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7月 「山月記」を書きはじめて、1年が経ってしまった。わたしには「もう」という感じである。いま、暁のピンク色に染まっている磨りガラスや、夜明けの空気の冷たさから、昨年も徹夜して、おなじような朝を迎えたのを思い出した。 「山月記」はいちばん楽しく書いている文章だ。読書や美術を見ることは好きだけど、それらの感想は難しい。でも、近辺の山・里山、野を歩いたり、自然と接したことなら、時には心が走ったようになって、どんどん書ける時もある。 こんな人間なので、自然に囲まれたところに暮らしていて、よかった。 それに自分は本と自然によって作りあげられた、と思う。とはいえ、その自分はふだんの生活には出てこないし、関係しない。本を読んだり、美術を見たり、自然を歩いたりして、心が浮遊して幸福になるときだけ、本と自然とが作ってくれた自分が現れる。生き生きする。 もし自然の少ない所に住んでいたら、わたしは、せわしなさに追われ、人間にまつわることに夢中になったり、悩んでばかりいたかもしれない。ひとりぼっちの寂しさだけを知って、それとは異なる孤独を知らなかったかもしれない。 本と芸術と自然とはわたしにとって、美味しい水である。この水が湧くから生きていられる。生きていたい。水は、この世とわたしをつなぐ歓びなのだ。本や美術や自然が与えてくれる陶酔を、「この世に生まれてもらえる宝」だと思ったこともある。 ところが、最近は「毒水」であるとも思う。この水を飲んでしまったために、毒が回ってように苦しく、もんどり打って、のたうちまわっている時もあったから。しかも、美味しいからこそ、わたしを(たぶん)この世から切り離させず、死なせない。甘美な味にして苦い毒の水だ。 どんどん書ける、などと豪語してしまったけれど、本当のところ、上旬は「書くことがない、もう止めようか」と悩んだりしながら、車を運転している。それに最近は忙しくなった。それなのに、引用も多いけど、前の5・6月がいちばん量が多かった。 散歩のとき、小さなノートを持ち歩いて書きこんだりしていたころも、年々、自然に対する考え方は変わっていった。でも、インターネットに書くようになったら、考えていることが明確に見えるようになった。このことが一番うれしい。 子どものころから、山を歩くようになった。それは探検気分だった。自然を新しい目で見るようになり、生命力や純粋さなど、いろいろに感動するようになったのは最近だ。 ところで、たしかにあたりは自然に囲まれてはいる。しかし実は、壊され続けている自然である。山は切られ、削り取られ、高いコンクリートの壁に囲まれた道に。川岸もコンクリートに覆われた用水路に。野はゴミ捨て場に。沼は草木を剥ぎ取られ、よそから持って来られた植物の植えられた公園に。 思い出は、心の中だけになってしまった。大好きなすばらしい道を歩きたくなっても、心の中に敷かれている、かつて愛した記憶の道を歩くしかない。 それでもまだ、いいところがあるから、自然に対する「発見」が続いていくかぎり、書いていきたい。これまでの文章を読んでくださった方はおわかりだと思うが、わたしの発見とは、新種とか、学説とか、科学的なものではない。それに、山歩きといっても、有名な景勝地や新しい場所には踏みこまず、世間的には何てことない牛伏山自然公園や里山や田野のおなじ所ばかりを、ぶらぶら散歩しているだけなのだが。 2004/9/4修正 立っているだけで汗の出る、たいへんな暑さの日が続いた。 こんな時は、ものなど考えられない。本を読んだり、小説の登場人物の背景を考えたり、古典を味わう。そういうのに必要なのは「快適」だ。最高の季節は、素肌にふれるふとんが気持ちいいころ。ごろごろ寝っ転がって読んだり、自然の中を歩くときにこそ、ものごとは考えられる。 読書は、現実生活の苦とは無縁の快楽と結びついているのだ。 このころ、エアコンの効いた場所に入る瞬間、とてもうれしかった。節電とか、省エネルギーが大切、という「正しい」考えなんか、頭から消え去ってしまう。身体に直結する気持ちよさ、快楽にはあらがえない。 そのとき、よく思うことがあった。「極楽は、こういう涼しい風が吹いている場所かもしれない」 その風は、身体に入って、胸の内まで涼しくしてくれるのだ。 ところで『源氏物語』には語「涼し」が30コほど、「涼しげなり」は7コ出てくるという(『新日本古典文学大系 源氏物語索引』) この大河小説の、『帚木』の薄青い夜の室内。 一編の短編としておもしろい『末摘花』。 『紅葉賀』『花宴』で華やかに舞う青年源氏の色香。 巻々に描かれる幼い紫上のかわいらしい言動。 『初音』のおだやかで幸福に満ちた冒頭。 少女として現れた紫上の、最後のすがたが描かれる『御法』(みのり)。春の華やかなセレモニーのなか、命が終わりに近づいた彼女には、すべてが愛おしく思われるのだ。 古代の英雄で神のような光源氏の時代が終わり、リアルで灰色で、ほんのり冷たい現代社会を描いているような『紅梅』『竹河』。 宇治十帖における、いろいろに飽いて、物憂そうな貴公子たち。 それらも好きだけど、「涼しげなり」がでてくる『若菜下』の、二条院の池のシーンも好きだ。
