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『ホビットの冒険』 瀬田貞二・訳、岩波書店 アメリカの女の子が夏休みを祖母の家ですごす『銀の馬車』(C・アドラー)にタイトルだけ出ていて、気になっていた。でも、『ロード・オブ・ザ・リング』の公開に影響されて読みはじめた気もする。 寺島竜一氏の絵もすばらしい。ドワーフたちが奏でる音楽の美しさ、冒険の実態、親近感の湧く冒険者たちの姿、宝物を抱えて眠るスマウグの恐ろしい迫力などがよく表されている。 『第四版・注釈版 ホビット ゆきてかえりし物語』(ダグラス・A・アンダーソン=注、原書房、1997年)には世界各国の『ホビット』の挿画が紹介されている。しかし、わたしには寺島氏の絵がもっとも話に合っているように見える。すばらしいことに、文庫(岩波少年文庫)でも絵は省かれていない。 読2003年 『ホビットの冒険』の、「いやがってるぞ、バギンズ」のあたりまでの方がおもしろい。2巻(下巻)、エルロンドの御前会議でガンダルフが喋りはじめた所で中断。 (それにしても何歳なんだろう、この魔法使いは、賢人は) 裂け谷にいたるまでは山岳小説ではないだろうか。変化に富んだ地形、風景の説明がていねいに続く。トールキンは、よく自然を見ていた人なのか。なんでここまで、架空の地の様子をこまかく描けるのだろう。驚嘆。 『ホビット』同様、ふつうの人が突然体験する、過酷な冒険についての心理がおもしろい。疲れちゃったり、炉端が恋しかったり、ぬれそぼって、食べ物はなくて、うんざりしちゃったりする所がいい。ふつうの人の愚かさ、弱さ(能力も)と、すばらしさ。戦いのための冒険ではなく、未踏の地の探検調査の記録みたいでもある。 あと、『ホビット』の続きでは、ある意味全然なかった。ゴクリの話は深まっていた。ハッピーエンドのはずだったビルボは、変貌していた。格段に変わって、別次元のストーリーが始まっていた。だから、『ホビット』のように単純におもしろいだけでないのは、当たり前なのだった。 読2003年11月 『旅の仲間』下巻 それでも再開し、じりじりと読み進めたが、柊郷で大きなカラスの一隊が頭上を通過していくところで、またも中断。なにか、お話が変わる感じがしたのだけど、(『ホビット』で鷲の登場する神々しいシーンの影響だろうか)、疲れてしまった。 しばらくして再開。それまでの荒野・峻厳な岩山行とは異なる、雪山での行程がくわしく描写されていた。体験したことなさそうな荒涼とした土地での不便な冒険を、なんでリアルに描けるのだろう。やはりトールキンはすごい。 夜に気味の悪い湖岸で、子馬のビルを置いていかざるをえない時に泣くサムが、ますます好きになった。彼はこの旅団のなかで唯一、使われる従者だ。それでビルに気持ちを通わせ、友として親しんだのかもしれない。 モリアの坑道で書物を発見するところは、とても怖い。前述したけど、『指輪物語』は『ホビットの冒険』とはまったく違ってしまっている。 『ホビットの冒険』はハッピーエンドのはずだった。ところが、『指輪物語』の冒頭では、ビルボが指輪に髄まで取り憑かれていた。そして、このモリアでは、自分たちの王国を求めて旅立ったドワーフのバーリンとその仲間に悲惨な結末が用意されていた。 そういえば、『ホビットの冒険』のゴクリのくだりも、4度書き直され、どこか同情してしまう孤独な生き物に変わったのだった。トールキンは物語を深化させていく人だったのだ。 恐怖に満ちた話のあとで、やさしく歓待される安らぐ場所に着くと、ほっとする。この下巻ではロリアンの森。でも、『ホビットの冒険』でそういう場所であった「裂け谷」「エルロンドの館」とは異なっている。