり食べ、部屋に戻ってシャワー。さて、と気合いを入れて着替えてホテルを後にし、歩いて梅田センタービルへ。10時30分から大学生向けの講演。30分間を4回という珍しいパターンでとにかく話し、16時半に終了後、タクシーで新大阪へ向かい、16時53分発ののぞみに乗りこんで缶ビールをぐいっと飲む。緊張感を保つために昼食をとらなかった胃袋にアルコールが一気にしみわたり、全身がふにゃふにゃに弛緩する。それでも売店で買った「週刊新潮」と「週刊文春」をすべて読み、目まで疲れきってやっと半時間だけ眠る。品川駅からはバスに乗って帰宅し、荷物を置いて「あらき」へ出かけ、生がき、ナマコ酢、三つ葉と茸のおひたし、ホタテのめかぶ和え、北寄貝の焙り、白菜キムチを食べながら不二才のロックを飲み、いつもの常連さんたちとしばらく談笑して二度目の帰宅。へなへなになって崩壊睡。
11月24日 (金) 荒木さんの泣き姿
 6時起床。汁粉を食べながら「芋たこなんきん」を観て間もなく、荒木さんのインタビュー番組がはじまった。ビデオをまじえた生番組で、しかも22日にあったパーティーをど忘れして欠席していたため、思わず見入ってしまう。「日本人ノ顔」シリーズの現況や成果についていつもの荒木さんらしく照れながら語った後、太陽賞受賞作「さっちん」にまつわる思い出話をし、そして亡妻の陽子さんの最期を撮った「センチメンタルな旅 冬の旅」の紹介ビデオ(ナレーション付き)を見終わった直後、荒木さんの目から涙がこぼれた。「朝っぱらからまいっちゃうな」と苦笑して涙を拭かれたが、20年近く荒木さんとつきあってきた者としては少なからず衝撃をうけた。人前で、しかもメディアの前で荒木さんが泣くとは。その後はまたいつもの荒木さんに戻ったが、衝撃は今も残っている。
 テレビを消してからは昼まで創作。それから仮眠をとり、夕方、品川駅からのぞみに乗って大阪へ。21時前にヒルトンホテル大阪にチェックインし、一歩も外に出ないまま耐寒睡。
11月23日 (木) 19年ぶりに三田祭へ
 昼前、文具関連物を買い出しにJR田町駅前まで行こうと歩いていたら、慶応大学で三田祭をやっていた。19年前に当時の知り合いの学生(ああ彼も今や42歳か……)に誘われて足を踏み入れて以来だが、近所のよしみで正門からのぞいてみると、いやあ凄い人。しかも圧倒的にエビちゃん風のファッションに身を包んだ若い女性が多い。そんな人の群れの隙間をぬって中庭へと進み、19年前にも見かけたプロレス用のリングを発見。懐しさにしみじみ感じいりながらさらに奥へ進み、各校舎の催しものをチェックして回ってからミス慶応のステージを見学。しかし、本番までは時間があると知り、今度は大学対抗の漫才を観る。東京、明治、慶応、早稲田の順で漫才が披露され、2人の審査員が点数をつけるという趣向。立ったまま見守ってみたが、早稲田のコンビがダントツの出来だった。アマチュアとセミプロほどに力の差があった。ついでに大喜利が終わるまで見てみたが、急激に冷えこみが厳しくなり、やきそばを食べて退散。当初の目的どおり買い物をすませ、バスで帰宅し、夕食まで仮眠。食後、「中央公論」の連載のゲラ校正をやって編集部へ送り、夜中、創作。なんだか奇妙な一日だった。
11月22日 (水) 三、三、
 元の木阿弥、無為三昧。ただし夕食は濃い三味。
11月21日 (火) 炭屋さんの手
 入浴後、今週はじめて外出し、あらきで遅い夕食。店がしまった直後、あらきに炭を納めている炭屋さんが来店。ハンサムな上に気のいい人物で、実は、あらきに新人kazuを紹介した方でもある。kazuの働きぶりを心配して顔を出したらしく、kazuも何品かまかない料理を作ってみせる。炭屋さんとT夫師匠とともにそれらの料理をいただき、正直に寸評する。「しゃびしゃびだよ」「最初のしぼりが足りねえんだよ」「この豚汁はまったくこくがない!」「おっと、この焼きはいいねえ」等々。そんな声があがるたびにkazuは反省とでれでれ笑いを繰り返す。職人の世界はもとより厳しいのだが、何より炭屋さんの手の汚れがそれを物語る。洗っても落ちないほどに炭が指に皮膚に染みこんでいるのだ。指紋はとっくになくなっている。もの心ついた頃から炭に触れてきた手の有り様を眼前にし、私、静かに感動してしまいました。それにしても、作為のない皮膚に同化した炭色の美しいこと。いいものを見せてもらった。
11月20日 (月) 自業自得の異邦人
 完璧な昼夜逆転となってしまった。この季節にこれをやると、文字どおり昼の陽射しを味わうことができない。さらに数日間つづくと自分が違う惑星で暮らしているような気分にすらなってくる。やれやれ、自業自得の異邦人。
 書見後、カキフライと餃子で夕食をとってまた眠り、夜中、創作。4時半まで書き、今週末と来週半ばにやる講演用のメモを作成して代理店に送信。とりあえず仕事は前進しているが、早めに正常な昼夜に戻さねば。
