9月牛伏山を散歩。ネジバナに似ているけれど、黄色い花があった。ほかに黄色い小花が集まったものも気になった。前者はキンミズヒキ(金水引)、後者はオミナエシ(女郎花)らしい。黒っぽい木の実を拾った。絵のサクランボのようにふたつ付いている。表面は松ぼっくりのような感じ。ただし、アーモンドの入ったチョコくらいの大きさである。名前はわからない。 [追記]ヤシャブシらしい。 11/26加筆訂正、9/21追記
群馬県箕郷町から榛名に上っていくとき、車中から、すごい岩壁を発見。とてもかっこいい。ぞくぞくした。鷹の巣山というらしい。道路脇には登山者のものらしい車が何台か停まっていた。わたしもいつか登りたい。おなじく岩壁が強烈な荒船山も。二つ岳の雄岳へ。オンマ谷へ下っていくとき、シマヘビ(?)が死んでいた。ぶら下がったまま。 白い大きなアザミのつぼみに惹きつけられた。トゲがあり、白い綿に包まれている。中心には、とても深そうな黒い穴がある。オヤマボクチらしい。 オンマ谷(相馬があるので、御馬か?)は、草が少ない。ミズナラ(?)の大きな木のあいだに石が転がっている。日光がたくさん注いで明るく、気持ちがいい。美しいところだ。車を置いてきたのを後悔してきたけど、歩いてきてよかった。青い美しい花が咲いていた。それを伝えると、猛毒で有名なトリカブトだった。 雄岳は登りはじめたころ、勾配がきつくて、とうてい辿り着けないと思った。40分くらいで着いたらしい。塔がある。鳥居と「二嶽大神」というような石碑(祠があったかはおぼえていない)のちかくの岩でお弁当を食べた。塔のエアコンの音がうるさい。帰り際に「正しい」山頂を見つけた。それが途中で行き会った男性が教えてくれた、眺めはいいけど、端っこは危険な岩だったらしい。そこからの眺望は絶佳だった。榛名湖、榛名富士などに加えて、反対側に市街地、やや遠くに赤城山も見える。赤城山は低かった。山と街、両方の景色を堪能できて気に入った。その頂上は、よじ登らなければならない、ものすごい岩の上にあった。上に着いても、びくびくしながら、へっぴり腰で標識(「雄岳 1345M」とある)へ移動した。途中でまたいだ石灯籠はこわれていたし、つかまるとグラグラした。馬の背に乗るように岩にまたがって写真を撮ってもらった。
降りたところで、芝生の小公園に入って驚いた。しばらく林内を進んだら、とつぜん冷風が吹いてきたのだ。それが、風穴であった。登ったときに看板を見たけれど、上に書いてある「→」に気づかなかった。わたしは、看板(ほんとうは標識だった)のあたりが風穴であり、ぜんぜん大したことないなあと馬鹿にしていた。
沼の原のユウスゲの道を歩いた。夕方だったので、黄色いユウスゲが咲き始めていた。薄紫色の松虫草(マツムシソウ)もたくさん咲いている。荻原規子の『空色勾玉』を思い出した。ほかにも白いオトコエシの花など、いろいろな花が目を楽しませてくれた。わたしは前からここが好きだ。とくに、数年前の朝の気持ちよさが忘れられない。この野原はわたしの心のなかの風景、帰る故郷のような大事な存在になっている。
榛名湖畔の砂浜に降りた。波打ち際の水中は透明できれいだった。平らで広い水面を見るのも、とても気もちがよかった。平安時代の貴族の女性も、琵琶湖に対して、こんな気持ちになったのだろうか。また、数年前、野尻湖で小さな崖を降りて、誰もいないし、誰からも気づかれないような小さな岸に立ったことも思い出した。湖面に夕日のオレンジ色の道が通っていた。小石の岸辺をジャブジャブ波が洗っていた。そのうち、「自分がもしロビンソン・クルーソーのように有能でも、無人島って寂しいんだろうなあ」と思った。 夜は虫の音がたくさん。窓をずっと開けていられないくらい、涼しくなった。 9/21加筆訂正