上巻の最初に遭遇する旅のエルフたち一行同様、ここでもエルフ達はなにか絶滅を感じさせるのだ。 上巻の端書きに、「中つ国」のその後が、もう提示されてしまっているからだろうか。この大陸の端の港から、船に乗ってつぎつぎに西海へ去ってしまうエルフたち。それが、とてもとても哀しい。勇気と機知による痛快な活劇を読んでいても、その気持ちに、ずーっと引っ張られてしまう。 ガラドリエルが指輪を拒否するくだりも秀逸だ。指輪の魔力が存分に描かれている。すばらしい力をもつ指輪だけど、正しい使い方はない。この世には使ってはいけない物があるのだ。 また、フロドがアモン・ヘン山頂の昔の王たちの玉座で、世界が滅びに瀕ししている様子を見てしまうシーンもすばらしい。それから、一人で旅立つ終わりも。 読2004年1月 第2部『二つの塔』 第1部、第2部より、量的にも薄い感じ。 木が好きだから、エントのくだりがとても興味深かった。木の気持ちとか考え、というのはあんな感じだと思う。 終わりの方の、“二つの塔”での白の賢者サルマン(冥王サウロンと名前が似ていて、なんどか読み間違えた)と、グリマ(蛇の舌)の様子がいい。ふたりのうちでは、グリマのほうが印象的。なぜか、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』4巻『帰還』に登場するアスペン、「骨の人たち」(テハヌー)を連想させられる。 読2004年1月 第3部『王の帰還』 これだけはアラン・リーの表紙の本ではなく、追補編つきの分厚い茶色い本を開いた。市立図書館にはそれしか無かったのだ。でも、『二つの塔』につづいて早く先を知りたかったので気にならなかった。 はやる気持ちに反して長大で、読み終えるのは楽ではなかった。しかし、とてもよかった。 たとえば、戦場でのエオウィン姫の姿が美しい。怪鳥に乗った恐ろしい敵を倒した瞬間は、崇高な宗教画のようだ。 ミナス・ティリスでのファラミアによる“エオウィン解説”もいい。ローハンが騎士の国であることが、一層明確になる。 『指輪物語』の残念な点のひとつは、女性が活躍しないことだ。それがここでやっと払拭される。それでも映画『ロード・オブ・ザ・リング』ではエルロンドの娘、「夕星」アルウェン姫がなんと白馬を駆って、ナズグル(幽鬼)たちとデッドヒートを演じ、呪文によって川を氾濫させ、フロドを憩いの地、「裂け谷」へと運んだ。 最後まで払拭されない欠点は、有色人種への差別的な扱いだと思う。冥王サウロンのもとに集うのは、褐色の野蛮で無知で欲深い人間たち。そして、大戦後、ホビット庄には金髪の子ども達が誕生するのだ。 「滅びの山」山中でのスメアゴル(ゴクリ、ゴラム)の「いとしいしと!」という叫び声。本来、歓喜に包まれたものであるはずなのに、また、活字を目で読んだだけなのに、私の耳には悲しく恐ろしく響いた。忘れられない。 『指輪物語』ではしばしば、フロドや、ロスロリアン(ガラズリムの都)でのガラドリエルなど、声の表現が印象的だ。 あと、鳥類の活躍。 末尾のホビット庄をめぐる章ははじめ、「蛇足か、シリアスで壮大な物語のあと、読者を安らぎに導くための、ユーモアに満ちたつけ足しか」と思った。たしかに簡単に快勝し、勇者たちは郷土を取り戻す。 しかし、深い意味があったのだった。アラゴルンの即位、アルウェンとの結婚によって、ミドル・アースには平和と秩序に行き渡ったはずだった。美(うるわ)しい世界に戻ったかに思われた。しかし、世界の片隅の小さな故郷で、人の和がこわされ、命と自然が失われて、暴虐のもとに支配されていたという展開。たしかに、それこそ、世界が根の深い悪に覆われた証拠ではないか。 その際、自然が工場によって損なわれているのが興味深かった。