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『富士日記』1970(昭和45)年6月29日にこういう記述がある。 「昨日の日曜日はめずらしく晴れ。真夏のような一日だった。早く山へ行こうとばかり思っていた。勁草書房のあとがきが出来上り、速達で今朝出す。 (略) 昼 すいとん(茄子、ねぎ、卵)。 枇杷を食べる。主人は枇杷を千切りにしたのを食べる。おいしいという。主人がゆっくりと二個食べ終るまでの間に私は八個食べた。おいしかった。 二人とも昼寝。何度か眼がさめ、また眠りこける。寝室の小窓から、白バラ香水の匂いと樹の匂いが入ってきて、それがまた眠りを誘うのだ。夕方になると樹と花の匂いは一層濃くなる。かっこうが啼いている。」 これが、百合子さん監修の『イメージの文学誌 物食う女』(堀切直人編集。北宋社。1978年12月発行)に「まえがき」として収録された『枇杷』(単行本『ことばの食卓』所収)の元になっているのではないだろうか? 『枇杷』にはこんな表現があるのだ。 「そうやって二個の枇杷を食べ終ると」 「夫が二個食べ終るまでの間に、私は八個食べたのをおぼえています。」 もし、百合子さんが『枇杷』に書いたことが、7、8年前の1970(昭和45)年6月29日の出来事であるなら、『富士日記』のこの記述について、いくつかのことが判る。 「徹夜したあと、いましがたまで書いていた原稿があがったところでした。」(『枇杷』)。武田泰淳の「勁草書房のあとがき」は徹夜で完成したらしいこと。 『富士日記』で「二人とも昼寝。」と記された泰淳のそれが、徹夜明け、さらに別の原稿を仕上げた後の次のようなものであったこと。「長椅子に横臥して、枇杷の入った鳩尾(みぞおち)に手を置いて、柔らかい顔つきになって、すぐ眠りはじめました。」(前出) 逆に、作品『枇杷』の書かれた方も浮かび上がる。百合子さんは、泰淳の「手」の様子が伝わるように、とてもていねいに仕上げている。 最後のところには(わたしは)ギョッとする記述がある。「ひょっとしたらあのとき、枇杷を食べていたのだけど、あの人の指と手も食べてしまったのかな。」 ここに表れているのは、泰淳を喪失してしまったという自罰の意識だろうか。 『枇杷』は、ある時の思い出を甦らせて記述しただけではなく、深まる悲しみを抱えた百合子さんの眼がもう一度見て、表した作品だ。 記録、家計簿、武田家山荘日誌の『富士日記』とは違って当然なのである。ただし、『枇杷』を書くにおいて、百合子さんはかつて自分が書いた日記を参照したのではないか、と思ってもいる。 2004/1/15up |