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山月記 2004
牛伏山は群馬県にある山です(標高491m)
2004/7/6加筆修正

5月

 黄金週間。牛伏山遊歩道を散歩。沢沿いのウワミズザクラ(桜だけど、白い花房として咲く )はもう終わって、花の名残すらなかった。あたりは真緑色。
 そこにドクダミ、ミツバウツギ、コゴメウツギ、クマノミズキなどの白い花。木の橋のあたりも、去年とおなじ“白い谷”になっていた。
 ほかには、紫色のケマンソウ(鯛釣草ではない方)。
 燃えているろうそくみたいな独特な形をして、黒い縦筋が入っている浦島草(テンナンショウ)。“まむしぐさ”とつい呼んでしまう。
 紫色のカキドオシ(垣通)の花。この花では、この俳句が好きだ。
    おくのほそみちここにはじまる垣通し (西本一都)

 いろいろな所で、いろいろな鳥の声を聞いた。どのさえずりも、澄んでいた。
 こんなふうに花、鳥、そして風。風薫る五月、というけれど、風が主役みたいな山だったのだ。しょっちゅう、緑の梢が大きく揺れていた。わたしはまた風になりたくなった。

  かぜとなりたや はつなつのかぜとなりたや

なんと、いい言葉だろう。ただ、こう続くのだ。「かのひとのまへにはだかり かのひとのうしろよりふく はつなつのはつなつの かぜとなりたや」 わたしの思うところとは、なんか違う。
 むしろ、
今、私は風なんだって想像しているの。あの木立の天辺にふわりと上っているのよ。木に飽きたら、羊歯の上に舞い降りて葉っぱを揺らして、それからリンドのおばさんのお庭へ飛んでいって、(略) それからクローヴァーの野原まで、ひゅうとひとっ飛びに飛んでいくのよ。そして《輝く湖水》へ吹いていって、水面にさざなみをたてて、きらきらと光らせるんだわ。(略)だからマリラ、私しばらく、おしゃべりできないの。
松本侑子・訳(集英社文庫)
 川上澄生よりも、アン(赤毛のアン)の言葉のほうが好きだ。そんなわたしはコドモなのかもしれない。

 家に帰ると、巨大な青いシートが強風のため、浮いていた。トラクターに掛けるのを手伝った。
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 翌日。鉄塔をつなぐ山の小道(東京電力西毛線)と、牛伏山遊歩道を散歩。
 山林に、ホウチャクソウ(宝鐸草。狐の提灯)をみた。白い筒状の花がふたつ並んで咲く花だ。
 とちゅう、帽子が無くなっていることに気づく。ここまで来たのに、と悔しかった。でも、新しい高い帽子なのだ。目を皿のようにして、胸をドキドキさせながら引き返した。見つかった。
 崖の端で樹林をのぞむと、美しかった。日光がよく当たって、まるで、緑色のガラスの中にいるようだった。

 テレビで放映された『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』。やはり、空中から映された岩や岩山、荒れ地の風景がすばらしい。
 見ていたら、座敷へネズミが駆けこんできた。そして引き戸と家具のあいだに入り、右往左往。むかし、祖母の飼っていた猫は、ぐるぐる回って捕まえたものだ。しかし、わたしに体をくっつけて呑気に寝そべっていた犬は、ぜんぜん気づかなかった。
 ネズミは見ているだけなら、毛はなめらか、黒い目はつぶらで可愛い生き物だ。
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 にせアカシアの花が、今年も満開になった。
里山にはそればかり密集している林があって、そこは真っ白だ。林全体が盛り上がって、丸みがかって見える。
 花の重みでか、一枝が道に垂れさがっていた。
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 葉を広げ、花を咲かせ、目まぐるしく成長していく自然。日々、時々刻々新しくなっていく自然。
その傍らにありながら、わたしの体は、古びていくだけだ。こんな歌を思い出した。

   花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせしまに

有名な和歌だ(百人一首9番)。作者は小野小町。でも、こんなときに思い出したのは、初めてだった。かつて、どこそこが掛詞で、二重の意味があるとかは、頭に詰めこんだ気がする。しかし、この歌の言っていることが、すーっと心の中に落ちてきたのも初めてだった。
 そして納得した。小町が「うつりにけりな」と詠んだのは、季節が春だったからだろうと。ものみな、どんどん変わり行く春に身を置いていたから、普遍的な心理をすくいあげた歌を詠めたのだろう。
 それとおなじで、在原業平が

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして
   (伊勢物語第4段、古今和歌集「恋歌五」巻頭、747)

と詠んだのも、春だったからにちがいない。冬が終わり、世界が様を変え、美しく変貌していく中で、自分だけは時間が止まり、過去のなかに置かれているのだ。
 わたしも、春は単純に喜べる幸せな季節ではなくなってきた。さっき「在原業平が」と個人名を記したけれど、この歌の作者は、伊勢物語の断章のはじまり(ただし、上の4段にはないが)特有の、「男」のみでもいいかもしれない。

 夜、外ではカエルと虫がさかんに鳴いていた。3月にあった啓蟄の“その後”だ、行き着く所までとうとう来た、細々と穴から出た虫の世界が拡大されて、ここまでになった、と感じた。
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 一目見て気になった、木々に囲まれた小さな丘。
ひまが出来たので訪れたら、木も丘も真緑に覆われていた。
 阿弥陀三尊の板碑(梵字が彫られていたりする。中世から作られるようになったらしい)や、円形の日や三日月型の窓がくりぬかれた石塔などがばらばらとあった。木は桜だったが、中央に高い杉(?)が立っていた。上のほうは折れて、葉がない。御神木ぽい。
 いま心に残っているのは、隅にあった石仏。ひざに肘(ひじ)を置き、傾けた顔を支えていた。如意輪観音?  陽光のよく射す日で、草の緑色が透けていた。風がとても強かったが、見ているだけなら、揺れる草は美しい。観音様は、美しい草地で憩っているようだった。



 ニンジンの花は花期が長いようだ。
前月に書いたこととは様変わりして、とても大きくなった。大輪の花火のようだ。白いレースで編まれているようでもある。
 結論、ニンジンは葉といい、花といい、その変化の与えてくれる歓びといい、最高の鑑賞植物である!
 (ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』にでてくる教訓好きの公爵夫人みたい?)

