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長野市の水野美術館と北野美術館に行ったあと、小布施町にも寄ってみることになった。そこで、すばらしい絵に出会った。上條喜美子さんの作品である。 3つの美術館のなかで一番よかった。この美術館はほかの二館に比べて、格段に小さい。それに、上條さんの作品は所蔵作品ではなく、出品されていたものだ。地方の自治体の美術館でよくありそうな企画展、郷土シリーズ、それも11回目に。 だけど、一番よかった。一見、ユーモラスで楽しそうな物語に見える。ところが、よく見ると、気持ち悪かったり、不安感を催したり、グロテスク。こういう感じ、大竹茂夫さんの絵に近いかもしれない。 なにか、表現されていることがより直接、心に届いてくるようで、よかった。 使われている色がわたしの好みだからだろうか。元気が出て来るような赤やオレンジやピンク。 それらと対照的な緑色。緑は赤やオレンジやピンクを引き立たせもするし、赤系カラー(暖色というのか?)との取りあわせは、不安定さ、不安感も与える。 こういう色鮮やかな色、明快な原色が、明快でシンプルなフォルム(かたち)を作っているところがとてもよい。 それから、作品に表現されているメッセージ(のようなもの)。 はじめ、果物がいっぱいに描かれた「フルーツ・フルーツ」(2006年)に釘付けになった。小さなへやのガラスのむこうで、四角い小品全体が輝いているようだった。 そのあと、広い展示室で大きい絵(タブロー)に出会って、もっと衝撃を受けた。「ぜんぜん聞いたことのない画家だけど、こういう絵、好きだ!」と思った。 そのうちの一点について。 黒っぽいジャケットをぴしっと着た若い男性が立って、ピンク色の花をもっている。彼の胸元には、すべりこもうとしている(?)、というか、空中で浮遊・停止しているような、ピンク色の服を着た少女。このピンク・ワンピースの少女はほかにも、背後の草原に二人いる。 男性の口からは、ピンクのバラっぽい花が一輪出ている、付いている(ボッティチェッリの「プリマベーラ(春)」の、口から花がこぼれおちている女神フローラ(?)をちょっと思った)。 男性の目はやや上目遣いで、無表情。でも、画面全体にはピンクや赤や黄色の花びらまで飛んでいる。右下にネコの姿がちらり。 一見、明るくて、かわいくて、ほのぼのしてて引きつけられる。ところが、よく見ると不気味、こわい。不安な感じがしてくる。それでいて、ユーモラスでもある。 タイトルは「Spring!!」(2006年)。すばらしい。いかにも春って感じだ。恋、というか繁殖力の季節。それでいて、生気がなかったりする、現代の静かなこの様子。 上條さんの絵は、色彩からして目立つし、内容も非現実的かもしれない。フルーツ山盛りの絵にしたって、市民社会オランダのリアルな細部を組み合わせた静物画とはちがうし、セザンヌみたいに物のリアルな実在感・物量感が迫ってくるわけではない。 大きな作品は一層、非日常的な物語にみえる。一方で、日常が描かれているようにも感じる。わたしたちのこの世、この時代の毎日の、ほんとうの姿が絵物語化・ヴィジュアル化されているようにも思うのだ。 慣れ(馴れ・狎れ)きった日常に対する親密感ある、居心地のいい見方。それを一新してくれる。なにかを一枚剥いだ、裏側の風景を見せてくれる。アートにしろ、本にしろ、よい作品には備わっているものが上條さんの絵画にもある。 長野県塩尻市にお住まいらしい。 上條喜美子の世界 Kimiko Kamijo <このホームページを通じて皆様に私の作品を知っていただければうれしいのですが・・・>上條さんの対談 “リビングルームにも飾れる肖像画”より アートには「無縁な人間」と思っていた黒澤さんが上條さんの「絵画を拝見し閃光が走るような感動を覚え」て開いたサイトです。ギャラリーも充実しています。 看板になっている中島千波は、ノートやクリアファイルになっているおもちゃシリーズの絵が、とてもよかった。こういうかわいい絵も描いているなんて、思いも寄らなかった。小さなおもちゃたちが深夜、窓辺で会話したり、けんかしたり、遊んでいる様子や声が聞こえてくるようだ。夢があって、ユーモラス。喝采。 でも、日本画なら、高崎市タワー美術館(群馬県)所蔵の桜の絵がいいな。 あと、敷地内の倉のなかに保管されている山車がよかった。葛飾北斎肉筆の天井画がなくても、なにか、圧倒される。代々つづく地域の人々のあいだで愛されている重みだろうか。 『箱根・芦ノ湖 成川美術館所蔵 現代日本画の宝庫展』 2006・9・2〜10・9 水野美術館 (両館ともに長野市) そのまえの水野美術館『成川美術館所蔵』はあまりにも薄味だった。もし、自分が『成川美術館所蔵』しか知らなかったら、絵画にあまり興味をもたないかもしれない。