紫上は巻『藤裏葉』で、六条院の女王、源氏の最後の恋人になったはずだった。ところが、次巻『若菜上』で、源氏は若い姫宮(皇族)と結婚する。このあたりは、平安時代の貴族によくある一生だったのか。財産も、有力な身寄りもない妻と暮らしてきたが、中年になり、彼女の内助の功もあって出世すると、血筋がよく、富裕な若い女性を迎え、豪華な華燭の典をあげる。 源氏は女三宮に失望し、周囲も紫上のすばらしさを称賛したと書かれている。しかし、源氏は若いというか幼い女三宮にかなり執着している。紫上のゆるがない勝利を述べる『源氏物語』の言葉の裏には、暗い淵がぱっくり開いている。 源氏は音楽会(女楽)を開く。自身の栄華が誇示されるような会だ。そこでは、ふだん主婦をし、広大な邸宅を切り盛りしている紫上がみごとな演奏をする。音楽会のあと、源氏は紫上と語る。聡明な彼女とは深い話ができるのだ。しかし、そこには泊まらない。「いとよく弾き給えりしことのよろこび聞こえむ」という彼の言葉が、やさしさや婉曲、常識を示しながらも、彼女が若かった頃にはされなかった別れの挨拶であることに、紫上は傷ついただろう。 源氏は女三宮の父・朱雀院(山のみかど)の気持ちを思い、正妻の立場を尊重するために本気でそう思っていたのかもしれない。 しかし行ってみると、女三宮は魅力的であった。彼女は一生懸命、琴の練習を続けていた。まじめで、いじらしい人なのだ。彼女に対する源氏の言葉は「物の師は心ゆかせてこそ」。そして「御琴どもおしやりて大殿籠りぬ」。 色、男女の機微にうとい女三宮。対して、源氏は支配者の立場にあり、若く幼い女三宮に強く引きつけられている。結婚を決めたことといい、接近していくのはいつも源氏だ。 場面が紫上の側に転換する。「例のおはしまさぬ夜は」とある。源氏が訪れない時がかなりあるのだ。 音楽会のあと、源氏が女三宮のところに去ったこの夜、紫上は発病し、ほとんど死にかかる。これは、劇的という言葉ではすまされないくらい、ぞーっと怖くなる設定だ。 平安時代には死刑がなかったという。現代の小説・映画・テレビドラマなどには、殺人も暴力もよく扱われている。無い方が珍しいくらいだ。原稿用紙約2000枚にして、約80年間もの時代を描いている『源氏物語』には、殺人がでてこない。しかし、物語の中ではたくさんの人が“殺されている”。精神的なプレッシャーを受けて衰弱し、死に至るのだ。 紫上の発病もそのひとつだ。病気によって、彼女は、六条院の実質的な夫人の立場、源氏の妻という立場から離れる。(“殺されなかった”主要なキャラクターには 政治家で“鉄の女”的藤壺、 常識も教養もあって心平らかな花散里、 手に入った栄華から離れなくなった明石上、がいると思う) さて病の重い紫上を、源氏は「こころみに」二条院へ移す。さきの引用の舞台がそこである。引用の文中で、紫上と源氏がいっしょに眺める庭園は、ふつうの邸宅を4つも有する六条院にくらべれば狭く、壮麗ではないだろう。 しかし、この療養先・二条院は紫上が生い育ったなつかしい場所である。成長して、嫉妬の荒波に翻弄されてきた人生とくらべれば、子ども時代が幸せだったこと、それがけして還らず、遠いものであることを思ったであろうか。 「池はいと涼しげにて、蓮の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたる」 わたしはこの文が大好きだ。この世の美しさ、すばらしさが集約されている。源氏にもそう見えたので、紫上の生きる甲斐になって、快方に向かうと思ったのではないか。「かれ見たまへ。」 また、紫上の悩みの原因、お互いが苦しい時期にあることを知っているのを示し、和解をもちかけたのだろうか。「おのれ一人も涼しげなるかな」と。 紫上を病床から起こさせたのは、「涼しげ」という言葉ではないか。「涼しげなる」ものがこの世にある・・・ 彼女はそれが見たくなった。 いっぽう源氏は、蓮花を見る彼女の姿に涙して喜ぶ。「これで生きてくれる」と信じたのかもしれない。でも、紫上の心は、まったく反対の極みにあった。 「消え止まるほどやは経べきたまさかに蓮の露のかかるばかりを」 紫上の方はもう、愛の世界から離れている。