武田百合子さんのプロフィール・略歴(1925-93)本は『富士日記』『犬が星見た』『ことばの食卓』『遊覧日記』『日日雑記』の5つ。 しかし、未収録のもの(対談なども含む)がずいぶんある。 十代のころは詩も書いていたが、現在、わかりやすい肩書きをつけるとしたら、エッセイスト・随筆家だろう。作品は大きく2つに分けられると思う。交友のあった作家の思い出を綴ったもの(回想)と、執筆当時の生活を綴った日記体のもの。 百合子さんの文章は、なんだか他にないもので、魅了される人が後を絶たない。(かくいうわたしも高校生のときに出会い、夢中になったのだった) エッセイというと、小説や詩歌より低く見る人がいるけれど、百合子さんの文章は、文学・文芸に入るものだ。とくに、物書きになってから獲得していった日記体のエッセイは、平安時代の才光る女房たちの日記を「祖」(おや)とする現代の日記文学である。清少納言・兼好法師の散文の伝統をもつ現代の日本の随筆文学でもある。百合子さんの作品に限らず、それらにもっと光があたってほしい。
Birth 1925(大正14)・9・25 横浜市生まれ (翌26年は昭和元年。したがって、昭和年間は昭和の年数と年齢がおなじ。) 生家は商業に携わる裕福なお家(うち)だった。 School 1943(昭和18)年 横浜第二高等女学校を卒業 在学中、同級生のはじめた同人誌『かひがら』に参加し、詩や文章を投稿。 Favorite Authors (学生時代) 江戸川乱歩
(その後) 井伏鱒二、シェイクスピア『マクベス』、鶴屋南北『東海道四谷怪談』、吉行淳之介『街の底で』など
War 1945(昭和20)年 太平洋戦争(第二次世界大戦)で自宅を爆撃されるが、「奇跡的に生き延びる」(鈴木修さん『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子』(文芸別冊))。 山梨県都留市田野倉にあった札金温泉(現在は移転か)の「一軒家の鉱泉宿」(同)に疎開。
横浜に戻ってからは、行商したり、東京の飲食店に勤めたりした。同人「世代の会」に参加。「世代」の同人との関わりは晩年まで続く。そのうちの何人かあげると、遠藤麟一郎、矢牧一宏、小川徹、吉行淳之介、中村真一郎、八木柊一郎、中村稔、いいだももがいる。
「出版社昭森社に勤務、森谷(均 注)社長の経営する階下の喫茶店兼酒場ランボオにも勤め」た (鈴木修氏 前出)。
Marriage 13歳年上の武田泰淳さんと出会い、結婚。旧姓は鈴木。 娘さん(写真家・エッセイストとして活躍されている武田花さん)を育て、家事をしながら、泰淳さんの作家活動を支えた。たとえば、自動車の運転免許を取得して送迎、家に来た編集者をもてなしたり、資料の整理。泰淳さんが口述したものを筆記。それから、これは百合子さんは明言していないけど、泰淳さんの作品をみると、百合子さんが文章を書き、絵を描いて泰淳さんの文筆活動に協力していたことがわかる。 泰淳さんと暮らしていたことで知り合った作家には、つぎのような人々がいる。深沢七郎、大岡昇平、竹内好、埴谷雄高、椎名麟三、梅崎春生、開高健、牧羊子、島尾敏雄、島尾ミホ、村松友視(「視」は旧字)。 百合子さんの容姿についても、ひとこと書かなければならない(という気にさせられる人である)。百合子さんは写真で見ると、目の大きなたいへん美しい人である。また、前髪を垂らし、黒い髪をひとつにまとめていたり、晩年の短いヘアスタイルもよく似合っている。服には豹柄だったり、「白い光る服」で「宇宙探検隊みたい」なものもあった(『犬が星見た』6月27日)。個性的で、百合子さんらしい印象を受ける。百合子さんは映った写真を見ると、ますますファンになる作家の一人である。 1976(昭和51)年10月、泰淳さん逝去。