11月19日 (日) 床暖房はじめました
 寒いぞこれは、と寝起きに震え、ついに今シーズン初めて床暖房をつける。すると、いつの間にかウータもオランも床で仰向けになって寝ていた。さすが暖にはうるさい猫だけある。夜中、満を持して「中央公論」の連載原稿にとりかかり、8時脱稿。朝食をはさんで推敲し、さきほど編集部に送る。さあ、これから憧れの脱稿睡に突入だ。
11月18日 (土) 同世代の幅
 昼過ぎに届いた『さよなら、サイレント・ネイビー』(伊東乾 集英社)を読む。今年の開高健ノンフィクション賞を受賞したこの作品は、著者が東大生時代の同級生でオウムによるサリン事件の実行犯として逮捕された豊田亨を題材にしている。つまり、なぜ彼はオウムの信者となってあの事件にかかわったのか、という問いである。また、タイトルにあるように、沈黙して事件の根本的な問題が風化していくことに反駁する思いで取材、執筆がなされている。感想は最後まで読了してから記したい。
 「中央公論」の連載原稿のメモをつくり、テレビ(TBS「落語研究会」)で談春の『三軒長屋』を聴いて就寝。談春の課題は、老人の芝居が元気にすぎることに気がつく。だが、それすらともに老いていく楽しみに思われるあたりが、同世代に彼のような才能をもった幸せである。思えば、オウムの幹部たちもまた、同世代である。
11月17日 (金) 小島信夫さんの記憶
 小島信夫さんの『残光』を読み終え、午後、2時間ばかり彼の小説についてあれこれ考える。戦後間もない時期から「第三の新人」の1人として活躍してきた小島さん。従来の日本の小説とはまったく異質のその作品群について考えることは、そのまま小説とは何かについて検討する作業になっておもしろく、あらためて、今の若い作家にも大きな影響を与えていることを知る。あえて名前をあげたりはしないが、村上春樹、古井由吉、大江健三郎、金井美恵子といった方々と同じように、その創作に対する姿勢とスタイルはほんとうに多くの作家を支配しているようだ。しかも、当の本人は90歳になっても自身の小説を研磨しつづけ、そして、『残光』を上梓して亡くなった。あっぱれ。詳しくは「中央公論」の新年号に書くが、20代から30代前半の作家の作品をいくつか読み直し、そこに小島信夫の影を発見できたことに感じ入りながら夜を過ごした。小島さんの生きた記憶はこうして死後にも生きつづける。
11月16日 (木) 長く静かな停滞
 終日セルフ自宅軟禁。夜は集英社のパーティーがあったのだが、それも欠席して静かに過ごす。これまでになく長い停滞が続いている。
11月15日 (水) 話しこみ
 サッカーアジアカップ予選の日本VSサウジアラビア戦を観終わって空腹を覚え、あわててあら喜へ。カウンターの端で生ビールを飲み、あん肝ポン酢、〆鯖、牛しゃぶサラダを喰らって神亀の熱燗を飲んでいると、背後から声をかけられた。振り返って見ると、そこにはパパセシルこと小学館のI垣さんが立っていた。久しぶりに顔を合わせ、T夫くんとともに某女性の話で盛り上がり、密かな企てを計画して別れる。その後、o野くんと仕事を終えたT夫くんと3人で話しこみ、最後、盛運亭で味噌ラーメンを食べて散会。4時、就寝。
11月14日 (火) 顔見世の夜
 江戸時代、11月は「芝居の正月」だった。これからはじまる1年の興行のために、各座は看板となる契約役者を観客に披露するために「顔見世」をうち、大いに賑わったらしい。……ということで、歌舞伎座へ行ってきました。しかも最前列に座って眼前でしかっと観てきた次第。
 まずは、御祝儀舞の『鶴亀』。女帝に雀右衛門、鶴に三津五郎、亀に福助という贅沢な配役で、いきなり華やいだ気分にひたる。次は『良弁杉由来 二月堂』で、実在した良弁大僧正(東大寺建立に尽力した奈良時代の高僧)に仁左衛門、30年前に彼と生き別れとなった母を芝翫が演じるのだが、この2人の再会の場面は文句なしの芝居だった。特に芝翫の老女は見入ってしまうほどの完成度で、そこには、古の良き母がたしかにいた。その後は、菊五郎の『雛助狂乱』の舞。次に、富十郎と鷹之資がそれぞれ弁慶と牛若丸を演じて舞う『五條橋』をにこにこ笑いながら観る。なんせ年の差69歳の親子の舞である。そうそう観られるものではなく、それだけに富十郎の動きに集中してしまう。嬉しいんだろうな。下手の桟敷席には妻と娘もいて、けなげに声援をおくっていた。
 そして切は『河内山』。白血病を克服した團十郎に終始感心しながら見蕩れてしまう。何だか次元の違う存在を見ているような不思議な気分を味わう。声、語りはもとより、とにかく座っているだけで絵になる。それだけでなく、例えば旧い錦絵から抜け出してきたような、つまりどこかこの世のものではない気配が漂っているのだ。これが「凄み」というやつだ、とただ唸るばかり。團十郎の顔を眼前で観られたことに感謝しつつ座を後にし、晩秋の銀座へと流れてまた酔狂。 
11月13日 (月) 猫ですらこれだから
