1998年3月に亡くなられた須賀敦子さんの本に『遠い朝の本たち』『ユルスナールの靴』がある。 『遠い朝の本たち』(筑摩書房) 1998年4月刊行 1991年8月号〜92年『国語通信』、93〜94年隔月で『ちくま」に連載されていたという。 『ユルスナールの靴』(河出書房新社) 1996年10月刊行 1994年11月号〜96年5月号『文藝』に7回連載されていたという。 この2冊を読んだ人はご存じだろうが、語り手「私」のそばには似たような人物が登場する。『遠い朝の本たち』の「しげちゃん」と『ユルスナールの靴』の「ようちゃん」である。 「しげちゃん」は第1章『しげちゃんの昇天』(初出は『『重ちゃんの昇天』)に描かれている。そこから、特徴をいくつか抜き出すと、 小学校からの同級生。3月生れ。 本の話をした。小説を書いていた。 大学を卒業したら、修道院に入ると伝えに来る。そこは厳しいことで有名なところ。 「私」の夫が亡くなったとき、初めて手紙が届く。「だれからももらったことのないほど長い」手紙だった。 大学卒業から35年後(1986年)、彼女は病気のため、函館の修道院から調布の修道院に移り、「私」は会いに行く。 その後、函館に戻る。「私」は、「ずいぶん元気になって」と人から聞き、安心していた。しかし、しげちゃんのお姉さんから電話で訃報を伝えられる。 「ようちゃん」は『プロローグ』から2つめの章『1929年』に登場する。 小学校で出会った3月生れの同級生。本が好き。 10代のとき、カトリックに入信するという秘密を打ち明けられ、「私」は動揺する。 「私」が迷った末、大学院進学を決めるころ、呼ばれ、修道院に入ることを告げられる。そこは「北の島」の厳しいことで有名な修道院。 修道女になった彼女から、生活を綴ったらしい手紙を何通かもらう。 ようちゃんのお姉さんからの訃報をパリで受け取る。25歳になったばかりだった。 二人は出会いや関係、宗教・修道院をめぐる出来事が共通している。ここまでなら、同じ人物に間違いない。ところが、わずかにある違いが大きい。それは修道院に入った後の関係と、とくに、亡くなった時の年齢である。 しげちゃんは数十年ぶりの再会後、50代で亡くなる。文中の記述と、須賀さんの年譜から、享年56歳と思われる。対して、ようちゃんが亡くなったのはわずか25歳。若すぎる死だ。 この大きな違いは何なのだろう。 二人が“同じ人物”であることを確信させてくれる証言がある。須賀敦子さんの妹さん北村良子さんの話だ。北村さんは、須賀さん御本人から、ようちゃんはしげちゃんだと聞いたというのだ。 「「ようちゃんって、あれだれ?」って聞いたら「しげちゃんよ」って。ああそうか、なるほどと思いました。」(『文学界』1999年5月号、須賀敦子追悼特集「須賀敦子の世界」と、そのインタビューを収めた『須賀敦子全集 第四巻』の月報。引用は後者より) モデルは同一人物なのである。須賀さんは実在のしげちゃんをモデルに、ようちゃんの印象的な若死に創作したのだろう。 『ユルスナールの靴』を読んでいると、何のためにかは、わかる気がする。少女時代の「私」の先を行っていたような女性の存在をまわりに配して、「私」が自己を形成していく自伝的小説をつくりあげるためではないだろうか。 話は逸れるが、わたしは朝日新聞掲載の須賀さんの書評には接していたものの、(後に全集第4巻所収のそれらを読み返すと、覚えていたものが多くて驚いたのだけど)格別に惹かれる評者ではなかった。本を読んだのは亡くなられた後だった。 たまたま出会ったそれは文庫本で、書店に平積みされていた。『コルシア書店の仲間たち』というタイトルと、船越桂の木彫の人形の写真に惹かれ、手にとった。開いた冒頭の文章から魅了された。読み進み、「こんな気持ちのいい文章があるのか」と、すがすがしい喜びを感じた。 ほかの本も読んだ。『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『本に読まれて』『ミラノ 霧の風景』 そのうちのいくつかは愛読の対象となり、迷いつつ生きていった須賀さんの姿に共感してきた。 しかし、ようちゃんの夭折を作りだしたことは、わたしには良いこととは思えないでいる。道徳とか倫理的な観点ではない。エッセイだから創作はだめ、というのでもない。須賀さんには、夫君ペッピーノ氏の家族の心情を想像して書いている記述もあるが、それは気にならないし、よい作品だと思っている。そもそも、文章も俳句や短歌も詩も、フィクションであっていい。 ではなぜ、ようちゃんについては受け入れられないのか。それは、「ようちゃん」の若い死が、あまりにも心に強く訴えかけ、重要な働きをするからだ。これが本当の話であったなら、「私」の成長と一緒になって、どんなに感動的な話だったろうか。 しかし、ようちゃんの死期がつくられたものだ。フィクションだ。こう知ったとたん、ようちゃんのエピソードはむなしく、空っぽになってしまった。