 追記  花は5月の末くらいに終わった。
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 不透明な磨りガラスの窓は、うすい緑色。
 ドアに嵌めこまれ、四角いふつうのガラスは鮮明な緑色。緑の正体は、日の光を浴びて、きらめいている木々だ。風がよく吹いて、そのたびに葉っぱが大きく揺れた。
 反対がわの窓からは前月(こちら)に書いた、大きな球体(梢)をのせた背の高い木が見える。この日も風によく揺られ、そのたびに枝が大きくしない、白い葉裏を覗かせていた。
 そのどれを見ても、木々の枝先を、下の方から球の頂点へと駆け上がりたくなった。キラキラと光り、風に揺れている葉っぱを階段にして、どんどんどんどん駆け上がりたい。そして、(笠間日動美術館でも夢想したように)、てっぺんに座り、風に合わせてゆらゆらと揺れていたい。

 以前、天国のことばかり想像していた時があった。天国とはわたしにとって、審判・閻魔様の判決に関係なく行けるあの世のことだ。
 わたしが思い描いたそこは、みどりの草地。あたりは木々がまばらに生えて、ちらちらする木漏れ日もあれば、日陰もある。ぜんたいは明るい。
 わたしはそこに寝ころんで、顔のすぐ前でしなっている草を眺める。小さな美しい虫が、葉の先へ向けて動いているのだ。
 そういう涼しくほの暗い木立を出て、まわりに広がる、明るい明るい野原にも歩いて行く。端は、斜面になっている。いろいろな花が咲いている。空中には蝶が飛び交っている。  わたしはそういう天国で、自然を味わい、心ゆくまで楽しむ。
 ・・・・・・死後にいくのが、そういう場所だとしか考えられない時だった。死にたかったのではない。ただ、この世・現実よりも、あの世のほうが魅力的な場所に映っていた。
 あるとき気づいた。
 「でも、気持ちのいい自然のなかで、虫を飽かず眺めること。それは楽しみにして、待ち焦がれて、やっとあの世へ持っていく夢ではなく、この世で実現すればいいのではないか?」
これは、わたしにとっては発見であった。とてもうれしかった。

 しかし、あのとき思ったことを今、この世で実現できるとは思えない。それどころか、この世では、全てが実現しない。そうとしか思えない。
 日の光浴び、きらきらと光り、しょっちゅう風に揺れている。そんな木々の梢を駆け上ることなんかできないのと同じだ。
 わたしはここにいて、うつろな心で美しいものを見ていることしかできない。
 まるで、この世は牢獄だ。わたしは閉じこめられていて、疲れ切って、檻の格子から、外のすばらしいものに強く憧れている……
 今まで、すばらしいものへの憧れや夢想は、わたしをすばらしい世界と結びつけてくれる大切な媒介だった。思うことによって、あるいは、心の中に現れる映像によって、すばらしいものと接触できる。
 夢想・思うことがなければ、わたしは、本当の意味では生きていけない。思いによって生かされている。生きていく中での唯一の歓び、小さな泉に湧く美味しい水だ。
 ・・・それはまったくのウソだった。
 憧れが強ければ強いほど、夢想すればするほど、わたしはひどく痛めつけられるではないか。苦しくなるではないか。夢想は刑罰となって、降りかかってくるようだ。
 いま、わたしの心に強い響きとともに浮かんでくるのは、
 あの世、あの世、あの世。
 わたしはキャサリン・アーンショウ(『嵐が丘』)に近づいてしまったのか。『にごりえ』のお力に近づいてしまったのか。キャシーは喜んで死を願ったし、お力は、幸せになりかけたようなのに、自ら死に行ってしまったように思えるが……
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 「わたしの犬が死んだとき」とか「『指輪物語』のゴクリ(スメアゴル、ゴラム)の最後の叫び「いとしいしとぉ!」の多義性」とか。
そこに井原西鶴の『好色五人女』巻五の「露」の一節や、高村光太郎の詩句「人間商売さらりとやめた智恵子」、かすみ食う仙人と食卓の死んだカニの話なんかを織りこもう、とわくわくしていた。
 でも、いちばんいちばん文章にしたくて、頭の中でくりかえしていたのは、先に書いたこと。輝かしい、色彩に満ちた世界への憧れが刑罰のように、わたしを痛めつける。この世界に閉じこめられ、痛い痛い気持ちで、美しい世界を垣間見ていること…
 そのときに思い浮かんだ『嵐が丘』のところを寝るまえに再読したら、キャサリンの言葉がかなりぴったりで驚いた。

   「なんといっても、何よりもあたしのいちばんいやなものは、このがたがたにこわれた牢獄なの、この肉体の牢獄に閉じこめられてることに、あたしはもうあきあきしたわ。あの輝かしい世界へ、早く逃げて行きたい、そしていつまでもそこに住みたい−−涙にくもったおぼろな形でそれを見るのでなく、痛む心の壁を通じて憧れるだけでなく、ほんとうに行って、そこに住みたい。ネリーや、おまえは、あたしより丈夫でしあわせだと思ってるわね、健康で、力にみちみちた自分と引き比べて、あたしを気の毒だと思ってるわね−−もうじきそれが反対になるわよ。あたしのほうが、おまえを気の毒だと思うようになるのよ」 田中西二郎訳(新潮文庫)

 原文を本棚から引っぱり出して探したら、エミリー・ブロンテの選んだ言葉は、もっとぴったりなのだった。

the thing that irks me most is this shattered prison, after all. I'm tired ,tired of being enclosed here. I'm wearying to escape into that glorious world, and to be always there ; not seeing it dimly through tears, and yearning for it through the walls of an aching heart, but really with it and in it. Nelly, you think you are better and more fortunate than I, in full health and strength. You are sorry for me. Very soon that will be altered. I shall be sorry for you.

