ヴァージニア・ウルフ 『自分だけの部屋』を少しひらいたら、オースティンが称賛されていた。 ほかにもオースティンに関する有名な評論や、文章があるらしい(みすず書房の全集より)。それは読んでいないないけど、紹介されていた断片は、その独特な捉え方で印象に残っている。『説きふせられて』(説き伏せられて、説得)について――
ウルフの小説は『ミセス・ダロウェイ』(ダロウェイ夫人)と『オーランドー』(オルランド)しか読んでいないが、オースティンに関連して思うことがある。二人は、イギリスのそれぞれの時代で先進的な作品を生んだ“女流作家”であったが、かなり違うということ。 ウルフがやはり評価していたシャーロット・ブロンテとオースティンは、ともに人間の心理を丹念に描き込んでいる印象を受ける。織り目のしっかりした、丈夫な生地の一枚布を広げているかのような。 対してウルフは、心理を飛び飛びに描いている感じがする。まるで人間の内面には直感や発想といったものが絶え間なく稲妻のようにひらめき、飛来して、それが人間を突き動かしているかのような。 そんな彼女は、CB、JAの二人みたいに人間を描くことは出来なかったのではないか? ウルフにとって尊敬するオースティンは、一種の鬼門だったのではないか? 私には、ウルフの本質は詩人に見える。社会への視線の鋭敏さと、言葉による笑いを忘れないところから、石垣りんさんに似ていると勝手に思っている。 オースティンと指向の異なる作家であることと、オースティンを高く評価したことの関係はわからない。ただ、そのコメントは、単なるオースティン崇拝者では気づけない視点を遺してくれて、貴重だと思う。 続 編 『エリノアとマリアンヌ ―続・分別と多感』『ペンバリー館 ―続・高慢と偏見ジェイン・オースティン』『Emma in Love: Jane Austen's EMMA Continued』 エマ・テナント、『エマ』の続編 『Perfect Happiness』Rachel Billingtonが有名らしい。 レビューを読むと、今のところはいいや、という気持だ。オースティンに比肩する作家はいても、あのような作品を紡げる人はいない、とまで思っているのだ。 なお、『赤毛のアン』のルーシー・モード・モンゴメリー、“ミス・マープル”シリーズのアガサ・クリスティーは、地域(近所)の人間のコミカルな描写では、オースティンの血統という印象がある。 |