それでも、死を予告するこの歌には、残(遺)される源氏に対するやさしさが流れ、ある種の愛が残っているように思う。紫上には源氏のすばらしさが充分わかっている。しかし、それだけではもう、内裏雛のような、物語の男女のようにはなれないのだ。別れの悲しい歌を詠んだことが、いまの彼女なりの源氏への近づき方なのだ。若い源氏が蝶のように飛びまわる恋愛譚からはじまった源氏物語の後半は、苦い大人の物語だと思う。 病気の篤いヒロインを一生懸命看病する。でも、愛する彼女は死んでしまい、彼は深く悲しむ。これは、最高のラブ・ストーリーの典型だ。『御法』の紫上が亡くなるシーンは、明石君も登場し、わずかな時間が黄金のように輝いている。 源氏はは、芸術、人間性、政治、いろいろな分野の能力をもった超人的な主人公である。しかし、船橋聖一氏が(たしか)言っていたように(『日本古典文学全集』月報)、源氏物語はふつうの男性の話でもある。生き、愛し、出世し、栄華を手に入れる。弱い立場の皇子だった源氏にとっては全き幸福だ。しかし、老いる。迷う。悲しむ。 いま、源氏のそばには、紫上に似た女性(中将君)がいる。かつての若い源氏なら、彼女と一緒になって、あるいは、別の魅力的な女性と出会って、人生をやり直したかもしれない。空蝉が手に入らなくても、夕顔が死んでも、藤壺が死んでも、そうしてきたように。 ところが、今度の源氏はそうはしなかったし、できなかった。「人生は一回しかない、やり直しはできない」、という当たり前のことから源氏も逃れられなかったのだ、とわたしは思う。彼もたいていの男性のように静かに死んでいく。主のいなくなった六条院は荒れ果てる。 実は、最愛の女性だった紫上が、源氏を包んで、死の世界、冥界へ運び去ってしまったようにも思える。 蓮といえば、中国・蘇州(“東洋のヴェネツィア”)の「摂政園」(拙政園)は上海の豫園よりもすばらしかった。 プライベートな庭園としては最高。夏には蓮が池に満ち、花をつけるらしい。 2004/9/4修正
夜、屋根の上から「ゴロゴロ」と聞こえてきた。それから、轟音が響いて、光った。屋根に雨がたたきつけられる激しい音がした。 2階の窓を閉めに行ったが、再び野山が照らし出されるのを待った。雷雨の風景が好きなのだ。こうい時、よく川上弘美の『神さま』の文章を思い出す。 「空は暗かったが、いなずまが光るたびに景色がくっきりと浮かびあがった。クローバーやたんぽぽが、写真に撮ったようにしろじろと浮かびあがった。」(「草上の昼食」) わたしが見ていると、一瞬、あたりが真昼のようになった。田んぼにそよぐ苗の緑色が印象に残った。何度か光るのを見ているうち、余裕ができたのか、田んぼの間につづく土の道も目に入るようになった。 また光ったので相変わらず照らされる風景を見るつもりでいたら、即座にあたりが真っ白になった。目に飛びこんできたのは、一面の白い光だけ。くらくらした。光だから痛くはないはずだけれど、衝撃を受けた。まばゆいとは、こういうことを言うのか。神仏の「後光」って、こういうすごい雷光から連想されたのかも。 ・・・ その後もしばらく見ていた。雲の一箇所がぼうっと光ったり、とつぜん、白い線が走るのも魅力的だった。白いジグザグの稲光は、飛んでいる白い龍のようだ。 この夕立のせいで、衛星テレビの映画が乱れ、ほとんど見られなくなった。おもしろかったのに。 美しい女性が男に捨てられる。彼女は、豪華な格好をして、堂々とした態度をとったり、暴れたり、しおれたりする。その様子が素晴らしくて、目が離せなかった。「叫ぶわよ」と脅して、男を追い出し、内側から手を伸ばして窓をつぎつぎと閉めていく場面。 女が「ブランチ」と呼ばれるので、ドアを開けると、人通りのない夜の道から、黒い人影が門に近づいてくる。マントをまとった死に神のようだ。 モノクロだし、日本人だからか分からなかったが、女性の服は実はぼろらしい。家も、立派ではないらしい。自分が上流の階級であるかのようにふるまい、大富豪に招待されたと、ウソをついていたのだ。 つぎに現れた男に、そのハッタリを指摘される。男のやり方は虐めっぽい。ところが、このシャツ一枚で、動作も粗野な男が、水も滴るいい男なのだ。たとえば、彼がテーブルに腰掛けて、なにかを食べている場面。 女は劣勢に立たされ、ショックを受ける。その表情。かわいそうになった。何者にもすがれないし、だれも助けてくれない不器用な弱者が、追いつめられている。お話のなかでは救われるけれど、現実はこうなのだと、シンとした。 室内のはずなのだけど、女が立ったり、動いたり、座ったり、狭さを感じさせない。ふつうの部屋が見事な舞台になっていた。 女は狂っている(狂った)らしい。妹の赤ん坊を抱きしめたりする。