とくに「tired」。「飽きた」。 確かにわたしはもう、この世のすべてがわかったような気になり、この世のすべてに飽き飽きしている…
 それを、この言葉によって知らされた。
 わたしが思っていたことは、
 つまらぬ、くだらぬ、この世(一葉『にごりえ』)、このがたがたの牢獄、受刑の場所から抜け出して、あの輝かしい世界に、はやく行きたい。憧れて、涙にぼやけておぼろに見るのではなく、直(じか)にふれたい。行って、ずっとそこにいたい、
ということだったのだから、ほとんど同じではないだろうか……

 健康診断の結果をみた瞬間から、心は「2a」(要観察)のことでいっぱいになった。とくに××。××。最低基準より、○○も少ない。○○も少ない。言葉が頭の中でくりかえしめぐった。
 「正常範囲外」という言葉の恐ろしさ。
 そのうち、お腹が気持ち悪くなって、その程度はどん底になった。頭にあるのは、結果のことばかり。
 しばらくして、気づいた。わたしの願い、「あの世へ行きたい!」って何? 
 そんなこと、思い浮かばなかったではないか。「これで死ねる!」と喜ばなかった。わたしが陥ったのは、その正反対だった。死の恐怖にふるえていただけ。 
 「人間てほんとに馬鹿ですね!」パック
  (松岡和子訳、シェイクスピア『夏の夜の夢』)

 樋口一葉の『にごりえ』はこんな感じ。
どうしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうっとして物思ひのない処へ行かれるであろう、つまらぬ、くだらぬ、おもしろくない、情ない悲しい心細い中に、いつまで私は止められて居るのかしら、これが一生か、一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だ。
 お力は日本のキャサリンだと思う。『嵐が丘』と『にごりえ』は等価だ。でも、『嵐が丘』には綻び、というか、たるんだ所があるけれど、『にごりえ』はほとんど瑕疵のない佳作だ、と思っている。
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 しっぽをふって、走りまわる犬たちを見ていた。
そしたら、なぜ歌川(安藤)広重が、厳かな大名行列の到来のために道の端で平伏している人間たちのそばに、じゃれ合う子犬を描いたのかが、わかった気がした。(『続・東海道五十三次』というような浮世絵に、そんな1枚があった)
 天真爛漫、自由、そのものなのだ。
 もし、それを全開した人間を配したなら、その作品は批判性を帯び、作為になってしまうだろう。実際にいたとしても、そんな状況で、自由にふるまう人間はわざとらしくて嫌だ。
 でも、犬は自然だ。
 老子であっても、広重の絵の犬のようなことをしたら、作為になってしまう。彼の思想の体現になってしまう。そして、それを読みとり、価値づける人間が出るのではないか。(こんなことを思ったけれど、老子の思想なんて知らない)
 でも犬なら、自由に遊ぶ姿は自然だ。

 仔牛も見た。牛はやはり、黒くふくらんだ目に惹かれる。これも無垢そのものだ。
 牛を見ていたら、なぜ、西洋(ヨーロッパ)のキリスト降誕(イエスの誕生)・「マギの礼拝」(三王・賢者礼拝)の絵画に、馬や牛が描かれているのかが、わかった気がした。
 単に家畜のいる小屋で生まれたからではない。動物の姿にこそ、どんな権威にも、環境にもとらわれない純粋さがあるからではないか。そして、人間よりも動物に囲まれている方がずっと、幸福な空間にいることになるからではないだろうか。
 そういう絵で良かったのは、フィレンツェのウフィッツィ美術館の、最初のほう(窓際の角だったかも)にかかっていた絵だ。上には馬小屋と聖母子(もちろんヨゼフもいたのだろうが)、下にはロバに乗ってエジプトに逃れる家族などの小絵。
 やさしい目をした茶色い牛もいたけど、どちらにも、青っぽいロバがいた。きっと、同じロバで、可愛がられたのだ。
 けっこうな大きな絵で、いろいろ描かれていたのだけど、このロバがいちばん魅力的だった。
 ウフィツィ美術館には2回入った。最初はツアーで、つぎは自分で。そのときに、この絵に気づいた。ロバが可愛くてずいぶん眺めていた。いま調べると、ジェンテーレ・ダ・ファブリアーノの『マギの礼拝』かもしれない。

 夕方、裏山で蝉が鳴くのを聞いた。
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6月

 ラジオから、「指輪は輪だから永遠を意味している」というようなCMの言葉が聞こえてきて、心にとまった。
 以前わたしも、そんなふうに考えたことがあるからだ。それは、あまり忙しくなく、思い立てば、里山・丘陵の細い道を散歩できたころ。今ふりかえれば、ぞんぶんに自由だったころに。
 道を歩いて自然を見ていたら、草木、とくに草の寿命がたいへん短いことを感じた。一年で枯れてしまうものも多い。
 しかし、死に絶えても、春にはかならず芽吹く。木も、冬になれば葉は落ちるけれど、また花が咲き、緑の葉は茂る。近づく太陽とともに、前とおなじ姿を取りもどすのだ。
 それが繰り返し繰り返しおこなわれる。
 死に代わり、生き代わりして、らせんのように時間(とき)を進んでいく。永遠に生きていく、ともいえるのではないか。

 年年歳歳花相似たり
 歳歳年年人同じからず

という詩句がある(『代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代わる)』 劉希夷[字は廷子、あるいは庭芝])。
 人間は四季を通して生き続けられるけれど、変わり続けていく。…老いていく方へ。
 山道で自然を見ていて、植物は輪を描いてほとんど永遠に生きていく。対して、人間の生は真っ直ぐで短い、と思うようになった。
 「人間は生まれた時から、一直線に死に向かっている」という言葉も読んだことがある。