あぜ道へ。紫色のアザミ、ピンク色のキツネノマゴ、濃いピンク色のアカママ、朱色のマルバルコウソウ、青いツユクサ、白い菊みたいな花などが咲いていた。花盛りだ。しばらく前、この魅力的な小道が突然、灰色のジャリに覆われた。植物は埋まってしまった。あたりは乾いた感じになって、わたしはこの変貌をとても悲しんでいた。ところが、今はもう以前と同じ風景だ。軽トラやトラクターの2本のわだちを除いては、草がいっぱいだ。 もとに戻らないものもある。やや大きめな銀杏の木があった。秋になると、銀杏独特のかたちをした葉は真っ黄色に染まり、ある朝、地上は絨毯に変わっている。朝の日射しにその黄色が黄金めいて映ることもあった。しかし、土地の交渉の過程で、あっけなく切り倒されていた。ちょっと大きな切り株だった。その土地をめぐってはごたごたが起こり、関係者はそのことばかり憤慨している。銀杏のことなど、言わない。 この日は、近くの山で木材を伐ったり、運ぶ音が響いていた。田舎というと、静寂な場所、というイメージがあるかもしれない。たしかに通る車は少ない。しかし、うるさい音に悩まされる時はけっこう多い。しかも、それは休日であったりする。伐採、草刈り、稲刈り。機械の音はたいへんな大きさと響きである。 11/26加筆訂正
夜、『空の名前』を久しぶりに開いた(高橋健司 写真・文、光琳社出版、1992年)。雲や、四季おりおり、一日のわずかな時間の美しい日本の風景の写真と、それらを事典のように客観的に説明したキャプションがついている。歳時記のようかも。しばしば詩歌も引用されている。いくらか話題になった本だった記憶がある。女子高生が読んだりしていた。この日は、こういう自然の美しい写真をもっと味わいたくなったのか。むしろ、物足りなかった気がするのだが、机のしたの小さい本棚から1冊取り出した。この本棚は、ぜったいに忘れない本を置いているところだ。本は『ニルス=ウド 自然へ』(『Nils−Udo――Towards Nature』。編集:群馬県立館林美術館、北海道立帯広美術館、岩手県立美術館、共同通信社。発行:共同通信社、2002年3月)。展覧会のカタログである。 残念なことに、展示されていた写真とは感じがちょっと違っているものもある。それに、こういうカタログは、何も知らずに入って驚き、魅了されたときと同じ気持にはならないものだ。美術館でも自然でも、「歩いていて」新鮮なものに出会ったことが、そのときの感動に深く関わる。これが読書との相違点かもしれない。 ともあれ、これもやはり久しぶりにめくった『ニルス=ウド 自然へ』はよかった。単に思い出の確認には終らなかった。ニルス=ウドは、自然をそのまま写真に収めていない。手を加えている。花をたくさん摘んだり、葉を糸でつないだり、実をたくさん集めたり。わたしは、ありのままの自然が好きだと思っていた。サークルで華道をごく短い間、習った。もちろん、才能がなかったせいだろうし、すこしは期間のせいもあったかもしれないが、わたしはイヤになった。見映えのために、多くのものを鉄製のはさみ(鋏)で切除することが。(ただし、先生がおこうなうと、突然うつくしい姿に変貌し、わたしはその美をめでていたけれど)。ところが、若木が密集して円形に植えられていたりするこのカタログ・展覧会は、文句なしに大好きなのだ。 色も、形も、質感も、つまりとても「美しいから」だけではない。展覧会で釘付けになった言葉があった。 「私が自然に逆らわないように制作活動を行ない、自然への干渉をできるだけ控えようとしても、そこにはつねに根本的な矛盾が残るでしょう。私の創作活動の全体は、こうした矛盾に基づいています。またそれは、人間存在の根本的な宿命を免れてはいません。私の創作活動はそれが依拠し、指標としているものを傷つけます。無垢な自然をそこなうのです。」(松下ゆう子 訳)
いちばん好きな作品は、竿の先に黄葉した葉がつながって、のぼり(幟)のようになって、それが風にそよいでいる。バックは、丈の低い草の生えている荒涼とした山岳地帯の「山の風」(カラマツの棒、楓の葉/オーストリア、ザルツブルク州、ラウリス。「Mountain Wind」1980年)。わたしは日本の山里に、もっと色彩の鮮やかな、こんな幟が立っている写真を雑誌で見たことある気がする。それは神様に対するものだった。だからか、「山の風」には山への尊敬・崇敬を感じる。 9/21up
