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エミリ・ジェイン・ブロンテ『嵐が丘』 Wuthering Heights 田中西二郎訳(新潮文庫) とても好きな小説で、読めもしないのに英語版を買ってしまった。あと、その本から、冷蔵庫に貼る手製カレンダーに、エミリーが書いた言葉を書き写したこともあった。 ところで、原文とほんの少し照らし合わせてみたら、大和資雄訳(角川文庫)のほうが直訳に近いようだった。 初読1990年代後半。再読2002年3月くらい。 (2004/3/18加筆訂正、2003/10/25up) キャサリン・フランク『エミリー・ブロンテ その魂は荒野に舞う』 植松みどり・訳(河出書房新社)1992年4月発行 クレア・トマリンの『ジェイン・オースティン伝』(矢倉尚子訳)と比べてしまった。余りにいまいちなので。ただ、台所・食べ物をめぐる記述はよかった。村田喜代子さんはこの本を読んで小エッセイ「『嵐が丘』の台所」(『台所半球より』所収)を書いたのかな、などとと思った。 初読2003年5月(up2003.8.12)
【追記】再読したら、シャーロットもアンもエミリーも就かざるをえなかったガヴァネス(住み込みの家庭教師、学校の教師)の仕事の過酷な環境に、あらためて心を打たれた。わたしはガヴァネスよりはまし、と呪文のように唱えていた時期もあったけど。 (up2003/10/25、2004/3/17加筆訂正) 柳五郎・編著『エミリ・ブロンテ論』 開文社出版 1998年10月発行 いろいろな話題が載っていておもしろかった。エミリーとジェーン・オースティンの愛好したピアノ曲の違いや、ヒースクリフとキャサリンの性的関係、これまでの作品観など。とくに、(ごく簡単に紹介されていただけなのだけど)、ヒースクリフの本質は子どもである、という説に納得した。ただ、生誕180周年記念だったかと強調し、いろいろな研究者が寄稿している立派な本なのに誤字が多い。 初読2003年5月(up2003/8/12、加筆訂正10/25) バーバラ・ホワイトヘッド『シャーロット・ブロンテと大好きなネル ある友情のものがたり』 中岡洋・監訳(開文社出版)2000年9月発行 妹のエミリーには惹かれていたけれど、シャーロットには興味がなかったし、この本は最初、クレア・トマリンの『ジェイン・オースティン伝』(矢倉尚子訳)と比べると凡庸に思われた。しかし、読みすすむうちに引きこまれた。そして、現在は敬愛しているエミリーだけれど、もしわたしのそばにいたら、多くの人とコミュニケーションを取れなくて、というか、まったく取ろうとしないから、社会不適格者に見えてうんざりするだろう。加えて、アンとの交換日記(数回しかない)を読むと、現実的な生活設計に対して楽観的な子どものような印象を受ける。シャーロットには、職に就かない身を持ち崩した弟もいて、将来を考えるととても気が重く辛かっただろう。とはいえ、現実に向かって必死になって行動的に歩んだシャーロットも、一般の人からすると、人付き合いは上手ではなかったようだ、などと思った。 この本は、シャーロットの学友ネル(エレン・ナッシー)を取り上げている。偉大な友人とどう接したか、一生どう扱ったのか。気になるテーマだ。 また、膨大な資料を集めて、その時代の息吹を吸ったことのない過去をどう書くか、参考になりそうな本でもある。 初読2003年5月(up2003/8/12、加筆訂正10/25) 中岡洋、内田能嗣・編著 『アン・ブロンテ論』開文社出版 、1999年 半分くらい読んだだけ。 アンって、いい人ではないんではないか。山月記にも少し書いたが、アンも、人間はみな平等だとか、幸せになるべきだとか書いていない。偏っていて、激しく不平等。やはり、ブロンテ姉妹だ。 わたしはブロンテ関係の本を読み、ブロンテ姉妹とまとめて書いてきたけど、自分のうちでの評価はやはり低かった。でも、この本によると、いいらしい。独自の見方で作品を書いているらしい。 食べ物への関心を描いて興味深いキャサリン・フランク『エミリー・ブロンテ その魂は荒野に舞う』のエミリー観も変わった。あの本では、シャーロットはエミリーと結びたがったが(ブリュッセルにも共に留学する)、エミリーは彼女を離れて、アンと親しみ(二人だけの旅行では、観光よりも『ゴンダル年代記』作りに熱中していた)、三角関係のように描かれている。しかし、この本では、アンもエミリーの世界から離れていっている。 でも、わたしは「オースティンにはなれなかったでしょう、笑いがないし」とクサしてしまう。オースティンが好きだから。このころ、(といっても、たびたび読み返しているのだけど)、お風呂や仕事の休憩時に『自負と偏見』(高慢と偏見)をめくった。リジーとダーシーの遣り取りを読んだ。『オースティン『レイディ・スーザン』 書簡体小説の悪女をめぐって 』(忽谷美智子)に、書簡体小説では対話が活かせなかった、とあったけど納得。会話がすばらしい、おもしろい。 『説得』(説き伏せられて)といい、最近はラブストーリーではなく、脇役たちの活躍(?)する周辺の笑いにも惹かれる。また、『高慢と偏見』の話だが、コリンズは最高。 ところで、このシリーズの『エミリ・ブロンテ論』とおなじく、野本由起夫氏の「アン・ブロンテと音楽」が興味深かった。 カワン・ブリッジ、“ローウッド学校”のせいで、お姉さん達も命を落とさなかったら、どんな作品を遺してくれたろうか。 読2003年11月(2004/3/15) 青山誠子『女たちのイギリス文学』開文社出版、2003年 エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は、後半、たるんだ感じがあるものの、本質的なものを書き上げた傑作だ。対して『ジェーン・エア』に描かれる“幸福な”恋愛・結婚は、異質なものを排除した同質のもの同士の結合であり、いびつで偏向している、と嫌いだった。 しかしこの文集によって、『ジェーン・エア』と作者シャーロットに対する私の評価が変わった。伝統というか、『ジェーン・エア』を念頭に小説が書き継がれている点において、孤高の『嵐が丘』よりも重要なのだ。(『嵐が丘』については水村美苗さんが『日本近代文学 本格小説』を上梓しているが)。 作家を志したものの、女であるために破滅したシェイクスピアの妹を描いたヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』の見方も覆された。「ルネサンス期のイギリスには」「自殺するどころか、ペンをとって書き、時には出版さえしていた」「シェイクスピアの妹ジューディスが実在していた」。ジェイン・オースティンや、その先駆者としてラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn、小泉八雲)の『英文学史』(野中涼・野中恵子訳『ラフカディオ・ハーン著作集』第11巻、12巻。恒文社、1981・82年)にも挙げられているような女流作家とはちがう書き手がいたこと。女性の書き手についての見方、研究史入門ともなっている。 ところで、わたしは、ほかの箇所でも、新しいものを得られた喜びに浸っているだけではいられなかった。独りよがりで本を読んだり、考えているのはだめなのだ、自分はすごく低いレベルにいるのだ、と大きなショックを受けた。しかもこれは「アカデミックな論文は避け」、講演原稿に基づいた本なのだ。 読2004年1月(2004/3/15) |