 また、葉っぱと落ち葉。動き回っている虫と、転がっている死体。
 自然は生と死とがいつも手をつないでいる、とも思うようになった。なにかの生は、別のなにかの死とともにある。逆に、なにかの死のかたわらでは、別のなにかの生が輝いている・・・
 それをどう表したらいいのか?
 ある夏、そういうこととは全く関係ない話を聞いていたとき、「指輪だ」とひらめいた。金のひもと、銀のひもとがねじり合わされて出来ている指輪である。
 金は生。銀は死。
 いつからか、わたしは金と銀の色についてそう思っているのだ。同時に、金は太陽の、とくに夕方のとろりとした光の色。銀は、山や野を照らす月夜の色の意味でもある。
 自然は生と死をいつも有しながら、循環している。
 しかし最近は、自然が金と銀から成る指輪であることを忘れていた。自然と接するのも、夜に田んぼのカエルの声を、なにとはなしに聞いている時くらいだ。

 「年年歳歳」について確認したら、作者は651年生、678年(?)死、とある。老人の心を歌っているけれど、20代で亡くなった人かもしれないのだ。
 それに合わせて、「二十にして心已(すで)に朽ちたり」という李賀を思い出した。(『贈陳商(陳商に贈る)』
 先の有名な詩句の前にはこんなフレーズがある。「長安に男児有り」。初めて知った時は、クラッとなってしまった。)



 曇りの日。トラクターの音が響いていた。
水を張った田の「しろかき」(田植えのまえに田んぼを耕すこと?)をしているのだ。
 夕方、隣接する山林で、雉(キジ、おそらく雄)の鳴き声がくりかえしくりかえし響いた。キジの鳴き声を言葉で表すことは難しい。それでも言わせてもらうと、わたしの印象では、カ行の音である。
 以前、川のそばのやぶに住んでいたキジは、地震が起きるたび鳴いた。揺れると、「ケーン」というふうに鳴いた。生き物は天災を察知するというけれど、あのキジはいつも驚いていた。
 毎朝鳴くキジもいた。

 翌日は、とてもよく晴れた。青い空と、緑の山が鮮やかで美しかった。

 そのつぎの日も快晴。山の緑が美しいのは、5月だけだと思っていた。6月の山も、眼を射るような輝きを放っているではないか。

 「しろかき」は数十年前、牛に引かせておこなったという。男の子が牛の鼻を引き、牛の後ろにつけられた器具を、その父親が押した。二人の人間と、一頭の牛が必要だったのだ。
 牛は従順だったという。でも、中にはイヤになって、人間の昼食時に逃げ出すものもいたという。お昼の時、わざわざつないだりしなかったのだ。
 イヤになって脱走する牛は、ずいぶん速かったらしい。でも、結局はつかまってしまったそうだ。この時代、牛に生まれたら大変そう。


 車のワイパーに、白っぽくて太いひものような物がくっついていた。
枯れかけている。栗の花だ。
 栗の花房は短いけれど、ラーメンに似ている、と思っている。房はちょっとカーブして、それが地面に重なって落ちているからだろうか。



 白っぽい町の、ぎっしり詰まった建物のあいだを通るコンクリートの道。
片道が2車線の道路が、センターラインすらなく、しょっちゅう、ゆるやかにカーブした狭い道に変わる。同時に、あたりは緑色に変わっていく。
 田んぼ、畑、山。田舎は、下も横も緑色だ。
 山腹には、白く盛り上がった林。栗の林。そこは甘い匂いが漂っていることだろう。



 道を歩くと、水の音があちこちで聞こえた。
乾いて白っぽい土のトンネルから、ごうごうとほとばしり、田に注いでいるのだ。トンネルは舗装道路の下を横断して掘られたもので、その口は丸みがある。
 今年も田んぼに水が張られ、山に挟まれた地域が水に満ちた世界になる季節が来た。
   車道の真ん中にツバメが横たわっていた。その近くにはツバメが1わ降り立ち、2わくらいのツバメが低く滑空していた。わたしはちょっと行きすぎて、迷い、戻った。ツバメたちは離れた。
 しゃがんで、さわると、やはり死んでいた。素手で持って、道の端の空き地に運んだ。死因はわからない。曇りの日なのに、ツバメの体はとても熱かった。運んでよかった、せめて冷たい土の上に、と思った。
 そして仲間のツバメが早く、かれが死んだことを悟ってくれればいい、と願った。
 車が通りすぎった。空き地からふり向いたら、わたしが車道に置き忘れた草の葉が踏まれ、ひるがえっていた。
   9才ぐらいの時、学校から帰ってきたら、縁側に鳥かごの架かっているのが見えた。生き物を飼いたくってたまらなかったから、大喜びで家に入った。かごの中にいたのは、セキレイの雛。セキレイは川でよく見る白い小鳥だ。祖母が近所の家にいたら、屋根に巣があったらしく、落ちてきた。巣は探したけれど、わからなかったと言う。
   わたしは喜んだ。ところがしばらくすると、驚いたことに母鳥が飛んできた。スズメが(たぶん)落ちた雛をくわえていったのは見たことがあるが、ここは近所の家からは離れている。どのように探したのであろうか。
 しかしそれ以上に胸が痛かったのは、母鳥がまわりを飛び回る光景であった。出したところで、雛をくわえて運んでいけるとは思えない。どうにもならないのであった。
   母鳥は去った。わたしたちは夜、座敷に雛を出してみた。よちよち歩き、もこもこした姿が可愛かった。わたしたちは歓声を上げた。翌日、帰宅すると、死んでいた。祖母はクモを数匹とってやった、と言った。わたしは、母鳥はもっとたくさんエサをとるのだ、と単純に思った。
   これは胸の痛い思い出だった。わたしたちは夜、喜びながら、なんと残酷なことをしたのだろうと。しかし後年、もしかしたら、巣を探すことは出来たのではないか、大人たちは熱心にそれをやらず、孫を喜ばせたい祖母がもらってきたのではないか、という疑念が起こった。
 答えはわからない。
   この日、近くにいたツバメを見て、「人間の愛情も、きっと鳥と同じなのだ。同じ、湧き上がってくる感情に身をゆだねているのだろう」と思った。
   後で、まだツバメに雛は生まれていない、と言われた。親子ではなく、仲間だったのか。