午前中、柿の木のまわりをやや大きめの蝶が飛び回っていた。黒い羽に、うす黄色のタテ帯。後ろ羽は灰色がかった黒に見えた。心が弾んだ。初めて見る蝶だ。関東の標高491メートルの牛伏山の頂上で、シロオビアゲハ(白帯揚羽蝶。たぶん)を目にしたときのように。しかし後日、図鑑をひらいても、そんな蝶はいなかった。クロアゲハ(黒揚羽蝶)のオスだったのだろうか。(自然とはまったく関係ない話だが、このあと、図書館へ行くと、駐車場の入り口が渋滞していた。館の横にいるのに入れたのは約30分後… こんなこと初めてだった。近くで開かれていた、大臣も来た政治の集会参加者が駐車したに決まっている、と思って腹が立った。前回は警備員さんだっていたのに、いなかった) 11/26加筆訂正
群馬県の草津白根山へ。県道沿いの榛名町の丘上(里見?)の農園で梨を買う。榛名山のふもとを通って須賀尾線を行った。せまい川(烏川)をはさんで稲田のある緑濃い美しい山里をいくつか見た。岩山(丸岩)の下を通って国道に合流。酒造観光センターはバスも停まって、たいへんな人混み。お酒を買う。種類はあまりなかった。あとで飲んだら、長野県佐久市の「一年囲い辛口芙蓉」(720ml・900円)のほうが美味しかった。長野原町からたいへんな渋滞となる。工事のせいもあったらしい。やっとそこを抜け、天狗山を過ぎたら、また渋滞。のろのろと白根山の急な道をゆくと、わたしの好きな風景が現われてきた。緑野(クマザサ)と崩れかかっている岩々。赤いコケモモや、青いリンドウ(竜胆)の花、黄色い花、オレンジ色っぽいナナカマドの実も見えた。ゆで卵くさい硫化水素の出ている岩場を過ぎ、高所のカーブを曲がると、さらに魅力的な風景が現われた。真っ白で、ぴかぴかしている斜面。月面みたいだ。地上とはまったく別世界。初めて見たときは、息を呑んだ。火口湖(湯釜)の外側である。 有料駐車場に入るときも渋滞。木陰でごはん。日射しは暑いけれど、風は寒かったから。ヘリコプターが何回か、湯釜の上空へ来た。行列に加わって登ると、湯釜の“水”は、白っぽいエメラルドグリーンだった。昔に比べ、水は減ったそうだ。湯釜というから、お湯なのかもしれない。わたしはそう思えなくて水と言ってしまう。また、ずいぶん前は1周できたらしい。夕方に立ち寄って一周した福島県の吾妻小富士を思い出した。だれもいなかった。その後、真っ白な霧に包まれた山道を車で降りたのだ。 湯釜では、わたしはやはり湖のまわりの崖、とくにその高さと稜線がよかった。以前、崖と接している“水面”に惹かれると言った友人がいた。まわりには頂上にたどり着くや、「きれいやね」「すっごーい」「感動」などを連発する人たちもいた。同じ言葉をくりかえすのが不思議。わたしには今回、釜が赤や白、ピンク、オレンジ、いろいろな色が混じって、志野焼みたいな陶器に見えた。湖は、深皿の底に残ったスープだ。そして、意味はちがうのだろうけど、小説の一節を思い出した。「自然とは深いうつわのようだ」(村田喜代子『鍋の中』1987年発行) 崖の上のほうに、目みたいな部分があった。凝視する片目。立ち入り禁止の網の先にある小山もよかった。白っぽい砂山。青空が近そうなのも気持ちよかった。空にはたくさんの軽快そうな薄雲があった。それぞれが舞っている鳳凰のようだった。ところで、道路を挟んだ湯釜の向かいは、鏡のような水をたたえた池(弓池)と湿原、緑濃い野(じつはクマザサの原)と山(逢峰)。うるおいに満ちている。ごく近いのに対照的だ。ここはいろいろと不思議な場所だ。