 終日自宅にいて書見。一言も誰とも喋らずに、小島信夫、庄司薫、村上春樹といった錚々たる先達の 本を順に読み続ける。途中、昼はカレー、夜はスパゲティを食し、それでも小腹がすけばサラダとゆで卵を作ってしのいだ。一日中、いつも傍らにウータがいた。ウータが犬のような猫になってしまったのは、飼いはじめた頃、私がまだ会社勤めをしていてケージの中で昼間を過ごさせたからだろう。孤独に強い猫とはいえ、生後間もない時期に半日以上をいつも一匹で、しかも限られたスペースの中で九ヶ月間も過ごせば、やはり人恋しくなるのではいか。もう一匹の同居猫であるオランの場合は、最初から私が家にいたのでウータのような態度はまったくしめさない。必要時以外には決してこちらを相手にしない、いわゆる猫らしい猫である。
 猫ですらこれだから、人の子ならいかほどかと思う。
11月12日 (日) 冬の晴天に
 木枯らし1号が吹いたらしいが、たしかに冬の晴天といった天候だった。おかげで富士山がはっきりと遠望できた。これで例年の時間の流れに戻るのではないか、と思う。問題は、こちらの創作があいかわらず停滞していることに尽きる。夜、二人前のしゃぶしゃぶを喰らって撃沈。
11月11日 (土) 尻切れ感を残光でしのぐ
 小島信夫さんの『残光』(新潮社)を読んでくらくらしながら夜を迎え、19時から都ホテルのラウンジで打ち合わせに臨む。今月末、大阪と東京で講演するのだが、そのテーマのすり合わせをして散会し、歩いて帰宅。遅い夕食をとりつつ「たけしの日本教育白書」(フジテレビ)を観る。生番組であることは高く評価したいが、目玉である久米宏氏と石原慎太郎氏らの座談の時間が短く、尻切れ感だけが残ってしまった。3時間ぐらいを彼らに割けばもっと緊張感を提供できたのに、とひとしきり不満をたれて『残光』に戻る。小島氏の最後の作品は、いったい何なのか。ちょっと尾を引きそうな遺作である。

 ところで、「作品と猫と猫」コーナーにほんとうに久しぶり(今年の1月5日以来!)に新しい写真とコメントを5点、アップしました。ぜひご高覧ください。
11月10日 (金) あさってを向いて
 朝顔がまだ咲いている。複雑系で考えたら、この開花はニューヨークやロンドンにどんな変化をもたらすのか? 「中央公論」誌上の甲野善紀氏と茂木健一郎氏の対談(現代科学を乗り越えろ)を読みながらそんなことを、ちらっと思う。乗り越えられるとは思わないが、自分はあさっての方向を向いて現代科学とつきあって行こうと考えている。
 短篇の会話のやりとりばかりが頭にちらつく。時おりふと口に出る。とても他人様にはお見せできない、狂気の仕業。
11月9日 (木) 会食の効果
 18時30分、六本木の「シクロ」で「すばる」のK田さんと会う。半年ぶりの会食。新作「他人の時間」の打ち上げにふさわしく、333ビールを飲みながらベトナム料理をいただく。この店には第一稿ができたときにも訪れたが、空間の扱いが絶妙で声がうまく拡散し、大いに喰らって大いに話をするにはうってつけの店だ。ホーチミンの料理の話、K田さんが取り組んでいる沖縄の問題、世界の動物園の魅力、ぼんやりとある次作のアイデア、小説におけるニュアンスの重要性などについて間断なく語り、タクシーで「あら喜」へ向かう。いつものカウンターの片隅で、話の続き、特に次作のための取材について相談をしながら不二才をがんがん飲む。美味い。最後は新人の料理人見習いY君もまじえ、T夫くんと4人で野菜たっぷりの鍋をいただき、うどんで仕上げて散会。ふらふらになったK田さんを見送り、充分に酔った足を前に進めて帰宅。
 次につながるいい会食となった。もうちょっと前傾にならねば、と自戒する。
11月8日 (水) 猫と生きているわたし
 オランがまたやった。
 不定期だがここ1年、ほぼ数ヶ月に1度のペースで、トイレではない場所でおしっこをする。畳まれた洗濯物の上だったり、雑誌の束の上だったり、思いがけない所からとんでもない臭気が漂いだす。猫は人間の機能と較べると、生来、腎臓が壊れている。ちょっと悪化すればあっさりと死んでしまうほどに腎臓が弱い。尿に含まれる内容物がろ過されずに多く残り、その臭いは深く濃く鼻を突く。錐が刺さったように鼻の奥が痺れ、嗅いだ者の前頭葉は一気に犯される。無論、臭気は尾をひく。金子光晴ふうに語れば、「猫の小便、そのくっせぇこと」となる。
 今回はソファの隅に置かれたクッションとクッションの合間だった。夕食を終えてテレビを観ているわたしの膝に頭をこすりつけ、ソファに飛び乗ったオラン。私がちょっといじろうかと横を見たら、ソファに前脚を突いてジョジョジョ……。おいおいおいおいおおいおおい。それから半時間、後処理でてんやわんやとなり、クッションとそのカバーは今もベランダで天日干しされている。ソファのシミは何とか薄くなったが、除臭スプレーを大量にふりかけても臭いは静かに放たれつづけている。猫と生きているわたし。