 牛伏山に着く。
   草むらは緑色の宇宙。点在するドクダミの花は白い星のよう。ヘビイチゴはふしぎな赤い球体だ。
   「あじさいまつり」の旗あり。青空のようなアジサイを横目に遊歩道へ。セミの声はしない。鳥の声、ジージーという虫の音が響いた。
   白い優美な指をのばして、ショウマが咲き始めていた。オカトラノオの白い指も現れていた。
   夕風が気持ちいい。汗が引いた。
   あたりを見回すと、山は緑に覆われている。木に葉がなく、すかすかとして明るい、白っぽい冬とはまったく変わった。つる草は這い回り、草木はやたら突き出て、地の草は上へ上へ伸びようとしている。

   変わった形の白い花が一輪咲いていた。ガクアジサイだろうか? (ヤマアジサイらしい。)
 道のちょっと先を見て、ぎょっとした。大きめのヘビがいる、と思ったから。フジのつるであった。
   車道には、本物のヘビの礫死体。ヤマガカシでもアオダイショウでもない。虫がたかっていた。近くには茶色い小山。小さなアリがたかっているのだ。中の死体はミミズではないだろうか。
   山に入っても、生き物に出会えることはあまりない。鳥は声が聞こえてくるだけ。イノシシは「ブフウ」という声とともに走り去っていく音。タヌキ、ウサギ、イタチは走り去っていく姿をチラリとだけ。虫も、自由に飛び交ったり、目の回りにうるさい羽虫など。それらの何倍もの生き物は、姿の見えないところで暮らしている。
   野生の生き物をじっくりと見られるのは、死んでいる時だ。そして、死んでいる物はたいてい食べ物になっている。(いつか、ヘビのそれに甲虫がたくさん付いていたが、その内のいくつかは死んでいるようだった。あれは何だったのか、気になっている)
 わたしはカニが好きだ。食べ終わった後に、殻をいじるのが好きなのである。カニの手足は固い殻に覆われているが、その関節は見事に曲がる。作りの妙に感心せざるを得ない。人間が作ったような鎧を、自然は作りあげているのだ。
 また、カニの赤は食欲をそそる。その鮮やかな色は茹でられた結果で、死斑、死色でもあると思う。死んだものを食べている食卓でこそ、生き物に出会うのだ。
 気持ち悪い話になって恐縮だが、人は牛でも豚でも、野菜でも、死んだものを食べている。山のもの、海のもの、畑のもの。テーブルにならぶ食材は多彩だ。人はそれを道具や手でつまんで口に持っていき、体に入れる。目で賞美もする。
 映像はもちろん、動物園や水族館ではなく、ふつうの人は食卓でこそ、人間以外のこの世の生き物に出会い、その姿をよく知ることができるのではないだろうか。
 このことを見事に表していると思われるのが、服や文具のブランド「JOCOMOMOLA」(Sybilla シビラ)のプラスチックの板である。そこには、赤いカニや、目を見開いた鶏、トマトなどの野菜が食器とともに描かれている。食卓を模しているらしい。色鮮やかな色彩、明確なフォルムが、この世の楽しいこと、美味しいことが死と結びついていることを伝えているように、わたしは思う。ちなみに、シビラさんはスペイン人らしい。刺繍や形の凝った服やバッグを作っている。
   わたしも心を穏やかにしたい。何ものにもとらわれず、自由に生きたい。しかし、仙人にはなりたくない。仙人は、「霞(カスミ)食う仙人」といわれ、どうも、生き物は食べないようだから。生き物を食さねば、わたしはほかの生き物に出会わず、なににも感心したり、考えなくなるだろう。それはつまらない。

   川沿いの小道を進んでいたら、田んぼから音を立てて、鳥が飛び立った。2わのカモだった。しかしすぐに下降して、近くの田んぼにサーッと着水した。その一連の動きはなめらかで美しかった。 。
7/6加筆修正



 道ばたに咲いている、赤やピンク色の葵(タチアオイ)の花が今年も美しい。



 駐車場にへこみがある。
雨が降ると、そこが水たまりに変わる。わたしはそれを勝手に“池”と呼んでいる。池ではハトが水浴びをしていたりする。
   キジバト2わと、ツグミ1わが利用していたこともあった。ただし、ツグミのほうは、池に背を向けていた。わたしが近づくと、かなりそばになって、ようやくハトは飛び立った。ツグミのほうは歩いていく。歩き続ける。植え込みに入った。暗い中をうかがうと、葉を踏み、歩いている音が聞こえた。もしかしたら飛べないのかもしれない。
   近くには芝生の広場があって、そこには日があたり、タンポポに似た黄色い花が咲いている所で、たくさんのツグミが何かをついばんでいる。
 後日、敷地のかなり離れた木の下で、ツグミが死んでいた。(追記。中庭の泉水にも小鳥の死体があった。)
 あるとき、池がこれまでになく大きくなっていた。台風の翌朝だった。



 夕食後、ホタルを見に出かけた。
とちゅう、同行者が田んぼを駆け上がっていく狸(タヌキ)を見た。しばらく前、家の近くでも見たそうで、それはふっくらした、かわいいタヌキだったそうである。
 ホタルは、田んぼの水路、川岸。歩いて、50匹くらい見た。
   川岸のこんもり茂った木の陰を、ぼやあっとした光が明滅したり、上がり下がりする様は、美しい。見ていると、だんだんと仲間の明滅時間が重なってくる。最初は数匹だったのが、いちどきに光って、10匹近くいることがわかる。
   毎年、この歌が思い浮かぶ。