映画が終わると、女はビビアン・リーだった。男はマーロン・ブランド。原作テネシー・ウィリアムズ。監督エリア・カザン。映画のタイトル『欲望という名の電車』。どれも目にしたことはある名前だ。1951年作。凄みのある映画だった。 お風呂で『方丈記』(岩波文庫)を読む。なぜこの本を選んだのか、よくはわからない。文章がわりと平易で(と、無知なわたしには思われた)、世の中から離れてどう生きていったらいいのか、エッセイから知りたかったのかもしれない。 解説から読んだ。鴨長明は出世できなくて出家、遁世したらしい。その行為は俗っぽいかもしれないけど、その気持ち、わかる。就職できないこととも同じかもしれないのだ。本ばかり読んで世に出るまでは、世間に対し、出世とか恋愛とか、望みはたくさん持っていたけど叶えられない。また、そんな世間、微禄な立場の自分には満足できない。まして、昔はコネやお金中心の社会なのだもの。 冒頭の、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」はやはり名文だ。 「権門のかたわらにをる者は、深くよろこぶ事あれども、大きに楽しむにあたはず。」 この日は、あたりまで読む。 「貧しければ、うらみ切なり。人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかわる。世にしたがえば、身、苦し。したがわねば、狂せるに似たり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身を宿し、たまゆらも心をやすむべき。」 世にしたがわねば、狂せるに似たり。・・・この言葉に胸が痛くなった。 2004/9/4修正
翌夕、雲が集まって、あたりが暗くなった。上空は黒っぽいけれど、山上の空は雲がなくて明るく、オレンジ色がかっていた。「雨が降る」と多くの人が言い合って、いそいで出て行った。風に木が大きくしなっていた。わたしはちょっとドキドキした。 用事が済んだので外に出て、しばし空を見上げた。灰色の雲に覆われている空。厚いところ薄いところがあって、後者は白っぽく輝いた。ふいに、美しいそこへ行きたくなった。雲の層をどんどん上昇し、あの光に近づきていけたら。 七夕の願い事を考えたとき(だれも聞きはしなかったけれど)、「自由になりたい」という言葉がすうっと出てきた。この日は、「死ぬことが自由になることであり、雲の向こうの光や、窓の外の輝く緑に行けること」のように思えた。 でも、そんなことはすぐに忘れて、期日前投票に寄る。聞いたこともない名前、政党名がならんでいた。比例代表ということも、その制度もほとんどわかっていなかった。自分の知らなさにびっくりした。(去年もこんなことがあった) 夜、『方丈記』を読み終わる。久しぶりに再読したけど、音楽、文学、宗教、山歩き。悠々自適な隠者の生活、田舎暮らしの自慢? 人にすばらしさがわかるように、技巧を尽くして書いて、やっと気持ちが満たされる生活ではないか。 でも、いい。好きなものに対する気持ちには共感するところがあるから。 参考資料の『文机談』にも忘れられない言葉があった。師事した琵琶の先生が亡くなった後、長明が開いて、後に非難された秘曲づくしの宴について。 「我も人もあらぬせかいにうまれ、しらぬ国にきたりぬる心地して」 自分なんかと一緒にするのはおこがましいけど、本を読んだり、自然や美術を見ている時、まさにそんなことを感じる。おなじような表現がすごく昔にあったのだ。(方丈記のことはこちらにも書きました) 2004/9/4修正 前にも書いたけど(こちらやこちらなど)、家で食べるお米は、家の田んぼで作ったものである。それがこの頃、おいしくなくなった。 「なんか最近、お米の味がしない」 返ってきた言葉、「暑いんだからそうなるよ」 ちなみに、お米(玄米)は納屋の奥の倉庫に置いて、ときどき精米して使っている。 【追記】 そのあと例年どおり、家のお米は食べ終わり、市販のものを買うようになった。すると、ごはんの粒は小さくて、お米の味はあまりしない。 「これじゃあパンを食べる人が増えるわけだよ」 たしかにパンのほうが噛めば噛むほど、味わいが出てくる。 2004/8/7修正 山の緑色は、木の芽が5月に出そろって、6月には定まるのだと思っていた。ところがこの頃、山が初夏とはちがい、暗緑色に変わっていることに気づいた。 2004/9/4修正 こんな文章を読んだ。(強調部分はわたしによる)