Author 文芸誌の1976年12月号武田泰淳追悼特集に、泰淳さんに言われて書いていた日記を発表。その後、連載することになる。これには泰淳さんや娘の花さんの日記も含まれている(『富士日記』)。田村俊子賞を受賞。 ついで、泰淳さん、竹内好さんとのロシア(当時はソ連)・北欧旅行の日記を連載(『犬が星見た』)。読売文学賞(随筆・紀行賞)受賞。 その後も雑誌や本に文章を書く。上にも書いたように、その作品は大きく2つに分けられると思う。ひとつは、埴谷雄高、大岡昇平、島尾ミホ、深沢七郎、吉行淳之介、開高健、椎名麟三など、交友のあった作家についての回想の文章。 もう一つは、日々の見聞を綴った日記体のエッセイ。こちらには、食べ物をめぐるおもしろいエピソード、富士山の山荘・百合子さんの拠点だった東京の街・公園・旅先などでの見聞、映画・テレビの感想などが含まれている。 百合子さんの著者名で刊行された本は、上記のほかに『ことばの食卓』『遊覧日記』『日日雑記』。現在のところ、本はこれしかない。百合子さんは寡作とも言われた。しかし、本に収録されなかったものが随分ある。対談や鼎談、談話、インタビューもおもしろい。 出版社に請われて文章を書くようになってから知り合った有名な人には、つぎのような人々がいる。加藤治子、金井美恵子、岸田今日子、色川武大、堀切直人、安原顯、尾辻克彦・赤瀬川原平。 つぎに引用するのは、『犬が星見た』の連載2回目の末尾におかれた〔附記〕の一部である。
1993(平成5)年5月27日、逝去。享年67歳。 お墓は京都・知恩院にあるという、生前に泰淳さんが書いた「泰淳 百合子比翼之地」という碑ではないだろうか。 没後、さまざまな物書きによる、追悼の文章が書かれた。 翌1994年9月、村松友友視(示見)さんの『百合子さんは何色 武田百合子への旅』が刊行された。この本によって、百合子さんが10代のとき、詩を書いていたことや、逝去後、遺言により原稿や日記帳、ノートなどが焼却されたことなどが広く知られた。 同年10月、『武田百合子全作品』全7巻の刊行開始。これは全集ではなく、単行本の再録にすぎない。 それから10年後の2004年、『KAWADE夢ムック 文藝別冊 武田百合子 天衣無縫の文章家』刊行。これは逝去後、はじめての大きな特集である。 今後も単行本未収録の作品をはじめ、多くのことが知られることを望んでいる。 逝去した百合子さんのことを、ある雑誌はこんなふうに紹介した。「模範主婦が、夫の没後、随筆家に変身したと言われた」(『文藝春秋』1993年8月号「蓋棺録」)。たしかに、変身ではあった。しかし、百合子さんの人生を見てみると、その下地が充分あったことがわかる。もともと文学への志向をもった少女だったのだ。その人がことさらに文筆活動もせず、外国留学もしなかった。書くことで夫の作家活動に貢献していた。そして、夫君が亡くなり、五十・六十代になって、十代のときの先鋭な詩や、うすくらい散文とはやや異なる、軽やかでおもしろい、華やかなところのある文章を書いた。 その結晶の一つ、『日日雑記』には水族館やテレビ、映画、三面記事、ごはんの感想などがある。文章は平明で、だれでも書けそうに思える。しかし、百合子さんの文章は単なる雑記ではなく、すばらしい作品として輝いている。良いエッセイは、日々の雑事と、外出先・旅先の事象をおなじ鋭い眼でとらえ、わかりやすく書いたものなのだと教えられる。 ごくふつうの人から変身した人生でもなく、最初から作家だった生涯でもない、百合子さんのような人生も、「稀有」な人生だ。わたしはもっと知りたいと思っている。 |