 で、ある。
11月7日 (火) 並記の背景
 朝日新聞に掲載された「すばる」の広告に、自分の名前がでかでかと出ていて苦笑い。ゴチックの書体もあいまって、なんだか古いチラシの物件紹介を見ているような気分がした。自ずと自分の名前の横にある「堂垣園江」さんが気になり、掲載号の巻末にあるプロフィール欄を見てみると、同じ年の12日前に生まれた方だった。つまり、同じ鼠年生まれで双子座の2人が同じタイミングで、同じ文芸誌に同じような長めの中編小説を発表したことになる。あるジャンルの占いを実証するような偶然に少々驚く。
 期待した木枯らし1号は吹かなかったらしい。竜巻きが北海道佐呂間町若狭地区を横切った。
11月6日 (月) 小島信夫を味わう
 終日、小島信夫さんの『抱擁家族』を読んで過ごす。再読ながら、前回(もう10余年前)よりもはるかに面白く読める。再読で初めてその作品の魅力を知ることはよくある経験だが、途中、主人公がほぼ同い年と知って合点がいった。この類の作品を20代で読んでもなかなか入りこめない。そう考えると、晩年の小島作品を真に愉しむためには90歳まで生きなければ。それは、男にとって至極困難で、とっておきの褒美のような気がする。
11月5日 (日) 別脳
 昼間、久しぶりに創作するも、当然のようにはかどらず。毎日なにかしら書いてはいても、創作はやはり別物だ。夜は牡蛎と鯛をメインにした寄せ鍋を喰らい、「功名が辻」を観て腹一杯。早々にウータと抱擁睡。
11月4日 (土) 値づけはこれから
 誕生日に散歩ついでに訪れた高輪の古書店、「啓佑堂」を再訪。小川国夫さんの本を買おうかと思って棚を眺めているうちに気がかわり、『西脇順三郎詩論集』(思潮社)を選ぶ。値札がないので主人に訊ねると、「いくらにしましょうかね」と苦笑。上品な初老の彼の話によれば、店にあるのは元々がすべて彼の蔵書で、趣味がこうじてこうして店をはじめたとのこと。小川さんの本が充実しているのも、彼が小川さんのファンだったから。まるで商売気のない主人は、新品同様の42年前の本を「じゃあ、2000円で」と値づけした。迷わず購入し、隣にあるパン屋に寄って家路につくも、自宅には戻らずそのまま南麻布まで歩いて「あら喜」へ。
 開店直後というのに、カウンターもテーブル席も座敷もすべて「予約席」の札が置かれていて驚く。生ビールを飲み、神亀の熱燗を飲みながらアン肝、〆鯖、手羽先、牛しゃぶサラダを喰らい、N身社長、鮪屋さん、K原社長らと諸々談笑し、最後、あら喜のお父さんの69回目のバースデーケーキをいただいて帰宅。23時、早々に酩酊睡。
11月3日 (金) すぐ夜
 朝顔、まだ咲いている。こちらは閉じたまま丸くなり、速達で届いた「すばる」12月号に掲載されている『他人の時間』を黙々と通読する。さて、どんな反響があるのか。皆目見当もつかぬままそこかしこに散在している本を乱読。それにしても、この季節はすぐに夜になるから困ってしまう。毎日でも鍋が食べたくなる。
11月2日 (木) めざせ日本一
 昼食が夕方近くになってしまい、しかもちょっと多めに食べたので、夜はあっさりしたものを、と考えた。そこで、集英社のT橋さんからいただいていた「ドラゴンズ優勝記念きしめん」を食べることにする。つい名古屋時代を思い出す味を楽しみながら、ちらっと平たい麺に目をやると、そこには何やら文字の型押しが。「めざせ日本一」、そして「がんばれドラゴンズ」。……ああ、一週間前の夕刊を見ているような気分を味わい、しみじみと残りのきしめんをいただきました。美味かった。
11月1日 (水) 上野の秋
 好天に誘われ、上野へ向かう。
 まずは国立科学博物館で「ミイラと古代エジプト展」を観る。いきなり3D対応眼鏡を渡され、大英博物館が制作した3D映像を観賞。ミイラの体内に入り込む、まるで『ミクロ決死隊』の隊員になったような感覚を味わいながらミイラの生前の暮らしぶりを理解する仕組みとなっていた。映像を観た後、実際の棺などを見学。しかし、3D映像の残像が頭にあって新たな驚きなく、それよりも、企画展の「南方熊楠の森」を楽しむ。彼の本は3冊ばかり読んでいるが、初めて彼のノートや手紙や採集帖を目のあたりにし、あらためてその深みに感心した次第。また、常設の多様な生命樹コーナーにある万物の標本にはただ溜息。素晴らしい。さらに、コーナーの隅にパンダのホワンホワンの剥製を発見してびっくりし、そのまま館内のレストランで遅い昼食をとる。生ビールを飲んでから日に50食限定のオムハヤシを食べる。
 次は、上野の森美術館で「ダリ回顧展」へ。平日ならゆっくり観られると聞いていたのだが、なんのなんの、もの凄い人の数。各作品の前に三重四重の人だかりができていた。しかも、みんなイヤホン解説を聴きながら眺めているので進行は牛歩なみ。仕方なくざっと全点を眺めて館内を出るも、ダリの創作の手法、作品の見立て方は理解できた。コラボ。