エント達によって水攻めにされたアイゼンガルドで、メリーとピピンが見つけたパイプ草の樽の件がつながるのは、おもしろかった。 最終章には、ほかの役割もあった。郷土への晴れ晴れしい凱旋の話に見えながら、フロドがもう、この世にはいられないことを示している。 『ホビットの冒険』は『ゆきてかえりし物語』というサブタイトルのように、勇敢な青年(かは疑問だ。日常に満足した人?)の勧善懲悪、成長物語。すばらしい財宝を持って帰郷する。いわば“桃太郎”だった。経済的社会的に豊かな生活ばかりか、文学的な感性を開花させたビルボが、俗っぽくも愉快な故郷で、悠々自適に過ごすエピローグが用意された。 対して、フロドは旅を経て、ビルボよりも格段に変わる。最終章では、何度も殺すのをやめさせようとする。彼は、指輪をめぐる戦いを通して、平和を愛し、暴力や報復を拒否する者になったのだ。 でも、私たちの現実的な理想であるような社会、「ホビット庄」をめちゃくちゃにした悪が殺されるのを、自業自得のように果てるのを、ホビットたちも、読者であるわたしも満足する。この世はそういう所なのではないか。だから、もうフロドはこの世にいられない人だ。出るしかない人だ。 つらい旅のとちゅうで、いつも憧憬の的であり、戦い抜く理由でもあった、愛すべき故郷。そこから出て行くという結末。それがフロドにとっての帰還なのだ。しかし、彼は悲しみを抑えて静かに出立するまでに達している。 アラゴルンは勇士で、立派な統治者だ。しかし、しょっちゅう迷い、苦しみ、選択したフロド。そして二つの物語を通して老いたビルボ。そういう、自分の責任において引き受けた“小さな人”、ホビット(私にはラビットの仲間に思えてしまう。hobbit、rabbit)こそ、わたしにとっては一番の主人公であり、ある種の目標に思えた。 もちろん他のキャラクターも好きだ。とくにサムと、寡黙だけど友情と美しいものを愛するギムリが好きだ。 灰色港からは、エルロンド、ガラドリエルらエルフも、役目をやり遂げたガンダルフも、尊いもの、美しいものはみんな、この世界の時の流れから去っていく。 アラゴルンはすばらしい治世を築いても、人間であるから死ぬ。アルウェンも死ぬ。追補編には、サムワイズ・ギャムジーもギムリもレゴラスも、いずれいずれは西海の彼方へ渡って、中つ国を去ることが記されている。たしか渡海する船をつくるキアダンも。 そして、この世界のどこからも、どんなに深い森や険しい谷間にも、エルフはいなくなる。『二つの塔』でエント自身が語ったように、たぶんエントも。 ……きっと、太古からの力を秘め、大地と強くつながっている木や森は失われるのだ。この衰退と、人間による抹消は同義語に思える。そして、そのような森は、『ゲド戦記』のようなフィクションの中にしか、人の心の中にしか、生い、そびえ、茂ってはいないのだ。 “エント女”の話も哀しい。 なにか平家物語の印象がある。赤々とした陽の沈む西海。落人。滅びゆく美しいもの。 「たそがれ、草かれ、星光れ、されど落人かるなかれ」。谷川俊太郎さんにこんな詩句があった気がする。 物語の内容も、簡潔で素朴な文体も、古様の神話・物語・伝承と関わっているらしい。そこには、カッサンドラらが死ぬトロイア戦争。愛すべきロキが悪に変わり、たくさんのすぐれた善き神々も死に、世界が暗黒の終息に向かい、しかし薄明のもと、若芽のように息を吹き返すエッダ、サガの北欧神話「神々の黄昏」も加わっているだろうか。 読み終わったら、日本の昔の『源氏物語』と比べていた。描いているものはちがうけれど、どちらも巨(おお)きな物語だ。 読2004年2月
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