   もの思えば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞ見る

 詞書は「男に忘られてはべりけるころ、貴船にまゐりて、みたらし川に螢の飛びはべりけるを見てよめる」(後拾遺和歌集二十巻「神祇」 歌番号1164)
   鏡のように、迷う自分を蛍に見ているのかと思っていた。ところが、「みたらし川」は身を清める川だという。浄化された気持ちを詠んでいるのだろうか。
   今回、続きにもびっくり。
 「御かへし
   奥山にたぎりて落つる瀧つ瀬の玉ちるばかり物な思ひそ   此の歌はきぶねの明神の御返しなり。男の聲にて和泉式部が耳に聞えけるとなむいひつたへたる。」
  Japanese Text Initiative(UNIVERSITY of VIRGINIA LIBRARY)
  だれが返したのだろうと思ったら、「明神」なのだ。

 先に書いた川岸の風景は、幻想的だけれど、車道に出たホタルの動きは、とても速いことがある。消えた光を追うと、つぎに光った時、かなり離れたところまで移動している。光ったままの場合も、スーッと黄緑色がかった光線が見えるような気さえがする。けっこう機敏で高速の虫である。

 夏は夜
 月のころはさらなり
 闇もなほ
 蛍の多く飛びちがひたる
 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りてゆくもをかし。
  雨など降るもをかし。

 昔の人も枕草子を読んで最初、なぜ月夜の明るさと、正反対の闇夜を称賛したのか? と思っただろうか。「蛍の多く飛びちがひたる」からなのだ、と思った。
 荻谷朴さんは、こう書いている。「夏の夜の「光」のあり方四通りを鑑賞する環境条件」 「満月(望)、闇(朔)、雨(月の朔・弦・望と無関係)」「螢による光の多数点在と小数点在」 (『新潮日本古典集成』)



 お力に感動した『にごりえ』の一葉が五千円札に印刷されるので、『樋口一葉』関礼子著(「礼」は示偏の旧字。岩波ジュニア新書)を手にとった。
わずか小学校5年での中退(正しくは退学)をかわいそがっていたが、履歴に高等女学校が加わるよりも、私塾「萩の舎」に入門したからこそ、源氏物語、枕草子などの散文の古典、和歌などについての高い教養を得られたのではないか、という所や、一葉の流麗な筆跡などに教えられた。
   なかでも『暗夜』(やみ夜)の紹介に興味を惹かれ、さっそく読んでみた。あまりにお話めきすぎ、ぎゅうぎゅうに詰められている所もある。『にごりえ』『十三夜』の方がすぐれ、やはりこれ一編では、一葉はいまほど評価されなかっただろう。しかし気迫あり、ラストはそれまでの部分をバランスの取れたものにし、スッキリと良いものに仕上げられていた。
   怪奇小説めいた、へんな小説でありながら、強い印象を与える。ひとつはお蘭という、広大な荒れ屋敷の中に住んで観音菩薩のような美貌をもちながら、激しい恋情と復讐心を抱いている25才のヒロイン。もうひとつは、お蘭・高木直次郎たちを取り囲む「松川屋敷」というより、うっそうの草木の茂った庭である。
   源氏物語『末摘花』『蓬生』の末摘花の邸宅、花散里たちの荒れ果てたそれは、宮家の落ちぶれた状態を表している。対して明治の『やみ夜』の、草木がぼうぼうと茂った夏の庭は、成金の落魄というより、そこに集う人々の鬱屈した激しい心情によく沿っている感じがする。
   源氏との最も大きな違いは、池であろうか。「我が父はこれこの池に身を沈めたまいしなり」。絶望の人を呑んだ、静かな池のある庭。お蘭も直次郎も、死に引きずられているような、あるいは逆に、捨て身で激しく死に挑んでいるような感じがする。
   二人の復讐心には、神仏は関係ない。お蘭はいう。自分の心は「魔神」が宿っている。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』みたいだ。『やみ夜』に描かれている世間の酷薄で、利欲に満ちた人々の姿も、成長して世間に混じり、苦労した一葉の人間観だろう。
   とくによかった文章をあげる。

浮世のなかの淋しき時、人の心のつらき時、わが手にすがれ、わが膝にのぼれ、ともに携えて野山に遊ばばや、悲しき涙を人には包むとも、われにはよしや瀧津瀬も拭う袂はここにあり、われはなんじが心の愚かなるも卑しからず、なんじが心の邪なるも憎くからず、過ぎにし方に犯したる罪の身を苦しめて、今さらの悔みに人知らぬ胸を抱かば、われに語りて清(すず)しき風を心に呼ぶべし、恨めしき時、くやしき時、はづかしき時、はかなき時、失望の時、落胆の時、世の中捨てて山に入りたき時、人を殺して財(もの)を得たき時、高位を得たき時、高官にのぼりたき時、花を見んと思う時、月を眺めんと思う時、風をまつ時、雲をのぞむ時、棹さす小舟(おぶね)の波の中(うち)にも、嵐にむせぶ山のかげにも、日かげに疎き谷の底にも、わが身は常になんじが身に添ひて、水無月の日影つち裂くる時は清水となりて渇きも癒さん、師走の空の雪みぞれ寒きタベの皮衣(かわごろも)ともなりぬべし、なんじはわれと離るべき物ならず、われはなんじと離るべき中ならず、醜美善悪曲直邪正、あれもなし、これもなし、われに隠くすことなく、われに包むことなく、心安く長閑(のどか)に落つきて、わがこの腕(かいな)に寄り、この膝の上に睡るべしと、の給う御聲心身にひびく度々に、