 最後は、国立博物館(平成館)で「仏像」を観る。今回は、一木彫に限定した仏像を集めた展示で、まったく知らない仏像が多く展示されていていろいろ発見できた。中でも、宝誌和尚立像(京都・西往寺蔵)の存在感は出色。和尚の頭が裂け、その中から十一面観音がすっとあらわれかけたところを表現したもので、この和尚の得体の知れない力がそこから漂いだしていた。他にも、円空の奔放で闊達なデザイン性に感心し、観賞後、図録を購入。
 予定どおりの3ヶ所の展示をすべて巡り、上野駅へ向かうころには腰と足ががくがくしていた。寝不足もあってひどく疲れたが、体内には活気が戻った。知的興奮というやつだ。どこに向かうのかは不明だが、このうねりはとにかく気持ちがいい。秋の快感。
10月31日 (火) 日が暮れる
 終日セルフ自宅軟禁。ゲラ、書見、猫語練習、植物学習で日が暮れる。
10月30日 (月) 本当のこと
 朝顔、まだ咲いている。佐野洋子さんの新刊『覚えていない』(マガジンハウス)を読む。破格の面白さ。本当のことを書き連ねている。人は本当のことだけでは生きていけないが、それも、本当のことを知っていればこその知恵であり処世術である。だから、彼女の眼力は基点となる。また、文章のリズムがいい。あっという間に本当のことを読み終えてしまうから、そこは注意しなければ。秋深し。
10月29日 (日) 疑惑の平成名人会
 16時半、日本橋の明治座に入り、落語まつり「風間杜夫の平成名人会」を聴く。会場には、通常の寄席や独演会にも増して高齢者の方々が目立つ。普段は新劇を観に来ている方々が、「風間の冠でやるんだからたまには落語も聴いてみるか」といった気配を漂わせている中、まずは柳家花緑が登場。絶妙なまくらの後、「片棒」を演じる。切れよし、声色よし。次は立川志の輔の「ハンドタオル」。聴くのは二度目だが、完璧な出来映えにほれぼれする。あのダミ声すら女房の味わいとなって響き、日常にある笑いをほじりだす。そして春風亭昇太の「時そば」。勢いを背に、古典作品をこれでもかとコミカルに演じて見せ、ひたすら笑うだけであっというまに終わってしまった。噺家は40代で力が試されるといわれるが、まさにアブラがのりきっている感じがびしびしと場内を満たしていた。中入り後は、春風亭小朝のロック三味線で幕を開け、ついに風間杜夫が登場。3年前に明治座で演じた「居残り佐平次」の原作である噺をやってみせる。……しかし、だがしかし、厳しかった。時々にはさすが名優と思わせる場面も声も表情もあったが、全体としてはぎくしゃくした感が否めない。期待が大きすぎたせいもあろうが、やはりそれはそれ。落語には練りが不可欠だと思い知る。そして、トリは林家正蔵。「読書の時間」できたが、ここは古典でやるべきだろうと不満が先立つ。この演目はテレビで聴いたことがある創作噺。大名跡を継いで以前よりはぐっと巧くなったと聞いていたが、やはりだめだった。この人には滑らかな口がなく、長い二流の漫談を聴かされている気分が最後まで消えなかった。声色の幅、それに伴う所作の流れが足りない。決定的に不足している。惜しいレベルでもない。しかも、中入り前の三者が素晴らしい出来だっただけに、「平成名人会」の、これが大トリでは寂しくなってしまう。
 人形町「今半」でしゃぶしゃぶを喰らい、広島の銘酒「竹鶴」の熱燗を4合飲んで気分を変え、昇太の「時そば」を思い出してほくそえみながら帰宅。談春と昇太はいいライバルになるな、きっと。
10月28日 (土) 突然の鎌倉、墓巡り
 午前中、あたたかい秋の陽射しを眺めながら書見。故、田村隆一先生の『詩人のノート』(講談社文芸文庫)を読みはじめ、秋がはじまるたびに、先生が西脇順三郎の小詩、「秋」を思い出していたことを知る。木々や花を愛でる酒仙人でもあった先生の横顔が浮かんできて懐しく、ならば、と鎌倉へ行くことにする。
 品川発12:16の横須賀線の電車で北鎌倉まで行き、迷わず円覚寺への階段を上って進む。三度目とはいえ、禅寺ならではの荘厳な山門をくぐるとすっと気持ちが和む。鎮まる。この日は、アフガンでボランティア活動を続けている中村哲医師の講演会があるらしく、その関係者も多く見受けられる。途中、坂を上っていると、偶然中村医師に遭遇。テレビや新聞でお見かけしたとおり、瞳が日焼けしていた。北条時宗の墓所を訪ねた折、その前に植えられた泰山木が魯迅から昭和8年に寄贈されたものと知り、太宰が記した魯迅の姿に思いを馳せる。さて、と座っていた台から腰を上げたところ、泰山木の葉が一枚降ってきてびっくり。これも何かの縁とその葉を手帳にはさんで鞄にしまう。その後、開高健さんの墓所を探すが、墓地への立ち入りはできないとのことで諦め、寺を後にする。