元白根山へ。気持のよい道路を歩いて(シャトルバスしか通れなくなっていた)、ロープウェイの駅を目指し、リフトの駅で草の斜面をのぼった。そのうち、木の階段のつづく山道になった。わたしは元白根山を知らないから、目の前に現われるものだけを見ていた。道路脇の草陰に、赤い光沢がすばらしくて、ビー玉みたいな実があった。タケシマランらしい。クマザサの中から、枯れ木が何本も直立していた。樹皮のはがれた木肌はつるつるして灰色だ。丸木柱のようだ。ある程度まで成長すると、(気候だか硫黄によって)枯れるのだ、と言った人がいた。若くて死ぬ。ほんとうなら、とても残酷なところだ。
ロープウェイの駅近くからの道路脇には、ウスユキソウ、イタドリの花、白い花、黄色いアキノキリンソウがあった。草も木々も、青空をバックにとても輝いて見えた。茶色いサングラスを通して見える、異様にクリアな風景みたいだった。空気がきれいなためらしい。 9/24加筆訂正
朝8時半ごろ、小学校の運動会の練習を見る。先週に引きつづき2度目。開会式か閉会式の練習らしい。全生徒が整列している。低学年には足で地面に描いたり、ふらふらしている子がいる。そのたびに教師がやってきて怒る。秋の朝とはいえ、太陽が照りつけるとても暑い日。須賀敦子さんによると、『神曲』に描かれている地獄じゃない世界は、夜明けの青い空に星がまたたいているという。すがすがしい世界だという。 「旅人とダンテは、地獄の汚濁から浄罪界から出て、初めて星のきらめく明け方の空を仰ぐ。
東国のサファイアの得もいわれぬ色が
愛をつかさどる美しいあの星に 運動会の練習を見て、晴朗な朝にも地獄はあるのだと思った。 10/29加筆訂正
牛伏山を散歩。黄色い花が咲いている。ぽやぽやした白いショウマも。キバナアキギリとイヌショウマらしい。白に赤紫の斑点のホトトギス、ツリフネソウ。あと、葉はフキ(蕗)のようで、花は白いマーガレットみたいな花。頭上では、カラスの鳴き声、羽ばたく音。登ると、それらがすぐ近くから聞こえてきた。羽の音は、扇風機みたいな大きな音。カラスはたくさんいた。ちょっと気味悪くなった。 日が沈んだようで、どんどん暗くなった。足下から、ちょっと離れたところへ何かが飛び跳ねる音がたくさんした。最初は、自分が蹴った小石だと思いこんでいた。しかし、土と葉っぱの道(遊歩道)だ。しばらくして、虫らしいと思った。でも、こんなにたくさん跳ねていくものは、小学校の帰り、沼のほとりでみた黒い小さな蛙の大群以来だ。なんだろうか。気持ち悪くもあった。しかし、車道で近くにいるのを見たら、コオロギらしかった。なーんだ。 気がつくと、セミの声はほとんどしなかった。かわって虫の声がすごい。一個所、虫の音だけに満ちているような場所があった。 鉱泉宿の庭に猫がいた。逃げるかと思ったら、犬に向かってきた。犬はダーッと逃げていった。そんな事ってある? 前の犬は追いかけて、猫が木に登るや、自分もできると信じて何回か飛びついていたのに。しかし、いま追われた犬は猫が去った後もびくびく。 11/26加筆訂正
長野県へ。関東山地とは山の形が違う。丸みがあって、ぼこぼこしている感じ。佐久市のあたりは浅間山なので斜面である。北野美術館や小布施の岩松院、須坂クラシック美術館、街並などの感想は「眼玉と歩いた」に書きたい。(ようやく載せました) 11/11加筆訂正
長野県佐久市立近代美術館へ。(感想を「眼玉と歩いた」に書きました)前の道の黄葉がすばらしかった。カツラ(桂)らしい。同じの敷地の図書館前には、宮沢賢治ゆかりのギンドロノキがあった。布のような厚みがある葉っぱだ。 その後、麦草峠の予定を変更して野辺山へ。美し森に登る。あたりの植物はなんとなく黄ばんでいて、秋っぽい。 羽衣池まで行ってみた。急な階段を上って着いたのは、小さな湿原。同行者は気に入った。 この数日後、源氏物語「紅葉賀」を読みたくなった。が、久しぶりに「末摘花」を拾い読みしたらおもしろくて、それで終ってしまった。もちろん現代語訳(円地文子訳) 11/11加筆訂正
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