何の病氣かは、我が父はこれこの池に身を沈め給ひしなり。
  直次が驚愕に青ざめし面を斜に見下して、お蘭様は冷やかなる眼中に笑みをうかべて、水の底にも都のありと詠みて帝を誘ひし尼君が心は知らず、我父は此世の憂きにあきて、いずこにもせよ静かに眠る處をと求め給ひしなり、浪は表面にさわぐと見ゆれど思へばこの底は静なるべし、暗くやあらん明くやあらん、世の憂き時のかくれ家は山邊もあさし、海邊もせんなし、唯この池の底のみは住よかるべしとて静かに池の面を見やられぬ。

いつぞや奥庭に遊びし時、お池に親旦那が御最期を聞かせ給ひて、此底のみは浮世の外の静けさならんと仰せられし、あれをば今に忘れませぬ

おもへば何も我が罪なりし、君をば我が手に救ひしにはあらで、言はば死地に導くやうの成行、何もこれまでの契りと御命を賜はれや、(略)と囁きぬ。
樋口一葉小説集(京都大学電子図書館)に一部、句読点・読みを加えたり、現代仮名遣いに改めたり、ひらがなに変えた。
 なお、「我父はこの世の憂きにあきて、いずこにもせよ静かに眠る處をと求め給ひしなり」や、「この底のみは浮世の外の静けさならん」という部分は、
お力は一散に家を出て、行かれる物ならこのままに唐天竺の果までも行ってしまいたい、ああ嫌だ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の聲も聞えない物の音もしない、靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうっとして物思いのない処へ行かれるであろう
という『にごりえ』の、心に残る名文を想起させられる。
以上7/4修正



 樋口一葉の日記をすこし読んでみた。
『塵の中』(日記のタイトルである)は、貸家を探すところから始まっている。貸家は、今だったらアパートにあたるだろうか。
 家探しに苦労する記述に興味を引かれた。庭のことが出てくる。それだけでなく、一葉の大きな関心事になのだ。
 十五日より家さがしに出づ。朝日のかげまだ見え初ぬほどより、和泉丁、(略) あたりまで行く。(略) はやう世より落はふれて、たよりなく、ささやかなる所にのみすみけるものから、猶、門格子はかならずあり、庭には木立あり、家に床あるものとならひけるを、天井といわば、くろくすすけて仰ぐも憂く、柱ゆがみ、ゆかひくく、軒は軒につづき、勝手もとは勝手元に並びぬ。

 三くら橋と和泉ばしとのあわいなる小路に、四畳半、二畳、二間なる家あり。店は三畳ばかりを板の間に成りて、ここには畳もあり、建具もつきけり。長屋なれども、さまできたなからず。敷金三円、家賃一円八十銭という。それもよし、是れもよし、ただ庭のいささかもなくして、うらは直にうら道の長屋につづきて、木立など夢にも見らるべきに非ず。うらみは是れと覚ゆるものから、なお母君に見せ参らせて、よしとならばよしにせむという。くに子のしきりにつかれて、道ゆきなやむも哀なれば、今日はこれまでよとて帰る。まだ午前成りし。家にかえりて猶さまざまに相談なす。幾そ度おもへども、下町に住まむ事はうれしからず。午後より更に山の手を尋ねばやという。庭のほしければなり。

 十七日。晴れ。家を下谷辺に尋ぬ。(略)三円の敷金にて、月一円五十銭というに、いささかなれども、庭もあり。その家のにはあらねど、うらに木立どもいと多かるもよし。
(『日本近代文学大系8 樋口一葉集』より。ただし表記・句読点を変えている)

 物件を探し回る数日間の日記には、2才年下の妹の疲労がしきりに書かれている。一葉自身は萩の舎で、本格的な文芸を志向していない上流階級にまじり、つきあう「旧生涯」に見切りをつけ、かねてより考えていた、自らでお金を得る「新生涯」に張り切っていたのかもしれない。
 自営業で生活を安定させ、現在と将来への憂いから解き放たれる。ひまなときには、庭の緑に心を遊ばせ、静かな部屋で、雑誌に掲載される小説、エッセイ、和歌などを心ゆくまでつづる。そんな自分を夢みていただろうか。
 (こんな部分を見つけた。
「人つねの産なければ常のこころなし、手をふところにして月花にあくがれぬともえんそなくして天寿を終らるべきものならず、かつや文学は糊口の為になすべき物ならず」 「いでや是れより(略)うきよを十露盤(そろばん)の玉の汗に商いという事はじめばや」「ひまあらば月もみん花もみん、興来らば歌もよまん文もつくらむ、小説あらはさん」
 (龍泉町に家を見つける前の日記より)
 実のところ、社会的な立場を落としながらも、今までの住環境がかなり引き継がれ、経済面、創作活動が上等になることを望んでいた。
 庭を新しいすみかの条件に入れているのは、庭を通して、自然に接したいからではないか。一葉は自然が好きだったらしい。『日記 ちりの中』には、印象的な言葉がある。なんだか怪しそうな占い師・久佐賀義孝に「そも君は何を以而唯一のたのしみと覚すぞや、それ承ん」と問われて、

「錦衣九重、何かたのしからん
自然の誠にむかいて、物いわぬ月花とかたる時こそ、うきよの何事も忘れはてて、造花のふところにおどり入ぬる様には覚ゆれ
この景色にむかいたる時こそ」