 再び電車に乗り、鎌倉駅で降り、今度は田村先生の墓所探し。自宅で確認しておけば何の問題もなかったのだが、行きあたりばったりが好みとあって妙本寺や本覚寺の墓所をぐるぐる歩き回る。どう見ても怪しい、墓あらしの中年男だ。結局、見つけだすことはできずに駅前に戻り、日も沈みかけたとあって、田村先生の葬儀の後に荒木さんと飲みまくった蕎麦屋に入る。まずは地ビールの「鎌倉ビール」を飲み、しらすおろしをつまむ。次に久保田を冷酒でもらい、いたわさとうにを頬張る。酒を二合飲んで酔っぱらい、ならばと仕上げのせいろを食す。腹いっぱい。ご機嫌さんになって駅へ向かい、グリーン車に乗って帰京。帰宅後は即身成仏。紅葉にはまだ早かっただけに、来月末ごろ、今度は田村先生の奥様にご連絡した上で鎌倉を訪ねたいと思う。
10月27日 (金) 恵那寿やの栗きんとん
 午前中、書見。読書録の整理。昼前、新潮社からバイク便が届いたと思うと、入れ替わりで、首を長くして待っていた「恵那寿や」の栗きんとんがやってきた。すぐに食べたいところだが、ここはぐっと我慢して日が暮れるのを待ち、読みかけの色川作品を黙読。次の中編作品のメモを記し、20時、栗きんとんを持ってあら喜へ顔を出し、T夫くんへ贈る。ついでにビールを飲み、イカゲソの一夜干し、〆鯖、鰻肝の串焼きを食して不二才をくびくぴやり、それから若い編集者と焼き鳥屋へ。深夜帰宅後、そっと寿や特製の箱を取り出し、茶きんを開く。眠い目をこすりながらさくっと口に運び、濃縮された甘味を喉に流しこむ。……納得の、栗栗睡。
10月26日 (木) 物語の力 北国編
 午前中は書見。午後は決意の無為で過ごし、夕方、「中央公論」のゲラ校正をやって日本シリーズ第5戦をテレビで観る。結果はあの通り。出来過ぎの新庄劇場と相成りました、ハイ。気分を変えようと着替えてあら喜へ。片づけがはじまったカウンターの定位置に向かい、ぐびっと生ビールを飲み、T夫くんとシリーズを振り返る。結論、日本ハムの「物語勝ち」と断定しました。札幌移転から3年、それを象徴する新庄入団からの3年と早々の引退発表。いわば、この春から物語は最終章へむかっていたわけで、最後はふさわしい舞台で物語は収斂の時を迎えたのだ。それに較べ、ドラゴンズには物語が欠落していた。唯一あったのは、52年ぶりの日本一、という歴史の事実だけだった。物語の力がドラゴンズの選手、スタッフを呑みこんでしまったとしか思えない。
 生ガキ、ツブ貝の壷焼を肴に不二才をくぴくぴやりながらそんな分析を語り、ふと来年に思いを馳せて不安になった。来年は、きっとソフトバンクの年になる。すでに物語の序章すら終わっている。つまり、王監督の胃ガン手術、今年の敗戦、小久保の古巣復帰、地獄の秋キャンプ……。ああ。ドラゴンズは来年も優勝を狙えるが、たとえリーグ優勝を果たしても、きっとホークスに負けてしまうのではないか……ああああァァァァァァ。生きている間に、私はドラゴンズの日本一を目撃できるのだろうか?
 嫌な予想を振り切るように、帰宅後即、毛布にくるまって眠ってしまう。
10月25日 (水) 「他人の時間」が手を離れる
 朝から『他人の時間』の再ゲラ読み。リビングのソファに腰かけ、静かに文字面を眺めるように読んでいく。時には音読もまじえ、羽田上空を遠望し、コーヒーやお茶を飲みながら読む。読む。読む。いつしかウータが隣にやってきて、こちらの太腿に前脚をのせて眠りだす。ついにはこちらも眠くなり、90分間昼寝して再開し、15時前、終了。自分でいうのもお恥ずかしいが、面白かった。夕方、沖縄から帰京したK田さんに電話を入れ、慎重に訂正確認をやる。後はK田さんに託し、束の間、解放感に浸りきる。
 いつもなら1人打ち上げに出かけるところだが、ドラゴンズが心配で家に残り、テレビの前で応援。しかし、結果はあのとおり。好機をまったく生かせず零封されるとは、ちょっとだけ違っていれば大量点すら可能だった試合に溜息連発。明日だ明日、と自身をなだめてカレーと餡パンを食し、丸山健二さんの庭の本を読みながら早々睡。
10月24日 (火) 計画的な一日
 6時過ぎにウータに起こされる。風雨を眺めにベランダに出てあまりの寒さ(12℃)に震え、しかっと目を覚ます。「芋たこなんきん」を観て机に向かい、12時までずっと「中央公論」の連載原稿を書く。最後、珍しく書きながらほろっとしてしまい、そんな自分に驚く。推敲して編集部へ送信後、ゴミ捨てを兼ねてコンビニへ出かけ、ネギ鶏肉弁当や飲料などを買って戻る。ウータとオランとそろって昼食。その後ゆっくりと新聞各紙を読んで昼寝。17時に起きて風呂に入り、洗髪して外出。寒さに怖じ気づき、タクシーで銀座まで行き、先月の文化講演会の打ち上げに出る。「やまとや」なる店の豆腐・湯葉料理をいただきながら、熊本日日、南日本新聞各社の東京支社の方々と話す。熊本市の水が99%地下水でまかなわれていることや、鹿児島市内の優良物件の値段の安さなどに感嘆しつつ焼酎を飲み、大笑いして散会。酒で暖をとったとはいえ、冷たい雨にはかなわず早々に銀座を後にする。