芸術とは、制限からは一番遠いもので、感じたままを表現するのだと思っていた。暦という、人間が作った枠に基づいて自然を詠んでいたという指摘にハッとした。制限がかえって、自由で広い境地を与えるのだ。 わたしはもちろん、詩歌人などではなく、駄文を垂れ流しているだけだ。しかし、示唆を与えられた思いもした。というのも、この「山月記−自然と田舎暮らし」はこれまで、その時その時に見たもの、聞いたもの、という実感にたよりがちで、基準みたいなものがない。これからどうしようか、気になっていたのだ。 そうか、暦か。歳時記のことでもあるだろうか。暦が人知による所産なら、現代において自然現象を書くとき、見るときに役立つのは、科学的な知識や、最新の科学の情報だろうか。 つぎの文章もよかった。
ところで、
わたしも思います。大人げない言い方ですが、『古今和歌集』の春夏秋冬、四季の部を読んだ人は、季節の移り変わりが風と関わっていることに気づくのではないかなあ。だって、仮名序を読み終わって現れる春の歌の、早速二首めはこれだもの。
花は風に散って、春は過ぎ去ろうとする。春の部、最後の歌の詞書には「春の果ての歌」。 夏の部は冬の部とともに短い。詩歌はフィクションに基づいているという話に感銘を受けたが、夏の歌が少ないのは、盆地の京都の夏が暑くて、また、冷房もなく辛かったからかなあ、と想像している。 そんな蒸し暑い時分に、いつしか、ひとすじの涼しい風の道が通る。夏の最終歌。
葉が色づき、錦秋のピークをむかえる。ほとんどすぐに秋は終わる。秋の部、最終歌の末句は「秋は去にけり」 そして冬の巻頭歌。
春は風が吹いてはじまる。 夏は風が吹かず、空気が止まる。 秋も風が吹いてはじまる。 冬は雨が降ってはじまる。この雨は、木の葉を落とし、地にたまった水は氷になり、ふる雨は雪に変わる。冬は寒く、袖の水までも凍る。しかし、春になると、東風(こち)が吹いて、解かされるのだ。 このように、冬と春は環のようにつながっている。そして四季それぞれも、和歌で多く詠まれる植物ではなく、天と関わる気象によって、緊密に結ばれているのだ。 また、古今集は一つの季節をとってみても、その推移がこまやかに表されているところが、すごい。いま、詩歌集は個人で出すものだけれど、古今集をおもうと、アンソロジーの力、そして紀貫之をはじめとするエディター・編集者の高い力に感嘆させられる。 (文章は『瑞穂の国うた』(大岡信)より、古今集の引用は新潮古典集成を参考にした。なお、わたしは古今集のことはこちらやこちらにも少し書いている) 2004/9/4修正 馬頭観音堂(武田信玄が北方の上杉謙信(厩橋城)と戦うために山梨県(甲斐国)から進軍してきたとき、信玄の天久(あまく)という愛馬が死んで、埋めた場所だという。元草競馬場)の階段したに、オレンジ色のヤブカンゾウの花が咲いていた。 ユリの花のような形は大きいし、鮮やかな色だから目立つ。暗めの濃い緑色との取り合わせがきれいである。(ヤブカンゾウのことはこちらにも書いている) しかし、きれいな風景はほかにもたくさんある。道ばたに、畑に、庭に。 今の季節、赤やオレンジ色、黄色、紫などの濃い、原色の花が美しい。それらは、植えられている場所からもわかるように、人間の手が作り出し、植えて、世話したものだ。人工の自然といえるのではないだろうか。 わたしはこの「山月記」でたびたび、自然を賛美しているけれど、実は、人工のものの方が美しいことも多い。いま書いた花、それから田はもちろんそうだし、気持ちのいい丘陵は雑木林だ。むかし、家族はたきぎを取った。大事な燃料であるから、子どもが遊びで折ると怒られたという。 それから、整然と植えられ、まっすぐに伸びた幹が美しい杉林。そこに赤い夕日が差しこんだ光景は格別だ。 牛伏山のような山も、それから奥多野のけわしい山もほとんど手が入っている。 たとえば春、牛伏山には山桜の白い花があちこちに咲いて、わたしは喜んでいるが、桜は役に立たなくて伐採されず、残されたらしいのだ。 人の手の入った自然は美しい。 川岸がゴルフ場になっている場所があるのだが、橋をわたるとき、わたしはうっとりと見る。なめらかな芝生の緑野。ところどころ生えている低木。空気が通って、気持ちよさそうな場所だ。 歌川(安藤)広重の『続・東海道五十三次』と、葛飾北斎の版画を見たことがある。北斎は構図に切れがあって、「知」というものを使っている印象を受けた。対して、広重の版画から感じたのは、草木が露と風によってくったりとしなったり、倒れたような叙情であり、「感」であった。 その広重の版画にも、繁茂した自然のなかに、お城などの建築物が描きこまれていた。人の作った建物は垂直だったり、きれいな角度をもっている。自然は丸みや、わけのわからない方向性、あるいは全方向性をもって、人間の建造物を、町を取り囲んでいる。広重の版画を見ていたら、人工のものと自然はまったく違うのだな、草木みたいな広重も、その取り合わせがおもしろかったのだな、と思った。 