自然との同化が、一番の歓楽。ここを読んだとき、自分と同じところがある、と飛び上がるようにうれしかった。いま再読しても、わたしが自然を散歩するときの歓びが書きつくされていると思う。「うきよの何事も忘れはて」ること。悩みも苦しみもだ。「造花のふところにおどり入ぬる様には覚」える。そう、なにか素晴らしい世界の中に入りこんで、この上なく幸福なのだ。
 ジェイン・オースティン(ジェーン・オースチン)の小説も、自然や庭、海岸などをヒロインたちが愛し、歩いて楽しむ記述がごく少ないけどあって、とても好きだ。
 将軍家の侍医の娘の自伝(今泉みね『名ごりの夢 蘭医桂川家に生まれて』平凡社東洋文庫)を読むと、江戸の町にもずいぶん自然があったようだ。一葉も町中で生い育ったとはいえ、現代の都会の人よりは自然に身近に接し、生活環境に欠かせない大切なものになったのだろう。
 生業のために苦労するのは気にならない。小売店の経営をよりどころに、作家としても大成しよう、と決心した。その新天地を求めるにあたり、自分が所有できる自然、「庭」を条件とし、暑い日、労をいとわず、いろいろ回った。
 一葉が少女時代より打ちこんでいた和歌の題材、題詠といい、当時、日本文学の書き手になるためには、あるいは、良い書き手でいるためには、自然とのつきあいが必要だったのかもしれない。自然は、四季のうつろいそのものであり、日本人を感動させてきた。それに「人、ことわざ繁きものなれば、心に思うことを、見るもの聞くものにつけて、言い出だせるなり」。

 しかし、一葉は、乏しいお金で生きていくことの現実を思い知らされる。リアリストでもある彼女は妥協する。裏に木立はあるものの、それはよその敷地であり、狭い家の表は、遊郭吉原への車・人の往来激しい通り。
 先日挙げた『やみ夜』(暗夜)執筆は翌年、下谷龍泉寺町(台東区)から、本郷丸山福山町(文京区)に引っ越した後ではある。しかし、ふつうの家の条件だと思っていたのが全くの思いこみであるほど、彼女がこれから身を置く世間は異なり、求める物件になど出会えなかった経験、騒がしく貧しい町中の小家で生活と恋に苦しんだこと、そんなとき浮かんだかもしれない「うきよの何事も忘れはてて」心に歓びを与えてくれる自然への渇望。
 それらが、零落と貧乏と夏とを力に生い茂って、うっそうとした草木に囲まれ、静かな池を擁する広大な荒れ屋敷、そして、室内で屈託を抱えている孤高のヒロインを生み出したのだった……ら、おもしろい。
 『やみ夜』には、一葉の自然の少ない住環境、狭い貸家、貧困、落ちぶれ続けていること、胸に燃え残っている恋情、そういったものが溶かしこまれ、結実しているのは確かだと思う。
 日記に書かれた一葉の歯切れのよい考えは、お蘭の激しさともすこし重なる。雑誌の『やみ夜』を読んだ若い物書きたちが「おらんさま」と呼んだのも、接してみて、似通う点を感じたからではないだろうか。

 ところで『名ごりの夢』、それを愛おしい小説にしあげた村田喜代子さんの『慶応わっふる日記』、傑作といわれているらしい福沢諭吉の『福翁自伝』(岩波文庫)。落差にびっくりする。前ふたつと、後ろひとつのだ。
 福沢は正直な人かもしれないが、『福翁自伝』の一部は“嘘”である。彼は学問・学芸を共有して遊ぶことなどに興味はなかった。ただただ、自分の優秀さを確認し、欧米へ行きたいために、桂川家やその親族・木村家(咸臨丸のリーダー(?)・木村摂津守)に近づいたと、自伝のごく少ない記述からはうかがえる。
 たしかに、みねさんが感じたように諭吉は、桂川家とそこに集った同好の士たちとは異なるタイプで、将来を見て取れる傑出した人間だ。しかし、一少女の純真な目がとらえて長年忘れず、老境にていねいに述べた魅力的な人間像を、彼自身で抹殺してしまっている。それに気づかず、自分の作りあげた立派な生涯に満足し、ご機嫌で哄笑している。外国人と女性を差別しながら。



 ある夜、外から「ブモォー、ブゥー、ヴー」という一匹の声が聞こえた。
低くて、ちょっとあたりに広がっているような響き。ウシガエルだ。第二次世界大戦後、食用として放されたらしい。
 べつの蛙の声も聞こえた。言葉にすると、「ケッ、ケッ、ケッ」という感じか。これは、牛蛙よりずっと小さい、きりりとした体のアマガエルか、トノサマガエルなのだろう。
 2匹は競争しているのだ。……しかし後になって、競争に聞こえるのは、わたしがどんな小さな事であれ、つねに他人を越えようと、人々が競っている社会の人間だからだ、と気づいた。
 蛙の詩といえば、わたしにはまだ草野心平である。高校生のころ、『ぐりまの死』

「半日もそばにゐたので苦しくなって水に這入った
顔を泥にうづめてゐると
くわんらくの声々が腹にしびれる
泪が噴上のように喉にこたへる」

も忘れられなかったけれど、

「光るはなびら、るるるにそそげ」

という詩句が好きだった。
 冬眠
       ●  

これはやはり優れている。最近知った次のもいい。

  青大将に突撃する頭の中の喚声

    u u u u ……
   gggi gggi
 ubit ubit ubit

 Uriririda! Uriririda! Uriririda!

 DOTSUGEKI!

 gggggggggggggggggggg
 rurururururururu
 gggggg
 DOTSUGEKI!
 DOTSUGEKI!
 DOTSUGEKI!

草野心平は、蛙の声をよく聞いた人だ。蛙は「地べたに生きる天国である」と『第百階級』の序に書いている。
 古今和歌集の仮名序は、こんなふうに始まる。
やまと歌は人の心を種として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思うことを、見るもの聞くものにつけて、言い出だせるなり
花に鳴く鶯、水にすむ蛙(かわず)の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
 (『新潮日本古典集成』より。ただし表記や句読点を変えている)

紀貫之の書いたこの「蛙」は「河鹿」だそうだ。でも、「カエル」と勝手に考えさせてもらう。社会的な立場はぱっとしない青年・草野心平は、和歌の名手だった一千年前の貴族とおなじ考えを持ち、日本人の正統な心を引き継いで詩を書いていたのだ、と感動する。
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