10月23日 (月) カバ園長
 午前中は書見。昼過ぎより「中央公論」の連載原稿。今回は西山登志雄さんを取り上げる。カバ園長のカバへの愛情を通して人間について考える。そこに浮かんでくるのは、どうしても人間の異常性になってしまうのだが。河馬。
10月22日 (日) 週末は食べ疲れ
 5時、起床。テレビで笑福亭鶴光の「木津の勘助」を聴く。挿話を幾つもはさんだ巧みな噺でけっこうなのだが、なんせ声色の幅が狭く、登場人物の演じ分けが 弱かった。しかし、あのオールナイトニッポンで聴いていた鶴光がここまで巧みだとは。上方の落語ももっと聴いてみたいと思う。
 その後、もう一度寝て起き、エボダイで朝食をとり、散歩がてらペットショップを訪ねる。4匹のアメショーの子猫(牝)のあどけなさに心奪われ、半時間ほど戯れる。思えば、今や7キロ弱のデブ猫となったウータも、購入時は私の肩で眠るほど小さかったのだ。嗚呼……、猫の時間の早さよ。惜しみつつ店を後にし、三田図書館にある港区立港郷土資料館へ。「UKIYO-E」展を見学するも、なぜ英語で、しかもハイフン入りの「UKIYO-E」なのかは理解できぬまま常設の土器やミンククジラの骨格見本などをいじって遊び、バスで帰宅。季節はずれのそうめんを作り、ついでにキスと茄子の天麩羅も併せて食べる。夜は、ビーフシチューとごぼうのサラダを食べながら日本シリーズ第2戦を応援する。中日の逆転負け。そこに食べ疲れが加わり、ウータとともに早々にベッドの人となる。寝ていても腹が重い。
10月21日 (土) 飽食平和賞
 昼前、知人が手配してくれた「恵那寿や」の栗きんとんが届く。朝食をとって間もないのに早速いただき、歓喜の声をあげつづける。凝縮された栗の旨味が口に喉に胃にぐわっとひろがっていく。感じ入ってしばらくしてスパゲティで昼食。その後は、今年ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏に関する番組を1時間半観る。5年前にも観たものだったが、あらためて貧しい国(バングラディシュ)の課題について考えてしまう。「物乞いの国」からの脱却のために知が行動する姿は、晴れ晴れとした躍動感に満ちている。希望はいつでも、どこでも若者たちの中にある。教育制度は整備されつつあるだけに、課題は就労の確保だ。つまり、各自の創業にこそ、彼の地の未来がある。
 その後、懸案の散髪に出かけ、帰宅後、日本シリーズ第1戦を応援。途中からは豚しゃぶを喰らいながらの観戦となり、ドラゴンズの勝利が決まるとどっと疲れる。鍋の最後は稲庭うどんで仕上げ、よくもまあよく食べると自身に呆れ、書見しながら早々に満腹睡。
10月20日 (金) 無為な安息
 終日、秋を眺めてやりすごす。無為と安息は近縁の関係にあるのか。西山登志雄さんの本を読む。幸せ。
10月19日 (木) シグナル
 朝、8時半からゲラ校正の続き。集中。14時半にすべて終え、K田さんに連絡してバイク便を手配してもらう。15時過ぎに集配の兄ちゃんに手渡し、頭の中が乾いた砂でいっぱいになる。ベランダで薔薇や朝顔や蓮や紫陽花の手入れをしながら呆然と秋の気配にひたり、日が沈んで我に返る。懸案の散髪に出かけるが、店に置いてあった「サライ」の特集を完読しても順番が回ってこないので「明日にします」と言い残して帰宅し、風呂に入ってあら喜へ。昼食をとり忘れたために腹がへってしかたなかったが、20時には満席になり、なかなか料理が出てこない状態となる。隣に座るN身社長と酒を飲みながら男の老いのシグナルについて拝聴し、間をおいて出てくる〆鯖、厚揚げ焼き、鰻の肝串、鯨ベーコンにはりはりサラダ、河豚の唐揚げを食す。最後はK原さんと不二才をくぴくぴ飲み、昔の子どもの遊び(メンコ、ビー玉、ベーゴマ、釘など)について話して盛り上がり、ふらふらになって店を後にする。
 執筆に7ヶ月もかかってしまった作品のタイトルは、『他人の時間』といいます。「すばる」の12月号に掲載される予定です。
10月18日 (水) 鴨南せいろでゲラ校正
 昼過ぎ、空腹に耐えかねてマンション裏の「三田 長寿庵」へ鴨南せいろを食べに行ったほかは、朝からずっと小説のゲラ校正をやっていた。まだ終わってないが、夜は、ちょっとテレビゲームをやって気分を変え、遅い夕食をとって早々睡。
10月17日 (火) 想いもアイデアも、実はあるのだが
 8時起床。小説のゲラが出るのを待ちながら、午前中は書見。その後少し横になっているとK田さんから電話が入り、ゲラ出しは夜になるとのこと。ならば、と机に向かい、短篇にとりかかる。もう4年も前に話をいただいて書けずにいただけに、今度こそはちゃんと仕上げたい。夜は8時からO野さんと会食。書下し作品を前提とした久しぶりの打ち合わせだったが、食事が進むうちにゆるやかな方向性が見えてくる。普通の恋愛小説にほとんど興味のない者ならではの恋愛小説が書ければいいと思うのだが。アイデアも、そこに込めたい想いも、実はもう揃っている。しかし、並行して複数の作品を書くことができないだけに、いったい、いつ手をつけられるのか。
