“テレビ番”(番組表)をみた。生誕100年として話題になっている監督の映画をやっている。以前、彼をとりあげた新聞記事には映画のワンシーンの写真も掲載されていた。その監督とともによく名前のあがる女優、老人の男優が座敷でむかいあい、座っていた気がする。 知っていたのは彼らの名前とタイトルだけ。 (きっと、すてきな都会・東京に暮らす、仲のいい家庭のおだやかで何気ない日常生活を描いているのだな…) とんでもない誤解であった。 チャンネルをかえると、医院の看板(カタカナと漢字による案内文)が映った。遠い地方からはるばる上京した老夫婦が、電車のホームに着いたところ。町中の息子宅で待っていた奥さんはきれいで、対応も挙措も、わたしには好印象。(この人が有名な美人女優か)と思う。 翌日、夫が両親(老夫婦)と子ども(男の子ふたり)をデパートに連れて行けなくなるや、前夜、机にむかって英語の勉強に励んでいた中学生はふてくされ、幼児はののしる。奥さんは別室(診察室)で厳格な母親に変貌。お祖母さんが幼児をやさしくなだめて外に誘うが、この時も奥さんが強引に従わせたのではなかったか。 川の土手でのシーンは切ない。「ぼんも医者になるのかい」としゃがんで問いかけるお祖母さんを無視して、草を切り取りつづける孫。お祖母さんの顔。 つらくわびしいことに遭遇するのは、この長男宅だけではない。 老夫婦が気兼ねして自ら移っていった長女は、遣り手の自営業者。ジャマな両親を、安くて騒音のすごい伊豆の宿に送りこむことを発案。 その夫は舅を銭湯に誘ったりしてとても親切。でも、彼の人のいい気遣いがあっても、老夫婦が完全に癒されることはない。 見ているうちに、わかったこと。 長男はそつはないけど、やや冷たい。想像力が貧困と言えるのかもしれない。予定していた外出だって、子どもを重視したものだったみたい。 奥さんは開業医の妻、将来おそらく医者にさせる子どもの母、そして嫁という自分の役割をしっかりこなしている。それだけ。 三男は明るい。次女は毅然としているが、鋭敏なところもある人。 誰も悪い人たちじゃない。良いところだって存分にある。危篤の母親の元には、ふつうの人なりに駆けつける。ケチな長女が心から悲しみ、号泣する。次女はその後ちゃっかり形見分けの品を予約した長女に、純粋に怒る。義姉(後述)との別れも惜しむ。 しかし、老夫婦が再会を心から喜べたのは結局ただ一人、亡き次男の妻だけ。ぜんぜん血のつながらない他人だ。アパートの一室(流しは共同だったかも)に住んで働いている彼女は、あくまでも義理の関係としてふるまいながら、いろいろ心を尽くして歓待する。夫婦も、べたべたしないながらも、心を通わせ、感謝する。 とはいえ、次男は何年も前に亡くなっており、場所は東京と尾道。今後会う機会はなさそう。映画の終わりになると、老夫婦の夫は、地元で余生を終えそうだ。 尾道の家での、老夫婦の夫と、彼女の最後のやりとりは圧巻だった。真っ正面から映った女優がやや身をよじって叫ぶ。「わたし、嘘つきなんです」 いまも心に残る。 それから、老俳優の笑顔。彼は笑顔だし、バックの海を行く船の汽笛だって、ふつうなら穏やかな風物詩かも知れないのに、悲しい。 ラストのインパクトが大きくなってしまったけど、この映画に描かれるバラバラな家族、心の通うことのない子ども達のあり方は、心が痛かった。ずっとつらくて、それを示す場面にかかると、はらはらした。 儒教で「忠孝」が説かれ、親を、老人を大切にする国、という前提など遠い。老夫婦は物事をよく見通せるし、性格もいい人たち。子どもたちは東京の開業医、東京の美容院の経営者、大阪の国鉄の社員、地元の教師。同郷の知人が羨ましがるように、かなり恵まれている。でも、幸福ではないのだ。 老夫婦はたらい回しにされ、居場所も訪れる場所もない悲しみ、心細さを語らない。しかし、お互いを気遣い、支え合っている。それが本作の序破急の「急」にかかるや、東京での哀歓と諦念を共有する人はいなくなる。 …登場人物の設定も描かれ方も、極端なデフォルメによる非現実的なものではない。老夫婦と未亡人以外の行動は、先が読めるところがある。そしてその通りになったりする。しかし、自然で説得力がある。無駄がない。 ただただ、身内をめぐる、思うようにはいかない人生のさびしさ。むしろ、人生の真実の姿は、このように寂しいものではないか、と感じさせられるのだ。 そして、この老夫婦のように黙って耐え、諦めていけるとは思えないのだ。 そのほか ・老人が知人たちとしゃべる居酒屋での場面は悲しい。長女の家に居場所がないのを感じ、知人を頼っていくものの、泊まっていくように勧められる展開にならないのも悲しい。 ・居酒屋(おでんやらしい)の会合後、警官に発見され、長女宅に一緒に帰宅してしまうところが面白い。美容院の椅子で寝てしまう二人。おもしろうて悲しくなる。 ・くりかえし定位置から映される、シンプルな木造家屋、畳の敷かれた室内、屋上(物干し台)の風景が美しい。しみじみとする。 ・女性はブラウスにスカート。髪型はロングでも、ショートカットでもなく、シャギーとかは入っていない。パーマがかかっている? 全体にとても慎ましやかで清楚。そういえば、老夫婦の妻はずっと着物だった。 ・電報(配達人が家に来て渡す小さな紙片)が活躍。電話は黒電話でもない。『となりのトトロ』で、少年の本家(?)の柱に掛かっていた、箱から受話器を取るもの。 ・尾道東京間の電車での行き来がとてもたいへん。 ・ネットで知ったこと:次男は戦死。最後のやり取りの場面は有名。 胸打つ心温まる話が、悲しい結末につづく。幸福は二度と還らないものになってしまった。せつないから美しくて、心に残るのかもしれない。 その幸福は、簡単には結ばれぬ人間のつながりだと思う。老夫婦の喜び悲しみを推し量れる女性と、彼女に依存はしない義父。二人が家族だったら、いいのに。でもそんなことにはならないのが現実。さきに長男にはないと書いたけど、ほかの人たちにも欠けている想像力。それを持った者のみが、すべてを語らずとも、お互いを思いやり、内面を知って、つかのま、心を通い合わせる。想像力礼賛の作品かもしれない。 撮影:厚田雄春 撮影助手:川又昂 巡査(諸角啓二郎)、三男(大坂志郎)、長女の夫(中村伸郎)、同郷の知人(十朱久雄。隣でコックリコックリしていた人らしい)、同郷の知人(東野英治郎。一緒に帰宅した人らしい)、長男の妻(三宅邦子)、長男の長男(村瀬禅)、長男の次男(毛利充宏)、おでんやの主人(桜むつ子)、熱海の旅館で朝、声高に片づけていた女中(田代芳子、秩父晴子)、長男(山村聡)、次女(香川京子) 長女(杉村春子。すばらしい) 老夫婦の妻(東山千栄子。自然だった) 次男の妻(原節子) 老夫婦の夫(笠智衆) 公開1953年 半世紀前ではないか。わたしは新しいものほど良いはずだと信じていたから、とても驚いた。すばらしい映画群の一つではなく、この映画が独自の世界として屹立している。 脚本 野田高梧 小津安二郎 以上、データは日本映画データベース Japanese Movie Databaseより 小津安二郎監督 『東京物語』 |