2004/9/4修正 今年は、蝉の声が少ない気がした。人に言うと、いなされた。 ヒグラシはふつうにいる。明け方、すこし鳴いていたのが、合唱にかわる。太陽の具合であろうか。前も書いたけど、ヒグラシの朝の鳴き声がきらいだ。へんな抑揚が、陰々滅々とした気持ちにさせられるのだ。 2004/8/7修正 日中は暑いけれども、夕方になると、裏山から風が吹いてくる。夜はずいぶん涼しくなったりする。網戸のそばに立つと、水路を水が、ポコポコと流れていく、気持ちのいい音が聞こえる。 2004/8/7修正 ガラス一面が緑色だった。窓のそとは中庭で、枝や葉っぱが窓にぶつかりそうなほど近くに、楠(クスノキ)が生えているのだ。そこは2階なので、樹形を外からというより、茂みにもぐりこんで、木を中から眺めているようだった。 葉っぱは日の光が当たって、金色にきらきらと輝いていた。窓いっぱいの緑色はなかば透けていた。まるで緑色のガラスの中にいるようだった。 なぜか、「海の中もこんなかもしれない」と思った。海の底にも、こんな大きな木が生えていて、透明な水を通って、日の光がさしこむ。そこは明るくて、緑は鮮やかに見える。波によって、あたりはちらちら光ったり、揺れる。 そんな海中、ふつうには存在しない。あったとしたら、神さまの庭だ。 山幸彦が海神の宮殿“わだつみの魚鱗(いろこ)の宮”を訪れて座っていたのも、こんな木だろうか。彼は女官の壺に、口から真珠を吐く。女官はそれで気づき、王女に美青年がいることを告げる。地上の皇子と海底の王姫は結ばれ、子どもができる。 ・・・わたしとしては、どんな言葉を交わして二人が恋愛したかを知りたかった。しかしきっと、特別な二人が出会うことが重要で、あとは彼らは美男美女なうえ優秀なのだから、どんな困難もないのであり、ふたりが結婚するのは、語り継いできた昔の人にとって当然だったのだろう。 美少年が木に座っている青木繁の『わだつみのいろこの宮』は、ぼうっとしたロマンチックな絵だ。少年の下には、二人の女が立ち、三角形の構図になっている。 『日本武尊(ヤマトタケルノミコト)』も、武器や部下の位置による、しっかりとした構図が青年王子のよるべない憂愁、孤独、そしてわたしの感傷的な見方を支えている。 しかし東京国立博物館の常設展示でたまたま見たら、とても色の暗い絵だった。だから、わたしは図版を思い浮かべる。『日本武尊』は、群馬県の北部、吾妻町・嬬恋村の山上でのすがたを描いているのだとも思っている。ミコトは山国で、遠い相模湾で死んだ弟橘比売命(オトタチバナノヒメノミコト)を思って「あづまはや」と、思わず嘆息したのだ。 (とすると、「東」は「わたしの妻」とか「恋人」という国名であり、ずいぶんロマンチックな大地に思われる) ※嘆いた場所は正しくは、足柄山である※ しかしわたしは、草津の白根山や野反湖畔の山で、眼下を埋めつくし、うねうねと広がっている山並みを見たとき、倭建命のことを思わずにはいられない。「日本武尊」という強そうな名前などもたない、都や王権から追い払われた青年の姿を。 関東の最北のここから都は遠い。白い富士山は見えるけれど、都はその何倍も先にあるのだ。見えなくても、心は「たたなづく青垣」に囲まれた「国のまほろば」倭に恋いこがれて、飛んでいくようだったかもしれない。 『日本武尊』の王子のそばには、忠実な部下がいる。たくましくて、異国の山野での戦いを耐え抜ける部下だ。王子は死ぬまで、国の果ての辺土を、そんな軍団を率いてめぐるのかもしれない。でも、王子は強い彼らのようになれそうにないのだ。異質で、ひとりぼっちで。 こんな王子観は、シェイクスピアのハムレットに対する見方と似ているかもしれない。外国の学究肌の大学で学び、文人ホレーシオを友とするような彼は、父王のようにはなれない。父は、荒ぶる兵士と寝食を共にし、戦塵にまみれて戦い抜き、領土を拡張したことで称えられたのだ。 ハムレットは、いまだ野蛮な風習の残る故国で生きていくこともできない。たぶん、この青年王子はデンマークを近代国家に変えていくべきなのだ。そんな維新を待っている家臣もいる。しかし戯曲の結末は、たとえハムレットは死ななくても、その改革はうまくいかないことを示唆しているのかもしれない。 そもそも、父王の幽霊と、叔父の殺人と、復讐するようにという会話を交わしたのはハムレットだけだ。幽霊は本当に、すぐれた父王なのか。父親を超えられないし、居場所も役割も見つけられず、ストレスに苦しむハムレットのつくりだした妄想、それが父親の幽霊ではないだろうか。 ハムレットは活動するために幽霊を、幽霊の指示を待っていたのではないか。叔父による父親殺しも、母親の心変わりも、憎んでいながら、実は倫理感を燃え立たせてくれる「罪」を待っていたのでは。 