入り込むことができなくなった。 『ユルスナールの靴』を、須賀さんの自伝的小説、それもマルグリット・ユルスナールという一人の作家についてのエッセイを盛りこんだ不思議なかたちの小説として読めばいいのだろうか。でも、それが出来ないでいる。 付記 最近、こんな文章を見つけた。ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』について。 「いわば無名の家族のひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。読んだとき、あ、これは自分が書きたかった小説だ、と思った。」(「オリーヴ林のなかの家」、所収『コルシア書店の仲間たち』) 別のことも書きたい。 ●ユルスナールはベルギー(フランス語圏)で生まれ、フランスに来、アメリカ東海岸の島に移った。グレースという女性がそばにいて、生活を取り仕切っていた。 彼女と似たような人生を送った女性作家についても、須賀さんは書いている。ただし、その作家が関わった国の順番は、ユルスナールと正反対だ。 アメリカに生まれ、フランスで作家活動をおこなった。パブロ・ピカソや、アンリ・マティスに早くから注目したことでも知られているガートルード・スタイン。 須賀さんは彼女の『アリス・B・トクラスの自伝』や、アリス・B・トクラスの『アリス・B・トクラスのクックブック』、また、スタインとトクラスを描いているらしい映画『月の出をまって』について書いている(『須賀敦子全集 第四巻』) アリス・B・トクラスはスタインのかたわらにいた女性である。おもに、家事を取り仕切っていた。 グレースもアリスも単なる家政婦ではない。それぞれの作家にとって、いなくてはならない伴侶、パートナーだった。ユルスナールもスタインも、生国を離れて、海を挟んだ異国で、そのような一人の女性と人生を共にした女性作家なのだ。 須賀さんはスタイン、トクラスについて書いたとき、すでにユルスナールについてきちんとした一編をものしたい、という気持ちがあったのだろうか。少なくとも、なにか惹かれるもの、興味があったのではないだろうか。 ●ユルスナールを生涯を追いながら、自分の過去も語ってゆく。あるいは反対か。須賀さんらしい、体験のエッセイに、ひとりの異国の作家の評伝を織り込んでいく。そういう、それまでの須賀さんのエッセイとはちょっと変質した、凝った作品を書いた背景には、関西の兵庫県で生まれ育ち、おもに東京で学校生活を送った。フランスへ渡り、さらにはイタリアへ向かい、そこで結婚生活をし、また日本へ戻ってきた。そういう移動の年月、日々のなか、つねに読むことと書くことを考えていた須賀さん自身の人生が関わっているだろう。 とくに書くことについて、強い執着をもっていた若い頃の記述は印象的だ。 「日本の文学作品をイタリア語に訳す仕事をはじめてまもないころだったが、まだ自分が母国の言葉でものを書くことを夢みていた。ただ、周囲がイタリア語ばかりのなかでは、自分の中の日本語が生気を失って萎れるのではないか、そればかりが気がかりだった。こんなことでは、とても自分の文体をつくることなど考えられない。かといって、イタリア語でものを書くというのも、とても越えられない大きな壁のように見えた。ちょうどそのころ、書店につとめていた夫がナタリアの小説を持って帰ってくれた。表紙カヴァーにエゴン・シーレの絵がついた美しいエイナウディ社の本で、そのころ評判になっていた。(略) しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。書店にこの本が配達されたとき、ぱらぱらとページをめくってすぐに、これはきみの本だって思った。 こうして、『ある家族の会話』は、いつかは自分も書けるようになる日への指標として、遠いところにかがやきつづけることになった。イタリア語で書くか、日本語で書くかは、たぶん、そのときになればわかるはずだった。」(「ふるえる手」、所収『トリエステの坂道』) 『ある家族の会話』ナタリア・ギンズブルグ 「私は、アシェルが農場主になりきらないことを、心のどこかで祈っていた。早くミラノに帰ってきて、また小説を書けばいいのに、そう思った。」(「オリーヴ林のなかの家」、所収『コルシア書店の仲間たち』) 須賀さんの人生、とりわけ十代後半から人生についての迷い、フランスのカトリックの活動に失望し、イタリアで生活を築くまでは、どこかの場所には、求めるものがあることを確信して、さまよい、移動した、巡礼にも見える。 1998年2月4日、病床で語ったという言葉「書くべき仕事が見つかった。いままでの仕事はゴミみたいなもんだから」(全集第8巻の年譜)には胸が痛くなる。須賀さんのために、“初めて本格的な小説”(湯川豊「須賀さんについてのノート」。文庫『トリエステの坂道』所収)だという『アルザスの曲がりくねった道』が完成されていたらよかったのに、と思う。 2004/4/22修正、1/19up |