 タクシーでマンションの前まで送ってもらい、ふらふらになって帰宅。三夜連続の深酒に沈黙しつつ猫撫で睡。
10月16日 (月) 東京人生 酔狂編
 8時起床。前日の疲れが残り、10時から12時半まで仮眠をとる。その後、15時半まで創作をやり、着替えて外出。JRを乗り継いで両国まで行き、江戸東京博物館へ。荒木さんの新作『東京人生』の出版と、それに連動して同館で開催される写真展(10/17〜12/24)のオープニングパーティーに顔を出す。いつもの顔ぶれに挨拶し、町田康さんといろいろ話してから先生に声をかけ、二次会に出席できないことを詫びて会場を後にする。帰路は、町田さんに勧められた大江戸線に乗り、麻布十番駅到着後は歩いて「あら喜」。K佐貫さんから「中央公論」の新しい担当者、N西さんを紹介される。新聞社から転職してきたN西さん、ビールを少しだけ飲むと、刺身の盛り合わせにあわせるように神亀を注文。それだけでかなりの酒飲みと察し、ならばと不二才を勧めてみる。N西さん、ぐぴっと美味そうに味わい、絶賛。諸々の話題で話が盛り上がり、23時に店を出て、こちらのマンションの前で別れる。
 迷わず早々睡。
10月15日 (日) 思いがけずパーティーへ
 6時半起床。前日届いたエボダイを朝食でいただく。ぷりっとした適量の白身が熱い白飯にからみ、朝からがっつり食べてしまう。9時半から原稿の読み直しをまたやる。ゲラの訂正の予習のようなもので、入稿時の原稿をさらに吟味して訂正していくのだが、中盤から最終部にかけてはほぼ手を加える箇所はなかった。つまり、冒頭部から中盤までにまだ改稿の余地があることになる。もっと良くなる。そう念じて作業を続けていると、o野くんから電話が入る。
「(荒木家恒例の)バーベキューパーティー、何時に来ますか?」「おいおい、そんなこと聞いてないよ」「えっ!」「何時からやるの?」「2時からです」「俺、仕事終わったら散髪に行くんだよね」「じゃあ、3時ですね」「ちょっとちょっと……」
 結局、原稿の読み直しが14時半までかかってしまい、散髪の前にパーティーに先に顔を出すことにし、15時、芋焼酎「しまびじん」の一升瓶とさんま丸干し一袋を持って荒木家の屋上へ。例年は10人ほどの参加者なのに、今年はゆうに20人以上の人が集まっていて大賑わい。T夫くんが焼く野菜や肉やネギマを食べつつビール、焼酎、バーボンなどを次々と飲む。o野くんの彼女や築地の鮪屋さんの奥さんらと談笑して過ごし、18時に一度帰宅し、理容店へ。しかし、今日はそろそろ終わるとのことで散髪を断念して再び荒木家へ。日が沈んで風が強まり、火の側で暖をとって散会。「功名が辻」を観終わったところに、今度はT夫くんから電話が入る。二の橋のカラオケボックスで二次会とのこと。やれやれ、タクシー飛ばして駆けつけると、子ども3人を含む9人が待っていた。24時までいて二度目の散会となり、歩いて帰宅。喉、がらがら。
10月14日 (土) ひらき尽くし
 惰眠と3度の食事で一日が終わる。途中、磐田の姉からどかっと海産物が届く。エボダイ、鰺、秋刀魚のひらきやエビやら、ありがたい。明日からの朝食はひらき尽くしでいただこう。
10月13日 (金) 鮨はネタであります
 13日の金曜日、早朝、六輪の朝顔が咲きほこっていて驚く。15時まで書見。淡々と読みつづけ、呆然として昼寝。19時半に起き出してシャワーを浴び、タクシーで出かけて編集者Aさんと会食。未知の鮨店に飛びこみ、ビールを飲んでおまかせで食べる。仕事は無難だが、なんせネタが厳しく言葉を失う。あらためて鮨はネタに尽きることを認めつつ、燗酒と茶碗蒸しで何とかしのぐ。
 帰宅後、編集者Oさんに薦められた少女マンガ『子供の庭』(いくえみ綾 集英社)を読む。よくある離婚家族の関係復活話だが、11年前の刊行を考慮すれば、それも無理のないこと。今や離婚や家族離散だけでは話題にもならないのだから。夜が明けてから就寝。
10月12日 (木) 夜、助走
 6時起床。午前中は色川武大さんの短篇集を読んで過ごす。午後はいけないいけないと思いつつテレビゲームに興じ、夕方からは日本ハムVSソフトバンク戦をテレビで観戦。斉藤和巳のピッチングに静かな殺気すら感じる。つまり、その凄みがテレビすら超えて伝わってくるのだ。おそらくチームメイトも感じていて敵より先に飲まれてしまい、それが過度な緊張を生んでいるように思った。とはいえ、それは彼の責任ではないだろう。負けたとはいえ十分に讃えられるべき内容だった。
 夜中、次作のメモ整理。4年前に打ち合わせした短篇にとりりかるべく準備する。その一方で新たな中編についても構想を練る。タイトルがすっと浮かび、眺めてみたい風景まで決まる。最後は色川さんの短篇集を読みながら眠りにつく。