とはいえ、家臣やホレーシオも幽霊を見ている。それについては、国民の不安感が物影を、怒る先王に見せているのでは、と言いたい・・・ クローディアスも、ガートルードも、罪を犯したかもしれないけど、その言葉から浮かびあがってくるのは、後悔し、それでも生きていこうとする人間らしい真摯な姿だ。わたしはハムレットよりも好感が持つ。 最後はみーんな死んで、隣国ノルウェーの領土回復を目指して血気にはやったフォーティンブラスがやって来る。彼は勇気によって領土を手に入れたわけで、称えられている。しかし、ハムレットの父王と同じではないか。もしかしたら、その子どもはハムレットのようになってしまうのか? 話を戻すと、古事記の山幸彦の話は、正しくはこんな感じらしい。
山幸彦の紹介は「麗しい」である。そのいい男ぶりは、侍女が言われるままに水を入れてあげるところにも現れているかもしれない。 塩椎神は老人のイメージがあったが、日本書紀をみると、「老翁」の字が入っていた。 海路の神なのに、なぜ山幸彦を助けたのだろうか? もしかしたら、有能な山幸彦を新しいリーダーにしたかったのか。 山幸彦は山で狩猟をしてきたから、神殿前の大きな桂の木に登り、侍女に気づかれないくらい身を隠していることは、得意だったのかもしれない。『日本書紀』の一書(第2)には「百枝の杜樹(かつらのき)」に「跳りて其の樹に昇りて立ちたまふ」とある。 日本書紀にはこんな話もある。 ・最初に出てきたのが、「玉鋺」をもった姫で、仰ぎ見て気づき、父母に告げる。 ・姫は群臣をつれていた。 ・姫が驚いて「鋺」を落とし、割れてしまったのに、それを顧みず父母に告げる。 ・海神みずから迎えてくれた。 ・「鰐(ワニ)」を乗り換えて、宮殿に向かう。そこでは姫が、井戸の人影を掬(すく)えないので仰ぎ見て気づく。 ・海幸彦との猟場の交換について、風雨のたびに海幸彦は「利(さち)」を失ったが、山幸彦はそんなことがなかったから、という記述もある。 海神のバックアップと、その娘との結婚は共通している。 山幸彦は本名、「火遠理命(ホヲリノミコト)」・「天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)」であり、父親は天孫降臨してきた火邇邇芸命(ホノニニギノミコト)、母親は美人で有名な木花開耶姫(コノハナノサクヤビメ)。たいへんなサラブレッドなのである。そんな彼が山も海を統べて、新しい王になるのだ。 山幸彦と姫は3年暮らす。『浦島太郎』の竜宮城での乙姫との話みたいだ。 釣り針が見つかる場面は童話のようで、おもしろい。海神が大小の魚を集めて尋ねると、魚たちが一斉に「このごろ「赤女」(赤鯛)が口に病があって、ものが食べられないそうです」などとを答えるのだ。 しかし、異類婚姻譚の「祖(おや)」のようなこの話は、男が女の「見るな」の禁を破ってしまう形で終わる。姫は巨大なワニか、龍になって海に帰る。「海の道」を閉ざしてしまったともいう。 このあたりになると山幸彦はもう、悩んで海辺をさすらうような少年ではなくて、助けが無くてもやっていける立派な大人という感じがする。 なお日本神話のワニは、鮫のことらしい。 山幸彦は高千穂に580年住んで、亡くなり、山の西に葬られたそうだ。 息子は姫の妹(つまり叔母)と結婚した。叔母は彼を育てた人でもある。ここにも、日本の王と海の深い関係が表れているだろう。 息子は日本書紀によれば、日向の吾平山に葬られたという。古事記・日本書紀を読むと、天皇の先祖は九州から発祥したことになる。 ふたりからは4人の息子が生まれた。うち、次男は「浪穂」を踏んで常世国(とこよのくに)に渡った。三男は、ハハ(「女」に「比」)の国に行くとして、「海原」に入った。 ・・・この記述で古事記の上巻は終わる。日本書紀にはこの記述がないまま「神世」の巻が終わる。 新しい巻は、末子の話。彼は、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、神武天皇である。 なんで、わたしはこんなふうにダラダラと続けてしまったのか。ただ、本から書き写しているだけなのに。 伝承されてきた神話というのは、常識から考えると不条理な部分や、飛躍している部分がたくさんあって、そこに引っかかるのかもしれない。でも、わたしはそれを説明できなくて、ただ引き写してしまうのではないだろうか。 「山幸彦のエピソードの教訓て、いい人間であれば誰かが助けてくれる、かもしれないなあ」とぼんやり思った。わたしのイメージは、暗くなろうとする夕方の、人気ない広大な砂浜をとぼとぼと歩いている山幸彦の姿。美少年の胸のうちは、どうしようもなさに、目の前が真っ暗な気持ち。