それに、今回の成川コレクション全体にみてとれる美の基準が、この世の至高の美の基準なのだと思ったなら、自分の嗜好・趣味の異端ぶりに、ショックと疎外感を覚えただろう。 とはいえ、流されやすいので、薄味、ぬるさ、淡さに呑みこまれかけていた。 北野美術館に入ると、最初の展示作品から「これが絵だ。これがアートだ!」という叫びが心の中から湧き上がってきた。心が洗われるようだった。ほんとうの美術がどういうものか、わかった気がした。 多くの作品に満足し、刺激をうけた。前にも見た作品たちなのに、とてもいい。さっきとは充足度が違った。 そのうちの数例をあげると、 川合玉堂、ツルの目ん玉がこわい「稲田の鶴」。 北村西望のかっこいい、かわいいネコ、「防衛」。 山と秋の野原、そこを馬でゆく一人の男性。物語の挿絵のような、児玉希望「戸隠の秋」。 佐藤忠良の「帽子のチコ」、それと並ぶ朝倉響子のおしゃれな「HAT」。 出身の群馬県以外でみると、そのすばらしい個性を再認識させられる福沢一郎の「牧神とニンフ」。 そして、池田カオルの少女彫像「穏やかな日」。 ミュージアム・ショップで、ガラス製の小さな白熊に引かれた。くまは立っていて、赤いリボンのかかった箱を掲げている。赤が顔に映って、照れているように見える。照れながらも、わたしにプレゼントをくれようとしているようで、すごくいい。自分の心が弱っているのかな、と思うけど、買った。 おなじカラスのシリーズで、河童がおふろに入っている置物もよかった。作家名は記されていなかった。 後日、自宅に手書きの書き込みのあるハガキがとどいた。同行者が記帳したかららしい。 市街地の水野美術館にはお客さんが多かった。ふつうの家族っぽい人たちもちらほらいた。北野美術館はちょっと外れにあるけど、たくさんお客さんが来るといいと思う。 今回はテーマが秋だからか、斎藤真一の瞽女の絵(「越後瞽女妙音講」)がかかっていなかった。そればかりか、カタログにも紹介されていないようなので、ショックを受けた。実は今回、「越後瞽女妙音講」を見ていたら、今回の感想は違ったものになっていたかもしれない。 斎藤真一の絵は、一度見ただけで、印象に残る。テーマも色遣いも、ほかに同じような絵を描いた人はいないのではないか。 「越後瞽女妙音講」の主調は、黄色(黄土色、黄葉色)。冬の新潟の広々とした大地を表現している。たいてい、斎藤のカラーは赤、深紅、クリムゾンだ。けれども、この「越後瞽女妙音講」はすばらしい。北野美術館の数ある珠玉の作品のなかでも、別格だ。わたしのなかでは、この美術館というと思い浮かぶ絵、美術館の“顔”、モナリザみたいなものとなっている。 関連 www.geocities.jp/utataneni/art/2003-2.html (この絵や、北野美術館のことはこちらにもくわしく書いてあります) 『箱根・芦ノ湖 成川美術館所蔵 現代日本画の宝庫展』にもよい絵はあった。 その中の一番は、小品なのが残念だけど、稗田一穂の「富士の見える駅」 黒犬と少女が散歩している。背景の富士山の構図も魅力的。 それから、堀文子のすばらしいすばらしい「鳥たちの楽園」 小品だけど、宝石のようだ。 牧進の白犬の絵。犬が寝たふりして、じーっとこっちを見ている。 吉岡堅二のこわくてユーモラスな「黒鳥屏風」。 荘司福「山湖早春」 知らない人だ。1932年、女子美術専門学校日本画科卒業という。 もしかしたら、群馬県立近代美術館にすばらしい絵が遺されている福田元子さんも、東京の空襲で亡くならなかったら、これほどの大家になり、人気を得ていたかもしれないと、残念に思った。 関連 www.geocities.jp/utataneni/art/2004-2.html#hukudasan (福田さんについて、少しですが書いてあります。ほんとうに快い作品です。) やっぱりうまい、杉山寧「嘩」 白いヤギが詩的な世界の主人公になっている。 シェルティ(愛すべきシェットランド・シープ・ドッグ)の顔が変でひどいけど、高山辰雄の「月」。 牧進の黒い鯉とピンク色の花びらの絵 松本哲男「富士」 森田曠平「野分」 いかにも冬な毛利武彦「冬」 加倉井和夫「禽」 タイトルも気に入った田渕俊夫「流転(あさがお)」 きれいだけど好みではないけど、前本利彦「蓮池朝霧図」 山本岳人 倉島重友「白い響」 梅原幸雄「海の微風」 岡信孝 平松礼二 加藤栄三「鵜飼」 ミュージアム・ショップで以前、CMで見たきのこのキャラクターグッズが売られていた。ホクトの美術館なのだ。ノートを買う。 所蔵作品はいいと聞いているので、つぎの『水野コレクション「日本画の中の動物たち」』に期待。 あと、ガラス越しに広がる庭園の点でも、料理の点でも、レストランがおもしろかった。再訪したい。 |