もしかしたら、海の宮殿の樹上での「美しさ」は、異界に来たことに恐れなんか持たず、ただただ、これで悩みが解決される! という若者らしい楽観的な歓び・希望に依るのかもしれない。 戦って、その土地の王の、美しい少女の姫とつぎつぎに結婚する大王の英雄譚よりも、海を渡って常世国へ行ったり、母の国を目ざして海中に入っていく王子の小話、というか単なる記述がなぜか印象に残る。地上の「青山四周(あおやまよもにめぐ)」る「美(よ)き地(くに)」(日本書紀巻第三、神武の話中の塩土老翁の言葉)も、ふしぎな世界かもしれないが、海を介した世界は、もっともっとふしぎな、それも明るく幸福な世界に思われる。 海に消えた王子の話は、抹殺された王位継承者たちの悲惨な哀しい末路を、きれいにくるんだのかもしれない。そういえば、高校生が『指輪物語』について、「フロドは最後、西の海に出て行くけれど、結局死んじゃったことだ」と言った。わたしもそう思う。(こちらに書きました) それでも、この世界よりもすばらしくて、安らぎに満ちた世界は、空の上ではなく、海の果てにこそ、確実に存在するように思われる。 参考文献『田辺聖子の語る古事記』、西宮一民編『古事記 新訂版』(おうふう)、『日本書紀』岩波文庫 なお、古事記の倭建命のことはこちらにも書いている。 2004/9/4修正 国語の教科書にも載っている絵仏師良秀の話に引きつけられた。こんな話だ。
家族も財産も気にせず、ひたすら火を眺め、画道に活かした良秀。燃えている家を見ていたときの「笑い」は、喜びの笑いだ。訪問者に対するそれは嘲笑。こみ上げてくる喜びを押さえる常識をもたず、異様だし、人々に皮肉な言葉を返すところには、彼の狷介さがあらわれている。いやな人間ではある。 しかし彼にすれば、慌てて騒ぎ、火を恐れ、良秀をかわいそうがる周りの人間こそ、無能で無知なゆえに哀れな存在なのだ。この話には、芸術に憑かれた鬼の姿が描き出されている。 わたしは良秀に共感をおぼえる。火は人も家も滅ぼす恐ろしいものだけれど、わたしが出会う大きなそれは、おもに畑を焼く火や、どんど焼き(道祖神)の火で、美しいから。なんで火が好きか、ということは、こちらに書いたことがある。 上の話では、火の姿を会得することでお金儲けができることを中心に据えているようだけど、良秀は本物のよさを学んで、すばらしい絵が出来ることを喜んでいたし、たぶん、変化自在の火の動きに魅了されていたろう。その喜びはわかる気がする。 こんな人間を冷酷で、非常識だと嫌悪することはいくらでもできる。しかし第二次世界大戦後、罪の意識から(と聞いた)、岩手県花巻市の山にひきこもった高村光太郎(詩人、彫刻家)もこんなことを言ったという。
「私にも飛花落葉の散り乱るるさなか、流れ動きゆくものの動きを見てとることのできる目がいささかできていたのだろうかと、よろこびかかなしみかはっきりしないが、何かものを創り出す者の興奮のようなものを感じた」 と書く。 光太郎を否定しないのだ。恐ろしい場面における火を美しいと思ってしまう「良秀」はたくさんいるのだろう。もちろん、火だけの話ではない。 2004/9/4修正 トウモロコシをもらった。とりたてのトウモロコシだ。実を包んでいる白っぽい緑色の皮が、しめっていて柔らかい。家のレンジで温めた。甘くて美味しかった。近年のトウモロコシは、とても甘いと思う。 昔は、家の畑でも家用にすこし作っていた。しかし、伸びて大きくなり、実がなると、カラスにやられてしまうのであった。カラスはよく見ているらしい。 2004/9/4修正 お祭りの日、古典のことを夢中になって書いていた。きっと、昔の人にとってお祭りは心が浮き立つもので、喜んで出かけたのだろう。 わたしは、道路がコンクリートの用水路と化した、とか、地名をあらわしてきた自然が無くなりつつある、なんてことを憤り、嘆いている。しかし、地域に根ざしたお祭りを衰退させ、滅ぼしつつあるのだ(?) 2004/7/30 サルスベリ(百日紅)の樹下があいていたので座った。丈の低いサルスベリであった。色はピンク色。 近くで見て初めて、この花が繊細な付き方をしているのを知った。遠くから見ていた美しい色は、つきでた茎の先の花びら一枚一枚なのだった。 手を伸ばして枝を揺すると、花びらが落ちてきた。集めてバッグに入れた。 帰り、今年も墓地にサルスベリが咲いているのを見た。が、ちょっと驚いた。全体に花が付いているのだ。暑さが花をたくさん咲かせ、木を美しくするのだろうか。 追記 と、上に書いたけれど、花の色は鮮やかではない。 2004/9/4修正
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